2021年11月13日

2021.11.4 古地図めぐり 浅草橋・両国・錦糸町あたり=前回の続きで同日午後の部

江戸そば蕎麦手打處⇒松根屋せんす⇒人形専門店久月⇒吉徳の人形⇒鳴門鯛焼本舗⇒浅草見附け跡⇒旧浅草橋⇒両国郵便局⇒初音森神社⇒柳橋⇒明暦の大火石碑⇒両国橋⇒山クジラ⇒両国花火資料館⇒回向院⇒吉良邸裏門⇒本所松坂町公園⇒吉良邸表門⇒大川屋⇒勝海舟公園⇒両国小学校・芥川龍之介文学碑⇒椿稲荷神社・北斎居住地跡⇒東京東信用金庫両国支店(ひがしん)⇒江戸東京博物館⇒八角部屋⇒野見宿弥神社⇒松花橋跡⇒千歳橋跡⇒若葉橋跡⇒堅川中学校・公立本所小学校跡・勝海舟居住地・江東橋保育園⇒津軽稲荷神社⇒東京スカイツリー⇒JR錦糸町駅

IMG_0359no2.JPG
松根屋扇子(せんす)は大正初期に創業。問屋街浅草橋で、扇子・団扇を専門に取り扱っているとのこと。末広がりの扇子は、福を呼ぶ縁起物で各種お祝いや記念品にまたお祭りの大うちわ、芸事に使われる扇子をはじめ、庶民の夏の涼となる扇子・団扇等色々あるようです。

この近くには有名ブランドの人形店がありました。
IMG_0361n02.JPG

IMG_0362no2.JPG

浅草見附け跡。
IMG_0366no2.JPG
神田川にかかる浅草橋は、江戸日本橋から奥州路、浅草観音、新吉原へ行く重要な道筋に江戸三十六門の一つ浅草橋の浅草御門が浅草見附と呼ばれ、1636年(寛永13年)に作られ江戸防衛の要だったのです。1657年(明暦3年)の江戸大火では、囚人の逃走をふせぐために門をしめ切ったため、一般市民の避難路が絶たれ多くの焼死者を出したことから、明暦以後吉原が盛んになると、このあたりから柳橋にかけて船宿ができ、船遊びも盛んになり、猪牙舟(ちょきぶね)という粋な二挺櫓の廓通いの舟が出来たのも浅草御門付近なのです。現在は橋のたもとに碑がありました。

IMG_0382no2.JPG
初音森は「江戸七森」に数えられており、多くの御神徳により1471年(文明3年)大田道灌公の寄進で社殿が建立され、田部氏が神主となって奉仕したのです。その頃は「美加度(ミカド)二社稲荷」等といわれたとのことです。すぐそばに資料館があり古い浅草御門の一部や古い神輿がありました。
IMG_0394no2.JPG

IMG_0397no2.JPG

明暦の大火の碑。
IMG_0407no2.JPG
明暦の大火(めいれきのたいか)は、1657年(明暦3年旧暦1月18日から20日)までに江戸の大半を焼いた大火災。かつてはこの年の干支から丁酉火事(ひのととりのかじ)、出火の状況から振袖火事(ふりそでかじ)、火元の地名から丸山火事(まるやまかじ)などとも呼んだようです。その後、防災への取り組みが行われ、火除地や延焼を遮断する防火線として広小路が設置されこれが現在でも上野広小路などと地名としても残っているのです。

両国橋。
IMG_0415no2.JPG
明治のころ両国橋の西側で橋の北側を東西に流れる川は神田川。左下は外堀、日本橋川。橋の南側は、「千歳の渡し」となっていたようです。両国橋が架けられた年には2説あり、1659年(万治2年)と1661年(寛文元年)。「千住大橋」に続いて隅田川では二番目の橋。長さ94間(約200m)、幅4間(8m)。当初の名称は「大橋」。西側が武蔵国、東側が下総国と2つの国にまたがっていたことから「両国橋」と呼ばれたのです。
江戸幕府は隅田川の架橋は千住大橋以外認めてきませんでしたが1657年(明暦3年)の明暦の大火の際、橋が無くて逃げ場を失った多くの江戸市民が火勢にのまれ、10万人の死傷者が出たことから事態を重く見た老中酒井忠勝らの提言により、防火・防災目的のために架橋を決断、架橋後は本所・深川方面の発展に大きく寄与すると共に、火除地としての役割も担ったのでした。

IMG_0425no2.JPG
両国花火と百本杭は武線鉄橋あたりの隅田川の東側に打たれていた護岸のための杭。湾曲して激しい流れだった川筋を和らげ土手を保護する役目を負っていました。風光明媚な上、明治中期まで鯉の釣り場として有名でした。

IMG_0437no2.JPG
両国花火資料館(りょうごくはなびしりょうかん)は、東京都墨田区両国二丁目にある博物館。花火の歴史や技術に関する展示がある様子でした。初めて気が付きましたのでまた後日機会を見て訪れてみたいものです。

IMG_0438no2.JPG
回向院は、今からおよそ360年前の1657年(明暦3年)に開かれた浄土宗の寺院。この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土となり、10万人以上の尊い人命が奪われたのです。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々だったので当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりということです。

IMG_0468no2.JPG
本所松坂町公園 は、区立公園。高家肝煎を引退した後に吉良義央が暮らした邸宅があった跡地。赤穂浪士によって吉良義央ら二十余人が討たれた「吉良邸討ち入り」の現場。近くには吉良邸表門、裏門の案内もありました。

IMG_0477no2.JPG
近所の大川屋で初めて吉良まんじゅうを購入しました。

IMG_0484no2.JPG
両国公園は勝海舟の生誕地。由来碑や案内図がありました。

IMG_0488no2.JPG
両国小学校の角地に芥川龍之介の文学碑があり、杜子春の一節が刻まれていました。

IMG_0495no2.JPG
榛稲荷神社(はじばみいなりじんじゃ)は、墨田区両国にある稲荷神社。榛稲荷神社の創建年代は不詳。江戸時代当地周辺には榛馬場と呼ばれた武術練習場があり、練習場の土手に榛の木が植えてあり、この榛の木の傍に祀られて榛稲荷神社と呼ばれていたということです。また江戸時代には、当地周辺に葛飾北斎や勝海舟などが居を構えていたとのことでした。

東京東信用金庫両国支店(ひがしん)
IMG_0502no2.JPG502
こちらの銀行は建物の周囲に北斎の版画が所狭しと展示されていました。
一番面白いと思ったのはATMでした。
IMG_0507no2.JPG

IMG_0513no2.JPG

八角部屋。
IMG_0523no2.JPG
八角親方は第61代横綱北勝海。現役時代は幕内優勝8回となかなか活躍した方。今は部屋に30人以上の現役力士を抱えている様子です。

野見宿弥神社。
IMG_0540no2.JPG
日本相撲協会が管理所属している神社。かつてこの地の東側に相撲の高砂部屋があり、1885年(明治18年)親方あった高砂浦五郎の尽力で、元津軽家上屋敷跡に相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのがはじまり。境内に歴代横綱の名前を刻んだ石碑が建っています。

公立本所小学校跡。
IMG_0553no2.JPG
こちらはもともと久保尊保(田安徳川家旧臣)が1871年(明治4年)に開いた私塾、松川堂(しょうせんどう)があったようです。松川堂は明治7年5月に公立本所小学校となったのです。
本所小学校は、開校当時、近所に屋敷を構えた尾張徳川家より多額の寄附を受けたので尾張学校とも呼ばれていたようです。このあたりには勝海舟も居住したことがあるようです。

IMG_0566no2.JPG
津軽稲荷神社は、墨田区錦糸にある稲荷神社。津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神としたということです。

IMG_0572no2.JPG
電波塔を含め周辺施設は「東京スカイツリータウン」として2012年5月22日にオープンした、地上デジタル放送などの電波を送信する世界一高い自立式電波塔。伝統的日本建築などに見られる「そり」や「むくり」を意識したデザインや、五重塔になぞらえた心柱制でできているのです。東武鉄道及び東武グループのシンボル的存在で高さは634m。

本日は10:00JR浅草橋東口スタート。講師は東京シティガイドの小川先生、TD井上さんのもとに8名が参加。最後まで晴天で風もなく20℃、気持ち良く2万歩をウォーキング。また途中講師が気を利かせて吉良まんじゅうと東あられをゲットし、お土産ができました。
IMG_0575no2.JPG
古地図歩きは今の街並みを見ながら、昔のお屋敷や道路を重ねて想像しながらのウォーキングですからそれなりに面白みがあります。このシリーズは全10回です。本日は3回目の参加ですからまだまだ先が楽しみなのです。
posted by yunofumi at 09:26| あちこちウォーク

2021年11月10日

2021.114 古地図めぐり 浅草橋・両国・錦糸町あたりー午前の部

JR浅草橋駅東口⇒銀杏岡八神社⇒柳橋2丁目⇒元祖つくだ煮鮒佐本店⇒須賀神社⇒閻魔同跡⇒須賀橋交番前信号⇒旧浅草蔵前町名案内板⇒天文台跡⇒蔵前1丁目信号⇒且R縣商店⇒かじ取稲荷神社⇒蔵前工業高校⇒東京都下水道局⇒浅草御蔵跡⇒すみだテラス⇒北斎首尾の松の碇舟椎木の夕蝉⇒首尾の松⇒くらまえ橋郵便局⇒御蔵前公園⇒榊神社⇒東京工業大学⇒江戸そば蕎麦手打處 ここまで午前の部

これより午後の部 江戸そば蕎麦手打處⇒松根屋せんす⇒人形専門店久月⇒吉徳の人形⇒鳴門鯛焼本舗⇒浅草見附け跡⇒旧浅草橋⇒両国郵便局⇒初音森神社⇒柳橋⇒明暦の大火石碑⇒両国橋⇒⇒山クジラ⇒両国花火資料館⇒回向院⇒吉良邸裏門⇒本所松坂町公園⇒吉良邸表門⇒大川屋⇒勝海舟公園⇒両国小学校・芥川龍之介文学碑⇒両緑敬神⇒椿稲荷神社・北斎居住地跡⇒東京東信用金庫両国支店(ひがしん)⇒江戸東京博物館⇒八角部屋⇒野見宿弥神社⇒松花橋跡⇒千歳橋跡⇒若葉橋跡⇒堅川中学校⇒効率本所小学校跡・勝海舟居住地⇒江東橋保育園⇒津軽稲荷神社⇒スカイツリー⇒JR錦糸町駅

ここではまず午前の部の記事を書くことにいたします。

JR浅草橋駅は台東区の駅で最も南にある駅でJR東日本の運転系統は中央・総武線各駅停車と、都営地下鉄の浅草線が乗り入れ、接続駅となっている駅。

銀杏岡八幡神社(いちょうがおかはちまんじんじゃ)。
IMG_0249no2.JPG
浅草橋駅のすぐそばにありました。その昔、源義家公が奥州征伐の際にこの場所で休憩中に川上より銀杏の枝が流れてきたのでその枝を丘の上にさし立て「朝敵退治のあかつきには枝葉栄うべし」と祈願したそうです。そして奥州平定の後再びこの地に帰った時、銀杏が大きく繁茂していたので公は神恩に感謝し太刀一振を捧げ、八幡宮を勧請したのが1062年(康平5年)とのことでした。

元祖つくだ煮鮒佐本店。
IMG_0255no2.JPG
鮒佐は、1862年(文久2年)に創業。159年の伝統を持つ佃煮の製造・販売の老舗。 鮒佐の名は、創業者である初代 大野佐吉が、醤油で『鮒』を付け焼きした「鮒のすずめ焼」を商っていた事と、佐吉の名前の『佐』に由来するとのことで、いまでは『鮒佐』が『佃煮の元祖』といわれているようです。

須賀神社。
IMG_0257no2.JPG
ご祭神は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)。創建は601年(推古天皇9年)とのこと。この当時、この辺りで疫病が流行し、困った人々が牛頭天王(ごずてんのう)に病気平癒を祈ったところ、疫病が快気したことで当地に祠が創建されたということでした。江戸時代には「祇園社」「蔵前牛頭天王」「団子天王」「笹団子天王」などと称され、明治時代に「須賀神社」へと改名されたのです。社殿は関東大震災と第二次世界大戦で焼失しその後再建され、現在の社殿は昭和36年に造営された鉄筋コンクリートのものとなります。

閻魔堂(えんまどう)跡。
IMG_0264no2.JPG
閻魔堂石碑は須賀神社のそば、江戸時代の華徳院のご本尊だった閻魔堂のことのようです。華徳院は今では杉並に移転したのでこの石碑が残っているようです。

天文台跡。
IMG_0270no2.JPG
浅草天文台跡は、1782年(天明2年)に牛込藁店(現、新宿区袋町)から移転、新築された江戸幕府の役所機関「天文方」の施設「頒暦所御用屋敷」のことで、1869年(明治2年)に廃止されるまで、暦を作るための天体観測などが行われていた所。日本地図を徒歩で測量した伊能忠敬もここに通っていたということでした。

IMG_0278no2.JPG
楫取稲荷神社(かじとりいなりじんじゃ)は江戸幕府米倉造営用の石材を船で運搬する際の遭難を避けることを祈願して創建された神社とのことです。

東京都下水道局がありました。ここには蔵前水の館という見学場所があるようですが今はコロナ禍で非公開でした。

浅草御蔵跡石碑。
IMG_0285no2.JPG
浅草御蔵は、江戸幕府が全国に散在する直轄地(天領)から年貢米や買い上げ 米などを収納・保管した江戸最大の米蔵。 その敷地は、今の蔵前橋を中心に柳橋 2 丁目4番から厩橋手前に至る一帯の約 12万uもの広さでした。酒田からの幕府直轄領の米もここに運ばれ たのです。 隅田川岸の北から順に一番掘りから八番堀まで串のように堀が掘られ、弘化年 間(1844〜48)には、67棟356戸前(とまえ)の蔵が立ち並び、30 〜40万石の米が出入りしていたということです。ここで収納された米は旗本・御家 人への支給米や、幕府の非常備蓄米で勘定奉行支配下にあったのです。 御蔵の8筋の掘割は大正初期まであったがその後、護岸工事のため埋められ、蔵前一帯に当時の面影はほとんど残っていないのです。

IMG_0308no2.JPG
隅田川テラスに設置された、北斎の「首尾松の鉤舟 椎木の夕蝉」。御厩河岸上流の浅草川は禁漁(殺生厳禁)とされていたので、御蔵前は釣りの名所でもあったようです。
これが現在の「首尾の松」。
IMG_0317no2.JPG

榊神社【第六天榊神社】。
IMG_0338no2.JPG
景行天皇の御宇四十年(110)日本武尊が、勅命により東国の鎮定に下向の折この地に国土創成の祖神である皇祖二柱の神を鎮祭し、自ら奉持した白銅の宝鏡を納め国歌鎮護の神宮としたとのこと。古来より「第六天神宮」と称され公武衆庶の崇敬を受けてきた。明治6年榊神社と改称したのです。
浅草文庫跡碑が榊神社の境内にありました。明治の初めには浅草文庫と言われる国立の図書館があり、当時の太政大臣三条実美の筆による浅草文庫の朱印が押された蔵書が公開されたていたのです。その書物は今、国立国会図書館等にあるようです。
またこの境内には「蔵前工業学園之蹟」と刻まれた大きな石碑と碑文の説明板がありました。
IMG_0344no2.JPG
この地は1881年(明治14年)に「東京職工学校」が開設され、1890年(明治23年)に「東京工業学校」、1901年(明治34年)には「東京高等工業学校」と改称した。1923年(大正12年)関東大震災により施設の大半を焼失したため目黒区大岡山に移転。1929年(昭和4年)に現在の「東京工業大学」となったのです。

IMG_0349no2.JPG
江戸蕎麦手打處「あさだ」は創業 江戸安政元年。その昔、中野で穀物商を営んでいた 初代・浅田甚右衛門がこの地に手打蕎麦屋を開いて150余年で現在、江戸前の伝統技術と心意気を受け継ぎ続けて八代目となりました。蕎麦粉は、主に北海道・茨城・福井の純国産の蕎麦の実。新蕎麦の時期には一年分の玄蕎麦を仕入れ、真空保存で鮮度を維持するように努めています。あさだの蕎麦は、毎朝石臼で挽き立ての粉を用いた、「練り・延し・切り」の全ての行程を手作業で行う、つなぎを一切加えない手打ちの十割蕎麦。ということでおいしくいただきました。
IMG_0355no2.JPG
ということで本日の午前の部を終了。約1時間の食事の後、午後の部に再び出発しました。
次回の記事もお楽しみに!!
posted by yunofumi at 20:44| あちこちウォーク

2021年10月30日

2021.10.29 鴻巣市再訪

10月17日鴻巣市のウォーキングでしたがあいにくの雨とデジカメの不調で満足感が少ない結果となっていました。
そこで本日は晴天との気象予報を受けて鴻巣市の再訪を車で実践しました。
往路:上福岡自宅→上尾→桶川→北本→鴻巣市
再訪場所:おおとり→鴻巣市産業観光会館「ひなの里」→菓子処大和屋→鴻巣市役所→せせらぎ公園→クレアこうのす→鴻神社→箕田氷川神社
帰路:鴻巣市→吉見町→川島町→川越市→上福岡

おおとり。
IMG_0145no2.JPG
先日は埼玉の逸品としていただいた「川幅せんべい」のお店。本日は味を組み合わせたセットを購入しました。

鴻巣市産業観光会館「ひなの里」。
IMG_0149no2.JPG
こちらは17日には立ち寄りませんでした。館内は昔のお雛様もありとてもよかったです。
しかしお雛様って顔立ち着物が時代により全く違うのです。面白かったです。
IMG_0164no2.JPG

IMG_0170no2.JPG

菓子処大和屋。
IMG_0176no2.JPG
先日はお店の佇まいを確認しただけでした。今日は店内に入り、おすすめの「いがまんじゅう」と「ぶどう大福」をゲットしました。

鴻巣市役所のコウノトリ像。
IMG_0180no2.JPG
鴻巣市のシンボル。コウノトリの実物を見たことがないので一見、鶴やシラサギのようでした。コウノトリ伝説のある鴻巣市ではこの度コウノトリの飼育施設としてのコウノトリ野生復帰センターを造ったようです。埼玉県立こども動物園(高坂)からつがいの2羽をもらい受け、1月公開に向け頑張っているようです。


クレアこうのすは大ホールなどがあるイベント施設。この1階に歴史民俗資料コーナーがあり今日はここを目的に再訪です。
IMG_0189no2.JPG
埴輪の色々をじっくり見ました。
IMG_0192no2.JPG
生出塚埴輪(おいねづかはにわ)というそうです。また東京2020オリンピックの市松模様と同じものが描かれている貴人埴輪、武人埴輪がありました。
IMG_0194no2.JPG

鴻神社(こうじんじゃ)。
IMG_0213no2.JPG
中山道鴻巣今昔絵図が印象深かったです。
IMG_0218no2.JPG
神社前の道路面にはコウノトリの道路タイルがありました。
IMG_0214no2.JPG

箕田氷川神社(みだひかわじんじゃ)
IMG_0234no2.JPG
この神社の礎を築いた功績で須佐之男命、櫛小田姫命、大国主命、応神天皇、神功皇后十と共に渡辺綱も御祭神に列挙されていました。
ということで御朱印をいただいてきました。
IMG_0241no2.JPG
箕田氷川神社のお隣は源頼光四天王の一人、渡辺綱が建立した「全国渡辺姓の発祥の地」にちなんだ太刀と位牌がある寶持寺でした。
IMG_0240no2.JPG
本日の往路・復路とも往復60kmのドライブ。晴天で気温20℃。それぞれの訪問先は車だったためウォーキングは約7000歩。秋めいて紅葉もすすんできた風景を眺め、とても癒されたドライブでした。これでどうやら鴻巣市は一段落の気持ちになりました。それではまた。
posted by yunofumi at 17:24| ドタバタ日記

2021年10月26日

2021.10.23 Step トラベル バスツアー

ウニクス川越⇒甲州わさび漬けセンター⇒ファッション工房Ambrose⇒横谷温泉(よこやおんせん)⇒蓼科高原チーズケーキ工房⇒長円寺⇒丸井伊藤商店⇒川越駅

今日のツアーはあちらこちらと広範囲にバスで移動のいわばお買い物ツアー。
ということで集合場所のウニクス川越に7:10到着。ところが交通事故渋滞に巻き込まれたバスが遅れて到着のためそれから大急ぎで7:30出発となりました。中型バスで37名参加ですから座席は1人ないし2人での席割。私は職場の同僚Kさんと参加。久しぶりのバスツアー。晴天で富士山もくっきり!気分はルンルン。
9:30山梨県の甲州わさび漬けセンター到着。こちらは石和温泉郷の玄関口にある工場。他の店では小売りされていないという生わさびだけを使用する、珍しいわさび漬けを製造販売している所。約20分の滞在で慌ただしく見学とお買い物しました。
IMG_0011no2.JPG

次はバスで10分のファッション工房Ambroseに到着。
IMG_0035no2.JPG
Ambrosehaは1984年宝石・貴金属などの製造、販売を創業。現在は2代目社長さんが頑張っておられるようです。製品の展示室ではネックレスや指輪をお試しで手に取ってみることが出来ました。ロビーには絵画や原石があり癒されました。
IMG_0024no2.JPG

IMG_0032no2.JPG
社外に出ると富士山がお見送りしてくれました。
IMG_0036no2.JPG

コロナ感染防止のために様々な工夫の場面に出会いました。その中でもバスの中の仕切りは段ボールで作ってあり、苦心の跡が見られました。
IMG_0041no2.JPG

長野県に入ると一段と山々が迫ってきて、いよいよ雪の季節が近いことを実感。
1時間30分ほどでお蕎麦屋さん「遊楽庵」に到着。十割そばをいただきました。
IMG_0050no2.JPG

IMG_0051no2.JPG
横谷温泉旅館では入浴予定でしたがあまりの寒さに湯冷めを警戒して横谷峡の散歩に予定変更。
これは落差15mの乙女の滝。
IMG_0059no2.JPG
昨日は相当な雨量が降ったようでゴウゴウ川が流れていました。
途中には珍しい石灯篭もありました。
IMG_0068no2.JPG

その後1時間で蓼科チーズケーキ工房へ移動。時節柄試食がないのでそそくさとお買い物。

次はいよいよ紅葉を求めて長円寺へバス移動。
IMG_0079no2.JPG

IMG_0071no2.JPG
長円寺は慶安二年(1649)、武田慶尊法印が高野山金剛頂院の法流を相続して開山。正式には要穴山胎蔵院長圓寺。ご本尊は金剛界大日如来。脇士は不動明王と愛染明王。延亨二年火災のため本堂、庫裏とも焼失。同三年庫裏、四年(1747)には本堂を再建し火伏せのため山号を清龍山と改めたようです。

傍に薬師堂がありました。薬師如来は像高91.5cm。檜の一木造りの立像。鎌倉時代の春日の仏師の御作と伝えられるとのこと。日本三薬師如来と云われ旧諏訪大明神の本地仏で、明治の廃仏毀釈のおり諏訪大社上社よりこちらに移された。本日はお姿を見られラッキーでした。
IMG_0082no2.JPG
残念ながら紅葉はまだ始まったばかり。でもお地蔵様も沢山見られてちょっとほっとしました。
IMG_0091no2.JPG

そして最後は丸井伊藤商店へ。
IMG_0094no2.JPG
こちらはお漬物とお味噌の製造元。こちらは創業以来100年を数え、味噌造り一筋に、昔ながらの伝統の技を尊重しつつ、新しい技術も取り入れ、研究を重ねて故郷の味を届けているお店。
IMG_0095no2.JPG
昔ながらの天然蔵には、天然二年味噌、三年味噌が背丈よりも大きな木樽で静かに熟成の時を待っています。
近代的設備を備えた漬物工場では、一つ一つ丁寧に漬け込まれた野沢菜、山ごぼう、セロリ、胡瓜、茄子、しょうが、大根、人参、しその実、みょうが、昆布など高原野菜がありました。
蔵内には、ユニークかつ斬新な神社、「貧乏神様神社」があります。
IMG_0101no2.JPG

こうして17:00過ぎにはバスに乗車しひたすらバスは走りました。いつもの通り談合坂は込み合いましたがまずますお陰様で20:15には出発地点に到着。
ということで自宅に戻れば9700歩は上出来でした。お土産はお味噌を3種類もゲット。我が家の娘はここ数年味噌つくりに凝っておりますので、信州みそを比べてみたいとの希望でしたので買い込みました。ちょっと重かった!!
IMG_0104no2.JPG
娘孝行もできたし、無事にバスツアーも終了。また機会がありましたら参加します。
posted by yunofumi at 14:08| ドタバタ日記

2021年10月25日

2021.10.17 さいたま彩発見ぶらり街あるき 鴻巣市

鴻巣宿は江戸時代の五街道の一つ中山道の七つ目の宿場でした。鴻巣の地名はかってこの地には国府が置かれ、「国府の洲」から「こうのす」に転じ、「鴻(こうのとり)伝説のことから現在の漢字「鴻巣」が充てられたとのことです。

JR鴻巣駅⇒御成町商栄会商店街⇒御成町東照宮⇒大正家⇒鴻巣寄席・西洋料理メイキッス⇒鴻巣御殿⇒鴻巣本陣跡⇒鴻巣駅入口信号⇒鴻巣宿おおとり公園⇒鴻神社⇒法要寺⇒菓子処大和屋⇒鴻巣保健所⇒法務局⇒鴻巣市役所⇒せせらぎ公園⇒鴻巣文化センター・クレアこうのす⇒埼玉県運転免許センター⇒鴻巣フラワーセンター・かねはち(昼食)⇒宝持寺⇒箕田小学校⇒箕田氷川八幡神社⇒箕田追分⇒JR北鴻巣駅

鴻巣駅(こうのすえき)は、高崎線と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが通っている特急なども停車する駅。発車メロディには、鴻巣市出身のシンガーソングライター・美根ゆり香の曲である「HANDS-大きな手から小さな手へ-」が流れているとのことでした。

東口広場には色々なお花と共に「ひな人形とはなの街こうのす」と《四尺玉煙火筒モニメュント》がありました。
DSCN7896no2.JPG

DSCN7897no2.JPG
鴻巣市は、古くから「人形のまち」として知られており、江戸時代から約380年の歴史を重ねる「鴻巣雛(こうのすびな)」はすべて手作業でつくられる美しいひな人形で、埼玉県の伝統的手工芸品に指定されています。鴻巣駅の近くに、人形店などが軒を並べ、伝統を現在に伝えてくれるエリアがあるとのこと。旧中山道が貫くこのエリアの町名は「人形」。これは「鴻巣宿」の時代から人形づくりが盛んであったことを伝えてくれる地名です。そういえば、「人形」という言葉が入る正式な地名は、日本全国にたった2つ。東京の「中央区日本橋人形町」と、こちらの「鴻巣市人形」だけとのことでした。
人形づくりの伝統を伝え、2005年から「鴻巣びっくりひな祭り」が桃の節句である3月3日の前後に、2週間以上にもわたって開催されています。メイン会場と複数のサテライト会場を合わせて、飾られるひな人形の数は、約1万体。メイン会場の鴻巣駅直結のショッピングモール「エルミこうのす」では「日本一高いピラミッドひな壇」の展示が見られるとのことでした。
《四尺玉煙火筒モニメュント》は2015年(平成27年)に設置されたとのことです。これは2014年(平成26年)10月11日に開催された花火大会で「世界最大の打ち上げ花火」として世界記録をギネスに登録された記念の、実際に使用した本物の筒だそうで、四尺玉の重さは464Kgもあるそうです。
鴻巣市の花の生産は寺谷地区から始まり、パンジーに引き続き色々な花々に挑戦し今ではプリムラ、サルビア、マリーゴールドの出荷量は日本一だそうです。お花は時期ものですが本日はウォーキング中にマリーゴールドが見られました。
DSCN7904no2.JPG

DSCN7905no2.JPG
御成町商栄会商店街に日本一小さい東照宮として「御成町東照宮」がありました。祠のそばの石碑には「東照宮 敷地奉納記念碑」とあるようです。

小さな東照宮のそばに鴻巣御殿の案内板がありました。
鴻巣御殿は徳川三代(家康・秀忠・家光)の宿泊所として使われたようなので地名としては御成町となっているようです。
ウォーク途中で100年以上続いている和食のお店「大正家」を見ました。
DSCN7908no2.JPG

西洋料理メイキッスの2階で鴻巣寄席が奇数月に開催されるようです。絨毯敷で100席はあるようですから本格的な落語を聞くにはよいところのようです。

鴻巣本陣跡は今では石碑だけがありました。桶川宿の次ということでいわゆる「間の宿」(あいのしゅく)だったようです。
DSCN7917no2.JPG

道路面には「こうのとり」の絵タイルがありました。
DSCN7925no2.JPG

中仙道沿いに「鴻巣宿おおとり公園」がありました。ここのモニュメントはコウノトリの羽をモチーフにしてありました。

DSCN7927no2.JPG
鴻神社(こうじんじゃ)はこうのとりのお宮ということで元は「国府の宮」。
鴻神社は明治6年にこの地ならびに近くにあった三ヶ所の神社を合祀したもので、もとは鴻三社といわれておりました。明治40年4月8日に鴻三社から社号を改め『鴻神社』となったようです。三狐稲荷神社、幸の宮弁天社、宿神社、夫婦銀杏、なんじゃもんじゃ稲荷などがありました。
DSCN7931no2.JPG

DSCN7938no2.JPG
真言宗智山派寺院の「法要寺」は、正式には慈雲山医王院。長禄元年(1457)亮恵上人が開基。江戸期には加賀藩前田家の宿所となっていたとのことです。

DSCN7943no2.JPG
菓子処大和屋は昭和48年に創業。当初から原材料を吟味し、味や品質にこだわった季節毎の和菓子を変わらぬ味で守り続けているようです。製品としてはつきたて杵つき餅、川幅どらやき、ひな小町、栗どら焼き、ゆずまんじゅう、ぶどう大福、いがまんじゅう等があるとのことです。

せせらぎ公園は人気のSLの展示やコンビネーション遊具などが楽しめそうな公園。園内には小川のせせらぎや噴水もあるようでした。

DSCN7959no2.JPG
「鴻巣文化センター・クレアこうのす」には大ホール、小ホールをはじめ様々なコーナーがあるようです。歴史民俗資料コーナーには埴輪の展示がありました。

埼玉県運転免許センターは元々旧農林水産省農事試験場跡地に、1989年(平成元年)に設置された施設で埼玉県警察が管理する運転免許試験場。運転免許の学科試験や技能試験や限定解除審査、運転免許証の発行・更新・再交付、国際運転免許証の発行など多岐にわたる業務をしている所。普段私共は近隣の警察署で運転免許更新などを行っていますので滅多に伺うことがないのです。

25no2.jpg
鴻巣フラワーセンターは鴻巣市寺谷にある花卉(かき)市場。市場の運営は、鴻巣花き(株)によって行われているようでした。休日なのに施設内を案内していただきました。
昼食は2階のかねはちで海鮮丼をいただきました。
21no2.jpg

16no2.jpg
宝持寺はおよそ1000年前に渡辺綱が、祖父(箕田源氏の祖・源仕)父(源宛)の菩提を弔う為に建立したと伝えられており、境内には全国の「渡辺さん」有志でつくる「全国渡辺会」が建立した顕彰碑も存在します。渡辺綱は平安時代中期から後期の武将で、坂田金時、卜部季武、碓井貞光らと源頼光の四天王の一人として活躍したのです。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻橋では付近に出没する鬼の腕を切り落とした逸話で有名です。

箕田氷川神社は渡辺綱が988年(永延2年)に当地に八幡宮を勧請したとのこと。この氷川八幡神社そばに渡辺綱の祖父箕田武蔵守源仕以来の館があったそうです。
18no2.jpg

11no2.jpg
箕田追分(みだおいわけ)は箕田源氏(みだげんじ)のゆかりの地である鴻巣市箕田(みだ)、中山道(旧中山道)の鴻巣宿と熊谷宿のあいだにある追分で、ここで北に向かって忍(行田市)や館林(群馬県)城下へ向かう道と分かれました。
追分の交差点の南西の角には真新しい解説板が立てられ、きれいに整備されていました。

JR北鴻巣駅(きたこうのすえき)は、埼玉県鴻巣市赤見台一丁目にある、JR東日本高崎線の駅。上野駅発着系統と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車します。開業は1984年(昭和59年)。1日乗降客は約5000人とのことでした。

本日は午前中は雨降り。昼食と花き市場見学後の午後は雨も上がりひまわりやコスモスも楽しみました。
6no2.jpg
気温は22℃までありまずは上々で17名のウォーキングは22000歩で終了。
本日の埼玉の逸品は本手焼きおおとりの「川幅せんべい」。これは鴻巣市内を流れる荒川にかかる御成橋が対岸の吉見町まで2537mありこの川幅が日本一なんだそうです。
おせんべいそのものが大きく家族3人でいただきました。
2no2.jpg
ということで本日も喜多見先生、TD小松さんのおかげで無事終了。次回も頑張ります。
posted by yunofumi at 15:16| あちこちウォーク

2021年10月08日

2021 2021.10.2 古地図巡り 神田・湯島あたり

JR御茶ノ水駅聖橋口⇒神田川・聖橋⇒相生坂⇒湯島聖堂⇒都バス神田明神前⇒神田明神⇒妻恋神社⇒三組坂上信号⇒湯島天満宮⇒湯島中坂下信号⇒うなぎ神田久保田⇒外神田5丁目信号⇒東京メトロ末広町駅⇒神田キリスト教会⇒アキバ商店街⇒神田万世橋・ecute⇒藪そば⇒珈琲ショパン⇒神田連雀亭⇒六文そば⇒竹むら⇒出世稲荷神社⇒まつや⇒須田町歩道橋⇒多町大通り⇒神田青果市場発祥石碑⇒二十二代庄之助最中⇒松本家住宅⇒JR神田駅

JR御茶ノ水駅は神田川(外堀)南側(千代田区側)にあります。ここ何年も駅近辺の改良工事が行われています。古くは北側の本郷台(湯島台)と南側の駿河台が一続きで「神田山」と呼ばれていましたが、2代将軍徳川秀忠の時代に、水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が作られたとのことです。また同じ頃、その北側にあった高林寺(現在は文京区向丘に移転)から泉が出て、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、この地が御茶ノ水と呼ばれるようになったということでした。
そうそう、この駅には近頃JR御茶ノ水駅限定でお茶と水だけの自動販売機が設置されたようです。今日は聖口から出ましたので見逃してしまいました。
本日は古地図をもとにしたウォーキングですから古地図と現在の地図をいただき見方の説明がありました。
DSCN7668.JPG

神田川(かんだがわ)は、実は一級河川で荒川水系の支流で、三鷹市の井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し、東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流しています。流路延長24.6km。東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることはいまでは極めて稀とのことでした。
DSCN7674no2.JPG
聖橋は千代田区駿河台と文京区湯島にまたがり、本郷通り(都道403号)を結んでいる橋。外堀通り、神田川、JR御茶ノ水駅を跨いでおり、駅の東端にあります。全長79.3mのうち、神田川の上部の36.3mが放物線を描くアーチ橋で[1]、形式は鉄筋コンクリートアーチ橋。関東大震災後の震災復興橋梁の1つで、昭和2年(1927年)に完成したのです。聖橋の名前は両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことからきているようです。

湯島聖堂(ゆしませいどう)は、もと上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、官学の府としたのが始まり。この時からこの大成殿と附属の建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになった。
仰高門(ぎょうこうもん)
DSCN7688no2.JPG

孔子像
DSCN7695no2.JPG

大成殿(たいせいでん)
DSCN7704no2.JPG

神田明神(かんだみょうじん)は、外神田二丁目にある神社で正式名称は神田神社(かんだじんじゃ)。神田祭を行う神社として有名です。神田、日本橋(日本橋川以北)、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神。旧社格は府社(明治3年(1870年)まで准勅祭社)。現在は神社本庁の別表神社となっています。また旧准勅祭社の東京十社の一社でもあります。
随神門
DSCN7713no2.JPG

神殿
DSCN7716no2.JPG

獅子山
DSCN7722no2.JPG

銭形平次の碑
DSCN7725no2.JPG
この界隈を歩くと時代小説が思い出されます。岡本綺堂による「半七捕物帳」、野村胡堂による「銭形平次捕物控」、池波正太郎による「鬼平犯科帳」などがよく知られています。

湯島と外神田の境目にあるのが三組坂。ここは1616年(元和2年)徳川家康が駿府で亡くなり、家康お付きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者が当地に屋敷地を賜りこのあたり一帯を駿河町と呼んだようです。その後、1696年(元禄9年)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と改め、この町内の坂であることから「三組坂」と名づけられたようです。しかし元禄以来、呼びなれた三組町は、1965年(昭和40年)4月以降、今の湯島3丁目となったとのことでした。

湯島天満宮の銅鳥居。
DSCN7743no2.JPG
鳥居の横には湯島神社、普段はみな湯島天神などと言っています。
458年雄略天皇2年に勅命で創建されたとのこと。その後太田道灌や家康公、菅原道真などの後押し、そして綱吉公が崇拝したことから大いににぎわったようです。また1703年には火災で全焼したが将軍綱吉公寄進が功を奏し再建。何度かその後も改築されたがもっとも最近では平成7年に総檜造りで造営されて今日の姿のようです。
本殿
DSCN7747no2.JPG

うなぎ神田久保田。
DSCN7763no2.JPG
こちらは1897年(明治30年)創業に老舗。地元の神田市場や秋葉原電気街の方々からも人気のお店とのことです。本日私たちはうな重をいただきました。
DSCN7767no2.JPG

DSCN7779no2.JPG
神田キリスト教会の最初の聖堂は、1877年10月、米国聖公会から派遣されたH.B.クーパー宣教師、クレメントT.ブランシェー宣教師によって建てられ、C.M.ウイリアムス監督(主教)臨席の下、献堂されました。しかし関東大震災で倒壊、第二次世界大戦では焼失しました。現在の礼拝堂は、1991年に建設されたもので、内部にはパイプオルガンが備えらえているとのことでした。

アキバ商店街
DSCN7781no2.JPG
秋葉原の電気街のあたりは江戸時代には下級武士の居住区。もっともと江戸は火事が多かったので静岡の沈下の神様秋葉神社を勧請したのが地名の始まりのようです。1890年(明治23年)上野からの鉄道延長で駅名が秋葉原となったのが今日に続いているとのことです。
 一般に、秋葉原電気街は、太平洋戦争後、駿河台/小川町界隈の闇市が、徐々にラジオ部品を専門に扱うようになり、進駐軍の露店整理令によって、1951年(昭和26年)ガード下に収容されたことが始まり。その後高度成長期、オイルショックの時代の後には家電全盛期やPC時代に入り、今ではオタク文化の殿堂みたいになっており、ごちゃごちゃした街には人があふれていました。あちらこちらにメイド喫茶がありまいsた。

DSCN7795no2.JPG
中央線神田〜御茶ノ水間には1912(明治45年)年に完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋がありました。そのころを振り返り階段、壁面、プラットホームなどの遺構をよみがえらせ、今は嗜好性の高いショップやカフェが並ぶこれまでにない商業施設になっています。旧万世橋駅の開業時に作られたホーム部分を『2013プラットホーム』として整備、デッキとして見物できるようになっていました。高架橋にある旧万世橋駅のふたつの階段は1912段と1935段ありこれを上ると、線路階にあるホームに出て、実際に駅構内を歩く気分で回遊できます。ホームではガラスに囲まれた展望デッキがあり、 中央線がすぐ両脇を行き交うのは結構な楽しみでした。

DSCN7824no2.JPG
藪そばは1880年に創業。作家池波正太郎もよく通ったお店。木造2階建ての現店舗は、関東大震災後の1923年に建築された。佐々木芳次郎の設計による数寄屋造りで、東京都選定歴史的建造物でもある。加山雄三の主演映画『帰ってきた若大将』のロケもこの店で行われた。2013年2月19日夜出火し、店舗のほか隣接する建物と合わせて焼けるという火事に見舞われた[9]。以後1年8ヶ月に渡って休業し、重要文化財などの文化財指定以外では初となる東京都選定歴史的建造物の解除(事実上の取り消し)となった。2014年10月20日に新家屋が再建され、営業再開したのです。

DSCN7828no2.JPG
珈琲ショパンは昭和8年創業の老舗喫茶店。美しいステンドグラスが映える店内には、創業当時から使われているアンティークの調度品が並び、自慢のブレンドコーヒーは通常の3倍の豆を使用して濃厚で贅沢な味を楽しめまるとのこと。

DSCN7832no2.JPG
神田連雀亭(かんだれんじゃくてい)とは、東京都千代田区神田須田町にある寄席。二ツ目の落語家・講談師専用の定席として運営されている。
2014年10月11日に落語家古今亭志ん輔のプロデュースにより開設されたコンパクトな寄席。オーナーは加藤伸。座席数は38名。立ち見は不可。高座は、奥に向かって狭くなる3角形をしており、上手側(客席から見て右側)が楽屋になっている。席亭やスタッフはおらず、出演者自身が呼び込み、受け付け、開演時の案内などを行う。高座と客席が極めて近く、臨場感がある会場として知られる。また二つ目や若手真打が会を開くのにちょうどよい収容客数であるため、独演会や勉強会などが行われることも多い。

DSCN7845no2.JPG
竹むらは1930年創業の歴史ある建屋と趣き。池波正太郎も愛した揚げ饅頭が有名な、神田淡路町の甘味処。 人気はやはり揚げ饅頭と、粟ぜんざい。 戦災を逃れた木造三階建てのお店は、東京都選定歴史的建造物にも選定されています。

出世稲荷神社
DSCN7852no2.JPG

7854
神田まつや
DSCN7854no2.JPG
蕎麦の激戦区、東京都千代田区神田にあります老舗のお蕎麦さん。 店構えが歴史を感じさせます。

神田青果市場発祥石碑は靖国通りの 裏通りの“老川ビル”の前から、靖国通りから多田通りに入ったすぐの歩道上にありました。この神田須田町付近には 江戸時代の初めごろから 青物商が集まっていたのです。その後 徳川幕府は各所に散在していた青物商を この地域に呼び集め,御用市場として育成した結果, 駒込・千住と並び「江戸三大市場」として栄えたとのことです。明治となってからも政府公認の市場として引き継がれましたが,関東大震災で全滅し 外神田(秋葉原駅北側)に移転。東京市中央卸売市場神田分場として 東京の台所をあずかる重要な市場となったのです。しかし戦後の東京の膨張にともない 秋葉原のこの場所も手狭となり,1989年(平成元年)には大田区の大田市場に移転したようです。

DSCN7868no2.JPG
二十二代庄之助最中。
角界御用達で、贈り物にぴったりの商品を置いているという和菓子店。大相撲の行司の最高位である「立行司」をつとめた、二十二代木村庄之助にちなんだお店で、その長男が昭和24年に開業したとのこと。これで3度目くらいの訪問ですが本日はまたしてもお休みでした。

DSCN7876no2.JPG
松本家住宅は神田多町問屋街に残る震災復興町家で、多町大通りに面した角地に東面して建つ。木造3階建、切妻造、平入で、正面は出桁造の構えをとり、北妻面は窓の少ない防火に配慮した造りとする。東京の下町における震災復興期の和風町家として貴重である。

本日の古地図巡りは御茶ノ水駅を中心としたコース。最後は東京復活大聖堂(ニコライ堂)を見る予定でしたが終了後の予定がありこちらはエスケープ。
講師小崎先生、TD久森さん、参加者10名、晴天で気温29℃、微風の中でのウォーキングでしたから気持ちの良いコンデションでした。おかげで14:00にJR神田駅終了とし、12000歩、約5km。ちなみにこのシリーズは全10回。本日は2回目ですから先は長い!!またがんばります。
posted by yunofumi at 15:36| あちこちウォーク

2021年09月07日

2021.9.5 8月も終わりました

8月最後の週末
友人宅で何年振りかでのんびりお茶飲みをしました。お互いに新型コロナワクチンも接種済なので安心して本当に久ぶりだったのです。
互いの近況報告で、友人が「天の園」の読後感想を語りその後、読むことを進めてくれました。私的にはもう8年来参加している東松山スリーディマーチで通る森林公園そばの唐子公園に石碑があることを知っていたことを話すと彼女はびっくり。私は私でそういえばまだ読んでない!とお互いにびっくり。
ということで早速、図書館から「天の園」全6巻、その後、続きの「大地の園」全4巻を借し出して集中して10日間、読みまくりました。主人公はいたずらっ子の保君。彼の成長を示すあらすじで、「天の園」は唐子小学校時代、「大地の園」は川越中学校時代を語っていました。何しろこの物語に登場する唐子村は私の田舎、石川県能美市寺井町湯谷と負けず劣らずの土地柄で、それはそれは面白かった。正直、田舎を懐かしく思い出しました。そして一番は子育てする母は賢くないといけないな――が強く印象に残りました。
※参考:「天の園」全6巻、「大地の園」全4巻 著者:打木村治 偕成社

9月4日 十万石まんじゅう
十万石饅頭セットno2.jpg
十万石まんじゅう(じゅうまんごくまんじゅう)とは、埼玉県行田市の菓子メーカー、十万石ふくさやが製造・販売する和菓子。「埼玉県の伝統的な和菓子」として知られますが、製造元の創業は第2次世界大戦後であり、十万石まんじゅうも伝統的な和菓子ではなく、戦後に誕生したものとのことです。
ふくさやではこの9月1日より埼玉県150周年記念の十万石まんじゅうセットを販売していました。1セット5個組は決して高価ではなかったのです。帰宅前に近頃開店したイオンタウンふじみので購入し、皆でおやつにいただきました。
何事も記念にかこつけて改めて思い描くことは大切ですよね。しかし埼玉県は歴史が古いのです。まだまだ知らないことがいっぱいと思われます。ということでせっせと埼玉県内のウォーキングツアーに参加しております。

9月4日映画「科捜研の女」―劇場版
今日は朝早くから昨日、封切られた映画「科捜研の女」を浦和パルコで鑑賞。朝一番の上映でしたから観客は1/3程度。コロナ禍ですから入りはまあまあというところ。内容はかなり愉快で、テレビ版よりスケールがやや大きかったです。
そうそうう、劇場版といえばいつも「相棒」を見ますが、こちらの劇場版のお話はやや大げさで経費も莫大そう。ということで科捜研は好感度抜群でした。
また12時過ぎに上映が終了後、本日は俳優や監督さんなど十数名が登場しての舞台挨拶がありました。全国の上映映画館約170館を結んでの生配信でした。映画よりこの画像はまた生々しくとても皆さん、生き生きとして、特に女性陣はきれいでした。沢口靖子さんが美人ですばらしかったです。
舞台挨拶全員の2.jpg

2舞台沢口さんの2.jpg
その後すっかり満足したのでちょっと贅沢して「うなぎの萬店(まんだな)」へ。
「松花堂御膳 花」をいただきました。満足、満足。
ウナギ膳の2.jpg
私はこのようにお陰様で元気に日々過ごしております。
皆様、お互いにコロナに気を付けて日々過ごしましょう。
posted by yunofumi at 12:52| ドタバタ日記

2021年08月26日

2021.8.25 近頃の暮らし

8/4
川越は自分が住んでいるふじみ野市からみると、ホンのお隣の街です。しかしこのコロナ禍ではなかなか伺う機会がなく日々過ごしていました。でもまた緊急事態宣言が発令されている最中ですができるだけ車で人に会わないように、そして人が少なく、のんびりできる事を考え、ちょっとお出かけしました。
自宅・・・伊佐沼公園・・・川越城本丸御殿・川越市立美術館・川越市立博物館・・・自宅

伊佐沼公園。
伊佐沼には初めて伺いました。この辺りは川越市の東部に位置し、南北が約1300m、東西が約300mの沼です。
DSCN7614o2.JPG
沼の向こうには埼玉医科大学総合医療センターも見えて位置情報も確認。また駐車場から見ると少し先に古代蓮があることも確認できました。今はほとんど花が終わっている様子でした。駐車場そばには伊佐沼冒険の森がありました。
DSCN7618no2.JPG

川越城本丸御殿。
DSCN7622no2.JPG
川越城は1457年(長禄元年)扇谷上杉持朝が太田道灌に築城させたお城。その後、北条や秀吉の時代に散々だったようですが、1639年(寛永16年)川越城主となった松平信綱により再び拡張整備され、本丸・二の丸・三の丸・追手曲輪・新曲輪など各曲輪、3つの櫓、13の門からなる城郭になったとのことでした。
DSCN7629no2.JPG

DSCN7624no2.JPG
今回はとくに座敷の襖と廊下の障子、それに廊下の間仕切りに使われていたという杉戸をよく見ました。
DSCN7634no2.JPG

DSCN7635no2.JPG
川越市立美術館は川越市の市制施行80周年を記念して、2002年(平成14)年の川越市民の日12月1日に開館した美術館。 川越城趾の二の丸跡に隣接し、川越の蔵造り商家のような外観でした。常設展示室では、橋本雅邦、小茂田青樹、小村雪岱などの川越市ゆかりの作家の日本画、洋画、版画を展示。相原求一朗記念室では、川越市名誉市民である洋画家・故相原求一朗の作品を展示していました。相原求一朗は川越出身とはいえ1961年の北海道旅行の影響で北の大地を画題にした作品が有名とのことで、多くの作品を堪能しました。

川越市立博物館。
DSCN7637no2.JPG
建物は蔵造りをイメージした切り妻の瓦屋根に漆喰風の白壁姿の博物館。展示は川越が繁栄した江戸時代から明治時代を中心に、原始時代から近・現代までの長い川越の歴史が総合的に理解できるようになっていました。特に、城下町全体が見られるジオラマ模型や細部まで復元した蔵造りの町並み模型、また蔵造りの建築工程を再現した実物大模型は迫力満点でした。
DSCN7640no2.JPG

DSCN7641no2.JPG

DSCN7642no2.JPG
今、2020東京オリンピックのゴルフが霞が関カンツリー倶楽部で開催中の為、特別展示がありました。 このゴルフ場は笠幡の旧家の当主、發智庄平氏の願いと、藤田欽哉、赤星四郎 両氏らの尽力が実を結び、1929年に東コースが竣工しその後、我が国で初めて36ホールズを持つゴルフ場となったとのことです。 戦後、米軍によって接収され、農地化などで荒れ果て、コー スは接収中も復旧へ向けた作業が行われて1954年に36ホールズが 再開。その3年後、東コースで開催されたカナダカップ(現ワー ルドカップ)は日本にゴルフブームをもたらしたのです。それから63年後の2020年、東京オリンピックに おいてゴルフの競技会場となったのです。

8/25
相変わらず新型コロナウィルス感染症が蔓延中です。新規感染者がここのところ、1日2万人とは驚きです。お陰で呑気に、そして無防備にあちらこちらと巡ることが困難です。
お買い物は週に数回に抑え、しかもあまり混雑しない時間に行っております。自宅近辺ではヤオコーやベルク、西友、東武ストアなどいくつものスーパーマーケットがあるので大助かりです。
しかしスポーツジムへの参加はまだ、ちょっと躊躇しています。私が登録しているジムは比較的若い方が多いのでもう少しワクチン接種が普及してからが良いかもと思っている次第です。
昨夜は職場で夜、会議があり帰宅が遅くなったこと、本日歯科検診だったこともあり仕事を休みました。この暑い最中は疲れが溜まりやすいので用心した次第です。

近頃、お隣の川越市の図書館も使用可能と知りました。川越市の図書館は中央・西・高階・川越駅東口・霞が関南とあるようです。早速一番近くの高階図書館に伺ってみました。
DSCN7647no2.JPG
雰囲気が明るく何よりDVDが多いことが目につきました。ということで小津安二郎監督の作品などをしばらく色々見ていこうと思っています。
またこの図書館にはレストランがありランチが手頃なお値段で提供されていましたこれもよかったです。ということで本日もうかがい、楽しみました。
DSCN7646.JPG

自宅に帰ると娘が3階ベランダで育てた野菜を収穫していました。今までもミニトマト、ナス、スイカ、ピーマン、えんどう豆など収穫して夕食の食卓を楽しくしてくれていました。
本日もこれらは夕食に楽しめそうです。
DSCN7650no2.JPG
今後もコロナ新規感染者がどう変化していくか注視しながらの暮らしですが十分気をつけて日々過ごしましょう。皆様もお元気でお過ごしください。
posted by yunofumi at 14:13| ドタバタ日記

2021年08月08日

2021.8.4 久しぶりに川越へ


川越は自分が住んでいるふじみ野市からみると、ホンのお隣の街です。しかしこのコロナ禍ではなかなか伺う機会がなく日々過ごしていました。でもまた緊急事態宣言が発令されている最中ですができるだけ車で人に会わないように、そして人が少なく、のんびりできる事を考え、ちょっとお出かけしました。
自宅・・・伊佐沼公園・・・川越城本丸御殿・川越市立美術館・川越市立博物館・・・自宅

伊佐沼公園。
伊佐沼には初めて伺いました。この辺りは川越市の東部に位置し、南北が約1300m、東西が約300mの沼です。
DSCN7614o2.JPG
沼の向こうには埼玉医科大学総合医療センターも見えて位置情報も確認。また駐車場から見ると少し先に古代蓮があることも確認できました。今はほとんど花が終わっている様子でした。駐車場そばには伊佐沼冒険の森がありました。
DSCN7618no2.JPG

川越城本丸御殿。
DSCN7622no2.JPG
川越城は1457年(長禄元年)扇谷上杉持朝が太田道灌に築城させたお城。その後、北条や秀吉の時代に散々だったようですが、1639年(寛永16年)川越城主となった松平信綱により再び拡張整備され、本丸・二の丸・三の丸・追手曲輪・新曲輪など各曲輪、3つの櫓、13の門からなる城郭になったとのことでした。
DSCN7624no2.JPG
今回はとくに座敷の襖と廊下の障子、それに廊下の間仕切りに使われていたという杉戸をよく見ました。
DSCN7634no2.JPG

DSCN7635no2.JPG
川越市立美術館は川越市の市制施行80周年を記念して、2002年(平成14)年の川越市民の日12月1日に開館した美術館。 川越城趾の二の丸跡に隣接し、川越の蔵造り商家のような外観でした。常設展示室では、橋本雅邦、小茂田青樹、小村雪岱などの川越市ゆかりの作家の日本画、洋画、版画を展示。相原求一朗記念室では、川越市名誉市民である洋画家・故相原求一朗の作品を展示していました。相原求一朗は川越出身とはいえ1961年の北海道旅行の影響で北の大地を画題にした作品が有名とのことで、多くの作品を堪能しました。

川越市立博物館。
DSCN7637no2.JPG
建物は蔵造りをイメージした切り妻の瓦屋根に漆喰風の白壁姿の博物館。展示は川越が繁栄した江戸時代から明治時代を中心に、原始時代から近・現代までの長い川越の歴史が総合的に理解できるようになっていました。特に、城下町全体が見られるジオラマ模型や細部まで復元した蔵造りの町並み模型、また蔵造りの建築工程を再現した実物大模型は迫力満点でした。
DSCN7641no2.JPG
今、2020東京オリンピックのゴルフが霞が関カンツリー倶楽部で開催中の為、特別展示がありました。 このゴルフ場は笠幡の旧家の当主、發智庄平氏の願いと、藤田欽哉、赤星四郎 両氏らの尽力が実を結び、1929年に東コースが竣工しその後、我が国で初めて36ホールズを持つゴルフ場となったとのことです。 戦後、米軍によって接収され、農地化などで荒れ果て、コー スは接収中も復旧へ向けた作業が行われて1954年に36ホールズが 再開。その3年後、東コースで開催されたカナダカップ(現ワー ルドカップ)は日本にゴルフブームをもたらしたのです。それから63年後の2020年、東京オリンピックに おいてゴルフの競技会場となったのです。
DSCN7642no2.JPG

本日はささやかな夏休みということで酷暑の中、手軽にリフレッシュのドライブ&ウォーキングを楽しみました。今後もコロナ禍ですが体調に気を付けこの夏も乗り切りたいと思っています。
posted by yunofumi at 13:33| ドタバタ日記

2021年07月30日

2021.7.28 さいたま市岩槻区再訪へ

顧みますと2019年7月7日にさいたま市岩槻区のウォーキングをいたしております。その時には人形博物館が建設中とのことを伺っておりました。今日この頃、コロナ禍で遠出もできないので気晴らしと人流を避けるためにもと本日、平日にドライブいたしました。

自宅・・・岩槻人形博物館・にぎわい交流館いわつき⇒願生寺⇒水野書店⇒東玉大正館⇒田中屋本店⇒岩槻郷土資料館・・・岩槻城址公園・・・自宅

岩槻人形博物館。
DSCN7518no2.JPG
こちらは2020年2月22日に開館。建物は大きな切妻屋根と杉板模様の外観がとても贅沢で大きかったです。
展示室は3部屋、年代別の展示で資料共々5000点はとても見やすかったです。
DSCN7507no2.JPG

DSCN7511no2.JPG

DSCN7512no2.JPG
また収蔵品は人形玩具研究家で日本画家の西澤笛畝(にしざわてきほ1889-1965)のコレクションが中心とのことでした。人形の文化は独特で他の工芸品とは全く別物で発展してきたことも知りました。

にぎわい交流館いわつき。
DSCN7524no2.JPG
岩槻のお土産品、野菜なども販売していました。
またCaféヨロ研がありランチをおいしくいただきました。
DSCN7519no2.JPG

水野書店のたたずまいは独特でした。こちらでいまはやりの岩槻城の御城印をいただきました。
DSCN7535no2.JPG

DSCN7612no2.JPG

東玉大正館は大正時代後期に銀行として建てられた煉瓦造り2階建ての洋館。2007年には国の登録有形文化財になったとのことです。本日は休館のようで外観のみの見学でした。
DSCN7543no2.JPG

DSCN7554no2.JPG
岩槻は古い街ですから屋根の上に鍾 馗(しょう き)様が見受けられました。鍾 馗(しょう き)様は、主に中国の道教系の神様。日本では鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりするならわしがあるのです。

DSCN7557no2.JPG
岩槻郷土資料館は1930年に岩槻警察署旧庁舎を利用しています。建物の外観は合理主義様式、内部はアールデコの意匠が見られアーチ窓や丸柱があり昭和初期をの特徴だそうです。
中には大昔の暮らしの道具の展示、岩槻城とともに岩槻藩の藩校だった遷喬館の資料も本日はゆっくり見られました。
DSCN7561no2.JPG

DSCN7574no2.JPG

DSCN7603no2.JPG
岩槻城址公園はかって岩槻城の南にあった新曲輪と鍛冶曲輪あたりとのことでした。
今日は岩槻城門(黒門)と人形塚を見ました。
DSCN7598no2.JPG

DSCN7601no2.JPG

今朝は台風の影響で涼しい!気温28〜29℃の中、約25kmをドライブ。念願の岩槻人形博物館を見て食事後岩槻郷土資料館までお散歩!この時はさすがに30℃もあったようで汗ぐっしょりになりました。また日光御成道(市宿通り)の路上にはかるたのようなタイルがいくつも見られとても楽しかったです。
DSCN7533no2.JPG

DSCN7536no2.JPG

DSCN7544no2.JPG

DSCN7545no2.JPG
その後は岩槻人形博物館に戻った後、岩槻城址公園に車で移動し公園内を散策。というように本日はのんびり1万歩のお散歩とドライブでとてものんびりの1日でした。ここ数日コロナ感染者が増えているようですからせいぜいこのようなお出かけがいいのではと思っています。
posted by yunofumi at 15:21| ドタバタ日記