2019年01月24日

20190119 鎌倉七福神めぐり

JR北鎌倉駅⇒東慶寺⇒1浄智寺⇒長寿寺・亀ヶ谷坂切通⇒建長寺⇒円応寺⇒巨福呂坂送水菅路ずい道⇒二十五坊遺跡⇒2鶴岡八幡宮⇒近藤(昼食)⇒3宝戒寺⇒土佐坊昌俊邸址⇒4妙隆寺⇒日蓮上人辻説法跡⇒大巧寺⇒5本覚寺⇒鎌倉市農協連即売所⇒下馬交差点⇒和田塚4号踏切⇒六地蔵⇒六地蔵交差点⇒鎌倉彫寸松堂⇒中山刀剣美術店⇒主馬盛久之頸幽⇒文学館入口交差点⇒甘縄明神宮⇒萬屋本店⇒のり真安濟商店⇒旅館對僊閣⇒6長谷寺⇒鎌倉彫白日堂⇒7御霊神社⇒江ノ電長谷駅

朝5時起き!まだ暗闇の中で支度開始。気温1℃?かなり冷え込んでいました。日中は晴天、ほぼ無風、最高気温11℃の予報を確認し、副都心線で約2時間弱、JR北鎌倉駅到着。これまでにも数回伺った北鎌倉駅はこじんまりと可愛い。今朝はいくつものグループが出発準備中。私は駅前の喫茶「門」が営業中だったので温かい珈琲をいただいてからクラブツーリズム「鎌倉和総菜ランチと鎌倉七福神めぐり」ツアーに参加。講師:長坂先生、TD川崎さん、参加者13名で9:45出発。

鎌倉七福神とは大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七つの神様の総称。「七難即滅、七福即生」の説に基づき七福神を参拝すると七つの災難が除かれ七つの幸福が授かるといわれています。近頃はお正月にあちらこちらでよく行われています。本日の鎌倉七福神めぐりは約5kmのコース。

出発後すぐに東慶寺(とうけいじ)の門前に到着。
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ここの山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。開基は北条貞時、開山は覚山尼とのこと。開山以来尼寺で、幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたようです
「開山潮音院覚山志道和尚」は安達義景の娘で、鎌倉幕府の第8代執権・北条時宗の夫人であったためここは松岡御所ともよばれ格式ある寺だったのです。

1番目・浄智寺(じょうちじ)・布袋尊様(家庭円満の神様)
鎌倉幕府5代執権北条時頼の三男宗政が29歳で1281年に没し、8代執権北条時宗が弟の菩提を弔うために建てた寺院。庭が広く梅や牡丹が有名だそうです。
三門と甘露の井がお出迎えです。
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総門
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仏殿
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お寺の奥のやぐらの中に布袋尊様がおられました。参拝客の皆さんがお腹を撫でたため少し黒ずんでいました。
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建長寺(けんちょうじ)は鎌倉時代の1253年(建長5年)の創建。、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆、鎌倉五山の第一位。今日は門前でのご挨拶のみ。
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巨福呂坂送水菅路ずい道。
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元々は旧海軍施設。日露戦争の勝利により、海軍力増強が推し進められ、横須賀海軍工廠をはじめ海軍施設が拡張されたため、艦隊補給や工廠用水など水需要が増大。走水水源では間に合わなくなった海軍が新たに相模川支流の中津川から水を引くことを計画したのが軍港水道半原系統で、約53km離れた愛川村半原から新設の逸見浄水場まで自然流下式で導き、ろ過した後、各施設に配水するものだったのです。送水線路はほぼ直線に南東に向かい、鎌倉あたりで東南東に少し折れて横須賀・逸見へと続いており、送水線路上にあった河川や丘陵には水道橋や隧道が何箇所か建設されたのです。この水道管が敷設されたルートは「横須賀水道みち」、「横須賀海軍水道みち」と呼ばれたとのことです。

2番目・鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)・弁財天様(財運を招く神様)
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鎌倉市雪ノ下にある神社で武家源氏、鎌倉武士の守護神で鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社。京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前年の役で奥州の安部氏を平定後、1063年(康平6年)、京の石清水八幡宮を鎌倉由比が浜郷に勧請し社殿を創建。その後、1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉入りするや由比が浜八幡宮(元八幡)をこの地小林郷に移したのです。1191年(建久2年)には武士の守護神の宗社に相応し上下了宮の現在の姿となったとのことでした。

弁財天様は旗上社におられました。
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若宮通り、津多ビル1F創作和料理「近藤」にて昼食。
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寒い時期は温かいことも御馳走のうち。お魚の煮つけの味もよく、野菜も添えられ美味しかったです。こちらは初めて伺ったお店ですがもう一度鎌倉野菜を味わいたいと思いました。

3番目・宝戒寺(ほうかいじ)・毘沙門天様(病魔退散・財宝富貴の神様)
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宝戒寺は天台宗の寺院で開基は後醍醐天皇で1335年(建武2年)に創建。この場所はもともと北条義時が小町邸を造って以来、北条執権の屋敷があった所。1333年(元弘3年)新田義貞に鎌倉攻めで鎌倉幕府は滅亡し北条一族は滅びたのです。北条得宗家九代の霊を慰めまた人材養成修行のために後醍醐天皇が足利尊氏に命じてこの屋敷跡に建立された寺院なのです。本尊は子育経読地蔵大菩薩で本堂にあるようでした。
お庭には可憐な日本水仙が咲いていました。
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聖徳太子を祀る太子堂。
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徳崇大権現者
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ここは白萩が有名で萩寺といわれています。

4番目・妙隆寺(みょうりゅうじ)・寿老人様(長寿の神様)
ここは日蓮宗の総寺院。 
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またこのあたり一帯は千葉常胤の子孫・胤貞の別邸跡といわれており千葉屋敷とも呼ばれているとのことでした。胤貞が1385年(至徳2年)七堂伽藍を建立して妙隆寺を創建。ご本尊は日蓮上人。

妙隆寺の墓地には丸山定夫の碑がありました。
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丸山定夫は、明治34年5月12日、愛媛県松山市北徒歩町に、丸山常次の四男として生まれました。そして早くから演劇の魅力に憑かれ、大正13年6月3日、築地小劇場が東京築地に開設されるや、その開幕のドラを叩いた方です。昭和3年まで同劇場で働き、昭和4年新築地劇団の創立に加わり、15年まで舞台に立ち、独異の性格俳優として「新劇の団十郎」といわれ、新劇史上不朽の名をとどめた方です。多くの人に愛されましたが、昭和20年8月6日、広島市堀川町99番地、移動演劇桜隊の宿舎でアメリカ軍投下の原爆に遭い、十日間の苦悶の末、16日、厳島存光寺の庫裡で誰にも見取られずに43年のいのちを閉じたのです。その後、埋められた場所さへ知られずにいたのを、最近この地に朽ちかけた墓標が発見され、友人知人たちの協力で新しく記念碑が建てられ碑には由来が記されていました。

日蓮上人辻説法跡。
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昔の鎌倉では地震、暴風雨、干ばつ等で疫病が続発し、不安と恐怖におののく人々を救おうと、38歳の日蓮上人は、松葉が谷の草庵から毎日小町大路の街頭に出て、道行く人々に辻説法を行い法華経を教え熱心に説いていたようです。「煩悩菩薩・生死即涅槃」「南妙法蓮華経」と唱え、人生のいろいろな悩みや執着はそのまま悟りだと思い、法華経を信じる事を説いたのです。「政治が正しくなければ国も庶民の生活も安ずることが出来ない」また「為政者が邪教を信じ、法華経をないがしろにすれば”自界叛逆・他国侵逼難”となって日本は滅亡する」と予言していたとのことでした。

大巧寺はおんめさまとよばれたお寺。 安産を願う妊婦さんが、日本全国や海外からお札を受けに見えるようです。また、境内にて季節ごとに咲く多種類の花々が、訪れる方の心を癒します。
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5番目・本覚寺(ほんがくじ)・恵比寿天様(商売繁盛・五穀豊穣の神様)
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本覚寺は日蓮宗の寺院。日出上人が開山し、1436年(永亨8年)に創建。足利持氏が鎌倉の夷堂があった場所に寺を建て日出上人に寄進した寺院とのこと。
1274年(文永11年)に佐渡の流罪を解かれ鎌倉に戻った日蓮上人はこの夷堂に滞在して布教していたとのこと。
本覚寺文骨堂には身延山から分骨した日蓮上人の御骨が収まっており、東身延山ともいわれているのです。ご本尊は釈迦三尊。
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境内には樹齢100年以上の百日紅が花をつけるとのことでした。

鎌倉市農協連即売所の発足は昭和3年に、鶴岡八幡宮の参道、若宮大路の茶屋の休憩所を借りて始まったようです。次に現在丸七商店の場所を経て、戦後の32年に現在の場所に移転してきました。 鎌倉野菜の運搬も、牛車、自転車にリヤカー、オート三輪車、トラックへと変わり、生産者も、3代目、4代目となっているとのことでした。

下馬交差点(げばこうさてん)は昔、鎌倉幕府へ詣(もう)でる武士は、ここで馬を下りてあとは、歩いて行ったと伝わる場所でした。

由比ガ浜大通の中ほどの道の角に六体の地蔵が赤い頭巾をかぶり、よだれかけを首にかけて並んでいて、このあたりの地名にもなっていました。
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この場所からやや北によったところに、鎌倉時代の刑場(けいじょう)があったと言われており、この刑場跡に罪人の霊を弔う(とむらう)ために祀(まつ)ったのが、六地蔵のはじまりとのことで、後に人通りの多い現在の場所に移されたとのことです。

鎌倉彫寸松堂(すんしょうどう)。
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構造規模は木造2階建、搭屋付、和小屋組 。延べ床面積421.22u、屋根は銅板瓦棒葺き、一部亜鉛引鉄板葺き及び桟瓦葺き、外壁は漆喰塗り大壁、一部押縁下見板張り。 この建物は、1936年(昭和11年)、鎌倉彫の彫師佐藤宗岳氏の店舗併用住宅として、市内の大工西井喜一、正二親子によって建てられたとのこと。1階店舗部分のガラス 戸、ショーウインドーなどに近代洋風建築技術が見られ、全体としては寺院建築と城郭建築が合体したような建物。寸松堂は建築当初から 笹目町、長谷界隈のランドマークとして重要な役割を果たし鎌倉の景観重要建築物となっています。
もうひとつ鎌倉彫白日堂(はくじつどう)の建物も有名で1940年(昭和15年)に鎌倉彫の工房兼住宅として建てられたとのこと。こちらも鎌倉の景観重要建築物。概観は、城郭風と寺院風を加味した感じにみえました。。
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旅館 對僊閣は明治末期から120年以上旅館として続き、現在の建物は関東大震災後、昭和2年頃に建てられたもの。長谷寺の参道にあり、必ず對僊閣が目につきます。一部改装が施されており、とてもよく戦前の和風旅館の佇まいを残している貴重な建物です。高浜虚子がホトトギスの会を開き、与謝野晶子が宿泊した当時の雰囲気も残っているようです。
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6番目・長谷寺(はせでら)・大黒天様(出世・開運の神様)
こちらは鎌倉時代以前からある古寺で736年(天平8年)の創建。坂東33カ所観音霊場の4番札所。
ご本尊十一面観世音菩薩。高さ9.18m、楠の木造、全身の金箔は足利尊氏が、光背は足利義満が納めたとのことです。
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長谷寺は紫陽花の花が有名、また秋の紅葉のライトアップも見事なようです。
そのほか藤や牡丹、つつじもよいようです。今日はちらほら白梅や蠟梅も見られました。

7番目・御霊神社(ごりょうじんじゃ)・福禄寿(知恵の神様)
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この社はもともと鎌倉の平氏五氏(大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉)の祖先を祀る御霊神社だったようです。その後武勇で名高い領主の鎌倉権五郎景政公一柱を祀るようになったようです。
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本日はほぼ16:00すぎにウォーキング終了。歩程約6km、歩数は16000歩超。一カ所づつ、かなり丁寧に見て歩け、なかなか得難い行程でした。
この時期ですからお花が見られませんでした。今後は時期を見てまた伺おうと思いました。
posted by yunofumi at 00:19| あちこちウォーク

2019年01月14日

2019.1.13 映画やコンサートへ

お正月明けからグンと寒さが厳くなっております。
でも北海道や東北、北陸のことを考えれば関東は晴天が続き、有難いことです。
お正月の次にはこの三連休がありましたので映画やコンサートにお出かけばかりをしていました。

映画:「アリー スター誕生」
原作は1937年監督ウィリアム・A・ウェルマンの『スタア誕生』のリメイク版とのこと。
何しろ2018年ブラッドリー・クーパー監督によるミュージカル・恋愛・ドラマ映画でレディー・ガガが綺麗な歌声を何度も聞かせていましたので実に娯楽としては楽しい映画になっていました。

映画:「この道」
詩人の北原白秋を主人公に、山田耕作、与謝野晶子、与謝野鉄幹が登場してきた映画でした。
詩人白秋はかなりの遊び人、まあ心が天真爛漫。奥さんを3人も取り換えていたことも初めて知りました。いずれにしても白秋と耕作が出会ったことから日本の名作童謡ができた道筋がわかり非常に楽しい映画でした。

映画:「日の名残り」
2017年ノーベル文学賞受賞のカズオノグチ原作小説を1993年に映画化されたもの。
監督:ジェームス・アイヴォリー、主人公の侯爵家執事スティーヴァンスはアンソニーホプキンス。決して派手な映画ではなかったですが男と女の心理描写などが行動や目の動きでわかりかなり意味深の映画できた。そして小説を読んだ時にはよくわからなかった事情もはっきりして名画だったと思いました。

コンサート     
新春スペシャルコンサート:於・オーチャードホール
出演:辻井伸行、加古隆、レ・フレール

辻井伸行さんはスタインウエイ、後のお二人はベーゼルドルファーのピアノで演奏。
スタインウエイは高温が特に明るいハッキリした音色、ベーゼルドルファーはウインナートーンを醸し出すと聞いたことがあるので演奏者はきっと自分好みのピアノで演奏するのだと認識しました。
とても有名なピアニストの辻井伸行さんは6曲ほど演奏されましたが映画「羊と鋼の森」のエンディングテーマがとても良かった。そして何よりご本人の曲名紹介の声はハッキリ朗らかに聞こえたことに胸を撃たれました。
加古隆はピアニストであると同時に随分作曲もされているとのこと。映画音楽では映画「散り椿」「蜩ノ記」のテーマ曲を作曲も然り。演奏は力強く独特の雰囲気で圧倒されました。1/30にはNHKホールで歴史映像と音楽のコラボするコンサートがあるようです。
レ・フレールは斎藤守也・斎藤圭土の兄弟グループ。出身は横須賀で1台で4手連弾は演奏が力強く聴衆を熱狂させる雰囲気に巻き込み手拍子がだんだん大きくホール全体に響き、終わった時は異様な雰囲気でした。きっと彼らの音楽ジャンルが独立しつつあるのかもしれません。
こうして2時間30分のコンサートは嵐の中の出来事のように思えました。
そうそうオーチャードホールB1Fの「ドウマゴパリ」で御馳走をいただいたのも感慨深かったです。またこのような優雅な1日を時々設けたいと思いました。
posted by yunofumi at 21:36| ドタバタ日記

2019年01月08日

2019.1.4 東国三社初参り

東京駅⇒(首都高速・東関東道-酒々井SA)⇒香取神宮(かとりじんぐう)⇒佐倉・そう馬(昼食)⇒息栖神社(いきすじんじゃ)⇒鹿島神宮(かしまじんぐう)⇒東京駅

今日はお正月なので朝日旅行のバスツアー東国三社といわれる香取神宮(かとりじんぐう)、息酉神社(いきすじんじゃ)、鹿島神宮(かしまじんぐう)への初参りに参加。千葉県も含め、個人的にはなかなか訪れるにはハードルが高い神社ですから一度は!と一念発起の参加でした。集合は東京駅。朝早かったですが41名の参加で出発。
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約1時間30分で香取神宮に到着。
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香取神宮は千葉県香取市香取にありました。香取市は平成18年に佐原市・小見川町・栗源町・山田町が合併して誕生したとのこと。式内社、下総国一宮で、旧社格は官幣大社。日本全国に約400社ある香取神社の総本社として有名です。御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)、又の名は伊波比主命(いはひぬしのみこと)。
社殿創建は神武天皇18年とも伝わっているようで、なかなかの古く、2600年以上の歴史があるようで、蝦夷に対する大和朝廷の前線基地として重要視されていました。平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけとのことです。
楼門は元禄13年にできたようで豪華絢爛。本殿も負けずに立派でした。
こちらは門前にある亀甲堂の草餅が有名とのことでしたが人が多く買えませんでした。

その後佐原に行き懐石そう馬で昼食を済ませた後街並みを散策。この辺りは小江戸といわれるようです。
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伊能忠敬記念館を見学。伊能忠敬は江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人。 忠敬は、延享2年(1745年)現在の千葉県九十九里町で生まれ、横芝光町で青年時代を過ごし、17歳で伊能家に入り当主となり、佐原で家業のほか村のため名主や村方後見として活躍。 その後、家督を譲り隠居して勘解由と名乗り50歳で江戸に出て、55歳(寛政12年、1800年)から71歳(文化13年、1816年)まで10回にわたり測量を行い、その結果完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降国内の基本図の一翼を担ったのです。
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息栖神社は東国三社の他の二社に比べ、より静かでこじんまりとした趣がある神社でした。
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鹿島と香取に祭られる二神が武神であるのに対し、息栖神社は、武神の乗り物であった「天鳥舟」というひかえめな存在の神が祭られているのです。説明書には御祭神は久郡戸神(岐神-除厄招福の神)、天乃鳥船(井戸の神)、住吉三神(海上守護の神)。そうそう今の住所は茨城県神酉市息栖。水上交通が盛んな時代には息栖河岸とともに大いに賑わったようです。また一の鳥居の両側にある「忍潮井(おしのい)」があり、日本の三霊泉といわれているそうですが見落してしまい残念。

招霊の木(おがたまのき)は精霊が宿るとのことでした。
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芭蕉の句碑や力石も見られました。
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鹿島神宮は茨城県鹿嶋市宮中にありました。2600年以上の歴史を誇る鹿島神宮。御祭神は武甕槌神(たけみかずち)。この神様は神話の中では地上を治めるのに大変活躍されたとのことです。
荘厳な鳥居をくぐると大きな木々が並び、中にはなんとも神秘的な雰囲気が漂よっています。
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広大な境内にはタケミガヅチがナマズの頭を抑えている「要石」などがあり、不思議なお話もあります。
また武芸の神様「鹿島大明神」としても有名です。

いつも食事が良い朝日旅行です。しかし今回は懐石料理でしたが冷たくてちょっと残念。
また説明がないので単に行きましたというツアーとなり、自分の事前の知識が不足していたことを痛感。
日頃参加する講師と添乗員が同行するツアーに慣れてついついこのような事態の旅行になったのです。新年から反省!!でもまあお詣りできたことに感謝し、またいずれ再訪したい三社となりました。
posted by yunofumi at 04:04| ドタバタ日記

2019年01月06日

2019.1.1 地元で初詣

新年おめでとうございます。
早朝はいよいよマイナスの気温。
昨日の大晦日は夜更かししました。それでも頑張って早起きし、お雑煮とお節料理で家族で新年の挨拶。
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今年も次女の手作りでお祝いできたことが何よりも有難かった。

その後、日中が11℃くらいとなりポカポカなので初詣にお出かけ。
毎年恒例の神明社・多聞院までお詣りにお出かけ
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今年も身代わり虎に無事をお願いしました。

境内には蠟梅も咲き、のどかで良い一日でした。
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posted by yunofumi at 16:49| ドタバタ日記

2019年01月02日

2018.12.31 2018年(平成30年)の振り返り

春に西村昭男先生が亡くなられ、いよいよ身近な方とのサヨナラが増えてきた年でした。親戚のおじさんや知人の不幸があったことは少し寂しく、また自分自身の終活も考えねば!と覚悟が必要とも気づきました。
仕事では埼玉県病院薬剤師会事務局の引っ越しもありましたが仕事はどうやらつつがなくできました。
遊びで最重視のウォーキングは1か月3回は参加。
体の筋力保持のためのジム通いは年明けからBee Quickに変更し、週2回以上を心がけました。ここは老若男女が参加しており、誠に楽しいのです。その他、映画鑑賞は24回、図書館の図書貸し出し37冊。
映画は樹木希林さんの「日々是好日」や「デトロイト」「ペンタゴンペーパー」が記憶に残っています。回数が多いのはシニア料金のおかげでとても助かっているのです。
図書館利用はTVドラマや映画を本でも読み直したから多くなったのです。「西郷どん」関係では3冊以上は読みました。まあ歴史がわかっていない私ですから、少しづつ知識の補填なのでした。
このような調子で無事に1年を終了。
そうそう、暮れの紅白歌合戦はNHK見逃しサービスで見ました。何しろ歌手や曲目一覧を見ても「どうなのよ」と思うこともあり、チョイスしてみた次第です。
ではまた新しい年も楽しく元気に頑張ります。皆様 相変わらずよろしくお願いします。
posted by yunofumi at 17:08| ドタバタ日記

2018年12月25日

2018.12.24 芦ノ湖へのバスツアー

上野⇒新宿⇒ザ・プリンス箱根芦ノ湖/なだ万(昼食)⇒箱根ガラスの森美術館⇒大涌谷⇒芦ノ湖⇒新宿

今日は女性ひとり旅ツアーに参加。久しぶりのクラブツーリズム号(さくら観光バス)での出発。
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上野駅公園口駐車場9:00出発、10:00少し前に新宿都庁バスターミナルで全員集合となり、TD牛坂さん、ドライバー原島さんと共に参加者40名がご挨拶。晴天の元、今朝はやや寒かったですが元気に出発。

芦ノ湖は箱根火山のカルデラの中にある「カルデラ湖」で現在の姿は約3100年前に誕生したとのこと。神山中腹にある大涌谷から仙石原や芦ノ湖にかけて扇形をしたスロープになっており、これは約3100年前の神山の水蒸気爆発で神山の北西部が崩れて土砂が仙石原方向に流れ下った跡とのことで、仙石原にあった川はせき止められ上流の水が溜まって湖になったのが芦ノ湖だとのことでした。
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丁度12:00にはザ・プリンス箱根芦ノ湖に到着。芦ノ湖湖畔のこのホテルの地下2階とはいえほとんど湖面の高さのレストラン「なだ万」で昼食。貸し切り状態で女性ばかりですから華やかでにぎやかなこと、この上なし。
和食フルコースの献立。一番は西京漬けの魚の焼き物、デザートの焼きリンゴのカスタードプリンでした。
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箱根ガラスの森美術館は本日クラブツーリズム貸し切りとのこと。次々にバスが到着し、駐車場も館内も満杯。
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寒く、雨もしとしと降り、ヴェニス・セレナーデ・デュオコンサートとしてクリスマスミニコンサートは館内での開催。ヴァイオリンはマッシモ・トゥリーニ氏、アコーディオンはロベルト・サルヴァライオ氏と素敵な演奏でしたが何しろ大勢でごった返しており、音楽を楽しむどころではなく早々に退散。
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展示のモザイクグラスランプはとても綺麗。
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特別展の香水瓶展示も楽しみました。これは1760年代の香水瓶
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18世紀のガラス絵。
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庭園はこの調子でしたから散策もままならず、ちょっと残念。

バスで20分移動し大涌谷に到着。この頃には雪が降りだし気温1℃。
大涌谷はモウモウとしたガスと雲でほとんど見えず。
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外の景色はあまり楽しめず「くろたまご館」に駆け込み、温かな黒卵をゲットし、ほくほくしたのをひとついただき、残りはお土産に。
この黒卵は約80℃の温泉池で60分茹で、卵の表面が硫化鉄でまっ黒になった後、約100℃の蒸気で15分蒸し上げたとのこと。

芦ノ湖に移動し、芦ノ湖遊覧船乗り場でクルーズ船「芦ノ湖丸」(定員700名)に乗船。
今日は特別に「冬の湖上に映えるクリスマス花火」がテーマで7号玉という約240mのサイズも打ちあがったようです。
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乗船時間は約1時間超。デッキに出ると寒さを強く感じましたが、短時間とはいえ珍しい冬の花火を楽しみました。

その後2時間のバス移動で予定通り20:00に新宿到着。こちらに帰れば一日中晴天だったことがわかりました。まあ、箱根辺りは山々の間ですから天候はこの時期定まらず、TDさんは解説に苦慮されておりました。
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それでも無事に帰宅しましたから感謝、感謝。連年とはちょっと変わったクリスマスイヴを楽しみました。
posted by yunofumi at 17:41| ドタバタ日記

2018年12月02日

2018.11.25〜「国宝・松江城とゑびすだいこく両参りの旅へ」の3日目

3日目(11/27):ホテル一畑(いちはた)⇒旧大社駅⇒出雲大社⇒看雲楼(かんうんろう)・昼食⇒出雲縁むすび空港JAL16:20〜羽田空港17:40

宍道湖の朝日を見ながら朝食。
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宍道湖のシジミは昨日頂いたので今日はおうどんとのどぐろ干物が美味しかった。
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朝9:30ホテルを出発前にまずは宍道湖畔を散歩。
朝早くからシジミ取りの漁師さんがあちこちに見えました。水に直接入ってまたは船からと様々なやり方のようでした。
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宍道湖大橋からの湖面は広々、穏やかでした。
その後出雲大社を目指しホテルを出発。宍道湖に沿って進み白鳥の姿も見られました。

ますは旧大社駅舎を見ました。
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ホームや駅舎の中はとっても懐かしかったです。

いよいよ出雲大社到着。
出雲大社は古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたのが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称したとのことです。正式名称は「いづもおおやしろ」私たちは「いづもたいしゃ」とお呼びしています。
拝礼は二拝四拍手一拝の作法。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社とのことです。創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担っており、現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後に太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任。翌年、神社本庁より神職身分特級を拝受しています。また、宮司の正服の紋様は黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだもの。現在も、皇室の方も本殿内までは入れないしきたりがあるとのことです。本殿の建て替えは約60年に一度。
鳥居は4つ、石・木・鉄・銅とのこと。
石(コンクリート)の鳥居はバスに乗ったまま通過。
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銅の鳥居をくぐり本殿へ。
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まずは「さざれ石」を見た後、神楽殿へ。
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本殿を横から見た所。
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ふつうの参拝はこの八足門まで。今日は八足門左の木戸が開き特別参拝。お祓いも神々しい感じでした。
ここから奥は撮影禁止。
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境内を散策すると幸魂像がありました。
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この「ムスビの御神像」は、1986年(昭和61年)に寄進された像で「大国主神」の前に、「幸魂(さきみたま)」・「奇魂(くしみたま)」といった「魂」が現れて、その「魂」を頂く時の場面を表現しているそうです。
また境内には「一月一日歌碑」がありました。
私など子供の頃は元旦に投稿して「年の初めのためしとて」で始まる歌を歌ったものです。正式には「一月一日(いちげついちじつ)」だそうです。この歌は第八十代出雲国造、出雲大社大宮司の千家尊福公の作詞と知りました。

神楽殿の前には大きな国旗掲揚塔(高さ47m)がありました。これは出雲大社の古代の本殿の高さが16丈(約48m)と言われるのと同じ高さに合わせてあるとのこと。国旗の広さは畳75枚分、重さは49kg。今日は程よい風があり、そよそよとなびいていました。
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その後、看雲楼で昼食として「縁結び膳」をいただきました。
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お昼過ぎの頃には気温も19℃とポカポカ陽気でした。その後は出雲縁結び空港からひとっつ飛びで羽田空港へ。
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こうして無事に3日間を終了。ともに行動していただいた添乗員塩浦さん、東出雲観光バスドライバー森田さん、ガイド福島さんにはお世話になりました。
宍道湖の向こうには大山はじめ中国山脈が見えたはずですが大山だけは残念ながらぼんやり。小人数の旅行はとても楽しくリラックスした旅行でした。鳥取、島根がまだまだ見る所が色々あるとわかりましたのでまた改めて訪れてみたいと思いました。皆様、またお会いしましょう。

帰宅後の追加情報:出雲では11月は「神在月」。出雲大社では今年は11/17夕刻〜11/24夕刻まで神々の集い、「人々をしあわせの御縁を結ぶ会議「神議(かみはかり)がなされたとのこと。初日は「神迎祭(かみむかえさい)」を稲仁の浜で行い、そのまま移動して神楽殿で神迎神事を行い、日程途中では神在祭をそして最終日の午後4時「神等去出祭(かみさでさい)」が東西の十九社におられた神々が拝殿に集まりその後「お立ち!」の声で出発されるとのこと。なんとも神々しいお話ではありませんか。地元の方をはじめ大勢の方々が参集してこれらの行事を目の前で見て感動するようです。
また出雲大社と同様に旧暦での神在祭が行われるのは出雲市では朝日神社・御崎神社・万九千神社(まんくせんじんじゃ)、八雲町では熊野大社だそうです。
これらの情報をざっと見ただけでもまた訪れたいと思いました。
posted by yunofumi at 19:34| ドタバタ日記

2018年12月01日

2018.11.25〜国宝・松江城とゑびすだいこく両参りの旅へ」2日目

2日目(11/26)
ホテル一畑(いちはた)⇒美保神社⇒境水道大橋(さかいすいどうおおはし)⇒寿城⇒倉吉町屋清水庵(くらよしまちやせいすいあん)・昼食⇒赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)⇒松江城⇒松江神社⇒ホテル一畑(いちはた)

今朝は9℃とちょっと涼しい。日中は薄曇りながら16℃とポカポカして行動しやすかったです。
ホテル出発は8:45。今日はひたすら右に左にとバスで移動して観光見物です。

美保神社。
こちらはゑびす様の総本宮とのこと。
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御祭神は三穂津姫命(みほつひめのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ・ゑびす様)。
三穂津姫命は五穀豊穣・夫婦和合・安産・子孫繁栄・歌舞音曲(音楽)高天原の高皇産霊命の神様で大国主神の御后神。事代主神は海上安全・大漁満足・商売繁盛・学業・歌舞音曲(音楽)大国主神の第一の御子神。
前にあるのが拝殿。昭和3年造営で船庫を模した造りで壁がなく梁がむき出しで天井もないことから音響効果は素晴らしいとのことです。こちらの神様が鳴物がお好みなので音楽の奉納が多いそうです。
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後ろに屋根がくっきり見えるのが本殿。向かって右が三穂津姫命、左に事代主神が祀られているとのこと。この二つの間を装束の間でつないでいる造りは比翼大社造というようです。
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御菓子の寿城。
米子東IC傍にありました。寿製菓はお菓子のオリジナルブランド。寿城は米子城をモデルにしたお城。石垣の一部は米子城からの移築。「福うさぎ」や栃の実を使った「とち餅」が有名のようでした。
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倉吉町屋清水庵(くらよしまちやせいすいあん)。
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倉吉市にある町屋清水庵は、明治時代に建てられたすこぶる古風な町屋の建物。古き良きものを大切に思う倉吉の素朴でやさしい景色の中で創業から百余年、餅一途に商ってきた真面目な気質で作るお料理は、親しみのある味でした。こちらでは名物「餅しゃぶ膳」をいただきました。
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赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)。
鳥取県南部町にあり平成24年度に町全体が「生物多様性保全上重要な里地里山」と選定された所です。
古事記にある手間(てま)という地名は今も使われており、ここはオオナムが蘇り後にオオクニヌシとなった聖地として、再生・蘇生の地として敬われているようです。したがって病気・怪我の回復、事業の再建・受験生の再挑戦などの願いを胸に秘めて多くの方々がお詣りなさるようです。
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これは封印されている赤猪岩で神社の裏手にあり、大国主命が抱いて落命したと伝わっています。
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松江城は松江市街北西部、市役所の傍にありました。亀田山を最高点とする平山城(国指定史跡)で千鳥城ともいわれます。松江藩の居城で堀尾吉晴が1607年に築城し、天守は1611年完成したようです。こじんまりですが姿は美しく、入口に櫓(やぐら)をつけただけの単純な構成で実戦本位の独立天守。2重の櫓を二つ重ねた上に望楼をのせた古式の構造で5層、地下1階があり見かけと違い6階建て。天守までの階段は傾斜が急とはいえまずまずの登り安さで息切れせずに行けました。
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松江城正面。
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天守からの眺め。
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松江神社は松江城の前にありました。松江神社は、1877年(明治10年)に、旧松江藩の有志により、西川津村(現松江市西川津町)楽山に松平直政を御祭神とする楽山神社として創建されたとのことです。1628年(寛永5年)、堀尾忠晴が朝酌村(現・松江市西尾町)に創建した東照宮の御神霊を1898年(明治31年)、合祀し、翌年の1899年(明治32年)に、現在地の松江城山二之丸に遷座して、神社を松江神社と改めたのです。1931年(昭和6年)に、松江藩中興の明主として仰がれた七代藩主松平治郷と、松江開府の祖堀尾吉晴の遺徳を称えて御神霊を配祀し、今日に至っているとのことでした。
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松江神社の隣に興雲閣(こううんかく)がありました。
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こちらはもともと松江城内に1903年(明治36年)、明治天皇行幸時の御宿所として建設された擬洋風建築の迎賓館。擬洋風建築最後の例とされる壮麗な館の建設費用は、当時の金額で1万3489円。 ところが日露戦争勃発となり明治天皇の行幸は実現しなかったとのこと。でも1907年(明治40年)に当時の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が行啓し、こちらを宿泊施設として使用したとのことでした。

本日はあちこちと優雅に見物三昧。丁度よい天候で元気に1日歩き回り夕食はホテル一畑で優雅にフルコースをいただきました。和気あいあい、皆さんアルコールも美味しかったようですが私にとってはこのステーキ!ボリユームたっぷり!ごちそうさまでした。
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こうして本日は観光三昧!お蔭で元気に歩き回りました。
posted by yunofumi at 09:18| ドタバタ日記

2018年11月29日

2018.11.25〜「国宝・松江城とゑびすだいこく両参りの旅へ」1日目

気持ちの良い秋晴れのなか、初めて山陰への旅に出発。
ツーリズムの一人参加限定の旅ですが11:40に集合してみると参加者4名でびっくり。
女性3名は私が一番年下、皆同年代」。男性1名は60歳代中程、ということで和気あいあいの旅になりそう!!
羽田空港で時間があったので物産展でちゃっかりおやつをゲットして飛行機の搭乗。
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1日目(11/25)
羽田空港ANA12:30〜米子鬼太郎空港13:55⇒熊野大社⇒八重垣神社⇒由志園・夕食⇒ホテル一畑(いちはた)

素晴らしい青空の元、ゆったり。オット!約20分で富士山!素晴らしい!
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機内のTVで「ライスジュレ」と「べジシート」を知りました。帰宅したら探してみようと思いました。

最初の立ち寄りは熊野大社。
空港からバスはかなり走り、静かな山間にありました。
ここは、出雲大社と共に出雲国一宮として古くから信仰を集めている神社とのこと。神社前を穏やかに流れる意宇川には山の緑に映える朱色の八雲橋が架かっており、あふれる自然に包まれた境内は厳かな雰囲気を醸し出しています。
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こちらの祭神は「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」、「加夫呂伎熊野大神(くまののおおかみ)」、「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」、すべて素盞鳴尊(すさのおのみこと)の別名で実際にはおひとりの神様とのことでした。

八重垣神社は縁結びの神様。
「八岐大蛇(やまたのおろち)」のお話。
高天原から出雲国の肥の川(斐伊川)の上流に降り立った素盞鳴尊が、嘆き悲しんでいる老夫婦(実は脚摩乳(あしなづち)と手摩乳(てなづち)という神様)に出会いました。今まで8人の娘すでに毎年やって来る大蛇に娘を次々に食べられ、今年はついに末娘、稲田姫命(いなたひめのみこと)の番にだと聞き素盞鳴尊は、稲田姫命をもらい受けることを条件に大蛇退治を退治したのです。
その後、稲田姫命の両親に承諾を得て結ばれた二人は、正式結婚をした初めての大神とされ、縁結び、夫婦和合、授児安産に御利益がある神社として多くの人がお参りにやってくるようになったのです。
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この神社には3本の夫婦椿があり、鳥居の向かい側にある夫婦椿が一番大きく立派な枝振りでした。
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根元は2本、地上で幹が1本にくっついているという、なんとも仲むつまじい椿なのです。
また拝殿の左にある門をくぐって奥に進むと、高い木々に囲まれ、木の根が網の目のように地面をはう「佐久佐女の森」がありそこに「鏡の池」がありました。
コチラでは、占い用和紙に硬貨を載せて池に浮かべる良縁占いができるとのことで私もやってみました。和紙に字が浮かぶ暇もなく、百円玉と共にさっと沈みました。日々幸せなことを確認しました。

由志園は出雲の風景を偲ばせる池泉回遊式庭園のある所で牡丹と温州人参楽しめるところでした。紅葉も食事も素晴らしかったです。
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ホテル一畑(いちはた)は宍道湖が目の前のホテル。地下1250mから湧き出ている温泉はあったかく安眠しました。
今日は素晴らしい青空の元、松江の気温は13℃と過ごしやすく、ゆったりのんびりと1日を過ごしました。
posted by yunofumi at 22:40| ドタバタ日記

2018年11月18日

2018.11.17 横浜散策 第14回金沢区

京浜急行金沢文庫駅⇒金沢文庫駅前交差点⇒称名寺・北条実朝廟⇒中世の隧道⇒金沢文庫⇒KABA’S KICHEN1050⇒金龍寺⇒平潟プロムナード⇒夕照橋・侍従川⇒野島公園・野島の庵体塚・展望台⇒旧伊藤博文邸⇒野島運河の野島橋⇒野島公園駅⇒明治憲法起草の碑⇒洲崎町交差点⇒明治憲法起草の地碑⇒瀬戸橋⇒千代家跡⇒琵琶島神社・福石⇒瀬戸神社⇒・蛇混柏⇒京浜急行金沢八景駅

素晴らしい晴天のもと9:30スタート。
本日の金沢区は横浜市の最南端にあり、歴史的にも古いものが多くあるようです。横浜市では唯一の自然海岸の野島海岸をたっぷり楽しめるとのことなので期待しての出発です。

称名寺(しょうみょうじ)。金沢北条氏一門の菩提寺。鎌倉幕府の要人北条実時が六浦金沢の屋敷内に建てた持仏堂が起源。阿字ヶ池、を中心にした中之島・反橋・平橋がある浄土庭園は秋の風情が素晴らしく大いに楽しめました。
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称名寺を含め市民の森となっていました。ずっと奥に上って進むと北条実朝廟がありました。
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金沢の四石のふたつ「美女石・姥石」がこの阿字ヶ池にあったとのことです。
もともと阿字ヶ池が作られた時ふたつあった石が見当たらず、今は一つだけ見られるようです。残っているこの石が「美女石・姥石」かは、はっきりしないようです。
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また称名寺には金沢八名木のひとつ「青葉楓」がありました。 
昔から紅葉しない楓だったようです。現在にはその後植樹されたもの。
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称名寺とひとつ山を挟んで金沢文庫があり、最初は手彫りの「中世の隧道」を通ったようです。
今は立派なトンネルがあり、陶板でしょうか、金沢八景が飾られていました。

神奈川県立金沢文庫はもともと北条実時が創設した蔵書を核としたいわば図書館だったようです。5回ほど火事などに会いこの近隣で場所を移し、称名寺とは山を挟んだ現在の場所になったようです。図書類は現在県立図書館に移されており、現在、金沢文庫では鎌倉時代の武家文化の文化財が中心にありました。ちょうど昨日から「顕われた神々〜中世の霊場と唱導〜」が開催中でいきなり入口にあったレプリカでしょうが「弥勒菩薩立像」やその周りに彩色を復元した曼荼羅と元のくすんだ曼荼羅は神々しかったです。
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昼食後電車で金沢八景駅に移動し大きな石柱で曲がると金龍寺でした。
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ここは金沢四石のひとつ飛石がありました。
三島明神が伊豆三島からこの石の上に飛び移りそれが瀬戸神社の起源ともいわれているようです。
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金沢八景は江戸時代に僧心禅史が能見堂からみた金沢の美しい景観を故郷の中国を思い八編の漢詩に読んだことが始まり。これに因み広重らが描いた絵が有名になったとのこと。
海岸線に出て平潟プロムナードを進みながら昔の広重などが描いた金沢八景の写真と解説を見せていただきながら金沢八景の今昔をうかがいました。ここでは金沢文庫で購入した絵葉書をお示しします。向かって上の行左から@AB中段左からCDE下段左からFGそして最後の一枚は昔の見晴らし台として知られた能美堂からの八景を見ている図です。
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@洲崎晴嵐(すざきせいらん)は塩田を背景に柳や竹が風に揺れて音をたてている様子。
このアングルは現在の琵琶島を望む様子です。
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A瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)は満月に照らされた野島と料亭や瀬戸橋が見える様子。
同じアングルで、本日最後辺りに見た琵琶島から見た夕映えの風景。
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B小泉夜雨(こずみのやう)は手子神社付近から夜の雨の一本道を見た様子。
C乙艫帰帆(おつとものきはん)は小柴の岬から乙艫海岸に向かって帆を揚げて船が帰ってくる様子。
D称名晩鐘(しょうみょうばんしょう)は夕暮れの称名寺から聞こえる鐘の音と漁船の上で夕べの祈りをする様子。
これは称名寺の梵鐘。
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E平潟落雁(ひらかたのらくがん)は野島を背景に潮干狩りをする人たちと列になって飛び立った雁の群れ。
F野島夕照(のじまのせきしょう)は野島の漁師村に夕焼けが映えている様子。
平潟橋から見た野島山と夕照橋。
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G内川暮雪(うちかわのぼせつ)は雪の降る切通を過ぎ、内川が六浦の海に流れ込むところまでたどり着いた様子。

野島はほぼ全体が公園になっている感じでした。すぐに「野島の庵体塚(えんたいこう)」が目につきました。
「野島掩体壕」は国内に現存する掩体壕の中では最大規模のもので「太平洋戦争」の終戦直前、1945(昭和20)年の3月から6月にかけて海軍により建設されたとのこと。戦闘機を空襲から守るための防空壕(格納庫)で、他の掩体壕と合わせて小型機100機を格納するため「野島山」の東西を約260mにわたり掘り進められたとのことでした。現在は封鎖されていました。

野島の展望台からは八景島が良く見えました。
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旧伊藤博文金沢別邸。
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初代総理大臣伊藤博文の別邸。1898年(明治31年)建設、茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築。明治初期は金沢の辺りは海浜別荘地として注目されたとのこと。2009年(平成21年)家屋内と庭園も含め現在の形に復元されたとのこと。庭園は牡丹が有名。また庭園からは広々した東京湾が広がっていました。

明治憲法起草の碑。
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1887年(明治20年)伊藤博文、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らがこの辺りにあった料亭{東屋}で草案作りをしたのがこの辺り。その後盗難事故があり最後は伊藤博文別邸でこの作業は行われたようです。

琵琶島神社。
1180年(治承4年)源頼朝が瀬戸神社を創建した時、夫人の北条政子が日頃信仰する竹生島弁財天を勧請したのが始まり。島全体が琵琶の形をしているようです。
ここは金沢四石のひとつ福石がありました。
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この石の前で物を拾うと福を授かるとの伝えがあるようです。

瀬戸神社。
約800年前の鎌倉時代、源頼朝が伊豆三島明神を勧請したのが始まり。
源実朝が使用し、母北条政子が奉納したといわれる「舞楽面二面」がある。
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境内には蛇混柏(じゃびゃくしん、柏槙)が横たわっていました。これは1680年(延宝8年)大風で立枯れた幹をそのまま置いてあるとのことでした。
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この散策は全18回のシリーズです。実は2017年4月に始まり今日が最終回。現在参加希望が多く最大25名で月5回の実施で行われています。本日は24名参加でしたが最初から皆勤の方がいなくて完歩達成者はいなかったです。私も御多分に漏れずあと4回分が残っていますので地道にチャンスがあれば参加して完歩を目指します。
ということで浅井先生、TD吉田さん、来月からの2巡目もよろしくお願いします。
本日のまとめとしてはAm9:30〜PM4:30までに歩程約10km、約2万歩を完歩。元気で終了することができて何よりでした。また頑張ります。
posted by yunofumi at 21:38| あちこちウォーク