2018年05月16日

2018.5.12 横浜散策 第11回港南区

横浜市営地下鉄(ブルーライン)港南中央駅⇒桜道入口交差点⇒桜道コミュニティテラス⇒南台小学校⇒笹下(ささげ)中学校⇒天照大神宮⇒日野公園墓地・美空ひばり墓⇒唱導寺(美空ひばり菩提寺)⇒横浜トヨペット港南店⇒鎌倉パスタ⇒港南区総合庁舎前バス停留所⇒岡本橋記念碑⇒上岡大岡西3丁目⇒笹下釜利谷道路・かねさわ道⇒江ノ電バス関の上バス停留所⇒江ノ電バス車庫⇒横浜刑務所⇒江ノ電バス大橋バス停留所⇒大橋・笹下1丁目⇒伸幸自動車工業⇒東樹院・笹下2丁目⇒鰻井戸⇒江ノ電バス打越バス停留所⇒ASA上大岡京急屏風浦店⇒日下(ひした)小学校⇒笹下交番⇒日下小学校歩道橋⇒まがた橋⇒日下小学校運動場⇒成就院・笹下城跡⇒笹下御下(ささげおおしも)公園⇒東福寺⇒笹下中央公園雑色杉本遺跡⇒大岡川取水庭公園⇒横浜刑務所⇒港南区総合庁舎⇒港南中央駅

港南桜道は、鎌倉街道から日野公園墓地を結ぶ全長1.4kmの桜の並木道。地下鉄港南中央駅そばの桜道入口交差点からの坂道で、鎌倉街道と日野公園墓地の高低差は約50mとのことでした。桜道は、もともと日野公園墓地の参道として誕生したのでした。港南桜道の桜は、昭和8年に植樹されたものが多く、桜の寿命が平均60年とのことでかなり弱っている木もあるようです。道標が綺麗に並んでいました。
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港南天照大神の創建年代等は不詳ということですが、天正年間(1573-92)以前の創建で、往古は笹下郷の総社だったと伝わっており、江戸期には太神宮といわれたようです。
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日野公園墓地横は横浜市が運営する公営墓地。上大岡駅と港南台駅の中間程に位置する山一帯が墓地となっている所で開設は昭和8年と古く豊かな緑に覆われていました。
美空ひばりさんのお墓はかなり奥の方でした。
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すぐそばの山の端まで行くと横浜の町が一望できました。

唱導寺(しょうどうじ)は、港南区日野中央一丁目にある日蓮宗の寺院。山号は延宝山で歌手・美空ひばりさん(慈唱院美空日和清大姉)の菩提寺として知られるとのことでした。
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こちらは江戸時代中期、日蓮宗学僧の妙心院日迅が、現在の茅ヶ崎市浜之郷付近に開創した布教所唱導庵が起源。1955年(昭和30年)に現在地に移転し、1967年(昭和42年)現在の延宝山唱導寺に寺号を改めたようです。

笹下川に架かる岡本橋を渡ると右側に平成5年横浜市登録文化財地域史跡に指定された岡本橋記念碑がありました。この岡本橋の名の由来は、上大岡の「岡」と松本の「本」をとって付けられた名で、この両地区を結ぶ橋でもあるのです。記念碑には、「鎌倉沿道の笹下村と大岡村の間の道が狭く坂もあり、青木台という処は曲りくねって道は険しく、ひとたび雨になると泥寧が激しく、晴れれば道は凸凹して遠回りしなければ歩けない程であったので日野村の高梨林右衛門は近隣の人々を誘い道路を一直線にするため山を切り開き、橋を架けなおしたが、地盤が新しいので雨が激しく降りしきったとき、再び修造前以上に悪くなってしまい、そこで義損金を募って明治21年改修工事をした。その功績を永久に残し伝える。」と記されているのです。
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笹下釜利谷道路(ささげかまりやどうろ)は、港南区関ノ下交差点から金沢区君ヶ崎交差点を結ぶ道路の通称でかねさわ道ともいわれるようです。

東樹院は高野山真言宗寺院で関宮山寂静寺といい沙門順玉が1127年(大治2年)に創建したと伝えられ、その後衰廃していたものを沙門至順が嘆き、笹下城主間宮豊前守の助力を得て再興したということです。
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ここには和尚さんが助けた女の人と狸の民話があり「文福茶釜」が今もこの寺に残っているとのことでお庭にはこの話を伝えるタヌキと女の人の陶製の像があります。
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鰻井戸。
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説明板がありました。それによると、鎌倉幕府を治めていた北条越後守平朝臣実時(ほうじょうえちごのかみあそんさねとき)が、1275年(健治元年)に病にかかりその後も回復しないため家臣が紀伊国那智山の如意輪観音(にょいりんかんのん)に祈念したところ、実時の枕元に観音様が現れて「西北に2里(約7.8km)行った場所に、井戸があるので、その水を飲むと快復する、その井戸には頭の斑紋がある2匹のウナギいて、それが病から救う霊物である」とのお告げ通り井戸の水を飲んだところ、実時は1日1夜で快復したということです。快復後、実時が井戸を訪れるとウナギが泳いでいたので「うなぎの井」と名付けられたのです。その後「うなぎの井」は諸国に知れ渡り、水を汲みに多くの人が訪れたのですが、実時が亡くなった後、2匹のウナギもいつとなく消え失せたとのことでした。その後、この井戸に関する縁起書は、港南区笹下の三河屋にあった、とのこと。現在の鰻井戸はブロック塀と門扉で閉ざされているので中へ入れませんでした。

笹下城跡。
金沢道のバス停「日下小学校前」から、西へ笹下川を曲田橋(まがたばし)で渡ると、成就院へ向かう坂道があり、この付近は、戦国時代小田原北条氏の武将間宮豊前守康俊が、父祖の代から受継いた笹下城跡だった所。ここの台地にはかつて「壇地」と言われていたものがあり、域郭用の削平地で「詰めの城」があったとのこと。今の洋光台武内氏宅付近に内屋敷、御下公園近くに下屋敷があったとのことです。また、成就院脇から南へ上る空堀だったところは埋められて今は道になっていました。さらにその上の高台一帯が本丸の役割を果していたと考えられているとのことです。
「成就院」は山号を梅花山、宗派は浄土真宗、本尊は阿弥陀如来像、山門は前述間宮氏の陣屋を廃止した時、当院に移築したものとのこと。
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この門前に詩人大野林火氏の「猛り鵙(もず)松籟(しょうらい)に今鎮(しず)まりぬ」の鎮魂の句碑が建っていました。
裏手墓地には1864年(元治元年)鎌倉で英国士官を殺害し処刑された間宮一の墓がありました。
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また珍しいムクロジ(無患子)の木と実を見つけました。
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ムクロジは日当りがよく湿りけの多い山中に生え、寺社あるいは屋敷林に植えることも多いとのこと。果実は約2cmの球形で、中に黒い種子が1個あり、数珠や、羽根突きの玉に用いられると伺いました。

東福寺は972年(天禄3年)天台宗の僧護妙法印という方が比叡山より行基作の「薬師像」を背負い、当地に来られ「妙法寺一乗寺」を創建したのがはじまり。 その後親鸞聖人の法弟となった海弁という僧が開基となり浄土真宗に改宗したとのことです。
こちらには珍しい花塚がありました。
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笹下中央公園の雑色杉本遺跡(ぞうしきすぎもといせき)は港南区笹下5丁目にある縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡。縄文時代早期の遺構として土壙(落とし穴)26基、竪穴住居跡1軒、石組炉1基、溝状遺構2条が発見され、縄文時代早期に発生したとみられる地割れの痕跡も見つかったとのこと。遺物として縄文時代早期の土器片(撚糸文土器・条痕文土器)、石器(石斧など)、縄文中期の土器片、弥生時代後期の土器片などが出土したのです。またこの一帯には、中世に笹下城が存在したと伝えられ、雑色杉本遺跡の範囲も城域に含まれるとされていたのですが、曲輪のような城郭遺構と目された平担な場所は、縄文時代以前に形成された埋没谷による地形で、城郭または中世に属する遺構は発見されなかったということでした。発掘調査された範囲は削り落とされ、環状2号線となって消滅。南側に隣接する笹下中央公園一帯では元来の尾根が残っており、遺跡の説明板がありました。
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大岡川取水庭公園。
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この取水庭は、かつて大岡川が東へ大きく迂回して流れ、中程に島の形態を呈していて、代々北見氏の居住地だったのです。「かわじま」の五百数拾年を超える歴史をもつ北見氏居住の地が、分水路施設のために消え去ることは惜しまれましたが、洪水対策として公共のために生かされる意義は大きく、ここに事業の完成を記念した石碑がありました。
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横浜刑務所は敷地がとても広大でした。男性受刑者が収容されており、執行刑期が10年未満で犯罪傾向が進んだ者、日本人と異なる処遇が必要な外国人、無期刑および執行刑期10年以上の犯罪傾向が進んだ者など約1200人を収容しているとのことでした。

本日も晴れ、気温27℃、風もほとんどなく、少し暑かったですがウォーキングにはまずまずのひより。参加者25名は講師浅井先生、TD高橋のお世話でAm10:00〜PM3:00までに約2万歩を完歩。そうそう横浜刑務所の作業製品展示場が本日はお休みだったので港南中央駅にて細うどんやそばがら枕を買いました。皆さんの未来を思い、応援したいものです。
posted by yunofumi at 20:50| あちこちウォーク

2018年05月06日

2018.5/3〜5/6 ゴールデンウィークは楽しく、その2

5/3 東京都写真美術館で二つの展示を見ました。
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『光画』と振興写真展は絵画と同様に写真にも時代と共に色々描き方があることを知りました。モダニズムの日本という副題もあり、不思議な構図の作品にもお目にかかりました。
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写真発祥地の原風景『長崎』展はシーボルトや島津斉彬の写真に驚きました。また1864年に撮影された長崎のパノラマはびっくりでした。写真はその時々をくっきり映し出すことを改めて実感。長崎に改めて行ってみたいものです。
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5/4 ウィーン少年合唱団 東京公演を鑑賞のためにサントリーホールに伺いました。
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第一部はグレゴリオ聖歌、アヴェ・マリアなど11曲。
指揮・ピアノはJimmy Chiangさん、オルガンは鈴木優人さん。
第2部は千夜一夜物語、美しく青きドナウなど12曲。
アンコールはとなりのトトロなど2曲。
23名の少年の声はまさに天使の歌声!CDとは一味違い、やはり生の歌声はすばらしい。また少年たちの歌う様子や途中で頭をかいたり、笑顔が見えたりと、とても楽しかったです。
そうそう、日本人の少年が2人いました。思わず心でガンバッテ!と声援を送りました。

5/5 実は読書三昧の連休です
近頃よく図書館を利用しています。以前はすぐに書籍を購入していたのですが部屋中に本があふれる事態になりました。そして数年前から図書館利用に変更したのです。
毎年20冊以上を読みます。まずはボチボチの読書量です。まあ、乱読に近く、気に入った場合はやたらきちんと読みますけど、、、。ふじみ野市上福岡図書館は委託業者が入っていますが職員は皆、熱心です。開館時間も夜8時までがほとんどなのでこれも大いに利用しやすいのです。そして読みたいものが地元にない時は近隣まで探してもらえるのもありがたいです。また、新聞などでの書評欄や広告などを参考にしますが、ほとんど図書館ではその時期に合わせおすすめを入り口近くの特設コーナーに並べています。私は近頃、伝記物や物事の始まりを取り上げた書籍が面白いのです。
皆様にもおすすめしたり面白かったのを数冊ご紹介しましょう。
・少年譜(伊集院静)・地図をつくった男たち(山岡光治)・とんかつ誕生(岡田哲)・点と線(松本清張)・砂の器(松本清張)・天地明察(冲方丁)・神去なあなあ日常(三浦しをん)・羊と鋼の森(宮下奈都)・海賊とよばれた男(百田尚樹)
書籍は一度ならずも数年後に2度目、3度目と読み返すとこれがまた面白いのです。もっともこの気付きは自分が年を重ねたことで考え方などが変わっていたりするからだとも思っています。書籍はやはり紙で読むとズシリと心にきます。今後も楽しく読書は続けたいものです。

5/6 連休は今日でおしまい
午前はユナイテッド・シネマウニクス南古谷でアメリカ映画「シェーン」を鑑賞。さすらいのガンマンと少年との出会いを描いた西部劇。さすが名画!素晴らしかったです。
午後はフィットネスジムBee Quick Fitness 上福岡で汗を流しました。

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このジムは今年の初めから利用しています。浴室・シャワーなしですが家から数分で会費がやすい!おまけに営業時間が長く自由に自分で考えたメニューで筋トレができることもとってもいいのです。ランニングマシンが34台、そのほかは名に帰路機械の種類や数が多くフロアも広く開放的です。私はできるだけ週2回を目指しています。この連休はマジに3回伺い、日頃の疑問もコーチの指導を受けて解決でき、晴れ晴れ!今後も、そしてこれからも元気で過ごせるように頑張ります。
posted by yunofumi at 08:38| ドタバタ日記

2018年05月05日

2018.4.28〜4/30 ゴールデンウィークは楽しく、その1

4/28 MBTおさんぽ会で等々力〜自由が丘まで楽しくウォーキング。
等々力渓谷はいつものように迎えてくれました。そしてこの赤い橋はゴルフ橋です。
等々力の地にゴルフ場ができたのは、満州事変が起こる3か月前の1931年6月に地元の五島慶太氏が作ったようです。
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瀧轟山明王院等々力不動尊
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九品仏浄真寺、通称九品仏(くほんぶつ)と呼ばれておりこの寺に安置されている9体の阿弥陀如来様のことのようです。
こちらは浄真寺仁王門。
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〆はEsprit de Bigotで美味しいパンと珈琲でした。
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晴天で気温26℃、ほとんど無風の中、約15000歩を楽しみました。

4/30 高尾山に伺いました。この連休後半は天候が崩れそうなのでお山の様子はいかばかりかと上りました。
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お山は時間と共に人が増えていました。花々を色々見つけました。
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今日はちょうど天狗の前で読経が伺え、また天狗の落とし文をいただいたこと、そして本因坊前で薬王院に向かう僧の方々に出会ったり、本因坊のそば御膳をいただけたことが何よりでした。
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本日は薄曇りでしたがとにかく温かい中で11回目の高尾山を楽しみました。あと2週間ほどでもっと多くの花が見られそうですから、再度伺いたいと思いました。
そして5/1〜2はまじめにお仕事に励みました。
posted by yunofumi at 23:45| ドタバタ日記

2018年04月29日

2018.4.21 山手線歴史探訪ウォーク 第8回

五反田駅〜品川駅
JR五反田駅⇒大崎橋・目黒川⇒大崎広小路交差点⇒東急大崎広小路駅⇒立正大学品川キャンパス⇒大崎警察署⇒大崎ひまわり保育園⇒居木神社⇒JR大崎駅⇒GATE CITY OHSAKI⇒居木橋⇒官営品川硝子製造所跡⇒東海寺大山墓所⇒北品川変電所⇒品川学園⇒子供の森公園⇒東海寺⇒品川第二区民集会所⇒品川医師会⇒新馬場駅⇒品川神社⇒北馬場参道通り商店街⇒正徳寺⇒東海道北品川交差点⇒北品川商店街⇒品川宿交流館⇒北浜公園⇒品川浦公園・鯨塚・利田神社⇒台場小学校・御殿山下台場砲台跡⇒リンナイ・東品川1丁目⇒天王洲橋⇒農林中央金庫研修センター⇒楽水橋⇒天王洲ふれあい橋⇒SPHERE TOWER天王寺⇒モノレール天王洲アイル駅⇒第一ホテル⇒天王洲アイル公園⇒新東海橋⇒東海道北品川⇒北品川商店街⇒荏原神社⇒鎮守橋⇒品川宿の松⇒南品川一郵便局⇒品川宿場通り商会⇒そば処宝喜家⇒三岳・南品川2丁目⇒児童遊園⇒富田屋工業所⇒品川宿場通り商会⇒城南小学校⇒天妙国寺⇒青物横丁商店街⇒岡松畳⇒諏方神社⇒旧東海道⇒魚冨士⇒品川寺⇒海雲寺⇒ジュネーブ平和通り⇒南品川5丁目交差点⇒和光食堂⇒品川第二集会所⇒南品川5丁目交差点⇒ゼームス坂⇒高村智恵子記念詩碑(レモン哀歌の碑)⇒品川銀座バス停⇒関森稲荷神社⇒天龍寺⇒妙蓮寺⇒新番場駅⇒心海寺⇒品川宿問屋場・貫目改所跡地・南品川2丁目⇒寄木神社⇒聖蹟公園・品川本陣跡⇒一心寺⇒丸工屋⇒尾張屋⇒品海公園⇒桝翁軒⇒北品川どうぶつ病院・問答河岸跡⇒JR品川駅

すっかり本格的な春です。我が家でも地植えの君子欄が今を盛りと咲いています。
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9:30 JR五反田駅集合。気温がかなり上昇との予報を受け、服装や飲み水をそれなりに準備。
まずは目黒川の大崎橋を渡り居木神社(いるきじんじゃ)に到着。
創建は明らかではないようですが、元々は武蔵国荏原郡居木橋村に鎮座していたとのこと。当時は「雉子ノ宮」といい、境内にはゆるぎの松という大木があったそうです。この頃、村内に鎮座の「貴船明神」「春日明神」「子権現」「稲荷明神」の4社をあわせてお祀りし、「五社明神」といわれたとも。明治5年の社号を現在の「居木神社」と改めたとのことでした。
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GATE CITY OHSAKI(ゲートシティ大崎)は、地上24階建の業務商業棟(オフィスタワー2棟と低層部の店舗・文化施設)と地上20階建の住宅棟「サウスパークタワー」を中心に多彩な都市機能を集積した複合再開発施設。JR山手線「大崎」駅直結 徒歩1分という利便性と施設内の恵まれた空間は、ビジネスの拠点として、憩いの地としてイベント、レストラン、ショップなど幅広くビジネスマンからファミリー層まで利用できるところです。この近くに友人宅があることから時々立ち寄り、お茶をする馴染みの所でもあります。

官営品川硝子製造所跡は東海寺大山墓地の入口に碑がありました。日本のガラス工業の発展に貢献した品川硝子製造所の前身・興業社が東海寺境内に建っていたことから、今の地に碑が作られたとのことです。建物は明治村に移築されており、ここにはガラスの原料・珪石も飾られていました。
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東海寺は臨済宗大徳寺派の寺院。徳川幕府3代将軍家光により創建され、元禄7年の全焼後にはすぐに5代将軍綱吉によって再建されるなど、幕府による手厚い保護を受けていたようです。500石の朱印領と47,666坪に及ぶ広大な寺域を有していたとのことです。
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梵鐘は 1693年(元禄5年)制作のようでした。

寺から少し離れた所、官営品川硝子製造所跡の脇を入ると東海寺大山墓所がありました。様々な歴史に名を残した方々のお墓などがありました。
江戸時代に作られた沢庵和尚墓。
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賀茂真淵、服部南郭、そして初代鉄道頭の井上勝の墓
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渋川春海、そして島倉千代子さんの墓
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品川神社(しながわじんじゃ)は、東京十社のひとつ。 また東海七福神の一社として、大黒天を祀られているとのことです。1187年(文治3年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃当スを勧請して祀り、品川大明神と称したのがはじまりとのこと。
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境内入り口の階段前の門柱に龍の細工が施された石鳥居「双龍鳥居」があり、左の柱に昇り龍、右の柱に降り龍が彫刻されています。双龍鳥居は杉並区の高円寺と馬橋稲荷神社にもあり、こちらと合わせて「東京三鳥居」ともいわれているようです。拝殿手前には浅間神社があり傍には富士塚があります。
また本殿裏には板垣退助墓がありました。
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品川浦公園・鯨塚・利田神社(かがたじんじゃ)。
利田神社は、寛永3年(1626)に、東海寺の沢庵が弁財天を勧請したのが始まりとのこと。当地一帯は1774年(安永3年)から1834年(天保5年)にかけて、南品川宿名主利田吉左衛門により開発されたことから利田新地と呼ばれ、神社は利田神社また洲崎弁天ともいわれ浮世絵師歌川広重の名所江戸百景の一つにも描かれているそうです。利田神社の横には鯨塚がありました。この鯨碑(鯨塚)は、1798年(寛政十年)5月1日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑です。全国に多くの鯨の墓(塚・塔・碑など)があるようですが、東京に現存する唯一の鯨碑(鯨塚)とのことでした。
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台場小学校・御殿山下台場砲台跡。
1853年(嘉永6年)アメリカ合衆国のマシュー・カルブレース・ペリーが、4隻の軍艦(黒船)をひきいて、浦賀沖に来航。鎖国中の幕府はすぐに江戸湾の海防強化の検討に入り、急いで品川沖から深川須崎にかけて11基の台場を造ったのです。現存するのは「第3台場」(都立お台場海浜公園)と「第6台場」のみ。そして陸続きで五角形の砲台が建造され、これが御殿山下台場(砲台)とのことです。
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荏原神社。
709年(和銅2年)、奈良丹生川上神社より高麗神(龍神)を勧請して創建されたようです。
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品川寺(ホンセンジ)は大同年間(806年〜810年)に開創された品川で最も古いお寺。本尊「水月観音(すいげつかんのん)」は、弘法大師空海上人が東日本を教え、導いた時、この地の領主、品河(しなかわ)氏に授け、以来、1395年(応永2年)品河左京亮(しなかわさきょうのすけ)の代まで代々同家に伝えられまたのです。「観音堂」を「金華山普門院大円寺(きんかざん・ふもんいん・だいえんじ)と号しています。品川寺では、本尊水月観音と大梵鐘、江戸六地蔵第1番尊の三つを、お寺の三宝(さんぼう)としているとのことです。
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江戸六地蔵のひとつの大きな地蔵様です。
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海雲寺。
品川の千躰三宝荒神は江戸時代から竈の神様、台所の守護神として多くの人々から信仰されてきたとのことです。それで台所に荒神様をお祀りすれば一切の災難を除き衣食住に不自由しないとされているのです。
品川の千躰荒神。今を去る三百七十余年前、島原の乱に鍋島甲斐守直澄公が出陣の折、天草の荒神が原におられた荒神様で必勝祈願したところ、甲斐守様の先頭には必ず千余の神兵が現、流石の暴徒も敵し得ず鎮定されたとのいいつたえがあるようです。以後鍋島家ではこの尊像を守護とし東都高輪二本榎木の屋敷に遷座し篤い信心のもとにお祀りしていたのです。その後明和七年寅三月に海雲寺に勧請となっているのです。
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ジュネーブ平和通り。
品川寺の梵鐘(ぼんしょう)を通じて品川区と友好都市提携を結んだジュネーブ市(スイス)から、"Avenue de la Paix"(フランス語で「平和通り」)の標識が送られたがきっかけ。この通りは都道なのですが、同市と交流のある地元の方々の要望により名付けられたとのことです。

ゼームス坂・高村智恵子記念詩碑(レモン哀歌の碑)。
ゼームス坂はもと浅間坂(せんげんざか)と呼ばれ、あまりにも急な坂道で、通行人が難儀していたのを見るに見かねたゼームスさんが、私財を投じ、現在のような緩やかな坂に改修したそうです。片側は切り落としになっていて、崖の向こうには品川の海が間近に迫って見えたとのことです。明治時代、この坂の途中に英国人のJ・M・ゼームスさんが住んでいたのです。このゼームスさんは慶応2年(1866)にジャーデン・マディソン商会長崎支社の社員として来日し、1872年(明治5年)に海軍省に入り、造船技術、測量調査、船舶の航行などについて指導した方だそうです。日本が大好きで、生前から熱心な日蓮宗信徒だったため、1908年(明治41年)、71歳で亡くなった後、「遺骨は身延に」と言う遺言に従い、山梨県身延町にある日蓮宗の総本山・久遠寺に埋葬され、現在もそのお墓が残っているとのことです。ゼームス邸は、1927年(昭和2年)、土地と一緒に三越が買い取り、この地には三越縫製工場が建てられ、現在はマンションになっていました。
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そして、この石碑を背にした道路の反対側を見上げると、彫刻家であり詩人でもある高村光太郎の妻、智恵子が亡くなったゼームス坂病院の跡地があり、そこには、智恵子の最期の様子を描いた「レモン哀歌」の直筆原稿の写しを拡大して刻んだ詩碑がありました。
レモン哀歌   高村光太郎
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた/かなしく白くあかるい死の床で/わたしの手からとつた一つのレモンを/あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ/トパアズいろの香気が立つ/その数滴の天のものなるレモンの汁は/ぱつとあなたの意識を正常にした/あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ/わたしの手を握るあなたの力の健康さよ/あなたの咽喉に嵐はあるが/かういふ命の瀬戸ぎはに/智恵子はもとの智恵子となり/生涯の愛を一瞬にかたむけた/それからひと時/昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして/あなたの気管はそれなり止まつた/写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう 〜詩集「智恵子抄」より〜
智恵子は、昭和10年、このゼームス坂病院に入院。昭和13年、退院することなく、この世を去ったのです。その後、智恵子が亡くなった10月5日を「レモンの日」としたとのことです。また石碑は推定される智恵子氏の背丈にあわせ、文字は高村光太郎氏直筆の原稿をそのまま拡大して刻んであるとのことです。
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寄木神社の創建年代等は不詳ですが、日本武尊が御東征の折、走水の海を渡る際に、海が大いに荒れ舟が進まず、時に弟橘姫が渡に入り海神をなだめた為、無事に対岸木更津に着くことができたが其御乗船の一部は砕けて、此洲にも流れた木片を納めて祀ったのがこの神社とのことでした。
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聖蹟公園・品川本陣跡
品川宿は、江戸四宿の1つで、東海道53次の第一番目の宿駅(しゅくえき)として発達し、 ここはその本陣跡で品川三宿の中央に位置していたのです。東海道を行き来する参勤交代の諸大名や、 公家・門跡などの宿泊・休息所として大いににぎわったところです。1872年(明治5年)お宿駅制度廃止後は、 警視庁病院などに利用されたとも。現在、跡地は公園となり、1868年(明治元年)に明治天皇の行幸の際の行在所となったことに因み、 聖蹟公園と命名されているのです。
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問答河岸(もんどうがし)跡。
北品川どうぶつ病院の脇に石柱がありました。ここはかって海岸先の波止場で、3代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が迎え出て問答をした故事にちなむとのことです。
将軍--「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」
和尚--「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」
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今日は27℃!暑かったです。急な気温上昇に体が慣れていないことを実感。空気はからりとし、風があったことで救われました。
講師岡本先生、TDは阿部さんと長田さん。26名が9:30集合、16:15全員完歩で終了。正味約6時間はやや長く、歩程12km、約22000歩を無事に終えられてホツ!帰りの電車では爆睡し、帰宅後はいつもの様に過ごせたことは幸せなことでした。感謝!!
posted by yunofumi at 10:06| あちこちウォーク

2018年04月19日

2018.4.14 横浜散策 第10回青葉区

東急田園都市線あざみ野駅⇒あざみ野駅東側交差点⇒早淵川・中村大橋⇒向井根橋⇒驚神社⇒新石川橋際交差点⇒新石川橋⇒関耕地橋⇒老馬鍛冶山不動尊・霊泉の滝⇒大山道・老馬谷ガーデン⇒鍛冶橋⇒庚申堂⇒荏田宿案内板⇒カフェぐらすうっど⇒横浜山内郵便局⇒真福寺下交差点⇒真福寺・庚申塔⇒布川・布川橋⇒荏田宿常夜燈⇒荏田交差点⇒セブンイレブン・高札場跡⇒布引橋⇒荏田城址・徳江建具店⇒横山医院⇒城南信用金庫⇒荏田町第二歩道橋⇒荏田宿庚申塔⇒大山道・小黒谷地蔵尊⇒かごの屋(昼食)⇒東急江田駅⇒荏田猿田公園⇒長者原遺跡⇒橘・学生会館⇒えだ動物病院⇒竹下地蔵堂⇒市ヶ尾横穴古墳群・市ヶ尾小学校正門(古墳門)⇒市ヶ尾郵便局⇒梨園⇒稲荷前古墳群⇒総合庁舎入口交差点⇒大山道猿田坂⇒旧旅籠綿屋⇒東急田園都市線市が尾駅

早淵川は青葉区美しが丘西に源を発し南東に流れており都筑区、港北区をへて横浜市港北区綱島西付近で鶴見川に合流しているとのことです。昔は大変なあばれ川だったのが現在は全域がコンクリート護岸となっておりあざみ野駅の東、中村大橋までが一級河川だそうで鶴見川本流の水防に大いに寄与していようです。現在は水もきれいでコガモが優雅に泳いでいました。
そうそう、あばれ川の頃の早淵川は土手にあざみ野が見事に咲いていたことからこの辺りがあざみ野と呼ばれるようになったとのことです。
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驚神社は創立不詳とはいえ奈良時代に造られたとの伝承があるとのことで石川牧の鎮守と言われているとのこと。昔この地域は牧場があり、名馬がよく出た場所で、「馬を敬う」の二字を合成して「驚」となったという名称由来の説を伺いました。石川村の鎮守であったことから、秋祭りには早淵川の上流の谷戸(保木、平川、荏子田、船頭牛込)の社から神輿と山車がこの驚神社に集まり、その時に奉納されるのが牛込獅子舞。これは一人立ち三頭獅子舞で約300年前、元禄年間の疫病流行の際に始まったと伝えられているとのことでした。
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大山街道を進むと老馬鍛冶山不動尊(ろうばかじやまふどうそん)がありました。
馬を駆っていた石川牧や驚神社が傍にあるくらいですから、老馬を祀るお不動さんということでしょう。
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老馬鍛冶山不動尊の下にある霊泉の滝は古くからある湧き水で、不思議な力があるとして保護されてきた「霊泉」で雨ごいや咳に効くそうです。
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本日はこの霊泉の滝から大山街道を歩き、江田駅に出るコースです。
大山街道は、東海道とは違い脇街道といわれ、現在国道246号として使われており、大山と、現在の赤坂付近(江戸)を結ぶ街道として、昔から多くの人に使われてきた街道。 大山は昔から、雨を降らせる雨乞いの神様の山として知られていて、今でも「大山参り」をする人たちが利用しているとのことです。

庚申堂は江戸中期、荏田村下宿の婦人たちにより建てられたそうです。当時は女性がこのような行動を起こしたことは珍しいそうです。
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荏田宿(えだじゅく)案内板
荏田宿は、かつて武蔵国都筑郡荏田村で大山道(矢倉沢往還)が通っていた宿場。
旅籠屋をはじめ、さまざまな商人・職人が居住し、合計二十数軒の家屋が連なっていたようですが、1894年(明治27年)の火災により焼失したとのことです。この案内板は当時の面影を描いたようでした。
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真福寺は真言宗豊山派の寺院。旧小机領三十三所観音霊場の第二十番札所とのこと。創建は不明のようですが、ご本尊は千手観音立像で普段は御開帳ではないとのことでした。
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本堂内には多くの古い絵馬が多く見られました。
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真福寺門前には文政11年といわれる庚申塔があり、大切にされているようでした。
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荏田宿常夜燈(えだしゅくじょうやとう)
神奈川県の北を通る矢倉沢往還は東海道の裏道にあたり、大山参詣の中心道であったことから、大山街道とも呼ばれていました。荏田は長津田とともに、江戸初期から宿駅に指定されていたのです。当時の宿の繁栄がこの常夜燈に残っているようです。この燈は高さ230cmで燈の中台には「秋葉山」、竿に「常夜燈」と刻まれているとのこと。文久元(1861)年に作られたこの燈は、秋葉講の案内宿に建てられたものとのことでした。今は一般民家のお庭にあり垣間見ることができました。
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荏田城址。
戦国時代には後北条氏の城の一つで、茅ヶ崎城や榎下城とともに小机城の支城では、との解説を伺いました。今は民家の向こうにある小高い山が城跡とのことですが立ち入りできないとのことでした。
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大山街道を進み、これで荏田宿も終わりという地点に庚申塔がひっそりとありました。
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荏田北三丁目の表示がある大山街道沿いに小黒谷(おぐろやと)地蔵尊がありました。
江戸中期に作られた三体のお地蔵尊です。 「小黒谷」と書いて「おぐろやと」と読み、「やと」とは、 丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形で、一般的にいう「たに(谷)」のことだそうです。この呼び方は神奈川県および東京都多摩地域でつかわれているようです。
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長者原遺跡(ちょうじゃはらいせき)
古代ではこの辺りは武蔵国都筑郡に属しており、その郡衙(ぐんが)の跡が見つかった所です。
ちなみに郡衙(ぐんが)とは、日本の古代律令制度の下で、郡の官人(郡司)が政務を執った役所であったとのこと。国府や駅とともに地方における官衙施設で、郡家(ぐうけ・ぐんげ・こおげ・こおりのみやけ)ともいうと伺いました。
この遺跡からは「都」の文字が彫ってある土器などが見つかっているのですが、惜しいことに遺跡の半分はそばを走る東名高速道路建造時に完全に破壊されたのです。現在横浜市歴史博物館で発掘された土器などを見ることができるということでした。そして現在、長者原遺跡のあったこの場所は荏田猿田公園として整備され、園内に遺跡の解説板を見ることができました。
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「市ヶ尾竹下地蔵堂」は旧大山街道沿いにある真宗のお寺で、江戸中期に建てられました。千日の托鉢によって建てられたため「千日堂」ともいわれているようです。江戸時代に始まった念仏講は、現在でも地元の人たちが続けています。まさに本日もお堂の前で地元の方々20人ほどで楽しくお集まりをしておられました。地蔵堂に上がる石段の下には、庚申塔などの石造物がたくさん並んでおり、一体一体のお地蔵さんにお花などが供えられていました。
また石段を上がった境内からは、大山が良く見える好展望地でした。
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市ヶ尾横穴古墳群(いちがおよこあなこふんぐん)は横穴墓群でした。
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1933年(昭和8年)に発見され、今は市ヶ尾遺跡公園として整備されていました。
鶴見川(谷本川)左岸の丘陵地帯に位置し、谷本川に向けて南向きに開いた谷戸地の崖面を掘って造営されています。12基ある北側のA群と、7基ある南側のB群に分かれており、6世紀後半から7世紀後半にかけての古墳時代末期に造られた有力な農民の墓だそうです。墓群の内外からは須恵器や土師器などの副葬品も見つかっているとのことでした。公園内は、墓群に沿うように散策路が整備されていました。

市ヶ尾横穴古墳群(からさらに西約800mの所に、都筑の地を統合した歴代の首長や一族の墓である稲荷前古墳群(県指定史跡)がありました。
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4世紀から5世紀の古墳時代に、谷本川の流域に広がる都筑を、有力な首長が治め、大和政権との繋がりも持ったようです。これらの古墳は、この地域を治めた歴代の首長や一族の墓で、1967年に住宅造成中に発見され、前方後円墳2基・前方後方墳1基・円墳4基・方墳3基の計10基の古墳と横穴墓9基が見つかったとのことです。特に16号は前方後方墳であり、神奈川県で初めて発見されたとのこと。現在では大部分が住宅地と化し消滅したが、その16号と15号・17号の方墳2基の計3基が保存されているのです。古墳の上に上り皆で高さや形を実感しました。
上から眺める景色は眼下に鶴見川や市が尾高校も見え、広々していました。
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大山街道の緩やかな猿田坂手前、総合庁舎入口交差点の所に古い2階建ての旧旅籠綿屋の建物がそのまま見られました。この交差点は「日野往還」と「大山街道」の交差点なのです。
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市ヶ尾横穴古墳群の手前に梨園がありました。これは「浜なし」という横浜市果樹生産者の統一ブランド名だとのことでした。ネットで調べると、「あざみ野園」では主に「幸水(こうすい)」と「豊水(ほうすい)」を生産。そのほか比較的新しい品種として「秋月(あきづき)」もあるとのことでした。また「浜なし」は通常、市場への出荷は行わず、生産者が直接販売ており現地でほとんど消費されるようです。いずれにしても美味しさは抜群のようですから一度求めたいと思いました。

本日はあざみの駅から大山街道に出て早瀬川・早淵川・布川などの風景を見ながら、しかも横浜に古墳があり本当に驚きました。天候が薄曇りながら終了時まで持ちこたえたことは何よりで23名が元気にウォーキングを終了できたのは浅井先生、TD久森さんのおかげでもあります。横浜散策は今日で10区目、約18000歩、13km超はいつになく多めでしたが10:00スタート、15:45終了は上出来。これからまだまだ新発見があるようで楽しみです。また頑張ります。
posted by yunofumi at 22:28| あちこちウォーク

2018年04月08日

2018.4.8. 代々木公園から眞葛(まくず)ミュージアムヘ

本日は久しぶりに朝9:00から代々木公園でMBTポールウォーキングでした。
朝自宅出発の7:30では7℃を下回っていたかも、、、。
風が冷たく季節が逆戻りの感じ。それでも代々木公園は桜が終わりハナミズキ、タンポポ、チューリップが咲く誇っていました。
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顔なじみとのおしゃべりも楽しみながらのウォーキングは気持ちがリラックス。楽しかったです。
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11:30には明治神宮カフェ杜のテラスを後に再び副都心線で一路、横浜へ。
3月末の横浜散策南区で教えていただいた眞葛ミュージアムに伺いました。
一代目宮川香山の遺作をはじめ明治初期の作品が多くみられました。1945年(昭和20年)横浜大空襲で窯などがすべて焼失し、閉窯となったようです。国内には作品が少なく海外に流失した作品を集めてこのミュージアムだできたようです。今では「幻の焼き物」といわれているとのこと。お陰様で貴重な作品を多くみられました。館内作品の撮影禁止でしたが表と入口のみ許可をいただき写真を散りました。日本全国、多分、ここだけです。具体的な作品はネットでぜひ見てください。非常にユニークでした。
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すっかり目の保養をしたので大満足。やはり早起きは三文の得!元気に動き回って楽しい1日になりました。
posted by yunofumi at 21:48| ドタバタ日記

2018年04月06日

2018.4.4 能鑑賞と新宿御苑の桜

午後、チケットが手に入ったので国立能楽堂の定例公演に出かけました。
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街歩きで数回外から入口から中を伺ったとこはありましたが今日は大手を振って中まで入りました。まずは開始までに中のレストラン向日葵で昼食。こちらはゆったり、静かな雰囲気で美味しくいただきました。
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席は正面中程でちょうどよい場所。
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本舞台左手には橋掛かり、これは舞台への花道という感じ。その先には揚幕があり、能役者はここから登場でした。
演目は最初に「口真似」。これは約20分でちょっとした喜劇の感じ。2番目は「鞍馬天狗」で約90分、牛若丸が鞍馬山の大天狗から兵法を授かるお話。
いずれも役者の身振り手振りも面白かったですが太鼓や鼓、地謡なども聞きほれました。それと前席の背部分に画面がありセリフが口語体で見られて斬新でした。

終了後すぐ傍の新宿御苑に立ち寄りました。
千駄ヶ谷門から新宿門まで散策しましたがまだまだ桜が見事で大いに楽しみました。

一葉(イチヨウ)、花は八重桜で淡い紅色、花弁の内側は白く全体的に白っぽく見えました。
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関山(カンザン)、濃い桜色で八重咲き。花弁が多く花は大きい。花と共に葉もでていました。
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十月桜(ジュウガツサクラ)、花が4月上旬頃と10月頃の年2回開花するとのことでした。花弁の縁が薄く紅色でした。
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妹背(いもせ)、雌しべが2本あり、結実するとふたつの果実がつくことから、イモセの名が付いたと言われている桜。八重・重弁の段咲きの花も見えました。調べてみると珍しい種類とのことでした。 
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本日は春にしては暑いくらいの日和でした。能を楽しんだ後、見事な桜が一杯の新宿御苑は最高でした。それにしても平日なのに大勢の人で少し驚きました。
たまのお休みを楽しみ、有意義な一日でした。
posted by yunofumi at 23:31| ドタバタ日記

2018年04月05日

2018.3.31 西村先生のお別れ会

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少し前、突然、西村昭男先生ご逝去の報に接しました。
私を埼玉から室蘭に引っ張り出した先生です。赴任当時はカレスアライアンス日鋼記念病院という民間としてはとても立派な、そして活動的な病院でした。それは西村先生が成し遂げた偉業でもあったのです。
私の室蘭時代は5年にも満たない年月でしたが、十二分に仕事に打ち込み、今までの人生で最も愉快な日々でした。
この度の訃報は今年になり、虫の知らせで先生と電話でお話しした後だったので少し驚きました。
色々ご指導いただきましたので3/31ロイトン札幌ホテルでのお別れ会に伺いました。
しみじみと感謝を伝えられ、出席してよかったです。
その日、室蘭で一泊しました。

室蘭八幡宮にお散歩で立ち寄りました。
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曇り空でしたが室蘭の海を懐かしく見ました。
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美味しい珈琲をということで宮越屋珈琲MUTEKIROUに立ち寄りました。
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昔の仲間が一緒でとても嬉しかったです。
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帰りの高速バスのスタートは旧室蘭駅舎前。
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駅舎の中は観光案内などが多くみられました。
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お見送りもいただき感謝!!

新千歳空港には懐かしいA君がお土産を携え、見送りに来てくれました。
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今回の旅は、人とのご縁が大切!!と改めて感じさせてくれました。
とにかく日々、明るく、楽しく、元気に過ごせることが肝心と今更のように自分に言い聞かせる旅でした。
皆さま、またお会いしましょう!!
posted by yunofumi at 22:28| ドタバタ日記

2018年04月04日

2018.3.29 横浜散策 第9回南区

京急弘明寺駅⇒弘明寺⇒弘明寺駅前商店街⇒大岡川・観音橋⇒弘岡橋⇒大井橋⇒鶴巻橋⇒蒔田橋⇒井土ヶ谷橋⇒蒔田中学校⇒蒔田消防出張所⇒宮元町⇒地下鉄蒔田駅⇒杉山神社⇒横浜市営地下鉄第1号車両搬入の地⇒蒔田中学校前バス停⇒井土ヶ谷事件の碑⇒井土ヶ谷橋⇒Y高(市立横浜商業高校)⇒大岡川蒔田公園⇒葭谷橋・川分岐点⇒吉野町市民プラザ⇒吉野町交番⇒南昌飯店(昼食)⇒吉野歩道橋⇒日枝小学校⇒お三の宮日枝神社⇒一本橋⇒前里町4丁目交差点⇒平戸桜木道路⇒宮川香山真葛焼窯場跡⇒白金町2丁目⇒道慶橋⇒太田橋⇒末吉橋⇒黄金橋⇒桜桟橋・長谷川伸の碑⇒オルガン広場⇒吉田新田・清正公堂⇒厳島神社⇒蓬莱町2丁目⇒大通公園⇒JR根岸線関内駅

9:30ウォーキングスタート時、講師の浅井先生より、本日は大岡川の川沿いで大岡川プロムナードと呼ばれる桜並木の散策も兼ねますとの説明がありました。
大岡川(おおおかがわ)は、横浜市磯子区氷取沢町が水源、長さ12km、最後は横浜港に注ぐ二級河川。上流部の笹下地区では笹下川の愛称で呼ばれているとのことです。
大岡川プロムナードは約3kmの桜並木で、500本の桜と約2500個のぼんぼりが飾られ、夜は淡いピンク色の桜が美しいようです。この大岡川プロムナードは全国6位、神奈川県内1位の人気の高いお花見スポットとのことです。

弘明寺(ぐみょうじ)は、高野山真言宗の横浜市内最古の寺院。 本尊の木造十一面観音立像(通称「弘明寺観音」)は、国の重要文化財。このあたり一帯は江戸期から明治22年まで弘明寺村と呼ばれていたようです。
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本堂の中に鎮座したご本尊の木造十一面観音立像(通称「弘明寺観音」)は写真撮影禁止。そして木造黒漆花瓶が二口ありました。これはケヤキを轆轤で成型した、高さ70cmの「亞」の字の形をした黒漆塗りの花瓶で1590年修理の銘があるとのことでした。

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、主に五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社。旧武蔵国における式内社の一社とされますが、その論社とされる神社は現在の神奈川県横浜市を中心に川崎市、東京都町田市、稲城市などに数十社存在するとのことです。
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横浜市営地下鉄第1号車両搬入の地。
横浜市営地下鉄は1972年12月に伊勢佐木長者町−上大岡間5.2kmで開業。 この区間内には車両基地が設けられていなかった為、開業時に使用される車両を搬入する場所が必要となり、選ばれた場所が鎌倉街道の蒔田駅付近の直線部だったのです。 
1976年9月には上大岡−上永谷、伊勢佐木長者町−横浜の2区間が開業し、この時上永谷車庫も完成。
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井土ヶ谷(いどがや)事件の碑。
生麦事件後の1863年7月3日(文久3年5月18日)、当分として、幕府は横浜居留地に 英仏軍隊の駐留を認めています。(これにより居留地山手地区に英仏軍隊が駐留したのです。)ちなみに、当時の外国人の遊歩区域は神奈川を中心として10里(東は六郷側、西は酒匂川)以内 と定められており、そのため彼らは、馬に乗って東は川崎、西は藤沢、江ノ島、南は 鎌倉、金沢辺まで出かけることがよくあったようです。
井土ヶ谷事件も居留地から保土ヶ谷方面に乗馬で出かけたフランス士官が不幸にも井土ヶ谷にて 遭遇した殺傷事件なのです。この井土ヶ谷事件で殺害された士官がカミュです。その後カミュは横浜の外人墓地に埋葬されました。
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Y高(市立横浜商業高校)は1881年(明治14年)横浜貿易商組合により、横浜商法学校設立が立案され、翌15年、授業開始。1888年(明治21年)には横浜商業学校と改称。1905年(明治38年)南太田の現在地に校舎が落成し移転。1948年(昭和23年)横浜市立横浜商業高等学校と改称。2012年(平成24年)には創立130周年を迎えています。その昔はさぞや一般人のあこがれの学校だったようです。
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大岡川が中村川と分岐するところに「蒔田(まいた)公園」(約2.3ha)があります。この付近一帯は戦後進駐軍に接収され、昭和31年に返還されました。 蒔田公園はその地に運動広場(野球場)を中心に公園として昭和59年4月に開園し、国際仮装行列の終点会場やメーデーの神奈川中央会場としても利用されているとのことです。
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蒔田公園で大岡川がふたつに分かれており、左は大岡川 右は中村川、上を高速道路が走っています。高速道路の下に見える中村川の一番最初の橋は葭谷橋(よしやはし)でした。

お三の宮日枝神社(おさんのみやひえじんじゃ)は、古くは山王社・山王大権現・山王宮と称せられ、今では「お三の宮」「お三さま」と広く親しまれ、崇め称えられているとのことです。
現在の横浜市の中心部、中区と南区に亘る大岡川と中村川、それからJR京浜東北・根岸線からお三の宮所在地まで(関外地区)の広い範囲は、釣鐘の形をした入海だったとのこと。今からおよそ350年前に、江戸幕府並びに諸大名の御用達として広く石材木材商を営んでいた商人吉田勘兵衛良信が、この入海を埋立て、新田を築いたのです。(吉田新田)
この大工事は、明暦2年7月に鍬入れをし、翌年5月には13日に亘る集中豪雨の為に失敗に終わっています。しかし、万治2年2月に再度試み、11年余りの歳月と8038両の巨費により、市内最古で最大規模(およそ35万坪)を誇る新田開発を成し遂げることが出来たのです。そこで勘兵衛は、新田の要処である大岡川と中村川の分岐点に、1673年(寛文13年9月、新田の鎮守として、新田住民の安寧幸福や五穀豊穣を祈り、江戸の山王社(今の旧官幣大社日枝神社)より勧請し、山王社と併せて稲荷社を創建したのです。これにより『横浜開拓の守護神』として、人々から親しまれているようです。
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この鳥居は山王鳥居というようです。鳥居の形式の一で明神鳥居の笠木 (かさぎ) の上の中央に棟柱 (むなばしら) を立て、木材を合掌形に組み渡し、その頂上に烏頭 (からすがしら) という反りのある木を置いたもので日吉 (ひよし) 大社の鳥居に始まるということです。

真葛焼(まくずやき)窯場跡には戦前まで宮川香山の真葛焼の窯場と住居があったようです。真葛焼は,初代香山が明治9年の万博に出品して一躍名をあげ、その後二代、三代とつづき、日本よりも海外での評価が高かったようです。横浜大空襲で、窯場と住居が焼失し、四代で廃業したとのことです。新坂の途中に案内板があり、その中に窯場の銅版画が印刷されていて、当時の様子がしのばれました。
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真葛焼は幕末に、京都の真葛原(まくずがはら)で宮川長造が焼き始めた陶磁器。1871年(明治4年)四男の宮川香山が横浜の太田町に移窯したことから太田焼ともいうようです。世界各地の万国博覧会で絶賛され、作品の多くは海外流出したとのことです。

現在の道慶橋(どうけいはし)付近には、吉田新田が出来るまで対岸の中村方面への渡し場がありました。吉田新田が完成した後、道慶という僧が、住民のために新田に通ずるよう大岡川に小橋を架け、これが道慶橋で、橋際の地蔵は道慶地蔵と呼ばれているようです。
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橋柱には僧が持つ錫杖の頭部に見られる輪形の遊環がついておりました。動かすと正に錫杖のように大きな音が鳴りました。
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道慶橋の傍から見た桜
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大田橋の傍から見た桜
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長谷川伸の碑(はせがわしんのひ)
小説・劇作家の長谷川伸は、1884年(明治17年)に今の日ノ出町駅生まれでその後も横浜で育ったようです。彼は父の破産によって小学校を中退、貧困のため幼い頃から第2号ドック(現在の日本丸メモリアルパーク)で小僧として働き、暇を見つけては小説を書いていたとのこと。 その後20歳で新聞記者となり、後に小説家にまでなったのです。長谷川信は1963年(昭和38年)にこの世を去りましたがその3年後、1966年(昭和41年)に長谷川伸賞が設立されています。主な作品は「関の弥太っぺ」、「瞼の母」、「一本刀土俵入」、など25点以上もの小説が今でも残されています。
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オルガン広場。
京浜急行「日の出町」は、オルガンの発祥地。千葉県出身の三味線職人の西川虎吉が明治13年(明治16年)頃に西川オルガン製造所を横浜市中区日ノ出町に設立したのです。オルガンは明治19年の小学校の義務教育化で、唱歌の伴奏楽器として使われ、音楽楽校・軍楽隊・教会などで盛んに演奏されたのです。虎吉が大正9年に亡くなり、当時の不況も重なって大正10年に「ヤマハ楽器」に合併されたのですが、西川オルガンの人気は高く、ヤマハのオルガンには、戦前まで「Nishikawa」の文字が刻まれ、製作が続いていたとのことです。
これを記念して駅前広場は『オルガン広場』という名が付けられ、広場の向いには『オルガン記念碑』も設置されています。
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吉田新田(よしだしんでん)は、現在の横浜市中区と南区に跨る地域で開墾された新田でここは江戸時代前期に吉田勘兵衛によって開墾されました。近代横浜の枢要部である関内地区の外側の、南西側に伸びる低地の市街地の多くは、この吉田新田の開発により陸化された土地で、その意味で、横浜発展の基礎を築いた新田なのです。
吉田勘兵衛はこの地に家を建て住み、彼の子孫の11代までが住み続けているのです。新田開発成功を知った4代将軍徳川家綱は、1669年(寛文9年)に功績を称え新田名は吉田新田と改称し、吉田に苗字帯刀を許し。延宝2年(1674年)に公式の検地が行われ、新田村となったのです。
長者橋のたもとの第10吉田ビルは吉田家の邸宅跡で、吉田勘兵衛の子孫が経営する吉田興産の所有。屋敷中にあった大井戸は200年にわたり住民の飲料水となっていたとのことです。
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今、屋敷跡には清正公堂や浄行菩薩がありました。
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厳島神社。
元来は洲干島(しゅうかんじま)とも呼ばれる入江の砂州上の寒村であった横浜村の更に先端にあり、洲干弁天社と称したとのこと。 創建は治承年間で、源頼朝が伊豆国土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進したと伝わっているとのことです。 足利氏満は般若心経を奉納、太田道灌は社殿を再建、徳川家光は朱印地を与えています。境内には銭洗弁天社、豊受稲荷神社がありました。
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大通り公園(おおどおりこうえん)は、横浜市中区の公園。JR関内駅方面から、横浜市営地下鉄伊勢佐木長者町駅をほぼ中央とし、阪東橋駅にまで至る帯状の公園で、1973年(昭和48年)まで流れていた吉田川、新吉田川という運河を地下鉄建設に伴い埋め立て、1978年(昭和53年)9月に開園したのです。現在、この公園の真下に横浜市営地下鉄ブルーラインが通っているとのことです。
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JR根岸線関内駅
関内駅(かんないえき)は、神奈川県横浜市中区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅。1964年(昭和39年)5月19日:国鉄根岸線 桜木町〜磯子間の開通時に、国鉄の駅が開業したことが最初。現在は1日約8万人が乗車のために行きかっているようです。

本日は春というより夏を感じさせる日和の陽射しのもと、日向は33℃、木陰は24℃、そして微風ですからウォーキングには最高の日よりでした。浅井先生、TD久森さんと共に23名は約18000歩、約10kmを完歩。今日は桜見物に終始したともいえますが何といっても真葛焼を知ったことが大きかったです。「宮川香山真葛ミュージアム」を一度訪れたいと思っています。
posted by yunofumi at 22:58| あちこちウォーク

2018年03月26日

2018.3.24 いよいよ春です

3/24 急に暖かくなりました。本日は国立新美術館へお出かけです。
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2016年10月に文化庁が開催した「ここから-アートデザイン・障害を考える3日間」の第2弾「ここから2-障害・感覚・強制を考える8日間」が開催中で、「生き方の創造を探求する」ということで、多くの人が新たな意識で生きるための一歩を踏み出すことを目標にした展覧会でした。フォトグラファーの次女がお手伝いしている仙台市の多夢多夢の方たちが制作した作品が出ているとのことでお出かけしたのです。頑張って作られた作品が一杯あって、大いに楽しめました。
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可愛い作品がありましたので思わず購入しました。
また別室では「至上の印象派展」も開催中でこちらも鑑賞しました。大好きなクロード・モネの作品をはじめ30点以上展示されており、見終わった時にはすっかり酔っ払った気分になっていました。

3/25 TVで東京の桜が満開!と伝えていました。そこで目黒川の桜まつりに出かけました。
目黒駅から出ると大勢の人々が駅〜行人坂・大圓寺〜目黒川へと行列状態でした。恐るべしマスメディアの威力です。小一時間かけて大崎駅まで、目黒川沿いの桜を堪能しました。
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今年も見事な桜を見られて大満足でした。
posted by yunofumi at 23:35| ドタバタ日記