2022年05月03日

2022.4.24 さいたま彩発見ぶらり街あるき 春日部市

今朝は今にも雨が降り出しそうな空模様のもと、喜多見先生、TD増田さん、参加者22名と共に出発。

東武スカイツリーライン春日部駅東口⇒粕壁神明社⇒ぷらっとかすかべ⇒永嶋庄兵門商店⇒最勝院⇒古隅田川・大落古利根川⇒上喜蔵河岸跡・新町橋⇒浜島家住宅土蔵・高札場跡⇒新町橋西信号⇒かすかべ大通り⇒埼玉りそな銀行⇒問屋場跡⇒日光道中粕壁宿⇒田村荒物店⇒ミセと蔵⇒古利根公園橋⇒古利根きらめき通り⇒大落古利根川⇒碇神社・イヌグス⇒春日部商工会議所⇒匠大塚⇒利根川せんべい⇒文化会館前信号⇒脇本陣跡⇒東陽寺⇒一宮信号⇒八坂神社⇒郷土資料館⇒秋葉神社⇒暖歩(昼食)⇒春日部駅西口−電車―藤の牛島駅
⇒藤花園⇒藤の牛島駅

東武スカイツリーラインはもともと東武伊勢崎線というのです。2012年3月より、浅草駅 - 東武動物公園駅間および押上駅 - 曳舟駅間には「東武スカイツリーライン」という路線愛称名となっています。普段利用しない私などはよく理解できませんがとにかく今日はこのスカイツリーラインを利用。

IMG_3942no2.JPG
春日部駅は明治32年に「粕壁」駅として開業し、昭和24年に現在の駅名に改称。現在の東口駅舎と西口駅舎があまりに古くていよいよ大幅な改装・増築がされるようで駅舎には「鉄道の高架化が始まります」と表示がありました。完成すればまた街の様子が変わることでしょう。

IMG_3951no2.JPG
粕壁神明社は、天明年間の1781-1789と1765年(明和2年)に当地の豪族九法四郎兵衛が土中から神体を発掘。九法家の氏神として祀られていたものの、その後、九法家の廃絶により、名主の見川家の邸内の一部となったとのことです。宿場の守り神として信仰を集め、現在では、「疫病封じ」として始められた例祭と、「春日部のお酉様」とも称される新穀感謝祭が行われているようです。

IMG_3955no2.JPG
ぷらっとかすかべは市内の観光情報、市の特産品などの魅力的な情報を発信している所。この情報発信館は、「誰でもぷらっと気軽に立ち寄れる憩いのスペースであり、春日部の特産品やまちの情報などを全国に発信するプラットホームでもあってほしい」という願いが込められています。本日は特産品の「麦わら帽子、桐箪笥、押絵羽子板」などの展示が目立ちました。また首都圏外郭放水路の紹介もありました。これは地底50mを流れる世界最大級の地下放水路で、中川、倉松川、大落古利根川、18号水路、幸松川といった中小河川が洪水となった時、洪水の一部をゆとりのある江戸川へと流すことができるようになっています。

IMG_3969no2.JPG
永嶋庄兵門商店は創業が慶長年間のお米屋さん。何しろ建物が立派でした。

IMG_3976no2.JPG
真言宗智山派寺院の最勝院(さいしょういん)は、華林山慈恩寺と号します。最勝院は、慈恩寺の僧「尊が、慈恩寺を退いて1504年(永正元年)当地に創建したと伝えられます。1649年(慶安元年)には寺領15石の御朱印状を幕府より受領、近郷に末寺を擁した本寺格の寺院でした。
本堂横には春日部重行公墳があり、明治時代には粕壁小学校や粕壁税務署などにも利用されたとのことです。
IMG_3980no2.JPG

IMG_3984no2.JPG
古隅田川と大落古利根川の合流地点。

IMG_3993no2.JPG
上喜蔵河岸跡・新町橋。
古利根川にかかる新町橋のたもとには、江戸時代、上喜蔵河岸(かみきぞうがし)という河岸場がありました。現在も長方形に整形された石を積む「切込みハギ」という工法による石垣が2〜3段、現地でみることができました。
IMG_3987no2.JPG

河岸場はこのほかに、碇神社(いかりじんじゃ)付近に下喜蔵河岸(しもきぞうがし)があったといわれ、いずれも江戸時代中ごろに粕壁宿の名主であった見川喜蔵(みかわきぞう)の名前が由来とされています。
粕壁宿は、このような河岸場を利用して、日光道中の陸路と古利根川の舟運の結節地として発達しました。
幕府により江戸川が開削、整備されると、江戸への物資の輸送には江戸川が使われるようになりました。古利根川は、流域の新田開発が進み、途中に溜井(ためい)などの利水施設が設けられたため、江戸へ直接、荷物を運ぶことが難しくなり、地域間の舟運路として使われました。

浜島家住宅土蔵・高札場跡は春日部駅東口より徒歩7分くらいのところ、旧日光街道脇の交差点、スポーツクラブの道を挟んだ反対側にあります。ここは、明治22年の岩槻新道が開通してからのもので、それ以前は日光道中と寺町通が分岐する三叉路だったのです。多くの人びとが集まる場所であることから、幕府からの触書(法令等)を掲示する高札場(高さ3.1m、幅4.6m、奥行1m)が設置された。通りの向かいにある黒壁の土蔵は、戦前まで佐渡屋の屋号で米穀商を営んでいた、浜島家の土蔵(国登録有形文化財)である。明治時代前期には建てられていたと推定され、1階は座敷、2階は使用人の部屋兼倉庫として利用されたとの事です。

IMG_4004no2.JPG
問屋場跡の案内板。
問屋場は、公用の旅人や荷物を運ぶ人馬を手配した施設である。粕壁宿では、輸送に必要な人足35人、馬35疋の常備が課せられていた。この辺りは上宿(上町)と呼ばれ、人夫が集まることから、飲食店も多く、月に6度の市が立った。なお、問屋場は1826年(文政9年)に三枚橋に移転した。向かいの神明通りは、名主や本陣を勤めた見川家の屋敷内の通路であった。通り沿いの神明社には、道化の屋敷神といわれる見川稲荷が残っている。

日光道中は、東海道・中山道・甲州街道・奥州街道を合わせた、「五街道」と呼ばれる街道のひとつで、江戸時代初期には、日光街道あるいは日光海道と記されていました。しかし1716年(正徳6年)に五街道に名称についての御触れが出され、日光街道は海のない国を通るため、日光道中と改められました。粕壁宿は、江戸時代1616年(元和2年)に日光道中千住宿から数えて第4の宿場に定められたとされています。1636年(寛永13年)に日光東照宮が完成し、将軍や諸大名の参詣で日光道中の各宿場はにぎわい一段と発展しました。江戸時代の終わりの頃の記録よると、宿場は「名主3軒」「本陣1軒」「問屋場1軒」「寺院8軒」「旅籠45軒」をはじめ、米穀商・質屋・薬屋などの商店や農家の家並みで159軒を配し、新町橋より横町・寺町・上宿・中宿・新宿・三枚橋・新々田・下宿の8つの字に分かれていました。

ミセと蔵の標識がありました。粕壁宿は江戸日本橋から4番目の宿場。宿場には本陣・脇本陣・旅籠・問屋場があり、粕壁は日光街道23宿の6番目の規模でした。粕壁の商家は間口が狭く、奥行きの長い敷地になっていました。街道に面しては「ミセ」、その奥には生活空間としての「オク」がありました。粕壁宿は古利根川に沿って蔵を連ね、船を乗り付けて荷物の上げ下げを下とのことです。

IMG_4015no2.JPG
古利根公園はまちの中心を流れる古利根川に架かる橋上の公園。川沿いの公園とは一味違った感じで古利根川の景観を楽しむことができる人気のスポットだそうです。また、日の入り後は中心にある「麦わら帽子をコンセプトとしたモニュメント」をライトアップしているようです。(点灯時間:日の入り〜午後10時)。この橋の上にも作家さんが作った作品がありました。

古利根きらめき通りウォーキングコースが設置されていました。
⓵古利根公園橋⓶春日橋⓷埼葛橋C八幡橋D牛島人道橋Eゆりのき橋F藤塚橋G古利根橋
このコース全体でトータル6.1km、約2時間とのこと。かなり気持ちよく走れそうです。

大落古利根川は南埼玉郡と北葛飾郡の郡境を画し、「古利根川」という名称が付されているようにかつては「利根川」の本流で、「大落」とは大きな農業排水路という意味とのことです。現在でも利根大堰からの水が埼玉用水、葛西用水路等を経由して流れ込んでいるのです。このため、4月〜10月は豊富に水が流れていますが、11月〜3月は大きく減少します。今では、大落古利根川は、古利根堰(越谷市・松伏町)の改築に伴い、古利根堰から東武野田線の鉄橋付近までの堤防補強工事が完成しています。近年、主に河川環境整備工事が実施され、平成16年度には、杉戸町、宮代町と連携し、階段護岸や遊歩道の設置を軸とした親水護岸の整備をしました。

IMG_4039no2.JPG
粕壁東2丁目、古利根川そばには碇神社とその境内にイヌグスの大木がありました
この地にはもともとは江戸時代の名主多田家屋敷稲荷があったようです。
IMG_4035no2.JPG
このイヌグスは根回り10m、樹高約12m、樹齢推定約600年(室町時代)で、イヌグスの生育の北限とされるとのことで埼玉県指定の天然記念物になっているとのことでした。

粕壁東2丁目の「匠大塚」は2015年大型家具店としての発祥の地だそうです。近年社内の色々が聞こえてきますが、店内の立派なことに驚きました。

IMG_4059no2.JPG
曹洞宗寺院の東陽寺は、医王山と号が記されていました。東陽寺の創建はどうやら文明年間(1469-1487)に春日部八幡神社の東隣に創建したようですが、1624年(寛永元年)に焼失、1662年(寛文2年)にこの地に再建、僧熊巌が中興開山したということでした。江戸期には新西国三十三ヶ所30番目。松尾芭蕉に随行した曽良旅日記からの一文の碑がありました。
すぐそばには粕壁宿の市神として祀られた八坂神社がありました。春日部夏祭りの起源というお祭りがあるようです。

春日部市郷土資料館には春日部市の歴史特産物、日光道中模型などが示されており、なかなか見ごたえがありました。

IMG_4096no2.JPG
粕壁秋葉社は、春日部市中央にある神社。粕壁秋葉社の創建年代等は不詳とのこと。江戸時代に粕壁宿の名主であった多田次郎兵衛が邸内に建立したもので、火伏の神として崇敬されたということです。神社のあった場所は移ったようですがイチョウと松が合体した夫婦松は春日部駅の西口のすぐのところに石碑とともにありました。

IMG_4113no2.JPG
暖歩(だんぽ)は心と体を癒す、四季折々のお料理と美味しいお酒を提供する「季よせ料理」のお店。和食好きの私は美味しくいただきました。
IMG_4111no2.JPG

午後は単独で春日部駅西口にはふじ通りの藤が見られるようでしたがそれを見ずに、一路、藤の牛島駅に向かい、一駅で到着。途中では春の花があちこちで見られとても楽しかったです
牛島駅から約10分で藤花園に到着。
IMG_4120no2.JPG
藤棚の日当たりなども関係するようで、それぞれほぼ満開でしたが花の色や房の大きさも違って、とても堪能しました。
IMG_4131no2.JPG

今日の埼玉の逸品は味好堂の「春日部瓦せんべい」。帰宅後いただきましたが昔懐かしい味でした。
IMG_4138no2.JPG

本日は一日違いの曇天で19℃と少し涼しめでした。また予報では午後は雨と出ていましたが帰宅するまで雨に合わず、幸運な一日でした。美味しい昼食後は自分のわがままで御一行様から離団して藤の花を見に行きました。実は春日部市は日光街道ウォークも含め、数回訪れたことがあったからです。そして春日部駅は牛島駅の隣だとわかっていたのでちょうど藤の花が満開と思ったからです。案の定、藤の花はほぼ満開でとても見事だったので大満足でした。
さて次回は一週間後に東松山市ウォークです。有名な牡丹園はもう咲ききっているかもしれませんがまた大いに楽しみたいと思います。皆さん、また頑張りましょう!
posted by yunofumi at 22:23| あちこちウォーク

2022年04月04日

2022.3.28 さいたま彩発見ぶらり街あるき さいたま市南区

昨日に引き続きさいたまウォークです。本日はさいたま市内10区の最後になりました。実は浦和区を2019年5月、このシリーズの第1回目参加からなんと月日が経ってしまったことでしょう。でもコロナ禍のなかですから予定が狂っても致し方なかったのです。そしてめったにウォーキンギは連日しないのですが今日はこれを逃すことはできないと頑張っての参加なのです。
今日の先導は喜多見先生、TD反保(たんぽ)さん、参加者7名で10:00中浦和駅をスタートしました。

JR埼京線中浦和駅⇒手打蕎麦遊山⇒萬店(まんだな)⇒別所沼公園⇒花と緑の散歩道⇒浦和別所小学校⇒真福寺⇒武蔵野線第2大里ガード⇒南区役所⇒沼影自治会館⇒沼影観音厨子⇒Something Bella Gioia⇒さいたま中央郵便局⇒白幡沼⇒医王寺⇒南浦和小学校⇒焼米坂⇒神明社⇒さいたま市文化センター⇒一ツ木公園⇒大谷場氷川神社⇒丸広浦和店⇒JR埼京線南浦和駅

中浦和駅の線路名称上は東北本線(支線)ですが、運転系統上は埼京線として案内されているとのことです。そういえば浦和という地名がつく駅名は、浦和駅、北浦和駅、南浦和駅、東浦和駅、西浦和駅、武蔵浦和駅、中浦和駅、浦和美園駅の合計8駅あるのです。全く間違えやすいので注意、注意!

IMG_3767no2.JPG
別所沼公園は100万年という歴史を持つ別所沼を中心にして、昭和26年9月に開設されたとのこと。広さ7.9haの園内には、中国原産のメタセコイアなどの巨木が立ち並んでいて、ちょっと日本離れした雰囲気を漂わせています。一見北欧みたいなのです。

IMG_3769no2.JPG
立ち並んでいる巨木はメタセコイアとラクウショウ。この季節は葉がついていないので区別しにくかったです。また紅葉がきれいな秋に来てみることにいたします。

公園内には別所沼弁財天がありました。
IMG_3788no2.JPG
浦和うなこちゃんも鎮座。
IMG_3784no2.JPG
うなこちゃんはさいたま市浦和区のマスコットキャラクター。アンパンマンで有名なやなせたかしさん作。一応、さいたま観光大使なのです。もう少し大きなうなこちゃんは浦和駅でみられます。

IMG_3779no2.JPG
これはメキシコのトルーカ盆地のカリストラクカで発掘された石像の複製「風の神像」です。さいたま市とは姉妹都市のためここに鎮座。「風の神」は健康、豊作、知恵を市民にもたらす恵の神。

IMG_3793no2.JPG
ヒヤシンスハウスは詩人立原道造が、1937(昭和12)年冬から翌年春にかけて、当時、葦がおい繁り静寂をきわめた別所沼の畔に、自らのために建てた小さな週末住宅なのです。立原は、詩誌『四季』を主な舞台として活躍し、わずか24歳でその短い生涯を閉じた方です。
昭和初期、浦和市郊外の別所沼周辺には多くの画家が住み、「鎌倉文士に浦和画家」とも呼ばれ、一種の芸術家村の様相をみせていたということです。当時この地には、立原の年長の友人で詩人の神保光太郎、画家の須田剋太、里見明正らが住んでいたようです。また、立原と親交の深かった東大建築学科の同級生小場晴夫は旧制浦和高校の出身でもあったことから、《芸術家コロニイ》を構想した立原は、自ら住まう週末住宅の敷地として別所沼畔を選んだのであろうと想像されます。立原は、この五坪ほどの住宅を《ヒアシンスハウス・風信子荘》と呼び、五十通りもの試案を重ね、庭に掲げる旗のデザインを深沢紅子画伯に依頼。また、住所を印刷した名刺を作り、親しい友人に配っていたとのことですがしかし、立原が夭折したため、別所沼畔に紡いだ夢は実現しなかったのでした。

IMG_3776no2.JPG 
別所沼会館(ヘリテイジ浦和)は公園内にあるビジネスホテル。

IMG_3801no2.JPG
花と緑の散歩道は春はサクラ、梅雨時はアジサイの七色が散歩道を彩り、秋には落ち葉を踏みしめて歩く所としてよいところです。
IMG_3809no2.JPG

IMG_3819no2.JPG
真言宗豊山派寺院の真福寺は、正式には法光山無量院。真福寺の創建年代等は不詳。1314年(正和3年)銘の阿弥陀三尊種子板石塔婆があるとのことでした。僧宥尊(寛文6年1666年寂)が中興したということです。北足立八十八ヵ所霊場36番でもあります。

IMG_3836no2.JPG
沼影観音堂厨子(ぬまかげかんのうどうずし)
本日は表の扉は閉まっていました。江戸時代初め頃。一間厨子、禅宗様、入母屋造。桁行1.265m、梁間0.88m、高さ2m。観音堂須弥壇に安置されており全体は漆塗りとのことでした。

IMG_3847no2.JPG
Something Bella Gioiaは武蔵浦和駅そばにありました。イタリア式食堂キャンティの系列店と伺いました。こちらはドレッシングが特徴のようでした。
IMG_3849no2.JPG

IMG_3864no2.JPG
白幡沼は大宮台地の縁にあたる場所とのこと。かつての旧入間川流路の名残りのひとつとなっていて、流路は上谷沼手前を屈曲しながら芝川の網代橋付近へ流れているようです。現在でも沼の余水や大宮台地から流れてきた雨水を笹目川に排水する暗渠水路があり、上部は白幡緑道(白幡遊歩道)となっているとのことでした。
県立浦和商業高校が見えました。サギもえさをついばんでおり、のどかな風景でした。
IMG_3866no2.JPG

IMG_3875no2.JPG
真言宗智山派寺院の醫王寺は、正式には上宮山。創建年代等は不詳とのこと。北足立八十八ヵ所霊場24番。
IMG_3879no2.JPG
こちらには延慶二年銘板石塔婆がありました。現在は高さ240p、幅66p、厚さ107p。しかし上部と下部がかけているようで実際には4mもあったようです。鎌倉時代の代表的なものだそうです。

IMG_3889no2.JPG
南浦和小学校の校門近くには今時珍しく二宮金次郎像がありました。

IMG_3891no2.JPG
焼米坂は別名、浦和坂。中山道を江戸から荒川を渡ってくると最初に出合う坂で、この坂を上りきると浦和宿なのです。江戸時代、中山道を通る旅人に“焼米”を売る店があり、それが名物となり名付けられたということです。

岸町神明社は、さいたま市浦和区岸町にある神社です。岸町神明社の創建年代は不詳ですが、永仁年間(1293-98)の勧請といい、調神社の末社だったともいうことです。

IMG_3908no2.JPG
一ツ木公園(いつきこうえん)はJR「南浦和駅」から徒歩10分弱の住宅街の中にある公園。周囲は坂があるため、公園は高台のようになっていて、開放感があります。坂の下からは階段になっているので、ベビーカーの方は坂の上からの入園をおすすめです。住宅街の公園としては比較的面積も広く、木々も多く、癒やされる空間となっています。この春も桜が美しくお花見をする親子連れも多く見られます。遊具はブランコやすべり台、複合遊具などが揃っていました。

大谷場氷川神社(おおやばひかわじんじゃ)
IMG_3916no2.JPG
創立年代は不詳とのことですが、大谷場の鎮守の神として古くより崇敬の篤い社とのことです。江戸初期社殿流失したようです。現在の本殿は寛文六年の棟札あり、三間社流見世棚造り屋根は板葺でした。御神体は束幣立烏帽子、丈一尺二寸余、最古色を帯たり、箱に宝暦の年号があるとのことが天保元年の新編武蔵風土記に記載されているようです。江戸時代の別当寺は華徳院であったが明治元年神仏分離令の廃仏毀釈により華徳院は廃寺されたようです。その後、太平洋戦争終結により、昭和21年国家神道から神社本庁所属の宗教法人神社となり、現在にいたったようです。
IMG_3915no2.JPG
こちらは大谷場氷川神社の狛雉子(キジ)。鳥居の手前の左右に1体ずつありました。昭和の初め頃、この地にキジが棲みついていたことから、氏子の間で雉子は氷川様のお使いと言われ、「雉子の氷川さま」と呼ばれるようになったそうです。
ご神木は鳥居そばにあった樹齢100年以上のユリノキ。推定樹高21.8m。樹齢ははっきりしないようですが1894年(明治27年)に植えたとも伝えられています。

IMG_3928no2.JPG
浦和まるひろ店がJR埼京線南浦和駅そばにあり、いったん休憩。私はここで終了とさせていただきました。皆さんはこの後浦和競馬場まで行かれました。

IMG_3935no2.JPG
本日の埼玉の逸品は浦和まるひろ店1階にある手作りぱんの「ブーランジェベーグ」のあんぱん。なかなか生地がしっとりしており、中のあんこがぎっしりと入っていてとても美味しかったです。

IMG_3932no2.JPG
そして本日は私がさいたま市10区を完歩出来たので「埼玉県40市めぐり 多彩な”埼玉”彩発見!第一ステージさいたま市10区コンプリート賞」をいただきました。すでに昨年10月には第2ステージ県央7市コンプリート賞をいただいております。このウォーキングの全体行程を見ると実際には49回第5ステージまであります。まだまだ先は長いですが、まあ、ぼちぼち参加します。
ということで本日はウォーキング日和の晴れ間の中、気温16℃、18000歩は2日間連続でしたが元気に終了。皆さん、今後もよろしく気長に頑張りましょう。
posted by yunofumi at 21:15| あちこちウォーク

2022年03月31日

2022.3.27 さいたま彩発見ぶらり街あるき 蓮田市

雨を少し心配しつつ家を出発。日中は21℃にもなるとの予報だったので薄着でお出かけ。
いつもの喜多見先生、TD小松さん、そして常連の面々が20名。

JR宇都宮線蓮田駅⇒蓮田駅西口駅前交通広場⇒愛宕神社⇒久台信号⇒川島久伊豆神社⇒元荒川河川敷公園⇒宮前橋⇒椿山2丁目⇒西城沼公園⇒ごちや(昼食)⇒城沼公園通り⇒蓮田市役所⇒蓮田市文化財展示館⇒黒浜沼⇒真浄寺⇒黒浜南小学校⇒黒浜久伊豆神社⇒蓮田IC PASAR HASUDA⇒JR宇都宮線蓮田駅

JR宇都宮線蓮田駅10:00スタート。初めての蓮田駅は湘南新宿ラインと上野東京ラインの停車駅。高崎線とは違うのでよくよく調べての乗車でした。駅自体は1885年(明治18年)日本鉄道大宮 - 宇都宮開業により設置されたとのことでした。
西口駅前交通広場には1900年(明治33年)に作詞された「鉄道唱歌 第三集奥州磐城篇」(大和田建樹作)で歌われている蓮田駅を紹介してありました。
第5番.中山道と打わかれ ゆくや蓮田の花ざかり 久喜栗橋の橋かけて わたるはこれぞ利根の川
鉄道唱歌は東海道編第1番の歌詞である、「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり……」はよく知っていましたがこの5番は知りませんでした。まして全国の鉄道を歌いこみ北海道を含め全7集・399番までもあるとのことにはびっくりでした。
IMG_3554no2.JPG
駅を出ると早速、蓮田市のゆるきゃら「はすぴい」がお出迎え。のどかで愉快な街の印象を持ちました。
IMG_3560no2.JPG

IMG_3567o2.JPG
閏戸愛宕神社は、蓮田市閏戸にある神社。閏戸愛宕神社は、秀源寺の僧が愛宕明神を宝永年間(1704-1710)に祀り創建したとのことです。明治43年に閏戸久伊豆神社に合祀され、昭和20年に再建されたようです。

IMG_3577no2.JPG
川島久伊豆神社は、蓮田市東にある神社。川島久伊豆神社の創建年代不詳。こちらは元荒川流域沿いに数多く奉斎されている久伊豆神社の一つで、江戸期には川島村の鎮守として祀られていたようです。
IMG_3581no2.JPG
このあたりから元荒川河川敷公園。公園の前後数kmに渡って、450本も連なった桜並木全体を指して「桜の名所」と言われているようです。本日はほぼ八分咲きと思いました。宮前橋あたりでも見事な桜をみました。

IMG_3599no2.JPG

IMG_3596no2.JPG
西城沼公園は小さな池の西城沼を中心に作られた南北に細長い公園。
総面積は4.5haほど。沼に向かって突き出たデッキがいい感じの様子で釣り人もいました。
IMG_3645no2.JPG

この後すぐに少し早めの昼食場所の「ごちや」に到着。
IMG_3655no2.JPG
なにこれっ!というくらいの丼にびっくり!私などは半分で十分でした。

蓮田市役所を過ぎたあたりにまずは復元のたて穴住居がありました。
IMG_3663no2.JPG

そして蓮田市文化財展示館に到着しました。
IMG_3665no2.JPG
ここには先土器時代から中世までの市内各地で発見された土器(市指定の関山式土器)・石器や、椿山古墳・十三塚古墳出土品、馬込八番遺跡出土埴輪、皇朝十二銭の承和昌寶(市指定、他に市内出土古銭)、縄文時代だけでなく古墳時代や奈良・平安時代の貝塚出土貝類を、時代を追って詳しく展示してありました。私的には板石塔婆と円空仏の写真が印象的でした。
IMG_3675no2.JPG

IMG_3678no2.JPG
外ではタッチパネルモニターを使って昔の風景を見ました。すぐそばが海というのが印象的でした。
IMG_3670no2.JPG

IMG_3711no2.JPG
黒浜沼は上沼(うえぬま)および下沼(したぬま)の二つから成っているとのこと。付近を流れる元荒川(かつての荒川)の洪水によって形成された自然堤防によって谷地が堰き止められて出来た沼ということでした。寛永期に沼を横断する堤が築かれ、そこを往還としたことによって沼は上沼と下沼に分かれたのです。1979年(昭和54年)には「埼玉県自然環境保全地域」に指定され、2009年度(平成21年度)からは緑のトラスト保全地第11号地に指定されたのです。2000年(平成12年)には、埼玉新聞社の「21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選」にも選出されたとのことでした。
黒浜沼から流れ出る水の流末は新堀排水路(新堀)に集められ、最終的に隼人堀川へ流下しているとのことでした。
IMG_3727no2.JPG

真浄寺(しんじょうじ)の鐘楼に天井絵がありました。
IMG_3731no2.JPG

IMG_3740no2.JPG
黒浜久伊豆神社は室町時代の興禄年間に騎西の玉敷神社より勧奨請したようです。今は蓮田市の有形文化財になっているとのことです。

IMG_3757no2.JPG
PASAR HASUDAは東北自動車道の蓮田のサービスエリアです。こちらは実は地元の方も訪れやすいように一般道からも入れるようになっていました。ここは名前の通り、おふろやサウナ、カフェがある他に漫画や雑誌を数多く取り揃えており、ハンモックやマッサージ機などがあるリラックスコーナーや、Wi-Fi完備のワークスペースもあるとのことです。そうそう宿泊もできるそうでまた調べてみようと思います。
そして15:30無事にJR宇都宮線蓮田駅で解散。本日は1日中風がやや強かったですが気温21℃では気持ちよく快適に25000歩達成。最後まで調子は上々でしたので大満足の一日でした。
本日の埼玉の逸品は縄文サブレとおせんべい。またしてもおいしいおやつなのです。
IMG_3759no2.JPG
また明日は浦和市内の南区ウォーキングです。頑張ります。
posted by yunofumi at 11:15| あちこちウォーク

2022年03月26日

2022.3.26 桜が咲きました

昨日と打って変わって曇天の空模様ですがいつもうかがう地蔵院の桜見物に行きました。
気温19℃と変に温かいですが風は風速10m前後。午後には雨が降り出しそうなので今朝一番でウォーキングしながらお出かけ。
見事にほぼ満開!
IMG_3521no2.JPG
この桜は彼岸桜の変種ということで咲くのがソメイヨシノなどよりいつも早いのです。
樹高7.5m、根回り周囲4.2m、枝張り16.5m。説明板には平成24年記載で樹齢350年以上ですから大変貴重です。
IMG_3535no2.JPG
こちらは正式にはきゃ羅弥山地蔵院 薬王寺。宗祖弘法大師空海、ご本尊は延命地蔵菩薩。
1314年(正和3年)僧・覚慶が開山とのこと。平成27年には記念行事も行われたようです。

桜を堪能後はお腹を満たすために亀久保交差点そばにある「木曽路ふじみ野店」へ。
こちらは和食懐石のお店。時々うかがっています。
いつもランチといえば「松花堂弁当」をお願いするのですがコロナ禍が影響でしょうか、メニューの変更があり、「お刺身定食」をお願いしました。思っていた以上にズラリとごちそうが並びました。
IMG_3537no2.JPG
カボチャ・エビ・ピーマンの天ぷら、マグロと烏賊のお刺身、カレイの煮つけ、お肉が添えられたサラダ、青菜のお浸し、エビ・里芋・かぼちゃの煮物、お漬物、それに雑穀ご飯とみそ汁。
イヤー食べ過ぎました。といいつつ、桜アイスも、、、。これはまた桜の香りがして美味!!
ということで雨が降り出す前にお散歩終了。歩程1万歩は明日から2日間予定の埼玉ウォーキングの足慣らしにちょうどよかったです。ではまた明日も頑張ります。
posted by yunofumi at 15:05| ドタバタ日記

2022年03月22日

2022.3.10 2巡目第12回東京新発見「足立区」

JR北千住駅⇒宿場通り⇒千住本陣跡⇒大橋眼科⇒勝専寺⇒金蔵寺⇒森鴎外居宅址⇒千住高札場跡⇒一里塚跡⇒千住庁舎⇒千住仲町⇒川魚問屋兜ゥ与⇒内藤銀蔵博士生家⇒千住掃部淑宿・掃部宿憩いのプチテラス⇒源長寺⇒柏青果物市場⇒やっちゃ場の地⇒千住宿奥の細道プチテラス⇒足立市場・小林食品⇒千住大橋の図⇒奥の細道旅立ちの地⇒千住の橋戸河岸⇒橋戸稲荷神社⇒やっちゃば緑道⇒トラットリア・アダッキオ(昼食)⇒千住弁財天⇒関屋天満宮⇒仲町氷川神社⇒千葉灸治院跡地⇒八幡神社⇒千住神社⇒NTT千住⇒イトー児童遊園⇒大黒湯⇒学びピア⇒名倉本院⇒安養院⇒千住本町住区センター⇒横山家住宅⇒千住絵馬屋吉田家⇒丸井千住店⇒JR北千住駅

JR北千住駅はJR東日本常磐線と東京メトロ千代田線、東武伊勢崎線、首都圏新都市鉄道(つくばエキスプレス)が乗り入れている大きな駅。初めて降り立ちましたので集合に間に合うようにキョロキョロしながら西口方向に出てやっと皆さんと巡り会えました。
IMG_3191no2.JPG
駅前には大きな案内図があり、千住が荒川・隅田川に囲まれていることがよくわかりました。
駅そばには宮田亮平さんのイルカのモニュメント「乾杯」がありました。
IMG_3196no2.JPG
その中には中国で縁起が良いという15匹の大小、家族のようなイルカ達が出会い、愛を育む等の場となるようにという作家の期待が込められているとのことです。宮田亮平さんの専門は鍛金(たんきん)。この前まで東京芸術大学の学長。東京藝術大学千住キャンパス開設に尽力されたようです。またライフワークとして有名なのがイルカをモチーフにした「シュプリンゲン」(ドイツ語で「飛び跳ねる」の意)シリーズとのことでした

千住本陣跡は、市郎兵衛の屋敷跡地で今は標柱がありました。
旅の宿泊施設で本陣は最も格式が高く、主に一万石以上の大名・公卿・高僧等、身分の高い人が宿泊していました。今記録ではこの標柱のところだけです。市郎兵衛の屋敷の規模は、間口9間半(約17m)、奥行38間(約69m)、361坪の広さで、屋敷内に建坪120坪、玄関付門構えの建物だったとのことです。

IMG_3208no2.JPG
大橋眼科は今もみられる西洋館の医院で昭和57年に建ったRC3階建ての家。

IMG_3216no2.JPG
浄土宗寺院の勝専寺は、正式には三宮神山大鷲院。勝専寺は、新井兵部政勝が開基となり、勝専社専阿上人を開山として1260年(文応元年)創建されたとのことです。勝専寺の木造千手観音立像は千住の地名起源の一つとされているようです。
勝専寺「赤門寺」という通称で親しまれており、京都知恩院が本山とのことです。

金蔵寺(こんぞうじ)は真言宗豊山派の寺院。1335年(建武2年)に開山。本尊は、かつては地蔵菩薩だったのが、現在は閻魔大王とのことです。
IMG_3227no2.JPG
境内には、2基の石塔があり、そのうちの「無縁塔」と刻まれている方は天保の大飢饉の犠牲者を供養した塔。もう一つの「南無阿弥陀仏」と刻まれている石塔は遊女を供養する塔。こちらの寺は、いわゆる「投げ込み寺」であり、岡場所で亡くなった遊女はここに葬られたということです

IMG_3233no2.JPG
森鴎外居宅址。橘井堂医院跡(現 千住ザ・タワー付近・千住1-30-3)に建てられた千住の鴎外碑。
森林太郎(鴎外)1862年(文久2年)〜1922年(大正11年)は近代の文豪。
明治12(1879)年に父静男が南足立郡医となり千住に転居、後に橘井堂医院(きっせいどういいん)を開業しました。その後、林太郎は大学を卒業した1881年(明治14年)には下宿を引き払って千住に住み、医師として父とともに医療活動に従事したのです。この頃の様子は小説『カズイスチカ』に描写があるようです。その後、三宅坂の東京陸軍病院に勤め、千住から人力車で通勤したのです。1884年(明治17年)にドイツへ留学。1888年(明治21年)に帰国すると千住の実家に戻ったのですが翌年、林太郎は結婚して根岸に転居。「鴎外」という号は、現隅田川の白髭橋付近にあった「鴎の渡しの外」(かもめのわたしのそと)という意味で、林太郎が住んでいた千住を意味しているとのことでした。

東京芸術センターは、公民のパートナーシップにより、『あだち産業芸術プラザ』として、「あだち産業センター」と一体的に整備された民間施設です。新しい産業と芸術を創造する拠点となります。
この地域の説明地図がありました。
IMG_3240no2.JPG
高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のことで、千住高札場跡は石柱だけがありました。
主要な街道に1里(約3.927キロ)ごとに築かれたのが一里塚。ここでは石柱のみありました。

IMG_3263no2.JPG
内田銀蔵博士生家の案内が川魚問屋鮒与の所にありました。
博士は千住の旧家に1872年(明治5年)に生まれた日本の歴史学者。日本経済史学の先駆者で専門は日本経済史。

IMG_3269no2.JPG
千住掃部宿(せんじゅかもんしゅく)。
千住町は将軍徳川家光の時1625年(官営2年)に日光道中初の宿場と定められ、水戸佐倉道へ分岐する初宿、また日光東照宮への将軍参詣や諸大名の参勤交代を中継する重要な宿場なのです。その後、千住大橋を越え小塚原、中村町(現・荒川区)辺りまでの4km余りの街並みが続く千住宿となったのです。
掃部宿(現千住仲町・河原町・橋戸町)は初宿指定の後、万治元年(1658)千住の堤外川原にある日光道中沿いに家並みができ、千住宿に加宿されたとのこと。 名前の由来は慶長3年(1598)村を拓き、元和2年(1616)掃部堤を築造した石出掃部介吉胤にちなむとのことです。

源長寺は浄土宗の寺院。1610年(慶長15年)、伊奈忠次が開基。寺名は忠次の戒名「勝林院殿前備前太守秀誉源長大居士」が由来であるようです。ただ、実質的な創建者は千住の開発者石出吉胤で、代官頭(後の関東郡代)の忠次に花を持たせる意味で「開基」の座を譲ったという話もあるようです。裏の墓地には石出掃部亮吉胤(いしでかもんのすけよしだね)というお墓がありました。
IMG_3287no2.JPG

千住宿奥の細道プチテラスは足立区の歴史を今に伝える場所の一つ。京成本線「千住大橋」駅のそばにあります。テラス内には、奥州や北陸など「奥の細道」へここから旅立った松尾芭蕉の像と、「日光道中 千住宿道標」、行灯をかたどった「日光街道 千住宿道標」、千住やっちゃばの小さなお宮にあった欅の木で作った「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などがあります。

足立市場は都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場。隅田川と国道4号線(日光街道)に面しており、交通アクセスの良い便利な場所。この立地を生かし、城北地域の拠点市場として、都内城北地区や千葉北部、埼玉南部などへ水産物を供給しています。
今日は小林食品さんでお買い物をいたしました。
千住大橋脇から隅田川の流れそばに降りると千住の橋戸河岸。ここには広重や北斎の絵も模写され説明もあり非常に面白いところです。
IMG_3338no2.JPG

IMG_3350no2.JPG
橋戸稲荷神社の創建は平安時代の926年(延長4年)とも、また室町時代の1490年(延徳2年)ともいわれており、とにかく古いのです。社殿は江戸時代末期の建築。うち本殿は土蔵造で、扉内側に伊豆長八の鏝絵(こてえ)が施されております。拝殿の前に飾られているレプリカを拝観できました。

IMG_3378no2.JPG
やっちゃば緑道はもともとやっちゃばと駅までの引き込み線の跡地を利用したところでくねくねとなかなか面白い散歩道になっていました。

IMG_3397no2.JPG
関屋天満宮の創建は949年(天暦3年)。御神体は道真公自作の百体彫刻の内の1体と伝わっています。源頼朝が奥州平定後に関所を設けたため、この地は関屋と呼ばれるようになったのです。もともと水田や茅野で度々出水したため、1787年(天明7年)、仲町氷川神社の境内に遷座したのです。

IMG_3401no2.JPG
隅田川関屋の里図。
関屋の里は、「江戸名所図会」によれば、木母寺より北の牛田村の隅田川に面した一帯とのこと。絵の中にある疾駆する三騎連れだった武士は、領国への急を知らせる早馬で早朝の朝駆けの使者の気ぜわしさが描かれています。ネットで全体を見ると馬や武士たちの服の色は異なり、華やかな色どりさえあります。躍動感のある近景に対して、静かで雄大な赤富士を遠景に持ってきた北斎の構図がいいですね。

IMG_3405no2.JPG
千葉灸治院跡地。
坂本龍馬と婚約したとされる千葉佐那(1838〜96年)が明治維新後に東京都足立区に開いた「千葉灸(きゅう)治院」跡。この2人が並ぶレリーフです。 佐那は北辰一刀流を開いた千葉周作の弟、定吉の娘。剣術使いとして知られており、定吉の道場に修行に来た龍馬と知り合ったのです。龍馬の着物の片袖を形見として大切に保管し、生涯独身を貫いたということです。この地に灸治院を開くと家伝の技が人気を呼び、板垣退助らも通ったと伝えられているとのことでした。

IMG_3414no2.JPG
千住神社は926年(延長4年)、土地鎮護と五穀豊饒を祈って、伏見稲荷より分霊を勧請し、稲荷神社を創立したのです。1051年(永承6年)源義家は、奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ッ森(現千住神社)に陣営し、神前に戦勝を祈願したと、古記録に記載されているようです。
IMG_3422no2.JPG
狛犬は江戸末期(文政十三年五月)に、氏子有志によって献納されたもので、その狛犬の姿「子を抱える」「子を護る」はとても珍しい姿です。
これは御祭神の御神徳、家内安全、商売繫盛、子孫繁栄(良縁)、無病息災(厄除)の御神徳が強かったことが理由の一つとされています。

IMG_3427no2.JPG
NTT千住は1929年に建築された鉄筋コンクリート(RC)(地上3階建)のビル。現在も使れているようです。

IMG_3431no2.JPG
イトー児童遊園。
イトーヨーカドーはスーパーだけでなく、コンビニの「セブン‐イレブン」など事業は多岐にわたっています。イトーヨーカドーの母体は、1920年に創業した「羊華堂洋品店」。当初は浅草だったが、戦後に千住へ移転。そこでイトーヨーカドーは千住を「創業の地」とし1号店が千住だったようです。またここはイトーヨーカドー創立者の伊藤ゆき氏と、その息子の夫人、伊藤せき氏が、1959〜82年に住んでいた所でせき氏から足立区へ寄贈され、88年に児童遊園として整備されたところだそうです。

IMG_3443no2.JPG
大黒湯。
足立区は昔から銭湯が多かったそうです。近年は2軒なっていたようですが昨年6月にこちらも閉じたのです。要は老朽化。建物は堂々とした大きな千鳥破風(ちどりはふ)やカーブのある唐破風(からはふ)、さらに軒下などの彫刻が豪華で、当時は「千社札」が貼られていたとのこと。

IMG_3463no2.JPG
名倉医院(なぐらいいん)は、整形外科医院(本院)。江戸時代から接骨院として名を馳せ、遠方から訪れる骨折患者も多かったということです。「名倉」の名の付く整形外科、整骨院、接骨院は全国に265軒もあり、「名倉」の名前は骨接ぎの代名詞として広く知られているようです。

IMG_3475no2.JPG
安養院。正しくは真言宗豊山派西林山長福寺安養院。鎌倉時代北条時頼が創建したと伝えられ、1598年(慶長3年)兵火に遇い、当地へ移転したようです。荒川辺八十八ヶ所霊場48番札所、荒綾八十八ヶ所霊場73番札所でもあります。
安養寺の横手に回ると「かんかん地蔵尊」がありました。
IMG_3484no2.JPG
そばに置かれている小石でカンカンと叩きながらお祈りをするとご利益があるのだとか。たくさんの人がお祈りしたために現在ではお顔がすり減ってのっぺらぼう状態となっていました

IMG_3494no2.JPG
横山家住宅は、江戸時代後期の建造物で、昭和11年(1936)に改修が行われていますが、宿場町だった千住の名残を今に伝えています。間口が9間(約16メートル)、奥行が15間(約27メートル)あり、大きくてどっしりとした桟瓦葺となっています。敷地は、間口が13間(約23・5m)、奥行が56間(約102m)もあり、鰻の寝床のように長くなっています。

IMG_3499no2.JPG
吉田絵馬屋は現在の吉田晁子さんで8代目にあたります。千住宿内や近郊農村の人びとに絵馬や地口行灯に貼る絵紙、ビラの製作を生業としてきました。吉田家の絵馬は経木に絵を描き、屋根を付けた小絵馬を得意としています。眼病平癒を願う「薬師(向かい目)」や学業成就を願う「天神」など図柄は40種類余りあります。

丸井千住店10階に《千住宿》300mの1/50模型がありました。街道に沿って家々を再現しており実に精巧。また面白かったのはどの家でも家庭菜園のように畑を作っていたのが印象的でした。
もう一つおまけはこのビルの中に椿屋カフェがあったこと。私が行くコーヒー屋さんで一番のお気に入りなのです。コロナ禍になってお久しぶり!美味しくコーヒーをいただき、疲れがすっかりとれました。

本日は牧先生、TD林さんと共に13人で和やかにウォーキング。足立区2巡目でしたが初めての所もあり、かなり新鮮でした。歩程2万歩は久しぶりでしたが気温も13℃ほどあったようで気分も上々!無事に最後まで完歩できて大満足。今後もこの調子で頑張りたいです。
posted by yunofumi at 16:37| あちこちウォーク

2022年03月12日

2022,3,2 江戸古地図巡り「清澄・日比谷」

古地図巡りは全10回のシリーズ。本日、私は5回目の参加。講師は東京シティガイドの鈴木能之先生と共に11名が参加。TDは新井さん。

東京メトロ半蔵門線清澄白河駅⇒清澄庭園⇒中村学園⇒錣山部屋⇒大鵬道場・大嶽部屋⇒深川萬年橋⇒川船番所跡⇒芭蕉稲荷神社⇒正木稲荷神社⇒旧新大橋跡⇒芭蕉記念館⇒隅田川・隅田テラス⇒清洲橋⇒金毘羅宮⇒日本橋浜町3丁目⇒有馬小学校⇒水天宮⇒人形町今半⇒蛎殻銀座跡⇒からくり檜 町火消し⇒谷崎潤一郎生誕の地⇒西郷隆盛屋敷跡⇒中央区立日本橋小学校⇒堺町・葺屋敷町芝居町跡⇒椙森神社⇒伊勢重(昼食)⇒新高野山大安楽寺⇒十思公園・吉田松陰墓・十思スクエア⇒JR新日本橋駅⇒長崎屋敷跡⇒日本橋室町洲本館(淡路島洲本市アンテナショップ)⇒夜半亭・与謝蕪村居住地跡⇒日本橋ふくしま館⇒千疋屋総本店⇒新浮世小路稲荷神社・薬祖神社⇒発句也松尾桃青の春⇒江戸東京さるや⇒COREDO室町3⇒熈代勝覧⇒江戸桜通り⇒三越⇒日本銀行⇒貨幣博物館⇒常盤橋門址・渋沢栄一像⇒北町奉行所跡⇒東京駅⇒日本商工行館⇒和田倉噴水公園⇒日比谷交差点

東京メトロ半蔵門線(はんぞうもんせん)は、渋谷駅から墨田区の押上駅までを結んでいます。路線名の由来は沿線に所在する徳川家康の家臣・服部半蔵正成の屋敷の側にあったことから名が付いた江戸城(現在の皇居)の門の一つ、「半蔵門」のところを通ったからとのことです。

IMG_2835no2.JPG
本日スタート地点の清澄白河駅はすぐそばに清澄庭園があるからです。ここは池の周囲に築山や名石を配置した回遊式林泉庭園。元々は豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったのだそうです。その後下総関宿藩主・久世氏の下屋敷となってある程度の庭園が築かれ、1878年(明治11年)に荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、その後代々手を加え現在の姿になったとのことです。本日はコロナ禍のため閉園でした。

そういえばと昔、岩崎家邸宅は6つあったようです。茅町本邸・深川別邸・駒込別邸・駿河台本邸・鳥居坂本邸・高輪別邸です。いずれも家族や来賓用として使い、今もかなり残っているとのことです。

IMG_2852no2.JPG
錣山部屋は力強い突っ張りで土俵を沸かせ「鉄人」と呼ばれた寺尾さんが親方の相撲部屋。

IMG_2859no2.JPG
大鵬道場・大嶽部屋。
昭和の大横綱と称され、戦後最強の横綱だった亡き大鵬親方のもとに入門しその後、大鵬親方の遺志を継ぎ、大嶽部屋となっている相撲部屋。

IMG_2871no2.JPG
芭蕉稲荷神社は、大正6年の津波来襲の後、芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見されたことで故飯田源太郎氏等地元の人々の尽力により創建されたとのことです。

IMG_2888no2.JPG
芭蕉記念館。
芭蕉は、延宝8年(1680年)それまでの宗匠生活を捨てて江戸日本橋から深川の草庵に移り住み、この庵を拠点に新しい俳諧活動を展開。多くの名句や『おくのほそ道』などの紀行文を残したということです。この草庵は、門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったところから「芭蕉庵」と呼ばれたようです。

IMG_2906no2.JPG
隅田テラスは隅田川両岸に沿って整備され、両国橋から蔵前橋の間に約800mにわたって、浮世絵や花火など、地域にちなんだタペストリーが並ぶ「隅田川テラスギャラリー」や、各地域の地元住民がボランティアで花の世話をしている「花守さん花壇」「芭蕉の句碑」などがあり、散策、ジョギング、ランチなどが楽しめる憩いの場所となっています。
IMG_2923no2.JPG

IMG_2949no2.JPG
有馬小学校は中央区日本橋蛎殻町(かきがらちょう)にある公立小学校。校名は旧久留米藩主有馬頼咸の寄付を受けて創立されたことからついているとのことです。

IMG_2953no2.JPG
水天宮は1818年(文政元年)、久留米藩主の有馬頼徳(1797 - 1844)が、三田赤羽の藩邸内に久留米水天宮を勧請したのが始まり。1872年(明治5年)に、現在の日本橋蠣殻町に移ったのです。安産、水難除けの神様として知られます。有馬家との縁は続いており、2016年現在の宮司有馬頼央は、有馬家の第17代当主とのことです

IMG_2974no2.JPG
蛎殻銀座跡(かきがらぎんざあと)
昔、銀座は江戸時代の銀貨の製造工場である銀座会所と、通用銀貨の検査や銀地金の購入などを扱う銀座役所を総称した組織で、その経営は幕府の直営ではなく、御用達町人に委託していたようです。
江戸の銀座は1612年(慶長17年)に今の銀座二丁目の場所に置かれました。その後1800年に改めてこの人形町に幕府直営の度合いを強めた銀座が再発足したのですが当時この付近は蛎殻町だったため、この銀座は「蛎殻銀座」と呼ばれ、1869年(明治2年)に新政府の造幣局が設置されるまでの六十九年間存続したとのことです。

IMG_2976no2.JPG
からくり檜 町火消し。
江戸時代の町火消し「いろは47組」のなかで人形町界隈を担当したのは「は組」でした。当時の衣装などを再現した人形が「梯子(はしご)乗り」や「纏(まとい)上げ」を披露します。流れる唄はとび職人が祭りなどで唄う「木遣り(きやり)」です。起動時間は午前11時から午後7時までの正時の約2分間。ということは1日9回動くのです。もうひとつ、通りを挟んでからくり櫓(江戸落語)もありました。

IMG_3030no2.JPG
椙森神社(すぎのもりじんじゃ)は一千年の昔、田原藤太秀郷、将門(まさかど)の乱を鎮定の為、戦勝を祈願することがはじまりとのことです。 

IMG_3045no2.JPG
伊勢重は明治2年に日本橋の小伝馬町ですき焼き屋を始めて140年以上のお店。本日のすき焼きは本当の関東風で最近では味わえないほどの濃い醤油味でびっくりでした。

高野山真言宗の大安楽寺は、小伝馬町牢屋敷跡だったこの場所に誰も住み着かなかったことから、大倉喜八郎と安田善次郎が土地を寄進して、両氏の名(「大」と「安」)より大安楽寺と号して明治15年に創建したとのことです。高野山より弘法大師の像を遷座したことに因み新高野山と号したともいわれています。ということから高野山の準別格本山で、江戸三十三観音霊場の5番札所です。

IMG_3051no2.JPG
吉田松陰は幕末の1859年(安政6年)安政の大獄で処刑され十思公園(じっしこうえん)には石碑と辞世の句碑があります。

IMG_3068no2.JPG
薬種問屋の長崎屋にオランダ人が滞在している間、オランダを通じてもたらされる西欧の技術や知識を知るため、多くの蘭学者や医師などが長崎屋につめかけたといわれているのがこの場所です。

半亭・与謝蕪村居住地跡は案内板のみがありました。
江戸時代の俳諧師といえば松尾芭蕉・与謝蕪村・小林一茶。与謝蕪村は夜半亭宋阿に師事し高名になっていったのです。「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」は有名です。

IMG_3092no2.JPG
福徳神社の「福徳」とはとてもめでたい言葉で別名を「芽吹稲荷」といってこれもまた縁起の良い名称です。この神社の歴史は1000年を超えるそうですが、じつは何度も危機的な状況を乗り越えた苦難の歴史をたどる神社とのことでした。

IMG_3094no2.JPG
薬 祖 神 社。
わが国で医薬の祖神と言われているのは、大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神。 大己貴命は須佐之男神(すさのおのみこと)の子孫で、大国主命と同じ神様で神話や童謡でも親しまれ、特に「因幡の白兎」の神話は有名。 少彦名命は神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子で蛾(が)の皮の着物に豆の実のさやの舟に乗っていたという大変小さな神であったようです。日本橋本町の薬業界では、昔からこの二柱を祭神とする水戸の大洗磯前(いそさき)神社、酒列磯前(さかつらいそさき)神社や東京上野の五條天神社に参詣して崇敬の念を表 してきました。さらに2016年(平成28年)に福徳の森に第三代目の薬祖神社が遷座したのです。

COREDO室町3の地下1階通路には『熈代勝覧』(きだいしょうらん)が展示されています。
IMG_3110no2.JPG
これは、文化2年(1805年)の江戸日本橋を描いた絵巻。作者は不明。縦43.7cm、横1232.2cmの長大な絵巻で、日本橋通に連なる問屋街とそれを行き交う人物が克明に描かれる。当時の風景として珍しいのは「水売り」が描かれています。1999年にドイツで発見され、化政期の江戸の文化を知る上で貴重な史料として注目されたのです。

IMG_3125no2.JPG
日本銀行休館設計者は、建築学界の第一人者であった辰野金吾博士(帝国大学工科大学<現東京大学工学部>教授)。明治29年に完成した西洋式建築物で、国の重要文化財にも指定されています。上から見ると「円」の形とのことです。

IMG_3129no2.JPG
貨幣博物館。
古貨幣の収集・研究家、田中啓文(1884~1956年)から日本銀行に寄贈されたコレクションを中核として開館したとのことです。常設展示では、日本のお金の歴史について、何が「お金」として選ばれ、どのように使われてきたかを、古代の和同開珎、江戸時代の大判や小判、最初の日本銀行券などの資料約3000点を通じて紹介するほか、トピック展示では、昔のお金の材料やつくり方、暮らしの中でどのようにお金が使われてきたかを詳しく学ぶことができます。大判や千両箱の重さ体験もできるのも面白いです。

IMG_3138no2.JPG
常盤橋門址・渋沢栄一像。
常盤橋公園は、江戸城の城門の一つ常盤橋門があった所。昭和8年(1933)に財団法人渋沢青淵翁記念会(現在の渋沢栄一記念財団)によって復旧整備が行われ、旧東京市の公園(現在は千代田区立公園)となりました。残された城門の石垣は国の史跡に指定されています。
この公園の中で、ひときわ目をひくのが渋沢栄一の銅像です。日本資本主義の父にふさわしく、日本銀行を背に、大手町のビジネス街を見守るように堂々と立っています。

IMG_3150no2.JPG
北町奉行所跡。
江戸の町奉行は、江戸市中の行政・司法・警察など、幅広い分野を担当していました。南北2 か所に設置され、それぞれ何度か移転しています。
北町奉行所は1806年(文化3年)から幕末まで、呉服橋御門内にありました。現在の呉服橋交差点の南西、東京駅日本橋口周辺に当たります。発掘された敷地北東部の溝から角を削り面取りした石が出土し、屋敷の鬼門・艮(北東)の方角を護る呪術的な意味があるといわれています。

IMG_3182no2.JPG
東京駅。

和田倉噴水公園は、昭和36年に上皇陛下の御結婚を記念して創建された大噴水を、平成5年6月の今上天皇の御結婚を機に、「継続と新たな発展」をテーマに再整備し、平成7年6月に完成したものです。整備にあたっては、和田倉地区が水と緑で構成された表情豊かで風格のある空間として、末永く国民の皆さんに親しんでいただけるよう配慮されました。具体的にはこれまでの大噴水の原型を活かしつつ装いを一新した噴水に、躍動感あふれる落水施設(滝)や静かに流れる流水施設(せせらぎ)を新たに加えるとともに、周囲の豊かな緑にも十分配慮し、「継続と新たな発展」を象徴する変化に富んだ水と緑の風景として創出されました。

本日は晴天のもと15℃と気候も良く、願った通りのウォーキング日和。参加者も11名と少なく全く和気あいあいでした。最後の解散場所が日比谷交差点でしたのでそれが少々引き延ばされた解散だった印象が強く、ちょっと残念。でもまあ、元気で22000歩を完歩できたので満足でした。
皆さんまたお会いしましょう。
posted by yunofumi at 22:54| あちこちウォーク

2022年03月05日

2022,2,27 さいたま彩発見ぶらり街あるき 八潮市

八潮市は埼玉県の東南端にあり、関東地方のほぼ中央に広がる中川低地にある所。面積は18.02㎢、東西が5.23km、南北が7.45km、地図を見ると花瓶の形をした地形とわかりました。標高は1〜4m、東を中川、西を綾瀬川、南を垳川の三つの河川に囲まれ、古くから河川の恩恵と災いを受けてきた場所とのことでした。八潮市は1953年(昭和28年)に八條、潮止、八幡の三村が合併してできた市で結果的に三村の頭文字をとって「八潮」となったようです。
本日は喜多見先生、池谷TDのもとに17名が集いウォーキングを開始しました。

つくばエキスプレス八潮駅⇒妙法寺⇒真菰田児童公園⇒大原(だいげん)中学校⇒大原橋⇒福寿院⇒大曾根八幡神社⇒新境橋⇒東京葛西用水⇒中馬場橋⇒八潮図書館⇒観音寺橋⇒観音寺⇒番場新橋⇒八潮中央公園⇒足立成和信用金庫⇒和食麺処サガミ八潮店⇒八潮駅

IMG_2740no2.JPG
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスは秋葉原〜つくば間 58.3kmを最高運転速度130km/h最速45分で結ぶため、高速走行安定性、急曲線・急勾配通過性能を重視した設計で沿線における振動・騒音の軽減など環境面にも配慮している列車で、2005年(平成17年)に開業したとのことです。
八潮駅は市内では唯一の鉄道の駅。1日平均乗車人員は2万人弱。駅周辺は土地区画整理事業が行われておりどんどん変わりつつあるようです。

大曾根八幡神社
IMG_2763no2.JPG

IMG_2766no2.JPG

IMG_2769no2.JPG
この神社は、1502年(文亀2年)に勧請されたとのことですが、その前には源義光が兄源義家援軍のため、1087年(寛治元年)に花俣郷から綾瀬川を渡河し大曽根の地を経て東国に赴いた頃より、八幡神を奉斎されたとも伝えられているようです。また社殿は大曽根一帯の総鎮守で彫刻が見事な神社として有名だそうです。彫刻は、常州北方・後藤一重の作とのことでした。

東京葛西用水
IMG_2782no2.JPG
江戸時代の初め、江戸幕府が天領開発に一環として関東郡代の伊奈忠克に開発させた灌漑用水路。利根川から引いた水で埼玉県東部を潤す農業用水として新田開発が行われるたびに延長や取水口の遷移が行われ、現在は市内部分だけでも4kmはありそうです。

八潮市の取り組みとして「八潮ブランド」が認定されています。これは八潮市の資産としてまちの価値や八潮産の製品の知名度を上げ地域活性化に取り組んでいるとのことでした。
令和2年度の認定品は「けやき通りサブレ」と「yamatoのキャリングトートバック」とのこでした。

土地のお祭りとしては八潮オビジャ・蛇ねじりがあります。
埼玉県内の無形民俗文化財とされており、弓矢で元を射ることでその年の吉凶や農作物の豊凶を占いようです。鶴ヶ曽根下久伊豆神社で行われるようです。

IMG_2802no2.JPG
真言宗豊山派寺院の観音寺は、正保山と号します。観音寺は、1534年(天文3年)不動坊として開創、長清律師が1621年(元和7年)に開山したといいます。西新井組中川通四箇領八十八箇所76番です。
IMG_2803no2.JPG
阿弥陀如来立像I・II軀は、観音寺本尊の脇侍として安置されてきた仏像。二十七菩薩の聖衆来迎図厨子安置の阿弥陀如来立像(I軀)は、一木造りの藤原様式を通す鎌倉初期の作、他の阿弥陀如来立像(II軀)は、寄木造りの金切り金様式を遺す鎌倉中期の作で、八潮地方における鎌倉期の阿弥陀如来像は少なくとても貴重なのです。

IMG_2821no2.JPG
八潮中央公園は、八潮市のほぼど真ん中にあり、八潮市役所の南西側に隣接している公園。園内には、浴衣のオブジェや野外ステージなどの設備や木々の緑が多く、平日の昼間や夕方にはのんびりと休憩される方、休みの日には親子連れやグループで楽しまれる方も多く、市民憩いの場として親しまれているようです。また、春には市内でも有数の桜の名所として知られ、満開のソメイヨシノは見事だそうです。

和食麺処サガミ八潮店
IMG_2827no2.JPG

IMG_2828no2.JPG

IMG_2830no2.JPG
和食のランチとしては量が多く、後でお蕎麦も出ましたので満腹。
美味しくいただきました。

そうそう埼玉の本日の逸品として埼玉の逸品 菓子道楽杵屋の「やしおつつじ」をいただきました。地元特産の小松菜入り白餡が、白玉粉を使ったモチモチの求肥で包まれていました。これは美味しかったです。

本日は晴天で16℃とウォーキング日和。しかし自分が先週の新型コロナワクチン3回目接種後かなりそれも3日間発熱したので大事をとって昼食をいただいた後皆さんとお別れし帰路につきました。ということで結局は12000歩で終了しました。
実際のその後の予定は、「恩田家屋敷林ふるさとの森・潮止揚水機場記念ひろば・鶴ケ曽根下久伊豆神社・鶴ケ曽根上久伊豆神社・太田家住宅・大経寺・八条橋・和井田家住宅・清勝院・八潮団地」とありました。これらすべてが参加できませんでした。誠に残念でまた機会があれば参加したいと思いました。特に大経寺と清勝院はぜひ後日行きたいと思っています。
posted by yunofumi at 16:48| あちこちウォーク

2022年01月31日

2022.1.23 さいたま彩発見ぶらり街あるき 三郷市

三郷市は、埼玉県の東南端にあり、都心から約15km、秋葉原まで20分で行けるそうです。市内は東西5.6km、南北9.5km、地形はほとんどまっ平。もともとは関東平野の江戸川と中川に沿った沖積平野とのこと。三郷市になって早や50年で市内にはラッピングしたバスが走っていました。今日はお正月が終わりましたが三郷七福神めぐりも兼ねたウォーキングとなります。

JR武蔵野線新三郷駅⇒新三郷ララシティ⇒みさと団地⇒三郷工業技術高校⇒二郷半領用水路⇒自然派レストラン蕎麦旬⇒玉蔵院(弁財天)⇒蜜蔵院⇒三郷市立彦成小学校記念講堂⇒延命院(寿老人)⇒東光院(毘沙門天)⇒香取神社⇒善照院(布帯尊)⇒上口公園⇒番匠免神社⇒迎摂院(弁財天)⇒三郷市消防団第五分団第3班⇒御菓司匠観音どら焼き饅頭屋⇒円能寺(福禄寿)⇒花和田児童公園⇒西善寺(大黒天)⇒成就院(恵比寿)⇒JR武蔵野線三郷駅

IMG_2531NO2.JPG
JR武蔵野線新三郷駅は1985年に旧国鉄の駅として開業。その頃は武蔵野操車場を挟む形で、上下線のホームが360mも離れて設置されており、ギネス世界記録に「世界一ホームが離れている駅」として掲載されたこともあったそうです。この武蔵野操車場1986年に廃止され今は上下ホームも統合され普通の駅となっていました。そして武蔵野操車場跡は新三郷ららシティとなり、「ららぽーと新三郷」、「 IKEA新三郷」、「コストコ」などの大型商業施設が堂々とありました。いずれも特徴のある施設ですから休日などは遠くから買い物客が集まるようです。

IMG_2543NO2.JPG
みさと団地はもと日本住宅公団(現・UR都市機構)により建設され、1973年(昭和48年)4月より第一次入居開始、続いて1974年(昭和49年)12月に第二次入居開始。総住宅戸数は9,867戸で、ピーク時には2万3千人の人口を擁する国内有数のマンモス団地となったのです。初めから低層と高層の2ブロックで構成されているとのことです。

IMG_2554NO2.JPG
二郷半領用水路(にごうはんりょうようすいろ)は、吉川市、三郷市、北葛飾郡松伏町東部地域の灌漑の為に整備された用水路。元々、水路の歴史は古く、寛永年間に開削された用水路で、現在の東京都葛飾区地内の葛西領が利根川に水源を求め水路を整備した際に、松伏溜井から15km下流の小合溜井まで送水するために整備された水路だそうです。この地域は早場米の産地でもあったのですが、元々中川低地に位置しているため、たびたび水害にも悩まされていたこともあり、戦前・戦後を通じて幾多の灌漑排水事業を行い良質な穀倉地帯となったのです。
現在、松伏町大字松伏の二郷半領揚水機場にて大落古利根川の松伏溜井から、また水量補給の為、三郷市彦川戸の二郷半領中川揚水機場にて中川より取水を行っているとのことでした。

IMG_2558NO2.JPG
自然派レストラン蕎麦旬は和食と本格手打ち蕎麦のお店でした。こだわりの食材を使った本格派の蕎麦をメインにした会席膳が味わえる一軒家のレストラン。まずは吟味した石臼引きのそば粉を店内で製麺し、打ち立て.茹でたての十割蕎麦をいただきました。またそばつゆは昆布 かつお さば他でだしを取り、県内.老舗の醬油で作ったかえしを使ったものとのことでした。お膳の作り方は京風でちょっとおしゃれでした。ということでまた来たいお店になりました。
IMG_2561NO2.JPG

玉蔵院(ぎょくぞういん)(弁財天)
IMG_2582NO2.JPG
玉蔵院は、山号を北野山玉蔵院と称し、真言宗豊山派に属します。江戸高田(現在の東京都湯島)の根生院の隠居寺として、1606年(慶長11年)建立されたといわれ、開祖は祐堅和尚とのこと。本尊の阿弥陀如来は、平安末期の作で一木造の仏像。弁財天も含め本堂も閉じられており、境内を見るだけでした。

三郷市立彦成小学校記念講堂
IMG_2595NO2.JPG
この小学校は明治6年に開校。記念講堂は 1926年(大正15年)に建てられ現在郷土資料館分館でとなっていました。
講堂は2016年に大正時代の貴重な木造建築物ということで復元されたのです。 郷土資料館では、農具や農家の暮らしに関わる資料など、地域の歴史について展示しているようです。本日は内部を見られませんでしたが特徴としては天井に蝶(ちょう)・菖蒲(しょうぶ)・鳳凰(ほうおう)の透(す)かし彫(ぼ)りが二か所あること。「折上(おりあ)げ」という手法で壁と天井の境目はカーブを描く造りになっていること、外から見ると 両開きの鎧戸風(よろいどふう)の装飾窓が見えました。そして玄関ポーチを支える二本の柱は建物の外観の中でも特に装飾的で、柱は四本の角柱が半円形の柱を挟むような形に組まれており、半円形の柱材には西洋建築に見られる筋彫(すじぼ)りという装飾がほどこされているようでした。

延命院(えんめいいん)(寿老人)
IMG_2602NO2.JPG
延命院は、明星山如意寺延命院と号し、真言宗豊山派の寺で、1570年頃(元亀年間)に俊秀和尚が開山したということです。本尊は不動明王。境内にある虚空蔵堂(こくぞうどう)は、虚空蔵菩薩が1486年(文明18年)に古刀禰川(現在の中川)に出現したので、村民がお堂を造ってこれを安置したのが始まりとのことです。
境内には様々な大きさの力石がありました。
IMG_2606NO2.JPG
また本堂にあった寿老人がご住職の好意で拝顔できました。
IMG_2609NO2.JPG

東光院(とうこういん)(毘沙門天)
IMG_2628NO2.JPG
真言宗豊山派寺院の東光院は、荒神山薬師寺と号します。東光院の創建年代は不詳。上口香取神社の別当を勤めていたといいます。境内に三郷七福神(彦成めぐり)の毘沙門天がありました。
2627

善照院(ぜんしょういん)(布帯尊)
IMG_2631NO2.JPG
真言宗豊山派寺院の善照寺は、神霊山と号します。善照寺は、1558年ころ(永禄年間)の創建。
境内の布袋尊と埼玉県のHPにあったコバトン布袋尊を並べて記念撮影です。
IMG_2634NO2.JPG

番匠免神社
IMG_2641NO2.JPG
番匠免神明神社は、延元元年(1336)の春に創建。明治6年村社に列格、明治40年には村内の稲荷社を合祀したようです。
この神社は、中川左岸の自然堤防上に広がる農業地域である番匠免にありました。番匠とは大工の古称で、地名の由来については、このあたりが番匠の免田(税を免除された田)であったことによるという説と、古くは「番匠面」とも書いたようで、当地に優れた面を作る番匠がいたことによるとする説があるとうかがいました。

迎摂院(こうしょういん)(弁財天)
IMG_2645NO2.JPG
迎攝院は、真言宗豊山派に属し、山号を彦峯山観音寺。ご本尊は不動明王。1596年ころ(慶長年間)に祐貞によって中興され、このとき現在の真言宗豊山派に改宗したということです。この寺の観音堂は室町時代の創設と推定され、三郷市最古の建造物といわれているようですが本日は固く扉が閉まっていました。

IMG_2654NO2.JPG
御菓司匠饅頭屋は大正2年創業の三郷市の篠田製菓饅頭屋とのこと。目玉商品は「観音どら焼き」「三郷インター最中」とのことでした。
「三郷インター最中」は本日の逸品でいただき、「観音どら焼き」は我が家のお土産にしました。
IMG_2687NO2.JPG

円能寺(えんのうじ)(福禄寿)
IMG_2659NO2.JPG
円能寺は、真言宗豊山派に属するお寺で、悲願山正連院円能寺と称している。本尊は不動明王。
当院は、武田信玄の家臣の田中修理という人が、1582年(天正10年)の武田氏の滅亡後まもなくこの地に来たときに、携帯してきた不動明王立像を本尊として建立したと伝えられている。
IMG_2662NO2.JPG
境内には、かつて松の大木があって、明治維新のときの上野の戦いに破れた兵士が追われてきたとき、この松の木に登って身を隠したことにより、助かったという言い伝えがある。それからこの松を「忍者の松」とか「人助けの松」と称して、信仰の対象になっていたということでした。

西善寺(さいぜんいん)(大黒天)
IMG_2675NO2.JPG
西善院のご本尊は阿弥陀如来立像。像高90p、かや材寄木造、制作年代は鎌倉時代とのこと。この地区花和田周辺に人が住み始めたのは室町時代、西善院が建てられたのが1600年頃(江戸時代慶長年間)、現在まで西善院の代々の人々によって受け継がれてきました。

成就院(じょうじゅういん)(恵比寿)
IMG_2683NO2.JPG
成就院は、神谷山谷口不動尊成就院と号し、真言宗醍醐派の寺で、本尊は不動明王。
寺伝によると、この不動明王は、最初は下総国小金領大谷口城主(現在の千葉県松戸市)が本尊として供養していたもので、天正十八年(一五九〇)に落城した時、家臣の神谷安右衛門が密かに持ち出した。その後、この神谷氏から分家に出た者が当地に移住し本尊としてこの不動明王を供養していたと伝えられる。ある時、不動明王が主人の神谷安兵衛(安右衛門の子孫)の夢まくらに立ち、「村人の願いごとは何でも聞き届けるから、人々にこれを伝えなさい。」と教えた。そこで安兵衛は僧となり、明治初年に一堂を建立し、成田山新勝寺において不動明王の開眼供養をして当堂に安置した。
以来、厄除け、災難除けなど何でも願いごとを聞き届けてくれる霊験あらたかなありがたい不動様であると伝えられ、今日もなお近郷近在の老若男女の信仰の的になっている。

三郷市にはJR武蔵野線の駅として今朝到着した新三郷駅と今到着した三郷駅、それにつくばエキスプレスの三郷中央駅があります。この三郷駅は1973年(昭和48年)国鉄の駅として開業。開業当初に自動改集札機が試験設置された駅でもあります。1992年(平成4年)にはみどりの窓口も開始されましたからそれなりに混雑していたようです。しかしいまは新三郷駅や三郷中央駅が繁盛しており少し地味になってきているようです。
本日は七福神をめぐるウォーキングのはずでしたがお正月が終わっており各々の神様がほとんど見られませんでした。ということでここで整理しておきます。
まず七福神とは室町時代末期から生まれた福の神信仰なのです。埼玉県で有名なのは草加宿・武州与野・越渡川越が有名です。私はこの3つはすでに巡っておりますまた今回の三郷は3つの地区に七福人めぐりがあるそうで、今日は彦成地区七福神めぐりでした。
七福神は恵比寿(えびす)、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)です。以下にざっと概略を示します。
恵比寿(えびす)=日本の神様、漁業の神様、烏帽子帽をかぶり釣竿と鯛を持っています。
大黒天(だいこくてん)=元々はインドのヒンズー教の神様仏法の守護神、打ち出の小槌と大きな袋を持ち米俵の上に載っている、食物・財福の神様。
毘沙門天(びしゃもんてん)=元々インドのヒンズー教の神様、仏教では多聞天という神様、武神・守護神で甲冑を身に着け矛と宝塔を持ち邪鬼を踏んでいる。インドでは財宝の神様。
弁財天(べんざいてん)=女性の神様、琵琶を奏で音楽、弁才、財福をつかさどる神様。
布袋尊(ほていそん)=中国の実在した人物、大きな袋を持って諸国を放浪した方、平和和合、金運招福の神様。
福禄寿(ふくろくじゅ)=中国の同郷の神様の化身、道教の三徳(幸福・封禄・長寿)を具現化した神様、長い頭と長い白髭、杖を突き鶴屋亀を連れている。
寿老人(じゅろうじん)=中国の神様の化身、白髭のおじいさん、長寿のシンボルの桃や鹿を伴っている仙人で長寿、諸病平癒の福の神。
もうひとつ三郷には彦のつく地名が多いと伺いました。「彦」は男の子の名前につくことはよく知っていました。そして三郷には11の彦のつく地名があったのです。ちなみに上彦川戸・上彦名・下彦川戸・彦糸・彦江・彦音・彦川戸・彦倉・彦沢・彦成・彦野です。そしてこれらの地名がある所の立地をみると中川沿いに集中しており、沢や川、江など水に関する字も多いのです。そして調べてみると「彦ってのは古代の方言でヒクのこと。ヒクとは川沿いに堆積した土砂で出来た自然堤防のこと。肥沃な土に人が集まって出来た集落に、彦の字つかったとネットも駆使してわかりました。面白いですね。

ということで本日のウォーキングを終了。喜多見先生の先導で小松TDが後ろを固め、曇天で寒かったですが本日も18名が無事に元気に約19000歩の歩程を無事を終えました。
皆様、来月の次回は三郷市のお隣の八潮市です。またお会いしましょう。
posted by yunofumi at 14:50| あちこちウォーク

2022年01月04日

2022.1.4 新年おめでとう

皆様 新年おめでとうございます。
北海道、北陸は大雪のお正月の中、皆様いかがお過ごしでしたか。
関東地方は申し訳ないほどの青空が広がり、ふじみ野市からは真っ白な富士山が見えてすっかりありがたい気分で過ごしたお正月でした。
元旦は家族で食事後、地元の八雲神社に初詣をしました。ここ数日、コロナのオミクロン株が拡大気味なので今年は地元のみのお詣りとしました。
IMG_2518no2.JPG
元旦はまったく子供も大きくなりますと大人、特に老人は手持無沙汰ですね。
テレビも新聞もつまんない。ということで本日は娘に教わりネットフリックスでタケシさんの「浅草キット」を見ました。なかなか深い映画でした。
ということで今年も大いに楽しく、遊びも仕事も頑張ります。皆様もよろしくお付き合いください。
posted by yunofumi at 12:12| ドタバタ日記

2021年12月31日

2021.12.31 1年の振り返り

皆様 お疲れ様です。もうすぐ2021年が終わります。
今年もコロナ禍の中、本当に色々ありましたね。
私の職場、埼玉県病院薬剤師会事務局もかなり1年間バタバタとすぎさりました。
前年にも増してpc駆使の仕事が多く、こちらは頭をフル回転状態でした。
40回以上行えた研修会は集合することなく、ZOOMとPeatixを利用しました。皆が集合して顔を見ながらではないのでどうしても真実味というか、まあ物足りない感じになったことは否めません。実際、回を重ねると参加者は減少気味でした。でも良い点は時間と経費節約で手軽に参加できたのではとも思うのですが、、、。
また会議はほとんど集合することなくリモートでしたから時間や手間の節約が明らかで能率があがりました。

私的な過ごし方ではウォーキングツアー参加は15回ほど。読書は約30冊をほとんど図書館のお世話になり、大助かりでした。湊かなえさんや新田次郎さんのが結構お気に入りでした。
また映画はどっぷりという感じで18回も見たことを記録で確かめ流石にちょっと多かった,と少し反省。でもHOKUSAIやキネマの神様はちょっと考え込むこともありました。
そうそう筋肉トレのジム通いですがコロナ禍で思うように通えず半年以上休会し、10月後半からまた週2回ぺースでできるだけ通っています。というのも日々の歩数が仕事と自宅往復では足りない!のです。やはり8000歩はクリアしたいのです。やはり身体、特に足が大事!!ということで、コロナにもかからず、仕事も遊びも十分できたことを感謝です。

この年末年始もお休みはせいぜいウォーキングと筋トレを怠けずやりたいと心がけるつもりです。
皆様も良いお年をお迎えください。
posted by yunofumi at 21:06| ドタバタ日記