2017年05月24日

2017.5.16 銀座線ウォーク第2回 後半

赤坂見附〜京橋

シオドメcaretta/sorasio⇒新橋停車場跡・江戸時代仙台藩上屋敷跡⇒旧新橋停車場・鉄道歴史展示館⇒昭和通り・銀座8丁目⇒御門通り・芝口御門跡⇒博品館劇場⇒金春通り・煉瓦遺構の碑・ノーブルバール⇒銀座すし久兵衛⇒豊岩稲荷神社⇒交詢社⇒並木通り・石川啄木碑⇒天一⇒空やもなか⇒みゆき通り⇒壱番館⇒泰明小学校・島崎藤村碑⇒菊田一夫碑・数寄屋橋公園⇒TOKYO PLAZA・ギンマチダイニング⇒銀座4丁目交差点・旧尾張町⇒安藤七宝店・悠久の翔⇒服部時計店⇒三愛・銀座の恋の招き猫⇒鳩居堂⇒木村屋⇒山野楽器⇒教文館⇒社交場白いバラ⇒銀座マロニエ通り⇒カルティエ⇒東京銀座通電気燈建設の図碑⇒銀座発祥の地碑⇒ヨネイビル・銀座2丁目⇒奥野ビル⇒銀座湯⇒白木屋伝兵衛商店・江戸箒⇒警察博物館⇒旧京橋親柱(1代目)・煉瓦とガス燈の碑・京橋親柱(2代目)⇒江戸歌舞伎発祥之地碑⇒明治屋ビル・京橋駅

日テレ前の広場の所に新橋停車場跡には当時の線路を思わせる工夫と江戸時代仙台藩上屋敷跡の説明がありました。
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こちらは数回伺ったことのあるお馴染みの旧新橋停車場・鉄道歴史展示館。
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御門通り・芝口御門跡。
この芝口御門は新井白石の建議により朝鮮使の入府に備え国威の顕示から芝口御門が建設されたとのことです。しかし、建設後15年で焼失し、その後は再建されることなく、そのままとなっているのです。
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金春(こんぱる)通りは長さおよそ130mほどの裏通り。江戸情緒を残す「銀座の最後の砦」と言われている由緒ある通りです。
この場所には江戸時代に能楽の金春流のお屋敷があったとのことです。江戸時代、幕府直属の能役者として土地や俸禄を与えられていた家柄に、金春・観世・宝生・金剛の四家があり、最も歴史のある金春家は室町時代以来繁栄し、江戸時代初期から観世太夫とともに江戸で能を演じていた名家で、屋敷なき後も、この地にその名を留めているのです。

煉瓦遺構の碑
銀座は日本に二箇所しか建設されなかった貴重な煉瓦街の一つ。もう一つは丸の内の煉瓦街。設計者はトーマス・ジェイムス・ウォートルス(英国人)。この煉瓦は銀座8丁目8番地(旧金春屋敷地内)で発掘されたものでゆかりの金春通りに記念碑として保存される事になったようです。下方の絵は、明治初期のガス灯や張り板、提灯など当時の金春通り煉瓦街を偲ばせる古い写真を元に銅板に彫金したものとのことです。またこの傍のお店ノーブルバール前には昔の水道の木樋が今も置かれていました。
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交詢社は1880年(明治13年)に福澤諭吉が提唱し、結成された日本最初の実業家社交クラブ。名称は「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」に由来するとのこと。慶應義塾出身者が中心で、少しは一般の加入者もあったようです。大正元年に財団法人化され名称が財団法人交詢社に。近年法人制度改革により一般財団法人に改組したようです。
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銀座6丁目、並木通りに石川啄木碑がありました。啄木は亡くなる前の3年間、この場所にあった朝日新聞に勤務していたことに因んでこの歌碑が立っているようです。歌碑には「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」とありました。

泰明小学校は明治11年創立赤煉瓦の校舎だったとのこと。現在の建物は関東大震災後建てられた鉄筋コンクリート製。島崎藤村、北村透谷、近藤文麿、和泉雅子、朝丘雪路など卒業生には有名人が多い。
TOKYO PLAZA・ギンマチダイニングから見た泰明小学校。
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敷地の一角に島崎藤村碑がありました。

かつて数寄屋橋があったところが数寄屋橋公園になっています。
数寄屋橋は1629年(寛永6年)、江戸時代初期に江戸城の外濠に初めて架けられ、1929年(昭和4年には、石橋に架け替えられたとのこと。 1952年(昭和27年)、大ヒットのラジオドラマ「君の名は」では切ない待ち合わせの場所として何度も登場し、全国に知られたのです。 1958年(昭和33年)、高速道路の建設に伴い、川は埋め立てられ、橋は撤去され、公園になったのです。
岡本太郎作の「若い時計台」、「君の名は」の作者、菊田一夫の碑が見られました。

TOKYO PLAZA・ギンマチダイニング。
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現在の銀座を見るにはちょうどよい場所です。

銀座4丁目交差点、旧尾張町の安藤七宝店外壁にある七宝焼きからくりモニュメントの悠久の翔。1日に4回動くようです。はじめて気づきました。
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服部時計店は、1881年12月に服部金太郎が創業した輸入時計・宝飾品の販売店。現在は株式会社和光の本店で銀座4丁目交差点に永く銀座のシンボルとして親しまれています。

銀座の恋の招き猫。
三愛の建物の左右の境界に、彫刻の猫がいます。
オス猫「ごろべえ」、メス猫「のんき」が鎮座し、男性はメス猫を、女性はオス猫を、願いを込めて撫でると願いが叶うという「恋の招き猫」だそうです。生みの親は、彫刻家の流政之、ボディはノルウェイ産の御影石。三愛ドリーセンター誕生(1963年)とともに、この場所にいるとのことです。
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この辺りは銀座に来ると必ず通っていたのに気づきませんでした。
この辺りは、鳩居堂、木村屋、山野楽器、教文館、など有名店が目白押しです」。

東京銀座通電気燈建設之図碑。
カルティエ銀座2丁目店の壁面にこのプレートがありました。
1882年(明治15年)に初めてアーク灯が灯され、銀座に不夜城が現出した様子を描いた錦絵を彫刻したものとのことです。
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銀座発祥の地碑
銀座通り(中央通り)に面したティファニー銀座ビル前の歩道にあります。ここには 江戸時代に銀座があったのです。1955年(昭和30年)建立。 「 慶長十七年(1612)徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す 当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ明治二年遂に銀座を町名とする事に公示さる」と書かれています。江戸時代の銀座とは貨幣の鋳造所のことで、1601年(慶長6年)に伏見に創設されたのが始まり。 その後この地の銀座に統合。 この銀座役所では貨幣鋳造と銀地金の売買が行われ、役所は1800年(寛政12年)に蛎殻町に移転し、銀座が地名として残ったとのことです。
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ヨネイビル。
1897年(明治30年)匿名組合磯野商会設立(創始者:磯野計、共同事業者:米井源治郎)以来明治護謨製造所、明治屋設立、磯野商会、米井商店と次々に改称しながら社屋は現在のヨネイビルになったようです。1〜2階は昔のまま、上を近代的なビルになっていました。

奥野ビル。
かつて旧銀座アパートメントと呼ばれ、銀座界隈でも屈指の高級アパートだったビルです。今はレトロな雰囲気で注目される存在です。1932年の建設当時は、民間の建物では日本で初めてエレベーターを備えたビルでこの手動式のエレベーターは今も稼働していました。今は画廊やギャラリーなどが入っている様子でした。
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銀座湯
銀座1丁目にあるビル型の銭湯。今も営業とのこと。入口には番台、湯船は2種類、浴場には打ち上げ花火と夜景のモザイクタイル絵(女湯)だとのこと。東京駅に近いですから街歩き後、入ってみたいものです。
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白木屋伝兵衛商店・江戸箒
奈良の正倉院に、孝謙天皇が蚕部屋を掃き、豊作を祈るために使った箒がおさめられているとのこと。箒はもともと呪術的 な意味で、神事の道具でもあったようです。植物を 束ねるという箒は今も昔も変わらない掃除道具です。箒の材料は、シュロや竹、ワラ、ホウキギ、ハハキギなど。「江戸箒」はホウキモロコシが材料とのことでした。ホウキモロコシはイネ科の一年草で、草丈は約2mにもなるようです。
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警察博物館。
以前の街歩きの時は工事中でしたが、今年の4月にリニューアルオープンしたとのこと。体験型展示や昔の大事件の解説があるようです。一度伺おうと思いました。

京橋は江戸時代の木造の橋から石造単アーチ橋へと架け替えられたとのこと。1875年(大正8年)の京橋の親柱がこれのようです。
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右側は1922年(大正11年)に設置された照明設備つきの親柱1基。
京橋川は昭和34年に埋め立てられ、同時に京橋も撤去されたようです。 1872年(明治5年)の大火の後、街の不燃化が計画されて銀座煉瓦街が建設され、以後この煉瓦街と街路樹の柳は銀座の柳として名物になったのです。その後煉瓦が発掘されたのを契機に昭和三十一年(1956)当時のままの「フランス積み」という方式で再現し、そこに煉瓦の碑が建てられた。これが上の写真の左側に見える碑です。

江戸歌舞伎発祥之地碑。 
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歌舞伎は1603年(慶長8年)に出雲阿国が京都で"歌舞伎踊り"をしたのが始まりとのこと。そして20年後の1624年(寛永元年)に 猿若勘三郎が江戸の京橋付近に猿若座(後の中村座)を開設したのが 戸歌舞伎の始まり。 その後“女歌舞伎”は風俗を乱すという理由で禁止となり, 歌舞伎は男役者のみで演ぜられる芝居となったのです。

こうして本日は気温23℃薄曇りのなかまっすぐの距離としては5kmくらいだったようですが何しろ見るところが多く、すぐ説明がありますので“歩き草臥れた”まではいかなかった感じでした。ということで午後の約3時間ウォーキングも無事に終了しました。感謝!!
posted by yunofumi at 03:19| あちこちウォーク

2017年05月21日

2017.5.16 銀座線ウォーク第2回 前半

赤坂見附〜京橋

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキング。
第1回の前回は渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附。
本日第2回は赤坂見附・溜池山王・虎の門・新橋・銀座・京橋の辺りをウォーキングです。

赤坂見附駅⇒東急プラザ⇒プレデンシャルタワー⇒赤坂茶寮⇒オカムラ⇒山王日枝神社⇒山王坂⇒そば処黒澤⇒衆議院議員会館⇒国会議事堂前駅⇒首相官邸⇒溜池山王駅⇒外堀通り・六本木通り⇒溜池発祥の碑⇒溜池交差点⇒特許庁前⇒霞ヶ関ビル・カスミダイニング⇒虎ノ門駅⇒工部大学校阯碑⇒国立教育会館⇒江戸城外堀跡・溜池櫓台⇒虎ノ門金刀比羅宮⇒外堀通り・桜田通り⇒虎の門石⇒杜の都太助⇒霞ヶ関診療所⇒りそな銀行4・西新橋1丁目交差点⇒虎の門高木ビル⇒西新橋1丁目都バス停⇒新橋駅北口バス停⇒新橋2丁目⇒赤レンガ通り・鉄道発祥の地の碑⇒美々卯⇒鳥割烹古今亭⇒魚の旨い店和楽⇒烏森神社⇒新橋駅烏森口⇒シオドメシティセンター⇒大江戸線汐留駅⇒シオドメcaretta/sorasio(昼食)

本日は東京シティガイドクラブの案内人が3人、参加者は30人弱。私はBグループ9人の一員で朏(みかづき)先生にお世話になりました。はじめてお目にかかった朏さんという苗字は愛知や滋賀県で見られお名前のようでした。
赤坂見附駅は港区赤坂三丁目にあり1938年(昭和13年)に開業した駅。銀座線と丸の内線が乗り入れており、有楽町線・半蔵門線・南北線が乗り入れる永田町駅(千代田区に立地)と改札内で連絡しています。

山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)は、永田町二丁目にある神社で江戸三大祭の一つ、山王祭が毎年6月15日に行われるとのこと。旧社格は准勅祭社といい東京十社にひとつ。大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀っているとのことでした。創建は不詳で、1478年(文明10年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのが始まりのようです。徳川家康が江戸に移封された時、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守としたとのことです。
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鳥居が特別な形でした。笠木の中央に棟束(むねづか)を建て、三角形の破風(はふ)が載っています。合掌鳥居、破風鳥居、山王鳥居などと呼ぶそうです。
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山王坂は永田町2丁目にある衆議院第一議員会館と第二議員会館の間を山王日枝神社前に下る坂。またこの坂の近くに明治時代の豪商鹿島清兵衛の屋敷があったので鹿島坂ともいうようです。

首相官邸の後ろをウォーキングしたので珍しい角度でみました。
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「溜池」は、かつてこの一帯にあったヒョウタンの形の池の名前。元々は湧水だったのを、堤を作り、水を溜めるようにしたためこの名になった。神田上水、玉川上水が整備されるまではこの溜池の水を上水として利用しつつ、江戸城外濠の一部としても利用していたようです。「山王」は、そばにある山王日枝神社に由来。交差点も山王下交差点でした。ということで溜池山王駅は1997年(平成9年)に開業したとのことでした。

駅のそばに「溜池発祥の碑」がありました。
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虎ノ門駅そばに江戸城外堀遺跡がありました。
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江戸城外堀跡・溜池櫓台も見られました。
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「工部大学校阯碑」が霞が関3丁目の霞が関コモンゲートにありました。ここは江戸時代虎門内延岡藩邸を中心とした場所で、東京大学工学部の発祥の地で日本の工学発祥の地ということのようです。1873年(明治6年)、 工業分野における日本人の人材育成のために工学校(工学寮内に設置)が開校、1788年(明治10年)には工学寮が工部大学校と改称。 工部大学校では, 土木・機械・造家などの学科が, イギリスから招聘された外国人教師によって教授されたのです。 この学校は1886年(明治19年)に帝国大学と合併して現在の東京大学工学部の前身、工科大学となったようです。
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虎ノ門金刀比羅宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内の象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の分霊を当時藩邸があったこの芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座したのがはじまりとのこと。その後、江戸市民の要請で、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可したのがはじまり。その頃は“金毘羅大権現”と称されたようです。金刀比羅宮の社号になったのは1889年(明治22年)とのことです。ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。社殿正面の銅鳥居は四神(天の四方の方角を司る霊獣)の霊獣が飾られた珍しいものです。
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「虎ノ門」は江戸城の南端(現在の虎ノ門交差点あたり)にあった門の名前。1874年(明治6年)に門が撤去されたようです。1938年(昭和13年)に地下鉄虎ノ門駅が開業したこともあるようですが虎ノ門の碑が2010年に門のあった場所に設置されたようです。
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この辺りは有名なお店が多いようです。
美々卯
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烏森神社のある辺りは昔、武蔵の国桜田村といい、江戸湾の砂浜と松林があったようです。その為、当時この地帯は「枯州の森」とか「空州の森」と言われていたとのこと。そしてこの松林に烏が多く集まって巣をかけていた為、「烏の森」とも呼ばれたのです。平安時代の940年(天慶3年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白羽の矢を与え、その矢を持ってすみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、神鳥の群がる所が霊地だと告げたのです。そこで桜田村の森まできたところ、夢想のごとく烏が群がっていたので、そこに社頭を造営し、それが、烏森稲荷の起こりとのことでした。
今、新橋駅にはなごりで烏森口があります。
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カレッタ汐留は、約60の飲食店、ショップ、「アド・ミュージアム東京」、「大同生命ミュージカルシアター 電通四季劇場[海]」といった文化施設を併設した複合商業施設。
46階スカイレストランsorasioは眼下に浜離宮をはじめ眺望がすばらしかったです。
もちろんちょっと贅沢なフレンチ、最後のデザート・珈琲にも大満足でした。
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今朝は10:00スタートより午前は1時間30分の歩程でした。
1日中ほぼ晴天に近い薄曇りで気温21℃はベストコンデイション。
昼食を大満足でいただき、午後の部は13:00スターとしました。
posted by yunofumi at 22:21| あちこちウォーク

2017年05月07日

2017.5.7 MBTノルディックウォーキングin代々木公園

ここの所、月1〜2回、代々木公園でノルディックウォーキングを一緒に楽しんでいるMBT仲間がいます。夫々が各自の都合に合わせて、自由に参加ですから誠に気楽なのです。インストラクターのMさんはいつもボランティア状態ですが気持ちよく指導いただき、感謝、感謝!!そして本日は6名の参加者。
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代々木公園は日を重ねるごとに緑が濃くなり、花々も咲き誇っていました。
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とても珍しかったのは桐の大木に咲いた花。初めてみました。幹はあの桐箪笥の材料ですから、、、。
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代々木公園は東京都立の公園。ここは東京都内23区内の都立公園のうちでは五番目の広さ。道路を挟んで森林公園としてのA地区と、それとは対象的な陸上競技場、野外ステージなどを備えたB地区に分かれています。私たちは毎回このA地区でのウォーキングです。
かつて陸軍代々木練兵場だったこの公園は、戦後には米軍の宿舎敷地・ワシントンハイツ、その後東京オリンピックの選手村を経て現在の公園となったようです。
またこの公園はJR山手線の原宿駅傍、すぐ隣は明治神宮です。本日は大型連休最終日ですからいつもより更に混雑していました。
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今朝は9:00〜ノルディックウォーキング、その後ベルトを使った筋トレを11:00まで行いました。いつも思うのですが、ウォーキングだけでは筋トレとは言い難い。その点、ノルディックウォーキングは体幹が、ベルトを使うと足の筋肉が鍛えられると思っている私なのです。
ということで晴天、気温31℃の中でも皆さんとても元気!!
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また2週間後、お会いしましょう。
posted by yunofumi at 21:21| あちこちウォーク

2017.5.5  OUT DOOR FITNESSノルディックハイキング

大島小松川公園⇒坂井の渡し跡⇒元佐倉道跡⇒六つ目地蔵尊⇒亀戸浅間神社⇒亀戸梅屋敷⇒亀戸香取神社⇒普門院⇒亀戸天神社⇒JR亀戸駅

朝からからりとした晴天。今日はいつもより距離が長くなりますが、と参加者9名、インストラクター2人で亀戸天神社までのハイキング。
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大島小松川公園の外れ、坂井橋傍の坂井の渡し跡では昔の江戸で渡し船のあった時代を偲ぶ話も出ました
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亀戸浅間神社の創建は1527年(大永7年)とのこと。
富士信仰が盛んだったこの頃、里人たちにより木花咲耶比売(コノハナサクヤヒメ)を勧請、笄塚の上に浅間社を創建したとのことです。今、社殿傍に平成になって作り直された富士塚がありました。
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江戸時代、呉服商・伊勢屋彦右衛門の別荘「清香庵(せいきょうあん)」があり、 その庭には見事な梅の木々が生えていたことがはじまり。 立春の頃、梅の花を見に水戸光圀や八代将軍・徳川吉宗も訪れたようです。浮世絵師・歌川広重が安政三年(1857年)に描いた『名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)』の「亀戸梅屋敷」は、江戸の時代に海を越え、かのフィンセント・ファン・ゴッホが模写(作品名「日本趣味 : 梅の花」/1887年)となっておるとのこと。このようなことからこの施設を亀戸梅屋敷としたようです。
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亀戸香取神社
亀戸は元々亀の形に似た島で亀島あるいは亀津島と称されていたとのこと。665(天智天皇4)年、藤原鎌足が東国下向の際、この亀島に船を寄せ、旅の安全を祈願し香取大神を勧請、太刀一振を奉納したのがはじまりのようです。その後、平将門の乱の時、俵藤太秀郷がここに参籠し戦勝祈願し、平定後弓矢を奉納、勝矢と命名したことから今では毎年5月5日に勝矢祭が行われるということで今日がその日で皆様、お祭りの準備で大忙しの様子でした。
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またスポーツ振興の神とされており、アスリートの参拝者も多いようです。ケンブリッジ飛鳥さんや内村航平さんなど多くの有名選手のお名前を見かけました。

普門院。
緑が深い普門院は、1552年に橋場に創建、1616年(元和2年)にこの地へ移転してきたようです。亀戸七福神のひとつ毘沙門天のお堂がありました。
また正岡子規の弟子の歌人伊藤左千夫の墓や講釈師の大島伯鶴の歌碑などの多くの文化財もあるようです。
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学問の神様である菅原道真公をお祀りしているのが亀戸天神社。下町の天神さまとして広く親しまれております。由緒としては1646年(正保3年)九州太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)が神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着き、村に元々あった天神の小さなほこらにご神像をお祀りしたのがはじまりとのこと。
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今日は藤の花も今年最後の見ごろということでしょうか。すごい混雑ぶりでした。
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またこの天神社は若福の卵焼きと船橋屋のくずもちが有名らしく、どちらにも行列ができていました。

本日は陽ざしが強く、気温26℃もあった感じ。まだ5月に入ったばかりなのに!!9:00〜11:40頃までに水500mlを飲み干しました。ということで今日も快適なウォーキングでした。
posted by yunofumi at 04:53| あちこちウォーク

2017年04月30日

2017.4.30 高尾山8回目

京王線高尾山口駅⇒清滝駅〜ケーブルカー〜高尾山駅⇒1号路⇒薬王院⇒富士道(裏道)⇒3号路分岐⇒4差路(6号路ほか分岐)⇒5号路⇒高尾山山頂⇒東京都高尾ビジターセンター⇒もみじ台細田屋⇒分岐⇒もみじ台南巻き道⇒5号路⇒稲荷山コース分岐⇒5号路⇒1号路⇒薬王院⇒山上駅〜エコーリフト〜山麓駅⇒高尾599ミュージアム⇒京王線高尾山口駅

朝8:00京王線高尾山口駅Sさんと待ち合わせ。晴天、緑を見ながらケーブルカーで上に上がりウォーキング開始。
富士山もばっちり見え、嬉しい!!
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緑も濃くなり、花が多く咲き、とてもゆったりしたひとときを過ごしました。
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↑花筏 ↓桜
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↑シュンラン ↓ムラサキケマン
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↑キイチゴ ↓ジュウニヒトエ
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もうひとつは細田屋の傍から見えた富士山がこれまた素晴らしかった。
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今日は山頂の周辺のコースをつまみ食いのように行きつ、戻りつ。天候晴、24℃、1万歩超えで高尾山の色々を実感した8回目登山でした。
という次第でお土産を持って帰宅。
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はじめての高尾山登山開始時は年内10回なんて“夢”でしたが、どうやら実現するかも、、、。楽しみです。
posted by yunofumi at 22:15| あちこちウォーク

2017年04月23日

2017.4.22 横浜散策第1回 西区

本日より横浜散策開始!

JR横浜駅西口天理ビル⇒横浜道起点⇒浅間町1丁目・新田間川(あらたまかわ)緑地⇒新田間川・新田間橋⇒南幸2丁目⇒岡野交差点・千代田栗最中本舗⇒元平沼橋・横浜道⇒平沼1丁目⇒平沼商店街・角平⇒水天宮平沼神社⇒八洲学園大学⇒高島町交差点⇒二代目横浜駅遺構⇒相模物産横浜ビル⇒亀田病院⇒岩亀本店(昼食)⇒岩亀稲荷⇒掃部山公園・井伊直弼銅像⇒紅葉ヶ丘公園・紅葉坂・神奈川奉行所跡⇒横浜市教育会館⇒戸部町1丁目⇒宮崎町⇒横浜市民ギャラリー⇒伊勢山皇大神宮⇒野毛町4丁目⇒野毛坂交差点⇒老松町・野毛山公園・ラジオ塔・佐久間象山顕彰碑・横浜水道事業記念碑・野毛山公園展望台・野毛山配水池⇒横浜市野毛山壮⇒野毛坂交差点⇒水道管展示⇒都橋交差点⇒吉田町⇒吉田橋交番⇒吉田橋⇒JR関内駅

横浜市は、神奈川県の県庁所在地で政令指定都市。18区に分かれており東京23区についで大きい。昔は武蔵国と相模国などといわれた所。ということで月1回、1区を巡り歩く散策なのです。

よこはま道。
1858年(安政5年)日米通商条約調印で開国した江戸幕府がこの横浜の地を開港したのです。そこで東海道筋芝生村(しぼうむら)・現在の浅間町〜関内(かんない)までの道が作られたのです。道幅3間弱(約6m弱)で途中には新田間(あらたま)・平沼・石崎の三橋を架け、戸部坂・野毛の切通をつくり、野毛橋(現在の都橋)・大田橋(現在の吉田橋)を架け関内まで通じたのです。当時は新開地横浜への主要道路として賑わったようです。この案内板の地図から横浜道・旧東海道・保土ヶ谷道が道筋を示しているのですが、少し「人」という漢字に似ていると思いました。
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そしてこの横浜道起点の路上にはタイルが埋め込まれていました。
案内図にあった色に合わせ、道筋は金色?で周りの背景部分が横浜道は青色・旧東海道は赤茶色・保土ヶ谷道は緑色で示されていました。
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本日はこの青いタイルの道しるべに沿ってウォーキングです。実際、西区内では足元にこのタイルがあちこちと埋め込まれており、道に迷わず最後まで歩けました。

浅間町1丁目・新田間川(あらたまかわ)緑地は昔の面影のある道でした。
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元平沼橋の横浜道にある案内板には昔の風景を示す解説があり、今は失われた風景が描かれていました。
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平沼商店街・つけ天の角平(かどへい)は戦前にはカツ屋だったのが1950年(昭和25年)より蕎麦屋『角平』として創業している様子。 【海老も蕎麦も活かす】 ということで、全国の天ざるや天せいろの祖となる【つけ天】を作り出したお店でいにしえの時代には大物政治家が訪れたようです。
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水天宮平沼神社は、高島町にあり、平沼町、西平沼町、緑町(現在は一部みなとみらい)の氏神様。天保10年、平沼新田を開拓された平沼九兵衛翁が新田の守護神としてお祀りして創建。
平沼新田は塩田だった所。塩田作業中の流れ着いた祠を九兵衛翁が守護神としたのがはじまり。祠の内には、九州久留米の水天宮様の御神札が祀られていたので、水天宮と称し、安産・水の神様として長く崇敬されているようです。
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二代目横浜駅遺構は東海道本線二代目横浜駅の遺構。
初代は1872年(明治5年)に開業した現在の桜木町駅。東海道本線の列車が行き止まりの初代横浜駅でスイッチバックせずに停車できるようにこの場所(高島町)に二代目横浜駅として移転したようです。東京駅のような煉瓦造りの堂々とした駅舎建築で、1915年(大正4年)に建設されたのですが1923年(大正12年)の関東大震災後の火災により壊されたのです。また、駅舎遺構の下層に1907年(明治40年)頃建設された「横浜共同電燈会社裏高島発電所」の遺構(取水口と導水管)も重なっているとのこと。国道1号高島町交差点脇に煉瓦造りの建物基礎遺構が発見され、駅跡に建設されたマンション(ロワール横濱レムナンツ)の敷地内に保存公開されていました。
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岩亀稲荷。
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幕末安政のころ、現在の中区横浜公園のあたりにあった「岩亀楼」という遊廓(ゆうかく)の遊女が、静養のため利用した寮がここにあり、岩亀横丁と呼ばれのです。この横丁のなかほどにあるこのお稲荷さんを静養に訪れた遊女がお参りしたとのこと。小さなお稲荷さんをご近所で今も大切に守っておられるようすでした。

掃部山公園(かもんやまこうえん)は横浜みなとみらい21を見下ろす高台にあり、園内には横浜開港に関わった井伊直弼の銅像が立っていました。
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この場所は1884年(明治17年)に旧彦根藩士が買い取って井伊家の所有となり、1909年(明治42年)、横浜開港50年記念に井伊直弼の銅像が、「正四位上左近衛権中将」の正装で建立されたのです。そして1914年(大正3年)、井伊家より横浜市へ寄付され、掃部山公園として整備されたようでした。井伊直弼銅像は第二次世界大戦中には政府の金属回収指示によって銅像は取り払われたのですが、1954年(昭和29年)開国100周年を記念して横浜市が再建したとのことです。像の高さは3m60cmで、「正四位上左近衛権中将」の正装。原型作者は工学士の藤田文蔵、鋳造者は岡崎雪聲[2]。台石は工学博士の妻木頼黄の設計で高さ6m60cm。また園内には約200本の桜が植えられ、1996年(平成8年)には公園の一角に横浜能楽堂が建設されたのです。また公園内には日本庭園 音楽堂もある様子でした。

急な坂は紅葉坂といい、これを上に行くと神奈川文化センターの前にかっての行政の中心地であった神奈川奉行所があったことを示す石碑がありました。入江をへだてて横浜村を見渡すことのできる丘の上に奉行所を設けたのは要塞に、とも考えたようです。
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神奈川奉行所跡の少し下ったところに『金星太陽面経過観測記念碑』がありました。大きな石碑で「明治7年(1874年)12月9日メキシコ観測隊(隊長フランシスコ ディアス コバルービアス)ならびに日本水路寮の海軍中尉吉田重親らは下記地点において金星の太陽面経過の観測に成功した。ここに100年の記念日を迎え、神奈川県及び横浜市の協力を得てこの碑を建て後世に伝える。第1観測地点(野毛山)東経139°37’48”北緯35°26’45”。第2観測地点(山手)東経139°39’02”北緯35°26’07”。昭和49年(1974年)12月9日 金星太陽面経過観測記念碑設立期成会」と刻まれているよとのことでした。
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伊勢山皇大神宮は 天照大御神を祭神とし、横浜の総鎮守で「関東のお伊勢さま」とよばれているようです。
1870年(明治3年)、一寒村であった横浜が開港場となり、貿易の街として急速に発展したのです。神奈川県はキリスト教を始めとする外来文化に接する横浜の精神的支柱とするために神社信仰の確立が必要と考え、 その為、元々戸部村海岸伊勢の森の山上にあった神明社をその年の4月に現在地の野毛山に遷座し、11月には当時の神奈川県知事井関盛艮が太政官と神祇官に建白書を提出したのです。 建白書は当社を伊勢神宮の遥拝所とし、神奈川県の宗社たる規模に整備することを願い出、許可されたのです。これにならいその後、開港場である長崎・神戸にも同様の神宮遥拝所が作られることとなったようです。
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老松町の野毛山公園は、面積は約9.1ha、敷地内には野毛山動物園があり、また約380本ある桜の名所としても有名とのことです。園内展望台からはみなとみらい地区が一望できました。
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1887年、ヘンリー・スペンサー・パーマーによって野毛山に横浜水道の配水池が設置され、日本初の近代水道が始まりました。これは横浜水道事業記念碑です。
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ラジオ塔はラジオの聴取契約者が100万人を越えた記念に、NHKが1932年(昭和7年)に全国の著名な公園や広場に建てる計画を進め、1932年(昭和7年)から1933年(昭和8年)までに41カ所が完成したうちのひとつです。
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佐久間象山顕彰碑がありました。佐久間象山(さくま しょうざん)は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。位階は贈正四位。象山神社の祭神。象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定されているとのこと。佐久間象山の石碑などはふるさとの松代をはじめあちらこちらにあるようです。勝海舟の妹が妻とのことですから横浜の地でも多くの弟子がいたと思われます。

野毛山公園を降りて街中に出ると昔の水道管が展示してありました。
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吉田橋(よしだはし)は、馬車道と伊勢佐木町の間の首都高速道路の掘割に架かる道路橋。1869年に架けられた2代目の橋は、日本初の無橋脚鉄製トラス橋で、日本で2番目の鉄製の橋梁として知られています。現在の橋は1978年に完成した5代目ですが当時の姿をとどめたつくりです。
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JR関内駅のある関内(かんない)は、横浜港に近い海側の地域を示し、横浜市役所(横浜市庁舎)や、横浜市中区の区役所、野球の横浜スタジアムなどが位置する地域。また、馬車道商店街(馬車道を参照)や、神奈川県庁舎近くの日本大通などがあります。一方で、旧・横浜松坂屋があった伊勢佐木町側の地域を「関外」というといい、大通り公園は関外地区とのことでした。
「関内」という名称は、江戸時代末期から使われていたとのことで、幕末時代の開国・開港後には関所が設けられ、その関所の内と外という意味で、「関内」と「関外」と呼ばれたそうです。

本日は昼食時間を含め、10:00〜15:30のうち正味4.5時間を歩き回りました。22℃ 曇りで歩程約6km、17000歩はベストコンデションともいえました。講師は東海道でご一緒だった浅井先生とCDの関さん。久しぶりの再会でしたが21名の参加者共々、気持ちよく、愉快なウォーキングができました。感謝!
posted by yunofumi at 23:10| あちこちウォーク

2017年04月22日

2017.4.18 銀座線ウォーク第1回

渋谷駅〜赤坂見附駅

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキングします。
ということで本日は駅としては渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附の辺りをウォーキングなのです。

JR渋谷駅⇒ヒカリエ⇒宮益坂⇒御嶽神社⇒こどもの城⇒国連大学⇒青山学院⇒高野長英隠棲地⇒AOYAMA RISE SQUARE⇒大松稲荷神社⇒PRADAビル⇒青南小学校・中村草田男句碑⇒微熱山丘Sunny Hills⇒AW kitchen 青山店⇒Blue Bottle⇒表参道駅⇒山陽堂書店⇒斎藤茂吉歌碑⇒善光寺⇒徳富蘆花旧宅⇒熊野神社⇒高徳寺⇒梅窓院・青山氏墓所⇒青山墓地・大久保利通墓・乃木大将墓所⇒外苑前・外苑入口⇒カナダ大使館⇒高橋是清翁記念公園・高橋是清邸跡⇒薬研坂⇒豊川稲荷・大岡忠相墓所⇒山脇学園・武家屋敷門⇒丹後坂⇒赤坂不動⇒一ッ木通り⇒浄土寺・六地蔵⇒赤坂見附跡⇒赤坂見附駅

銀座線の車両は「オレンジ」(橙)、路線記号はG。1927年(昭和2年)に浅草 - 上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄とのこと。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」という言葉が使われたそうで、アジア・オセアニア地域では初めての地下鉄路線とのことでした。また、一番に乗車したのは原鉄道模型博物館の館長、原信太郎だそうで、同館には当時の新聞記事等が展示されているようですから一度見に行くようです。
本日は朝日旅行の日帰りツアーで案内人は東京シティガイド。参加者30名超えのため約10名1グループになって出発。私がいたBグループ案内人は七尾さん。
まずはヒカリエ11階に上り東京メトロ銀座線駅のスタート地点を確認。
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まったく渋谷は工事で大騒ぎ真っ最中です。

宮益御嶽神社の狛犬は全国的にも大変珍しい日本狼石像でした。鎮座は不明といわれていますが、作成は江戸時代1673〜1681年(延宝年間だとのこと。社殿前の日本狼像狛犬は、ブロンズ製で、原形をモデルにして製作した多田端穂作でした。毎年11月には酉の市で賑わうようです。
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青山学院大学は渋谷4丁目に約12万uの敷地に今では幼稚園から大学院までそろっているとのこと。
最初は明治7年、メソジスト監督教会の宣教師によって創立された女子小学校だそうです。
アカデミックな雰囲気の中、先日亡くなられたペギー葉山さんの学生時代の歌碑がありました。
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第93回東京箱根間往復大学駅伝で往路・復路の総合優勝3連覇して大学の人気はうなぎのぼりのようです。

PRADAビル。
表参道やみゆき通りにはブランドショップが沢山あり、どれも著名建築家のセンスをふんだんに使った設計だそうです。このビルはデザインアーキテクトはヘルツォーク&ド・ムーロン。2003年に完成したようですがとても斬新でした。
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青南小学校にある中村草田男句碑
中村草田男(なかむらくさたお)(1901−1983)。俳人。外交官の父の赴任先の中国・福建省で生まれ、3歳のときに帰国し昭和4年(1929)高浜虚子の門弟となり句作に励み、同人誌『ホトトギス』に作品を発表しています。代表句「降る雪や明治は遠くなりにけり」は昭和6年(1931)大学生だった草田男が母校・青南小学校を訪問した際に詠んだものとのこと。昭和52年(1977)青南小創立70周年記念に、この句碑が正門内の校舎前庭に建立されたのです。
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微熱山丘Sunny Hills。
表参道駅から路地に入ったところにあるヒノキの角材で作られたお店。設計は隈研吾さん。
台湾の有名なパイナップルケーキが一番のスィーツ。好きな方は台湾の本店まで求めに行くそうです。
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AW kitchen 青山店。
契約農家直送の新鮮野菜などを使ったお料理を出すお店でした。旬の野菜がふんだんに使われたサラダやパスタがとても美味しかったです。
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山陽堂初代萬納孫次郎は、明治24年(1891年に書店を始め、昭和20年東京大空襲で焼け出されたが敷地に井戸があり多くの人々を助けたようです。
山陽堂書店の壁面には谷内六郎さんの壁画がありました。壁画は昔、新潮社社長が建築途中の山陽堂の前を通り通勤していた時、 週刊新潮表紙を飾っていた六郎氏の絵を壁画にと思いつき昭和38年(1963年)に完成した黄色い背景の赤い風船の絵が壁画第一号、昭和50年(1975年)に現在の「傘の穴は一番星」に変わったとのことです。
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神宮前の北青山熊野神社は神宮前・北青山の総鎮守だとのこと。
熊野神社は元々紀州徳川家・徳川頼宣の邸内(現在の赤坂御所の位置)にあったのを1644年(正保元年)に地元町民の請によって現在地に移遷されたことが始まりで、神社自体の創建は、徳川頼宣が自邸内に御宮を勧請した1619年(元和5年)に遡るとのことでした。
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豊川稲荷は元赤坂にあり、豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の、唯一の直轄別院(飛び地境内)だそうです。
元々は大岡越前守忠相が愛知の豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのが最初のようです。
境内には大岡越前守忠相の墓所もありました。
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山脇学園の武家屋敷門。
山脇学園は1903年(明治36年)に山脇玄、山脇房子夫妻により牛込白銀町に女子實(じっ)脩(しゅう)学校として設立され、3年後には赤坂檜町に新校舎を建設し、移転とともに高等女子實脩学校となったのです。
武家屋敷門は千葉県九十九里町の山脇学園・松籟荘内にあった「重要文化財 武家屋敷門」を、本校舎建て替え工事にあわせて、赤坂の本校敷地内に移築したようです。 この武家屋敷門は、もと老中本多美濃守忠民(三河国岡崎藩五万石)の屋敷門で、1862年(文久2年)の大火で焼失したが、直ちに再建され、今日に至ったものだそうです。現在の千代田区丸の内・東京中央郵便局の位置にあった代々老中職の役屋敷の表門なのです。大名屋敷として我が国に現存しているのは、この門を含め僅か三門に過ぎないようで貴重な文化財だそうです。
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近頃、少しは都内散策に慣れてきたので見聞きしたことがある梅窓院などの記事は載せませんでした。
しかしコースの作り方や講師、旅行社の違いで目新しいことも多かったです。今日は春なのに27℃と暑さが厳しく、歩程約7km、約17000歩には満足。まずは晴天を喜びつつのウォーキングでした。
posted by yunofumi at 22:59| あちこちウォーク

2017年04月21日

2017.4.16 七沢森林公園でノルディックウォーキング

今朝は気温10℃以上と温かい中、目的の公園が遠いので車で向かいました。三芳PAより圏央道・東名・厚木小田原道路を乗り継ぎ西厚木まで休憩しながら90kmを走行。久しぶりの長距離ドライブで約2時間は気持ちよく爽快な気分。
参加者約30名、インストラクター6名でキャラバン主催のノルディックウォーキングスタートです。

神奈川県立七沢森林公園中央駐車場⇒七沢川⇒門口・七沢城址⇒七沢大橋⇒七沢自然「ふれあいセンター⇒鐘ヶ獄・七沢浅間神社⇒広沢寺⇒二橋⇒七沢温泉元湯玉川館→七沢森林公園中央駐車場

神奈川県立七沢森林公園は2007年森林セラピー基地に認定された厚木市・東丹沢七沢温泉郷にあります。丹沢大山国定公園の東山麗にあり、里山環境が素晴らしく広大で、入口の森のかけはしを含め眺めが素晴らしい。
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ノルディックウォーキング前には入念なストレッチです。山々を眺めながらは爽快!
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途中では桜をはじめ花々や緑を大いに楽しみました。
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日中は晴天、微風、27℃で林道を含め約7kmをノルディックウォーキングしました。自然の中の森林浴は素晴らしい気分になれました。
帰りは友人のUさんが同乗してくださったので川越の「いも膳」でプチ贅沢をして解散!
本日はお誘いを受けて少し遠出でしたが楽しいノルディックウォーキングができました。ノルディックウォーキング人口増加を実感した1日でした。
posted by yunofumi at 06:59| あちこちウォーク

2017年04月15日

2017.4.15 多摩森林科学園へ

JR高尾駅⇒敷島橋⇒甘里町交差点⇒多摩森林科学園⇒JR高尾駅

3月末に新聞で紹介されていた桜のスポット、八王子市にある多摩森林科学園を今日は訪れました。

高尾駅到着でまず高尾山の天狗伝説にちなんだ大きな天狗像が3・4番ホームの外れにあるとのことで見に行きました。
このホームにはまた、国産レールとしては最古と説明してあるレールがありました。
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森林総合研究所多摩森林科学園は今、公開されている15haの所に7400本の樹木が植えられているとのこと。森林の研究機関で桜の遺伝子、森の保護や管理、動物・昆虫の研究や観察会も行われているようです。
園内は既に花が終わった種類も多かったですがまだまだ多くの桜を楽しめました。
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↑「はるか」 ↓「安行の大提灯」
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↑「白妙」 ↓「八重紅枝垂」
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↑「御車返し」 ↓「川崎の旗桜」
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↑「ヤマルリソウ」 ↓「レンギョウ」
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↓「タチツボスミレ」
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関山ベンチからの風景をはじめ、色とりどりの桜が咲く山々を見られてとても満足でした。
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本日はお天気に恵まれ23℃もあった感じ。ここは八王子の外れですから少しは桜も遅く咲いているかもしれませんが、本当に見事だったのです。
多摩森林科学園は広く、里山が連なっているようで整備されたコースが歩道としてありましたが、アップダウンはそれなりでした。やはり靴などはそれなりに考えないといけません。
いただいたパンフレットによると桜は2月から4月末まで順次咲くようです。また園内ガイドツアーや森林講座もあるとのことでした。今後は季節ごとに訪れるのも良いかもしれません。
私は本日、一言堂の高尾天狗パンが売れ切れで買えなかったこと、多摩御陵や都立陵南公園へ行けなかったのでまたの機会を作ります。そう、ちょっと心残りなのです。
posted by yunofumi at 21:15| あちこちウォーク

2017年04月05日

2017.4.2 OUT DOOR FITNESSノルディックウォーキング

亀戸中央公園⇒都立大島小松川公園

この公園は、東部7公園のひとつ。日立製作所の亀戸工場のあったところを整備し、昭和55年開園。A・B・Cの3地区に分かれているとのこと。とても広大でA地区は、中央広場に時計塔やアスレチック風の木製遊具が設置され、子供たちの遊び場。B地区は、人工池、流れがあり周囲は芝生の憩いの広場。C地区は、運動広場として整備され、多目的球技広場、テニスコートなどがあるようです。
園内の植物にはサザンカ、サトザクラ、ソメイヨシノ、アンズ、メタセコイアなどが見られますが特にここは「サザンカの名所」として親しまれているとのことでした。
本日はA地区の時計塔に10:00集合。桜がほぼ満開の樹木も多く、青空の元、10名の参加者は大島小松川公園までノルディックウォーキングを楽しみました。昨日とは大違いで気温14℃ポカポカ陽気、風ほとんどなく、約1万歩を完歩。
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今日は東京の、それも大きな公園の桜を見ながらのお花見ウォーキングはとても印象的でした。感謝!!
posted by yunofumi at 23:50| あちこちウォーク

2017.4.1 第15回東京の新発見 「足立区」後半 

4/1昼食後の歩程
東京都中央卸売市場足立市場・海鮮食堂(昼食)⇒千住大橋駅⇒稲荷神社⇒八幡神社⇒千住神社⇒大黒湯⇒千住宿プチテラス高札場跡⇒横山家住宅・絵馬屋⇒名倉医院⇒足立区学びピア21⇒新千住大橋⇒梅田通り⇒足立梅田郵便局⇒梅田7丁目交番⇒梅島小学校⇒東武スカイツリーライン梅島駅⇒梅島天満宮⇒ベルモント公園⇒西新井駅前交番⇒グリーンロード⇒西新井税務署⇒西新井太師⇒西新井太師駅

千住神社は千住(千寿)に集落が形成され始めた926年(延長4年)、土地鎮護と五穀豊穣を祈り、伏見稲荷より分霊を勧請し千崎稲荷神社が創建されたそうです。1051年(永承6年)、源義家は奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ツ森(現 千住神社)に陣営し、戦勝祈願をしたと古記録にあるとのこと。1279年(弘安2年)、武蔵国一ノ宮氷川神社より分霊を勧請し氷川神社を創立。鎌倉時代より江戸時代にかけて、ここを二ツ森といい、旧考録には代々の将軍が二ツ森で鷹狩りを行ったとのこと。寛永年間には、千住が日光街道の第一宿となり、その西方にあるので西の森とも言われた所。明治の時代を経て1915年(大正4年)千住神社と改められたのですが1945年(昭和20年)の空襲で社殿が焼失したとのことですが、1958年(昭和33年)、社殿が再建され現在の姿のようです。
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大黒湯は千住寿町にあり、立派な建物から『ザ・キング・オブ銭湯』と呼ばれているとのことです。この建物は1929年(昭和4年)の建築。脱衣場の天井には、約百枚の日本画があり露天風呂もあるそうです。また大きな浴室には定番の富士山のぺンキ絵も見られるそうです。
関東で多く見られる宮型造り銭湯の様式は関東大震災後に多くつくられたそうです。
大黒湯の建物は三角形の千鳥破風とゆるくカーブした唐破風を重ねた正面の構えはとても立派でした。
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宿場通りを進むと商店のシャターには昔の風景を示す絵が描かれなかなか楽しい。
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横山家住宅は江戸時代後期の建物(昭和11年改修)で宿場町の名残をとどめる商家。敗退する彰義隊が柱に斬りつけた跡や、戦時中に焼夷弾に貫かれた屋根などが残っているそうです。
横山家のお向かいの絵馬屋は代々絵馬を作り続けている吉田屋。縁取りした経木に色とりどりの泥絵具で描く千住絵馬の伝統を守り続け、またその代表作を一括保存しているとのことです。
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名倉医院は1770年(明和7年年)業祖名倉直賢(1750〜1827)がこの地に、骨接ぎの医業を創めたのが最初。全国から患者が来たとのこと。その当時の建物が今も残っているようです。
その後、第5代名倉謙蔵(1866〜1939)が、東大医学部の前身東大の別科を卒業し医師の資格を取得し、昭和6年には神田駿河台に、西洋医学を中心とした整形外科専門病院を築いています。
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荒川の堤防に面して足立区生涯学習総合施設、学びピア21があります。
ここは忘れもしない日光街道歩きで強風と雨にあおられながら駆け込んで休憩した場所。中には足立区立中央図書館、荒川ビジターセンター、足立区生涯学習センター、放送大学東京足立学習センターがありあらゆる世代、あらゆるニーズに合った生涯学習が提供できる施設となっているのです。今日は東京スカイツリーが見えてまた良かったです。
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千住新橋は、足立区千住と同足立の間の荒川に架かる橋。荒川の河口から12.6 kmの地点にあり、右岸は足立区千住五丁目で左岸は足立区足立一丁目で 橋の全長は1981年(昭和56年)竣工の橋は橋長446m、幅員15.75m、最大支間長120mの鋼連続箱桁橋。河川区域外にある橋の前後の取付道路は高架橋で、右岸側は1981年(昭和56年)完工した千住新橋右岸取付高架橋といわれ橋長135m最大支間長45mの連続鋼鈑桁橋に接続しています。

ベルモント公園は足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた洋風の公園。多くの花壇、赤レンガの陳列館(オーストラリアの工芸品・日用品などを展示)、ヒツジのモニュメントやユーカリ・ブラシノキ・アカシアなどのオーストラリア原産の植物などが見られました。また、バラも多く花に季節はとても見事なようです。
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西新井大師は826年(天長3年)弘法大師「空海」が開創し正式名称は五智山遍照院總持寺といい古くから「関東の高野山」といわれています。境内は広く梅、桜、藤、芍薬、菖蒲、紫陽花があり年中花が見られるようです。その中でも一番は3000株以上もあるという牡丹は有名です。
本日は山門が保存修理中だったのでお詣り後は山門前の清水屋さんで草だんごをいただき帰路につきました。
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東武大師線は大師前駅〜西新井駅の一駅区間。元々は大正時代、東武伊勢崎線と東上線を結ぶ連絡線上の駅として開設。第二次世界大戦による東京への大空襲が激化したため営業は休止。戦後、大師様信仰が高まり再び営業を開始。改札はフリーパスで無料でした。西新井駅からは東武スカイツリー線を、北千住でJR常磐線に乗り換え、帰宅しました。
本日は時たまポツポツと小雨あり。気温約9℃でやや寒い感じでしたが12名参加。講師信野先生、CDは黄木さん。スタート10:00。ゴール16:00頃でしたがまずは無事に終了しました。この回は特に日光街道ウォークを思い出すことが多く、大勢でのウォーキングは正直、初めて見るところはイマイチ、ピンと来ていないことも多いのですが今日はおおかた納得でき、楽しめました。感謝。
posted by yunofumi at 19:43| あちこちウォーク

2017年04月03日

2017.4.1 第15回東京の新発見 「足立区」前半 

JR北千住駅⇒宿場町通り・千住本陣跡⇒千住街の駅⇒きたろーど71010⇒大橋眼科医院⇒千住ほんちょう商店街⇒勝専寺⇒だんごの美好⇒足立区薬剤師会⇒足立成和信用金庫⇒東京芸術センター・千住宿問屋場・貫目改所跡⇒千住高札場跡⇒あらい歯科医院⇒一里塚跡⇒千住庁舎⇒自然真営道発見の地⇒かもん宿商店街⇒足立区千住作業所はばたき⇒掃部宿憩いのプチテラス⇒源長寺⇒千住仲町交差点⇒中央卸売市場足立市場⇒千住歴史プチプラス⇒蒟蒻屋粉川吉活代目⇒千住宿奥の細道プチテラス⇒足立市場前交差点⇒櫻神社⇒石洞美術館⇒橋戸稲荷神社⇒大橋公園・奥の細道矢立初の地⇒東京都中央卸売市場足立市場・海鮮食堂(昼食)

宿場町通りを入った所に千住本陣の説明板がありました。
これが本日の最初の説明板でしたがこの足立区はその後一日中とても案内が丁寧な所でした。
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「千住街の駅」はお休み処で街歩きに役立つマップや足立区をちょっと知ることのできるパネル展示などがありました。やや手狭な感じもしましたがお店番がおられた方もとても気さくで良い雰囲気でした。
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大橋眼科医院の建物は元々、1917年(大正6年)に建てられたドイツの民家風の医院(初代院長:故・大橋重義氏)。老朽化により取り壊すことになったところ、惜しむ声が多く寄せられ、医院の経営者である鈴木英夫氏の意向で旧建物をイメージして1982年(昭和57年)に改築。前建物とかなり似せており、さらに都内の近代建築から部材を集めたそうで、数々の歴史を継承しているとのことです。
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勝専寺は「赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院が本山とのこと。寺伝では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたということです。
江戸時代には日光社参に際して将軍の御旅所になっていたとうかがいました。
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閻魔堂の中は暗かったですが閻魔様の姿が見えましたのでお詣りしました。

東京芸術センターは、公民のパートナーシップにより、『あだち産業芸術プラザ』として、「あだち産業センター」と一体的に整備された民間施設だそうです。足立区の新しい産業と芸術を創造する拠点ということでしょうか。ホール、会議室などがあり、区民優先での利用だそうです。

宿場にある3つの場所を説明します。
宿場の問屋場(といやば)とは当時の宿駅での公用交通のための伝馬・人足の継立てを差配する施設のこと。問屋場には問屋・年寄の宿役人や問屋が奉公人として雇った帳付(ちょうづけ)・馬指(うまさし)という下役も詰めていたようです。
貫目改所(かんめあらためところ)は江戸幕府が街道往来の荷物の重量を検査するために宿場の問屋場に設置した役所のようです。

高札場(こうさつば)とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目をひくように高く掲げておく場所のこと。

一里塚は江戸時代の主要街道の両側に,1里 (36町=約 4km) ごとに築かれた塚のことで,路程標の役割をしていました。起源は古代中国だそうですが、日本では戦国時代末期にはすでに存在していたようです。正式には1604年(慶長9 年)徳川家康が江戸日本橋を起点として,東海,東山,北陸の3街道に1里ごとに5間 (約 9m) 四方の塚を築かせ,塚の上にはえのきや松を植え旅行者に便宜を与えたのです。幕府はのち3街道以外にもこの制度を広めましたし、諸藩もこれにならって脇街道 に築いたようです。

ウォーキング途中で「自然真営道発見の地」の説明版を発見。
『自然真営道』は安藤昌益の稿本で江戸中期の常識的ではない社会思想や科学的自然観、生命尊重の医学書だそうです。
この稿本が発見された当時の持ち主は北千住の名士だった橋本律蔵(1824〜1882)という穀物問屋さんの主人。この方は中々の文化人で多くの蔵書があり、死後古書店に引き取られた中にこの本があったので世間もアッとびっくりだったそうです。

掃部宿(かもんじゅく)憩いのプチテラスはもと自転車屋さんだった跡地を防災も目的としてミニ公園としたとのことです。掃部宿(かもんしゅく)とは仲町、河原町、橋戸町一帯の呼び名で、千住宿の一部だったようです。掃部という名前は、江戸時代初期、千住大橋架橋や掃部堤(かもんつづみ)築堤等に尽力した「石出掃部亮吉胤(いしでかもんのすけよしたね)」から名付けられたのでした。プチテラスの中には、千住宿、掃部宿の歴史を説明した案内板がありました。
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源長寺は浄土宗の寺院で1610年(慶長15年)の創建。仲町を開発した石出掃部亮吉胤の草創で開基は伊奈備前守忠次。ご本尊は阿弥陀如来。
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千住歴史プチプラスの建物は元地漉紙問屋横山家の土蔵だったとのこと。土蔵は間口2間半、奥行き3間半の2階建てで庭を含め、歴史と潤いの街づくりをめざしているとのことでした。屋根の棟には棟札があり1830年の建築と示していました。ここの設置は足立区ですが運営管理はほぼボランテアが担っているようでした。
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蒟蒻屋粉川利二五代目の看板のあるお店の創業は明治6年、今年で127年間ずっとこんにゃくを作り続けて来たとのことです。現在のご主人である粉川利二さんは実は四代目とのことですが四代目は縁起が悪いとのことでそれで五代目にしたようです。のれんを受け継ぐのは大変ですね。感服でした。
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このお店のように千住宿の雰囲気が出るようにこの通りは昔の家業がわかるように大きな表札のような説明がありました。

千住宿奥の細道プチテラス。
足立区の歴史を今に伝える場所の一つ。京成本線「千住大橋」駅のそばにありました。テラス内には、奥州や北陸など「奥の細道」へここから旅立った「松尾芭蕉像」と、「日光道中 千住宿道標」、行灯をかたどった「日光街道 千住宿道標」、千住やっちゃばの小さなお宮にあった欅の木で作った「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などがありました。
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石洞(せきどう)美術館は佐藤千壽の収集したコレクションが中心。佐藤千壽の雅号が石洞だったことからこの名前と7なっているようです。外観は銅板葺き三角屋根に煉瓦タイル貼、平面六角形のユニークな建物。館内は工藝品が見やすいように落ち着いたトーンで統一されており、世界各地の土器や陶磁器、茶の湯釜、ガンダーラの仏像、漆器、青銅器、玉器など多く見受けられました。
佐藤千壽(1918〜2008)は千住金属工業鰍フ社長や会長をされた実業家とのこと。このようなお金の使い方をされる方は立派ですね。
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橋戸稲荷神社は、千住橋戸町にある稲荷神社。創建は926年(延長4年)または1490年(延徳2年)と所説あるようです。奥にある本殿は、区内唯一の土蔵づくりで1594年(文禄3年)に千住大橋がかけられると、人馬の往来が数多くなり、宿場を通る人々や、河川の小揚組などの信仰を集めたようです。1863年(文久3年)拝殿の前扉に、当時鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白狐が彫刻されたとのことです。拝殿扉脇にレプリカが見られました。
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大橋公園の入り口に「奥の細道矢立初の地」の石柱がありそこから荒川の川岸に降りるとかつて船着き場だった所に出ました。
芭蕉(ばしょう)は三重県伊賀(みえけんいが)市で生まれ、五・七・五の言葉(ことば)で俳句(はいく)を詠(よ)む俳諧師(はいかいし)となっています。46歳のとき、「奥の細道」の旅に出たのです。旧暦1689年(元禄2年)年3月27日早朝、深川を出発(しゅっぱつ)。この時、弟子の河合曽良(かわいそら)が同行したのです。
 二人は深川から舟に乗り、隅田川(すみだがわ)を上り、千住で舟を降り、日光街道を歩き始めたようです。現在は北岸から、または南千住に上がったということでこの説はまだどちらともかたまっていないようです。
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以前、日光街道ウォークの時は此処が工事で立ち入れなかったのです。3度目の正直でやっと詳しくみられました。

東京都中央卸売市場足立市場・海鮮食堂
足立市場は都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場。松尾芭蕉「奥の細道」の矢立初めで有名な千住大橋のすぐ近く、隅田川と国道4号線(日光街道)に面しており、交通アクセスの良い便利な場所にありました。その立地を生かし、城北地域の拠点市場として、都内城北地区や千葉北部、埼玉南部などへ水産物を供給しているとのことでした。
ちょっとした食堂が数件あり、私たちは「海鮮食堂」で昼食をとりました。さすがにおいしかったです。
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これにて午前の部は終了。気付けば歩数計はまだ1万歩未満。
何しろ立ち寄り場所が多かったのでかなり目まぐるしい半日でした。
posted by yunofumi at 23:46| あちこちウォーク

2017年04月02日

2017.3.25 OUT DOOR FITNESSノルディックウォーキング

猿江恩賜公園⇒龍眼寺⇒亀戸天満宮⇒猿江恩賜公園

都立猿江恩賜公園は、江東区猿江にあり、都営新宿線住吉駅からすぐでした。元々この地は、江戸時代から続く徳川幕府による貯木場であったとのことで1932年の開園だそうです。
とても広大な広さで野球場やテニスコートなど設備も完璧そうでした。
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今日は桜をはじめ色々な花が咲き始めており大いに楽しめました。
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ウォーキング開始後ほどなく龍眼寺に到着。
ここは亀戸3丁目、このお寺さんは境内が広く、すべての手入れが完璧そうでした。秋には萩が咲き誇ることから萩寺といわれているそうです。
亀戸七福神の布袋尊と地蔵尊、それに万治2年(1629)区内で発見されたという庚申塔も見られました。
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芭蕉句碑が建立されていました。
「濡れてゆく 人もおかしや 雨の萩」
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亀戸天満宮。
菅原道真が祭られており学問の神。普段は亀戸天神。
2月〜3月は梅まつり、4月下旬〜5月は江戸時代から有名な藤まつり、10月下旬〜11月下旬は菊まつりと季節ごとの花が見事なようです。
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今朝9:00に都立大島小松川公園を出発しストレッチやトレーニングした後、ウォーキング開始。途中の神社などで説明も伺い12:00頃東京スカイツリー7に到着。晴天で約13℃、ほぼ無風でよいコンディションのウォーキングイベントでした。何より参加者8名にインストラクター2名体制は大変ありがたかったです。
本日は桜がちらほら開花していました。また近日中にこの辺りに伺う予定です。
posted by yunofumi at 17:43| あちこちウォーク

2017年03月19日

2017.3.18 高尾山7回目

京王線高尾山口駅⇒稲荷山コース⇒高尾山山頂⇒
高尾ビジターセンター⇒薬王院⇒男坂⇒高尾山リフト山上駅→山麓駅⇒京王線高尾山口駅

1週間前、一人で登山するための下見でケーブルカーを使い、高尾山薬王院辺りを歩き回ってみました。幸いなことにバッタリIさんやSさんにも巡り合い、一人登山を相談。休日の稲荷山コースなら大丈夫そう!とアドバイスをいただいたので心を強くして今日は単身で挑戦した次第です。

天候は晴、風もほとんどなく、お昼頃には気温13℃もあった様子でとても快調でした。一人なので事故なく、無理なく、をモットーに稲荷山コース全3.1kmに挑戦。まずはおそうじ小僧に挨拶後11:00上り開始。
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旭稲荷を過ぎると順調に0.4、0.8、1.0、1.2kmと進み、ほぼ中間のあずま屋到着。
ここは本来手前には多摩丘陵、遠くは新宿高層ビルが見えるのですが、本日はぼんやり。
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そして2kmあたりから道が岩や木の根っこ、階段と複雑に。
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止めはゴール目前の約200段ありそうな急な階段。まずは小休止でおにぎりをほおばった後に出発。いつも段数を数えるのですが途中で断念なのです。ムムムム、、、。
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結局ゆっくりゆっくりで上り、足にも疲れなく無事に山頂に到着。お昼をとっくに過ぎており案の定、富士山は霞の中。13:00!!まずはメデタシメデタシ!!
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ビジターセンターを覗いた後は再びキョロキョロで下山。
すごい根っこも楽しみました。
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花はこれがやっと!先週見たスミレは見つけられませんでした。
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それから薬王院の門番然としている小天狗様と大天狗様を拝見。
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さらにもみじやの傍で「天狗注意」の標識にはびっくり。夜は一人では来られませんね。
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ということで楽しく下山。後はいつものように珈琲をいただき、ご機嫌で帰宅しました。感謝!感謝!来月は桜の頃にまた伺いたいものです。
posted by yunofumi at 22:21| あちこちウォーク

2017年03月17日

2017.3.18 第14回東京の新発見 「豊島区」

JR駒込駅⇒豊島区立染井吉野桜記念公園⇒駒込橋交差点⇒六義園⇒駒込警察前交差点⇒六義園公園⇒東洋文庫⇒本駒込6丁目・旧駕籠町⇒徳川慶喜巣鴨邸跡地⇒巣鴨橋⇒JR巣鴨駅⇒染井吉野石碑⇒真性寺⇒巣鴨地蔵通り商店街⇒高岩寺⇒巣鴨薬園跡⇒東京都染井霊園⇒慈眼寺⇒本妙寺⇒豊島市場前交差点⇒ファイト餃子⇒巣鴨地蔵通り商店街⇒巣鴨郵便局⇒巣鴨地域文化創造館⇒庚申塚交差点⇒猿田彦大神庚申塚⇒都電荒川線庚申塚駅→都電荒川線向原駅⇒豊島区立朋有小学校⇒東池袋雨水調整池⇒豊島郵便局⇒サンシャインシティプリンスホテル・むさし野(昼食)⇒サンシャイン前交番⇒東池袋中央公園・巣鴨プリズン跡⇒JR池袋駅東口⇒ウイロード⇒JR池袋駅西口⇒自由学園明日館⇒西武線踏切⇒豊島区立目白庭園⇒徳川ドーミトリ⇒目黒駅交番⇒JR目白駅

JR山手線の駒込駅の北口の改札を背に右隣に「豊島区立染井吉野桜記念公園」があります。名前の通り染井吉野はこの地域(駒込・巣鴨)で発祥したので、その由来を説明する碑も建っています。ソメイヨシノは今や日本中に広まっていますが、江戸時代にこの地で“エドヒガンザクラ”と“オオシマザクラ”が自然交配でできた品種と言われています。ソメイヨシノは、一斉に咲き、そして一斉に散る様が見事なことから、日本人に好まれるようです。この公園は1997(平成9)年に開設され、園内にはエドヒガンザクラとオオシマザクラが植えられ、花を見ると親品種同士の比較ができるようにしているそうです。
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またこの敷地内には「ワシントンDCから里帰りした/ソメイヨシノ/生誕の地駒込(旧染井村)に植える」という碑もありまだまだ幼い木が植えられていました。
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六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、もともとは広大な平坦な土地だった所に丘や池を掘り、7年かけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園にしたのです。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来しているそうです。
明治初年、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、庭園を整備。この時期に周囲を現在もある赤煉瓦の塀で囲ったようです。その後は関東大震災や東京大空襲にも遭遇していないのです。
正門からは入ると内庭大門がありその前の枝垂れ桜は満開になると見事で、私はこれまでも数回見に来ています。本日はようやく花芽が見つけられる程度でした。

東洋文庫は東洋学の研究図書館。三菱第三代当主岩崎久彌が1924年に設立、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館で、世界5大東洋学研究図書館の一つとのこと。その蔵書数は国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊あり、内訳は、漢籍40%、洋書30%、和書20%、他アジア言語(韓・越・梵・イラン・トルコ・アラビア語等)10%。 現在職員は研究員も含め約80名で、2つの超域研究、10の研究班による歴史・文化研究および資料研究を行っているとのこと。 図書館は閉架式の閲覧室があるとのこと。一般に無料で閲覧や検索が出来るようです。本日は外観などを拝見しました。
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徳川慶喜巣鴨邸跡地は、巣鴨駅の駅前、白山通りに説明板と石碑がありました。
徳川慶喜は、慶応4年1月3日の鳥羽伏見の戦いで敗れ、こっそり大坂を軍艦で脱出し、江戸に逃げ帰った後 江戸城が無血開城。水戸で謹慎。その後水戸より駿府にある宝台院で謹慎。それから東京に戻ったのは明治30年。これより4年間、巣鴨に住んでいたのです。その後、明治天皇にも拝謁しているとのこと。この徳川慶喜の巣鴨邸は、中山道に面して門があり、奥行きは約200mもあったとのことで巷では「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれ親しまれていたとのことです。
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真性寺の創建年代等は不詳とのことですが、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたことが伝えられているとのこと。江戸時代に入り元和年間(1615年〜1624年)に中興されており、この時代に江戸六地蔵の第四番が安置されており、江戸幕府8代将軍徳川吉宗もたびたびこの寺に立ち寄ったとされているとのことです。
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巣鴨地蔵通り商店街は高岩寺の門前町。おばあちゃんの原宿といわれ、毎月4・14・24日に開かれる縁日には、昔懐かしい露店が地蔵通りに沿って軒を連ね、壮観を呈すると共に江戸情緒豊かな風情の中、10万人とも15万人ともいわれる善男善女で賑わうのです。
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染井霊園からとげぬき地蔵尊に行く途中の白山通り沿いにある東京都中央卸売市場豊島市場のフェンス前に、巣鴨薬園跡の説明板がありました。ここは、もともと伊勢国津藩主藤堂和泉守家の屋敷の一部で、幕府御用林となった後、巣鴨薬園だった場所とのこと。明治維新後廃止され、1937年(昭和12 年)東京市中央卸市場豊島分場が開設、現在にいたるようです。
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東京都染井霊園は都営霊園で旧称の染井墓地と呼ばれることも多いようです。
司馬江漢、斉藤鶴磯、小林平八郎、芥川龍之介、岡倉天心、高村幸太郎などのお墓を見ました。水戸徳川家墓所は水戸に移った様子で更地になっていました。

本妙寺。
1572年(元亀2年)日慶が開山。徳川家康の家臣らのうち三河国額田郡長福寺(現在愛知県岡崎市)の檀家であった武将を開基として、遠江国曳馬(現在静岡県浜松市中区曳馬)に創建された寺。その後寺地を転々とし、1616年(元和2年)小石川(現在東京都文京区)へ移り1636年(寛永13年)、小石川の伽藍が全焼し、幕府から指定された替地の本郷丸山(東京都文京区本郷五丁目)へ再度移ったとのこと。1657年(明暦3年)の明暦の大火はこの寺から火が出たとも伝えられるようです。境内の墓地には明暦の大火で亡くなった人々の菩提を弔う供養塔がありました。
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巣鴨地蔵通り商店街を抜けた所の猿田彦大神庚申塚そばに都電荒川線庚申塚駅がありました。都電荒川線は荒川区の三ノ輪橋から王子〜大塚、雑司ヶ谷〜早稲田までの路線。今日は庚申塚駅から向原駅まで乗車。下車するとすぐ傍が池袋でした。
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1日の利用客270万人と世界でも2位のワールドクラスのビックな池袋駅がある池袋は、江戸時代はもともと池袋村という小さな村。常磐から横浜方面へ輸送する鉄道が池袋に設置され、池袋が発展したのです。戦後、池袋の闇市はとても発展し、ちょっと怖い街のイメージがあり、また大きな歓楽街でもありました。
池袋のサンシャイン60が建つ前、スガモプリズンと呼ばれる巣鴨拘置所が第二次世界大戦中から大戦後に存在。スガモプリズンとは第二次世界大戦中には思想犯・反戦運動活動家が収容され、戦後には、A級戦犯、BC級戦犯が収容されていたので多くの死刑が執行され、東条英機らA級戦犯が7名、BC級戦犯が53名にも達したのです。
スガモプリズン跡に建てられたサンシャイン60の「60」は処刑された60にかけたものともいわれているとのこと。つまり、サンシャイン60自体が処刑された者たちへの慰霊碑ということのようです。
そして巣鴨プリズンの絞首台跡には池袋東中央公園の慰霊碑がありました。
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JR池袋駅東口からウイロードをくぐり北口に出た後、西武池袋線踏切を越すと自由学園明日館(みょうにちかん)がありました。ここは、1921年(大正10年)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカ人フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。
夫妻の教育理念に基づきライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たす」を基調に設計したようです。1934年(昭和9年)に自由学園が南沢(東久留米市)に移転したので明日館は主として卒業生の事業活動に利用されており歴史的、芸術的価値により、また関東大震災や第二次世界大戦の空襲からも免れたことで1997年(平成9年)国の重要文化財指定となってようです。
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豊島区立目白庭園は、豊島区の都市化、国際化が進む中で、人々が自然に接し、伝統文化を育む場できるようにと、平成2年11月に建設されたようです。園路は回遊式で、池の周囲をめぐりながら随所に自然の造形美に出会えます。水辺に近い飛び石からの眺めや滝見台からの眺めは景観を一変させ、同じ庭園とは思えない変化を楽しめます。またこの庭園は、園内中央に大きな池をつくり、水ぎわに石垣を築いてその上に「赤鳥庵」がありました。「赤鳥庵」は、京都の北山杉を用いた木造瓦葺き平屋建ての数奇屋建築で、姿はとても優雅に見えました。
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本日も晴天に恵まれ、17名が渡辺先生、CD吉田さんにお世話いただきながらのウォーキング。終わってみれば10:00〜15:00とはいえ、見学も多、く約2万歩はあっという間でした。
このシリーズは全23回ですが半分は終了したので早い!という印象。記録帳の地図が塗りつぶされていくのが励みになっています。顔なじみも出来、今後も楽しめそうです。
posted by yunofumi at 22:43| あちこちウォーク

2017年03月12日

2017.3.11 高尾山6回目

京王線高尾山口駅⇒清滝駅ケーブルカー→高尾山駅⇒山門(四天王門)⇒薬王院⇒ケーブルカー高尾山駅→清滝駅⇒京王線高尾山口駅

今朝目覚めると晴天!日中は気温12℃くらいになるとのことで、いつもは必死になっての“上り下り”なのですが、今日はお散歩気分で高尾山へお出かけしました。結果的には相変わらずの混雑ぶりでした、、、。
ケーブルカーは満員、一度に135人が乗車可能、約6分間の乗車。山頂よりの駅そばは傾斜31度8分という日本一の急こう配。最後尾の座席にいたのでこの急こう配を実感しました。
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お茶屋さんや猿園・野草園を横目に見た後、次のたこ杉に到着。
相変わらずの人気で記念撮影している方が多かったです。
この辺りで椿の花を楽しみました。
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浄心門、神変堂もゆっくり鑑賞。
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そしてめったに上らない108段の男坂に挑戦。
これはちょっと一気上りはできず、途中、休みながらでした。
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それからは俳句や和歌が刻まれている石碑が多くあり、よくよく見て回り、最後には北原白秋の歌碑を見ました。
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ようやく山門を入り天狗さんにご挨拶。
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それからふっと方丈で精進料理を出すはず、と思いつき、のぞいてみようと歩き出した時、なんとバッタリ、Iさん、Sさんに遭遇。
いやー奇遇!
お二人はMBTの仲間、そして山登りではベテラン。ということでしばし合流。
薬王院お詣り後は下りの道中では花を教えていただき、スミレも見つけました。こんなに小さく可憐で、一人では見落としていましたね。
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完全に下山してTAKAO599MUSEUMでお茶をし、ガールズトークをたっぷり満喫。
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その後、私はトリックアート美術館鑑賞と氷川神社へお参り。
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いずれも高尾山口駅から見えており、かねてより気にかかっていた場所です。
そしてお土産はすごい名前のお菓子。
帰宅した後いただいてみるとついつい手が伸びて、、、。食べすぎました。
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そんなこんなで気ままな気分で一日過ごしました。感謝!感謝!!
posted by yunofumi at 21:48| あちこちウォーク

2017年03月05日

2017.3.4 OUT DOOR FITNESSイベント

亀戸あさくさ古道巡りノルディックウォーキング

都立大島小松川公園⇒逆井の渡し跡⇒亀戸浅間神社・亀戸の富士塚⇒中川新橋⇒旧中川水辺公園⇒亀戸中央公園・亀戸スポーツセンター⇒丸八通り⇒亀戸水神駅⇒亀戸水神宮⇒亀戸梅屋敷⇒亀戸4丁目交差点⇒亀戸香取神社・亀戸大根之碑⇒十間橋⇒東京スカイツリー

都立小松川公園は、江東地区の防災市街地再開発事業で設置された公園。江東デルタ地域の東端に位置し、平常時はレクリエーションの場と して利用、災害時には避難広場となるはずの所です。普段は運動施設を中心としたスポーツ広場、季節の広場、風の広場、わんさか広場があります。公園の真ん中を旧中川が流れ、もみじ大橋やさくら大橋があり、今日は気持ちの良いそよ風が吹いていました。
この中川筋には「平井の渡し」「逆井の渡し」「中川の渡し」の三つの渡船場があったとのことです。そばの逆井橋は平成11年(1999)の架橋のもの。現在ここには逆井の渡し跡と石碑がありました。
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亀戸浅間神社は亀戸の住人甘露寺元長が大永7年(1527)に創建したとのこと。霊峰富士山の守護神で木花咲耶比売(コノハナサクヤヒメ)が祭られています。平成29年は、室町時代 大永7年(1527)に鎮座してから490年とのことです。本殿は安政2年(1855)の江戸大地震、大正12年(1923)の関東大震災で被災。現在の本殿は昭和初年に建立され、平成10年(1998)の大島・亀戸・小松川防災再開発事業にともなって、今の位置に移動したようです。
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傍には今風の亀戸の富士塚がありました。
参加者全員集合で記念撮影をしました。
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旧中川水辺公園は旧中川が、「江東内部河川整備計画」で約40年かけた河川改修工事により整備された河川敷が今の「旧中川水辺公園」となって平成23年に開園したとのことです。
サクラ、アジサイなどお花見にはとてもよさそう!!
今日の目的地の東京スカイツリーが次第に大きく見え、とても素敵な景色でした。春にはまた伺いたいものです。
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都立亀戸中央公園はA・B・Cの3地区にわかれた大きな。A地区には中央広場に時計塔があり中央広場は春にはさサクラのお花見客で賑わいようです。 B地区には夏休み中には人工の池で水遊び。 C地区は運動広場として、サッカー、テニスなどができるようです。 またここにはサザンカが50種4、000本ほどあるので冬はきれいな花を楽しめそうです。
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亀戸水神宮の創建は古く、各種の文献を総合すると室町幕府十二代将軍足利義晴の治世の頃(1521〜1546)と推定されているようです。土民が水害から免れん為の祈願とし、大和国吉野の丹生川上神社から勧請したもので、祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水を司る女神。この神宮の付近には鈴 木姓、田中姓の方が多く、何れも土着の古い農家の流れをくむ方達の様で亀戸の中でも特に歴史が古い地区だそうです。昭和20年のの大空襲の被害に遭いましたが昭和35年に再建されたとのことです。
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亀戸梅屋敷はもともと江戸時代の呉服商・伊勢屋(いせや)彦右衛門(ひこうえもん)の別荘「清香庵(せいきょうあん)」があった所で庭には見事な梅の木々多くあったようです。今は梅の庭園、江戸切子、寄席、お土産など楽しめる施設となっているようです。

亀戸香取神社は、藤原鎌足が東国下向の時に勧請したとか、応安4年(1371)鎮座などと伝えられています。境内には亀戸七福神の大国神、恵比寿神、天祖神社、大国神と恵比寿神が興した井戸、大根の碑があり、またスポーツ振興の神として知られています。
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北十間川と南十間川が交差しているあたりにある十間橋からの東京スカイツリーは川面に移る姿と共にとても綺麗でした。
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今朝9:00に都立大島小松川公園を出発しストレッチやトレーニングした後、ウォーキング開始。途中の神社などで説明も伺い12:00頃東京スカイツリー7に到着。晴天で約13℃、ほぼ無風で佳いコンディションのウォーキングイベントでした。何より参加者8名にインストラクター2名体制は大変ありがたかったです。
解散後、Uさんと東京ソラマチうまやの楽屋で昼食。私は三代目猿之助の楽屋めしをいただきました。程よい味と量で大満足。
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ようやくノルディックウォーキングの良さを実感しだした今日この頃です。
posted by yunofumi at 22:39| あちこちウォーク

2017年03月04日

2017.2.25 MBTウォーキング日光街道

千間台〜春日部宿
東武スカイツリー線千間台駅⇒戸井橋⇒歓喜院⇒称名寺⇒志村酒店⇒蔵出し味噌田所商店⇒東八幡神社⇒古利根川・大落古利根川⇒春日部駅→藤の牛島駅⇒お菓子の家SWAN⇒広島流お好み焼き七夜

今日はMBTシューズの仲間で街道ウォーキング。
元々、浦和の調神社傍になったお店のお客仲間です。
日光街道は江戸時代の五街道のひとつです。すでに私は一度完歩したコース。
江戸から宇都宮を経て日光に至る街道で千住(せんじゅ)から宇都宮までは奥州街道も兼ねています。仲間は既に日本橋から数度に分けて本日の千間台あたりまで到着していたのです。いつの間にか!ということで30kmは終了していた次第です。
さて本日は晴天、朝は0℃あたりの感じでしたが昼近くには10℃越を実感。
ということで仲間が集合。
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お久しぶりの挨拶が交わされました。
季節は確実にめぐっており、道中では桜も見物!
ホンにいい日和!
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古利根川に出ると向こうに古利根川橋が見えました。
埼玉県鳥シラコバトをデザインした風見鶏に、麦わら帽子をイメージしたアーチが中程にあり、光と風をテーマにした全長79mの橋上公園となっており、市制30周年記念事業として昭和59年に建設されたとのことでした。
春日部市は麦わら帽子、押絵羽子板、桐箪笥、桐箱などが特産だったことも思い出しました。
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春日部市の住人だった臼井儀人の代表作のマンガ「クレヨンしんちゃん」は有名で街中にこのような看板がありました。生意気でいたずら好きな幼稚園児が巻き起こす騒動を描く漫画は多くの人々を楽しませたのです。
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春日部駅で本日の歩程約6kmを終了。春日部から一駅の藤の牛島にMBT仲間の方がいるとのことでそこまでお出かけ。SWANというお菓子屋さんでした。
このお店はアレルギーのある子供たちに配慮したお菓子作りをしているとのことでかなり遠方からも顧客が見えるそうです。伺った時も混雑していました。絶品のプリンに皆で舌づつみを打ちました。
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そして駅前の七夜で広島焼お好み焼きを久しぶりに頂き満足して帰宅しました。
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今後も楽しみながらのウォーキングを心がけます。
posted by yunofumi at 22:21| あちこちウォーク

2017年02月08日

2017.2.4 第13回東京の新発見旅 「荒川区」後半

前半の記録に続き、後半の記録です。

漢江(ハンガン)(昼食)⇒日暮里中央通り交差点⇒日暮里中央通り⇒ホテルラングウッド⇒善性寺⇒隼人稲荷神社⇒羽二重団子⇒いも坂⇒谷中霊園⇒安立寺⇒天王寺⇒御殿坂⇒本行寺⇒経王寺⇒諏訪台通り⇒啓運寺⇒諏訪台ひろば館⇒富士見坂⇒浄光寺⇒諏方神社⇒太平洋美術会⇒荒川区立第一日暮里小学校さくら門・高村光太郎正直親切の碑⇒西日暮里公園・道灌山⇒西日暮里駅

東京荒川区の日暮里駅から延びる日暮里中央通り(バス通り)は80店以上の生地や皮、ドレス、洋裁関係など色々な店が集まっているという全国でも珍しい繊維街エリアです。
秋葉原といえば電気街、繊維といえば、ここ日暮里中央通り、通称バス通りというそうです。
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善性寺は、1487年(長亨元年)尊重院日嘉を開山として創建したとのこと。1664年(寛文4年)六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、徳川将軍家ゆかりのお寺となっています。また境内には安土桃山時代の作と言われる不二大黒天像、相撲の双葉山や政治家・石橋湛山のお墓もありました。
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羽二重団子は文政2年、初代庄五郎が、音無川のほとり芋坂のこの場所に「藤の木茶屋」を開業し、街道往来の人々に団子を出したのが始まりとのこと。このお団子が、きめ細かく羽二重のようだといわれたことで菓名ともども商号も「羽二重団子」としたようです。現在創業以来六代目、180年の歴史を刻んでいるとのことでした。
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羽二重団子は、その光沢と粘りとシコシコした歯ざわりが身上とのことで形は丸めて扁たく串にさし、昔ながらの生醤油の焼き団子と、渋抜き漉し餡団子の二種類を求め帰宅後いただきましたがお茶によく合いました。
また夏目漱石や正岡子規、司馬遼太郎といった文豪たちの作品の中にたびたび登場していると伺いました。店内にも古い資料が置いてありました。
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夏目漱石の「我が輩は猫である」に登場するのがいも坂と羽二重団子。
緩やかな長い坂でした。
私たちは羽二重団子からいも坂を経て日暮里駅に向かいました。日暮里駅そばは東京スカイツリーのビューポイントでした。
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啓運寺は、円住院日立聖人が開山で1644年(元和元年)下谷1丁目に創建。その後下谷2丁目、そして現在地に明治18年に移転したとのことです。木造毘沙門天像がお堂の中にかすかに見受けられました。
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坂の下の北側にその昔、花見寺といわれた妙隆寺(みょうりゅうじ)があったことからこの坂も花見坂(富士見坂)とよばれたとのこと。ほんの少し前まで見事な富士山が見えたそうです。
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浄光寺境内からの雪見が有名で雪見寺と呼ばれていたようです。境内左手には1691年(元禄4年)に空無上人が勧請した地蔵菩薩像、1809年(文化6年)に再建した地蔵菩薩立像、江戸六地蔵、そして福神漬け発明者野田清右衛門の碑がありました。
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福神漬けの起こりは、1885年(明治18年)、東京上野の漬物屋「山田屋」(現在の酒悦)が、福神漬け始まりの地で当時の店主・野田清右衛門が10年の歳月をかけ、福神漬けを開発したとのことです。
当時の食品業界を「アッ!」と言わせた野田清右衛門は表彰され、その記念でこの碑が建立されたとのことでした。

諏方神社、1202年(元久2年)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建したことがはじまり。江戸期には1649年(慶安2年)には日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守となったのです。日暮の里<ひぐらしの里>として江戸有数の景勝地として有名だったようです。神社のある諏訪台は、筑波山や日光の山々が見晴らせる眺めの良い景勝地で文人墨客や風流人がよく集った所とのこと。境内社としては末廣稲荷神社、銭降稲荷神社、三宝荒神社、三峰神社がみられました。
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荒川区立第一日暮里小学校校門前のフクロウの像と石碑。
創立百周年の際に造られたもので、石碑『正直親切』は卒業生の高村光太郎直筆。
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西日暮里公園・道灌山。
ここはかって太田道灌の砦に荷を運んでいた舟人が目印にした舟繁松があり荒川(隅田川)の雄大な流れ、筑波・日光山の山影を望むことができる景勝地で道灌山として多くの人が訪れたとのことです。花見寺のひとつ青雲寺の境内の一部で金毘羅社もあった様子。明治7年に加賀前田家の墓所となったようですがその後、昭和47年に墓所は加賀に移り、現在の公園となったそうです。園内には高台からの見晴らしや寺社巡り、虫の鳴き声を楽しむ虫聴きなどが行われたことを示す案内がありました。
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冬真っ最中の気温11℃、でも陽ざしは温かく、ウォーキングに最適でした。おかげで17名が信野先生の講釈を楽しく伺い、16000歩を闊歩。またこのシリーズでは珍しく都電に乗り、とても愉快でした。そうそう、昼食の韓国料理はおいしくいただきました。
今後も何が体験できるかと楽しみです。
posted by yunofumi at 23:09| あちこちウォーク

2017年02月05日

2017.2.4 第13回東京の新発見旅 「荒川区」前半

今日も盛り沢山の内容!!
ということでまずは午前の部の記録です。

JR南千住駅⇒松尾芭蕉像⇒常磐線南千住通り架道橋⇒延命寺⇒小塚原回向院⇒栗本商店・コツ通り⇒日光街道⇒素盞雄神社(すさのうじんじゃ)⇒誓願寺⇒千住大橋⇒熊野神社⇒天王公園⇒荒川ふるさと文化館・瑞光小学校跡⇒円通寺⇒浄閑寺⇒三ノ輪橋⇒常磐線通り新町ガード⇒南千住商友会⇒三ノ輪橋商店街・都電荒川線入口⇒三ノ輪駅停留場→荒川2丁目停留場⇒三河島水再生センター⇒荒川自然公園⇒荒川区がん予防・健康づくりセンター⇒荒川区役所⇒荒川公園⇒荒川郵便局⇒荒川警察署⇒中野酸工梶ヒ荒川仲町通り商店街⇒荒川区立生涯学習センター⇒尾竹橋通り⇒三河島駅前交差点⇒JR三河島駅⇒常磐線第一三河島ガード⇒親交睦商店街⇒漢江(ハンガン)(昼食)

松尾芭蕉像。
奥の細道矢立初めの地である荒川区では、平成27年に、松尾芭蕉の業績顕彰を図り「奥の細道サミット」を開催しました。そしてこれを記念して南千住駅西口ロータリーに松尾芭蕉像を建立したのです。
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延命寺は昭和57年に小塚原回向院から分院独立して開山。首切り地蔵(延命地蔵尊)が祀られています。首切り地蔵は、小塚原刑場の刑死者の菩提をとむらうために寛保元年(1741)に造立されたとのことです。
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小塚原回向院。
小塚原刑場は、江戸時代に大和田刑場、鈴ヶ森刑場とともに三大刑場と言われた所。明治初年に廃止されるまで、ここで処刑された人は約20万人と伺いました。
小塚原刑場での死体はぞんざいに扱われていたため回向院の住職が、刑死者を供養するため創建したのが現在の小塚原回向院なのです。
裏手には井伊直弼の“安政の大獄”で処刑された人たち、「吉田松陰」、開国派だった「橋本左内」、幕末期の儒学者「頼三樹三郎」などの墓所がありました。また“悪役4人組”といわれる『鼠小僧次郎吉』、『片岡直次郎』、『高橋お伝』、『腕の喜三郎』のお墓も。
回向院の壁には、前野良沢、杉田玄白の『解体新書』の扉絵がついた記念碑がありました。“ターヘル・アナトミア”の人体解剖図を検証するため、腑分けをしたことで人体の中を実際に見られたのです。
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南千住駅から千住大橋に向かう商店街は「コツ通り」と呼ばれているとのこと。由来は中世以来の地名「小塚原(こつかっぱら)」の略。途中に栗本商店と書かれた建物がありました。これは東京漫才発祥の地・演芸場栗友亭跡だそうです。すぐそばを日光街道が通っていました。

素盞雄神社(すさのうじんじゃ)は地元では天王様と呼ばれているとのことです。
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南千住、三ノ輪、三河島、町屋などの区域の総鎮守で、旧郷社。例祭「天王祭」は、都内でも珍しい二天棒の神輿で神輿振りをする事で知られているようです。境内にはその様子を示す沢山の写真が飾られていました。
素盞雄大神(すさのおおおかみ)と飛鳥大神(あすかおおかみ)がご祭神。社殿は合体してできていました。

熊野神社は、源義家が永承5年(1050)勧請したと伝えられているようです。北千住と南千住を結ぶ大橋を架けた1594年(文禄3年)伊奈備前守がこの神社に成就祈願したことから橋の架け替えは祈願と社殿修理をすることが慣例のようです。
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天王公園
千住大橋のほど近く、江戸時代に下野国(栃木県)皆川藩主であった米倉主計昌照の屋敷、「米倉屋敷」とも呼ばれた跡地の公園。桜やけやきなどの樹木、中央あたりにどっしりとした大きな岩から水が流れ落ちる大滝、アスレチック遊具などそろっている大きな公園でした。

荒川ふるさと文化館は平成10年に開館の荒川に関する考古・歴史・民俗資料を展示公開していました。
荒川ふるさと文化館の前に瑞光小学校跡の案内板を見つけました。
「瑞光小」の名前の由来は、明治20年の創立当時学校敷地があった素盞雄神社にある「瑞光石」からとられたとのこと。瑞光石のようにかがやく人「人瑞」になれという願いがこめられているようでした。

円通寺。
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ご本尊は聖観音菩薩で791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝わっているようです。明治維新の折、1868年(慶応4年)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行ったことから、火葬を行った場所近くの上野寛永寺の総門(黒門)がここに移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓が傍にずらりとありました。

浄閑寺は吉原遊廓の近くにあったことから、遊女の投げ込み寺といわれたとのこと。これは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡したのでこの寺に投げ込んで葬ったことによるのでした。山門前には小夜衣供養地蔵尊がありました。「悪い部分を撫でると良くなる」と言い伝えがあるとのことで私も頭などを撫でました。
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三ノ輪橋商店街・都電荒川線入口と表示があり、そこから商店街を抜けると都電が止まっていました。
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今日はウォーキングツアーですが特別に三ノ輪駅から荒川2丁目まで乗車。停留所間が短いことや一番前での景色を楽しみました。それにしても乗客が多いことに驚きました。

荒川自然公園は三河島水再生センターの施設の上に新たに人工地盤を造ってそのスペースに造られた公園。1974年開園で、面積は約6万m2で荒川区立公園の中ではもっとも面積が広いとのこと。公園には3ブロックあり、人工的な池と樹木などが多い南側地区、野球場やテニスコートなどがある中央地区、子供が交通ルールを学ぶ交通園などがある北側地区となっています。また三河島水再生センターは日本で最初の本格的な下水処理場だそうです。
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荒川区役所の正面玄関の東南に荒川公園がありました。春は人気のお花見スポットとのことです。本日はもう桜の開花が見られました。
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荒川仲町通り商店街はかつて「小さなアメ横」と言われた所。全長500mほどの細い路地に、精肉店や鮮魚店、洋品店など、昔ながらの個人商店が並び、平日でも買い物客が多く訪れるようで、街並みの散策をしました。
そして腹ペコとなった私たちは漢江(ハンガン)に行き着き、ようやく昼食となりました。
ではこの続きはまた後日!!お楽しみに!!
posted by yunofumi at 23:21| あちこちウォーク