2017年04月22日

2017.4.18 銀座線ウォーク第1回

渋谷駅〜赤坂見附駅

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキングします。
ということで本日は駅としては渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附の辺りをウォーキングなのです。

JR渋谷駅⇒ヒカリエ⇒宮益坂⇒御嶽神社⇒こどもの城⇒国連大学⇒青山学院⇒高野長英隠棲地⇒AOYAMA RISE SQUARE⇒大松稲荷神社⇒PRADAビル⇒青南小学校・中村草田男句碑⇒微熱山丘Sunny Hills⇒AW kitchen 青山店⇒Blue Bottle⇒表参道駅⇒山陽堂書店⇒斎藤茂吉歌碑⇒善光寺⇒徳富蘆花旧宅⇒熊野神社⇒高徳寺⇒梅窓院・青山氏墓所⇒青山墓地・大久保利通墓・乃木大将墓所⇒外苑前・外苑入口⇒カナダ大使館⇒高橋是清翁記念公園・高橋是清邸跡⇒薬研坂⇒豊川稲荷・大岡忠相墓所⇒山脇学園・武家屋敷門⇒丹後坂⇒赤坂不動⇒一ッ木通り⇒浄土寺・六地蔵⇒赤坂見附跡⇒赤坂見附駅

銀座線の車両は「オレンジ」(橙)、路線記号はG。1927年(昭和2年)に浅草 - 上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄とのこと。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」という言葉が使われたそうで、アジア・オセアニア地域では初めての地下鉄路線とのことでした。また、一番に乗車したのは原鉄道模型博物館の館長、原信太郎だそうで、同館には当時の新聞記事等が展示されているようですから一度見に行くようです。
本日は朝日旅行の日帰りツアーで案内人は東京シティガイド。参加者30名超えのため約10名1グループになって出発。私がいたBグループ案内人は七尾さん。
まずはヒカリエ11階に上り東京メトロ銀座線駅のスタート地点を確認。
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まったく渋谷は工事で大騒ぎ真っ最中です。

宮益御嶽神社の狛犬は全国的にも大変珍しい日本狼石像でした。鎮座は不明といわれていますが、作成は江戸時代1673〜1681年(延宝年間だとのこと。社殿前の日本狼像狛犬は、ブロンズ製で、原形をモデルにして製作した多田端穂作でした。毎年11月には酉の市で賑わうようです。
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青山学院大学は渋谷4丁目に約12万uの敷地に今では幼稚園から大学院までそろっているとのこと。
最初は明治7年、メソジスト監督教会の宣教師によって創立された女子小学校だそうです。
アカデミックな雰囲気の中、先日亡くなられたペギー葉山さんの学生時代の歌碑がありました。
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第93回東京箱根間往復大学駅伝で往路・復路の総合優勝3連覇して大学の人気はうなぎのぼりのようです。

PRADAビル。
表参道やみゆき通りにはブランドショップが沢山あり、どれも著名建築家のセンスをふんだんに使った設計だそうです。このビルはデザインアーキテクトはヘルツォーク&ド・ムーロン。2003年に完成したようですがとても斬新でした。
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青南小学校にある中村草田男句碑
中村草田男(なかむらくさたお)(1901−1983)。俳人。外交官の父の赴任先の中国・福建省で生まれ、3歳のときに帰国し昭和4年(1929)高浜虚子の門弟となり句作に励み、同人誌『ホトトギス』に作品を発表しています。代表句「降る雪や明治は遠くなりにけり」は昭和6年(1931)大学生だった草田男が母校・青南小学校を訪問した際に詠んだものとのこと。昭和52年(1977)青南小創立70周年記念に、この句碑が正門内の校舎前庭に建立されたのです。
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微熱山丘Sunny Hills。
表参道駅から路地に入ったところにあるヒノキの角材で作られたお店。設計は隈研吾さん。
台湾の有名なパイナップルケーキが一番のスィーツ。好きな方は台湾の本店まで求めに行くそうです。
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AW kitchen 青山店。
契約農家直送の新鮮野菜などを使ったお料理を出すお店でした。旬の野菜がふんだんに使われたサラダやパスタがとても美味しかったです。
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山陽堂初代萬納孫次郎は、明治24年(1891年に書店を始め、昭和20年東京大空襲で焼け出されたが敷地に井戸があり多くの人々を助けたようです。
山陽堂書店の壁面には谷内六郎さんの壁画がありました。壁画は昔、新潮社社長が建築途中の山陽堂の前を通り通勤していた時、 週刊新潮表紙を飾っていた六郎氏の絵を壁画にと思いつき昭和38年(1963年)に完成した黄色い背景の赤い風船の絵が壁画第一号、昭和50年(1975年)に現在の「傘の穴は一番星」に変わったとのことです。
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神宮前の北青山熊野神社は神宮前・北青山の総鎮守だとのこと。
熊野神社は元々紀州徳川家・徳川頼宣の邸内(現在の赤坂御所の位置)にあったのを1644年(正保元年)に地元町民の請によって現在地に移遷されたことが始まりで、神社自体の創建は、徳川頼宣が自邸内に御宮を勧請した1619年(元和5年)に遡るとのことでした。
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豊川稲荷は元赤坂にあり、豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の、唯一の直轄別院(飛び地境内)だそうです。
元々は大岡越前守忠相が愛知の豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのが最初のようです。
境内には大岡越前守忠相の墓所もありました。
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山脇学園の武家屋敷門。
山脇学園は1903年(明治36年)に山脇玄、山脇房子夫妻により牛込白銀町に女子實(じっ)脩(しゅう)学校として設立され、3年後には赤坂檜町に新校舎を建設し、移転とともに高等女子實脩学校となったのです。
武家屋敷門は千葉県九十九里町の山脇学園・松籟荘内にあった「重要文化財 武家屋敷門」を、本校舎建て替え工事にあわせて、赤坂の本校敷地内に移築したようです。 この武家屋敷門は、もと老中本多美濃守忠民(三河国岡崎藩五万石)の屋敷門で、1862年(文久2年)の大火で焼失したが、直ちに再建され、今日に至ったものだそうです。現在の千代田区丸の内・東京中央郵便局の位置にあった代々老中職の役屋敷の表門なのです。大名屋敷として我が国に現存しているのは、この門を含め僅か三門に過ぎないようで貴重な文化財だそうです。
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近頃、少しは都内散策に慣れてきたので見聞きしたことがある梅窓院などの記事は載せませんでした。
しかしコースの作り方や講師、旅行社の違いで目新しいことも多かったです。今日は春なのに27℃と暑さが厳しく、歩程約7km、約17000歩には満足。まずは晴天を喜びつつのウォーキングでした。
posted by yunofumi at 22:59| あちこちウォーク

2017年04月21日

2017.4.16 七沢森林公園でノルディックウォーキング

今朝は気温10℃以上と温かい中、目的の公園が遠いので車で向かいました。三芳PAより圏央道・東名・厚木小田原道路を乗り継ぎ西厚木まで休憩しながら90kmを走行。久しぶりの長距離ドライブで約2時間は気持ちよく爽快な気分。
参加者約30名、インストラクター6名でキャラバン主催のノルディックウォーキングスタートです。

神奈川県立七沢森林公園中央駐車場⇒七沢川⇒門口・七沢城址⇒七沢大橋⇒七沢自然「ふれあいセンター⇒鐘ヶ獄・七沢浅間神社⇒広沢寺⇒二橋⇒七沢温泉元湯玉川館→七沢森林公園中央駐車場

神奈川県立七沢森林公園は2007年森林セラピー基地に認定された厚木市・東丹沢七沢温泉郷にあります。丹沢大山国定公園の東山麗にあり、里山環境が素晴らしく広大で、入口の森のかけはしを含め眺めが素晴らしい。
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ノルディックウォーキング前には入念なストレッチです。山々を眺めながらは爽快!
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途中では桜をはじめ花々や緑を大いに楽しみました。
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日中は晴天、微風、27℃で林道を含め約7kmをノルディックウォーキングしました。自然の中の森林浴は素晴らしい気分になれました。
帰りは友人のUさんが同乗してくださったので川越の「いも膳」でプチ贅沢をして解散!
本日はお誘いを受けて少し遠出でしたが楽しいノルディックウォーキングができました。ノルディックウォーキング人口増加を実感した1日でした。
posted by yunofumi at 06:59| あちこちウォーク

2017年04月15日

2017.4.15 多摩森林科学園へ

JR高尾駅⇒敷島橋⇒甘里町交差点⇒多摩森林科学園⇒JR高尾駅

3月末に新聞で紹介されていた桜のスポット、八王子市にある多摩森林科学園を今日は訪れました。

高尾駅到着でまず高尾山の天狗伝説にちなんだ大きな天狗像が3・4番ホームの外れにあるとのことで見に行きました。
このホームにはまた、国産レールとしては最古と説明してあるレールがありました。
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森林総合研究所多摩森林科学園は今、公開されている15haの所に7400本の樹木が植えられているとのこと。森林の研究機関で桜の遺伝子、森の保護や管理、動物・昆虫の研究や観察会も行われているようです。
園内は既に花が終わった種類も多かったですがまだまだ多くの桜を楽しめました。
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↑「はるか」 ↓「安行の大提灯」
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↑「白妙」 ↓「八重紅枝垂」
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↑「御車返し」 ↓「川崎の旗桜」
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↑「ヤマルリソウ」 ↓「レンギョウ」
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↓「タチツボスミレ」
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関山ベンチからの風景をはじめ、色とりどりの桜が咲く山々を見られてとても満足でした。
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本日はお天気に恵まれ23℃もあった感じ。ここは八王子の外れですから少しは桜も遅く咲いているかもしれませんが、本当に見事だったのです。
多摩森林科学園は広く、里山が連なっているようで整備されたコースが歩道としてありましたが、アップダウンはそれなりでした。やはり靴などはそれなりに考えないといけません。
いただいたパンフレットによると桜は2月から4月末まで順次咲くようです。また園内ガイドツアーや森林講座もあるとのことでした。今後は季節ごとに訪れるのも良いかもしれません。
私は本日、一言堂の高尾天狗パンが売れ切れで買えなかったこと、多摩御陵や都立陵南公園へ行けなかったのでまたの機会を作ります。そう、ちょっと心残りなのです。
posted by yunofumi at 21:15| あちこちウォーク

2017年04月05日

2017.4.2 OUT DOOR FITNESSノルディックウォーキング

亀戸中央公園⇒都立大島小松川公園

この公園は、東部7公園のひとつ。日立製作所の亀戸工場のあったところを整備し、昭和55年開園。A・B・Cの3地区に分かれているとのこと。とても広大でA地区は、中央広場に時計塔やアスレチック風の木製遊具が設置され、子供たちの遊び場。B地区は、人工池、流れがあり周囲は芝生の憩いの広場。C地区は、運動広場として整備され、多目的球技広場、テニスコートなどがあるようです。
園内の植物にはサザンカ、サトザクラ、ソメイヨシノ、アンズ、メタセコイアなどが見られますが特にここは「サザンカの名所」として親しまれているとのことでした。
本日はA地区の時計塔に10:00集合。桜がほぼ満開の樹木も多く、青空の元、10名の参加者は大島小松川公園までノルディックウォーキングを楽しみました。昨日とは大違いで気温14℃ポカポカ陽気、風ほとんどなく、約1万歩を完歩。
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今日は東京の、それも大きな公園の桜を見ながらのお花見ウォーキングはとても印象的でした。感謝!!
posted by yunofumi at 23:50| あちこちウォーク

2017.4.1 第15回東京の新発見 「足立区」後半 

4/1昼食後の歩程
東京都中央卸売市場足立市場・海鮮食堂(昼食)⇒千住大橋駅⇒稲荷神社⇒八幡神社⇒千住神社⇒大黒湯⇒千住宿プチテラス高札場跡⇒横山家住宅・絵馬屋⇒名倉医院⇒足立区学びピア21⇒新千住大橋⇒梅田通り⇒足立梅田郵便局⇒梅田7丁目交番⇒梅島小学校⇒東武スカイツリーライン梅島駅⇒梅島天満宮⇒ベルモント公園⇒西新井駅前交番⇒グリーンロード⇒西新井税務署⇒西新井太師⇒西新井太師駅

千住神社は千住(千寿)に集落が形成され始めた926年(延長4年)、土地鎮護と五穀豊穣を祈り、伏見稲荷より分霊を勧請し千崎稲荷神社が創建されたそうです。1051年(永承6年)、源義家は奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ツ森(現 千住神社)に陣営し、戦勝祈願をしたと古記録にあるとのこと。1279年(弘安2年)、武蔵国一ノ宮氷川神社より分霊を勧請し氷川神社を創立。鎌倉時代より江戸時代にかけて、ここを二ツ森といい、旧考録には代々の将軍が二ツ森で鷹狩りを行ったとのこと。寛永年間には、千住が日光街道の第一宿となり、その西方にあるので西の森とも言われた所。明治の時代を経て1915年(大正4年)千住神社と改められたのですが1945年(昭和20年)の空襲で社殿が焼失したとのことですが、1958年(昭和33年)、社殿が再建され現在の姿のようです。
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大黒湯は千住寿町にあり、立派な建物から『ザ・キング・オブ銭湯』と呼ばれているとのことです。この建物は1929年(昭和4年)の建築。脱衣場の天井には、約百枚の日本画があり露天風呂もあるそうです。また大きな浴室には定番の富士山のぺンキ絵も見られるそうです。
関東で多く見られる宮型造り銭湯の様式は関東大震災後に多くつくられたそうです。
大黒湯の建物は三角形の千鳥破風とゆるくカーブした唐破風を重ねた正面の構えはとても立派でした。
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宿場通りを進むと商店のシャターには昔の風景を示す絵が描かれなかなか楽しい。
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横山家住宅は江戸時代後期の建物(昭和11年改修)で宿場町の名残をとどめる商家。敗退する彰義隊が柱に斬りつけた跡や、戦時中に焼夷弾に貫かれた屋根などが残っているそうです。
横山家のお向かいの絵馬屋は代々絵馬を作り続けている吉田屋。縁取りした経木に色とりどりの泥絵具で描く千住絵馬の伝統を守り続け、またその代表作を一括保存しているとのことです。
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名倉医院は1770年(明和7年年)業祖名倉直賢(1750〜1827)がこの地に、骨接ぎの医業を創めたのが最初。全国から患者が来たとのこと。その当時の建物が今も残っているようです。
その後、第5代名倉謙蔵(1866〜1939)が、東大医学部の前身東大の別科を卒業し医師の資格を取得し、昭和6年には神田駿河台に、西洋医学を中心とした整形外科専門病院を築いています。
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荒川の堤防に面して足立区生涯学習総合施設、学びピア21があります。
ここは忘れもしない日光街道歩きで強風と雨にあおられながら駆け込んで休憩した場所。中には足立区立中央図書館、荒川ビジターセンター、足立区生涯学習センター、放送大学東京足立学習センターがありあらゆる世代、あらゆるニーズに合った生涯学習が提供できる施設となっているのです。今日は東京スカイツリーが見えてまた良かったです。
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千住新橋は、足立区千住と同足立の間の荒川に架かる橋。荒川の河口から12.6 kmの地点にあり、右岸は足立区千住五丁目で左岸は足立区足立一丁目で 橋の全長は1981年(昭和56年)竣工の橋は橋長446m、幅員15.75m、最大支間長120mの鋼連続箱桁橋。河川区域外にある橋の前後の取付道路は高架橋で、右岸側は1981年(昭和56年)完工した千住新橋右岸取付高架橋といわれ橋長135m最大支間長45mの連続鋼鈑桁橋に接続しています。

ベルモント公園は足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた洋風の公園。多くの花壇、赤レンガの陳列館(オーストラリアの工芸品・日用品などを展示)、ヒツジのモニュメントやユーカリ・ブラシノキ・アカシアなどのオーストラリア原産の植物などが見られました。また、バラも多く花に季節はとても見事なようです。
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西新井大師は826年(天長3年)弘法大師「空海」が開創し正式名称は五智山遍照院總持寺といい古くから「関東の高野山」といわれています。境内は広く梅、桜、藤、芍薬、菖蒲、紫陽花があり年中花が見られるようです。その中でも一番は3000株以上もあるという牡丹は有名です。
本日は山門が保存修理中だったのでお詣り後は山門前の清水屋さんで草だんごをいただき帰路につきました。
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東武大師線は大師前駅〜西新井駅の一駅区間。元々は大正時代、東武伊勢崎線と東上線を結ぶ連絡線上の駅として開設。第二次世界大戦による東京への大空襲が激化したため営業は休止。戦後、大師様信仰が高まり再び営業を開始。改札はフリーパスで無料でした。西新井駅からは東武スカイツリー線を、北千住でJR常磐線に乗り換え、帰宅しました。
本日は時たまポツポツと小雨あり。気温約9℃でやや寒い感じでしたが12名参加。講師信野先生、CDは黄木さん。スタート10:00。ゴール16:00頃でしたがまずは無事に終了しました。この回は特に日光街道ウォークを思い出すことが多く、大勢でのウォーキングは正直、初めて見るところはイマイチ、ピンと来ていないことも多いのですが今日はおおかた納得でき、楽しめました。感謝。
posted by yunofumi at 19:43| あちこちウォーク

2017年04月03日

2017.4.1 第15回東京の新発見 「足立区」前半 

JR北千住駅⇒宿場町通り・千住本陣跡⇒千住街の駅⇒きたろーど71010⇒大橋眼科医院⇒千住ほんちょう商店街⇒勝専寺⇒だんごの美好⇒足立区薬剤師会⇒足立成和信用金庫⇒東京芸術センター・千住宿問屋場・貫目改所跡⇒千住高札場跡⇒あらい歯科医院⇒一里塚跡⇒千住庁舎⇒自然真営道発見の地⇒かもん宿商店街⇒足立区千住作業所はばたき⇒掃部宿憩いのプチテラス⇒源長寺⇒千住仲町交差点⇒中央卸売市場足立市場⇒千住歴史プチプラス⇒蒟蒻屋粉川吉活代目⇒千住宿奥の細道プチテラス⇒足立市場前交差点⇒櫻神社⇒石洞美術館⇒橋戸稲荷神社⇒大橋公園・奥の細道矢立初の地⇒東京都中央卸売市場足立市場・海鮮食堂(昼食)

宿場町通りを入った所に千住本陣の説明板がありました。
これが本日の最初の説明板でしたがこの足立区はその後一日中とても案内が丁寧な所でした。
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「千住街の駅」はお休み処で街歩きに役立つマップや足立区をちょっと知ることのできるパネル展示などがありました。やや手狭な感じもしましたがお店番がおられた方もとても気さくで良い雰囲気でした。
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大橋眼科医院の建物は元々、1917年(大正6年)に建てられたドイツの民家風の医院(初代院長:故・大橋重義氏)。老朽化により取り壊すことになったところ、惜しむ声が多く寄せられ、医院の経営者である鈴木英夫氏の意向で旧建物をイメージして1982年(昭和57年)に改築。前建物とかなり似せており、さらに都内の近代建築から部材を集めたそうで、数々の歴史を継承しているとのことです。
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勝専寺は「赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院が本山とのこと。寺伝では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたということです。
江戸時代には日光社参に際して将軍の御旅所になっていたとうかがいました。
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閻魔堂の中は暗かったですが閻魔様の姿が見えましたのでお詣りしました。

東京芸術センターは、公民のパートナーシップにより、『あだち産業芸術プラザ』として、「あだち産業センター」と一体的に整備された民間施設だそうです。足立区の新しい産業と芸術を創造する拠点ということでしょうか。ホール、会議室などがあり、区民優先での利用だそうです。

宿場にある3つの場所を説明します。
宿場の問屋場(といやば)とは当時の宿駅での公用交通のための伝馬・人足の継立てを差配する施設のこと。問屋場には問屋・年寄の宿役人や問屋が奉公人として雇った帳付(ちょうづけ)・馬指(うまさし)という下役も詰めていたようです。
貫目改所(かんめあらためところ)は江戸幕府が街道往来の荷物の重量を検査するために宿場の問屋場に設置した役所のようです。

高札場(こうさつば)とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目をひくように高く掲げておく場所のこと。

一里塚は江戸時代の主要街道の両側に,1里 (36町=約 4km) ごとに築かれた塚のことで,路程標の役割をしていました。起源は古代中国だそうですが、日本では戦国時代末期にはすでに存在していたようです。正式には1604年(慶長9 年)徳川家康が江戸日本橋を起点として,東海,東山,北陸の3街道に1里ごとに5間 (約 9m) 四方の塚を築かせ,塚の上にはえのきや松を植え旅行者に便宜を与えたのです。幕府はのち3街道以外にもこの制度を広めましたし、諸藩もこれにならって脇街道 に築いたようです。

ウォーキング途中で「自然真営道発見の地」の説明版を発見。
『自然真営道』は安藤昌益の稿本で江戸中期の常識的ではない社会思想や科学的自然観、生命尊重の医学書だそうです。
この稿本が発見された当時の持ち主は北千住の名士だった橋本律蔵(1824〜1882)という穀物問屋さんの主人。この方は中々の文化人で多くの蔵書があり、死後古書店に引き取られた中にこの本があったので世間もアッとびっくりだったそうです。

掃部宿(かもんじゅく)憩いのプチテラスはもと自転車屋さんだった跡地を防災も目的としてミニ公園としたとのことです。掃部宿(かもんしゅく)とは仲町、河原町、橋戸町一帯の呼び名で、千住宿の一部だったようです。掃部という名前は、江戸時代初期、千住大橋架橋や掃部堤(かもんつづみ)築堤等に尽力した「石出掃部亮吉胤(いしでかもんのすけよしたね)」から名付けられたのでした。プチテラスの中には、千住宿、掃部宿の歴史を説明した案内板がありました。
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源長寺は浄土宗の寺院で1610年(慶長15年)の創建。仲町を開発した石出掃部亮吉胤の草創で開基は伊奈備前守忠次。ご本尊は阿弥陀如来。
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千住歴史プチプラスの建物は元地漉紙問屋横山家の土蔵だったとのこと。土蔵は間口2間半、奥行き3間半の2階建てで庭を含め、歴史と潤いの街づくりをめざしているとのことでした。屋根の棟には棟札があり1830年の建築と示していました。ここの設置は足立区ですが運営管理はほぼボランテアが担っているようでした。
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蒟蒻屋粉川利二五代目の看板のあるお店の創業は明治6年、今年で127年間ずっとこんにゃくを作り続けて来たとのことです。現在のご主人である粉川利二さんは実は四代目とのことですが四代目は縁起が悪いとのことでそれで五代目にしたようです。のれんを受け継ぐのは大変ですね。感服でした。
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このお店のように千住宿の雰囲気が出るようにこの通りは昔の家業がわかるように大きな表札のような説明がありました。

千住宿奥の細道プチテラス。
足立区の歴史を今に伝える場所の一つ。京成本線「千住大橋」駅のそばにありました。テラス内には、奥州や北陸など「奥の細道」へここから旅立った「松尾芭蕉像」と、「日光道中 千住宿道標」、行灯をかたどった「日光街道 千住宿道標」、千住やっちゃばの小さなお宮にあった欅の木で作った「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などがありました。
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石洞(せきどう)美術館は佐藤千壽の収集したコレクションが中心。佐藤千壽の雅号が石洞だったことからこの名前と7なっているようです。外観は銅板葺き三角屋根に煉瓦タイル貼、平面六角形のユニークな建物。館内は工藝品が見やすいように落ち着いたトーンで統一されており、世界各地の土器や陶磁器、茶の湯釜、ガンダーラの仏像、漆器、青銅器、玉器など多く見受けられました。
佐藤千壽(1918〜2008)は千住金属工業鰍フ社長や会長をされた実業家とのこと。このようなお金の使い方をされる方は立派ですね。
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橋戸稲荷神社は、千住橋戸町にある稲荷神社。創建は926年(延長4年)または1490年(延徳2年)と所説あるようです。奥にある本殿は、区内唯一の土蔵づくりで1594年(文禄3年)に千住大橋がかけられると、人馬の往来が数多くなり、宿場を通る人々や、河川の小揚組などの信仰を集めたようです。1863年(文久3年)拝殿の前扉に、当時鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白狐が彫刻されたとのことです。拝殿扉脇にレプリカが見られました。
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大橋公園の入り口に「奥の細道矢立初の地」の石柱がありそこから荒川の川岸に降りるとかつて船着き場だった所に出ました。
芭蕉(ばしょう)は三重県伊賀(みえけんいが)市で生まれ、五・七・五の言葉(ことば)で俳句(はいく)を詠(よ)む俳諧師(はいかいし)となっています。46歳のとき、「奥の細道」の旅に出たのです。旧暦1689年(元禄2年)年3月27日早朝、深川を出発(しゅっぱつ)。この時、弟子の河合曽良(かわいそら)が同行したのです。
 二人は深川から舟に乗り、隅田川(すみだがわ)を上り、千住で舟を降り、日光街道を歩き始めたようです。現在は北岸から、または南千住に上がったということでこの説はまだどちらともかたまっていないようです。
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以前、日光街道ウォークの時は此処が工事で立ち入れなかったのです。3度目の正直でやっと詳しくみられました。

東京都中央卸売市場足立市場・海鮮食堂
足立市場は都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場。松尾芭蕉「奥の細道」の矢立初めで有名な千住大橋のすぐ近く、隅田川と国道4号線(日光街道)に面しており、交通アクセスの良い便利な場所にありました。その立地を生かし、城北地域の拠点市場として、都内城北地区や千葉北部、埼玉南部などへ水産物を供給しているとのことでした。
ちょっとした食堂が数件あり、私たちは「海鮮食堂」で昼食をとりました。さすがにおいしかったです。
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これにて午前の部は終了。気付けば歩数計はまだ1万歩未満。
何しろ立ち寄り場所が多かったのでかなり目まぐるしい半日でした。
posted by yunofumi at 23:46| あちこちウォーク

2017年04月02日

2017.3.25 OUT DOOR FITNESSノルディックウォーキング

猿江恩賜公園⇒龍眼寺⇒亀戸天満宮⇒猿江恩賜公園

都立猿江恩賜公園は、江東区猿江にあり、都営新宿線住吉駅からすぐでした。元々この地は、江戸時代から続く徳川幕府による貯木場であったとのことで1932年の開園だそうです。
とても広大な広さで野球場やテニスコートなど設備も完璧そうでした。
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今日は桜をはじめ色々な花が咲き始めており大いに楽しめました。
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ウォーキング開始後ほどなく龍眼寺に到着。
ここは亀戸3丁目、このお寺さんは境内が広く、すべての手入れが完璧そうでした。秋には萩が咲き誇ることから萩寺といわれているそうです。
亀戸七福神の布袋尊と地蔵尊、それに万治2年(1629)区内で発見されたという庚申塔も見られました。
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芭蕉句碑が建立されていました。
「濡れてゆく 人もおかしや 雨の萩」
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亀戸天満宮。
菅原道真が祭られており学問の神。普段は亀戸天神。
2月〜3月は梅まつり、4月下旬〜5月は江戸時代から有名な藤まつり、10月下旬〜11月下旬は菊まつりと季節ごとの花が見事なようです。
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今朝9:00に都立大島小松川公園を出発しストレッチやトレーニングした後、ウォーキング開始。途中の神社などで説明も伺い12:00頃東京スカイツリー7に到着。晴天で約13℃、ほぼ無風でよいコンディションのウォーキングイベントでした。何より参加者8名にインストラクター2名体制は大変ありがたかったです。
本日は桜がちらほら開花していました。また近日中にこの辺りに伺う予定です。
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2017年03月19日

2017.3.18 高尾山7回目

京王線高尾山口駅⇒稲荷山コース⇒高尾山山頂⇒
高尾ビジターセンター⇒薬王院⇒男坂⇒高尾山リフト山上駅→山麓駅⇒京王線高尾山口駅

1週間前、一人で登山するための下見でケーブルカーを使い、高尾山薬王院辺りを歩き回ってみました。幸いなことにバッタリIさんやSさんにも巡り合い、一人登山を相談。休日の稲荷山コースなら大丈夫そう!とアドバイスをいただいたので心を強くして今日は単身で挑戦した次第です。

天候は晴、風もほとんどなく、お昼頃には気温13℃もあった様子でとても快調でした。一人なので事故なく、無理なく、をモットーに稲荷山コース全3.1kmに挑戦。まずはおそうじ小僧に挨拶後11:00上り開始。
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旭稲荷を過ぎると順調に0.4、0.8、1.0、1.2kmと進み、ほぼ中間のあずま屋到着。
ここは本来手前には多摩丘陵、遠くは新宿高層ビルが見えるのですが、本日はぼんやり。
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そして2kmあたりから道が岩や木の根っこ、階段と複雑に。
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止めはゴール目前の約200段ありそうな急な階段。まずは小休止でおにぎりをほおばった後に出発。いつも段数を数えるのですが途中で断念なのです。ムムムム、、、。
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結局ゆっくりゆっくりで上り、足にも疲れなく無事に山頂に到着。お昼をとっくに過ぎており案の定、富士山は霞の中。13:00!!まずはメデタシメデタシ!!
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ビジターセンターを覗いた後は再びキョロキョロで下山。
すごい根っこも楽しみました。
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花はこれがやっと!先週見たスミレは見つけられませんでした。
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それから薬王院の門番然としている小天狗様と大天狗様を拝見。
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さらにもみじやの傍で「天狗注意」の標識にはびっくり。夜は一人では来られませんね。
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ということで楽しく下山。後はいつものように珈琲をいただき、ご機嫌で帰宅しました。感謝!感謝!来月は桜の頃にまた伺いたいものです。
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2017年03月17日

2017.3.18 第14回東京の新発見 「豊島区」

JR駒込駅⇒豊島区立染井吉野桜記念公園⇒駒込橋交差点⇒六義園⇒駒込警察前交差点⇒六義園公園⇒東洋文庫⇒本駒込6丁目・旧駕籠町⇒徳川慶喜巣鴨邸跡地⇒巣鴨橋⇒JR巣鴨駅⇒染井吉野石碑⇒真性寺⇒巣鴨地蔵通り商店街⇒高岩寺⇒巣鴨薬園跡⇒東京都染井霊園⇒慈眼寺⇒本妙寺⇒豊島市場前交差点⇒ファイト餃子⇒巣鴨地蔵通り商店街⇒巣鴨郵便局⇒巣鴨地域文化創造館⇒庚申塚交差点⇒猿田彦大神庚申塚⇒都電荒川線庚申塚駅→都電荒川線向原駅⇒豊島区立朋有小学校⇒東池袋雨水調整池⇒豊島郵便局⇒サンシャインシティプリンスホテル・むさし野(昼食)⇒サンシャイン前交番⇒東池袋中央公園・巣鴨プリズン跡⇒JR池袋駅東口⇒ウイロード⇒JR池袋駅西口⇒自由学園明日館⇒西武線踏切⇒豊島区立目白庭園⇒徳川ドーミトリ⇒目黒駅交番⇒JR目白駅

JR山手線の駒込駅の北口の改札を背に右隣に「豊島区立染井吉野桜記念公園」があります。名前の通り染井吉野はこの地域(駒込・巣鴨)で発祥したので、その由来を説明する碑も建っています。ソメイヨシノは今や日本中に広まっていますが、江戸時代にこの地で“エドヒガンザクラ”と“オオシマザクラ”が自然交配でできた品種と言われています。ソメイヨシノは、一斉に咲き、そして一斉に散る様が見事なことから、日本人に好まれるようです。この公園は1997(平成9)年に開設され、園内にはエドヒガンザクラとオオシマザクラが植えられ、花を見ると親品種同士の比較ができるようにしているそうです。
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またこの敷地内には「ワシントンDCから里帰りした/ソメイヨシノ/生誕の地駒込(旧染井村)に植える」という碑もありまだまだ幼い木が植えられていました。
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六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、もともとは広大な平坦な土地だった所に丘や池を掘り、7年かけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園にしたのです。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来しているそうです。
明治初年、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、庭園を整備。この時期に周囲を現在もある赤煉瓦の塀で囲ったようです。その後は関東大震災や東京大空襲にも遭遇していないのです。
正門からは入ると内庭大門がありその前の枝垂れ桜は満開になると見事で、私はこれまでも数回見に来ています。本日はようやく花芽が見つけられる程度でした。

東洋文庫は東洋学の研究図書館。三菱第三代当主岩崎久彌が1924年に設立、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館で、世界5大東洋学研究図書館の一つとのこと。その蔵書数は国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊あり、内訳は、漢籍40%、洋書30%、和書20%、他アジア言語(韓・越・梵・イラン・トルコ・アラビア語等)10%。 現在職員は研究員も含め約80名で、2つの超域研究、10の研究班による歴史・文化研究および資料研究を行っているとのこと。 図書館は閉架式の閲覧室があるとのこと。一般に無料で閲覧や検索が出来るようです。本日は外観などを拝見しました。
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徳川慶喜巣鴨邸跡地は、巣鴨駅の駅前、白山通りに説明板と石碑がありました。
徳川慶喜は、慶応4年1月3日の鳥羽伏見の戦いで敗れ、こっそり大坂を軍艦で脱出し、江戸に逃げ帰った後 江戸城が無血開城。水戸で謹慎。その後水戸より駿府にある宝台院で謹慎。それから東京に戻ったのは明治30年。これより4年間、巣鴨に住んでいたのです。その後、明治天皇にも拝謁しているとのこと。この徳川慶喜の巣鴨邸は、中山道に面して門があり、奥行きは約200mもあったとのことで巷では「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれ親しまれていたとのことです。
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真性寺の創建年代等は不詳とのことですが、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたことが伝えられているとのこと。江戸時代に入り元和年間(1615年〜1624年)に中興されており、この時代に江戸六地蔵の第四番が安置されており、江戸幕府8代将軍徳川吉宗もたびたびこの寺に立ち寄ったとされているとのことです。
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巣鴨地蔵通り商店街は高岩寺の門前町。おばあちゃんの原宿といわれ、毎月4・14・24日に開かれる縁日には、昔懐かしい露店が地蔵通りに沿って軒を連ね、壮観を呈すると共に江戸情緒豊かな風情の中、10万人とも15万人ともいわれる善男善女で賑わうのです。
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染井霊園からとげぬき地蔵尊に行く途中の白山通り沿いにある東京都中央卸売市場豊島市場のフェンス前に、巣鴨薬園跡の説明板がありました。ここは、もともと伊勢国津藩主藤堂和泉守家の屋敷の一部で、幕府御用林となった後、巣鴨薬園だった場所とのこと。明治維新後廃止され、1937年(昭和12 年)東京市中央卸市場豊島分場が開設、現在にいたるようです。
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東京都染井霊園は都営霊園で旧称の染井墓地と呼ばれることも多いようです。
司馬江漢、斉藤鶴磯、小林平八郎、芥川龍之介、岡倉天心、高村幸太郎などのお墓を見ました。水戸徳川家墓所は水戸に移った様子で更地になっていました。

本妙寺。
1572年(元亀2年)日慶が開山。徳川家康の家臣らのうち三河国額田郡長福寺(現在愛知県岡崎市)の檀家であった武将を開基として、遠江国曳馬(現在静岡県浜松市中区曳馬)に創建された寺。その後寺地を転々とし、1616年(元和2年)小石川(現在東京都文京区)へ移り1636年(寛永13年)、小石川の伽藍が全焼し、幕府から指定された替地の本郷丸山(東京都文京区本郷五丁目)へ再度移ったとのこと。1657年(明暦3年)の明暦の大火はこの寺から火が出たとも伝えられるようです。境内の墓地には明暦の大火で亡くなった人々の菩提を弔う供養塔がありました。
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巣鴨地蔵通り商店街を抜けた所の猿田彦大神庚申塚そばに都電荒川線庚申塚駅がありました。都電荒川線は荒川区の三ノ輪橋から王子〜大塚、雑司ヶ谷〜早稲田までの路線。今日は庚申塚駅から向原駅まで乗車。下車するとすぐ傍が池袋でした。
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1日の利用客270万人と世界でも2位のワールドクラスのビックな池袋駅がある池袋は、江戸時代はもともと池袋村という小さな村。常磐から横浜方面へ輸送する鉄道が池袋に設置され、池袋が発展したのです。戦後、池袋の闇市はとても発展し、ちょっと怖い街のイメージがあり、また大きな歓楽街でもありました。
池袋のサンシャイン60が建つ前、スガモプリズンと呼ばれる巣鴨拘置所が第二次世界大戦中から大戦後に存在。スガモプリズンとは第二次世界大戦中には思想犯・反戦運動活動家が収容され、戦後には、A級戦犯、BC級戦犯が収容されていたので多くの死刑が執行され、東条英機らA級戦犯が7名、BC級戦犯が53名にも達したのです。
スガモプリズン跡に建てられたサンシャイン60の「60」は処刑された60にかけたものともいわれているとのこと。つまり、サンシャイン60自体が処刑された者たちへの慰霊碑ということのようです。
そして巣鴨プリズンの絞首台跡には池袋東中央公園の慰霊碑がありました。
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JR池袋駅東口からウイロードをくぐり北口に出た後、西武池袋線踏切を越すと自由学園明日館(みょうにちかん)がありました。ここは、1921年(大正10年)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカ人フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。
夫妻の教育理念に基づきライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たす」を基調に設計したようです。1934年(昭和9年)に自由学園が南沢(東久留米市)に移転したので明日館は主として卒業生の事業活動に利用されており歴史的、芸術的価値により、また関東大震災や第二次世界大戦の空襲からも免れたことで1997年(平成9年)国の重要文化財指定となってようです。
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豊島区立目白庭園は、豊島区の都市化、国際化が進む中で、人々が自然に接し、伝統文化を育む場できるようにと、平成2年11月に建設されたようです。園路は回遊式で、池の周囲をめぐりながら随所に自然の造形美に出会えます。水辺に近い飛び石からの眺めや滝見台からの眺めは景観を一変させ、同じ庭園とは思えない変化を楽しめます。またこの庭園は、園内中央に大きな池をつくり、水ぎわに石垣を築いてその上に「赤鳥庵」がありました。「赤鳥庵」は、京都の北山杉を用いた木造瓦葺き平屋建ての数奇屋建築で、姿はとても優雅に見えました。
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本日も晴天に恵まれ、17名が渡辺先生、CD吉田さんにお世話いただきながらのウォーキング。終わってみれば10:00〜15:00とはいえ、見学も多、く約2万歩はあっという間でした。
このシリーズは全23回ですが半分は終了したので早い!という印象。記録帳の地図が塗りつぶされていくのが励みになっています。顔なじみも出来、今後も楽しめそうです。
posted by yunofumi at 22:43| あちこちウォーク

2017年03月12日

2017.3.11 高尾山6回目

京王線高尾山口駅⇒清滝駅ケーブルカー→高尾山駅⇒山門(四天王門)⇒薬王院⇒ケーブルカー高尾山駅→清滝駅⇒京王線高尾山口駅

今朝目覚めると晴天!日中は気温12℃くらいになるとのことで、いつもは必死になっての“上り下り”なのですが、今日はお散歩気分で高尾山へお出かけしました。結果的には相変わらずの混雑ぶりでした、、、。
ケーブルカーは満員、一度に135人が乗車可能、約6分間の乗車。山頂よりの駅そばは傾斜31度8分という日本一の急こう配。最後尾の座席にいたのでこの急こう配を実感しました。
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お茶屋さんや猿園・野草園を横目に見た後、次のたこ杉に到着。
相変わらずの人気で記念撮影している方が多かったです。
この辺りで椿の花を楽しみました。
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浄心門、神変堂もゆっくり鑑賞。
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そしてめったに上らない108段の男坂に挑戦。
これはちょっと一気上りはできず、途中、休みながらでした。
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それからは俳句や和歌が刻まれている石碑が多くあり、よくよく見て回り、最後には北原白秋の歌碑を見ました。
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ようやく山門を入り天狗さんにご挨拶。
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それからふっと方丈で精進料理を出すはず、と思いつき、のぞいてみようと歩き出した時、なんとバッタリ、Iさん、Sさんに遭遇。
いやー奇遇!
お二人はMBTの仲間、そして山登りではベテラン。ということでしばし合流。
薬王院お詣り後は下りの道中では花を教えていただき、スミレも見つけました。こんなに小さく可憐で、一人では見落としていましたね。
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完全に下山してTAKAO599MUSEUMでお茶をし、ガールズトークをたっぷり満喫。
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その後、私はトリックアート美術館鑑賞と氷川神社へお参り。
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いずれも高尾山口駅から見えており、かねてより気にかかっていた場所です。
そしてお土産はすごい名前のお菓子。
帰宅した後いただいてみるとついつい手が伸びて、、、。食べすぎました。
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そんなこんなで気ままな気分で一日過ごしました。感謝!感謝!!
posted by yunofumi at 21:48| あちこちウォーク

2017年03月05日

2017.3.4 OUT DOOR FITNESSイベント

亀戸あさくさ古道巡りノルディックウォーキング

都立大島小松川公園⇒逆井の渡し跡⇒亀戸浅間神社・亀戸の富士塚⇒中川新橋⇒旧中川水辺公園⇒亀戸中央公園・亀戸スポーツセンター⇒丸八通り⇒亀戸水神駅⇒亀戸水神宮⇒亀戸梅屋敷⇒亀戸4丁目交差点⇒亀戸香取神社・亀戸大根之碑⇒十間橋⇒東京スカイツリー

都立小松川公園は、江東地区の防災市街地再開発事業で設置された公園。江東デルタ地域の東端に位置し、平常時はレクリエーションの場と して利用、災害時には避難広場となるはずの所です。普段は運動施設を中心としたスポーツ広場、季節の広場、風の広場、わんさか広場があります。公園の真ん中を旧中川が流れ、もみじ大橋やさくら大橋があり、今日は気持ちの良いそよ風が吹いていました。
この中川筋には「平井の渡し」「逆井の渡し」「中川の渡し」の三つの渡船場があったとのことです。そばの逆井橋は平成11年(1999)の架橋のもの。現在ここには逆井の渡し跡と石碑がありました。
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亀戸浅間神社は亀戸の住人甘露寺元長が大永7年(1527)に創建したとのこと。霊峰富士山の守護神で木花咲耶比売(コノハナサクヤヒメ)が祭られています。平成29年は、室町時代 大永7年(1527)に鎮座してから490年とのことです。本殿は安政2年(1855)の江戸大地震、大正12年(1923)の関東大震災で被災。現在の本殿は昭和初年に建立され、平成10年(1998)の大島・亀戸・小松川防災再開発事業にともなって、今の位置に移動したようです。
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傍には今風の亀戸の富士塚がありました。
参加者全員集合で記念撮影をしました。
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旧中川水辺公園は旧中川が、「江東内部河川整備計画」で約40年かけた河川改修工事により整備された河川敷が今の「旧中川水辺公園」となって平成23年に開園したとのことです。
サクラ、アジサイなどお花見にはとてもよさそう!!
今日の目的地の東京スカイツリーが次第に大きく見え、とても素敵な景色でした。春にはまた伺いたいものです。
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都立亀戸中央公園はA・B・Cの3地区にわかれた大きな。A地区には中央広場に時計塔があり中央広場は春にはさサクラのお花見客で賑わいようです。 B地区には夏休み中には人工の池で水遊び。 C地区は運動広場として、サッカー、テニスなどができるようです。 またここにはサザンカが50種4、000本ほどあるので冬はきれいな花を楽しめそうです。
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亀戸水神宮の創建は古く、各種の文献を総合すると室町幕府十二代将軍足利義晴の治世の頃(1521〜1546)と推定されているようです。土民が水害から免れん為の祈願とし、大和国吉野の丹生川上神社から勧請したもので、祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水を司る女神。この神宮の付近には鈴 木姓、田中姓の方が多く、何れも土着の古い農家の流れをくむ方達の様で亀戸の中でも特に歴史が古い地区だそうです。昭和20年のの大空襲の被害に遭いましたが昭和35年に再建されたとのことです。
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亀戸梅屋敷はもともと江戸時代の呉服商・伊勢屋(いせや)彦右衛門(ひこうえもん)の別荘「清香庵(せいきょうあん)」があった所で庭には見事な梅の木々多くあったようです。今は梅の庭園、江戸切子、寄席、お土産など楽しめる施設となっているようです。

亀戸香取神社は、藤原鎌足が東国下向の時に勧請したとか、応安4年(1371)鎮座などと伝えられています。境内には亀戸七福神の大国神、恵比寿神、天祖神社、大国神と恵比寿神が興した井戸、大根の碑があり、またスポーツ振興の神として知られています。
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北十間川と南十間川が交差しているあたりにある十間橋からの東京スカイツリーは川面に移る姿と共にとても綺麗でした。
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今朝9:00に都立大島小松川公園を出発しストレッチやトレーニングした後、ウォーキング開始。途中の神社などで説明も伺い12:00頃東京スカイツリー7に到着。晴天で約13℃、ほぼ無風で佳いコンディションのウォーキングイベントでした。何より参加者8名にインストラクター2名体制は大変ありがたかったです。
解散後、Uさんと東京ソラマチうまやの楽屋で昼食。私は三代目猿之助の楽屋めしをいただきました。程よい味と量で大満足。
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ようやくノルディックウォーキングの良さを実感しだした今日この頃です。
posted by yunofumi at 22:39| あちこちウォーク

2017年03月04日

2017.2.25 MBTウォーキング日光街道

千間台〜春日部宿
東武スカイツリー線千間台駅⇒戸井橋⇒歓喜院⇒称名寺⇒志村酒店⇒蔵出し味噌田所商店⇒東八幡神社⇒古利根川・大落古利根川⇒春日部駅→藤の牛島駅⇒お菓子の家SWAN⇒広島流お好み焼き七夜

今日はMBTシューズの仲間で街道ウォーキング。
元々、浦和の調神社傍になったお店のお客仲間です。
日光街道は江戸時代の五街道のひとつです。すでに私は一度完歩したコース。
江戸から宇都宮を経て日光に至る街道で千住(せんじゅ)から宇都宮までは奥州街道も兼ねています。仲間は既に日本橋から数度に分けて本日の千間台あたりまで到着していたのです。いつの間にか!ということで30kmは終了していた次第です。
さて本日は晴天、朝は0℃あたりの感じでしたが昼近くには10℃越を実感。
ということで仲間が集合。
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お久しぶりの挨拶が交わされました。
季節は確実にめぐっており、道中では桜も見物!
ホンにいい日和!
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古利根川に出ると向こうに古利根川橋が見えました。
埼玉県鳥シラコバトをデザインした風見鶏に、麦わら帽子をイメージしたアーチが中程にあり、光と風をテーマにした全長79mの橋上公園となっており、市制30周年記念事業として昭和59年に建設されたとのことでした。
春日部市は麦わら帽子、押絵羽子板、桐箪笥、桐箱などが特産だったことも思い出しました。
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春日部市の住人だった臼井儀人の代表作のマンガ「クレヨンしんちゃん」は有名で街中にこのような看板がありました。生意気でいたずら好きな幼稚園児が巻き起こす騒動を描く漫画は多くの人々を楽しませたのです。
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春日部駅で本日の歩程約6kmを終了。春日部から一駅の藤の牛島にMBT仲間の方がいるとのことでそこまでお出かけ。SWANというお菓子屋さんでした。
このお店はアレルギーのある子供たちに配慮したお菓子作りをしているとのことでかなり遠方からも顧客が見えるそうです。伺った時も混雑していました。絶品のプリンに皆で舌づつみを打ちました。
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そして駅前の七夜で広島焼お好み焼きを久しぶりに頂き満足して帰宅しました。
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今後も楽しみながらのウォーキングを心がけます。
posted by yunofumi at 22:21| あちこちウォーク

2017年02月08日

2017.2.4 第13回東京の新発見旅 「荒川区」後半

前半の記録に続き、後半の記録です。

漢江(ハンガン)(昼食)⇒日暮里中央通り交差点⇒日暮里中央通り⇒ホテルラングウッド⇒善性寺⇒隼人稲荷神社⇒羽二重団子⇒いも坂⇒谷中霊園⇒安立寺⇒天王寺⇒御殿坂⇒本行寺⇒経王寺⇒諏訪台通り⇒啓運寺⇒諏訪台ひろば館⇒富士見坂⇒浄光寺⇒諏方神社⇒太平洋美術会⇒荒川区立第一日暮里小学校さくら門・高村光太郎正直親切の碑⇒西日暮里公園・道灌山⇒西日暮里駅

東京荒川区の日暮里駅から延びる日暮里中央通り(バス通り)は80店以上の生地や皮、ドレス、洋裁関係など色々な店が集まっているという全国でも珍しい繊維街エリアです。
秋葉原といえば電気街、繊維といえば、ここ日暮里中央通り、通称バス通りというそうです。
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善性寺は、1487年(長亨元年)尊重院日嘉を開山として創建したとのこと。1664年(寛文4年)六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、徳川将軍家ゆかりのお寺となっています。また境内には安土桃山時代の作と言われる不二大黒天像、相撲の双葉山や政治家・石橋湛山のお墓もありました。
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羽二重団子は文政2年、初代庄五郎が、音無川のほとり芋坂のこの場所に「藤の木茶屋」を開業し、街道往来の人々に団子を出したのが始まりとのこと。このお団子が、きめ細かく羽二重のようだといわれたことで菓名ともども商号も「羽二重団子」としたようです。現在創業以来六代目、180年の歴史を刻んでいるとのことでした。
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羽二重団子は、その光沢と粘りとシコシコした歯ざわりが身上とのことで形は丸めて扁たく串にさし、昔ながらの生醤油の焼き団子と、渋抜き漉し餡団子の二種類を求め帰宅後いただきましたがお茶によく合いました。
また夏目漱石や正岡子規、司馬遼太郎といった文豪たちの作品の中にたびたび登場していると伺いました。店内にも古い資料が置いてありました。
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夏目漱石の「我が輩は猫である」に登場するのがいも坂と羽二重団子。
緩やかな長い坂でした。
私たちは羽二重団子からいも坂を経て日暮里駅に向かいました。日暮里駅そばは東京スカイツリーのビューポイントでした。
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啓運寺は、円住院日立聖人が開山で1644年(元和元年)下谷1丁目に創建。その後下谷2丁目、そして現在地に明治18年に移転したとのことです。木造毘沙門天像がお堂の中にかすかに見受けられました。
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坂の下の北側にその昔、花見寺といわれた妙隆寺(みょうりゅうじ)があったことからこの坂も花見坂(富士見坂)とよばれたとのこと。ほんの少し前まで見事な富士山が見えたそうです。
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浄光寺境内からの雪見が有名で雪見寺と呼ばれていたようです。境内左手には1691年(元禄4年)に空無上人が勧請した地蔵菩薩像、1809年(文化6年)に再建した地蔵菩薩立像、江戸六地蔵、そして福神漬け発明者野田清右衛門の碑がありました。
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福神漬けの起こりは、1885年(明治18年)、東京上野の漬物屋「山田屋」(現在の酒悦)が、福神漬け始まりの地で当時の店主・野田清右衛門が10年の歳月をかけ、福神漬けを開発したとのことです。
当時の食品業界を「アッ!」と言わせた野田清右衛門は表彰され、その記念でこの碑が建立されたとのことでした。

諏方神社、1202年(元久2年)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建したことがはじまり。江戸期には1649年(慶安2年)には日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守となったのです。日暮の里<ひぐらしの里>として江戸有数の景勝地として有名だったようです。神社のある諏訪台は、筑波山や日光の山々が見晴らせる眺めの良い景勝地で文人墨客や風流人がよく集った所とのこと。境内社としては末廣稲荷神社、銭降稲荷神社、三宝荒神社、三峰神社がみられました。
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荒川区立第一日暮里小学校校門前のフクロウの像と石碑。
創立百周年の際に造られたもので、石碑『正直親切』は卒業生の高村光太郎直筆。
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西日暮里公園・道灌山。
ここはかって太田道灌の砦に荷を運んでいた舟人が目印にした舟繁松があり荒川(隅田川)の雄大な流れ、筑波・日光山の山影を望むことができる景勝地で道灌山として多くの人が訪れたとのことです。花見寺のひとつ青雲寺の境内の一部で金毘羅社もあった様子。明治7年に加賀前田家の墓所となったようですがその後、昭和47年に墓所は加賀に移り、現在の公園となったそうです。園内には高台からの見晴らしや寺社巡り、虫の鳴き声を楽しむ虫聴きなどが行われたことを示す案内がありました。
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冬真っ最中の気温11℃、でも陽ざしは温かく、ウォーキングに最適でした。おかげで17名が信野先生の講釈を楽しく伺い、16000歩を闊歩。またこのシリーズでは珍しく都電に乗り、とても愉快でした。そうそう、昼食の韓国料理はおいしくいただきました。
今後も何が体験できるかと楽しみです。
posted by yunofumi at 23:09| あちこちウォーク

2017年02月05日

2017.2.4 第13回東京の新発見旅 「荒川区」前半

今日も盛り沢山の内容!!
ということでまずは午前の部の記録です。

JR南千住駅⇒松尾芭蕉像⇒常磐線南千住通り架道橋⇒延命寺⇒小塚原回向院⇒栗本商店・コツ通り⇒日光街道⇒素盞雄神社(すさのうじんじゃ)⇒誓願寺⇒千住大橋⇒熊野神社⇒天王公園⇒荒川ふるさと文化館・瑞光小学校跡⇒円通寺⇒浄閑寺⇒三ノ輪橋⇒常磐線通り新町ガード⇒南千住商友会⇒三ノ輪橋商店街・都電荒川線入口⇒三ノ輪駅停留場→荒川2丁目停留場⇒三河島水再生センター⇒荒川自然公園⇒荒川区がん予防・健康づくりセンター⇒荒川区役所⇒荒川公園⇒荒川郵便局⇒荒川警察署⇒中野酸工梶ヒ荒川仲町通り商店街⇒荒川区立生涯学習センター⇒尾竹橋通り⇒三河島駅前交差点⇒JR三河島駅⇒常磐線第一三河島ガード⇒親交睦商店街⇒漢江(ハンガン)(昼食)

松尾芭蕉像。
奥の細道矢立初めの地である荒川区では、平成27年に、松尾芭蕉の業績顕彰を図り「奥の細道サミット」を開催しました。そしてこれを記念して南千住駅西口ロータリーに松尾芭蕉像を建立したのです。
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延命寺は昭和57年に小塚原回向院から分院独立して開山。首切り地蔵(延命地蔵尊)が祀られています。首切り地蔵は、小塚原刑場の刑死者の菩提をとむらうために寛保元年(1741)に造立されたとのことです。
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小塚原回向院。
小塚原刑場は、江戸時代に大和田刑場、鈴ヶ森刑場とともに三大刑場と言われた所。明治初年に廃止されるまで、ここで処刑された人は約20万人と伺いました。
小塚原刑場での死体はぞんざいに扱われていたため回向院の住職が、刑死者を供養するため創建したのが現在の小塚原回向院なのです。
裏手には井伊直弼の“安政の大獄”で処刑された人たち、「吉田松陰」、開国派だった「橋本左内」、幕末期の儒学者「頼三樹三郎」などの墓所がありました。また“悪役4人組”といわれる『鼠小僧次郎吉』、『片岡直次郎』、『高橋お伝』、『腕の喜三郎』のお墓も。
回向院の壁には、前野良沢、杉田玄白の『解体新書』の扉絵がついた記念碑がありました。“ターヘル・アナトミア”の人体解剖図を検証するため、腑分けをしたことで人体の中を実際に見られたのです。
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南千住駅から千住大橋に向かう商店街は「コツ通り」と呼ばれているとのこと。由来は中世以来の地名「小塚原(こつかっぱら)」の略。途中に栗本商店と書かれた建物がありました。これは東京漫才発祥の地・演芸場栗友亭跡だそうです。すぐそばを日光街道が通っていました。

素盞雄神社(すさのうじんじゃ)は地元では天王様と呼ばれているとのことです。
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南千住、三ノ輪、三河島、町屋などの区域の総鎮守で、旧郷社。例祭「天王祭」は、都内でも珍しい二天棒の神輿で神輿振りをする事で知られているようです。境内にはその様子を示す沢山の写真が飾られていました。
素盞雄大神(すさのおおおかみ)と飛鳥大神(あすかおおかみ)がご祭神。社殿は合体してできていました。

熊野神社は、源義家が永承5年(1050)勧請したと伝えられているようです。北千住と南千住を結ぶ大橋を架けた1594年(文禄3年)伊奈備前守がこの神社に成就祈願したことから橋の架け替えは祈願と社殿修理をすることが慣例のようです。
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天王公園
千住大橋のほど近く、江戸時代に下野国(栃木県)皆川藩主であった米倉主計昌照の屋敷、「米倉屋敷」とも呼ばれた跡地の公園。桜やけやきなどの樹木、中央あたりにどっしりとした大きな岩から水が流れ落ちる大滝、アスレチック遊具などそろっている大きな公園でした。

荒川ふるさと文化館は平成10年に開館の荒川に関する考古・歴史・民俗資料を展示公開していました。
荒川ふるさと文化館の前に瑞光小学校跡の案内板を見つけました。
「瑞光小」の名前の由来は、明治20年の創立当時学校敷地があった素盞雄神社にある「瑞光石」からとられたとのこと。瑞光石のようにかがやく人「人瑞」になれという願いがこめられているようでした。

円通寺。
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ご本尊は聖観音菩薩で791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝わっているようです。明治維新の折、1868年(慶応4年)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行ったことから、火葬を行った場所近くの上野寛永寺の総門(黒門)がここに移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓が傍にずらりとありました。

浄閑寺は吉原遊廓の近くにあったことから、遊女の投げ込み寺といわれたとのこと。これは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡したのでこの寺に投げ込んで葬ったことによるのでした。山門前には小夜衣供養地蔵尊がありました。「悪い部分を撫でると良くなる」と言い伝えがあるとのことで私も頭などを撫でました。
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三ノ輪橋商店街・都電荒川線入口と表示があり、そこから商店街を抜けると都電が止まっていました。
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今日はウォーキングツアーですが特別に三ノ輪駅から荒川2丁目まで乗車。停留所間が短いことや一番前での景色を楽しみました。それにしても乗客が多いことに驚きました。

荒川自然公園は三河島水再生センターの施設の上に新たに人工地盤を造ってそのスペースに造られた公園。1974年開園で、面積は約6万m2で荒川区立公園の中ではもっとも面積が広いとのこと。公園には3ブロックあり、人工的な池と樹木などが多い南側地区、野球場やテニスコートなどがある中央地区、子供が交通ルールを学ぶ交通園などがある北側地区となっています。また三河島水再生センターは日本で最初の本格的な下水処理場だそうです。
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荒川区役所の正面玄関の東南に荒川公園がありました。春は人気のお花見スポットとのことです。本日はもう桜の開花が見られました。
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荒川仲町通り商店街はかつて「小さなアメ横」と言われた所。全長500mほどの細い路地に、精肉店や鮮魚店、洋品店など、昔ながらの個人商店が並び、平日でも買い物客が多く訪れるようで、街並みの散策をしました。
そして腹ペコとなった私たちは漢江(ハンガン)に行き着き、ようやく昼食となりました。
ではこの続きはまた後日!!お楽しみに!!
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2017年01月31日

2017.1.25 第12回東京の新発見旅 「中央区」後半

草庵(昼食)⇒地下鉄月島駅⇒佃公園⇒佃小橋⇒つり船折本⇒住吉神社⇒佃島渡船場跡⇒つくだに天安・佃源田中屋・丸久⇒石川島公園・灯台・住吉小橋⇒中央大橋⇒一等水準点交無号⇒越前堀の間知石⇒南高橋⇒築地警察署湊交番⇒鉄砲洲稲荷神社⇒中央小学校北交差点⇒新富1丁目⇒新金橋⇒首都高速京橋入口⇒京橋ウラザ⇒新京橋交差点⇒京橋親柱⇒築地警察署銀座1丁目交番⇒警察博物館⇒京橋大根河岸青物市場蹟⇒常盤橋⇒江戸歌舞伎禄之地⇒京橋3丁目⇒銀座線京橋駅⇒東京国立近代美術館⇒地下鉄室町駅⇒ニコスコーヒーショップ⇒西日本シティ銀行⇒歌川広重住居跡・京橋1丁目9⇒吉野鮨本店⇒日本橋高島屋⇒MARUZEN⇒日本橋2丁目交差点⇒地下鉄日本橋駅⇒東京日本橋タワー⇒COREDO日本橋⇒日本橋交差点⇒日本橋長崎館⇒八重洲1丁目交差点⇒交通銀行⇒呉服橋交差点⇒一石橋・一石橋迷子しらせ石標⇒地下鉄三越前駅⇒日本銀行本店⇒貨幣博物館⇒地下鉄

佃公園は隅田川沿いの佃大橋と中央大橋の間にある公園で地下鉄有楽町線月島駅の北、旧石川島播磨重工業跡地に開発された「リバーシティ21」の北側、隅田川に面して細長く広がる区立公園で約2万uの広さ。

1590年(天正18年)、徳川家康が関東下降の際、関西の佃村および大和田村の漁夫33人と神主・平岡権大夫好次が江戸に移り、正保2年(1645年)には江戸鉄砲洲向かいにある百間(約180m)四方の干潟を幕府から下賜された漁夫らがこれを埋め立てて築島し、永住することになったこの島を故郷の摂津国佃村にちなんで「佃」と命名し、正保3年6月29日(1646年8月10日)には、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊を奉遷し、摂津国佃の住吉社(現・田蓑神社)の分霊(住吉三神)とともに祀るべく、住吉神社が創建されたのです。
境内の鳥居には有栖川宮幟仁親王の筆による珍しい陶製の扁額が見えました。
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住吉神社の神輿は関東では珍しい八角形で、「八角神輿」と呼ばれています。しまわれている神輿を見ることができました。
佃島渡船場跡そばには佃煮御三家といわれる「天安」「佃源田中屋」「丸久」がありました。
お味はそれぞれとのことで店先をのぞき見しました。

石川島公園は晴海運河、隅田川沿いの区立公園で1990年(平成2年)4月に開設したとのことです。
中央大橋から相生橋の先までの細長い公園で大川端リバーシティ21の一部。“石川島”は佃二丁目の江戸時代からの旧名で、この地を領した石川家の名に由来し、この地に設立された造船所を起源とするIHIの旧社名「石川島播磨重工業」と同様の命名とのことです。
復元された灯台も素敵でした。
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中央大橋から見るスカイツリーはなかなかきれいでした。
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一等水準点交無号
中央大橋北詰(中央区新川側)の西側で道路から階段を降りて川の方に行くとこの水準点と説明板がありました。平成18年からここにあり、日本の高さの基準(標高0m)になっているそうです。
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鉄砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)は平安時代の承和8年4月15日(ユリウス暦841年5月9日)、凶作に悩む荏原郡桜田郷の住民が産土神を生成太神(いなりのおおかみ)として祀ったことが始まりとのこと。江戸の水路網の入り口に位置することから、全国からの船乗りの崇敬を集めた。1790年(寛政2年)には富士塚が築造され、人気を博したようです。
安政期に歌川広重が描いた『名所江戸百景』「鉄炮洲稲荷橋湊神社」には朱塗りの壁と社殿が見えます。
1923年(大正12年)の関東大震災では大きな被害を蒙ったが、1935年(昭和10年)以降本殿や神楽殿が再興され、現在の形が整いました。1945年(昭和20年)の東京大空襲では被害を免れ、昭和初期の神社の形式を今に伝えています。
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京橋は、江戸時代から日本橋とともに有名な橋でした。橋は、1959年(昭和34年)、京橋川の埋め立てによって撤去され、現在では見られませんが、その名残をとどめるものとして、三本の親柱が残っています。橋北詰東側と南詰西側に残る2本の親柱は、1875年(明治8年)当時の石造の橋のものです。江戸時代の橋の伝統を引き継ぐ擬宝珠(ぎばし)の形で、詩人佐々木支陰の筆によって、「京橋」「きやうはし」とそれぞれ橋の名が彫られています。
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築地警察署銀座1丁目交番
交番の屋根は、京橋のたもとにあった「ガス灯」の頭部を生かして大正11年に竣工され、昔の面影を残しています。
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警察博物館
警察博物館は、警視庁の歴史と活動に関する資料を展示している博物館で築地警察署銀座1丁目交番の真向かいにありました。本日はリニューアルで休館中でした。

銀座と京橋の間の首都高速の下に、京橋大根河岸青物市場跡の石碑がありました。
1664年(寛文4年)に水運のよい京橋川に野菜の売り場が設けられ、昭和10年(1935年)に築地に市場が移されるまで、庶民の台所を支える青物市場として栄えたのです。 冬になると10本まとめにした沢山の大根が舟から下ろされ、まるで大根の花が咲いたようだったため、大根河岸といわれたとのことです。
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江戸歌舞伎禄之地の碑
江戸歌舞伎は、寛永元年(1624)、京都から下ってきた猿若勘三郎が中橋南地に、猿若座の櫓をあげたのが始まりとのことです。猿若勘三郎は後に名前を変えて中村勘三郎となり、座の名前も中村座としたのです。
これが江戸歌舞伎の始まりです。
この碑は、猿若座が興業を開始したのを記念して1957年(昭和32年)に建立されたのです。
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東京国立近代美術館フィルムセンターは、1952年(昭和27年)に設置された国立近代美術館の映画部門として開設、1970年(昭和45年)には機能を拡充する形でフィルムセンターとして開館されたのです。1995年(平成7年)には建物をリニューアルされ、まだまだとても綺麗でした。
年間スケジュールがあり過去の名画がみられるそうです。
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ニコスコーヒーショップ
京橋にある昭和12年(1937年)創業の老舗コーヒー店。外観は昭和の雰囲気ただよう普通の喫茶店でした。昭和27年には「宮内庁ご用達」に指定された由緒あるお店だそうです。
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「歌川広重住居跡」は、ブリヂストン美術館の南側にありました。
「歌川広重」は「安藤広重」の名前で知られていますが浮世絵師としての正式な名前は「歌川広重」とのことです。
ここは、浮世絵師歌川広重が、1849年(嘉永2年)から 1858年(安政5年)に 61歳で亡くなるまでの約十年間を過ごした住居跡だそうです。今は案内板のみでした。

一石橋・一石橋迷子しらせ石標
 江戸時代の日本橋〜一石橋界隈は盛り場で、迷子や尋ね人が多かったようです。当時迷子は町内が責任を持つことになっており、1857年(安政4 年)近隣の町名主等が世話人となり、一石橋に迷子探しの告知石碑が建立されました。
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正面に「満(ま)よひ子の志(し)るべ」、左側に「たづぬる方」、右側に「志(し)らす類(る)方」と刻まれています。両側の上部に方形の窪みがあり、左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、心当たりがある人はその旨を書いて右側の窪みに貼りました。いわば江戸庶民の告知板でした。湯島天神(現存) や浅草寺(復元)、両国橋等、往来の多い場所に同様のものがあったとのことです。
一石橋の北に金座支配・後藤庄三郎、南に呉服町頭取・後藤縫殿助の屋敷があり、後藤(五斗)を二つ足して一石橋の名が付いたといわれています。

日本銀行本店
本店の建物は、旧館(本館、2号館、3号館)、新館、分館と3つの部分で構成されています
ちなみに本館は石積みレンガ造で花崗岩貼り。設計は辰野金吾で、ベルギー国立銀行を参考に1896年(明治29年)に竣工したとのこと。

貨幣博物館は、日本銀行金融研究所内の2階フロアにある博物館。1982年(昭和57年)に日本銀行創立100周年を記念して設置され、1985年(昭和60年)11月に開館したとのことです。館内には古代から現在に至るまでの「日本の貨幣史」、世界の貨幣・紙幣を紹介する「さまざまな貨幣」、および「テーマ展示コーナー」がありました。発掘された貨幣や、軍票、記念硬貨などが順路毎に約4000点展示、また、1億円分の紙幣の重さを体験出来るコーナーはオモシロイと思いました。
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今日は強風の中でしたが元気に21名が約20000歩のウォーキングを終了。気温11℃とのことでしたがもっと寒いと感じました。愛宕神社は3回目でしたが本日はお詣りの方が多く、社務所も開いており、華やかな印象でした。また青山墓地は色々話題を耳にしていましたがあまりに広大なこと、有名人の墓所も多いことを再認識しました。
またこの東京新発見の旅では東京は広く、戦争などを体験したのに随分古い建物などが大切に保存されていることに改めて感心しております。
また次回からも楽しみです。
posted by yunofumi at 21:43| あちこちウォーク

2017年01月27日

2017.1.25 第12回東京の新発見旅「中央区」前半

本日のウォーキングは盛り沢山の内容だったためまずは午前の部を記録いたします。
朝10:00歌舞伎座前に集合。建物が新しくなっているので最初は中の見物からはじまりました。

地下鉄東銀座駅⇒歌舞伎座⇒築地川銀座公園⇒東劇⇒万年橋東交差点⇒京橋郵便局⇒うりきり家⇒築地場外市場⇒波除稲荷神社⇒圓正寺⇒築地4丁目交差点⇒築地本願寺⇒築地川公園⇒築地居留地⇒聖路加国際大学・芥川龍之介生誕の地・旧浅野内匠頭邸跡・トイスラー記念館⇒カトリック築地教会・暁星学園発祥の地⇒クレストンホテル⇒アメリカ行使館跡⇒中央区立明石町区民館⇒明石町河岸公園⇒治作・運上所跡⇒明石町ポンプ所⇒電信創業之地⇒月島4の渡し跡⇒築地7丁目バス停⇒中央区立はとば公園⇒勝鬨の渡し跡⇒勝鬨橋⇒プラザ勝どき⇒都営勝どき1丁目アパート⇒西仲橋⇒西仲通り⇒月島西仲通り四番街⇒月島西仲通り三番街⇒月島開運観音堂⇒月島警察署⇒西仲通地域安全センター⇒月島西仲通り二番街⇒月島西仲通り一番街⇒草庵(昼食)

歌舞伎座の開場は明治22年(1889年)。その後4度の改築を経て現在のように出来上がったのは第5期。100年以上歌舞伎を上演し続けており、数々の名優が舞台に立った名実ともに代表的な歌舞伎の劇場です。座席数は約2000席弱、改築後、座席の幅が広くなり、バリアフリーも取り入れられたとのこと。
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「歌舞伎座タワー」が併設され、屋上には庭園がありました。
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また5階に「歌舞伎座ギャラリー」もありました。
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築地市場は、都内に11ある東京都中央卸売市場のうち最も古い歴史を持つ、水産物、青果物を取り扱う総合市場。特に、水産物は世界でも最大の取り扱い量だそうです。
場内では、主に競りや卸売り用の生鮮食品などの販売が行われ、競りでは、売り手(卸売業者)が買い手(仲卸業者など)に海で獲れた魚などを売買しているのです。
築地市場の場外は、一般の人が買い物や食事が楽しめるような場所です。場内と比べ、店舗数が多く、飲食店も広くスペースがある店舗が多く見られました。お客さんは外人さんも多いようでした。
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波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)の御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。明暦の大火後、築地の埋め立て工事が行われたが、荒波の影響で工事はとても難航したようです。しかしその頃、光を放ち漂う御神体が見つかり、1659年(万治2年)、現在地に社殿を建て祀った。その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、以降厄除けの神様として信仰を集めることとなったとの話を伺いました。
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築地本願寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で京都にある西本願寺の直轄寺院です。住職は門主の大谷光淳氏。本尊は聖徳太子手彫と伝承される阿弥陀如来立像。もともとは江戸時代(1617年)に、西本願寺の別院として横山町に建立され「江戸海岸御坊」などと呼ばれていたようです。その後明暦の大火で本堂を焼失。さらにその後、江戸幕府の区画整理で八丁堀沖の海上が割り当てられたため佃島の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立ててこの築地の土地を築き、1679年に本堂などを再建し「築地御坊」と呼ばれたのです。1923年9月の関東大震災では火災により再び伽藍を焼失したのでした。現在の本堂は1934年の竣工。古代インド様式をモチーフとした建物は、東京帝国大学伊東忠太教授の設計。当時は珍しい鉄筋コンクリート造で、大理石彫刻がふんだんに用いられています。浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月)に伴い、正式名が「築地本願寺」になり、今、この築地本願寺は全国唯一の直轄寺院なのです。
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築地居留地は1868年(明治元年)から1899年、外人の内地雑居許可までの期間,東京築地明石町にあった外国人居留地のこと。
居留地は,そこだけ外国人の居住・営業を許し,治外法権を認めた特別地域で東京の中の外国という扱い。この間に教会やミッション・スクール等が開設されたり、近くに外国人専用ホテルができるなど,居留地周辺は独特の開化風俗がただよい,錦絵の題材ともなったのです。今は案内板が設置されているだけでした。
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聖路加国際大学(英語: St. Luke's International University)は、1964年に設置された日本聖公会系のキリスト教主義ミッションスクール。大学名は「ルカ福音書」の聖ルカ(St. Lukes)に由来しているとのこと。私立大学として日本で初めて看護学部を設置、さらに日本で初めて看護の大学院博士後期課程を設置するなど、設立当初から日本の看護界のリーダーと指導的人材を多数育成してきた有名大学です。
聖路加国際大学の敷地にトイスラー記念館がありました。ここは1933年(昭和8年)に聖路加国際病院の宣教師館として建設されたとのことです。設計者は米国人建築家のJ・V・W・バーガミニィ。建物は、鉄筋コンクリート造一部木造の2階建てで、ヨーロッパの山荘のような重厚な風格がありました。
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聖路加看護大学の西側の道路脇には播州赤穂藩浅野家の上屋敷があったことを示す「都旧跡 浅野内匠頭神邸跡」と記された石柱がありました。
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松の廊下の刃傷事件の後、この屋敷は幕府に没収されたのです。四十七士が討ち入りをした後、泉岳寺へ引き上げる途中で、この上屋敷の近くを通ったことは有名な話です。  
中央区教育員会発行の「中央区沿革図集」に掲載されている延宝7年(1673)の「江戸方角安見図鑑」では、現在の聖路加看護大学と聖路加国際病院の敷地全体が、浅野又一と書かれているとのこと。浅野又一とは浅野内匠頭のことです。 

芥川龍之介生誕の地の案内板が聖路加国際大学の敷地脇(明石町10)にありました。
1883年(明治16年)頃、この付近には「耕牧舎」という乳牛の牧場があり、ここで芥川龍之介は、明治25年にその経営者新原敏三の長男として生まれたのです。龍之介は誕生後七ヶ月で母の長兄芥川道章に引き取られ、本所区小泉町に移り、12歳の時、芥川家の養子になったのです。東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、夏目漱石の門に入り、『地獄変』、『羅生門』、『河童』、『或阿呆の一生』など、多くの名作を遺し、昭和2年35歳で自害したのです。
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カトリック築地教会は、キリスト教(カトリック)の教会と聖堂。教会堂名は「聖ヨゼフ」とのこと。1869年(明治2年)築地鉄砲洲が外国人居留地となった。このころキリスト教は禁教だったので、1866年(慶応元年)から横浜に滞在していたパリ外国宣教会の宣教師ジャン・マリエ・マランが、1871年(明治4年)、京橋区八丁堀鉄砲洲の稲荷橋付近に商家を借り、語学塾を開いたのです。そして1873年(明治6年)、キリシタン禁制がでたことでパリ外国宣教会は行動を開始。1874年(明治7年)、マランは日本政府より築地居留地の一部を借り、翌月より聖堂建設に着手し、1874年11月東京で最初のカトリック教会として築地教会の献堂式が行われ、東京以北の宣教の中心地となったとのことです。現在の聖堂は、当時の東京大司教ジャン・ピエール・レイの要望で古代ギリシャのドーリア式神殿を忠実に模して木造モルタル造にて建設されているのです。
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旧聖堂時代の石膏の聖ペトロ像は、震災の被害を免れて現在も安置されているとのことでした。本日は中には立ち入らなかったのでみられませんでした。
すぐ傍に「暁星学園発祥の地」の碑がありました。

料亭治作の門前に「運上所跡」の石碑があり、その下には「東京税関発祥の地」とありました。
鎖国が廃止後1859年(安政6年)長崎・横浜・函館に運上所が開設し、外交や運上の事務を扱ったとのことです。江戸の運上所は1868年(慶応3年)にここ築地鉄砲洲に設けられたのです。「税関」という役所名は 1872年((明治5)年から。 関東地方では 最初に横浜に設置されました。戦後 1953年(昭和28年)に 「横浜税関東京税関支署」が廃止され, 新たに「東京税関」に生まれ変わったのです。
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電信創業之地。
明石町・あかつき公園の向かい側,公団住宅の植え込みの中に この碑が建っていました。
明治2年9月19日(太陽暦10月23日) 横浜裁判所と 東京築地 運上所内に設けられた 「電信機役所」を結ぶ 約32kmの電信線架設工事が開始され, その年12月25日に業務が開始されたとのこと。これが, 日本における 公衆電気通信の最初だったのです。
この記念碑は, 先駆者の業績を後世に伝えるため, 昭和15年に建立され, 昭和53年, 南南東約40mの地点から この場所に移設されたとのことでした。
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「月島の渡し」は、月島一号地の埋立が完成して間もない1892年(明治25年)、土木請負業の鈴木由三郎が、南飯田町(現、明石町14)から月島(現、月島3丁目)へ、手漕ぎの船で私設の有料渡船をはじめたことがこの渡しの始まり。
1901年(明治34年)、月島への交通の重要性を考慮し東京市が市営化を決め、1902年(明治35年)、汽船曳船二隻で交互運転を開始し、渡賃も無料となったのです。以後、月島は東京の臨海工業地帯として発展したので、1911年(明治44年)には、乗客の増加に対応するために徹夜渡船も行われていたとのこと。
そして、昭和15年(1940年)には勝鬨橋が架橋され、渡船の利用者は減少の一途をたどり、月島の渡しは廃止されたのでした。
今は案内板のみでした。

勝鬨橋(かちどきばし)は、隅田川に架かる橋で晴海通りの道路が通っており、1940年6月14日に完成しています。
日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)ですが、1980年に機械部への送電を取り止め、可動部もロックされ、今も跳開することはありません。

当時、陸運よりも水運を優先するということでさせるべく、3,000トン級の船舶が航行するするために可動橋として設計され、跳開により大型船舶の通航が可能となったのです。
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橋を渡り切ると「勝鬨橋とかちどき橋の資料館」がありました。

1905年(明治38年)、築地と、月島を結ぶ渡し舟である「勝鬨の渡し」が設置されました。月島の埋め立てにより石川島造船所の工場などが多く完成したことで多数の交通需要により、1929年(昭和4年)架橋が実現したのです。
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月島の勝どき地区と西仲通り方面を結ぶ橋が「西仲橋」。
西仲通りに入るともんじゃ焼きのお店がずらりと並ぶ月島西仲通り四番街、月島西仲通り三番街を抜けると温泉があり、その1階に月島開運観音堂がありました。
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昭和26年に長野県善光寺の別院として建立され、平成13年9月、再開発事業完成のときに、現在の場所に設置されたそうです。お参りすると「いつの間にか運が開けあらゆる念願が成就する」と言われているようです。

草庵(昼食)は月島の日本料理店です。もんじゃの提供はありませんでしたがとてもおいしくいただきました。これでようやく本日の午前の部は終了したのです。
では続きはまた次回にアップします。お楽しみに!!
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2017年01月24日

2017.1.21 第11回 東京の新発見旅「港区」

東京メトロ銀座線外苑前駅⇒梅窓院⇒旧赤坂青山南町案内板⇒港区立青山公園⇒龍泉寺⇒青山霊園⇒南青山陸橋⇒桂由美ブライダルハウス東京本店⇒旧乃木邸⇒乃木神社⇒正松神社⇒乃木坂⇒成長の家いのちの樹林⇒東京ミッドタウン⇒檜坂⇒赤坂氷川神社⇒転坂⇒勝海舟邸跡⇒日大三中・三高跡地⇒アオザイ(昼食)⇒メトロ千代田線赤坂駅⇒国際新赤坂ビル⇒ダンディハウス⇒勝海舟・坂本龍馬の師弟像・港区立赤坂子ども中高生プラザ⇒赤坂教会⇒南部坂⇒アメリカ大使館⇒JTビル⇒虎の門病院⇒虎の門2丁目西交差点⇒築地虎ノ門トンネル・虎ノ門ヒルズ⇒真福寺⇒愛宕神社⇒TOKYO REI HOTEL⇒NHK放送博物館⇒青松寺⇒御成門⇒御成門駅⇒増上寺⇒JR浜松町駅

梅窓院
外苑前駅1b出口のすぐそばにありました。
1643年(寛永20年)徳川家康公以来の家臣、老中青山大蔵少輔幸成公が逝去の時、 青山公の下屋敷内に13,247坪の地を画して側室を 大檀越として建立されたとのこと。
現在の梅窓院は約3000坪ということです。
山門に向かい見事な竹林です。孟宗金明竹(もうそうきんめいちく)というそうで節と節の間に緑色が鮮やかに見えました。
また寺院棟は近代的な高層ビル。墓地は広く効率よく作られており、有名人のお墓がたくさんありました。
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港区立青山公園は、青山霊園の周縁にあり、赤坂御用地や明治神宮外苑側にある北地区と新国立美術館や六本木ヒルズ側にある南地区に分かれているとのこと。
開園は昭和45年で旧陸軍の射撃場跡地と引揚者住宅跡地を整備してできたようです。
青山霊園は1872年(明治5年)、美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主だった青山家の下屋敷だった所。1926年(大正15年)、斎場の建物などのすべてが東京市に寄附され、日本で初めての公営墓地となったとのことです。
現在は東京都の所管。霊園は、桜並木の名所。明治維新の功労者や文学者・科学者・芸術家・政治家等の著名人墓所が数多くありました。維新の三傑である大久保利通、細井和喜蔵の『女工哀史』の印税で建てられた「解放運動無名戦士墓」も存在、忠犬ハチ公の墓も見受けられました。附属立山墓地には、永田鉄山、木村兵太郎、相楽総三なども眠っていました。
霊園内には外人墓地もありました。
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桂由美ブライダルハウス東京本店はブライダルファッションのトータルショップ。花嫁の夢、希望に合った最高のドレスを 用意できるといわれているようです。
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旧乃木邸は乃木希典が住んでいた邸宅でこの建物は乃木が留学中に見たフランス連隊本部を参考に設計したもので、明治35年に改築されたとのことです。
邸内は入り口横の階段を上がり通路に沿って見ることができました。奥のほうに乃木夫妻が殉死した部屋がありました。夫妻が亡くなった場所に木札が置かれていました。
邸内入口横にレンガ造りの厩もがありました。旅順開城後にステッセルから贈られた愛馬「壽号」の厩舎だったとのことです。
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乃木神社
東京市長が同志を集めて中央乃木会を組織し、乃木邸内に夫妻の御霊を祀ったことが始まり。昭和20年の空襲で本殿などが焼失しましたが、昭和37年に復興したそうです。千代田線乃木坂駅のすぐ近くにあります。神社境内の展示室(写真右側の建物)には、乃木の書幅や自刃の際に使用した刀が展示されています
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乃木神社の境内には正松神社(せいしょうじんじゃ)がありました。ここには玉木文之進と吉田松陰が祀られています。乃木希典は吉田松陰を追慕し、16歳の時、松陰の叔父であり、松下村塾の創始者である玉木文之進の門に入り薫陶を受けたようです。吉田松陰を深く敬い玉木から教育を受けこれが乃木大将の人格形成に大きな影響を与えたということで、乃木神社戦災復興の際、萩の松陰神社から二柱の分霊を請い受け摂政社として境内に鎮守されたのです。

東京ミッドタウンは2007年3月30日、六本木に開業。ホテル(ザ・リッツ・カールトン東京)、文化施設(サントリー美術館など)、130に及ぶ商業店舗、オフィス、住居、病院、公園などが集約された複合施設。
ここは、江戸時代は萩藩の毛利家下屋敷だった所。明治時代には陸軍駐屯地、終戦後には米軍将校の宿舎、日本に返還された後は防衛庁の檜町庁舎と、実400年の間、一般には閉ざされた土地として使われていたのです。そして2000年、防衛庁本庁が檜町から市ヶ谷に移転したことから、この街の新しい都市計画が始まり、広大な緑を臨む港区立檜町公園を含めた再開発事業をはじめ、2001年9月、コンソーシアム6社がこの土地を落札。民間都市再生の事業認定を受け、現在にいたったようです。

赤坂氷川神社は昔の赤坂区第1の鎮守社。石段のそばの左右2基の石灯籠は享保9年のもの。鳥居は花崗石。拝殿は、銅瓦葺。拝殿、本殿とも中をよく見られませんでしたがHPを見るとかなり立派なようでした。
現社地は、忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人 瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡で、大石内蔵助が討ち入り前に訪れて別れを告げたといわれているところ。「雪の別れ」で有名な「南部坂」が近くにあります。
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勝海舟邸跡 
幕臣・勝海舟の旧宅跡。勝海舟は、1859年(安政6年)から1868年(明治元年)までこの地で過ごしたとのこと。今は案内の表示のみでした。
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旧港区立氷川小学校跡地、現在の港区立赤坂子ども中高生プラザに勝海舟・坂本龍馬の師弟像がありました。
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勝海舟(1823〜1899年)は幕末に江戸城の無血開城に尽力し江戸のまちを戦火から救った方です。またそばには弟子の坂本龍馬(1836〜1867年)も一緒に立っていました。銅像建設には多くの地元の方々が尽力したとのことでした。

東京都は2014年に「マッカーサー道路」の通称で知られる都市計画道路環状2号線のうち、港区内の新橋―虎ノ門間の供用を開始。延長約1.4kmの区間は、「新虎通り」の愛称が付く幅員40m(歩道部を含む)の地上部と、幅員24mで自動車専用の「築地虎ノ門トンネル」に分かれているとのことでした。 
築地虎ノ門トンネルは延長約0.9kmで、森ビルが2014年開業の虎ノ門ヒルズの地下を貫通しています。
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真福寺は、1591年(天正19年)中興照海上人が出府して鉄砲洲に庵室を構え、1605年(慶長10年)に愛宕下の地所を拝領して開創したといいます。
長い歴史の中で度重なる火災や震災などにより堂宇も焼失、その後再建された本堂や庫裡も老朽化し、平成7年4月に近代的な「真福寺・愛宕東洋ビル」として再生されたのです。
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愛宕神社は1603年、慶長8年、徳川家康公の命により防火の神様として祀られました。
慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立されました。その後江戸大火災で全焼してしまいましたが、明治10年、9月に本殿、幣殿拝殿、社務所の再建がなりました。大正12年9月1日、関東大震災に、昭和20年5月24日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。
ここには傾斜約37度、86段の出世の階段があります。これは寛永11年、江戸三代将軍、家光公が愛宕山に源平の梅が満開だったのを見て 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられ、それにこたえて、四国丸亀藩の家臣だった曲垣平九郎(まがき・へいくろう)が成し遂げというお話がありそれ以後出世の階段といわれているのです。
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どうやら今でも途中休むことなく階段を上るとご利益がありそうです。

NHK放送博物館
1925年(大正14年)東京芝浦の東京放送局仮放送所から、日本のラジオ第一声が発せられ当時はJOAKといっていたようです。そしてこの年の7月、この愛宕山で本放送が始まり、このことから愛宕山を“放送のふるさと”といっているとのことでした。
NHK放送博物館は、1956年に、世界最初の放送専門のミュージアムとして、“放送のふるさと”愛宕山に開館しました。
日本の放送が始まってから90余年、放送は、ラジオからテレビへ、さらに衛星放送、ハイビジョン、デジタル放送へ。8K画面はとてもきれいでした。
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青松寺(せいしょうじ)は江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建したようです。当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。しかし移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。長州藩、土佐藩、津和野藩などが江戸で藩主や家臣が死去した際の菩提寺として利用されたとのことです。
境内に「獅子窟学寮」があり1875年(明治8年)には、曹洞宗大学林専門本校を開校。翌年、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、今日の駒澤大学へと発展した由緒ある場所です。

御成門。
近くの虎ノ門が江戸城の外郭門(がいかくもんに対し、御成門は実は芝増上寺の北方馬場にあった裏門の別称だそうです。
増上寺は徳川家の菩提寺の一つで、将軍が参詣(さんけい)する際にこの裏門がもっぱら用いられましたので、御成門と呼ばれるようになったようです。もともと御成門交差点にあったのですが、1892年(明治25年)東京市区改正計画で日比谷通りの道路が新設された際に、現在の東京プリンスホテルの駐車場脇に移転して現存されているのです。ちなみに虎ノ門は1873年((明治 6年)撤去されたと伺いました。
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増上寺
増上寺は、1393年(明徳4年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれたとのこと。
徳川将軍家との深いゆかりがある増上寺は、江戸時代には日本有数の大寺院へと発展してきました。
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所があります。また墓所には各公の正室と側室の墓も設けられています。また家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮様も含まれています。現存の徳川将軍家墓所は、本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)を入口の門とし、内部に各公の宝塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています。
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港区は坂の多い街でした。ここでは見かけた四つの坂を紹介します。
「乃木坂」は港区の赤坂8丁目と9丁目の境、乃木神社前を西へ外苑東通りへと上る坂。江戸時代には幽霊坂とか行合坂、膝折坂などともいわれたようです。
「檜坂(ひのきざか)」は港区赤坂6丁目と同9丁目の間、檜町公園の北脇を北西から南東に上る坂道。江戸時代には、檜の木が多いため檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸に添う坂であったとのことです。
「転坂(ころびざか)」は赤坂6丁目5番、6丁目9番の間にある坂。江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだためにこのように呼んだそうです。
「南部坂(なんぶざか)」は赤坂2丁目と六本木2丁目の境界にある坂道。坂のそばに南部屋敷があったことからこのように呼ばれたようです。

今日は強風の中でしたが元気に21名が約20000歩のウォーキングを終了。気温11℃とのことでしたがもっと寒いと感じました。愛宕神社は3回目でしたが本日はお詣りの方が多く、社務所も開いており、華やかな印象でした。また青山墓地は色々話題を耳にしていましたがあまりに広大なこと、有名人の墓所も多いことで、改めて東京!を感じました。今後も楽しくウォーキングを目指します。
posted by yunofumi at 21:46| あちこちウォーク

2017年01月15日

2017.1.15 ポールウォーキング代々木公園

昨年閉店した浦和のMBTウォーキングスタジオですが、相変わらずMBTシューズを愛用している仲間で時々ウォーキングをしています。
本日は何度目かの代々木公園でのポールウォーキングです。
9:00集合で今年一番の冷え込みは−2℃。6人の懐かしい顔が揃い、早速ストレッチ後ポールウォーキング。
公園内は霜柱、そして池には氷が張っていました。
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公園内の様子は冬真っ只中!
このような時期は駅伝が盛んなようです。園内では渋谷区民駅伝大会が開催中。中学生らしい元気な方々を頼もしく思いました。
寒さが厳しくても風がほとんどなく陽ざし十分で、とても気持ちよくウォーキングできたので皆、大満足。
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きっと日中も天気予報通りで5℃以上にはなりそうにありません。やはり冬真っ盛り。
本日は大学センター試験2日目、裏日本などは大雪とのこと。
今年も色々あるでしょうが元気で過ごしたいと強く思いました。

posted by yunofumi at 17:11| あちこちウォーク

2017年01月09日

2017.1.9 鎌倉散歩−鶴岡八幡宮

鎌倉駅⇒鶴岡八幡宮⇒神苑ぼたん庭園⇒鎌倉和総菜近藤⇒鎌倉駅

年明けにNHKテレビで鶴岡八幡宮の神苑ぼたん庭園の見事な牡丹が咲いているとの情報が流れました。
さすがに三が日ではとっても混雑だろう思い、今朝空模様を気にしながら家を出発しました。
約2時間後、鎌倉駅にはほぼ昼頃の到着となりました。早速参道を進んでお詣り。
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次に神苑ぼたん庭園に伺いました。
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ここは昭和55年に鶴岡八幡宮創建800年記念で開園されたとのこと。
色々な植物がしっかり根付き、とても見ごたえがありました。

その後鎌倉駅そばで見つけた鎌倉和総菜近藤で健康的なお食事をいただき、帰宅しました。
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鎌倉が湘南新宿ラインで池袋に一本となっており、本当に楽々の道のりです。
道中EVやエスカレーターを使わず、歩け歩けで動き回り目標の1万歩達成で満足できた一日でした。
本日、これでお正月気分は終わり。明日からまた日々元気に頑張ります。
posted by yunofumi at 21:57| あちこちウォーク

2017年01月04日

2017.1.3 高尾山5回目

京王線高尾山口駅⇒清滝駅⇒稲荷山コース⇒旭稲荷⇒山頂⇒山門(四天王門)⇒仁王門⇒大法堂⇒薬王院⇒エコーリフト→清滝駅→京王線高尾山口駅→高尾駅

今日は暖かく下界は14℃、山頂は11℃くらい。
お正月早々ですがMBT仲間にお願いして私を含め3人で登山。

電車で高尾山口駅に向かうときも白雪で輝く富士山を堪能。
上り始めてまずは旭稲荷で記念撮影。
前回に比べ恰好だけはばっちりの山ガールです。
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山頂手前には約200段の階段があり、これが最後の難関なのです。
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ようやく着いた山頂で3人でまず記念撮影。
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そして山頂では少し霞がかった富士山ですが見晴らし台から、くっきりばっちり仰ぎ見ました。
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それにしてもすごい混雑ぶり。恐るべし!高尾山!です。新宿や渋谷に勝るとも劣らずの混雑ぶり!!事故防止のためにお巡りさんも加わり、境内は一方通行。こんなことがお山であるなんて!とびっくりでした。
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その後、体力的にいっぱいいっぱいの私はリフトで下山。整理券が発行され、30分待ちで乗り、やっと下山。清滝駅に着くと徒歩で下山した2人とバッタリ一緒になりました。
そして定番の高尾駅前の「たまの里」で鍋焼きうどんをいただき元気回復の後、解散。
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それにしても稲荷山コース3.1km、道幅は広く、ありがたいコースですがこの不慣れで体力不足はまだまだスタコラとはいきません。まあこの年での登山ですから!とあまり気にしない!気にしない!
まずは今後も懲りずに挑戦することを新年の抱負のひとつに掲げます。
ヤレヤレと言いつつ、満足!満足!無事下山を喜んでいます。皆さんありがとう。
posted by yunofumi at 21:46| あちこちウォーク