2017年07月17日

2017.7.11 銀座線ウォーク第4回 

上野広小路〜浅草

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキング。
第1回は渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附。
第2回は赤坂見附・溜池山王・虎の門・新橋・銀座・京橋。
第3回は京橋・日本橋・三越前・神田・末広町・上野広小路。
そして本日、第4回目は上野広小路・上野・稲荷町・田原町・浅草まで。

上野広小路駅⇒あすか信用金庫上野支店⇒箭弓稲荷神社⇒湯島中坂下交差点⇒本富士警察署天神町交番⇒湯島駅⇒上野恩賜公園・上野公園野外ステージ・不忍池・彰義隊戦争の黒門跡・西郷隆盛銅像・彰義隊の墓・清水観音堂・上野精養軒・パゴダ薬師堂・上野大仏⇒正岡子規野球場⇒摺鉢山古墳⇒上野駅・パンダ橋⇒東京メトロ銀座線踏切⇒日本警察犬協会⇒広徳公園・広徳禅寺遺跡⇒台東区役所⇒上野消防署⇒下谷神社・寄席発祥の地碑⇒稲荷町駅⇒誓教寺・葛飾北斎の墓⇒光明寺⇒妙音寺⇒聖徳寺・玉川庄右衛門および清右衛門の墓⇒
本覚寺・ガンダーラ仏⇒福徳稲荷神社⇒矢先稲荷神社⇒合羽橋商店街・かっぱ河太郎⇒浅草みよし(昼食)⇒東本願寺⇒西浅草1丁目⇒等光寺・石川啄木碑⇒宗吾霊堂⇒黒船神社⇒浅草消防署前交差点⇒バンダイ⇒駒形1丁目・駒形どぜう⇒世界のカバン博物館・新川柳作記念館⇒都営地下鉄浅草駅⇒雷門そば⇒駒形橋⇒駒形堂⇒雷門郵便局⇒東京メトロ浅草駅⇒松屋浅草7階駅見世・六本木六丁目食堂

今日も朝から陽ざしが厳しく暑い!20人が参加、3グループに分かれ東京シティガイドクラブの女性3人が説明役。私はB班で大和さんが担当。

上野恩賜公園は上野駅下車でいつも桜や動物園、博物館などを見に来る所。元々は江戸城の鬼門だったということで寛永寺などができたようです。オランダ医師アントニウスボードウィンの提案で公園になったとのこと。今日は不忍池の池のスイレンが綺麗に咲いていました。
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上野は1868年1月鳥羽・伏見の戦で始まる旧幕府佐幕派諸藩軍と朝廷側の倒幕軍との内戦だった戊辰戦争で寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅した上野戦争があった場所。彰義隊戦争の黒門跡、西郷隆盛銅像、彰義隊の墓を見ました。
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清水観音堂は寛永8年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって創建。天海大僧正は寛永2年に、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた上野忍が岡に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開山と同時に、比叡山が京都御所の鬼門を守護、王城の鎮護を担うと伝えられるのに倣い、江戸城の鬼門の守りをも意味したとのことです。その時に建立されたのが清水観音堂です。
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パゴダ薬師堂と上野大仏がある丘に釈迦如来坐像が安置されていました。 
最初の大仏は越後村上藩主堀直寄が寛永8年(1631)に造立し、2.8mの釈迦如来像だったようですが粘土を漆喰で固めたものであった為、1647年(正保4年)の地震により倒壊してしまったのです。その後再建されたようですが1873年(明治6年)上野公園開設時に仏殿が取り壊され、1923年(大正12年)の関東大震災では大仏の面部が落下、また第二次世界大戦における金属供出令により大仏の体・脚部を国へ供出した為、面部のみが寛永寺に遺ったようです。寛永寺では、1972年(昭和47年)丘陵上野左手に壁面を設け、いまのように「上野大仏」の顔をレリーフ状に奉安のです。
時の鐘は上野精養軒の看板傍にありました。
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摺鉢山古墳にはびっくり。上野公園内にある全長約70mの前方後円墳。後円部径約43m・高さ約5m、前方部最大幅約23m、埴輪片が出土しており内部構造は不明とのこと。5世紀頃の築造のようです。
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東京メトロ銀座線唯一の踏切で上野検車区の出口。遮断機の先は、下り勾配になっていて、トンネルに入り、地下鉄の上野駅へ続いているのです。
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広徳禅寺遺跡は区役所に隣接している「広徳児童遊園」に「広徳禅寺遺跡」の碑がありました。広徳禅寺はもとは台東区役所となっている所。
 「びっくり下谷の広徳寺、おそれ入谷の鬼子母神」と入谷の鬼子母神と並び江戸を代表する寺院として知られ、加賀前田家・会津松平家など多くの大名家菩提寺となっていました。墓所には大名家の多宝塔などが林立する壮観な寺院でしたが関東大震災により焼失し、現在は練馬区桜台に移転しています。 
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下谷神社・寄席発祥の地碑
下谷神社は、第45代聖武天皇の730年(天平2年)に峡田稲置らが、日本武尊の神徳を崇め奉って上野忍ケ丘の地にお祀りしたのが創まりとのこと。
東京大空襲では焼失しなかったとのこと。
また、下谷神社は1798年(寛政10年)に初めて寄席が行われた地で、境内には「寄席発祥の地」の石碑がありました。
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誓教寺・葛飾北斎の墓
葛飾北斎は江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖。本姓は中島、名は時太郎のち鉄蔵。号は春朗、宗理、可候、画狂人、卍翁など三十余あったとのこと。1760年(宝暦10年)江戸本所割下水の生まれ、父は徳川家用達の鏡師中島伊勢とのこと。十四、五才の時彫刻師に学び、十九の時に浮世絵師勝川春章の門に入ったが、ひそかに狩野派の画法を学び破門。以来土佐派、淋派、洋風画、中国画などを学び独自の画境を開いたのです。肉筆画、版画、絵本、さし絵などに手腕をふるい、特に風景画は広重とともに称賛され、「富岳三十六景」をはじめ傑作が多い。彼の作品はヨーロッパに多く流れ、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えたのです。
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聖徳寺には玉川庄右衛門および清右衛門の墓がありました。この二人は江戸時代初期に江戸市民の飲料水を確保するために、玉川上水を開発したのです。
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本覚寺・ガンダーラ仏
祖師堂はとても雰囲気が良かったです。
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矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)には福禄寿が祀られていました。1642年(寛永19年)、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立し、弓の射技練成のために「通し矢」が行われたとのこと。また京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけらたのです。 1698年(元禄11年)浅草の大火や関東大震災、東京大空襲などにもあったのですが現在地に再建されています。
浅草名所七福神(あさくさなどころひちふくじん)は浅草寺(大黒天)・浅草神社(恵比須)・本龍院(毘沙門天)・今戸神社(福禄寿)・不動院(布袋尊)・石浜神社(寿老人)・吉原神社(弁財天)・鷲神社(寿老人)そして矢先稲荷神社(福禄寿)。いつか一巡してみたいものです。
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合羽橋商店街・かっぱ河太郎
東京合羽橋商店街振興組合が平成15年に「合羽橋道具街」が誕生90年を記念してシンボル像「かっぱ河太郎」を建立。「合羽橋道具街」は、明治末期から大正初期に古道具を取り扱う店の集まりから発生、第二次世界大戦後に主に料理飲食店器具や菓子道具を販売する商店街へと発展したのです。現在では、和、洋、中華食器、漆器、和洋菓子機器、厨房設備器具、ショーウインド、和洋家具、店舗装備デザイン施工、サンプル、看板、食料原材料、包装用品等を取り扱う 170店舗、約 800mの専門店街となっています。
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浅草みよし(昼食)は素晴らしく美味しいお店でした。色々次から次のお料理が並び、これは個人で来るとかなり良いお値段かもしれません
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東本願寺(ひがしほんがんじ)は、浄土真宗東本願寺派の本山。ご本尊は阿弥陀如来。2017年現在の住職は、浄土真宗東本願寺派第26世法主である大谷光見(聞如)師。境内は4252坪と広く荘厳な雰囲気が満ちていました。
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等光寺・石川啄木碑
等光寺は、斎藤道三に殺された土岐頼藝の遺子大圓が、父祖を追福するため三河國宝飯郡廣石村に創建、慶長14年(1609)神田旅籠町へ移転、明暦の大火により浅草へ移転したということです。ここには明治時代に活躍した詩人、石川啄木の歌碑があり、啄木の処女歌集「一握の砂」に収められた「浅草の夜のにぎわひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心」の句が刻まれていました。啄木生誕70年にあたる1955年(昭和30年)に建立されたのです。
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宗吾霊堂は桓武天皇の時代に、征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定し、戦没者供養のため建立された真言宗豊山派の寺院。義民といわれる佐倉宗吾(木内惣五郎)は、350年前に佐倉藩国家老による暴政のため領民の救済を4代将軍家綱公へ直訴し、その罪により公津ケ原刑場で磔刑(はりつけ)に処せられのです。
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黒船神社は、平将門の乱を平定した平貞盛・藤原秀郷が造営、黒船稲荷大明神と号して天慶3年(940)に創建。藤原秀郷は、財宝を積んだ黒船に白狐がいる霊夢を見、墨田川の浜の石上に当社を勧請したとのこと。江戸時代に入り散穂稲荷大明神、紅葉山稲荷大明神を合祀、黒船三社稲荷大明神と称されたのことです。狛犬から見てもっと大きな神社だったと思われました。
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世界のカバン博物館は大手カバンのメーカーのエースが運営する施設。中はカバンに関するパネル展示、現物展示、ビデオ展示など、想像以上におもしろかったです。8階はカバンのエースの創業者・新川柳作氏の記念館とラウンジになっていました。新川柳作さんが石川県旧松任町の出身とはじめて知りました。
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駒形堂
駒形堂は隅田川にかかる駒形橋の傍らに建つています。628年に浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩が宮戸川(隅田川)で発見されたこの地に設けられたお堂。 江戸時代は駒形堂のすぐ前に船着き場があり、ここから上陸した人びとはまず駒形堂を拝み、次に浅草寺に参拝したとのことです。
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東京メトロ浅草駅
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銀座線は1927年(昭和2年)に浅草 - 上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、アジア・オセアニア地域では初めての地下鉄路線だったのです。今回4回シリーズで路線に沿いウォーキングできて面白かった!!東京は実に名所旧跡が多く、ウォーキングにはとてもよいのです。
今朝は9:30〜15:00、32℃の炎天下の中、すべての参加者がペースも落とさず、完歩。朝日旅行では完歩賞は特になく、ケーキセットがふるまわれました。最近ウォーキング参加者は80歳以上も多く、皆さんが驚くばかりの元気さです。またお会いしましょう。
posted by yunofumi at 04:51| あちこちウォーク

2017年07月14日

2017.7.8 東京まちさんぽ

メトロ飯田橋駅〜水天宮前駅

本日は友人のUさんに誘われ東京メトロのウォーキングイベントに参加。
朝8:30から5回に分けてのスタート。1回あたり約1000名、ということで合計5000名!にはびっくり。最終スタート11:00、ゴールは15:30までと規定されていました。歩行距離約12.3km、時間とすれば3時間50分とのこと。
参加費無料!私たちは9:30スタート時には特定保健用食品ヘルシアとコース地図をいただきました。またコース途中では、右折、左折のポイントでは誘導係が立ち、進行方向を示しながら励ましてくださいました。
ということで元気にスタート。

メトロ飯田橋駅⇒善国寺⇒安養寺⇒大吉飯店⇒牛込神楽坂駅⇒南蔵院⇒MAISON KAYSER⇒牛込北町交差点⇒法政大学新見附校舎⇒東京市外濠公園⇒一口坂交差点⇒FACTORY⇒靖国神社南門⇒二松学舎大学⇒宝来屋⇒九段坂上交差点⇒千鳥ヶ淵⇒北の丸公園⇒九段坂⇒昭和館⇒九段坂下駅⇒九段郵便局⇒俎橋⇒さばうる2⇒神保町交差点⇒協立女子大学前交差点⇒学士会館⇒興和一橋ビル⇒一ッ橋⇒竹橋駅⇒国際協力銀行⇒大手町駅⇒丸の内永楽ビル⇒東北線呉服橋ガード⇒SAPIA TOWER⇒東京駅日本橋口⇒日本橋駅⇒魚新・コレド日本橋⇒千代田橋⇒茅場町交差点⇒新大橋通り⇒八丁堀交差点⇒堀部安兵衛武庸之碑⇒亀島橋⇒新川バス停⇒新川2丁目交差点⇒永代橋西交差点⇒遠因教育発祥之地⇒隅田川テラス⇒福島橋⇒深川消防署永代出張所⇒陽岳寺⇒法乗院・深川えんま堂⇒心行寺⇒採茶庵⇒海辺橋⇒パタシュー清澄⇒深川江戸資料館⇒清澄庭園⇒清澄1丁目バス停⇒深川萬年橋南交差点⇒萬年橋・川船番所跡⇒芭蕉稲荷神社⇒旧新大橋跡⇒芭蕉記念館⇒新大橋交差点⇒隅田川・新大橋⇒浜町中ノ橋交差点⇒水天宮前駅

メトロ飯田橋駅を出るとすぐ善国寺、安養寺、大吉飯店、MAISON KAYSERを通過。早々と美味しいと知られているお店ですが通過です。
法政大学新見附校舎を過ぎお濠が見えてきたところに「東京市外濠公園」の石柱、これは初めてみました。
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本日は直射日光も厳しく暑い!早々と涼を求めてFACTORYでおやつタイム。
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千鳥ヶ淵では濃い緑と蓮の花に暑さもひと時忘れました。
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九段下にでると昭和館がデンと登場。昭和10年頃から昭和30年頃までの国民生活上の労苦を伝える実物資料が展示とのこと。今までまったく知らなかったので今後機会を見て伺うということで今日は通過です。
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俎橋(まないたばし)を抜け神田神保町の書店街を通過。学士会館前では「日本野球発祥の地」碑はかなりの方が見入っていました。

気象庁1階には気象科学館があるとのこと。ここまでで歩程約4.8km、約1時間半と地図にあり、お茶休憩を1回した私たちですがまずは順調。
大手町交差点辺りでなんとUさんの知人にバッタリ!お互いに健闘を称えあいました。
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東京駅日本橋口はいつもツアーの待ち合わせ場所ですが今日は外から見て随分巨大な建築物と実感。
日本橋に入ったので昼食のため小一時間休憩。魚新さんにててんぷら定食をいただきました。さすがに美味しかったです。

八丁堀駅をすぎ亀島川に架かる亀島橋西詰の公園に「堀部安兵衛武庸之碑」がありました。彼は本所吉良邸に討ち入りし上野介の首級をあげた赤穂浪士四十七士の一人です。
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隅田川に架かる永代橋の西詰南側の歩道の植込みに、船員教育発祥之地碑がありました。
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かって、黒船来航で開国を余儀なくされた江戸幕府が海軍講習所・軍艦操練所などを設置して日本人による軍艦の運航ができる体制を整えようとしたことの現れです。すなわち明治になり日本の商業海運界も国際的には立ち後れていることがわかり、船員教育の制度が必要となったということでしょうか。1875(明治8)年、岩崎弥太郎が大久保利通・内務卿の命により「三菱商船学校」を設立。これがのちの東京商船大学(2003に、その後東京水産大学と合併して現在の東京海洋大学になったとのことです。

法乗院・深川えんま堂は本日は門前でお詣りのみにしました。
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芭蕉は、1689年(元禄2年、採茶庵(さいとあん)から「おくの細道」の旅に出発したのです。 採茶庵は、芭蕉の門人、杉山杉風(さんぷう)の別宅だったとのこと。芭蕉は「奥の細道」の旅に出る前に、それまで住んでいた隅田川と小名木川の合流地点あたりの芭蕉庵を手放していたのです。採荼庵に芭蕉を住まわせた杉風は、日本橋で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で芭蕉の生活を支えていたとのことです。
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海辺橋、深川江戸資料館、清澄庭園、萬年橋・川船番所跡を過ぎると芭蕉稲荷神社がありました。
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清澄庭園は先日伺ったばかりなので本日は通過です。ここで歩程約10.2km、3時間越となっています。

またそばには芭蕉記念館があります。こちらは街道歩きで見物すみです。
こうしてメトル水天宮前駅に15:00過ぎにゴール。完歩記念はメトロの電車をイメージしたラップでした。
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本日は35℃、ほとんど風なし。とっても熱く、水分はいつになく多めにとっていました。歩程12.3km、ランチ、お茶時間を除けばまずまずのテンポでのウォーキングでした。皆さんががんばっている姿に励まされ、Uさんが調子を合わせてくださり、私も完歩出来た次第です。お世話になりました。ありがとう!!
posted by yunofumi at 21:06| あちこちウォーク

2017年06月15日

2017.6.13 銀座線ウォーク第3回 

京橋〜上野広小路

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキング。
第1回は渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附。
第2回は赤坂見附・溜池山王・虎の門・新橋・銀座・京橋。
そして本日、第3回は京橋・日本橋・三越前・神田・末広町・上野広小路の辺りをウォーキングです。

京橋駅A7明治屋出口⇒八重洲平和の鐘⇒日本橋高島屋本店⇒日本橋三越⇒メトロ日本橋駅⇒日本橋交差点⇒コレド日本橋⇒日本橋西川⇒日本橋⇒日本橋北詰交差点⇒八木長本店⇒金沢大学東京オフィス⇒三浦按針屋敷跡⇒鳥萬⇒神茂⇒佃煮日本橋鮒佐⇒黒文字専門店日本橋さるや⇒コレド室町3⇒コレド室町2⇒三越本店⇒福徳神社⇒長崎屋跡⇒JR新日本橋駅・石町時の鐘・鐘摘堂跡・室町4丁目交差点⇒JR神田駅⇒ニューセントラルホテル⇒豆腐店越後屋⇒多田2丁目交差点⇒栄屋ミルクホール⇒和菓子庄之助⇒神田青果市場発祥の地⇒須田町歩道橋⇒生そばまつや⇒ぼたん⇒やぶそば⇒あんこう鍋竹村⇒肉の万世本店(昼食)⇒万世橋⇒maach ecute万世橋⇒神田郵便局前⇒昌平橋⇒外神田1丁目⇒講武稲荷神社⇒二松学舎大学⇒外神田3丁目⇒蔵前通り⇒司うさぎや⇒黒門児童遊園⇒旧黒門町⇒松坂屋デパート⇒黒門小学校・黒門市場⇒湯島聖天心城院⇒白梅商店会⇒春日通り⇒池之端1丁目⇒福成寺⇒教証寺・柳瀬美仲墓⇒池之端仲町商店会・白梅商店会⇒酒悦⇒鈴廣演芸場⇒上野広小路亭⇒上野広小路駅

京橋駅は1932年(昭和7年) 東京地下鉄道、三越前駅 - 当駅間開業に伴い、終着駅として開業しその時の駅建設費用の一部を、明治屋が負担したとのこと。ということで日本最初の鉄道とビルが直結した駅になったとのことです。
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八重洲平和の鐘は東京駅八重洲中央口から、一直線に延びる八重洲通りにある大きな鐘で毎正時に26個の鐘が美しい調べを奏でるとのことです。このモニュメントは、中央区が1980年に日蘭修好380年を記念し、国際都市の一員として世界平和を願い、設置されたもの。その日本とオランダの修好の関係を築き上げたのがオランダ人のヤン・ヨーステン。1600年に豊後(大分)漂着したヤン・ヨーステンの活動により、長崎に出島が作られるなど、日本の国際化の基礎を築いた人物。陸の玄関に相当する「八重洲(ヤエス)」の地名は、
ヤン・ヨーステンの名前にちなんで付けられたそうです。
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日本橋高島屋本店。
江戸時代末期に創業した高島屋が日本橋に全館冷暖房装置を備えた店舗を構えたのは昭和8年のこと。当時のキャッチコピーは「東京で暑いところ、高島屋を出たところ」。創建時の名称は日本生命館。日本生命が建設し高島屋が借り受け、一部を日本生命東京総局が事務所として使用していたのが、昭和38年に日本生命が転出。戦後復興から高度経済成長期に増築、改築を繰り返し、昭和40年には1街区を占める店舗となったとのこと。 そして平成21年には百貨店建築初の重要文化財の指定を受けたのです。昭和初期から現存する百貨店建築の中で、最大級の規模を誇り、内外装とも当初の姿を保っているようです。
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銀座三越本店。
江戸時代の1673年(延宝元年)に「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせ、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現。1928年には「株式会社三越」となった。また三井財閥(現三井グループ)のルーツとなった「越後屋」の呉服店事業を引継いだため、「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業でもあるのです。
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『熈代勝覧』(きだいしょうらん)は、東京メトロ三越前駅地下コンコースに設置され、2009年11月30日除幕されました。これは1805年(文化2年)の江戸日本橋を描いた絵巻。作者は不明。縦43.7cm、横1232.2cmの長大な絵巻で、日本橋通に連なる問屋街とそれを行き交う人物が克明に描かれています。1999年にドイツで発見され、化政期の江戸の文化を知る上で貴重な史料として注目されました。絵には88軒の問屋が登場しますが、暖簾は屋号が判別できるほど精緻に描かれており、当時の通り西側に出店していた店舖の一覧を知ることができます。1824年(文政7年)の『江戸買物獨案内』にはこのうち4分の1の店舖が掲載されているとのことですが、住所が食い違う所も多く、入れ替わりの激しさを偲ばせます。町屋は庇の有無、土蔵と白漆喰の違いなど外見上の特徴が細かく描き分けられていますが、類似作である『江戸風俗図巻』のように店内部を透視するように描くことはせず、あくまで写実に徹しているのです。町屋の間から裏店に至る路地の存在が示されていることも特徴なのです。有名店舖も多数登場しています。現在も三越として残る呉服店越後屋は道から少し入った駿河町に本店を構えていますが、当地の定番として欠かせなかったためか全体が余す所なく描かれており、通り沿いにも系列店や蔵を多数構えています。現在も室町で打刃物問屋として営業を続ける木屋は室町二丁目に4店舖並んで見えますが、その内木屋幸七は工事中で、「普請之内 蔵ニ而商売仕候」の札を掲げています。大手書肆須原屋も善五郎と市兵衛の2店舗が見えます。正規の店舖のほか、木戸番が非正規に営む商番屋が描かれている点も注目なのです。絵には総計1671人が描かれているとのことです。
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コレドは造語でCORE は中心とか核の意味で EDOをつけてCOREDとしたようです。すべて三井ショッピングパークで、コレド日本橋のテーマは「時を越えて」。百貨店や老舗名店の伝統を活かしまた、現代的スタイルも見られます。コレド室町1は「日本を賑わす、日本橋」をコンセプトに、江戸時代の賑わいを再現する商業ゾーン。コレド室町2は最新設備を導入したシネマコンプレックスがあります。コレド室町3は「食と暮らし」を軸に、質の高いライフスタイルを提案しているとのこと。またすぐ傍には工事中の大きな建物が見えました。どうやらコレド室町4とのこと。すごい勢いです。
近くには鰹節や乾物の老舗の八木長本店、焼き鳥の鳥萬、はんぺんの神茂、佃煮の鮒佐
など老舗がズラリ。珍しいお店では黒文字専門店さるや。爪楊枝専門店があるなんて初めて知りました。
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日本橋は、日本橋川に架かる橋。1911年(明治44年)完成の現行の日本橋は国の重要文化財。五街道の起点。
日本橋の北西詰に整備されている「元標の広場」には道路元標の複製と道路元標の説明書きが設置されており、いつもながら興味深い。
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日本橋の重厚な装飾品は麒麟像と獅子像。先日のクルージングで見た橋げたの像も再度、見られました。

三浦按針(ウィリアム・アダムス)はイギリス人航海士で、オランダ船リーフデ号で東洋を目指していましたが1600年(慶長5 年0)豊後国(大分県)臼杵に漂着。その後徳川家康に招かれた按針は、当時の国際情勢や造船・航海術、天文学や数学等を指導した功績で旗本に取り立てられ、相模国(神奈川県)三浦郡に領地を、江戸に屋敷を与えられたのです。姓の三浦は領地に由来し、按針は水先案内人という意味とのこと。屋敷地は現在の日本橋室町1 丁目辺りで、昭和初期まで「按針町」と呼ばれており、今でも「按針通り」が残り、「史蹟三浦按針屋敷跡」の碑が海苔店と宝石店の間にありました。
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福徳神社の創祀は古く貞観年間(清和天皇・859〜876年)には既に鎮座していたとのこと。当初は武蔵野の福徳村の稲荷神社。その後、1657年(明暦3年)の大地震により、一里塚は崩壊したとのことで当時の人々が散乱した碑石の残存した破片を集め保存し、 1590年( 天正18年)には入府した徳川家康公も参詣されたようです。また二代将軍秀忠公が1614年の参詣時、社殿の鳥居に、春の若芽の萌えがあったことから別名「芽吹神社」ともいわれています。また初めて富くじをしたことからも福徳の名称となり縁起が良いということのようです。
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豆腐店「越後屋」は多町で三代目の手作り豆腐のお店。関東大震災後に多く建てられた典型的な銅板張りの看板建築。正面から見て屋号の越後屋の「後」しか残っていないのが面白かった。
本日は平日なので栄屋ミルクホールは営業中でした。ここも銅板張りの看板建築でした。
この付近は古い建物が多かったです。

肉の万世本店は肉料理専門レストラン。昭和24年以来、食肉の最高級とされている黒毛和牛を素材として各種ステーキ・ハンバーグ・すきやき・しゃぶしゃぶ等の肉料理全般の営業をしているようで5階までがお店。質量ともに十分でお腹いっぱいになりました。
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maach ecute万世橋。
中央線神田〜御茶ノ水間に あったのが「万世橋駅」。現在の施設は東京駅の前の1912(明治45)年に完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋を歴史や記憶を活かしながら新たにした施設。 階段、壁面、プラットホームなどの遺構が見られました。また新しいショップやカフェが並ぶ商業施設になっていました。数日前のクルージングでも外から見ていましたが初めて中に入りとても納得しました。
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1912(明治45)年、中央線の昌平橋〜万世橋間が開通し、万世橋駅は東京市電(路面電車)の乗換ターミナルとして栄えました。駅周辺エリア(神田須田町)は銀座と並ぶほどの繁華街へと成長し、神田須田町周辺は、賑わいました。1919(大正8)年、中央線が東京駅に開通し、万世橋駅は中間駅となったのです。
当時の階段が1912階段として残っていました。
1912 (明治45)年初代駅舎は1923(大正12)年9月1日の関東大震災で焼失。残存した基礎を利用し平屋建ての2代目駅舎が1925(大正14)年に完成したけれど須田町交差点が移転したことで駅前が裏通りになってしまったため1936(昭和11)年に鉄道博物館が併設され、万世橋駅は大きな駅舎を鉄道博物館に譲り、大幅に縮小。そして1943(昭和18)年、太平洋戦争激化の中、乗降客減少に伴い、万世橋駅は休止となったのです。鉄道博物館は、1948(昭和23)年にその名を交通博物館と改め、70年営業しましたが施設老朽化で閉館し、鉄道博物館は埼玉県さいたま市で再出発しています。

昌平橋。
この地に最初に橋が架設されたのは1624〜1645年(寛永年間)。その後「一口橋」、「芋洗橋」「あたらし橋(新し橋)」、元禄初期の江戸図では「相生橋」、「昌平橋」「相生橋」、「萬代橋」、「文久橋」、「新萬世橋」と名称共々変遷が激しかったようです。現在の昌平橋は1923年(大正12年)に架け替えられ、神田川における最初の鉄筋コンクリート製アーチ橋。
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講武稲荷神社(こうぶいなりじんじゃ)は秋葉原電気街のビルの谷間にありました。このあたりには江戸末期に講武所という、対外危機に備えて旗本や御家人たちを稽古する武術の講習所がありましたが神社がないということでこれを大貫伝兵衛が、幕府から払い下げてもらい、その一角に稲荷神社を祀ったので「講武稲荷神社」ということとのことです。
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ここで珍しいおでんの自販機があって驚きました。
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和菓子の司うさぎやは大正2年に、西黒門町(現上野1丁目)で創業。喜作最中やどらやきが看板商品。今も日持ちしない商品のため店頭のみでの販売。私はどらやきを求め、帰宅後食しましたがお味はなかなかのものでした。

上野の旧黒門町辺りは元々上野寛永寺の門前町としてできたようです。傍には不忍池もあり風情があることから料理屋とかも多かった様子、また八代目桂文楽さんの住まいがあったようです。
松坂屋は1611年(慶長16年)、 織田家の小姓の子孫であった伊藤蘭丸祐道が名古屋本町で 呉服小間物商「いとう呉服店」を創業したのが始まり。上野店は江戸時代からこの地で続いているので1830年 「東都名所上野広小路之図」にも記載があるそうです。歴史的には1855年 安政の大地震の後すぐ再建とか、1868年 彰義隊と官軍による上野戦争 官軍の本営になったとか、歴史が様々あるようです。

湯島聖天心城院が湯島天神男坂下にあり、ここは太田道灌の御殿・皓月亭跡とも伝えられているとのことでした。
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教証寺・柳瀬美仲墓。
柳瀬美仲は、江戸時代中期の歌人。京都で詠歌を武者小路実陰の門に学んだ後、江戸に出たようです。「はつせ路や 初音聞かまく尋ねても まだこもりくの山ほととぎす」の一首で知られるようになったようです。1740年(元文5年)に没し、「隠口先生美仲甫之墓」と刻まれた墓が教証寺にあるのです。

もうすぐ上野広小路駅という街並みには、酒悦、鈴廣演芸場、上野広小路亭などが目白押しにありました。
本日は小雨が降る中のウォーキングでした。気温が19℃はあったと思われますので雨具の中は汗でじっとり。まあ、こんなこともあるのです。雨が強く降らなかったので写真はまずまずの出来で撮れたのは幸いでした。案内パンフには歩程6kmとありましたが終わってみれば約17000歩。案内人の東京シティガイド藤井さんには丁寧な案内をいただき、何度も歩いた街並ですが色々理解が深まりました。感謝!
さていよいよ次回でこのコースが終了です。最後まで安全に楽しくウォーキングできるようにそれまで、日々元気に過ごします。
posted by yunofumi at 21:38| あちこちウォーク

2017年06月14日

2017.6.11 MBTノルディックウォーキングin代々木公園

1か月ぶりの代々木公園です。春というより夏が近づきつつあるこの頃です。
本日はさわやか!25℃晴天!インストラクターMさんにはいつも楽しくトレーニング指導をいただき、感謝!
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相変わらずトレーニング終了後は明治神宮の前にあるCaféで一休み後、解散。
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その後、明治神宮御苑の花菖蒲を鑑賞!とても見事でした。
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神宮の森はいつも自然が一杯で本当にすがすがしい。
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それにしても明治神宮は参拝者多いこと!外人さんが多いこと!今更のようにびっくりでした。

本日は見事な花菖蒲と森に元気をいただき、明日からの活力を蓄えられた気がしました。
posted by yunofumi at 04:47| あちこちウォーク

2017年06月12日

2017.6.4  OUT DOOR FITNESSノルディックハイキング

猿江恩賜公園⇒大島橋⇒横十間川⇒小名木川⇒クローバー橋⇒マイクロ水力発電⇒横十間川親水公園⇒岩井橋⇒海砂橋⇒千砂橋⇒夾竹橋⇒亀の甲橋⇒横十間川親水公園花菖蒲⇒豊住橋⇒千田橋⇒大栄橋⇒福寿橋⇒扇橋1丁目⇒猿江1丁目⇒江東橋5丁目⇒撞木橋⇒大横川親水公園⇒清平橋⇒紅葉橋⇒SASAYA CAFE

朝9:00猿江恩賜公園スタート
すがすがしい空気が満ちており、眩しいくらいの晴天です。
猿江恩賜公園サービスセンター前の池、ミニ木蔵では水連がすがすがしくきれいな花を咲かせていました。
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マイクロ水力発電は小水力発電のシステムで横十間川親水公園の水門橋にあり、小名木川と横十間川がクロスする場所でした。近くには江東区スポーツ会館や大型商業施設もありました。高低差のない江東区のマイクロ水力発電の導入は東京都では初めてとのこと。
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横十間川親水公園には菖蒲園がありました。花菖蒲が紫・白・ピンクと可憐な花を開き始めたばかりのようでした。
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皆で記念撮影もしました。
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川べりを色々な橋を眺めながらウォーキング。
本日のゴール、大横川親水公園に到着するとフリーマーケットが開催中!とっても賑やか!
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最後に皆でSASAYA CAFEに伺い、昼食タイムをしました。
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こうして東京スカイツリーを眺めながらも楽しいウォーキングを終了。6月になったばかりですが、気温27℃はちょっと厳しくアイスコーヒーがとっても美味しかったです。
江東区は水辺が多く、夏がお似合いの街でした。
posted by yunofumi at 21:03| あちこちウォーク

2017年06月10日

2017.6.3 第16回東京の新発見「江戸川区」

都営新宿線篠崎駅⇒しのざき文化プラザ⇒伊藤信司商店⇒篠原風鈴本舗⇒丸橋運送⇒春江の森公園⇒おそばゑ之本⇒春江町2丁目⇒春江中学校⇒味処やす吉⇒春江町クリニック⇒新堀1丁目⇒春花園⇒いなげや⇒一之江戸名主屋敷⇒椿通り⇒瑞江斎場バス停⇒大雲寺⇒ユニクロ⇒洋服の青山⇒マツモトキヨシ⇒ベルクオーレ(昼食)⇒瑞江駅⇒下鎌田小学校⇒涼風橋⇒仲井堀親水緑道⇒感応寺⇒国柱会⇒佐々木養魚場⇒一之江境川親水公園⇒タワーホール舟堀⇒都営新宿線舟堀駅

篠崎文化プラザは、江戸川区の歴史や文化、産業などを紹介するギャラリー、江戸川区立篠崎図書館、江戸川総合人生大学、伝統工芸カフェ"アルティザン"などがある複合文化施設。地域住民の学習活動の拠点、学習の機会・場・情報の提供と活動支援が地域コミュニティーの醸成を促すという考えのようです。
本日は特別展「干潟の生き物の大集合」が開催されておりました。
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篠原風鈴本舗。
江戸時代から作られていた風鈴です。従来はガラス風鈴,あるいはビードロ風鈴などとよばれていましたが昭和40年頃、「江戸風鈴」と名付けました。ですから、江戸風鈴という名称は篠原儀治のブランド名で今は一門の方のみ江戸風鈴と名乗っているのです。江戸風鈴は一つづつ手作りなので形や絵柄、音もそれぞれ異なるとのことでした。
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江戸川区の小松菜。
江戸時代のころ、徳川八代将軍吉宗をはじめ、代々の将軍が冬になると江戸川区のこの辺りにたびたび鷹狩りに訪れたそうです。そこで昼食時に東・西小松川村あたりでとれた冬菜をすまし汁出だしたのが縁で小松菜の名前が付けられたのです。このようなことから現在でも江戸川区には小松菜のビニールハウスが立ち並び、収穫量は全国トップクラスとなっているとのことでした。
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春花園BONSAI美術館」は盆栽界の巨匠、小林國雄さんが館長を務めています。中には沢山の盆栽が所狭しと並んでいました。 敷地内の奥には立派な日本家屋がありこれが「美術館」でした。職人さん達の作業も見ることができました。
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一之江戸名主屋敷。
この住宅は、江戸時代にこの地に移り住み、一之江新田と呼ばれていた当地の開拓の主導的役割を果たした田島図書(ずしょ)英丈を祖とする田島家の旧居。敷地面積は約2000坪。田島図書はもともと堀田姓を名乗った武士出身でしたが、関ヶ原の戦いに参戦後関東地方へ入り、田島姓に改姓して当地の開拓に携わったと伝えられているとのこと。その後の江戸時代は田島家が代々当地の名主を務めていたのです。現存する主屋は1770年代(安永年間)頃の建立で寄棟造、茅葺、平屋建。敷地には屋敷林や庭園などが備わっっていました。その後整備を繰り返し、2011年には江戸川区の管理となったようです。珍しいお名前の古結(こげつ)さんが案内役でした。
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大雲寺(だいうんじ)は、浄土宗の寺院でご本尊は阿弥陀如来。歌舞伎俳優の墓が多いことから「役者寺(やくしゃでら)」と呼ばれているとのことでお墓にお参りしました。これらの歌舞伎役者墓碑群は江戸川区指定史跡になっており、市村羽左衛門累代墓(初代より17代合葬、13代は五代尾上菊三郎)、坂東彦三郎累代墓(初代より七代合葬)、三代坂東彦三郎家墓、初代尾上菊五郎供養碑、寺島家門弟一同建立碑、寺島家門弟代々墓、瀬川菊之丞累代墓(初代より六代合葬)(江戸時代の歌舞伎狂言作者、初代瀬川如皐を合葬しています)、中村勘三郎累代墓(初代より十三代合葬)、三代中村勘三郎墓、福地家墓、坂東彦三郎墓(初代より二代合装)などのお名前をHPでも確認できました。どの方々も今に続く歌舞伎役者さんのご先祖なのです。
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ベルクオーレ(昼食)は瑞江駅そばにあったお店。地下の広々空間で本格的イタリア料理でなかなかおいしかったです。
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仲井堀親水緑道。
仲井掘は多くの支流があり、周囲の灌漑用水に利用されてきました。春江樋門から環状7号線までを流れていた農業用水路が地元住民の支援で親水化整備が実現し、平成4年にできた緑道で500mあるようです。今日は入り口だけ見ました。
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国柱会は、純正日蓮主義を信奉する仏教の宗教法人。明治17年(1884)、田中智学により創設。大正半ばに宮澤賢治がこれを知り、傾倒。大正11年に亡くなった賢治の妹トシの遺骨と賢治の遺形は大霊廟に納鎮されており、申孝園には賢治の辞世の歌碑が建立されているとのことです。
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佐々木養魚場は、天保8年(1837年)から続く、江戸川区の金魚屋さん。創業は台東区入谷でその後、先代が大正15年に分家し、江戸川区に移転。現在は、茨城県常総市にある水田で生産し、江戸川の店舗で販売しているとのこと。自家生産のオリジナル品種、はやり物の新種、らんちゅう、鯉、メダカまであるようでした。
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一之江境川親水公園。
平成7年より「自然に近い水辺を」希望する声に後押しされできた豊かな自然を満喫できる親水公園と順次整備されたとのことです。今は3200mあるようです。魚や昆虫、水生植物が生息できるように、新中川の自然水が流されています。ま公園内には小さな子ども達が夏季に水遊びを楽しめる広場が3ヵ所あり、これは本流の流れを迂回させ水道水を循環利用しているとのことでした。
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タワーホール舟堀は、水辺都市・江戸川区にちなんで「区民の乗合船」をイメージして造られ、平成11年にオープン。この建物はコンベンション機能、健康、文化、産業の質的向上を図る機能、くつろぎ、楽しめるアミューズメント機能、ブライダル機能を備え、区民生活を支援しているとのことでした。高さ115mのタワー展望室からの眺めは素晴らしかったです。
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本日は晴天、ちょっと熱く感じる27℃。講師は信野先生、CDは掛園さん。
地元の案内を見ると、江戸川区は緑道が多いこと、小松菜などの野菜直売所も見受けられるエリアのようでした。終わってみると緑道のウォーキングを楽しめなかったことが残念でした。また朝10:00スタートで昼食場所には13:00過ぎ到着でしたからちょっときつい感じ。午後はその分、短めで16:00近くに解散。このように暑い中でのウォーキングですから、効率よくスケジュールが組まれ実行されることが肝心です。
ご一緒になった皆さん共々、これからも楽しくウォーキングしたいものです。
posted by yunofumi at 22:00| あちこちウォーク

2017年06月08日

2017.5.27 横浜散策第2回 中区

JR石川町駅南口⇒石川町駅前歩道橋⇒石川町2丁目⇒大丸谷震災地蔵尊⇒横浜市立元町小学校⇒フェリス女学院⇒外交官の家⇒三育幼稚園前交差点⇒中央大学⇒カトリック山手教会⇒山手公園⇒日本庭球発祥之地碑⇒横浜山手テニス発祥記念館⇒旧山手68番館⇒明治3年日本発の様式公園⇒横浜市立元町小学校⇒公園坂⇒上野町4丁目⇒山手駅入り口交差点⇒大村薬局⇒麦田町バス停⇒Plow Cafe⇒大和町バス停⇒山手駅入り口交差点⇒妙香寺⇒妙香寺前交差点⇒キリン園公園入口交差点⇒千代崎町1丁目⇒キリン園公園⇒北方小学校⇒諏訪町⇒北方小学校前交差点⇒山手本通り⇒ベーリックホール⇒元町公園⇒山手80番館遺跡⇒大正活映撮影所之跡⇒代官坂⇒元町2丁目⇒本丸亭⇒代官坂通り⇒元町プラザ⇒ウチキパン⇒山手外国人墓地⇒元町・中華街駅

駅を離れすぐに石川町駅前歩道橋を上り、早速街の地形を眺めて出発です。
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大丸谷坂震災地蔵尊。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の震源地は相模湾で死者約10万人という大地震。この辺りでも火災が発生し、人々は大丸谷坂を高台へと上ったのです。でも凄まじい火炎が付近の草木も焼き尽くしその結果約50名の方がなくなったそうです。このお地蔵さまは震災50周年に当たり建立されたとのことです。
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外交官の家。
こちらはもともとニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられました家。 設計者はアメリカ人のJ.M.ガーディナー。建物は木造2階建て塔屋つき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響があるとのこと。1階は食堂や大小の客間、2階は寝室や書斎などがあり、部屋の家具や装飾はアール・ヌーボー風でした。
1997年(平成9年)横浜市が内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館を寄贈され、山手イタリア山庭園に移築復元されたのです。庭園も素晴らしかったです。
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カトリック山手教会。
聖フラシスコ・ザビエルにより日本宣教が始まった1549年の後、厳しいキリシタン弾圧が続いたけれど、幕末の1859年開港時に日本再宣教のため、パリ外国宣教会のジラール神父らが来日。1862年横浜居留地80番地(現横浜市中区山下町80)に「横浜天主堂」(イエズスの聖心教会)が造られたのです。ちなみに長崎大浦天主堂はこの3年後にできたとのことです。ということでここは日本最初の教会なのです。
1906年、天主堂付近の市街化により現在地に移転し2代目の双塔を持つゴチック風の聖堂ができたが1923年の関東大震災によって崩壊。現在の聖堂は3代目だそうです。
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教会の中庭にある聖母像は、1868年にフランスから贈られたもの。開国後初のキリスト教会として1862年(文久2年)に居留地に建てられたイエズスの聖心教会の入り口の上にありました。1906年(明治39年)に教会が、現在の地(山手町44番地)に移転した際に現在の場所に移されたとのことです。
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山手公園は、日本初の洋風公共庭園。
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山手公園内にある日本庭球発祥之地碑。
山手公園内に、1870年(明治3年)に横浜居留地外国人のレクリエーション施設としてテニスコートが造られたのですということでここが日本における庭球発祥の地とされているのです。
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横浜山手テニス発祥記念館は、横浜インターナショナルテニスクラブ創立120周年を記念して建てられ、テニスの歴史パネルなどが展示されていました。
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旧山手68番館は現在山手公園管理事務所となっていました。

横浜市のマンホール。
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Plow Café(昼食)は麦田町にあったカフェ。さぐが横浜、ウォーキングでは珍しくイタリアンでした。
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妙香寺は814年(弘仁5年)真言宗の開祖弘法大師(空海)の創立で当時は本牧山東海寺と称していたとのこと。その後 日蓮聖人の日蓮宗に改宗し連昌山妙香寺となり、現在は本牧山妙香寺。1923年(大正12年)9月1日関東大震災で焼失、1927年(昭和2年)に失火で焼失、1945年(昭和20年)5月29日に第二次 世界大戦横浜空襲により全山焼失。でも今は再建されているのです。
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境内には君が代発祥の地碑がありました。
君が代の歌詞は古今和歌集第7巻賀歌の部の一部。作曲は明治2年秋に英国陸軍の楽長ジョン・ウィリアム・フェントン。その後この曲を排して宮内省の林広守の曲が現在も使われているとのこと。
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また日本吹奏楽発祥の地もありました。
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1854年(安政元年)ペリー提督と一緒に上陸した楽隊が演奏したのが日本初の洋楽演奏。
その後日本で初の楽隊となった薩摩藩洋楽伝習生がこの妙香寺を寄宿舎として吹奏楽を学んだのです。

キリン園公園はキリンビール発祥の地。中央に巨大な麒麟麦酒開源記念碑の碑がありました。
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この一帯はかつて、天沼と呼ばれる清水の湧きでる地で明治初期には山手居留地123番地と呼ばれたのです。1870年(明治3年)には、ウィリアム・コープランドが「スプリングバレー・ブルワリー」を開設しこの良質な井戸水を使い、ビールの醸造を始めたのです。明治18年には後藤象次郎や岩崎弥之助、ベルツなどが加わりジャパン・ブリュワリー・コンパニーとなってスプリング・ヴァレー・ブリュワリー事業を継承し、麦酒に「麒麟麦酒」と命名。大正12年関東大震災で工場などすべてを生麦に移転。現在に至っているのです。その工場跡地はキリン公園と北方小学校なのです。当時の名残として、キリンビールの寄贈により1967年に修復されたビール井戸が校内に保存されています。
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元町公園は横浜の山手地区にある緑豊かな公園。 園内には、ジェラールの水屋敷跡や山手80番館遺跡など、歴史的に貴重なものが多くありました。また横浜山手西洋館の一部である、山手234番館やエリスマン邸やベーリック・ホール、山手234番館もありました。
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ジェラールの水屋敷跡。
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山手80番館遺跡。
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エリスマン邸。
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ベーリックホール(旧ベーリック邸)
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として1930年(昭和5年)にアメリカ人建築家J.H.モーガンにより設計され、第二次世界大戦前まで住宅として使用され、1956年(昭和31年)に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付されました。その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた時期もあります。約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルが基調、外観は玄関の3連アーチ、クワットレフォイルという小窓、瓦屋根には煙突など、多彩な装飾がありました。内部は、リビングルームやパームルーム、ダイニングルーム、白黒のタイル張りの床など、建築学的にも価値ある建物だとのことです。
2001年(平成13年)に横浜市が元町公園の拡張区域としたのです。
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大正活映撮影所之跡の碑。
大正活映は、1920年(大正9年)に設立された無声映画の配給映画会社。
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山手外国人墓地にある生麦事件犠牲者リチャードソンの墓”
生麦事件は、幕末の1862年(文久2年)に、武蔵国橘樹郡生麦村付近で、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを、供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件。
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本日は10:00にJR石川町駅南口に集合、講師は浅井先生、CDは金子さん、参加者は29名。朝はやや曇りでしたが次第に晴天となり28℃はあった感じ。1日の歩程は約4.5kmとパンフレットには明記されていましたが、先生いわく「地形に注目しながらウォーキングしましょう」の言葉通り、高低差があり、また断層も見られ、歩数はかなりとなりました。ということで終了後はお知り合いになった姉妹とご一緒にお茶をして大いに楽しみました。
横浜は18区ありますので最後まで楽しく頑張ります。
posted by yunofumi at 21:13| あちこちウォーク

2017年05月31日

2017.5.21  OUT DOOR FITNESSノルディックハイキング

猿江恩賜公園⇒北砂1丁目公園⇒海砂橋⇒千石地蔵尊⇒千石1丁目⇒木場公園⇒亀久橋⇒BLUE BOTTLE⇒平野1丁目⇒チーズのこえ⇒清澄公園

今日はまだ5月というのに暑さ厳しい1日でした。まずは晴天なので元気よく参加者8名、インストラクター1名が猿江恩賜公園を9:00スタート。朝が早いので猿江恩賜公園では蓮の花も咲いていました。
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この辺りは晴天ではなんといってもスカイツリーが輝いて見えます。
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本日は小名木川、横十間親水公園、仙台堀公園などを歩き回るコースで何処が何処やら、さっぱり自分の所在が分からず、キョロキョロしながらのウォーキング。
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そこにひょっこり可愛い千石地蔵尊が鎮座。横に石板で説明がありました。
「昭和20年(1945)3月10日未明、米軍機の大空襲により、我が郷土は焼野原と化し、堀割や路傍、学校などで、尊い瀬名が数多く奪われ殆ど肉親に逢うこともなく葬られました。 劫火に追われて逃げ惑い、離れ離れになった家族の行方を捜して、焼跡に住み続けた。杉岡桂治郎氏らの有志が、夥しい死者の霊を悼み、同年5月頃、当地に地蔵尊を祀り、供養を続けて参りました。 この度山崎ムメ氏外有志が、地区内の風致化に伴い、豊かな景観に添う御堂修築を発願し、会員及び地元の有志や企業のご賛同により竣工致しました。茲にみ霊のご冥福を祈り二度と無残な悲しみを繰り返さぬよう、恒久平和を希って、この碑を建立します。」 昭和62年(1987)3月10日 千石長寿会 会長 山岡英太郎
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チーズのこえ。
今野 徹北海道ナチュラルチーズ・コンシェルジュのお店。
酪農王国 北海道のチーズを2015年11月より、清澄白河で販売しているとのことです。
ソフトクリームがとっても美味しかったです。
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清澄庭園入口で全員集合。
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庭園内では花々を眺めながら美味しい空気を一杯吸い、30℃越の感じでしたが都心にいることを忘れました。
その後、近所のとんかつ「常陸」で昼食をいただき本日のイベントを終了。イヤー今日も気ままで有難いノルディックウォーキングでした。
posted by yunofumi at 21:49| あちこちウォーク

2017年05月24日

2017.5.16 銀座線ウォーク第2回 後半

赤坂見附〜京橋

シオドメcaretta/sorasio⇒新橋停車場跡・江戸時代仙台藩上屋敷跡⇒旧新橋停車場・鉄道歴史展示館⇒昭和通り・銀座8丁目⇒御門通り・芝口御門跡⇒博品館劇場⇒金春通り・煉瓦遺構の碑・ノーブルバール⇒銀座すし久兵衛⇒豊岩稲荷神社⇒交詢社⇒並木通り・石川啄木碑⇒天一⇒空やもなか⇒みゆき通り⇒壱番館⇒泰明小学校・島崎藤村碑⇒菊田一夫碑・数寄屋橋公園⇒TOKYO PLAZA・ギンマチダイニング⇒銀座4丁目交差点・旧尾張町⇒安藤七宝店・悠久の翔⇒服部時計店⇒三愛・銀座の恋の招き猫⇒鳩居堂⇒木村屋⇒山野楽器⇒教文館⇒社交場白いバラ⇒銀座マロニエ通り⇒カルティエ⇒東京銀座通電気燈建設の図碑⇒銀座発祥の地碑⇒ヨネイビル・銀座2丁目⇒奥野ビル⇒銀座湯⇒白木屋伝兵衛商店・江戸箒⇒警察博物館⇒旧京橋親柱(1代目)・煉瓦とガス燈の碑・京橋親柱(2代目)⇒江戸歌舞伎発祥之地碑⇒明治屋ビル・京橋駅

日テレ前の広場の所に新橋停車場跡には当時の線路を思わせる工夫と江戸時代仙台藩上屋敷跡の説明がありました。
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こちらは数回伺ったことのあるお馴染みの旧新橋停車場・鉄道歴史展示館。
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御門通り・芝口御門跡。
この芝口御門は新井白石の建議により朝鮮使の入府に備え国威の顕示から芝口御門が建設されたとのことです。しかし、建設後15年で焼失し、その後は再建されることなく、そのままとなっているのです。
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金春(こんぱる)通りは長さおよそ130mほどの裏通り。江戸情緒を残す「銀座の最後の砦」と言われている由緒ある通りです。
この場所には江戸時代に能楽の金春流のお屋敷があったとのことです。江戸時代、幕府直属の能役者として土地や俸禄を与えられていた家柄に、金春・観世・宝生・金剛の四家があり、最も歴史のある金春家は室町時代以来繁栄し、江戸時代初期から観世太夫とともに江戸で能を演じていた名家で、屋敷なき後も、この地にその名を留めているのです。

煉瓦遺構の碑
銀座は日本に二箇所しか建設されなかった貴重な煉瓦街の一つ。もう一つは丸の内の煉瓦街。設計者はトーマス・ジェイムス・ウォートルス(英国人)。この煉瓦は銀座8丁目8番地(旧金春屋敷地内)で発掘されたものでゆかりの金春通りに記念碑として保存される事になったようです。下方の絵は、明治初期のガス灯や張り板、提灯など当時の金春通り煉瓦街を偲ばせる古い写真を元に銅板に彫金したものとのことです。またこの傍のお店ノーブルバール前には昔の水道の木樋が今も置かれていました。
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交詢社は1880年(明治13年)に福澤諭吉が提唱し、結成された日本最初の実業家社交クラブ。名称は「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」に由来するとのこと。慶應義塾出身者が中心で、少しは一般の加入者もあったようです。大正元年に財団法人化され名称が財団法人交詢社に。近年法人制度改革により一般財団法人に改組したようです。
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銀座6丁目、並木通りに石川啄木碑がありました。啄木は亡くなる前の3年間、この場所にあった朝日新聞に勤務していたことに因んでこの歌碑が立っているようです。歌碑には「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」とありました。

泰明小学校は明治11年創立赤煉瓦の校舎だったとのこと。現在の建物は関東大震災後建てられた鉄筋コンクリート製。島崎藤村、北村透谷、近藤文麿、和泉雅子、朝丘雪路など卒業生には有名人が多い。
TOKYO PLAZA・ギンマチダイニングから見た泰明小学校。
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敷地の一角に島崎藤村碑がありました。

かつて数寄屋橋があったところが数寄屋橋公園になっています。
数寄屋橋は1629年(寛永6年)、江戸時代初期に江戸城の外濠に初めて架けられ、1929年(昭和4年には、石橋に架け替えられたとのこと。 1952年(昭和27年)、大ヒットのラジオドラマ「君の名は」では切ない待ち合わせの場所として何度も登場し、全国に知られたのです。 1958年(昭和33年)、高速道路の建設に伴い、川は埋め立てられ、橋は撤去され、公園になったのです。
岡本太郎作の「若い時計台」、「君の名は」の作者、菊田一夫の碑が見られました。

TOKYO PLAZA・ギンマチダイニング。
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現在の銀座を見るにはちょうどよい場所です。

銀座4丁目交差点、旧尾張町の安藤七宝店外壁にある七宝焼きからくりモニュメントの悠久の翔。1日に4回動くようです。はじめて気づきました。
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服部時計店は、1881年12月に服部金太郎が創業した輸入時計・宝飾品の販売店。現在は株式会社和光の本店で銀座4丁目交差点に永く銀座のシンボルとして親しまれています。

銀座の恋の招き猫。
三愛の建物の左右の境界に、彫刻の猫がいます。
オス猫「ごろべえ」、メス猫「のんき」が鎮座し、男性はメス猫を、女性はオス猫を、願いを込めて撫でると願いが叶うという「恋の招き猫」だそうです。生みの親は、彫刻家の流政之、ボディはノルウェイ産の御影石。三愛ドリーセンター誕生(1963年)とともに、この場所にいるとのことです。
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この辺りは銀座に来ると必ず通っていたのに気づきませんでした。
この辺りは、鳩居堂、木村屋、山野楽器、教文館、など有名店が目白押しです」。

東京銀座通電気燈建設之図碑。
カルティエ銀座2丁目店の壁面にこのプレートがありました。
1882年(明治15年)に初めてアーク灯が灯され、銀座に不夜城が現出した様子を描いた錦絵を彫刻したものとのことです。
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銀座発祥の地碑
銀座通り(中央通り)に面したティファニー銀座ビル前の歩道にあります。ここには 江戸時代に銀座があったのです。1955年(昭和30年)建立。 「 慶長十七年(1612)徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す 当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ明治二年遂に銀座を町名とする事に公示さる」と書かれています。江戸時代の銀座とは貨幣の鋳造所のことで、1601年(慶長6年)に伏見に創設されたのが始まり。 その後この地の銀座に統合。 この銀座役所では貨幣鋳造と銀地金の売買が行われ、役所は1800年(寛政12年)に蛎殻町に移転し、銀座が地名として残ったとのことです。
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ヨネイビル。
1897年(明治30年)匿名組合磯野商会設立(創始者:磯野計、共同事業者:米井源治郎)以来明治護謨製造所、明治屋設立、磯野商会、米井商店と次々に改称しながら社屋は現在のヨネイビルになったようです。1〜2階は昔のまま、上を近代的なビルになっていました。

奥野ビル。
かつて旧銀座アパートメントと呼ばれ、銀座界隈でも屈指の高級アパートだったビルです。今はレトロな雰囲気で注目される存在です。1932年の建設当時は、民間の建物では日本で初めてエレベーターを備えたビルでこの手動式のエレベーターは今も稼働していました。今は画廊やギャラリーなどが入っている様子でした。
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銀座湯
銀座1丁目にあるビル型の銭湯。今も営業とのこと。入口には番台、湯船は2種類、浴場には打ち上げ花火と夜景のモザイクタイル絵(女湯)だとのこと。東京駅に近いですから街歩き後、入ってみたいものです。
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白木屋伝兵衛商店・江戸箒
奈良の正倉院に、孝謙天皇が蚕部屋を掃き、豊作を祈るために使った箒がおさめられているとのこと。箒はもともと呪術的 な意味で、神事の道具でもあったようです。植物を 束ねるという箒は今も昔も変わらない掃除道具です。箒の材料は、シュロや竹、ワラ、ホウキギ、ハハキギなど。「江戸箒」はホウキモロコシが材料とのことでした。ホウキモロコシはイネ科の一年草で、草丈は約2mにもなるようです。
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警察博物館。
以前の街歩きの時は工事中でしたが、今年の4月にリニューアルオープンしたとのこと。体験型展示や昔の大事件の解説があるようです。一度伺おうと思いました。

京橋は江戸時代の木造の橋から石造単アーチ橋へと架け替えられたとのこと。1875年(大正8年)の京橋の親柱がこれのようです。
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右側は1922年(大正11年)に設置された照明設備つきの親柱1基。
京橋川は昭和34年に埋め立てられ、同時に京橋も撤去されたようです。 1872年(明治5年)の大火の後、街の不燃化が計画されて銀座煉瓦街が建設され、以後この煉瓦街と街路樹の柳は銀座の柳として名物になったのです。その後煉瓦が発掘されたのを契機に昭和三十一年(1956)当時のままの「フランス積み」という方式で再現し、そこに煉瓦の碑が建てられた。これが上の写真の左側に見える碑です。

江戸歌舞伎発祥之地碑。 
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歌舞伎は1603年(慶長8年)に出雲阿国が京都で"歌舞伎踊り"をしたのが始まりとのこと。そして20年後の1624年(寛永元年)に 猿若勘三郎が江戸の京橋付近に猿若座(後の中村座)を開設したのが 戸歌舞伎の始まり。 その後“女歌舞伎”は風俗を乱すという理由で禁止となり, 歌舞伎は男役者のみで演ぜられる芝居となったのです。

こうして本日は気温23℃薄曇りのなかまっすぐの距離としては5kmくらいだったようですが何しろ見るところが多く、すぐ説明がありますので“歩き草臥れた”まではいかなかった感じでした。ということで午後の約3時間ウォーキングも無事に終了しました。感謝!!
posted by yunofumi at 03:19| あちこちウォーク

2017年05月21日

2017.5.16 銀座線ウォーク第2回 前半

赤坂見附〜京橋

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキング。
第1回の前回は渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附。
本日第2回は赤坂見附・溜池山王・虎の門・新橋・銀座・京橋の辺りをウォーキングです。

赤坂見附駅⇒東急プラザ⇒プレデンシャルタワー⇒赤坂茶寮⇒オカムラ⇒山王日枝神社⇒山王坂⇒そば処黒澤⇒衆議院議員会館⇒国会議事堂前駅⇒首相官邸⇒溜池山王駅⇒外堀通り・六本木通り⇒溜池発祥の碑⇒溜池交差点⇒特許庁前⇒霞ヶ関ビル・カスミダイニング⇒虎ノ門駅⇒工部大学校阯碑⇒国立教育会館⇒江戸城外堀跡・溜池櫓台⇒虎ノ門金刀比羅宮⇒外堀通り・桜田通り⇒虎の門石⇒杜の都太助⇒霞ヶ関診療所⇒りそな銀行4・西新橋1丁目交差点⇒虎の門高木ビル⇒西新橋1丁目都バス停⇒新橋駅北口バス停⇒新橋2丁目⇒赤レンガ通り・鉄道発祥の地の碑⇒美々卯⇒鳥割烹古今亭⇒魚の旨い店和楽⇒烏森神社⇒新橋駅烏森口⇒シオドメシティセンター⇒大江戸線汐留駅⇒シオドメcaretta/sorasio(昼食)

本日は東京シティガイドクラブの案内人が3人、参加者は30人弱。私はBグループ9人の一員で朏(みかづき)先生にお世話になりました。はじめてお目にかかった朏さんという苗字は愛知や滋賀県で見られお名前のようでした。
赤坂見附駅は港区赤坂三丁目にあり1938年(昭和13年)に開業した駅。銀座線と丸の内線が乗り入れており、有楽町線・半蔵門線・南北線が乗り入れる永田町駅(千代田区に立地)と改札内で連絡しています。

山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)は、永田町二丁目にある神社で江戸三大祭の一つ、山王祭が毎年6月15日に行われるとのこと。旧社格は准勅祭社といい東京十社にひとつ。大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀っているとのことでした。創建は不詳で、1478年(文明10年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのが始まりのようです。徳川家康が江戸に移封された時、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守としたとのことです。
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鳥居が特別な形でした。笠木の中央に棟束(むねづか)を建て、三角形の破風(はふ)が載っています。合掌鳥居、破風鳥居、山王鳥居などと呼ぶそうです。
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山王坂は永田町2丁目にある衆議院第一議員会館と第二議員会館の間を山王日枝神社前に下る坂。またこの坂の近くに明治時代の豪商鹿島清兵衛の屋敷があったので鹿島坂ともいうようです。

首相官邸の後ろをウォーキングしたので珍しい角度でみました。
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「溜池」は、かつてこの一帯にあったヒョウタンの形の池の名前。元々は湧水だったのを、堤を作り、水を溜めるようにしたためこの名になった。神田上水、玉川上水が整備されるまではこの溜池の水を上水として利用しつつ、江戸城外濠の一部としても利用していたようです。「山王」は、そばにある山王日枝神社に由来。交差点も山王下交差点でした。ということで溜池山王駅は1997年(平成9年)に開業したとのことでした。

駅のそばに「溜池発祥の碑」がありました。
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虎ノ門駅そばに江戸城外堀遺跡がありました。
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江戸城外堀跡・溜池櫓台も見られました。
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「工部大学校阯碑」が霞が関3丁目の霞が関コモンゲートにありました。ここは江戸時代虎門内延岡藩邸を中心とした場所で、東京大学工学部の発祥の地で日本の工学発祥の地ということのようです。1873年(明治6年)、 工業分野における日本人の人材育成のために工学校(工学寮内に設置)が開校、1788年(明治10年)には工学寮が工部大学校と改称。 工部大学校では, 土木・機械・造家などの学科が, イギリスから招聘された外国人教師によって教授されたのです。 この学校は1886年(明治19年)に帝国大学と合併して現在の東京大学工学部の前身、工科大学となったようです。
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虎ノ門金刀比羅宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内の象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の分霊を当時藩邸があったこの芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座したのがはじまりとのこと。その後、江戸市民の要請で、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可したのがはじまり。その頃は“金毘羅大権現”と称されたようです。金刀比羅宮の社号になったのは1889年(明治22年)とのことです。ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。社殿正面の銅鳥居は四神(天の四方の方角を司る霊獣)の霊獣が飾られた珍しいものです。
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「虎ノ門」は江戸城の南端(現在の虎ノ門交差点あたり)にあった門の名前。1874年(明治6年)に門が撤去されたようです。1938年(昭和13年)に地下鉄虎ノ門駅が開業したこともあるようですが虎ノ門の碑が2010年に門のあった場所に設置されたようです。
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この辺りは有名なお店が多いようです。
美々卯
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烏森神社のある辺りは昔、武蔵の国桜田村といい、江戸湾の砂浜と松林があったようです。その為、当時この地帯は「枯州の森」とか「空州の森」と言われていたとのこと。そしてこの松林に烏が多く集まって巣をかけていた為、「烏の森」とも呼ばれたのです。平安時代の940年(天慶3年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白羽の矢を与え、その矢を持ってすみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、神鳥の群がる所が霊地だと告げたのです。そこで桜田村の森まできたところ、夢想のごとく烏が群がっていたので、そこに社頭を造営し、それが、烏森稲荷の起こりとのことでした。
今、新橋駅にはなごりで烏森口があります。
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カレッタ汐留は、約60の飲食店、ショップ、「アド・ミュージアム東京」、「大同生命ミュージカルシアター 電通四季劇場[海]」といった文化施設を併設した複合商業施設。
46階スカイレストランsorasioは眼下に浜離宮をはじめ眺望がすばらしかったです。
もちろんちょっと贅沢なフレンチ、最後のデザート・珈琲にも大満足でした。
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今朝は10:00スタートより午前は1時間30分の歩程でした。
1日中ほぼ晴天に近い薄曇りで気温21℃はベストコンデイション。
昼食を大満足でいただき、午後の部は13:00スターとしました。
posted by yunofumi at 22:21| あちこちウォーク

2017年05月07日

2017.5.7 MBTノルディックウォーキングin代々木公園

ここの所、月1〜2回、代々木公園でノルディックウォーキングを一緒に楽しんでいるMBT仲間がいます。夫々が各自の都合に合わせて、自由に参加ですから誠に気楽なのです。インストラクターのMさんはいつもボランティア状態ですが気持ちよく指導いただき、感謝、感謝!!そして本日は6名の参加者。
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代々木公園は日を重ねるごとに緑が濃くなり、花々も咲き誇っていました。
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とても珍しかったのは桐の大木に咲いた花。初めてみました。幹はあの桐箪笥の材料ですから、、、。
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代々木公園は東京都立の公園。ここは東京都内23区内の都立公園のうちでは五番目の広さ。道路を挟んで森林公園としてのA地区と、それとは対象的な陸上競技場、野外ステージなどを備えたB地区に分かれています。私たちは毎回このA地区でのウォーキングです。
かつて陸軍代々木練兵場だったこの公園は、戦後には米軍の宿舎敷地・ワシントンハイツ、その後東京オリンピックの選手村を経て現在の公園となったようです。
またこの公園はJR山手線の原宿駅傍、すぐ隣は明治神宮です。本日は大型連休最終日ですからいつもより更に混雑していました。
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今朝は9:00〜ノルディックウォーキング、その後ベルトを使った筋トレを11:00まで行いました。いつも思うのですが、ウォーキングだけでは筋トレとは言い難い。その点、ノルディックウォーキングは体幹が、ベルトを使うと足の筋肉が鍛えられると思っている私なのです。
ということで晴天、気温31℃の中でも皆さんとても元気!!
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また2週間後、お会いしましょう。
posted by yunofumi at 21:21| あちこちウォーク

2017.5.5  OUT DOOR FITNESSノルディックハイキング

大島小松川公園⇒坂井の渡し跡⇒元佐倉道跡⇒六つ目地蔵尊⇒亀戸浅間神社⇒亀戸梅屋敷⇒亀戸香取神社⇒普門院⇒亀戸天神社⇒JR亀戸駅

朝からからりとした晴天。今日はいつもより距離が長くなりますが、と参加者9名、インストラクター2人で亀戸天神社までのハイキング。
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大島小松川公園の外れ、坂井橋傍の坂井の渡し跡では昔の江戸で渡し船のあった時代を偲ぶ話も出ました
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亀戸浅間神社の創建は1527年(大永7年)とのこと。
富士信仰が盛んだったこの頃、里人たちにより木花咲耶比売(コノハナサクヤヒメ)を勧請、笄塚の上に浅間社を創建したとのことです。今、社殿傍に平成になって作り直された富士塚がありました。
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江戸時代、呉服商・伊勢屋彦右衛門の別荘「清香庵(せいきょうあん)」があり、 その庭には見事な梅の木々が生えていたことがはじまり。 立春の頃、梅の花を見に水戸光圀や八代将軍・徳川吉宗も訪れたようです。浮世絵師・歌川広重が安政三年(1857年)に描いた『名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)』の「亀戸梅屋敷」は、江戸の時代に海を越え、かのフィンセント・ファン・ゴッホが模写(作品名「日本趣味 : 梅の花」/1887年)となっておるとのこと。このようなことからこの施設を亀戸梅屋敷としたようです。
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亀戸香取神社
亀戸は元々亀の形に似た島で亀島あるいは亀津島と称されていたとのこと。665(天智天皇4)年、藤原鎌足が東国下向の際、この亀島に船を寄せ、旅の安全を祈願し香取大神を勧請、太刀一振を奉納したのがはじまりのようです。その後、平将門の乱の時、俵藤太秀郷がここに参籠し戦勝祈願し、平定後弓矢を奉納、勝矢と命名したことから今では毎年5月5日に勝矢祭が行われるということで今日がその日で皆様、お祭りの準備で大忙しの様子でした。
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またスポーツ振興の神とされており、アスリートの参拝者も多いようです。ケンブリッジ飛鳥さんや内村航平さんなど多くの有名選手のお名前を見かけました。

普門院。
緑が深い普門院は、1552年に橋場に創建、1616年(元和2年)にこの地へ移転してきたようです。亀戸七福神のひとつ毘沙門天のお堂がありました。
また正岡子規の弟子の歌人伊藤左千夫の墓や講釈師の大島伯鶴の歌碑などの多くの文化財もあるようです。
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学問の神様である菅原道真公をお祀りしているのが亀戸天神社。下町の天神さまとして広く親しまれております。由緒としては1646年(正保3年)九州太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)が神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着き、村に元々あった天神の小さなほこらにご神像をお祀りしたのがはじまりとのこと。
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今日は藤の花も今年最後の見ごろということでしょうか。すごい混雑ぶりでした。
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またこの天神社は若福の卵焼きと船橋屋のくずもちが有名らしく、どちらにも行列ができていました。

本日は陽ざしが強く、気温26℃もあった感じ。まだ5月に入ったばかりなのに!!9:00〜11:40頃までに水500mlを飲み干しました。ということで今日も快適なウォーキングでした。
posted by yunofumi at 04:53| あちこちウォーク

2017年04月30日

2017.4.30 高尾山8回目

京王線高尾山口駅⇒清滝駅〜ケーブルカー〜高尾山駅⇒1号路⇒薬王院⇒富士道(裏道)⇒3号路分岐⇒4差路(6号路ほか分岐)⇒5号路⇒高尾山山頂⇒東京都高尾ビジターセンター⇒もみじ台細田屋⇒分岐⇒もみじ台南巻き道⇒5号路⇒稲荷山コース分岐⇒5号路⇒1号路⇒薬王院⇒山上駅〜エコーリフト〜山麓駅⇒高尾599ミュージアム⇒京王線高尾山口駅

朝8:00京王線高尾山口駅Sさんと待ち合わせ。晴天、緑を見ながらケーブルカーで上に上がりウォーキング開始。
富士山もばっちり見え、嬉しい!!
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緑も濃くなり、花が多く咲き、とてもゆったりしたひとときを過ごしました。
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↑花筏 ↓桜
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↑シュンラン ↓ムラサキケマン
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↑キイチゴ ↓ジュウニヒトエ
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もうひとつは細田屋の傍から見えた富士山がこれまた素晴らしかった。
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今日は山頂の周辺のコースをつまみ食いのように行きつ、戻りつ。天候晴、24℃、1万歩超えで高尾山の色々を実感した8回目登山でした。
という次第でお土産を持って帰宅。
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はじめての高尾山登山開始時は年内10回なんて“夢”でしたが、どうやら実現するかも、、、。楽しみです。
posted by yunofumi at 22:15| あちこちウォーク

2017年04月23日

2017.4.22 横浜散策第1回 西区

本日より横浜散策開始!

JR横浜駅西口天理ビル⇒横浜道起点⇒浅間町1丁目・新田間川(あらたまかわ)緑地⇒新田間川・新田間橋⇒南幸2丁目⇒岡野交差点・千代田栗最中本舗⇒元平沼橋・横浜道⇒平沼1丁目⇒平沼商店街・角平⇒水天宮平沼神社⇒八洲学園大学⇒高島町交差点⇒二代目横浜駅遺構⇒相模物産横浜ビル⇒亀田病院⇒岩亀本店(昼食)⇒岩亀稲荷⇒掃部山公園・井伊直弼銅像⇒紅葉ヶ丘公園・紅葉坂・神奈川奉行所跡⇒横浜市教育会館⇒戸部町1丁目⇒宮崎町⇒横浜市民ギャラリー⇒伊勢山皇大神宮⇒野毛町4丁目⇒野毛坂交差点⇒老松町・野毛山公園・ラジオ塔・佐久間象山顕彰碑・横浜水道事業記念碑・野毛山公園展望台・野毛山配水池⇒横浜市野毛山壮⇒野毛坂交差点⇒水道管展示⇒都橋交差点⇒吉田町⇒吉田橋交番⇒吉田橋⇒JR関内駅

横浜市は、神奈川県の県庁所在地で政令指定都市。18区に分かれており東京23区についで大きい。昔は武蔵国と相模国などといわれた所。ということで月1回、1区を巡り歩く散策なのです。

よこはま道。
1858年(安政5年)日米通商条約調印で開国した江戸幕府がこの横浜の地を開港したのです。そこで東海道筋芝生村(しぼうむら)・現在の浅間町〜関内(かんない)までの道が作られたのです。道幅3間弱(約6m弱)で途中には新田間(あらたま)・平沼・石崎の三橋を架け、戸部坂・野毛の切通をつくり、野毛橋(現在の都橋)・大田橋(現在の吉田橋)を架け関内まで通じたのです。当時は新開地横浜への主要道路として賑わったようです。この案内板の地図から横浜道・旧東海道・保土ヶ谷道が道筋を示しているのですが、少し「人」という漢字に似ていると思いました。
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そしてこの横浜道起点の路上にはタイルが埋め込まれていました。
案内図にあった色に合わせ、道筋は金色?で周りの背景部分が横浜道は青色・旧東海道は赤茶色・保土ヶ谷道は緑色で示されていました。
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本日はこの青いタイルの道しるべに沿ってウォーキングです。実際、西区内では足元にこのタイルがあちこちと埋め込まれており、道に迷わず最後まで歩けました。

浅間町1丁目・新田間川(あらたまかわ)緑地は昔の面影のある道でした。
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元平沼橋の横浜道にある案内板には昔の風景を示す解説があり、今は失われた風景が描かれていました。
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平沼商店街・つけ天の角平(かどへい)は戦前にはカツ屋だったのが1950年(昭和25年)より蕎麦屋『角平』として創業している様子。 【海老も蕎麦も活かす】 ということで、全国の天ざるや天せいろの祖となる【つけ天】を作り出したお店でいにしえの時代には大物政治家が訪れたようです。
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水天宮平沼神社は、高島町にあり、平沼町、西平沼町、緑町(現在は一部みなとみらい)の氏神様。天保10年、平沼新田を開拓された平沼九兵衛翁が新田の守護神としてお祀りして創建。
平沼新田は塩田だった所。塩田作業中の流れ着いた祠を九兵衛翁が守護神としたのがはじまり。祠の内には、九州久留米の水天宮様の御神札が祀られていたので、水天宮と称し、安産・水の神様として長く崇敬されているようです。
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二代目横浜駅遺構は東海道本線二代目横浜駅の遺構。
初代は1872年(明治5年)に開業した現在の桜木町駅。東海道本線の列車が行き止まりの初代横浜駅でスイッチバックせずに停車できるようにこの場所(高島町)に二代目横浜駅として移転したようです。東京駅のような煉瓦造りの堂々とした駅舎建築で、1915年(大正4年)に建設されたのですが1923年(大正12年)の関東大震災後の火災により壊されたのです。また、駅舎遺構の下層に1907年(明治40年)頃建設された「横浜共同電燈会社裏高島発電所」の遺構(取水口と導水管)も重なっているとのこと。国道1号高島町交差点脇に煉瓦造りの建物基礎遺構が発見され、駅跡に建設されたマンション(ロワール横濱レムナンツ)の敷地内に保存公開されていました。
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岩亀稲荷。
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幕末安政のころ、現在の中区横浜公園のあたりにあった「岩亀楼」という遊廓(ゆうかく)の遊女が、静養のため利用した寮がここにあり、岩亀横丁と呼ばれのです。この横丁のなかほどにあるこのお稲荷さんを静養に訪れた遊女がお参りしたとのこと。小さなお稲荷さんをご近所で今も大切に守っておられるようすでした。

掃部山公園(かもんやまこうえん)は横浜みなとみらい21を見下ろす高台にあり、園内には横浜開港に関わった井伊直弼の銅像が立っていました。
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この場所は1884年(明治17年)に旧彦根藩士が買い取って井伊家の所有となり、1909年(明治42年)、横浜開港50年記念に井伊直弼の銅像が、「正四位上左近衛権中将」の正装で建立されたのです。そして1914年(大正3年)、井伊家より横浜市へ寄付され、掃部山公園として整備されたようでした。井伊直弼銅像は第二次世界大戦中には政府の金属回収指示によって銅像は取り払われたのですが、1954年(昭和29年)開国100周年を記念して横浜市が再建したとのことです。像の高さは3m60cmで、「正四位上左近衛権中将」の正装。原型作者は工学士の藤田文蔵、鋳造者は岡崎雪聲[2]。台石は工学博士の妻木頼黄の設計で高さ6m60cm。また園内には約200本の桜が植えられ、1996年(平成8年)には公園の一角に横浜能楽堂が建設されたのです。また公園内には日本庭園 音楽堂もある様子でした。

急な坂は紅葉坂といい、これを上に行くと神奈川文化センターの前にかっての行政の中心地であった神奈川奉行所があったことを示す石碑がありました。入江をへだてて横浜村を見渡すことのできる丘の上に奉行所を設けたのは要塞に、とも考えたようです。
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神奈川奉行所跡の少し下ったところに『金星太陽面経過観測記念碑』がありました。大きな石碑で「明治7年(1874年)12月9日メキシコ観測隊(隊長フランシスコ ディアス コバルービアス)ならびに日本水路寮の海軍中尉吉田重親らは下記地点において金星の太陽面経過の観測に成功した。ここに100年の記念日を迎え、神奈川県及び横浜市の協力を得てこの碑を建て後世に伝える。第1観測地点(野毛山)東経139°37’48”北緯35°26’45”。第2観測地点(山手)東経139°39’02”北緯35°26’07”。昭和49年(1974年)12月9日 金星太陽面経過観測記念碑設立期成会」と刻まれているよとのことでした。
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伊勢山皇大神宮は 天照大御神を祭神とし、横浜の総鎮守で「関東のお伊勢さま」とよばれているようです。
1870年(明治3年)、一寒村であった横浜が開港場となり、貿易の街として急速に発展したのです。神奈川県はキリスト教を始めとする外来文化に接する横浜の精神的支柱とするために神社信仰の確立が必要と考え、 その為、元々戸部村海岸伊勢の森の山上にあった神明社をその年の4月に現在地の野毛山に遷座し、11月には当時の神奈川県知事井関盛艮が太政官と神祇官に建白書を提出したのです。 建白書は当社を伊勢神宮の遥拝所とし、神奈川県の宗社たる規模に整備することを願い出、許可されたのです。これにならいその後、開港場である長崎・神戸にも同様の神宮遥拝所が作られることとなったようです。
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老松町の野毛山公園は、面積は約9.1ha、敷地内には野毛山動物園があり、また約380本ある桜の名所としても有名とのことです。園内展望台からはみなとみらい地区が一望できました。
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1887年、ヘンリー・スペンサー・パーマーによって野毛山に横浜水道の配水池が設置され、日本初の近代水道が始まりました。これは横浜水道事業記念碑です。
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ラジオ塔はラジオの聴取契約者が100万人を越えた記念に、NHKが1932年(昭和7年)に全国の著名な公園や広場に建てる計画を進め、1932年(昭和7年)から1933年(昭和8年)までに41カ所が完成したうちのひとつです。
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佐久間象山顕彰碑がありました。佐久間象山(さくま しょうざん)は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。位階は贈正四位。象山神社の祭神。象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定されているとのこと。佐久間象山の石碑などはふるさとの松代をはじめあちらこちらにあるようです。勝海舟の妹が妻とのことですから横浜の地でも多くの弟子がいたと思われます。

野毛山公園を降りて街中に出ると昔の水道管が展示してありました。
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吉田橋(よしだはし)は、馬車道と伊勢佐木町の間の首都高速道路の掘割に架かる道路橋。1869年に架けられた2代目の橋は、日本初の無橋脚鉄製トラス橋で、日本で2番目の鉄製の橋梁として知られています。現在の橋は1978年に完成した5代目ですが当時の姿をとどめたつくりです。
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JR関内駅のある関内(かんない)は、横浜港に近い海側の地域を示し、横浜市役所(横浜市庁舎)や、横浜市中区の区役所、野球の横浜スタジアムなどが位置する地域。また、馬車道商店街(馬車道を参照)や、神奈川県庁舎近くの日本大通などがあります。一方で、旧・横浜松坂屋があった伊勢佐木町側の地域を「関外」というといい、大通り公園は関外地区とのことでした。
「関内」という名称は、江戸時代末期から使われていたとのことで、幕末時代の開国・開港後には関所が設けられ、その関所の内と外という意味で、「関内」と「関外」と呼ばれたそうです。

本日は昼食時間を含め、10:00〜15:30のうち正味4.5時間を歩き回りました。22℃ 曇りで歩程約6km、17000歩はベストコンデションともいえました。講師は東海道でご一緒だった浅井先生とCDの関さん。久しぶりの再会でしたが21名の参加者共々、気持ちよく、愉快なウォーキングができました。感謝!
posted by yunofumi at 23:10| あちこちウォーク

2017年04月22日

2017.4.18 銀座線ウォーク第1回

渋谷駅〜赤坂見附駅

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキングします。
ということで本日は駅としては渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附の辺りをウォーキングなのです。

JR渋谷駅⇒ヒカリエ⇒宮益坂⇒御嶽神社⇒こどもの城⇒国連大学⇒青山学院⇒高野長英隠棲地⇒AOYAMA RISE SQUARE⇒大松稲荷神社⇒PRADAビル⇒青南小学校・中村草田男句碑⇒微熱山丘Sunny Hills⇒AW kitchen 青山店⇒Blue Bottle⇒表参道駅⇒山陽堂書店⇒斎藤茂吉歌碑⇒善光寺⇒徳富蘆花旧宅⇒熊野神社⇒高徳寺⇒梅窓院・青山氏墓所⇒青山墓地・大久保利通墓・乃木大将墓所⇒外苑前・外苑入口⇒カナダ大使館⇒高橋是清翁記念公園・高橋是清邸跡⇒薬研坂⇒豊川稲荷・大岡忠相墓所⇒山脇学園・武家屋敷門⇒丹後坂⇒赤坂不動⇒一ッ木通り⇒浄土寺・六地蔵⇒赤坂見附跡⇒赤坂見附駅

銀座線の車両は「オレンジ」(橙)、路線記号はG。1927年(昭和2年)に浅草 - 上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄とのこと。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」という言葉が使われたそうで、アジア・オセアニア地域では初めての地下鉄路線とのことでした。また、一番に乗車したのは原鉄道模型博物館の館長、原信太郎だそうで、同館には当時の新聞記事等が展示されているようですから一度見に行くようです。
本日は朝日旅行の日帰りツアーで案内人は東京シティガイド。参加者30名超えのため約10名1グループになって出発。私がいたBグループ案内人は七尾さん。
まずはヒカリエ11階に上り東京メトロ銀座線駅のスタート地点を確認。
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まったく渋谷は工事で大騒ぎ真っ最中です。

宮益御嶽神社の狛犬は全国的にも大変珍しい日本狼石像でした。鎮座は不明といわれていますが、作成は江戸時代1673〜1681年(延宝年間だとのこと。社殿前の日本狼像狛犬は、ブロンズ製で、原形をモデルにして製作した多田端穂作でした。毎年11月には酉の市で賑わうようです。
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青山学院大学は渋谷4丁目に約12万uの敷地に今では幼稚園から大学院までそろっているとのこと。
最初は明治7年、メソジスト監督教会の宣教師によって創立された女子小学校だそうです。
アカデミックな雰囲気の中、先日亡くなられたペギー葉山さんの学生時代の歌碑がありました。
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第93回東京箱根間往復大学駅伝で往路・復路の総合優勝3連覇して大学の人気はうなぎのぼりのようです。

PRADAビル。
表参道やみゆき通りにはブランドショップが沢山あり、どれも著名建築家のセンスをふんだんに使った設計だそうです。このビルはデザインアーキテクトはヘルツォーク&ド・ムーロン。2003年に完成したようですがとても斬新でした。
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青南小学校にある中村草田男句碑
中村草田男(なかむらくさたお)(1901−1983)。俳人。外交官の父の赴任先の中国・福建省で生まれ、3歳のときに帰国し昭和4年(1929)高浜虚子の門弟となり句作に励み、同人誌『ホトトギス』に作品を発表しています。代表句「降る雪や明治は遠くなりにけり」は昭和6年(1931)大学生だった草田男が母校・青南小学校を訪問した際に詠んだものとのこと。昭和52年(1977)青南小創立70周年記念に、この句碑が正門内の校舎前庭に建立されたのです。
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微熱山丘Sunny Hills。
表参道駅から路地に入ったところにあるヒノキの角材で作られたお店。設計は隈研吾さん。
台湾の有名なパイナップルケーキが一番のスィーツ。好きな方は台湾の本店まで求めに行くそうです。
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AW kitchen 青山店。
契約農家直送の新鮮野菜などを使ったお料理を出すお店でした。旬の野菜がふんだんに使われたサラダやパスタがとても美味しかったです。
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山陽堂初代萬納孫次郎は、明治24年(1891年に書店を始め、昭和20年東京大空襲で焼け出されたが敷地に井戸があり多くの人々を助けたようです。
山陽堂書店の壁面には谷内六郎さんの壁画がありました。壁画は昔、新潮社社長が建築途中の山陽堂の前を通り通勤していた時、 週刊新潮表紙を飾っていた六郎氏の絵を壁画にと思いつき昭和38年(1963年)に完成した黄色い背景の赤い風船の絵が壁画第一号、昭和50年(1975年)に現在の「傘の穴は一番星」に変わったとのことです。
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神宮前の北青山熊野神社は神宮前・北青山の総鎮守だとのこと。
熊野神社は元々紀州徳川家・徳川頼宣の邸内(現在の赤坂御所の位置)にあったのを1644年(正保元年)に地元町民の請によって現在地に移遷されたことが始まりで、神社自体の創建は、徳川頼宣が自邸内に御宮を勧請した1619年(元和5年)に遡るとのことでした。
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豊川稲荷は元赤坂にあり、豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の、唯一の直轄別院(飛び地境内)だそうです。
元々は大岡越前守忠相が愛知の豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのが最初のようです。
境内には大岡越前守忠相の墓所もありました。
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山脇学園の武家屋敷門。
山脇学園は1903年(明治36年)に山脇玄、山脇房子夫妻により牛込白銀町に女子實(じっ)脩(しゅう)学校として設立され、3年後には赤坂檜町に新校舎を建設し、移転とともに高等女子實脩学校となったのです。
武家屋敷門は千葉県九十九里町の山脇学園・松籟荘内にあった「重要文化財 武家屋敷門」を、本校舎建て替え工事にあわせて、赤坂の本校敷地内に移築したようです。 この武家屋敷門は、もと老中本多美濃守忠民(三河国岡崎藩五万石)の屋敷門で、1862年(文久2年)の大火で焼失したが、直ちに再建され、今日に至ったものだそうです。現在の千代田区丸の内・東京中央郵便局の位置にあった代々老中職の役屋敷の表門なのです。大名屋敷として我が国に現存しているのは、この門を含め僅か三門に過ぎないようで貴重な文化財だそうです。
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近頃、少しは都内散策に慣れてきたので見聞きしたことがある梅窓院などの記事は載せませんでした。
しかしコースの作り方や講師、旅行社の違いで目新しいことも多かったです。今日は春なのに27℃と暑さが厳しく、歩程約7km、約17000歩には満足。まずは晴天を喜びつつのウォーキングでした。
posted by yunofumi at 22:59| あちこちウォーク

2017年04月21日

2017.4.16 七沢森林公園でノルディックウォーキング

今朝は気温10℃以上と温かい中、目的の公園が遠いので車で向かいました。三芳PAより圏央道・東名・厚木小田原道路を乗り継ぎ西厚木まで休憩しながら90kmを走行。久しぶりの長距離ドライブで約2時間は気持ちよく爽快な気分。
参加者約30名、インストラクター6名でキャラバン主催のノルディックウォーキングスタートです。

神奈川県立七沢森林公園中央駐車場⇒七沢川⇒門口・七沢城址⇒七沢大橋⇒七沢自然「ふれあいセンター⇒鐘ヶ獄・七沢浅間神社⇒広沢寺⇒二橋⇒七沢温泉元湯玉川館→七沢森林公園中央駐車場

神奈川県立七沢森林公園は2007年森林セラピー基地に認定された厚木市・東丹沢七沢温泉郷にあります。丹沢大山国定公園の東山麗にあり、里山環境が素晴らしく広大で、入口の森のかけはしを含め眺めが素晴らしい。
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ノルディックウォーキング前には入念なストレッチです。山々を眺めながらは爽快!
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途中では桜をはじめ花々や緑を大いに楽しみました。
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日中は晴天、微風、27℃で林道を含め約7kmをノルディックウォーキングしました。自然の中の森林浴は素晴らしい気分になれました。
帰りは友人のUさんが同乗してくださったので川越の「いも膳」でプチ贅沢をして解散!
本日はお誘いを受けて少し遠出でしたが楽しいノルディックウォーキングができました。ノルディックウォーキング人口増加を実感した1日でした。
posted by yunofumi at 06:59| あちこちウォーク

2017年04月15日

2017.4.15 多摩森林科学園へ

JR高尾駅⇒敷島橋⇒甘里町交差点⇒多摩森林科学園⇒JR高尾駅

3月末に新聞で紹介されていた桜のスポット、八王子市にある多摩森林科学園を今日は訪れました。

高尾駅到着でまず高尾山の天狗伝説にちなんだ大きな天狗像が3・4番ホームの外れにあるとのことで見に行きました。
このホームにはまた、国産レールとしては最古と説明してあるレールがありました。
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森林総合研究所多摩森林科学園は今、公開されている15haの所に7400本の樹木が植えられているとのこと。森林の研究機関で桜の遺伝子、森の保護や管理、動物・昆虫の研究や観察会も行われているようです。
園内は既に花が終わった種類も多かったですがまだまだ多くの桜を楽しめました。
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↑「はるか」 ↓「安行の大提灯」
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↑「白妙」 ↓「八重紅枝垂」
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↑「御車返し」 ↓「川崎の旗桜」
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↑「ヤマルリソウ」 ↓「レンギョウ」
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↓「タチツボスミレ」
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関山ベンチからの風景をはじめ、色とりどりの桜が咲く山々を見られてとても満足でした。
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本日はお天気に恵まれ23℃もあった感じ。ここは八王子の外れですから少しは桜も遅く咲いているかもしれませんが、本当に見事だったのです。
多摩森林科学園は広く、里山が連なっているようで整備されたコースが歩道としてありましたが、アップダウンはそれなりでした。やはり靴などはそれなりに考えないといけません。
いただいたパンフレットによると桜は2月から4月末まで順次咲くようです。また園内ガイドツアーや森林講座もあるとのことでした。今後は季節ごとに訪れるのも良いかもしれません。
私は本日、一言堂の高尾天狗パンが売れ切れで買えなかったこと、多摩御陵や都立陵南公園へ行けなかったのでまたの機会を作ります。そう、ちょっと心残りなのです。
posted by yunofumi at 21:15| あちこちウォーク

2017年04月05日

2017.4.2 OUT DOOR FITNESSノルディックウォーキング

亀戸中央公園⇒都立大島小松川公園

この公園は、東部7公園のひとつ。日立製作所の亀戸工場のあったところを整備し、昭和55年開園。A・B・Cの3地区に分かれているとのこと。とても広大でA地区は、中央広場に時計塔やアスレチック風の木製遊具が設置され、子供たちの遊び場。B地区は、人工池、流れがあり周囲は芝生の憩いの広場。C地区は、運動広場として整備され、多目的球技広場、テニスコートなどがあるようです。
園内の植物にはサザンカ、サトザクラ、ソメイヨシノ、アンズ、メタセコイアなどが見られますが特にここは「サザンカの名所」として親しまれているとのことでした。
本日はA地区の時計塔に10:00集合。桜がほぼ満開の樹木も多く、青空の元、10名の参加者は大島小松川公園までノルディックウォーキングを楽しみました。昨日とは大違いで気温14℃ポカポカ陽気、風ほとんどなく、約1万歩を完歩。
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今日は東京の、それも大きな公園の桜を見ながらのお花見ウォーキングはとても印象的でした。感謝!!
posted by yunofumi at 23:50| あちこちウォーク

2017.4.1 第15回東京の新発見 「足立区」後半 

4/1昼食後の歩程
東京都中央卸売市場足立市場・海鮮食堂(昼食)⇒千住大橋駅⇒稲荷神社⇒八幡神社⇒千住神社⇒大黒湯⇒千住宿プチテラス高札場跡⇒横山家住宅・絵馬屋⇒名倉医院⇒足立区学びピア21⇒新千住大橋⇒梅田通り⇒足立梅田郵便局⇒梅田7丁目交番⇒梅島小学校⇒東武スカイツリーライン梅島駅⇒梅島天満宮⇒ベルモント公園⇒西新井駅前交番⇒グリーンロード⇒西新井税務署⇒西新井太師⇒西新井太師駅

千住神社は千住(千寿)に集落が形成され始めた926年(延長4年)、土地鎮護と五穀豊穣を祈り、伏見稲荷より分霊を勧請し千崎稲荷神社が創建されたそうです。1051年(永承6年)、源義家は奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ツ森(現 千住神社)に陣営し、戦勝祈願をしたと古記録にあるとのこと。1279年(弘安2年)、武蔵国一ノ宮氷川神社より分霊を勧請し氷川神社を創立。鎌倉時代より江戸時代にかけて、ここを二ツ森といい、旧考録には代々の将軍が二ツ森で鷹狩りを行ったとのこと。寛永年間には、千住が日光街道の第一宿となり、その西方にあるので西の森とも言われた所。明治の時代を経て1915年(大正4年)千住神社と改められたのですが1945年(昭和20年)の空襲で社殿が焼失したとのことですが、1958年(昭和33年)、社殿が再建され現在の姿のようです。
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大黒湯は千住寿町にあり、立派な建物から『ザ・キング・オブ銭湯』と呼ばれているとのことです。この建物は1929年(昭和4年)の建築。脱衣場の天井には、約百枚の日本画があり露天風呂もあるそうです。また大きな浴室には定番の富士山のぺンキ絵も見られるそうです。
関東で多く見られる宮型造り銭湯の様式は関東大震災後に多くつくられたそうです。
大黒湯の建物は三角形の千鳥破風とゆるくカーブした唐破風を重ねた正面の構えはとても立派でした。
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宿場通りを進むと商店のシャターには昔の風景を示す絵が描かれなかなか楽しい。
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横山家住宅は江戸時代後期の建物(昭和11年改修)で宿場町の名残をとどめる商家。敗退する彰義隊が柱に斬りつけた跡や、戦時中に焼夷弾に貫かれた屋根などが残っているそうです。
横山家のお向かいの絵馬屋は代々絵馬を作り続けている吉田屋。縁取りした経木に色とりどりの泥絵具で描く千住絵馬の伝統を守り続け、またその代表作を一括保存しているとのことです。
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名倉医院は1770年(明和7年年)業祖名倉直賢(1750〜1827)がこの地に、骨接ぎの医業を創めたのが最初。全国から患者が来たとのこと。その当時の建物が今も残っているようです。
その後、第5代名倉謙蔵(1866〜1939)が、東大医学部の前身東大の別科を卒業し医師の資格を取得し、昭和6年には神田駿河台に、西洋医学を中心とした整形外科専門病院を築いています。
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荒川の堤防に面して足立区生涯学習総合施設、学びピア21があります。
ここは忘れもしない日光街道歩きで強風と雨にあおられながら駆け込んで休憩した場所。中には足立区立中央図書館、荒川ビジターセンター、足立区生涯学習センター、放送大学東京足立学習センターがありあらゆる世代、あらゆるニーズに合った生涯学習が提供できる施設となっているのです。今日は東京スカイツリーが見えてまた良かったです。
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千住新橋は、足立区千住と同足立の間の荒川に架かる橋。荒川の河口から12.6 kmの地点にあり、右岸は足立区千住五丁目で左岸は足立区足立一丁目で 橋の全長は1981年(昭和56年)竣工の橋は橋長446m、幅員15.75m、最大支間長120mの鋼連続箱桁橋。河川区域外にある橋の前後の取付道路は高架橋で、右岸側は1981年(昭和56年)完工した千住新橋右岸取付高架橋といわれ橋長135m最大支間長45mの連続鋼鈑桁橋に接続しています。

ベルモント公園は足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた洋風の公園。多くの花壇、赤レンガの陳列館(オーストラリアの工芸品・日用品などを展示)、ヒツジのモニュメントやユーカリ・ブラシノキ・アカシアなどのオーストラリア原産の植物などが見られました。また、バラも多く花に季節はとても見事なようです。
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西新井大師は826年(天長3年)弘法大師「空海」が開創し正式名称は五智山遍照院總持寺といい古くから「関東の高野山」といわれています。境内は広く梅、桜、藤、芍薬、菖蒲、紫陽花があり年中花が見られるようです。その中でも一番は3000株以上もあるという牡丹は有名です。
本日は山門が保存修理中だったのでお詣り後は山門前の清水屋さんで草だんごをいただき帰路につきました。
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東武大師線は大師前駅〜西新井駅の一駅区間。元々は大正時代、東武伊勢崎線と東上線を結ぶ連絡線上の駅として開設。第二次世界大戦による東京への大空襲が激化したため営業は休止。戦後、大師様信仰が高まり再び営業を開始。改札はフリーパスで無料でした。西新井駅からは東武スカイツリー線を、北千住でJR常磐線に乗り換え、帰宅しました。
本日は時たまポツポツと小雨あり。気温約9℃でやや寒い感じでしたが12名参加。講師信野先生、CDは黄木さん。スタート10:00。ゴール16:00頃でしたがまずは無事に終了しました。この回は特に日光街道ウォークを思い出すことが多く、大勢でのウォーキングは正直、初めて見るところはイマイチ、ピンと来ていないことも多いのですが今日はおおかた納得でき、楽しめました。感謝。
posted by yunofumi at 19:43| あちこちウォーク

2017年04月03日

2017.4.1 第15回東京の新発見 「足立区」前半 

JR北千住駅⇒宿場町通り・千住本陣跡⇒千住街の駅⇒きたろーど71010⇒大橋眼科医院⇒千住ほんちょう商店街⇒勝専寺⇒だんごの美好⇒足立区薬剤師会⇒足立成和信用金庫⇒東京芸術センター・千住宿問屋場・貫目改所跡⇒千住高札場跡⇒あらい歯科医院⇒一里塚跡⇒千住庁舎⇒自然真営道発見の地⇒かもん宿商店街⇒足立区千住作業所はばたき⇒掃部宿憩いのプチテラス⇒源長寺⇒千住仲町交差点⇒中央卸売市場足立市場⇒千住歴史プチプラス⇒蒟蒻屋粉川吉活代目⇒千住宿奥の細道プチテラス⇒足立市場前交差点⇒櫻神社⇒石洞美術館⇒橋戸稲荷神社⇒大橋公園・奥の細道矢立初の地⇒東京都中央卸売市場足立市場・海鮮食堂(昼食)

宿場町通りを入った所に千住本陣の説明板がありました。
これが本日の最初の説明板でしたがこの足立区はその後一日中とても案内が丁寧な所でした。
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「千住街の駅」はお休み処で街歩きに役立つマップや足立区をちょっと知ることのできるパネル展示などがありました。やや手狭な感じもしましたがお店番がおられた方もとても気さくで良い雰囲気でした。
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大橋眼科医院の建物は元々、1917年(大正6年)に建てられたドイツの民家風の医院(初代院長:故・大橋重義氏)。老朽化により取り壊すことになったところ、惜しむ声が多く寄せられ、医院の経営者である鈴木英夫氏の意向で旧建物をイメージして1982年(昭和57年)に改築。前建物とかなり似せており、さらに都内の近代建築から部材を集めたそうで、数々の歴史を継承しているとのことです。
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勝専寺は「赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院が本山とのこと。寺伝では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたということです。
江戸時代には日光社参に際して将軍の御旅所になっていたとうかがいました。
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閻魔堂の中は暗かったですが閻魔様の姿が見えましたのでお詣りしました。

東京芸術センターは、公民のパートナーシップにより、『あだち産業芸術プラザ』として、「あだち産業センター」と一体的に整備された民間施設だそうです。足立区の新しい産業と芸術を創造する拠点ということでしょうか。ホール、会議室などがあり、区民優先での利用だそうです。

宿場にある3つの場所を説明します。
宿場の問屋場(といやば)とは当時の宿駅での公用交通のための伝馬・人足の継立てを差配する施設のこと。問屋場には問屋・年寄の宿役人や問屋が奉公人として雇った帳付(ちょうづけ)・馬指(うまさし)という下役も詰めていたようです。
貫目改所(かんめあらためところ)は江戸幕府が街道往来の荷物の重量を検査するために宿場の問屋場に設置した役所のようです。

高札場(こうさつば)とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目をひくように高く掲げておく場所のこと。

一里塚は江戸時代の主要街道の両側に,1里 (36町=約 4km) ごとに築かれた塚のことで,路程標の役割をしていました。起源は古代中国だそうですが、日本では戦国時代末期にはすでに存在していたようです。正式には1604年(慶長9 年)徳川家康が江戸日本橋を起点として,東海,東山,北陸の3街道に1里ごとに5間 (約 9m) 四方の塚を築かせ,塚の上にはえのきや松を植え旅行者に便宜を与えたのです。幕府はのち3街道以外にもこの制度を広めましたし、諸藩もこれにならって脇街道 に築いたようです。

ウォーキング途中で「自然真営道発見の地」の説明版を発見。
『自然真営道』は安藤昌益の稿本で江戸中期の常識的ではない社会思想や科学的自然観、生命尊重の医学書だそうです。
この稿本が発見された当時の持ち主は北千住の名士だった橋本律蔵(1824〜1882)という穀物問屋さんの主人。この方は中々の文化人で多くの蔵書があり、死後古書店に引き取られた中にこの本があったので世間もアッとびっくりだったそうです。

掃部宿(かもんじゅく)憩いのプチテラスはもと自転車屋さんだった跡地を防災も目的としてミニ公園としたとのことです。掃部宿(かもんしゅく)とは仲町、河原町、橋戸町一帯の呼び名で、千住宿の一部だったようです。掃部という名前は、江戸時代初期、千住大橋架橋や掃部堤(かもんつづみ)築堤等に尽力した「石出掃部亮吉胤(いしでかもんのすけよしたね)」から名付けられたのでした。プチテラスの中には、千住宿、掃部宿の歴史を説明した案内板がありました。
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源長寺は浄土宗の寺院で1610年(慶長15年)の創建。仲町を開発した石出掃部亮吉胤の草創で開基は伊奈備前守忠次。ご本尊は阿弥陀如来。
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千住歴史プチプラスの建物は元地漉紙問屋横山家の土蔵だったとのこと。土蔵は間口2間半、奥行き3間半の2階建てで庭を含め、歴史と潤いの街づくりをめざしているとのことでした。屋根の棟には棟札があり1830年の建築と示していました。ここの設置は足立区ですが運営管理はほぼボランテアが担っているようでした。
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蒟蒻屋粉川利二五代目の看板のあるお店の創業は明治6年、今年で127年間ずっとこんにゃくを作り続けて来たとのことです。現在のご主人である粉川利二さんは実は四代目とのことですが四代目は縁起が悪いとのことでそれで五代目にしたようです。のれんを受け継ぐのは大変ですね。感服でした。
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このお店のように千住宿の雰囲気が出るようにこの通りは昔の家業がわかるように大きな表札のような説明がありました。

千住宿奥の細道プチテラス。
足立区の歴史を今に伝える場所の一つ。京成本線「千住大橋」駅のそばにありました。テラス内には、奥州や北陸など「奥の細道」へここから旅立った「松尾芭蕉像」と、「日光道中 千住宿道標」、行灯をかたどった「日光街道 千住宿道標」、千住やっちゃばの小さなお宮にあった欅の木で作った「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などがありました。
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石洞(せきどう)美術館は佐藤千壽の収集したコレクションが中心。佐藤千壽の雅号が石洞だったことからこの名前と7なっているようです。外観は銅板葺き三角屋根に煉瓦タイル貼、平面六角形のユニークな建物。館内は工藝品が見やすいように落ち着いたトーンで統一されており、世界各地の土器や陶磁器、茶の湯釜、ガンダーラの仏像、漆器、青銅器、玉器など多く見受けられました。
佐藤千壽(1918〜2008)は千住金属工業鰍フ社長や会長をされた実業家とのこと。このようなお金の使い方をされる方は立派ですね。
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橋戸稲荷神社は、千住橋戸町にある稲荷神社。創建は926年(延長4年)または1490年(延徳2年)と所説あるようです。奥にある本殿は、区内唯一の土蔵づくりで1594年(文禄3年)に千住大橋がかけられると、人馬の往来が数多くなり、宿場を通る人々や、河川の小揚組などの信仰を集めたようです。1863年(文久3年)拝殿の前扉に、当時鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白狐が彫刻されたとのことです。拝殿扉脇にレプリカが見られました。
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大橋公園の入り口に「奥の細道矢立初の地」の石柱がありそこから荒川の川岸に降りるとかつて船着き場だった所に出ました。
芭蕉(ばしょう)は三重県伊賀(みえけんいが)市で生まれ、五・七・五の言葉(ことば)で俳句(はいく)を詠(よ)む俳諧師(はいかいし)となっています。46歳のとき、「奥の細道」の旅に出たのです。旧暦1689年(元禄2年)年3月27日早朝、深川を出発(しゅっぱつ)。この時、弟子の河合曽良(かわいそら)が同行したのです。
 二人は深川から舟に乗り、隅田川(すみだがわ)を上り、千住で舟を降り、日光街道を歩き始めたようです。現在は北岸から、または南千住に上がったということでこの説はまだどちらともかたまっていないようです。
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以前、日光街道ウォークの時は此処が工事で立ち入れなかったのです。3度目の正直でやっと詳しくみられました。

東京都中央卸売市場足立市場・海鮮食堂
足立市場は都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場。松尾芭蕉「奥の細道」の矢立初めで有名な千住大橋のすぐ近く、隅田川と国道4号線(日光街道)に面しており、交通アクセスの良い便利な場所にありました。その立地を生かし、城北地域の拠点市場として、都内城北地区や千葉北部、埼玉南部などへ水産物を供給しているとのことでした。
ちょっとした食堂が数件あり、私たちは「海鮮食堂」で昼食をとりました。さすがにおいしかったです。
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これにて午前の部は終了。気付けば歩数計はまだ1万歩未満。
何しろ立ち寄り場所が多かったのでかなり目まぐるしい半日でした。
posted by yunofumi at 23:46| あちこちウォーク