2013年05月16日

2013.5.11東海道五十三次 第40宿 鳴海 第41宿宮

笠寺ワシントンホテルプラザ⇒大将ヶ根⇒名古屋有松郵便局⇒有松絞・竹田庄屋九郎碑⇒碧海信用金庫⇒有松鳴海絞会館⇒中濱⇒中川橋⇒唐子車山車庫⇒中舛竹田荘⇒竹田家住宅⇒岡家住宅⇒小塚家住宅⇒天満宮⇒梅屋鶴壽⇒有松一里塚⇒手越川⇒四本木⇒平部北⇒平部町常夜灯⇒瑞泉寺⇒鳴海宿高札場跡⇒天神社⇒鳴海城跡公園⇒圓道寺⇒芭蕉最古の供養塔・誓願寺⇒鳴海宿本陣跡⇒鳴海宿脇本陣跡⇒三皿⇒長翁寺⇒丹下町常夜燈⇒鉾ノ木貝塚⇒緒畑稲荷神社⇒千句塚公園⇒千鳥塚⇒天白橋⇒笠寺一里塚⇒笠覆寺・笠寺観音・玉照姫碑・水かけ地蔵⇒千鳥塚・宮本武蔵の碑・笠寺善光寺堂・人質交換之地⇒寿限寿茶屋(昼食)⇒服部家住宅⇒有松鳴海絞会館⇒旧知多郡有松町役場跡地⇒笠寺商店街⇒呼続⇒宮部神社⇒桜神明社⇒東海道宿駅制定400年記念碑⇒熊野三社⇒山崎の長坂⇒山崎川・山崎橋人道橋⇒裁断橋跡・姥堂・都都逸発祥の地⇒ほうろく地蔵⇒宮の渡し歩道橋⇒宮の宿赤本陣跡⇒あつた蓬莱軒⇒宝勝院⇒熱田荘⇒七里の渡し舟着場跡・熱田湊常夜燈・時の鐘⇒熱田神宮・西楽所・信長塀⇒きよめ餅総本家⇒笠寺ワシントンホテルプラザ

天気予報では一日中雨降りとのこと。覚悟をして8:00より歩きだす。

有松はすばらしくクラシカルな風景が広がった街でした。
街並みを保存しているということも知りました。
服部家住宅はとても立派。主屋は1階が連子(れんじ)格子、腰は簓子(ささらご)下見板張り、2階は虫籠(むしこ)窓で連続して設けられ、妻側に卯建(うだつ)のある黒漆喰の塗籠(ぬりごめ)造り。土蔵は白漆喰の塗籠造りで、腰は海鼠(なまこ)壁。主屋と土蔵は有松の絞問屋の代表的な造りとのことでした。
「うだつが上がらない」と言う言葉はここからきているとのこと。うだつのある家は裕福の象徴と思われ、うだつのある家に住めないのは甲斐性がない、ということでもあったようです。
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有松鳴海絞会館。
鳴海絞の資料の展示、販売、実演が行われていた。
何しろ手間暇のかかっている作品がずらり。だから必然的に高価!
この会館の周りには販売しているお店も沢山あったが、あいにくの雨だったので見て回れず残念。有松絞り祭は本年も6月1〜2日開催するようです。さて、来られるかと思案中。
今年が駄目なら来年頑張ります。
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芭蕉の最古の供養塔があった誓願寺。
供養塔は高さ60cmほどの青色の自然石で、表面に「芭蕉翁」、背面に「元禄7年(1694年)甲戌10月12日」と没年月日だけが刻まれているとのことでした。
横には芭蕉堂があり、ここには芭蕉が手植えた杉の古木で彫刻された芭蕉像が安置されているとのことでした。
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笠覆寺・笠寺観音・玉照姫碑。
笠覆寺は笠寺観音で知られている。奈良時代に善光常人が小松寺として建立。
その後、荒寺となり本尊の観音様が雨にさらされているのを見かねた娘が自分の笠を観音様にかぶせた。後になって藤原の兼平の妻となった娘が寺を再建したとのことでした。
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七里の渡し。
東海道で唯一の海上路。ここ、宮宿から桑名宿までの七里を渡し船で約4時間かけて移動したようです。
常夜燈はとても立派。1625年犬山城主成瀬正虎が熱田須賀の海浜に立てたのを1654年にこの地に移された。その後荒廃していたが1955年にこのように復元されたとのこと。
対岸の桑名宿の到着地点は今は七里渡し跡といわれています。
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熱田神宮。
天皇の皇位継承の印である三種の神器のひとつ「草薙神剣」が祀られている所。
何しろ広くて立派。私どもが伺った時は雨降りが激しく、本殿の写真を撮りそこなった!残念。帰りがけに羽織田信長が桶狭間の戦い戦勝報賽のため寄進した信長塀を見ました。
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今日は朝8:00〜16:30の長時間ウォーキング。ずっと雨降りですっかりぬれ鼠になりました。
靴はトレッキングシューズを準備していたので足元は大丈夫だった。
しかし合羽は薄く、着衣まですっかり、ぐちゃぐちゃ。
今まで五十三次ウォーキングは天候に恵まれていたのでちょっと油断していました。
次からは準備万端、気を付けます。
ホテルに戻ってお風呂でゆっくり温まり、ようやく元気を回復。
歩程約17km、26000歩。無事に終了出来て感謝。
今日は早寝をしてまた明日もがんばります。
posted by yunofumi at 00:13| 東海道五十三次ウォーク

2013年05月13日

2013.5.10 東海道五十三次 第39宿 池鯉鮒

渋谷8:00 東京は曇りのなかを出発。延々、バスで知立をめざす。
1回ごとに東京から遠ざかっているわけですから、ほとんど半日はバスで移動。
早飯のお弁当は車中でいただく。
前回終了地点の藤田屋では小雨。ということで合羽などを引っ張り出し、ようやく13:00前に歩き始めました。

渋谷⇒静岡SA⇒美合SA⇒知立、藤田屋⇒御手洗池跡⇒慈眼寺⇒中町交差点⇒都築屋美廣⇒アクア技研⇒池鯉鮒宿本陣跡・明治天皇行在所聖積⇒本町出車蔵⇒知立古城址⇒了運寺⇒知立三弘法第二番札所⇒小松屋・元祖あんまき⇒総持寺大イチョウ⇒知立神社・多宝塔・石橋・トネリコ⇒知立公園・知立花菖蒲苑・芭蕉句碑・土御前社⇒総持寺・於萬之方誕生地⇒逢妻川・逢妻橋⇒刈谷歩道橋⇒一里塚跡⇒今岡歩道橋⇒洞隣寺⇒中津藩士の墓⇒いもかわうどん碑⇒乗願寺⇒名鉄・富士松駅⇒今川歩道橋⇒Pasco刈谷工場⇒境川・境橋⇒阿野一里塚⇒豊明郵便局⇒坂部善光寺⇒前後駅⇒神明社⇒常夜燈⇒新栄町⇒中京競馬場⇒桶狭間古戦場趾・七石表⇒高徳院・瑜祇塔⇒笠寺ワシントンホテルプラザ

小松屋・元祖あんまき
先月のウォーキングでは藤田屋のあんまきを食べ、本日は元祖の小松屋のあんまきをいただきました。老夫婦と娘さんが目の前で手造りされたので一層、美味しかった!
何といっても焼き印があり、おまけに皮部分が香ばしかったのです。
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知立神社・多宝塔。
この神社は嘉祥3年(850)に創建とのこと。
今の多宝塔は、三間四方で、内部には後方に2本の円柱を立て、来迎柱とし、屋根はこけら葺となっていると説明がありました。
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阿野一里塚。
一里塚は家康が街道の両側に一里ごとに築かせたとのこと。
ほとんどがちょっと子山のように土を盛り、道の両サイドに松や槇等を植えたようです。
一里塚は歩いた距離を実感できるので昔も今も旅を続けるチェックポイントとなっています。
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中京競馬場。
日本には9か所の競馬場があるようです。
国道1号線から競馬場の入口に続く交差点の目立つ所に馬の像と共に案内がありました。
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桶狭間古戦場跡。
織田信長が今川義元と戦い勝利した古戦場。今は公園となっており、義元の墓、七石表などがあった。
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高徳院・瑜祇塔。
境内には今川義元の本陣跡があったとのこと。
立てたのは義元直系の芹沢二郎さん。徳川の先祖の追悼供養で建設したとのこと。
とても立派で色々見る所がありました。
瑜祇塔はとても鮮やかな色彩が施されていました。納骨堂のようです。
芭蕉の句碑「あかあかと 日はつれなくても秋の風」も見られました。
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笠寺ワシントンホテルプラザ。
今晩の私たちの宿はここ。
ホテルの部屋はまあまあ。
よかったのは併設のスパ施設が満喫できたこと。
露天や風呂や漢方の入ったお風呂では疲れがとれました。
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こうして結局、16:30すぎまでの半日間、ウォーキング三昧。
歩程約13km、24000歩。
このくらいの雨降りで済むならと明日の天候を気にしながらホテルにチェックインしました。
posted by yunofumi at 23:02| 東海道五十三次ウォーク

2013年04月26日

2013.4.21 東海道五十三次 第38宿 岡崎

八丁味噌の郷・カクキュー⇒光圓寺⇒矢作橋・矢作川⇒勝蓮寺⇒慶念山誓願寺・十王堂⇒浄瑠璃姫の墓・兼高長者の墓・五輪塔⇒和志王山薬王寺⇒西本願寺聖善寺⇒松並木⇒元第一岡崎海軍航空隊跡地⇒熊野神社⇒一里塚跡⇒宇頭茶屋⇒永安寺・雲竜の松⇒明治川神社⇒通水百年記念碑⇒松並木⇒JAあいち中央新安城支店営農センター⇒今村郵便局⇒豊臣機工(株)⇒猿渡川橋⇒来迎寺公園⇒御鍬神社⇒浄教寺⇒元禄の道標⇒八橋かきつばた園⇒無量寿寺⇒日の出寿司(昼食)⇒来迎寺一里塚⇒両口屋本舗⇒西教寺⇒明治用水⇒池鯉鮒(知立)⇒知立松並木⇒馬市の碑⇒慈眼寺⇒馬市の跡⇒藤田屋⇒静岡SA⇒海老名SA⇒渋谷

今朝は朝から雨!
合羽を着てバスで8:00出発。ところが1時間後の薬王寺に着いた頃にはもう雨が上がった。
有難い!それからは青空も見え、1日快適なウォーキングとなりました。

岡崎は家康公の生誕地ですから墓所もあり、規模は大きい。街中は戦火に合わなかった所もあるようでとても古い家も見受けました。
岡崎名物八丁味噌からすぐの所にある矢作川の矢作橋は掛け替えたばかりで周囲はまだまだ工事中。
この橋は広重や北斎の絵でも見られ、江戸時代は日本でも最長の橋だったようです。
本来なら秀吉と小六正勝の「出会之像」があるようですが今は未公開になっていました。

午後はすっかり晴れました。予定をすっかり終えて、13:30にはバスに乗車し、まずは東京を目指す。
幸運なことに日曜日なのにほとんど渋滞に会わずに19:00ころ渋谷到着。
26000歩、約17kmも無事終了。
あと1回バスでの往復となるウォーキングツアーです。
回を重ねるごとに行ったことにない街を訪れるのですから有難いことです。
何とか無事に京都・三条大橋まで行けますように!!

永安寺の雲竜の松。
永安寺は1677年貧しい村人を救いたいと願い出た庄屋柴田助太夫の霊をまつるお寺。
このクロマツは樹齢300年。枝が上に伸びす、地を這うように伸びており、竜のようだということで「雲竜の松」とよばれているのです。
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愛知といえば明治用水
もとは江戸時代からの計画で幕末、明治にかけて行われた一大事業。
矢作川から取水するこの用水のお陰で農業王国となった安城あたりは「日本のデンマーク」といわれている。明治川神社にはこの用水の水も取り入れ、功労者の都築弥厚など多くの方が祀られているようです。
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無量寿寺と八橋かきつばた園に着くとNPO法人「旅ころも」の皆さんが江戸の旅人に変身して観光で訪れた方々を案内するイベントに出発するところに遭遇。
お互いに面白い出会いなので記念撮影!
伊勢物語で有名な八橋にある無量寿寺なればこそでした。
お目当てのかきつばたはタイミングが少し早かったみたい。それでも一輪咲いており、大いに皆で喜びました。
そうそう、京都の有名なお菓子「八橋」は此処の地名、『伊勢物語』第九段「かきつばた」の舞台「三河国八橋」にちなむとする説もあるとのこと。面白いですね。
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知立の松並木。
450mの間に170本の松が残っていた。昭和34年の伊勢湾台風で被害を受けたが昭和45年に補植して現在の並木に戻ったようです。馬市がそばにあったため側道があり、並木を見ながら気持ちよく、安全に歩けました。
そして待望のかきつばたがここではチラホラ咲いており、私たちを楽しませてくれました。
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知立のマンホール。
伊勢物語が書かれており、思わず立ち止まる。
伊勢物語は平安時代初期の歌物語。在原業平の歌の多くを収録。全125段に男女の恋愛、親子愛、主従愛、友情、社交生活などがあって、昔の教養が分かる物語。
近頃このような文言にお目にかかっていなかったので、市中で見つけた時は驚きました。
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慈眼寺の牡丹。
慈眼寺の境内には「馬頭観世音菩薩及家畜市場」と記された馬市の碑があった。昔「桜馬場」には何百頭の馬が集められ、活気にあふれていた所だったようです。
今は花に包まれたお寺ということで、周囲には色とりどりの牡丹、勺薬の花々が見られました。
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posted by yunofumi at 00:12| 東海道五十三次ウォーク

2013年04月24日

2013.4.20 東海道五十三次 第37宿 藤川

岡崎ニューグランドホテル⇒菅生神社⇒殿橋⇒藤川郵便局⇒明星院⇒人形処栗生⇒稱名寺⇒問屋場跡⇒米屋⇒藤川宿第二資料館⇒藤川宿本陣跡⇒脇本陣跡⇒関山神社⇒伝誓寺⇒藤川小学校⇒西棒鼻跡⇒藤川宿松並木⇒十王堂⇒藤川宿一里塚⇒吉良道・藤川郵便局⇒阿弥陀寺⇒坂下橋⇒高橋⇒大平川神社⇒岡崎大平郵便局⇒大岡越前守陣屋跡⇒大平一里塚⇒法光寺⇒岡崎城下二十七曲り⇒岡崎城東入口⇒根石寺・旧根石観音⇒円頓寺⇒備前屋・あわ雪⇒西本陣前角⇒岡崎信用金庫資料館⇒連尺町角⇒材木町口角⇒柿田橋角⇒三清橋角⇒柿田橋⇒間町角⇒三清人道橋⇒田町北角⇒三清橋角⇒田町角⇒八帖歩道橋⇒龍城橋⇒岡崎公園、桜茶屋(昼食)⇒龍城神社⇒岡崎城・東照公遺訓碑・出世開運龍の井・えな塚・産湯の井戸・時計塔⇒三河武士のやかた家康館⇒板屋町角⇒八帖町突当り角⇒松葉総門跡⇒八帖村⇒八丁味噌の郷⇒カクキュー・甲子蔵⇒大樹寺・松平八代墓・多宝塔⇒大樹寺小学校・ビスタライン

どうにか天気が持ちそうな空模様の中、バスでホテルを8:00出発。
藤川宿は藤の花が見事!ということでかつては宇治川といわれたのが「藤川」と改められたという話もある。
岡崎城公園の藤の花は2〜3分咲であったがこれも巡り合わせ。
ここはかなりの賑わいだった宿場のようで問屋場跡、本陣跡、脇本陣と標識があった。

大樹寺と岡崎城を結ぶ約3kmの直線を「ビスタライン」とよび、ここには景観を害することがないように今も配慮されているとのことでした。
これは徳川三代将軍家光が、寛永18年(1641)、家康の十七回忌を機に、徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行う際に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門(大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置したことに由来している。また歴代の岡崎城主は、天守閣から毎日ここに向かって拝礼したとも伝えられており、岡崎城が再建された時、大樹寺から岡崎城を望む歴史的眺望は往時のまま(約370年前)今も門越しに望む岡崎城は、まるで額の中の絵のようでした。
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岡崎公園にあった家康が能を舞う「からくり時計」。
時報に合わせ、30分ごとに御開帳!
この時計は平成2年に完成。三河武士のやかた家康館前の広場にあり、高さ約6mの時計塔から能を舞う徳川家康公の人形が登場し、途中にお面を付けたりするのでちょっと楽しかった。
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むらさき麦はほぼ絶命状態だったのを県農業試験場で平成6年に栽培に成功したようです。
なんと芭蕉300回忌の年にです。十王堂そばには芭蕉の句碑「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」がありました。
資料館は無人だったけれどそれなりの資料が納められていた。印象に残ったのはむらさき麦で染めあげたハンカチ。それは綺麗な紫色でした。
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岡崎宿27曲がりの入口。
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冠木門前から出発して 「若宮通り」 「伝馬通り」 「「連尺通り」 「木まち通り」「松葉通り」を通って「矢作橋」に至る約4km。 途中で「岡崎城」や「八丁味噌蔵」などに寄り道して約2時間の宿場歩きが楽しめました。
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「あわ雪」の備前屋。
あわ雪は江戸時代に卵白に砂糖を加えて、泡立て、寒天で固めた豆腐のようなお菓子。昔から東海道の名物のひとつです。もちろん私もお土産にしました。
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お陰さまで夕方17:00にはウォーキングを無事終了!
良く歩いた!28000歩、約20km。まっすぐ進めばもっと距離は短いのでしょう。
何しろ、見たり、聞いたり、そして食べたり。
今日も、結構忙しい!というよりは楽しみ満載でした。
ストレッチを十分にして、また明日に備えます。
posted by yunofumi at 23:10| 東海道五十三次ウォーク

2013年04月23日

2013.4.19 東海道五十三次 第36宿 赤坂

渋谷⇒遠州森田SA⇒JAひまわり⇒赤坂宿問屋場跡⇒尾張屋⇒浄泉寺⇒大橋屋⇒よらまい館⇒杉森八幡社・夫婦楠⇒赤坂一里塚跡⇒長沢城跡・豊川市立長沢小学校⇒関屋⇒本宿村⇒法蔵寺・御草紙掛松・法蔵寺団子⇒来迎橋・鉢地川⇒近藤勇首塚⇒本宿陣屋跡・代官屋敷⇒本宿一里塚跡⇒宇都野龍硯邸跡長尾門⇒本宿町沢渡⇒興円寺⇒長證寺・舞木橋⇒山中城址⇒山中八幡・鳩が窟・大クスノキ⇒東棒鼻跡⇒藤川⇒むらさき麦栽培地⇒津島神社⇒藤川郵便局⇒岡崎ニューグランドホテル

東海道ウォーキングは本日で28回目。
全行程を33回に設定されていますのでまさに佳境に入っております。
朝8:00渋谷をバスで出発。11:00には車中で早飯の弁当をいただき、12:00過ぎから歩きだす。
やわらかな日差しの中、快適!!
赤坂宿は御油から1.7kmの所のため東海道では宿場間が最も短いとのこと。
すぐに色々見物するところがあるので歩きが長時間にわたった!という印象がなく、1日歩き通しました。
お陰さまで午後だけで24000歩、16kmは我ながら立派!
明日も頑張ります!!

浄泉寺の蘇鉄。
広重の絵で大橋屋さんの中庭に描かれていたもの。
実際には大橋屋さんから移したといわれているが、正確かは謎!
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杉森神社の夫婦楠。
推定樹齢は1000年!!
根株が1本、幹は2本で成長したので、夫婦楠と呼ばれているようです。
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法蔵寺の御草紙掛松。
家康が幼い頃、手習いや漢籍を学んだお寺で、この松に手習いした作品を掛けたといわれている。ここはまた法蔵寺の団子がよく知られていたようで、今は石でモニュメントが作られていました。
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山中八幡は文武天皇により創祀された。その後、火事で焼失したのを家康の父、松平弘忠が再建した処。鳩が窟には三河の一向一揆で追い詰められた家康がこの岩窟に身を隠した時、中から鳩が飛び立ち、命拾いをしたという伝説が残っている。
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今日は道中の花々にとても目を楽しませていただいた。
満開の桜にはうっとりしてしまいました。
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posted by yunofumi at 23:37| 東海道五十三次ウォーク

2013年04月04日

2013.3.31 東海道五十三次 第35宿 御油

ホテルアソシア豊橋⇒豊川放水路・高橋⇒才の木⇒菟足神社(うたりじんじゃ)⇒小坂井踏切⇒宿西⇒伊奈村立場茶屋(加藤家)⇒迦具土神社⇒伊奈一里塚跡⇒冷泉為村郷の歌碑⇒西古瀬川⇒山桃⇒白鳥5丁目西⇒白鳥地下道⇒国府町藪下⇒国府町流霞⇒大社神社⇒御油(ごゆ)一里塚⇒秋葉山三尺坊・国幣小社砥広神道⇒御油橋⇒ベルツ夫人ゆかりの地⇒御油の松並木資料館⇒御油町美世賜⇒御油宿本陣跡⇒御油観音・東林寺⇒御油の松並木⇒天王川⇒赤坂宿見附跡⇒美川神社・芭蕉「夏の月」句碑⇒赤坂宿本陣跡⇒大橋屋⇒赤坂宿公園⇒音羽橋⇒JAひまわり音羽視点⇒新東名高速道・駿河湾沼津SA⇒海老名SA⇒渋谷

豊橋は江戸の昔は吉田宿といわれ、すぐ傍は静岡県との県境。南側は太平洋、西側は三河湾ということで東海道の34宿目。日本橋から約73里(287km)ということで気持ち的にもこの街道歩きの山は越した!とほっとして昨夜は過ごしました。
本日は3日間連続ウォーキング最終日。
特に身体に違和感もなく元気に目覚め、8:00ホテルを出発。
朝から空模様が怪しかったので合羽を装備しておいてよかった。
才の木・山桃・白鳥・国府町藪下・流霞など物珍しい地名に気を取られ、結構な雨降りになってもあまり気にせず、とにかく歩く!この間中に風がないことは幸いでした。

御油宿に入ると「ベルツ夫人ゆかりの地」の立て看板があった。
明治9年明治新政府の招きでベルツ博士が来日。御油宿で旅籠の戸田屋の娘「花」(1864年〜1973年)さんと結婚。その後二人は共にドイツへ。1922年博士がなくなり日本に帰国。昭和5年(1930)ベルツ博士の墓碑、供養塔供養塔が、花夫人によって西明寺に建立されました。これは博士が生前厚く仏法を信仰していたこと、また花夫人の先祖の菩提寺であったことによるとのことです。
ベルツ博士といえば日本の近代医学の祖といわれている医師で、肌荒れ・美肌効果の薬として現在でも使われている「ベルツ水」で有名なのです。

最後の大橋屋に着いた頃はかなりの濡れ鼠でしたが美味しい「とろろ汁」やお蕎麦をいただき、すっかり満足。そのうえ朴訥なご主人の家屋の案内がまたよかった。

今日のウォーキングは大橋屋で実質終了。
歩程約11km、20000歩はまずまず。
13:00すぎにはバスに乗車し、ほぼ6時間後に渋谷到着。
お天気が良ければ大渋滞と覚悟していたのですが早い時間の出発でも天気が悪かったことで新東名でもやはり渋滞にはまりました。
それでも自宅着は思ったより早かったので大助かりでした。
明日からの仕事に備え、真面目に入浴後の体操とストレッチは欠かさず就寝です。
ではでは、お疲れ様!そして元気なことに感謝!

菟足神社(うたりじんじゃ)
神紋は「兎」。賽銭箱などに金の兎が付いていた。
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拝殿の中には、奉納された大きな作りものの兎がいたのでびっくり。
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大社神社。
神社の周辺は白壁の石垣になっていた。
鳥居の左手に楠の大木があった。樹齢300年以上ということで幹に触ってパワーをいただきました。
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御油の松並木資料館。
御油宿に関する展示がいっぱい。宿場の様子がジオラマで示されていました。また古文書や生活道具もありかなり見ごたえがありました。
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御油の松並木。
御油と赤坂の間、約600m、約300本が自然体で生えていました。
舞坂の松並木は人の手が十分入りお行儀がよかった。
こちらは、皆、自由な感じがイイネ!
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大橋屋。
創業は江戸時代の中ごろで広重の「東海道五十三次・赤坂宿舎招婦図」のモデルになったこと。芭蕉も宿泊して句を読んだとも。元の屋号は「伊右ェ門鯉屋」等々。
部屋は変則的な作りで畳や障子戸は今のように一律の寸法ではなかった。そういえば宿中央の屋根の柱そばには創業以来中身を見たことがない米俵が見え、これは300年間、誰も中を見ていないようです。夢がありますね。まちがいなく、赤坂宿の佇まいを今に伝える老舗なのです。
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大橋屋の中庭に六角形の中台の左右各面に「走り獅子」の装飾を持つ花崗岩でできた南北朝時代の石灯籠がありました。長年風雪に耐えてスゴイ!
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新東名の駿河湾沼津SA(上り)。
とってもキレイ!地中海の港町のイメージの外観。女性客を狙っている感じ。
今回は時間がなくゆっくり見られず残念。また次回に期待します。
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posted by yunofumi at 00:50| 東海道五十三次ウォーク

2013年04月02日

2013.3.30 東海道五十三次 第33宿 二川 第34宿 吉田

ホテルアソシア豊橋⇒一里山の一里塚⇒二川ガード前⇒立岩⇒筋違橋⇒二川一里塚跡⇒妙泉寺・鰐口(わにぐち)⇒紫陽花塚⇒二川八幡神社⇒二川宿まちなか公園⇒二川宿本陣・資料館⇒二川宿高札場跡⇒大岩神明宮⇒二川駅前⇒火打坂⇒火打坂橋⇒岩屋緑地・岩屋観音・小渕志ち像⇒信州庵(昼食)⇒旧東海道のクロマツ跡⇒殿田橋⇒飯村一里塚跡⇒活ノ藤鬼瓦⇒三ノ輪町⇒円六橋⇒松山寿泉禅寺⇒延命地蔵尊⇒東八町⇒東惣門⇒曲尺手町⇒吉田城大手門跡⇒豊橋市公会堂⇒豊橋市役所⇒豊橋公園・吉田城・鉄櫓跡・武具所跡⇒今橋横断歩道⇒吉田神社⇒西八町歩道橋⇒吉田宿問屋場跡⇒吉田宿本陣跡(うなぎ丸よ)⇒若松屋⇒西惣門⇒湊公園⇒旅寝塚句碑・筑島弁天社⇒湊神明社⇒船町高札場⇒豊川稲荷遥拝所⇒松葉塚⇒聖眼寺・芭蕉翁の句碑⇒下地一里塚⇒豊橋魚市場⇒豊川放水路・高橋⇒ホテルアソシア豊橋

一里山の一里塚を過ぎるとコオロギ直売とか山の方には立岩を見ながらとにかく二川に向かいました。
二川宿本陣(馬場家)と資料館は旅籠「清明屋」とともに見学できるように平成17年に開館したとのこと。本陣は大名や公家が泊まる宿でとても立派。
「清明屋」に入ると人形の旅人が足を洗っているのが生々しかった。また座敷にはお頭付きの御膳が飾られており何と贅沢な食事!と思ったらこれは家老職くらいでないと食べられなかったと説明を受けて納得。
広重の絵を摺るコーナーや双六ゲームもあり、なかなかの充実ぶり。
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今日はとにかくのどかな日差しもありウォーキング日和!
おまけにあちこち歩き回っても桜が満開で気持ちがよい!
このようなめぐり合わせの時が持ててとっても幸せ!
岩屋緑地に入ると小渕志ち像と岩屋観音があった。道すがらの桜は見事でした。
その後、豊橋に入ってから豊橋公会堂の建物を見た後、豊橋公園内の吉田城の鉄櫓、石垣と桜、その後ろの豊川、吉田神社、市電となかなか絵になる風景でいい感じのウォーキングでした。
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吉田宿本陣跡は石柱で表示があるのみ。この場所は「丸よ」というお店になっていました。
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「ゆたかおこし」の「若松園」。
ここは井上靖の自伝「しろばんば」の中でも登場したお店。
「ゆたかおこし」は上下に細かな粟おこしがあり、真ん中に抹茶餡が挟まっており、お茶請けとしては最高のお菓子。豊橋の銘菓として昭和天皇にも献上されたようです。
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松葉塚のある聖眼寺。
門前に桜が満開で素晴らしい。ここには松尾芭蕉の句碑もありました。
「松葉を焚くいて手拭あふる寒さ哉」
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今日は朝は8:30前から夕方16:30すぎまでよく歩きました。歩程18kmと聞いていたのですが23km、35000歩と万歩計が示していて驚きました。
1日の歩程では今までの最長距離。でも元気にゴール出来て、ただただ感謝。
明日も頑張ります。
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2013年04月01日

2013.3.29 東海道五十三次 第31宿 新居 第32宿 白須賀

渋谷⇒富士川SA⇒三方原SA⇒浜松西IC⇒舞阪の松並木⇒見附石垣⇒新町常夜燈⇒舞坂宿一里塚跡⇒堀内商店⇒堀江商店⇒宝珠院⇒仲町常夜灯⇒岐佐神社・赤石⇒舞坂宿本陣跡⇒舞坂宿脇本陣跡⇒浜名湖⇒浜松宿・北雁木・北雁木常夜燈⇒今切⇒長栄橋⇒浜松市舞坂文化センター⇒いりき(昼食)⇒新居関所・関所面番所・資料館⇒阿聖引煎餅⇒旅籠紀国屋⇒新居宿本陣跡(飯田武兵衛)⇒新居宿本陣跡(疋田八郎兵衛)⇒寄馬跡⇒新井宿一里塚跡⇒棒鼻跡⇒風炉の井⇒紅葉寺跡⇒新居宿松並木⇒立場跡⇒東新寺⇒明治天皇御野立所址⇒火鎮神社⇒一里山の一里塚跡⇒高札場跡⇒蔵法寺・潮見観音⇒潮見坂下⇒おんやど白須賀⇒潮見坂⇒白須賀中学校・潮見の像⇒潮見坂上の石碑群・展望台⇒潮見坂公園跡⇒曲尺手(かねんて)⇒白須賀宿(大村庄左衛門)本陣跡⇒問屋場跡⇒白須賀公民館⇒夏目甕麿(なつめみかまろ)邸跡⇒白須賀宿の火防⇒庚申常夜燈⇒玄齋堂跡⇒境宿(白須賀宿加宿)⇒ホテルアソシア豊橋

東海道を歩き始めてもう27回目。
いよいよ今回より2泊3日の行程。
8:00渋谷出発時は今にも雨が降りそう!
しかしバスが舞坂に11:00すぎに着いたころには薄日もあり、上々のコンディション。

東海道五十三次というのは起点の日本橋と終点の京都三条大橋を除いた宿場が53宿ある。
宿場と言えば、東京都は1宿、神奈川県は9宿、静岡県は22宿、愛知県は9宿、三重県は7宿、滋賀県は5宿ある。
ということで境宿(白須賀宿加宿)の表示を通ってすぐのところで、手前が静岡県湖西市、向こうに愛知県豊橋市の道路標識。では境目はと見ると小さな「境川」があった。これには少々がっかり。やはり街道歩きでは標識などで示されているのを見ながら講師の薀蓄を聞くことも結構面白いのです。長く静岡県を歩いたので愛知県に入るのに少し感慨を感じていたのでちょっと残念!!

本日初めて聞く名前で国文学者の夏目甕麿邸跡に出会った。本居宣長の門下で著書に「古野の若菜」がある。1822年没後、子供の加納諸平も国学者だったようです。まずは地元の方々にとっては郷里の誇りでしょう。

そんなこんなで本日は1時間連続のウォーキングもあり、かなりきつかった。
12km、22000歩はまずまず。
講師の説明では時速4.5kmのペースのようでした。
17:00少し前にウォーキング終了で一路ホテルへ。
「ホテルアソシア豊橋」はJR豊橋の駅ビル。この駅ビルはJR最初のものとのこと。
私的にはいつもより比較的元気!に歩けた一日でした。だからこれにておとなしく鉾をおさめ、夕食後は入浴、ストレッチや体操をして就寝。明日は朝から夕方までの歩程ですから。またがんばります。

舞坂宿脇本陣の建物
舞坂宿は江戸より30番目の宿場。門構えや玄関もふくめ、とても立派でした。
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北雁木の残っている路面の石や常夜燈は趣がありました。
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新居関所。江戸時代より明治の初めまで浜名湖の岸辺にあり、浜名湖を往来する旅人の監視をしていた所。特に「入り鉄砲と出女」には厳しく、女手形というものもあった様子。女性を専門にしらべる「あらため女」もいた。しかし海辺ですから何度も災害に有っている様子で、全国的に見ても関所の建物が現存しているのはここだけだそうです。
また関所の警護のために刺股、袖搦(そでからめ)、突棒などがあり生々しかった。
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関所内の様子が人形や道具を配して示されていました。
なかなか厳しい取り調べだったでしょうね。
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潮見坂の上りはそんなに長くはなかった。登る途中では広重の絵とそっくりの景色が広がり、荒い息をゼイゼイ吐きながらこれも面白かった!
そして潮見坂を上りきると白須賀宿歴史の拠点として「おんやど白須賀」があった。湖西市の施設のようでした。
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2013年03月10日

2013.3.9 東海道五十三次 第16宿 由井

渋谷⇒中井SA⇒富士川SA⇒静岡市立図書館⇒清酒正雪神沢川酒造場⇒由比宿一里塚(39番目)⇒由比宿東枡型跡⇒志田氏宅⇒御七里役所跡⇒由比本陣公園(東海道広重美術館・常夜燈・記念館・御幸亭・交流館)⇒正雪紺屋⇒脇本陣温純屋(うんどんや)⇒平野氏宅(明治の郵便局舎)⇒加宿問屋場跡⇒おもしろ宿場館⇒西木戸⇒由比川・由比宿場西の入り口・入上地蔵堂・矢箭八幡社⇒玉鉾(昼食)⇒春埜製菓⇒稲葉家⇒共進橋⇒豊積神社⇒今宿⇒寺尾歩道橋⇒寺尾さや橋⇒宗像神社⇒中の沢二号橋⇒小池邸⇒あかりの博物館⇒大澤橋⇒八阪神社⇒権現橋⇒間宿脇本陣柏屋⇒望嶽亭藤屋⇒一里塚⇒薩埵峠(さったとうげ)⇒鞍去神社(山の神)跡⇒川越しの跡⇒清水興津小学校⇒宗像神社・女体の森⇒身延道入口⇒興津一里塚⇒興津駅入口⇒清水SA⇒海老名SA⇒渋谷

本日は待望の東海道11番目の宿場である由比(ゆい)と薩埵峠を越えるコース。
2011年5月に開始したこの東海道五十三次の街道歩きです。私は先月26回目で浜松まで到達していますが本日の回だけ都合でまだ参加できていなかったのです。
行きは毎度の東名高速の渋滞にはまりました。
富士山は少し靄に包まれた中でしたが蒲原を11:15にはウォーキング開始です。

まずは「由比本陣公園」の広重美術館・常夜燈・記念館・御幸亭・交流館などを大急ぎでみて歩く。昔の本陣のような門構えがとても立派です。
この公園の目の前には由比正雪の生家と言われる「正雪紺屋」もありました。
由比正雪は江戸時代の軍学者で巷にあふれる浪人の窮状を訴え、幕府転覆を企てた人。
正雪は軍学者ですが軍学者としては後に生まれた吉田松陰がむしろ知られているかもしれません。
由比宿は蒲原から一里。宿場としては古く湯居宿として知られていたが小さい宿場で距離は約600m。
由比の歳時記としては、お太鼓祭り(豊積神社)、桜えび漁、桜えび祭、浜石マラソン大会があると表示板が示していました。
桜エビは玉鉾のかきあげ定食でいただきました。

望嶽亭藤屋は薩埵峠の直前にある間宿にある茶店の一軒。
御座敷から見る富士山の眺望が素晴らしいと繁盛したようです。
ここはまた山岡鉄舟の一件でも有名。
明治元年幕臣の山岡鉄舟が薩埵峠で官軍に追われて引き返し、望嶽亭の蔵座敷で猟師に変装し、隠し階段から浜に脱出。
その時鉄舟は最新式フランス製十連発のピストルを残していった。
鉄舟はそれから清水港に逃げ、次郎長に助けられ、勝海舟の紹介状をもって駿府上伝馬松坂屋で西郷隆盛と会見できたとのことです。この後、江戸城無血開城にいたったのですから事情が変わっていれば歴史も変わっていたかもしれません。

薩埵峠は広重の絵(由井 薩埵嶺)にもあり有名です。
峠から望む断崖と広々した駿河湾、海の向こうの富士山、その下に愛鷹山、これと地続きの伊豆半島。
広重の絵の風景は今や高速道路も見えてさらに絶景となっておりました。
私は2012年5月にこのコースを都合で歩いておりません。
当時、ここを歩いた方々は天気に恵まれず、土砂降りの中での峠越えと伺っております。
しかし本日は幸運なことに青空。
有難い!の一言につきます。
峠道は下道、中道、上道の3本の東海道があり、本日は中道を行きました。この道はみかん畑、びわ畑、また桜も咲き、まことに優しく、脚力が弱い私もいつの間にか上まで登れました。
またこの地はヤマトタケルの伝承も色々あるようです。
広重の絵を思い浮かべながら振り返り、振り返り富士山を楽しみ、本日のメインイベントは十二分に堪能できました。感謝、感謝。

本日の歩程12km。約25000歩。
帰路のバスは新東名高速でまたしても渋滞にはまり、渋谷到着20:15。
かなりの疲れも本望達成でまだまだ元気。
今日のコースは再度挑戦するリスト入りとしまーす。

由比本陣公園の入り口。昔の本陣の様子を再現。
東海道広重美術館はとても立派。
ちょうど「御上洛東海道−将軍の旅した東海道―」展を開催中。
東海道は京に向かうのは「上洛」、江戸に向かうのは「東下り」。
美術館の展示品は多く、時間不足でした。
また是非来ることにします。
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春埜製菓に立ち寄り「たまご餅」を購入。
たまご餅は江戸時代に作家 十返舎一九が書いた「東海道中膝栗毛(やじきた道中)」にも登場。
もち米を使わず、上新粉(うるち米=普通のごはんのお米の粉)を使い、独特の香りと歯ごたえがあります。中のあんこは、北海道の特赤小豆を使用。
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せがい造りと下り懸魚(くだりげぎょ)(稲葉家)
由比の街並みで多く見られた建築の特徴。
建物の外観を重厚に見せるために出桁(でげた)といわれる「せがい」がある。
また水切りの下には「懸魚」という飾りがある。
「せがい造り」では軒先を長く出した屋根を支えるために、平軒桁へ腕木を付け足し、出桁として棰(たるき)を置いてある。
「下り懸魚」平軒桁の両端が風雨による腐食を防ぐために雲版型の板に若葉、花鳥などを彫り込み、装飾も兼ねている。
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望嶽亭藤屋は薩埵峠の直前にある茶店。
山岡鉄舟の一件で有名。
子孫の方が大事に守っておられるとのことでした。
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薩埵峠からみた富士山。
峠から望む断崖と広々した駿河湾、海の向こうの富士山、その下に愛鷹山、これと地続きの伊豆半島、それに高速道路。
広重の絵に負けない絶景を見られて感嘆!!
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今回の講師多田先生とご一緒にパチリ!
この先生は第35期の皆さんとご一緒されています。
説明が丁寧で明るい笑顔が素敵な方でした。
本日は添乗員の三橋さんと共に御世話になった方です。
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posted by yunofumi at 22:50| 東海道五十三次ウォーク

2013年02月16日

2013.2.13 東海道五十三次 第30宿 舞坂

ホテルコンコルド浜松⇒宗円堂⇒本田備前守忠真顕彰碑・ねずみ小僧次郎吉の墓・徳川家達お手植えの楠・犀ヶ崖⇒夏目次郎左衛門吉信の碑⇒浜松城大手門跡⇒高札場跡⇒佐藤本陣跡⇒五社前通り⇒五社神社・諏訪神社⇒浜松復興記念館⇒諏訪小路⇒杉浦本陣跡⇒川口本陣跡⇒梅屋本陣跡⇒やまや醤油有限会社(濱納豆)⇒雄踏街道⇒子育地蔵尊⇒堀留ポッポ道・ケ91タンク機関車⇒鎧橋⇒可美村一里塚跡⇒四十九薬師・十八番二ツ御堂(阿弥陀堂)・秀衡松・馬頭観音⇒高札場跡⇒可美市民サービスセンター⇒諏訪神社⇒熊野神社⇒高札場跡⇒領地境界標柱⇒堀江領境界石⇒麦飯長者跡⇒熊野神社⇒高塚駅入口⇒エンシュウ株式会社⇒神明宮⇒一里塚跡⇒長里橋⇒愛宕神社⇒光雲寺⇒浜松信用金庫篠原支店⇒稲荷神社⇒引佐山大悲院本尊観世音⇒東本徳寺⇒西本徳寺⇒春日神社⇒舞阪駅南口入口⇒舞阪松並木・舞坂橋跡・浪小僧⇒ホテルコンコルド浜松(昼食)⇒浜松城公園・八幡台・井戸・天守台⇒ホテルコンコルド浜松⇒渋谷

お天気を心配していたのに一夜明ければ晴天!
昨日はかなり足が痛かったのに今朝は痛みがない!ヤレヤレ有難い!
しかしかなりの強風。風には一日中悩まされ、足元がふらつくほど。
これぞまさしく有名な「遠州のからっ風」。
でも仲間は有難いもので、遅れがちの私に皆さんが声をかけてくださり、とうとう最後まで歩けました。感謝!
朝8:00からのウォーキングは昼食や名所、史跡の説明を伺いながらも歩程は約10km。
15:00過ぎにはバスに乗り、夜19:00頃には渋谷到着でした。

2日間歩けたのはMBTの靴のお陰。
この靴はスイスで誕生したもの。靴底は船底のようにカーブしているので不安定。でも全身の筋肉を使うのでカロリー消費も良く、また足が前に自然に出るので私のように歩くことが苦手なのにこのようなウォーキングにも参加できるほど歩けるのです。
今後も平地歩きには使う予定です。

本日のメインは舞阪の松並木。
現存する松並木では東海道随一とか。
1712年には1420本の松があったようです。
今は約700mにわたり道の両サイドに約340本があります。
面白かったのは十二支の石像があり、昔の時刻の説明があったこと。
松の手入れも良く、舞阪町の方々の努力に頭が下がりました。
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申の石像
自分の干支なのでつい!かわいく見えました。
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五社神社諏訪神社。
隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社は、1960年に法人格を一つとして五社神社・諏訪神社となった。とても姿の美しい現社殿は1982年の再建。両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、子守り、子育ての神として人々の崇敬を集めているようです。
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ケ91タンク機関車。
堀留ポッポ道にあった国鉄90形蒸気機関車。
説明の看板にはこれは、1918年国産初期の軽便機関車で、大日本軌道会社が製造し、東濃鉄道(岐阜県美濃太田‐多治見間)を走っていた。その後廃車となり、国鉄浜松工場に生態保存されていたとのことです。
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浜松城。
徳川家康が遠州攻略の拠点として築いたお城で、1570年から17年間このお城で暮らした。
お城は東西600m南北650mで大手門は南の東海道に面している。
家康が駿府に移った後22代が交代しているが幕閣への登竜門となったことで出世城と言われた。
今の天守閣は復興模擬天守。
石垣は野面積みといい、自然石を上下に組み合わせて積む方法で作られ、400年の風雪に耐え、いまなお当時の面影を残しています。石垣の傾斜は57°〜78°とかなり急でした。
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お土産は3種類。
ホテルコンコルド浜松のパン。香ばしくておやつに最高でした。
濱納豆はやまや醤油有限会社で購入。元祖ですって。家康さんの大好物で昔から手造り、無添加、天然醸造。
糸を引かない納豆は不思議!はじめて食べましたが、お茶漬に良いようです。
金山寺味噌は濱納豆のお店で購入。中には大豆・米・麦・野菜等が入っていてお店によって独特のようです。
普段はキュウリや豆腐にのせて食べます。今回はサラダ風やあえ物にも使ってみました。
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posted by yunofumi at 21:13| 東海道五十三次ウォーク

2013年02月14日

2013.2.12 東海道五十三次 第29宿 浜松

渋谷⇒足柄SA⇒府八幡宮⇒天平の泉⇒JR磐田駅⇒中泉公民館⇒磐田市中泉⇒一言橋⇒高砂香料工業株ヨ田工場⇒万能橋交差点⇒和食処らいぜん(昼食)⇒宮之一色一里塚⇒宮之一色秋葉山常夜燈⇒菓子司又一庵豊田店⇒若宮八幡宮⇒西之島学校跡⇒豊田町長森立場⇒天龍橋跡⇒源平新田⇒小立野西歩道橋⇒豊田町天龍川渡船場跡・池田渡船場・中之渡場⇒天白神社⇒池田橋の跡⇒池田の渡し歴史風景館⇒行興寺・熊野の長藤⇒横町通り・中野町⇒船橋跡・木橋跡⇒明治天皇中町御休処跡⇒天竜川橋紀功碑⇒東橋跡⇒軽便鉄道軌道跡⇒かやんば高札場跡⇒松林禅寺⇒金原明善翁生家⇒蒼山の句碑⇒安間学校跡⇒安間一里塚⇒薬新町⇒松並木⇒八柱神社⇒天龍川駅入口交差点⇒六所神社・お宮の松⇒長伝寺⇒浜松アリーナ⇒浜松市植松原⇒将監大橋⇒馬込一里塚⇒相生町⇒馬込橋⇒JR浜松駅⇒万年橋⇒浜松城大手門跡⇒ホテルコンコルド浜松

朝5時起きで渋谷に集合。
真冬なので雪がふってもおかしくないのに、時々薄い日差しものぞくお天気で有難い。
気温は東京より高めなのか歩きだすとすぐ暖かくなりむしろ防寒着の中は少し汗ばみました。

天竜川は長野の諏訪湖を水源とし、遠州灘の河口まで長さ213km。
私たちがバスで渡った車両専用の橋は1.1kmほどあるようで川幅がとても広い。
しかしこれまで富士川、大井川と歩いて大きな川を通過しているので、歩いて見たかった!ちょっと残念。

浜松駅そばのアクトタワーは地上45階、高さ212.77mの超高層ビル。
天竜川の土手で案内役の講師から「あのタワー傍が本日のゴール!」と教えられる。
これは相当遠い!と覚悟。
しかしハーモニカを縦に置いた形と教えられましたが、ちょっと太っちょ過ぎて、???。
中はホテル、商店街、イベントホールと様々な施設が有りそう
向学のためには展望台に登ることでしょうか。また訪れたいものです。

浜松市は静岡県で最大の市。ヤマハや河合の楽器、車のホンダやスズキの街。
テレビを発明した高柳健次郎も確か浜松の学校の先生。
そして宇都宮より多く餃子を食べている街。県庁所在地ではないけれど都会でした。
しかし、歩く人には優しい街ではなかった!
歩道と車道の区別は白線のみが多かった。
というのも横断歩道がなく、地下道に振り回され、クタクタになったのです。

そんなこんなで11:00頃より17:30まで昼食以外は歩きに歩いた1日でした。
歩程15km、約3万歩はかなりで、最後は足が前に出ない感じ。
夕食後は湯船で足をマッサージ。
その後はラジオ体操とストレッチをし、薬を飲む、塗るを十分にしてバタン、キュー。
それでも夜中に足が痛いと目が覚めた。
またマッサージをして再びバターン。
我を忘れて寝ました。

Jubilo IWATA 中山雅史選手の足形。
磐田市中町の路上で見つけました。
さすがにサッカーの街です。
彼方此方にサッカーにまつわる物がありました。
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天竜川の鉄橋。
天竜川の橋は起点傍の釜石橋から終点傍の遠州大橋まで80以上の橋が架かっているとのことです。
かなり上流のつつじ橋は吊り橋で美しい姿と聞いたことがあります。
ダムも幾つかあり、人々の生活に大いに役立っている川です。
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家康の天竜池田渡船の許可証。
このお墨付きは1573年に家康が池田の渡船の関係者に与えた許可証で、武田軍が攻めてきたとき家康に味方した人々へのご褒美だったようです。
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行興寺にある藤。
行興寺は時宗の寺。熊野(ゆや)御前にゆかりの深い寺で通称「熊野寺」。
謡曲熊野や平家物語にも登場する親孝行で有名な美女の熊野御前は生前、藤の花を堂側に植えて愛好したようです。
熊野の長藤は樹齢800年といわれていて、ふつうの藤と違って先に花が咲き、葉は後から出て、花の長さは1メートル以上にもなるとのことです。見頃は4月下旬から5月上旬でその時は見物の人々で大賑わいになるようです。
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金原明善の生家。
金原明善(1832〜1923)は明治時代の実業家。
現浜松市東区安間町出身。天竜川の治水事業・北海道の開拓・植林事業など近代日本の発展に活躍した方。
何しろ事業に全財産を投入したやり方は二宮尊徳とは一味違った社会貢献だったようです。
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ライトアップされた浜松城。
ホテルの窓からちょうど見ることが出来ました。
春にはきっと桜に囲まれ一段と綺麗でしょうね。
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posted by yunofumi at 22:09| 東海道五十三次ウォーク

2013年01月29日

2013.1.27 東海道五十三次 第27宿 袋井 第28宿 見付

掛川グランドホテル⇒同心橋⇒名栗⇒袋井松並木⇒富士浅間宮⇒妙日寺⇒久津部一里塚跡⇒東海道五十三次どまん中東小学校(袋井東小学校)⇒西新屋⇒新家の秋葉山常夜燈⇒袋井市役所前⇒袋井商工会議所⇒どまん中茶屋⇒袋井宿東本陣跡⇒問屋場跡⇒中本陣跡⇒西本陣跡⇒高札場跡⇒御幸橋⇒どまん中丸凧ギャラリー⇒東海道五十三次どまん中西小学校(袋井西小学校)⇒澤野医院記念館⇒木原松橋⇒木原畷⇒木原一里塚⇒許裲神社⇒長命寺・笹田源吾供養塔⇒西木橋⇒太田川・三ヶ野橋⇒明治の道⇒江戸の古道⇒古戦場大日堂⇒浜松特別支援学校磐田分校⇒東大久保歩道橋⇒遠州鈴ヶ森⇒松葉灯⇒阿多古山一里塚・愛宕山⇒遠州見付宿木戸跡⇒大孫(昼食)⇒矢奈比売神社(見付天神社)⇒宣光寺・浮田幸吉墓⇒大見寺⇒井口製菓⇒浮田幸吉住居跡⇒問屋場跡⇒安間平治弥邸跡⇒見付本通り⇒淡海国玉神社⇒見付学校・伝酒井之太鼓⇒見付宿脇本陣⇒菓子司又一庵⇒姫街道⇒木戸跡⇒加茂川橋⇒西光寺⇒国分寺跡⇒府八幡宮⇒渋谷

今朝は真っ青な空、太陽もサンサン輝き、有難い。しかし風はやはり少しあり。
昨日より気温が3℃ほど高そうで大助かり。
今日は見る所がいっぱいとのことで朝8:10頃より15:30まで昼食以外は頑張りました。
ウォーキング終了後すぐバスで帰路につき、あまり渋滞にもはまらず、19:30すぎには渋谷到着。近頃になく順調でした。
自宅到着で本日も約30000歩。実質は11kmくらいだったかしら。

袋井は東海道五十三次の27番目の宿場。
つまりは東海道のどまん中、ということで袋井の街の中には“○○どまん中”の表示がやたらにあった。
一番面白いと思ったのは“どまん中東小学校”、 どまん中西小学校”、“どまん中茶屋”。
その他、酒屋さんなども随分派手に宣伝していました。

実物は見られなかったが家でも作ってみようと思ったのは“たまごふわふわ”。
要はすまし汁の上にメレンゲのようにした卵をふんわり載せたもののようです。
おかずというよりおやつの感じです。
そうそうB1グランプリにも入賞したそうです。

お菓子では又一庵の「きんつば」をお土産としました。
十勝産あずきの「小豆」、和栗が入った「栗」、青えんどう豆「うぐいす」、それに「桜」。
どれもやさしい甘さでとっても美味しかった。
1871年創業ということでとっても感じの良いお店でした。
ネットでも買えそうなので今後も機会があればお土産に使いたいです。

新家の秋葉山常夜燈。
秋葉山信仰に基づいて建てられた常夜燈。
この常夜燈は木造屋形でしかも彫物もありとても立派。
旅人の目印に役立ったでしょうね。
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ゴミ置き場
何だかわかりますか?と問われちょっと見当がつかなかった!
松並木の途中で発見。大きな昔の駕籠の形です。
実はゴミ置き場ですって。
おしゃれですね。
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どまん中茶屋。
温かいお茶をご馳走になりました。
この茶屋は,歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の「袋井出茶屋之図」に描かれた茶屋をモデルに建てられたもので、今はボランティアさんが頑張って運営しているお茶屋さん。
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どまん中丸凧ギャラリーでいただいたミニ丸凧。
丸い形の凧は初めて見ました。
袋井の丸凧保存会は1987年に発足し、ギャラリーには大小の丸凧が所狭しと飾られていました。私どもが立ち寄るということで会の方が待っていて下さり、おまけにミニ丸凧をお土産に頂いたのです。
帰りのバスの中は大抽選会で大いに盛り上がり、私も大当たり!
早速、家で飾っております。
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矢奈比賣神社(見付天神社)
創立は840年あたりでしょうか。
人身御供のならわしをたちきるために霊犬悉平太郎(しっぺいたろう)が活躍したという伝説があり、神社の鳥居の傍にとっても強そうな犬の像がありました。
このことからペットの神様、学問の神様などとして参拝される方も多そうです。
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大見寺の中にあった浮田幸吉が作った翼の復元模型。
本堂の雰囲気とあまりに違うのでびっくり。
浮田幸吉は岡山生まれで1785年に翼によって空を飛んだ鳥人。
何しろ米国のライト兄弟が飛んだのは1903年ということで、118年も先だったということは、どうやら世界初!!びっくりですね。
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見付学校は1875年に建てられ、現存する日本最古の木造洋風小学校校舎とのこと。
現在は教育資料館となっていた。
明治から大正の教科書、石板、人形等展示が色々ありました。
1階の教室で授業のようにして説明を伺い面白かった!
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夕方の夕映えがはじまりかけた富士山。
2日間のウォーキングが無事に終わって感謝!
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posted by yunofumi at 22:49| 東海道五十三次ウォーク

2013年01月28日

2013.1.26 東海道五十三次 第26宿 掛川

渋谷⇒掛川事任神社⇒俳人伊藤嵐牛翁出生地⇒伊達方一里塚⇒諏訪神社⇒本所⇒逆川橋⇒葛川一里塚⇒常夜燈⇒もちや⇒七曲⇒秋葉常夜燈⇒塩の道⇒東番所跡⇒桂花園⇒天然寺⇒掛川城大手門⇒こだわりっぱ(昼食)⇒緑橋⇒掛川城⇒二の丸御殿⇒大日本報徳社⇒報徳図書館⇒小坂葛布⇒ねむの木学園やさしいお店⇒清水銀行⇒掛川城蕗の門・圓満寺⇒十九首塚⇒倉真川・大池橋⇒大池一里塚⇒一乗山⇒善光寺歩道橋⇒仲道寺⇒椎の木茶屋⇒岡津〜原川の松並木⇒金西寺⇒間の宿原川⇒掛川駅⇒掛川グランドホテル

冬真っ盛りの本日は朝8:00渋谷出発。
富士川SAや菊川PAでトイレ休憩をしながら11:15過ぎに前回終了場所の事任神社に到着し、すぐウォーキング開始。
多分気温は5℃?すごい強風が一日中吹き続きました。
それもずっと向かい風で、体感温度は1℃くらい。
しかし1時間も歩いていると防寒衣の中は汗ばんできました。
結局、日差しはほとんどなく、時たま雪もチラつく中、昼食の1時間を除き16:30まで歩きっぱなし。
ホテルに着くと約28000歩、歩程約11km。
強風で体力を消耗したのでゆっくり入浴。
その後、21:00にはバタンキューでした。

掛川といえば山之内一豊。夫婦愛の話は有名。
名産はお茶と葛。
葛湯は大好物です。もちろんお土産にゲット。
でも葛布(かっぷ)ははじめて聞きました。
葛の繊維で昔は武士の陣羽織、裃などかなり上等の衣服に利用されたようです。
現在は掛け軸やハンドバッグなどの民芸品、すだれ、シェードなどのインテリア、帯地、着尺、洋服などに利用。
お店は掛川でも数店しかないようです。
またの機会に見物したいものです。

天然寺
オランダ使節団の一員だったケイスベルト・ヘンミィのお墓がありました。お墓はかまぼこの形で表面にオランダ語が書かれていました。
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掛川城
山之内一豊が城主だった10年間に天守閣や大手門、城下町を整備したようです。平成6年に市民の協力で本格木造で復元されたとのこと。図面などから高知城ととてもよく似ているそうです。
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大日本報徳社
二宮尊徳の弟子である岡田佐平治が設立した「遠江国報徳社」を起源としている法人。
報徳思想(ほうとくしそう)は、二宮尊徳が説き広めた道徳思想。経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されるというもの。掛川では今でもこの考え方は広く根付いているとのことです。
道徳門・経済門と刻まれている正門左右の門柱は明治42年の建立
正面の建物は明治17年、東京霞ヶ関に有栖川宮邸として建てられた日本館の一部を昭和13年移築されたとのことです。
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ねむの木学園やさしいお店
宮城まり子さんが1968年、日本で初めてつくった肢体不自由児のための養護施設。
 感性と感受性を大切にする教育で絵画・国語・工芸・音楽・茶道などでの成果が大きいようです。
学園で作ったかわいい小物があるようです。
ぜひ立ち寄りたかった!残念。
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JR掛川駅北口駅舎
新幹線停車駅では唯一の木造駅舎がある駅。
北口は写真の通りの木造。
反対の南口は新幹線らしいどこでも見られる今風の駅舎。
両駅舎は地下道で結ばれていました。
掛川市長だった榛村純一さんが木の文化を大切にということで1940年(昭和15年)に建築された駅舎とのことでした。
子供のころ見た田舎の国鉄駅舎を思い出しました。
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posted by yunofumi at 22:31| 東海道五十三次ウォーク

2012年12月17日

2012.12.16 東海道五十三次 第24宿 金谷 第25宿 日坂

掛川グランドホテル⇒朝顔の松⇒小泉屋、小夜の中山夜泣石⇒島田市博物館⇒大井川橋⇒金谷宿・八軒屋橋⇒金谷宿川渡し場跡⇒宅円庵・日本左衛門首塚⇒新金谷駅・転車台⇒往還橋⇒山田屋本陣(三番本陣)跡⇒本陣跡・佐塚屋・柏屋⇒お七里役所跡(七里継御状箱御飛脚小屋跡)⇒金谷宿一里塚跡⇒本遠山長光寺⇒不動橋⇒金谷大橋(西入口土橋)跡⇒金谷坂石畳⇒石畳茶屋、すべらず地蔵尊⇒諏訪原城跡、栗ケ岳の「茶」の字⇒菊川坂石畳⇒間の宿菊川⇒菊川の里会館⇒中納言宗行卿詩碑⇒箭置坂⇒久延寺・小夜の中山、夜泣き石⇒扇屋⇒西坂⇒小夜の中山公園・西行歌碑⇒佐夜鹿(小夜の中山)一里塚⇒白山神社⇒妊婦の墓⇒涼み松広場⇒夜泣石跡⇒日坂宿、秋葉常夜燈⇒日坂宿本陣跡⇒本陣扇屋⇒問屋場跡⇒旅籠池田屋⇒脇本陣黒田屋跡⇒伊藤文七邸⇒法讃寺⇒萬屋、川坂屋、川坂屋お茶室(掛川偕楽園)⇒高札場⇒古宮橋⇒事任八幡宮・クスノキ⇒道の駅掛川⇒菊川IC⇒足柄SA⇒港北SA⇒渋谷

今朝はまったくの日本晴れ。
朝8:00にはホテルを出発。
大井川橋を歩いて渡る。
昨日の蓬莱橋も長かったがこちらも長く1026mあった。
対面通行。南側に歩行者・自転車用の橋が並行している。
姿形はなかなか綺麗な橋でした。

宅円庵・日本左衛門首塚を見た後、新金谷駅が見える所に案内される。
スゴーイSLです。久しぶり!
鉄ちゃん達にはすっかり知られているメッカのようです。
鉄道の車両の方向を変える転車台もありました。
子供の頃は米原駅でよく見かけた風景を何年振りかで見ました。
アー、懐かしかった。

本日のメインイベントは峠越え。
箱根峠越え、鈴鹿峠越え、薩多峠越え等と並ぶ難所の小夜の中山峠越えです。
起伏が激しく石畳もあるとのことでちょっと腰が引けている私です。
金谷大橋を渡ると石畳茶屋で小休止後出発。
金谷坂石畳は登りで430m。
菊川の石畳は登りで161m。
箭置坂も登りで1km。
西坂に行くと急な下り。
いやはや苔は生えている、石はツルツル。すっかりヨチヨチ歩きとなり、クタクタ。
実は登り下りがある道はとっても苦手な私なのです。
どうにかこうにか15:00過ぎに日坂の平地に到着。
川坂屋や事任神社も色々見てようやくウォーキング終了でバスに戻りホッ。
道の駅掛川に立ち寄り16:00前には出発したのに結局渋谷には20:00到着。
本日の歩程13km。万歩計は自宅に帰って3万歩でしたから結構な運動量。
しかしウォーキングって天気次第ですが本当に楽しいものです。
また来月もがんばります。



本日の話題のひとつは「夜泣石」
安藤広重が日坂宿の様子を描いた1枚にある大石。
悲しいお話ですが絵の様子はとてもユーモラス。
道の真ん中にあったのを引き取ったという久延寺の「夜泣石」。
でもその後色々ないきさつで引き取ったのが小泉屋横の石段上の裏山に安置されている「夜泣石」。
どちらも子育て昔話に登場する「夜泣石」ですがどうやら本物は小泉屋さんのもの。
久延寺にある夜泣石は夜泣石物語の妊婦(小石姫)を弔う為に建てられた供養塔と伺いました。
久延寺にある夜泣石。
お隣の扇屋で子育飴が売られていました。
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小泉屋の夜泣石。
こちらでも子育飴が売られていました。
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大井川橋と富士山。
川越の渡し辺りで綺麗な富士山が見えて素晴らしい!
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新金谷駅で煙をはくSL。
多くのファンが観光バスで押し寄せるようです。
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金谷坂の石畳。すべらず地蔵尊前で振り返るとすごい急坂ということがわかります。
でもまだまだ序の口でした。
お天気に助けられてどうやら峠は越えました。
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菊川辺りから見たお茶畑風景。
この風景はまるで絵葉書の世界。
この後は日本アルプスも見えました。
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事任八幡宮のクスノキ。
太い幹をグルッと回ると直接木に触れることができました。
逞しい!
私も幹に手を当てお話ししました。
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今回のお土産は「黒大奴」と緑茶飴「べにふうき」。
清水屋の「黒大奴」はこのお店だけの販売とのこと。
久延寺お隣の扇屋ではボランティアさんか活躍。
練り飴は甘すぎると思い、緑茶飴を選択。
というのもご馳走になった深蒸し茶が素晴らしく美味しかったのです。
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posted by yunofumi at 21:56| 東海道五十三次ウォーク

2012.12.15 東海道五十三次 第23宿 島田

渋谷⇒足柄⇒日本坂SA⇒日本平IC⇒藤枝、千貫堤⇒青島酒店⇒上青島一里塚址⇒丸七製茶⇒六合踏切⇒六合駅・(昼食喜久屋弁当)島田宿阿知ケ谷⇒島田市御仮屋⇒島田宿升形跡⇒宿東入口(東方見附)⇒中村菓子舗⇒島田宿一里塚⇒島田刀鍛冶顕彰碑⇒島田宿問屋場跡 ⇒塚本如区舟と俳聖芭蕉翁遺跡⇒島田宿本陣跡⇒島田宿下本陣跡⇒島田代官御陣屋(代官所)跡⇒島田御陣屋稲荷⇒中本陣⇒上本陣跡⇒清水屋⇒大井神社⇒升形跡(宿西入口)⇒大善寺⇒大井川川越遺跡街並⇒島田市博物館⇒八重枠稲荷神社⇒大井川蓬莱橋⇒掛川グランドホテル

早いもので東海道五十三次を初めて今回は24回。
そして日帰りから1泊2日の歩程開始です。

8:00集合、雨が心配な予報の中をまずはクラブツーリズム号で出発。
9:00すぎ車窓から虹が見えて幸先よい感じ。
11:00藤枝の千貫堤に到着し、すぐウォーキング開始。
その後、かなり雨脚が強くなり、ウーン、足元ばかり見てウォーキング。
六合駅そば、バス車中でお弁当の昼食。

午後は次第に雨もやみ、かなり楽チン。
島田宿本陣辺りから明日行く小夜の中山を過ぎるあたりまで芭蕉、西行などの和歌や俳句の句碑があちらこちらにあるとのこと。楽しみ!

島田御陣屋稲荷では「愛するあなたへの悪口コンテスト」の優秀作が発表されていました。
大賞「なぜ、海へ行くかって?そこに女房がいないからさ」
ユーモアがあって大いに笑いました。

今日の最後は蓬莱橋。
皆でゆっくり往復。
雨も上がり、風もなく、惜しいことに富士山は見えませんでしたが大満足。
本日の歩程11km、万歩計は2万歩超。
しかし雨降りはやはり疲れます。
ということで明日に備え、早目の就寝でした。

小まん頭と大奴の清水屋
小まん頭は約280年前、五代目当主の伝左衛門が、島田宿に長逗留していた紀州浪人の置塩露庵から甘酒皮の饅頭作りを伝授されたのがはじまりとのこと。
また明治の頃から製造されているという黒大奴。島田の帯祭りの大奴にちなんで作られた菓子。
昆布を練り込んだ羊羹を漉し餡で包んであり、一口大のお菓子。表面が黒く光り、褐色の羊羹の表面に、数粒の芥子の実が乗せられており、お茶と一緒に頂くととっても美味。
大奴をお土産としました。
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大井神社
島田の産土神。洪水を静め安座をもたらす神社とのこと。元禄年間(1688〜1704)に始まった帯祭りは3年に一度の開催。島田に嫁いだ女性が安産祈願で晴れ着を街中に披露したのが始まり。その後、現在も大奴(男性)が披露するようになったようです。
お祭りは3年に一度開催。次は来年の10月のようです。
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島田市博物館ではちょうど「東海道を旅して」の企画展が開催中。
とても大きく立派な建物。
昔の婦人が結っていた島田髷、島田の帯祭りの人形や資料の沢山あり、館内は華やかでした。
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本日の最後は大井川蓬莱橋。
素晴らしい!
英国ギネスブック認定の世界最長の木造歩道橋。
明治12年に完成した橋で長さは897.422m、橋げたは一部木造のままでした。
橋を見るのが好きな私は大満足でした。
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posted by yunofumi at 21:42| 東海道五十三次ウォーク

2012年11月25日

2012.11.24 東海道五十三次 第22宿 藤枝

渋谷⇒海老名SA⇒藤枝IC⇒五智如来⇒岡部宿松並木⇒岩村藩傍示杭跡
⇒横内あげん台⇒朝比奈川・横内橋⇒従是西田中領傍示石蹟⇒広幡交番⇒鬼島一里塚⇒葉梨川・八幡橋⇒須賀神社・クスの木⇒藤枝宿⇒鬼島立場跡⇒田中城下屋敷(昼食)⇒西益津小学校・月の砂漠の歌碑・田中城本丸跡⇒田中城二之堀⇒藤枝成田山、おたすけ観音、水かけ不動尊⇒左車神社⇒サッカー最中・府中屋⇒問屋場跡⇒白子名店街⇒白子由来記の碑⇒熊谷山蓮生寺、蓮生寺のイブキ⇒藤枝だるまや⇒大慶寺、久遠の松⇒おたけせんべい本舗⇒下本陣跡⇒上本陣跡⇒上伝馬問屋場跡⇒正定寺、本願の松⇒瀬戸川・勝草橋⇒志太一里塚蹟、常夜燈⇒田中藩領傍示石蹟⇒六地蔵尊⇒古東海道蹟⇒東海道追分⇒千貫堤⇒瀬戸染飯伝承館⇒足柄SA⇒海老名SA⇒渋谷

お久しぶりの東海道ウォークです。
張り切って8:00に渋谷集合。
すぐにバスは出発。

藤枝といえばサッカー。
この街での歴史は、大正13年(1924年)から。
当時の静岡県立志太中学校(現在の県立藤枝東高校)が創立され、初代校長の錦織兵三郎先生により「蹴球(しゅうきゅう)」=サッカーが校技として取り入れられたのが最初。
今はサッカーの街、藤枝ということでJリーガーも沢山排出。
ちょっとネットで見ると、長谷部誠、村松大輔、中山雅史、山田大記、碓井健平、赤星貴文、成岡翔、大井健太郎、金澤大将、佐賀一平、三上明紀、山田暢久、岡田隆、岡田佑樹、その他まだまだいるようです。びっくり。
恐るべし、藤枝東高校です。そして何と市民にもサッカーが盛んなようで、年代別でユニフォームの色が決まっているという話も聞きました。面白いですね。

もうひとつ、藤枝には田中城があった。
この城は約500年前に築城。同心円の珍しいお城で別名亀城。
今は下屋敷跡があった。
城主が次々変わっても皆さん出世されるので出世城ともいうようです。
そうそう、徳川家康の死因とも言われている鯛の天ぷらを食した場所がこの田中城とのことでした。
またお城跡は西益津小学校とのこと。
この小学校には子供たちが作った「田中城のミニチュア城郭」がありました。
また正門のところにこの学校出身の叙情詩人・叙情画家の加藤まさをさんの「月の沙漠」の歌碑もありました。

そして今回の目玉は名木4本。
@ 須賀神社のクスの木--樹齢約500年-樹高23.7m・根周15.2m・枝張東西21.2m南北27.9m。とにかく雄大!A蓮生寺のイブキ---ビャクシンのこと。樹齢約700年、樹高6.8m・根周1.65m・目通1.55m・枝張東西7m南北7m 枝張りがすごい!B大慶寺の久遠の松---黒松で樹齢700年、樹高25m・根周7m・枝張2m 黒松だが異様に大きい。寺の塀越しに見た姿がまた美しい。C正定寺の本願の松−1730年田中城主土肥丹後守頼稔が、大阪城代に登用された報恩として寄進された松。樹高6.3m・根周3m・目通3m・枝張東西11.5m南北14m 枝の張りがすごくて沢山支えがしてありました。

本日のウォーキングは平らな道でしたが見所がいっぱいで結構忙しかった。
歩程11kmでしたが帰路のバスは例によって大渋滞。
結局、自宅には22時すぎに到着。万歩計は25000歩。
久しぶりの五十三次でしたが天候にも恵まれ大満足でした。
いよいよこの先は1泊2日のスケジュールがはじまります。
またボチボチがんばります。


横内あげん台。
あげん台は孟宗竹の上部を割って籠を作り、その中に燃えやすい松葉や麦わら竹の筒などをいれて松明のように火を燃やすもの。毎年、精霊送りの行事で使われるようです。
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藤枝だるまは江戸時代から続く土人形。
両びん(髪)が8の字に描かれていることで「耳付き」だるまといわれるようにまるで耳飾りをつけているみたいでした。
小泉八雲の小説『乙吉の達磨』のなかにも書かれているとのことでした。
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昼食は瀬戸の染飯(そめいい)のお弁当。
もち米にくちなしを混ぜ込んで炊き上げたものをおにぎりにしてあります。
真っ黄色で餅持ちしていて美味しい!
戦国時代は乾燥させたのもあったようです。
今日はおかずもたっぷりですっかり満腹になりました。
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お土産はサッカー最中。
サッカーで有名な藤枝なので第24回国体サッカー開催地となったことを記念してサッカーエース最中をフォンテーヌ府中屋さんが考案したようです。
包装をはずすとサッカーボールの模様つきの真ん丸な最中でした。
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posted by yunofumi at 23:05| 東海道五十三次ウォーク

2012年07月09日

2012.7.8. 東海道五十三次 第21宿 岡部

渋谷⇒冨士川SA⇒静岡IC⇒丁字屋⇒丸子橋⇒丸子宿見付け・高札場跡⇒元宿山大日如来⇒二軒屋交差点⇒プロスペラ学院⇒丸子紅茶⇒赤目ヶ谷起木(樹)天満宮⇒長源寺⇒十一面観世音菩薩⇒名残の松⇒赤目ヶ谷御囃子歩道橋⇒宇津ノ谷歩道橋⇒道の駅宇津ノ谷峠(静岡市側下り)・宇津ノ谷入り口バスのりば⇒蔦橋⇒つたの細道入り口⇒大旅籠柏屋(かしわばや)⇒村中橋(これより宇津ノ谷集落)⇒龍門橋⇒慶竜寺⇒御羽織屋⇒宇津ノ谷峠入り口⇒明治のトンネル⇒俳人雁山の墓⇒峠の地蔵堂跡の石垣⇒峠の地蔵堂跡⇒髭題目碑⇒蘿径記碑跡⇒坂下堂延命地蔵⇒玉露の里⇒道の駅宇津ノ谷峠(岡部町側上り)・廻り沢口バスのりば⇒十石坂観音堂⇒河野蓧園碑文⇒枡形跡⇒笠懸松⇒・西住法師墓⇒初亀醸造⇒小野の小町の姿見の橋⇒岡部宿高札場跡⇒ゴン中山氏実家⇒問屋場跡⇒五智如来⇒海老名SA⇒渋谷

 
国産紅茶を復活した丸子紅茶
明治2年丸子に移住した旧幕臣の多田元吉が中国やインドに明治政府から派遣されて日本に導入した紅茶。
その後いったん衰退した紅茶を村松二六が平成元年に復活。
試飲もでき、「紅富貴」は香りもよくとてもおいしかった!

大旅籠柏屋(かしわばや)は現在の建物は天保7年のもの。すでに170年経過。旅籠、質屋などお商売などを上手にされ相当裕福だったようで、お庭や蔵もとても立派。現在建物は資料館。和風庭園を囲むように体験工房、和食処、ギャラリー、物産館などがある。
井出コレクションで紙そろばんが珍しかった。

本日のメインテーマは宇津ノ谷峠越え。
東海道の難所といわれており、平安の古道・蔦の細道と天正18年に秀吉が小田原征伐で作った旧東海道の2本の道がある。道幅は比較的広く明治9年にトンネル(明治のトンネル)ができる270年間、公道として使われた。
現在この峠にトンネルは4本ある。
明治のトンネル 標高115m、長さ203m
大正のトンネル 標高107m、長さ227m
昭和のトンネル 標高70m、長さ844m
平成のトンネル 標高76m、長さ844m
歩いて通れるようです。機会があればまた来てみたいものです。

本日は行き帰りのバスの車中ではかなりの雨降り。
でも歩いている時は雨に合わず。
しかも曇り空でたまにはそよ風もあり、アリガタイ!
参加者16人の日頃の行いが良かったかしらと。
帰宅すれば約25000歩。歩程11kmでした。
とにかく無事に終了でメデタシメデタシ!!

「丸子紅茶」多田元吉の墓
雨で濡れると墓石は紅茶色になるそうです。墓石前には「べにほまれ・インド・いずみ」の茶葉が育っていました。
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大旅籠「柏屋」の正面風景。とてもどっしりした構えで大地震がきても大丈夫そう。
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御羽織屋では子孫の方が説明してくださいました。正面右には秀吉の羽織が飾られていました。
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明治のトンネル。今でも通れるようです。中はひんやり!
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峠道から見た宇津ノ谷集落。広重の絵のようです。
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宇津ノ谷峠越え。いやはや上りも下りも大変。
石ころ、落ち葉、苔等。昨晩の雨降りでズルッとなりそうでコワーイ。
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posted by yunofumi at 22:55| 東海道五十三次ウォーク

2012年06月25日

2012.6.24 東海道五十三次 第20宿 鞠子

渋谷⇒富士川SA⇒静岡IC⇒静岡郵便局⇒浮月楼⇒紺屋町⇒下魚町⇒宝台院⇒常光寺⇒青葉通り公園⇒札之辻町⇒七間町⇒入宿町通り⇒梅屋町教会⇒梅屋町⇒新通⇒元祖わさび漬田尻屋総本家⇒駿河伏見稲荷神社⇒川越町⇒安倍川の会所跡⇒由井正雪公墓⇒弥勒町⇒元祖安倍川餅せきべや⇒安倍川義夫の碑⇒藁科川・木枯の森⇒少将井神社・千手像⇒年越原・丸子1丁目⇒佐渡子授け地蔵尊⇒丸子宿道標⇒丸子一里塚跡⇒見付跡・東木戸跡⇒本陣跡⇒問屋場跡⇒若松屋・柏葉屋など⇒脇本陣跡⇒鞠児学校跡⇒お七里役所⇒丁子屋⇒吐月峰柴屋寺⇒誓願寺⇒丸子城跡⇒新東名高速道路⇒海老名SA⇒渋谷

本日歩き始めは府中。
府中とは政治の中心地、という意味だそうで駿府とも言い、今は静岡。
静岡駅すぐそばに浮月楼があった。
かっては徳川幕府の代官屋敷で大政奉還後に第15代将軍徳川慶喜が明治2年から明治21年まで約20年間隠居生活をされた所。元将軍は趣味が多彩でお庭をとても大がかりに立派にされたとのことで、今は静岡の迎賓館の様相。
お庭をみながらの懐石料理はきっと美味しいでしょうね。
またぜひ訪れたいものです。

安倍川といえば安倍川餅。
このお餅はその昔、家康さんに餅屋の五郎右衛門がきな粉をまぶした餅を献上し、家康が「なんという餅か」と尋ねた。そこで五郎右衛門が、きな粉を安倍川上流の砂金に見立て「金粉餅(きんこもち)」と答えたのを喜んだ家康が、「安倍川餅」と、名付けた由来があるそうです。
賞味期限が2日間とのこと。それならば、とその場で美味しくいただきました。
安倍川を前にしてさぞや賑わったことでしょう。石部屋(せきべや)は広重の絵でも描かれています。

いよいよ丸子に入る。
丸子(まりこ)はもともと鞠子。
名物は丁子屋の特産の自然薯を味噌で溶いた麦飯にかけて食べる「とろろ汁」。
もちろん昼食として味わいました。
丁子屋は広重の絵と同じく藁ぶき屋根の建物でタイムスリップした感じ。
建物前に「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」の芭蕉の句碑がありました。

吐月峰柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)は昔の丸子城の一部にあった所。
今川氏近に仕えた連歌師宗長が庵を作り、以後お寺となった。
周囲の風景を取り込み見事な枯山水の借景園。
竹細工で作った吐月峰は「はいふき」ともいい、昔キセルの煙草をポンと落とす物。
面白いお話を伺えた。


最後に伺った誓願寺は建久年間(1190〜1099年)、に源頼朝の両親追善のため建立されたが、天文年間(1532〜55)の丸子城の戦火で焼失した。その後現在のように再建。
ここはまた、大阪冬の陣の発端となった所。1614年、豊臣家重臣片桐且元が京都方広寺の鐘に刻まれた「国家安康」の文字について駿府城の家康に申し開きのためこの寺に滞在。
結局、大阪冬の陣となり豊臣家は滅びた。境内には子孫が建てた且元夫妻の墓があった。

先週は台風4号、5号とお天気がめまぐるしく、また昨日から今日はつかの間の梅雨の晴れ間。
ありがたいことで2日間無事に楽しくウォーキングできた。
本日の歩程は約7.5km、15000歩でしたので曇り空もありがたく元気元気。
これから暑くなるのでOS-1片手にまた頑張ります。

青葉通り公園の丸い噴水ZEN。
フランスの造形作家ベルナール・ジトンの作品。水と球体の力学を利用した動く噴水彫刻。
このほかにも不思議な芸術品がありました。
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梅屋町から新通に旧東海道を曲がり、皆で一斉に振り返ると道がまっすぐ伸びている。
??と思っていると建物の向こうに、今はない駿河城天守閣と富士山がきれいに見えるシチュエーションの場所と内藤講師の解説。解説付きの街道歩きの面白いところ。
本日は残念ながら曇っておりまったく見えませんでした。
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元祖わさび漬「田尻屋総本家」
静岡の清流で育ったわさび(山葵)を漬物としてはじめて考案したのが初代田尻屋利助さん。
すでに徳川時代よりの創業でもう250年の歴史。
現在は八代目ということでした。
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元祖安倍川餅せきべや
甘いのはあんこもちときなこ餅5個づつの上にお砂糖。
辛いのは湯煎した白餅に山葵醤油が添えられていた。
いずれも600円でおやつにちょうどよかった。
私は本日は甘いのだけ。辛いのもとっても美味しいとのことでした。
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安倍川を渡り始めるとずっと向こうに中州が見えた。
こんもりと茂った森は「木枯の森」といい、木枯神社がある。その左手は藁科川。
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とろろ汁の丁子屋。まったく広重の絵そっくり。
慶長元年創業。広重の五十三次が飾られた大広間は面白かった。
売店そばには江戸時代の旅道具や版画などの展示がありました。
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誓願寺の裏にある池で見たモリアオガエルの卵塊。
天然記念物の指定もあるとか。
4月から7月が繁殖期で樹上に卵塊として産み付けられるとのこと。
泡のなかには卵が300〜800。
すごいですね。
水の中にはオタマジャクシも見えました。
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posted by yunofumi at 05:06| 東海道五十三次ウォーク

2012年06月11日

2012.6.10 東海道五十三次 第19宿 府中

2012.6.10 草薙〜府中宿
渋谷⇒富士川SA⇒清水IC⇒草薙神社(大鳥居・本殿・御神木楠の木・大龍勢)⇒草薙神社道標⇒草薙駅⇒閻王寺と閻魔坂⇒達磨禅師立像・喜捨池・中吉田町⇒草薙球場⇒県運動場駅⇒旧東海道記念碑⇒北村地下道⇒古庄・後久橋⇒兎餅跡地⇒久應院・庚申塔⇒長沼一里塚跡⇒東静岡駅⇒静岡県護国神社⇒下横田町・延命地蔵尊⇒府中宿⇒西宮神社⇒久能山東照宮道入口⇒華陽院⇒脇本陣跡⇒天神屋⇒西郷・山岡会見碑⇒札の辻跡⇒駿府城跡(駿府城公園--三の丸・二の丸・巽櫓・東御門・北御門)⇒浅間神社⇒田丸屋わさび見工場⇒海老名SA⇒渋谷

渋谷発、8:20出発。草薙神社大鳥居10:00ということで東名高速道路はほとんど渋滞がなく順調。
渋谷では晴天で強い日差しがあり、参加者20名は今日は強行軍!と覚悟。
ところが出発地点の草薙神社からは曇天、そして爽やかな風もありがたかった。

草薙神社の御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)。
日本武尊が「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」で周囲の草を薙ぎ払い、窮地を脱したとの伝承がある。
日本武尊が没した後に景行天皇がこの社を建立し、ご神体として草薙剣を奉納。
その後、草薙剣は熱田神宮に奉祀されているとのこと。
「大龍勢」というのは仕込み打ち上げ花火というかロケット!
どうも”のろし”だったようで、今では草薙神社の例祭で、打ち上げられるそうです。
御神木の楠の木、御神門、拝殿も厳か。めったに来られる所ではない、と実感。

しばらく行くと、遠くに球場が見えたので岡山先生に伺うとすごい話が聞けました。
草薙球場は1930年に開設。今は静岡県草薙総合運動場硬式野球場と呼ばれ、静岡市と浜松市の共同経営の球場とのこと。エピソードとしては2つ。
1934年の日米野球大会でジャイアンツの沢村栄治がベーブ・ルースから三振を奪った球場。
また1974年には日米親善野球で巨人対ニューヨークメッツの試合で長島茂雄が現役最後の出場となった球場。
こういう話は面白い!

静岡浅間神社は駿河の総社として古くから信仰されている様子。
敷地内での七社参り(神部神社・浅間神社・大歳御祖神社・麓山神社・少彦名神社・八千戈神社・玉鉾神社)をすると心中祈願一々成就とあり、走り回りました。
これで今年も元気にすごせそう!大満足!
社殿の全てが極彩色の漆塗りで綺麗。その中でも楼閣作りの大拝殿はとてもとても凄味があった。
No1日光東照宮は左甚五郎さんの彫刻で有名ですが、こちらNo2は立川和四郎親子3代の彫刻。
気が遠くなるほどの情熱だったと思いました。

17:00前に再び渋谷に向かったのですが渋滞30kmにつかまる。
自宅到着は21:00ころ。
本日の歩程、公式では8kmでしたが2万歩超過ですからまずまず歩きまわったと言うことです。
それでも以外に元気で終了できました。感謝!

草薙神社の大龍勢。16m25kg、大昔のロケットです。
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草薙神社の御神木の楠。樹齢1000年がびっくり。
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静岡県護国寺。そういえば静岡県には歩兵第34連隊があり、橘周太中佐の活躍から「橘連隊」との通称もあったそうです。
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駿府城公園の巽櫓。美しい!
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浅間神社の大拝殿。もう少し手入れが良ければもっと荘厳でしょう。
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静岡浅間神社の七社参り(神部神社・浅間神社・大歳御祖神社・麓山神社・少彦名神社・八千戈神社・玉鉾神社)のご朱印札は心中祈願一々成就の祈願。
各地でいただいた名所のパンフもよい記念です。
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posted by yunofumi at 05:24| 東海道五十三次ウォーク

2012年05月28日

2012.5.27 東海道五十三次 第17宿 興津 第18宿 江尻


渋谷⇒駒門PA⇒JR興津駅⇒宗像神社⇒理源寺⇒興津宿公園⇒東本陣跡⇒宮様まんじゅう(潮屋)⇒脇本陣水口屋跡(一碧楼水口屋ギャラリー)⇒東本陣跡⇒西本陣跡⇒波切不動⇒大倉和親別荘⇒鈴与研修センター⇒東海ホテル跡⇒清見寺⇒魚格⇒松寿(昼食)⇒坐漁荘跡(西園寺記念公園)⇒東海道薬局⇒井上馨碑⇒波多打川⇒延命地蔵尊・常夜燈⇒東光寺⇒庵原川⇒松並木の松⇒馬頭観音⇒袖師浦宿⇒細井の松原⇒秋葉道⇒高札場跡⇒江尻東⇒市中山江浄寺⇒巴川⇒江尻宿⇒橋本本陣跡⇒江尻城跡⇒魚町稲荷神社⇒稚児橋⇒船高札⇒河童の腰掛石⇒慈雲寺、八ッ石⇒江尻宿木戸跡⇒追分羊かん支店⇒追分羊かん本店⇒これよりしみづ道標⇒延寿院不動⇒森の石松仇討の場所⇒元追分⇒金谷橋⇒久能寺観音堂⇒上原鎮守十七夜宮⇒草薙一里塚⇒草薙一里山バス停⇒草薙神社鳥居⇒冨士川SA⇒渋谷

すごーい、ほぼ快晴!
お陰さまで行き、帰りとも富士山を堪能!
江尻は今の清水、静岡県では駿府と並んで大きな宿場だった。
まずは興津の脇本陣水口屋跡(一碧楼水口屋ギャラリー)へ。
もとは西園寺公望など著名人が投宿したところ。
明治から続いたのに昭和60年に宿屋の歴史を閉じ現在はギャラリーとして一碧楼水口屋の歴史を伝えているとのこと。とても立派。

清見寺は鎌倉時代に再興されたお寺。
山門、仏殿、大方丈、大玄関、書院、鐘楼、など大きいし広―い。
徳川家康や豊臣秀吉など様々な方が戦いの本営をここに置いたようです。
庭園も広々あり、五百羅漢はもうちょっとゆっくり御挨拶したかった。
近くのお魚屋さん「魚格」で揚げたての「さつま揚げ」をいただきほっと一息。
明治維新のころ徳川幕府側の咸臨丸が明治政府と戦い、徳川側の死亡した乗務員を清水の次郎長さんがここで弔ったようです。
地元では今でも信頼感が大きい次郎長さんだということです。

坐漁荘(西園寺記念公園)は豪華というよりは知的な匂いがする建築物。
当時は政治家が盛んに出入りしたようです。
本日のお土産は甘さ控えめの「追分羊かん」。
日曜日も開いている支店にわざわざ立ち寄りました。

そして本日の最も役立ったツールは「どこでもアイスノン、ネックループ」と「活動量計」。
まあ首を冷やすことは本当に効果抜群。汗のかき方、疲れ方が全く違いました。
それと今までの万歩計に変えて身に付けた「活動量計」。
もちろん万歩計機能もあり。
消費カロリーを知ることで運動と食事のコントロールにうまく使えそうです。
まあ、今後もせいぜい活用してみます。
ということで本日の歩程は約10km。
ほとんど午後歩きっぱなしはちょっと大変。
でも2日間連続ウォーキングも無事に終えられ感謝感謝。
しかし出発地が遠くなることで帰りも遅くなる。
本日はまた行き帰りとも事故などでの渋滞もありかなり時間を要します。
でもまた次回も頑張ります。

くっきり、はっきり見事な富士山
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広々としていた清見寺
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次郎長さんが弔った咸臨丸の徳川側の死亡した乗務員の碑
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稚児橋には言い伝えのある可愛い河童が愛嬌をふりまいていました
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今後も活躍しそうな「どこでもアイスノン、ネックループ」と「活動量計」
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創業元禄8年という「追分羊かん」。甘さ控えめで美味しかった!
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posted by yunofumi at 22:34| 東海道五十三次ウォーク