天気予報では一日中雨降りとのこと。覚悟をして8:00より歩きだす。
有松はすばらしくクラシカルな風景が広がった街でした。
街並みを保存しているということも知りました。
服部家住宅はとても立派。主屋は1階が連子(れんじ)格子、腰は簓子(ささらご)下見板張り、2階は虫籠(むしこ)窓で連続して設けられ、妻側に卯建(うだつ)のある黒漆喰の塗籠(ぬりごめ)造り。土蔵は白漆喰の塗籠造りで、腰は海鼠(なまこ)壁。主屋と土蔵は有松の絞問屋の代表的な造りとのことでした。
「うだつが上がらない」と言う言葉はここからきているとのこと。うだつのある家は裕福の象徴と思われ、うだつのある家に住めないのは甲斐性がない、ということでもあったようです。

有松鳴海絞会館。
鳴海絞の資料の展示、販売、実演が行われていた。
何しろ手間暇のかかっている作品がずらり。だから必然的に高価!
この会館の周りには販売しているお店も沢山あったが、あいにくの雨だったので見て回れず残念。有松絞り祭は本年も6月1〜2日開催するようです。さて、来られるかと思案中。
今年が駄目なら来年頑張ります。


芭蕉の最古の供養塔があった誓願寺。
供養塔は高さ60cmほどの青色の自然石で、表面に「芭蕉翁」、背面に「元禄7年(1694年)甲戌10月12日」と没年月日だけが刻まれているとのことでした。
横には芭蕉堂があり、ここには芭蕉が手植えた杉の古木で彫刻された芭蕉像が安置されているとのことでした。

笠覆寺・笠寺観音・玉照姫碑。
笠覆寺は笠寺観音で知られている。奈良時代に善光常人が小松寺として建立。
その後、荒寺となり本尊の観音様が雨にさらされているのを見かねた娘が自分の笠を観音様にかぶせた。後になって藤原の兼平の妻となった娘が寺を再建したとのことでした。


七里の渡し。
東海道で唯一の海上路。ここ、宮宿から桑名宿までの七里を渡し船で約4時間かけて移動したようです。
常夜燈はとても立派。1625年犬山城主成瀬正虎が熱田須賀の海浜に立てたのを1654年にこの地に移された。その後荒廃していたが1955年にこのように復元されたとのこと。
対岸の桑名宿の到着地点は今は七里渡し跡といわれています。


熱田神宮。
天皇の皇位継承の印である三種の神器のひとつ「草薙神剣」が祀られている所。
何しろ広くて立派。私どもが伺った時は雨降りが激しく、本殿の写真を撮りそこなった!残念。帰りがけに羽織田信長が桶狭間の戦い戦勝報賽のため寄進した信長塀を見ました。


今日は朝8:00〜16:30の長時間ウォーキング。ずっと雨降りですっかりぬれ鼠になりました。
靴はトレッキングシューズを準備していたので足元は大丈夫だった。
しかし合羽は薄く、着衣まですっかり、ぐちゃぐちゃ。
今まで五十三次ウォーキングは天候に恵まれていたのでちょっと油断していました。
次からは準備万端、気を付けます。
ホテルに戻ってお風呂でゆっくり温まり、ようやく元気を回復。
歩程約17km、26000歩。無事に終了出来て感謝。
今日は早寝をしてまた明日もがんばります。