2014年05月11日

2014.5.8 東海道五十七次C御殿山〜枚方宿〜守口宿

今日は2日目。かなりの強行軍を覚悟して出発。

京阪守口市駅(電車)→京阪御殿山駅・ウォータモニュメントNAGISA・渚交番⇒御殿山歩道橋⇒教育文化センター⇒磯島・枚方なぎさ高校⇒日野橋・天之川町(あまのがわちょう)⇒鵲橋(かささぎかし)・東見附⇒小町平右衛門家(屋号八幡屋)・新町1丁目⇒浄行寺⇒関西医科大学⇒石柱(安居川枚方橋跡)・宗左の辻(そうざのつじ)⇒岡本町公園・東見附⇒菊人情みそ北村本家・呼人堂あかつき⇒岡本町会館⇒妙見宮常夜灯石灯籠⇒万年山・御茶谷御殿坊・万年山古墳・開院宮戴行親王演習御親見所⇒意賀美神社・意賀美梅林⇒田中鋳物工場跡・椋(むく)の木⇒専光寺⇒枚方凍氷⇒三矢公園⇒枚方宿本陣跡・北河内郡役所正面口⇒浄念寺⇒楠喜衛門家(屋号田葉粉屋)⇒鍵谷資料館⇒西見附⇒誓願寺・桜町⇒伊加賀本町・みなもかいろう⇒水と歴史のふれあい広場⇒枚方大橋南詰⇒淀川河川公園・伊加賀西町⇒枚方市立伊加賀スポーツ⇒伊加賀小学校⇒光善寺⇒蓮如上人御田地⇒さ(足編に差)蛇神社御旅所⇒柿の木⇒⇒出口6丁目⇒淀川堤⇒木屋揚水機場・取水導路⇒淀川河川公園太間地区・大阪府太間排水機場⇒茨田堤遺跡・水辺公園⇒木屋第2水防用具庫⇒鳥飼仁和寺(にわじ)大橋⇒新橋東⇒うどん・そばの今日亭(昼食)⇒佐太陣屋跡⇒佐太天神宮・蕪村碑・石井筒⇒淀川河川公園庭窪レストセンター⇒正迎寺⇒八雲北町3丁目・第2児童公園⇒やくも幼稚園⇒守口東高校・八雲西町⇒一里塚跡・浜町⇒盛泉寺(じょうせんじ)⇒難宗寺・いちょう⇒大塩平八郎ゆかりの書院跡⇒守口宿本陣跡⇒文禄堤⇒京阪守口市駅・ホテルアゴーラ大坂守口

京阪御殿山駅のあたりは古くから淀川と繋がりがあり、「渚」という地名でした。その先が天之川、鵲橋(かささぎかし)と続き、いよいよ枚方宿の入口である東見附です。

宗佐の辻の碑。
宗左は、江戸時代製油業を営んでいた角野宗左(かどのそうざ)のこと。この宗左が住んでいた辻がここ。
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現在の新町1丁目から1.5km先の西見附(現在の堤町西端)までが枚方宿。
この枚方宿は人口約1500人本陣1軒。旅籠69軒だったということで五十七次の宿場としては横に長ーいのです。
枚方宿は遊郭もあり、「送りましようか、送られましょうか、せめて宗左の辻までも」と詠われ、客が帰るとき、遊女が宗佐の辻まで見送ったということです。
現在、町おこしの「枚方宿くらわんか五六市」は手作りでエコロジー、フェアトレードなど身体に優しい食事を提案する市場で毎月第2日曜に開催。

昔からのどら焼きの「あかつき」は呼人堂の名物。
明治40年創業。「あかつき」はあっさりした甘さでとっても美味しかったです。
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少し先に行くと「枚方凍氷」がありました。
何しろ48時間結晶の純氷を使ったかき氷を夏に提供するようです。
地元では有名で夏場は人の山が出来るとのことでした。

鍵屋資料館。
軒先の所にお洒落な「鍵屋マーク」があり、現在も使われています。
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鍵屋は江戸時代、三十石船の船待ち宿として賑わったとのこと。
現在は市立の資料館で紀州候の参勤交代を中心に、枚方宿の歴史や淀川舟運についての展示がありました。
2階大広間では予約すれば豪華な食事が出来るとのこと。
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伊加賀西町辺りでは足元に石を積み床が持ち上がった蔵や住宅が多く見られました。
段蔵(だんぐら)というようです。
淀川がよく氾濫したので家具などを非難するのに考えられたようです。
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光善寺
1475年吉崎御坊を退却した蓮如上人が若狭・丹波を経て河内出口郷に入り、石見光善の請いによって光善寺を開創。その後、蓮如上人の長男・順如上人が初代住職となりました。出口御坊と呼ばれて寺内町を形成し、大いに栄えたようです。蓮如上人が摂津・河内などの布教の拠点としたお寺でもあります。
山門に続いて大きな太鼓楼がありました。山門の間からは蓮如上人像が見えました。
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これより淀川河川公園の土手をひたすら歩くとまもなく茨田堤(まんだのつつみ)遺跡があり、いよいよ寝屋川市に入っていた。
『日本書紀』の仁徳天皇11年、淀川に日本で最初といわれる「茨田堤」が築かれたとのこと。
難工事のため人柱として、「武蔵人強頸(こわくび)」と「河内人茨田連衫子(まんだむらじころものこ)」が供されましたが、茨田連衫子は逃げたようですが堤は完成したのです。
詳しくいきさつを書いた碑もありました。
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佐太天神宮。
901年菅原道真が太宰府へ左遷させられる時にここに一時とどまった所。
その菅原道真を偲んで天暦年間(947~956年)創建。
1648年には豪商永井信濃守尚政が社殿を再建、淀屋辰五郎が手水鉢、石井筒、石垣を寄進したとのこと。
地元では「守口佐太のえべっさん」といわれているようです。
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守口宿本陣跡
うっかり見落としそうな看板のみで少し気の毒になってしまったこの場所。
そばの一里塚の所も碑があっただけでした。
守口宿は人口約800人本陣1軒、は旅籠27軒でこの五十七次の最後の宿場。

本日はこれより文禄堤を歩きながら守口駅でゴール。
晴天、気温23℃、風ややや強く、歩程約16km、約34000歩を8時間弱で歩き通しました。ヤレヤレ!
明日は守口宿場の中を歩き、大阪の高麗橋がゴール。
よく寝て、元気を回復できるようにいたします。
posted by yunofumi at 22:38| 東海道五十三次ウォーク