ホテル8:00バスで出発。
まずは伏見稲荷大社へ。
鳥居をくぐるといきなり楼門。1589年秀吉が造営とのこと。

本殿も含めすべてが朱色で圧倒される。
そして何より、千本鳥居がすごかった。
これは崇拝者が祈りと感謝の念で奉納したとのこと。

次は御香宮神社。
表門は伏見城の大手門を移築したとのこと。

境内には「御香水」として名水百選にも選定されている湧き水があった。

そして伏見の月桂冠大倉記念館へ。
昔の酒作りなどを紹介。
元々の屋号は「笠置屋」、初代大蔵治右衛門が始めた。酒銘柄ははじめ「玉の泉」、今は「月桂冠」
灘の「白鶴」と共に最大のメーカー。
戦後、業界ではじめて「四季醸造蔵」を建設した。

9:50 これよりウォーキング開始。
寺田屋。
このあたりは高瀬川と淀川が結ばれ三十石船の船着場としてにぎわった。
寺田屋は船宿のひとつで薩摩藩の指定の宿だった。寺田屋騒動で龍馬は傷を負いながらも船で此処を脱出したのです。
建物や中にある展示等、何処まで当時のままかは区別がつきませんでした。

伏見土佐藩邸跡、会津藩駐屯地跡、伏見長州藩邸跡などあまりに近いので驚きました。
宇治川派流に架かる京橋から「竜馬とお龍愛の旅路像」を見ました。

伏見の納所(のうそ)あたりで戊辰役東軍戦死者埋骨地の慰霊碑がありました。
これは馬主協会々長中村勝五郎撰文の記念碑で中々の名文。
拓本をよくとられるとのこと。直ぐ傍には京都競馬場がありました。
このあたりから淀宿でしたが本陣や脇本陣もなく人口は3000人弱の小さな宿場だったようです。
淀城は当時伏見城があるということで徳川秀忠により廃城(1619年)となったがその後、桂川・宇治川・木津川の三川の合流するこの淀の地に築城(1625年)されたとのこと。
また淀君ゆかりの淀城は此処ではなく少し離れた納所にあったと推定されているとのことでした。
伏見みなと公園、国土交通省伏見出張所あたりから宇治川土手をひたすら、約2時間歩く。
途中、国道1号線は迂回して越し、御幸橋が宇治川と木津川の合流している所の堤防約1.4kmにソメイヨシノ250本が満開!

そして本日のゴール京阪電車八幡市駅の上あたりには次回行く石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)もくっきり!

八幡市駅前にはエジソン通りと表示があった。
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エジソンが電球を発明した際、この電球のフィラメントの材料が実は京都八幡の竹が使われていたという縁で駅前の商店街はエジソン通りと称しているとのこと。そして京都府八幡市にはエジソン協会もあるのですって。

ということで本日のウォーキングは見物も含め7時間、約27000歩、約12kmの歩程。
雨は思ったほど強くなく、大いに助かりました。
疲れはかなり足に来ましたが、満開の桜を十分楽しみ、まずは無事に終了。
新幹線乗車前に仲間と鯖寿司を食し、大満足。
そして乗車後は爆睡。
この調子で来月、2泊3日で終える予定の五十七次も乗り切るようにがんばります。