2014年04月05日

2014.4.2  東海道五十七次 @大津追分〜伏見宿

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新幹線ひかり東京8:03発。11:00すぎ京都着。
バスで五条大橋の牛若丸・弁慶像や清瀬川の桜を見ながら一路井筒屋八ッ橋本舗追分店に向かう。此処は大津横木1丁目。
そして髭茶屋町(旧追分町)を通り、大津追分の地点に到着。
右京都、左宇治の石柱が以前あったのに!なんと!交通事故で少し前に砕けたそうです。
ということでこの写真は昨年10月12日には見られた石柱。
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そしてこちらは本日見られた現地の様子。
街道歩きは時間経過で様子が変わるということなのです。
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大宅(おおやけ)一里塚。
京都市内で唯一現存の一里塚遺蹟。直径4〜5m、高さ1.8m、塚の上には榎。
一里塚は慶長9年(1604年)家康の命で造られた。街道の両サイドにこんもり築いた小山の上に木を植えた。その時代以後は榎がよく植えられたようです。
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隋心院。小野小町邸跡。
梅園でも有名。今は桜が満開。
小町作の歌碑、文張地蔵、化粧井戸、文塚など有名。
梅は唐棣(はねず)という。はねず踊りが観梅の頃、催される。
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藤森神社。
神功績皇后摂政3年(203年)に創建。
石の鳥居は桜とマッチして見事!
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本殿は切妻造檜茸でした。
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「しょうぶ」の神様。競馬関係者がお参りをするようです。5月5日の駈馬神事の開催、菖蒲の節句の発祥地とも知られている。
境内は馬が駆け抜けるように造られていました。
またふたつとない美味しい水「不二の水」で武運長久、学問向上ということで勝運をいただける水とのこと。
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墨染寺。門をはいると日蓮大聖人が桜と共にお出迎え。
辻説法の様子です。
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中央にある桜が「墨染桜」
他の桜と色合いが異なり、少しグレーがかっていました。
講師の先生も開花したのを初めて見られたそうです。
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欣浄寺には座った姿の「伏見大仏」、境内には少将塚、小町塚がありました。

勝念寺の地蔵堂には織田信長公より賜った仏様。身代わり釜敷地蔵尊。門前に天明義民柴屋伊兵衛墓所の碑。

薩摩島津伏見屋敷跡の石柱には天璋院篤姫洛中洛外滞在時の宿泊地、坂本龍馬寺田屋脱出後避難之地と刻まれていました。

大黒寺(正式名円通寺)は鷹匠町にあり、通称は薩摩寺。西郷隆盛、大久保利通の会談の部屋、ゆかりの書や歌、肖像なども保存。文久2年(1862年)、伏見の寺田屋事件で犠牲となった薩摩藩勤王党有馬新七等九士など9烈士の墓。墓石の横にある碑文は、西郷隆盛の筆。
また木曽川治水工事の責任をとり、詰め腹を切った薩摩藩家老平田靱負(ゆきえ)の墓も見られました。

本日到着の伏見宿は本陣4軒、脇本陣2軒、旅籠39件、問屋場2件、総野軒数約6000件、人口約2万人超と聞きました。そして京都へ通じる高瀬川、大坂に通じる淀川の中継点といて、また伏見のお酒の積み出しとしても栄えたようなのに今は様子が一変。お酒だけは健在。
こうして本日は29000歩、約13kmの歩程を無事終了。
晴天に恵まれ、盛り沢山のウォーキングでした。
明日はこの続きを見られそうです。がんばります。
posted by yunofumi at 23:29| 東海道五十三次ウォーク