2014年04月01日

2014.3.30 日光街道第2回 千住宿〜草加

千住大橋駅⇒足立市場⇒奥の細道旅立ちの像⇒元やっちゃ場南詰・千住河原町⇒谷清、谷塚屋⇒千住宿歴史プチテラス⇒元やっちゃ場北詰⇒千住仲町商店街⇒源長寺⇒千住高札場跡・一里塚跡⇒千住本町商店街⇒千住宿問屋場跡・貫目改札跡・千住1丁目・あだち産業芸術プラザ⇒足立都税事務所・森鴎外旧居・橘井堂森医院跡⇒金蔵寺(こんぞうじ)⇒三宮神山大鷲院勝専寺⇒宿場町通り北千住サンロード商店街⇒千住本陣跡⇒千住宿高札場跡⇒横山家住宅⇒吉田家・千住絵馬屋⇒北千住郵便局⇒槍かけだんご かど屋⇒日光街道石柱⇒千住名倉医院⇒足立区生涯学習センター⇒荒川・千住新橋⇒真福寺⇒善立寺⇒石不動尊⇒東武鉄道旧線路跡そば⇒足立梅田郵便局⇒梅島駅前通商店街⇒梅島駅⇒上海亭(昼食)⇒島根交差点⇒将軍家御成橋・御成道松並木跡⇒国土安穏寺・仁王門・祖師堂⇒赤羽家長屋門⇒鷲神社・富士塚・島根学問所跡⇒六月2丁目交差点⇒増田橋交差点・竹の塚けやき通り⇒渕江小学校⇒西保木間小学校⇒足立清掃工場・足立スイムスポーツセンター⇒足立十全病院⇒けなげ川⇒浅間神社・手洗石の高低測量几号⇒火あぶり地蔵尊⇒いけだ屋・吉田5丁目⇒浅古家の地蔵堂・草加市役所⇒草加駅

上福岡から東武東上線、山手線、京成線に乗りついで千住大橋駅到着。
10:00出発時点で小雨。
この場所が「奥の細道旅立ち」の地であることを忘れないために、像がありました。
松尾芭蕉は元禄2年(1689)3月27日(新5月16日)門人曾良を伴って江戸深川から船に乗り、日光道中初宿千住から奥州、北陸、美濃へと旅立ったのです。
「行春や鳥啼魚の目は泪」
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千住は家康が街道の整備をした時、日光街道の最初の宿場とした所。
地名の由来は「嘉暦2年(1327年)荒川より得た千手観音から」など、諸説があるとのこと。やっちゃ場は野菜・穀物・川魚等の市が開かれた通り。今でも屋号を掲げ、楽しい雰囲気を忍ばせていました。ここで店を構えていた人は「投師(なげし)」と呼ばれ、今でいう中間仲買業とのことでした。
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千住宿歴史プチテラスは横山家の土蔵を利用し、歴史を感じられます。
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森鴎外旧居・橘井堂森医院跡は現在、足立都税事務所があった。
鴎外の父は元津和野藩の御典医。明治維新後、軍医をしたので千住に住み、その後ここで橘井堂森医院を開業。鴎外は明治27年(1884年)から4年間三宅坂の陸軍病院に軍医として通勤したようです。

横山家住宅。今も立派な建物でした。
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千住名倉医院は「骨つぎの名倉」。
昔は周辺に患者が宿泊しながら治療に通った宿が多くあったようです。
金町屋、万屋、成田屋等の宿の主人は名倉医院の医師だったとか。
歴史を受け継ぎ、今でも診療しているのがスゴイ!
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国土安穏寺。
日蓮宗寺院で「天下長久山」という。日通聖人が開山、千葉太郎満胤が開基で応永17年(1410)に創建。徳川家祈願所位牌安置所となったとのこと。
仁王門、祖師堂などあるようですが中は見られなかった。
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けなが川(毛長川)は足立区と草加市(埼玉県)の境界となっている河川。足立区花畑で綾瀬川に注いでおり、見沼代用水の落とし水を流す排水路的な川で、両岸には縄文期から平安期にかけての遺跡が多くあるようです。 1960(昭和35)年ごろまでは清流だったようですが今は、家庭や工場の排水が流れ込み、水質の汚濁が進んでいるように見えました。

草加市に入り瀬崎町の浅間神社の手洗石の高低測量几号があるとのこと。
ドイツ式で潮位の水準点を示したようです。
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草加といえば「草加せんべい」。
米や醤油の産地が近いこと、日光街道は人の往来が多かったこと等が影響し、江戸時代からの名物。今でも原料の米は国産米のみ使用。煎餅の製造販売所は70軒以上あるようです。今日はいけだ屋に立ち寄り、試食の後はお土産をゲットしました。
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本日は強風と強い雨降りに悩まされながらのウォーキングでしたが16:00には草加駅到着。
歩程23000歩、約10km。行く先々で桜はかなり咲いておりましたが、疲労は天候に左右され、十分には楽しめず残念。
そして解散後、電車に乗ると、「オヤッ、青空」。
まずは本日も無事に終えられて何よりでした。
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posted by yunofumi at 21:55| あちこちウォーク