2013年07月16日

2013.7.12 東海道五十三次 第47宿 関

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自宅を6時前に出発。
東京駅発7:33ひかりに乗り、9時前に名古屋着。
その後バスにて本日のスタート地点へ。11時すぎウォーキング開始。

関宿は東海道五十三次で唯一歴史的町並みを残している所。
昭和59年、国の重要伝統的建造物群保存地区となった。
宿場は大きく東西追分の間は約1.8km。古い家が200軒も残っており、昔の風情を十分堪能できた。
宿場の東の入り口として「東の追分」があった。東海道と伊勢別街道の分岐点。ここの大鳥居は伊勢神宮式年遷宮ごとに内宮宇治橋南詰の鳥居が移される。
宿場の西の入り口としては「西の追分」。東海道と大和・伊賀街道の分岐点。石柱には「ひだりハいかやまとみち」とあった。

野村一里塚。
もともと街道の両サイドにあった塚は大正3年に南側がなくなったとのこと。
現在、北側の塚の上には樹齢400年、幹囲5m、高さ20mの椋(むく)の木があった。
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大岡寺畷。
畷とは田んぼの間のあぜ道。堤のように築いてあり、かなりの長さがある。
この畷は鈴鹿川の左岸約2kmもある。東海道で一番の長い畷。
昔は左右に松並木。今は桜並木が続いていた。
芭蕉の句に「から松の 太岡縄手 ふき通し」がある。
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小萬のもたれ松。
江戸時代久留米藩士の妻が夫の仇討のため旅をしていて関宿で小萬を産んだ後病没。その後、小萬は母の遺言で仇討を果たした。この松は亀山に武術修行に通った小萬が若者のたわむれをさけるために姿を隠したと伝えられている。
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旅籠玉屋・玉屋歴史資料館。
玉屋は「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの、関宿を代表する大旅籠のひとつ。現在は江戸時代の貴重な旅籠建築として修復され、亀山市文化財にも指定。内部には、当時使われていた道具や庶民の旅に関係する歴史資料、歌川広重の浮世絵などが展示され、日本最初の旅籠資料館として、歴史の町並みとともに訪れる人々を江戸時代の旅の世界へ案内してくれている。
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あいづ屋。
あだ討ちのヒロインとして有名な「関の小萬」の生家でもあると言われる大旅籠「会津屋」。
昔ながらの竈に薪をくべ、山菜おこわを蒸かして提供している。
モットーは「主婦が食べても懐かしい!美味しい!味」。
山菜おこわをおいしく頂きました。
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ホテルに着くとすぐ前に伊勢型紙「おおすぎ」があった。
折角なので見学をした。
伊勢型紙は染色用具で、江戸小紋などの型染めに用いる型紙のこと。渋紙(和紙を柿渋で加工したもの。型紙、型地紙とも呼ばれる。)に、さまざまな手彫りの技法で、模様を彫り抜いたもの。鈴鹿市で約90%を生産。扇子、団扇、短冊やお雛様も。とにかく綺麗。なかなか根気とセンスが問われそうです。
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本日気温は約36℃。かなりの炎天下だったけれど28名全員が元気に完歩。
歩程約11km、約16500歩。
昼食を挟み約3時間歩いたわけで、満足!満足!
結果良ければすべてよし!
明日もがんばりまーす。
posted by yunofumi at 21:32| 東海道五十三次ウォーク