最終日は日本晴れ!昨日と比べ気温は約10℃アップの感じ。
靴はMBTウォーキングシューズに履き替えたので足元が軽く、大いに助かりました。
本日のコースから外れたのは六華苑。
実業家二代目諸戸清六の新居として明治44年(1911年)から大正2年(1913年)にかけて建てられた邸宅。洋館、和館、蔵などの建物と日本庭園が素晴らしいようです。設計は鹿鳴館の設計者でもあるイギリス人建築家ジョサイア・コンドル。
是非一度行ってみたいと思っております。
海蔵寺・薩摩義士墓所。
1753年江戸幕府より薩摩藩に命じられた木曽・揖斐・長良の三大河川の治水工事で亡くなられた85名の義士を祭ってある。工事終了後責任者の奉行平田靭負(ひらたゆきえ)の墓碑や義士の墓所である。講師からこの工事に携わった薩摩藩士達の過酷な運命と無念の思いを描いたのが『孤愁の岸』(杉本苑子著、62年直木賞)ということを知りました。是非読んでみようと思いました。

九華公園・桑名城跡・本多忠勝公の像。
桑名城は幕末に官軍の攻撃を受けて落城した。天守閣などはなく、気持ちの良い広々した公園になっていた。
その入口あたりにドーンと鎮座していたのが本多忠勝公の銅像。
桑名城の城主でもあった知将です。街の方々が誇りにしておられると思いました。

蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)・七里の渡し跡。
揖斐川の住吉水門・川口水門・三之丸水門を管理する水門 統合管理所は蟠龍櫓の位置に、外観を擬して建設。歌川広重の 浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名城の象徴として復元されたとのこと。
また七里の渡し跡は宮宿を出た舟が到着する桑名の船着き場。東海道で唯一の海上路。
海上路は七里の距離、といわれ、渡し船で約4時間を要した模様。
船から岸に上がるとすぐ、お伊勢参りに行く方も多かったようで、伊勢神宮の一の鳥居がすぐ傍にありました。

大塚本陣跡にある懐石料理のお店の船津屋は現在も営業。
私たちは9:00にここに到着したのですがもう打ち水もなされており、高級感がある所でした。

春日神社の銅鳥居。
桑名は鋳物の街です。鋳物に心血を注ぎ、素形材から加工・組立・完成品の一貫生産を行っている会社もあるようです。銅の鳥居ははじめて見ましたが、とても立派でした。

志ぐれ蛤貝増本店。
三重・桑名名産として「貝増の志ぐれ蛤」が有名。好きな志ぐれをあたたかい御飯と一緒に、またお茶漬けでいただくのも最高とのことという薀蓄をお店の方から聞きしました。

十念寺・森陳明の墓。
明治維新の際に、桑名藩は幕府側いついて敗北した。この責任を取る形として藩を代表して切腹したのが森陳明(もりつらゆき)。
切腹はともかく、どの時代でも責任の取り方はムツカシイことです。

浄泉坊の鬼瓦。
1603年に伊勢慶昭が小向にあった正治寺を再興し、小向山浄泉坊としたのがこのお寺のはじまり。徳川家ゆかりのある桑名藩主の奥方の菩提寺といわれ、山門や瓦に徳川家の定紋三つ葉葵が入っていた。

三日間のお土産。
@ 熱田神宮の交通安全の御守り。
A 志ぐれ蛤貝増本店の佃煮、蛤は輸入物と日本産があり、値段が倍違いました。私はおとなしくアサリの佃煮にしました。
B きよめ餅総本家のきよめ餅。ひとつの大きさや柔らかさ、餡の甘さはちょうどよくお土産を食べた方は皆さん大喜びでした。
C 有松絞りハンカチ。とっても綺麗で娘も大喜び。

静岡〜愛知〜三重とさすがに京都が近くなったこともあり徳川家にまつわる話や史跡が多くなってきた。
また読めない地名・町名があちこちにあり、大いに物珍しかった。
池鯉鮒(ちりゅう)、御手洗池(みたらしいけ)、前後(ぜんご)、小向(おごう)、縄生(なお)、員弁川(いなべかわ)、呼続(よびつぎ)、柿(かき)などなど。
本日の歩程15km、25000歩。
本日は温かいより、熱いくらい。やはりお天気が良い、陽ざしが強いとウォーキングにはきついのです。
それでも立ち寄る所が多いので目は楽しめました。
いよいよ残り回数は4回(6月、7月、9月、10月)。
そして新幹線の往復も加わり、ホント!ちょっとした旅行です。
皆様に迷惑をかけずに最後まで頑張りたいと思っております。