2013年05月16日

2013.5.11東海道五十三次 第40宿 鳴海 第41宿宮

笠寺ワシントンホテルプラザ⇒大将ヶ根⇒名古屋有松郵便局⇒有松絞・竹田庄屋九郎碑⇒碧海信用金庫⇒有松鳴海絞会館⇒中濱⇒中川橋⇒唐子車山車庫⇒中舛竹田荘⇒竹田家住宅⇒岡家住宅⇒小塚家住宅⇒天満宮⇒梅屋鶴壽⇒有松一里塚⇒手越川⇒四本木⇒平部北⇒平部町常夜灯⇒瑞泉寺⇒鳴海宿高札場跡⇒天神社⇒鳴海城跡公園⇒圓道寺⇒芭蕉最古の供養塔・誓願寺⇒鳴海宿本陣跡⇒鳴海宿脇本陣跡⇒三皿⇒長翁寺⇒丹下町常夜燈⇒鉾ノ木貝塚⇒緒畑稲荷神社⇒千句塚公園⇒千鳥塚⇒天白橋⇒笠寺一里塚⇒笠覆寺・笠寺観音・玉照姫碑・水かけ地蔵⇒千鳥塚・宮本武蔵の碑・笠寺善光寺堂・人質交換之地⇒寿限寿茶屋(昼食)⇒服部家住宅⇒有松鳴海絞会館⇒旧知多郡有松町役場跡地⇒笠寺商店街⇒呼続⇒宮部神社⇒桜神明社⇒東海道宿駅制定400年記念碑⇒熊野三社⇒山崎の長坂⇒山崎川・山崎橋人道橋⇒裁断橋跡・姥堂・都都逸発祥の地⇒ほうろく地蔵⇒宮の渡し歩道橋⇒宮の宿赤本陣跡⇒あつた蓬莱軒⇒宝勝院⇒熱田荘⇒七里の渡し舟着場跡・熱田湊常夜燈・時の鐘⇒熱田神宮・西楽所・信長塀⇒きよめ餅総本家⇒笠寺ワシントンホテルプラザ

天気予報では一日中雨降りとのこと。覚悟をして8:00より歩きだす。

有松はすばらしくクラシカルな風景が広がった街でした。
街並みを保存しているということも知りました。
服部家住宅はとても立派。主屋は1階が連子(れんじ)格子、腰は簓子(ささらご)下見板張り、2階は虫籠(むしこ)窓で連続して設けられ、妻側に卯建(うだつ)のある黒漆喰の塗籠(ぬりごめ)造り。土蔵は白漆喰の塗籠造りで、腰は海鼠(なまこ)壁。主屋と土蔵は有松の絞問屋の代表的な造りとのことでした。
「うだつが上がらない」と言う言葉はここからきているとのこと。うだつのある家は裕福の象徴と思われ、うだつのある家に住めないのは甲斐性がない、ということでもあったようです。
RIMG05110224.jpg

有松鳴海絞会館。
鳴海絞の資料の展示、販売、実演が行われていた。
何しろ手間暇のかかっている作品がずらり。だから必然的に高価!
この会館の周りには販売しているお店も沢山あったが、あいにくの雨だったので見て回れず残念。有松絞り祭は本年も6月1〜2日開催するようです。さて、来られるかと思案中。
今年が駄目なら来年頑張ります。
RIMG05110353.jpg

RIMG05110359.jpg

芭蕉の最古の供養塔があった誓願寺。
供養塔は高さ60cmほどの青色の自然石で、表面に「芭蕉翁」、背面に「元禄7年(1694年)甲戌10月12日」と没年月日だけが刻まれているとのことでした。
横には芭蕉堂があり、ここには芭蕉が手植えた杉の古木で彫刻された芭蕉像が安置されているとのことでした。
RIMG05110294.jpg

笠覆寺・笠寺観音・玉照姫碑。
笠覆寺は笠寺観音で知られている。奈良時代に善光常人が小松寺として建立。
その後、荒寺となり本尊の観音様が雨にさらされているのを見かねた娘が自分の笠を観音様にかぶせた。後になって藤原の兼平の妻となった娘が寺を再建したとのことでした。
RIMG05110336.jpg

RIMG05110333.jpg

七里の渡し。
東海道で唯一の海上路。ここ、宮宿から桑名宿までの七里を渡し船で約4時間かけて移動したようです。
常夜燈はとても立派。1625年犬山城主成瀬正虎が熱田須賀の海浜に立てたのを1654年にこの地に移された。その後荒廃していたが1955年にこのように復元されたとのこと。
対岸の桑名宿の到着地点は今は七里渡し跡といわれています。
RIMG05110420.jpg

RIMG05110414.jpg

熱田神宮。
天皇の皇位継承の印である三種の神器のひとつ「草薙神剣」が祀られている所。
何しろ広くて立派。私どもが伺った時は雨降りが激しく、本殿の写真を撮りそこなった!残念。帰りがけに羽織田信長が桶狭間の戦い戦勝報賽のため寄進した信長塀を見ました。
RIMG05110427.jpg

RIMG05110433.jpg

今日は朝8:00〜16:30の長時間ウォーキング。ずっと雨降りですっかりぬれ鼠になりました。
靴はトレッキングシューズを準備していたので足元は大丈夫だった。
しかし合羽は薄く、着衣まですっかり、ぐちゃぐちゃ。
今まで五十三次ウォーキングは天候に恵まれていたのでちょっと油断していました。
次からは準備万端、気を付けます。
ホテルに戻ってお風呂でゆっくり温まり、ようやく元気を回復。
歩程約17km、26000歩。無事に終了出来て感謝。
今日は早寝をしてまた明日もがんばります。
posted by yunofumi at 00:13| 東海道五十三次ウォーク