2013年04月04日

2013.3.31 東海道五十三次 第35宿 御油

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豊橋は江戸の昔は吉田宿といわれ、すぐ傍は静岡県との県境。南側は太平洋、西側は三河湾ということで東海道の34宿目。日本橋から約73里(287km)ということで気持ち的にもこの街道歩きの山は越した!とほっとして昨夜は過ごしました。
本日は3日間連続ウォーキング最終日。
特に身体に違和感もなく元気に目覚め、8:00ホテルを出発。
朝から空模様が怪しかったので合羽を装備しておいてよかった。
才の木・山桃・白鳥・国府町藪下・流霞など物珍しい地名に気を取られ、結構な雨降りになってもあまり気にせず、とにかく歩く!この間中に風がないことは幸いでした。

御油宿に入ると「ベルツ夫人ゆかりの地」の立て看板があった。
明治9年明治新政府の招きでベルツ博士が来日。御油宿で旅籠の戸田屋の娘「花」(1864年〜1973年)さんと結婚。その後二人は共にドイツへ。1922年博士がなくなり日本に帰国。昭和5年(1930)ベルツ博士の墓碑、供養塔供養塔が、花夫人によって西明寺に建立されました。これは博士が生前厚く仏法を信仰していたこと、また花夫人の先祖の菩提寺であったことによるとのことです。
ベルツ博士といえば日本の近代医学の祖といわれている医師で、肌荒れ・美肌効果の薬として現在でも使われている「ベルツ水」で有名なのです。

最後の大橋屋に着いた頃はかなりの濡れ鼠でしたが美味しい「とろろ汁」やお蕎麦をいただき、すっかり満足。そのうえ朴訥なご主人の家屋の案内がまたよかった。

今日のウォーキングは大橋屋で実質終了。
歩程約11km、20000歩はまずまず。
13:00すぎにはバスに乗車し、ほぼ6時間後に渋谷到着。
お天気が良ければ大渋滞と覚悟していたのですが早い時間の出発でも天気が悪かったことで新東名でもやはり渋滞にはまりました。
それでも自宅着は思ったより早かったので大助かりでした。
明日からの仕事に備え、真面目に入浴後の体操とストレッチは欠かさず就寝です。
ではでは、お疲れ様!そして元気なことに感謝!

菟足神社(うたりじんじゃ)
神紋は「兎」。賽銭箱などに金の兎が付いていた。
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拝殿の中には、奉納された大きな作りものの兎がいたのでびっくり。
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大社神社。
神社の周辺は白壁の石垣になっていた。
鳥居の左手に楠の大木があった。樹齢300年以上ということで幹に触ってパワーをいただきました。
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御油の松並木資料館。
御油宿に関する展示がいっぱい。宿場の様子がジオラマで示されていました。また古文書や生活道具もありかなり見ごたえがありました。
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御油の松並木。
御油と赤坂の間、約600m、約300本が自然体で生えていました。
舞坂の松並木は人の手が十分入りお行儀がよかった。
こちらは、皆、自由な感じがイイネ!
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大橋屋。
創業は江戸時代の中ごろで広重の「東海道五十三次・赤坂宿舎招婦図」のモデルになったこと。芭蕉も宿泊して句を読んだとも。元の屋号は「伊右ェ門鯉屋」等々。
部屋は変則的な作りで畳や障子戸は今のように一律の寸法ではなかった。そういえば宿中央の屋根の柱そばには創業以来中身を見たことがない米俵が見え、これは300年間、誰も中を見ていないようです。夢がありますね。まちがいなく、赤坂宿の佇まいを今に伝える老舗なのです。
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大橋屋の中庭に六角形の中台の左右各面に「走り獅子」の装飾を持つ花崗岩でできた南北朝時代の石灯籠がありました。長年風雪に耐えてスゴイ!
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新東名の駿河湾沼津SA(上り)。
とってもキレイ!地中海の港町のイメージの外観。女性客を狙っている感じ。
今回は時間がなくゆっくり見られず残念。また次回に期待します。
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posted by yunofumi at 00:50| 東海道五十三次ウォーク