2012年11月25日

2012.11.24 東海道五十三次 第22宿 藤枝

渋谷⇒海老名SA⇒藤枝IC⇒五智如来⇒岡部宿松並木⇒岩村藩傍示杭跡
⇒横内あげん台⇒朝比奈川・横内橋⇒従是西田中領傍示石蹟⇒広幡交番⇒鬼島一里塚⇒葉梨川・八幡橋⇒須賀神社・クスの木⇒藤枝宿⇒鬼島立場跡⇒田中城下屋敷(昼食)⇒西益津小学校・月の砂漠の歌碑・田中城本丸跡⇒田中城二之堀⇒藤枝成田山、おたすけ観音、水かけ不動尊⇒左車神社⇒サッカー最中・府中屋⇒問屋場跡⇒白子名店街⇒白子由来記の碑⇒熊谷山蓮生寺、蓮生寺のイブキ⇒藤枝だるまや⇒大慶寺、久遠の松⇒おたけせんべい本舗⇒下本陣跡⇒上本陣跡⇒上伝馬問屋場跡⇒正定寺、本願の松⇒瀬戸川・勝草橋⇒志太一里塚蹟、常夜燈⇒田中藩領傍示石蹟⇒六地蔵尊⇒古東海道蹟⇒東海道追分⇒千貫堤⇒瀬戸染飯伝承館⇒足柄SA⇒海老名SA⇒渋谷

お久しぶりの東海道ウォークです。
張り切って8:00に渋谷集合。
すぐにバスは出発。

藤枝といえばサッカー。
この街での歴史は、大正13年(1924年)から。
当時の静岡県立志太中学校(現在の県立藤枝東高校)が創立され、初代校長の錦織兵三郎先生により「蹴球(しゅうきゅう)」=サッカーが校技として取り入れられたのが最初。
今はサッカーの街、藤枝ということでJリーガーも沢山排出。
ちょっとネットで見ると、長谷部誠、村松大輔、中山雅史、山田大記、碓井健平、赤星貴文、成岡翔、大井健太郎、金澤大将、佐賀一平、三上明紀、山田暢久、岡田隆、岡田佑樹、その他まだまだいるようです。びっくり。
恐るべし、藤枝東高校です。そして何と市民にもサッカーが盛んなようで、年代別でユニフォームの色が決まっているという話も聞きました。面白いですね。

もうひとつ、藤枝には田中城があった。
この城は約500年前に築城。同心円の珍しいお城で別名亀城。
今は下屋敷跡があった。
城主が次々変わっても皆さん出世されるので出世城ともいうようです。
そうそう、徳川家康の死因とも言われている鯛の天ぷらを食した場所がこの田中城とのことでした。
またお城跡は西益津小学校とのこと。
この小学校には子供たちが作った「田中城のミニチュア城郭」がありました。
また正門のところにこの学校出身の叙情詩人・叙情画家の加藤まさをさんの「月の沙漠」の歌碑もありました。

そして今回の目玉は名木4本。
@ 須賀神社のクスの木--樹齢約500年-樹高23.7m・根周15.2m・枝張東西21.2m南北27.9m。とにかく雄大!A蓮生寺のイブキ---ビャクシンのこと。樹齢約700年、樹高6.8m・根周1.65m・目通1.55m・枝張東西7m南北7m 枝張りがすごい!B大慶寺の久遠の松---黒松で樹齢700年、樹高25m・根周7m・枝張2m 黒松だが異様に大きい。寺の塀越しに見た姿がまた美しい。C正定寺の本願の松−1730年田中城主土肥丹後守頼稔が、大阪城代に登用された報恩として寄進された松。樹高6.3m・根周3m・目通3m・枝張東西11.5m南北14m 枝の張りがすごくて沢山支えがしてありました。

本日のウォーキングは平らな道でしたが見所がいっぱいで結構忙しかった。
歩程11kmでしたが帰路のバスは例によって大渋滞。
結局、自宅には22時すぎに到着。万歩計は25000歩。
久しぶりの五十三次でしたが天候にも恵まれ大満足でした。
いよいよこの先は1泊2日のスケジュールがはじまります。
またボチボチがんばります。


横内あげん台。
あげん台は孟宗竹の上部を割って籠を作り、その中に燃えやすい松葉や麦わら竹の筒などをいれて松明のように火を燃やすもの。毎年、精霊送りの行事で使われるようです。
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藤枝だるまは江戸時代から続く土人形。
両びん(髪)が8の字に描かれていることで「耳付き」だるまといわれるようにまるで耳飾りをつけているみたいでした。
小泉八雲の小説『乙吉の達磨』のなかにも書かれているとのことでした。
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昼食は瀬戸の染飯(そめいい)のお弁当。
もち米にくちなしを混ぜ込んで炊き上げたものをおにぎりにしてあります。
真っ黄色で餅持ちしていて美味しい!
戦国時代は乾燥させたのもあったようです。
今日はおかずもたっぷりですっかり満腹になりました。
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お土産はサッカー最中。
サッカーで有名な藤枝なので第24回国体サッカー開催地となったことを記念してサッカーエース最中をフォンテーヌ府中屋さんが考案したようです。
包装をはずすとサッカーボールの模様つきの真ん丸な最中でした。
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posted by yunofumi at 23:05| 東海道五十三次ウォーク