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乗運寺、千本松原に尽力した増誉上人が1580年に開基。
この上人は北条氏と武田勝頼の合戦で伐採された松原のために潮害に苦しむ農民を救うべく松原を復旧した方。本当に千本はあるのではないかと思ったほどの松林でした。
若山牧水も千本松の保存に尽力した縁でここに夫人ともども墓所があった。
祥雲寺はちょうどお祭りだった。
東司には鳥枢沙摩明王の説明があり日々の不浄を清める火の神様と。
そして便座を模した石と呪文が示されていました。
松蔭寺は白隠禅師のゆかりのお寺。
白隠は1717年に松蔭寺の住職となった名僧。
「駿河に過ぎたるものがふたつあり、富士のお山に原の白隠」といわれたとのこと。
山門は石の屋根で地元から切り出した石を瓦のようにして108枚で出来ている。すごく重そうだった。
摺鉢松は折れた松のてっぺんにすり鉢がのったもの。初代の松は枯れて現在は新しいもの。「白隠禅師の墓」のJR線よりに「白隠禅師塔所」があった。これは真珠王御木本幸吉が列車からも白隠禅師のお墓の目印に寄贈したとのことです。
本日の歩程10km、約2万歩超。
今日は一度も富士山が見えなかったのが残念。
でも終わってみれば以外に元気。
最後の10分はちょっと小雨に会いました。
でも全体として、天候は晴れ時々曇り、微風もありとてもよい気持ちで過ごした1日でした。
平坦な道でこのくらいの距離はまあ歩けるようになった!と実感しております。
今日も楽しかった!感謝!
乗運寺の本殿

千本松原にある増誉上人像

田子の浦海岸から望むはずだった富士山は雲隠れ

祥雲寺の東司では呪文の「オン・クロダナ・ウンジャク・ソワカ」を唱えながら石の便座に座りました

「白隠禅師の墓」が分かるように作られた「白隠禅師塔所」

松のてっぺんにすり鉢がのった摺鉢松。初代の松は枯れて現在は新しいもの。
