2022年05月08日

2022.5.1 さいたま新発見 ぶらり街あるき 東松山市

東松山市は「花とウォーキングのまち」として長年売り出し中!
有名なのは国内一番の「スリーデーマーチ」。これは11月に行われる3日間のウォーキング大会で5km、10km、20km、30km、40km、50kmのコースがあります。私は本年参加すれば8回目となります。私はほとんど10kmコースばかりですがそれでも3日間連続で、しかも天候は晴ればかりではありませんからそれなりに大変なのです。
ということで本日は朝10:00曇天ですが喜多見先生、TD小松さんと共に22名が元気にスタートしました。

東武東上線東松山駅⇒箭弓稲荷神社⇒箭弓稲荷神社牡丹園⇒第250号踏切道⇒まるひろ東松山店⇒やきとりひびき⇒松葉町商栄会⇒東松山松葉町郵便局⇒松山陣屋跡⇒市立松山小学校⇒県立松山高校⇒日吉神社⇒小松原町⇒藤川(昼食)⇒加美町バス停⇒松山神社⇒上沼公園⇒八雲神社⇒松山町道路元標⇒津乃園⇒ウォーキングセンター⇒松山城跡⇒岩室観音⇒吉見百穴⇒吉見百穴バス停⇒東松山駅

東武東上線は池袋から寄居までの39駅あります。私は上福岡駅が地元でこれは各駅しか停車しません。隣のふじみ野駅や下りの方では川越駅が急行その他の列車が停車しますのでほどほどに便利な所に住んでいます。
東松山駅は1923年(大正12年)10月、東上線坂戸町 - 武州松山間開通の際に武州松山駅として開業。所在地が当時は比企郡松山町であり、愛媛県松山市の伊予鉄道松山駅(現・松山市駅]との混同を避けるため、武蔵国を意味する「武州」を冠したとのことです。1954年(昭和29年)10月東松山市発足により東松山駅に改称したようです。
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レンガ造りの町並みをイメージしたという東松山駅駅舎は東松山市がオランダヘルダーラント州・ナイメーヘン市と姉妹都市提携していることから、レンガ造りの町並みをイメージし、鐘の時計台はレンガの街並みに合う ナイメーヘン市のイメージでもあります。 

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すぐ目の前に大鳥居が出現。これですぐそばに箭弓稲荷神社があることが分かります。
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箭弓稲荷神社の創建は、712年(和銅5年)。平安時代の中頃、下総の国(千葉県と茨城県の一部)の城主平忠常が謀反を起こし、またたく間に近隣諸国を切り従え、ついにその威を関八州にふるい、大群をもって武蔵の国(埼玉県と東京都・神奈川県の一部)川越まで押し寄せてきたので朝廷は、武門の誉れ高き武将源頼信を忠常追討の任に当たらせ、当地野久ヶ原に本陣を張り、頼信が野久稲荷神社に夜を徹して戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲がにわかに現れ、頼信は、これぞ神のご加護と奮いたち、三日三晩にわたる激戦も、神を信じ戦う頼信軍が勝利したのです。その後頼信は、この勝利はご神威、ご神徳によるものだとして、社殿の建て替えや野久稲荷を箭弓稲荷と改めたのです。現在も大小百あまりの講社があり、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神であるとともに、交通安全、厄除、火難除、開運、学業成就、芸能向上等の祈願社として信仰を集めているようです。
拝殿は、豪壮な権現造りで、1835年(天保6年)に造営されたもの。あらゆるところに彫刻が施され、目貫龍、三条小鍛冶、鳳凰などとても見ごたえがありました。
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境内には立派な神楽殿もあり本日は天岩戸が開かれる神楽が奉納されていました。
なお、境内のぼたん園では、藤やつつじが咲き、目を楽しませてくれました。
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巨大御朱印スタンプがありました。
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絵馬はバットやホームベースの形がありました。
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東松山市といえばやきとり。豚のカシラ肉を炭火でじっくり焼いたもので、辛味の効いた「みそだれ」をつけて食べるようです。東松山駅を中心に、約50軒のお店で食べることができ、子どもから大人まで、大人気の味覚とのことですが、特にビールとの相性は抜群だそうです。

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前橋藩が領地管理のために設置したのが松山陣屋。1749年(寛延2年)、前橋藩の居城である前橋城(現在の群馬県前橋市)が利根川の度重なる氾濫によって破壊が進み、ついに本丸が崩壊する危機にさらされ、前橋藩主・松平朝矩は再建を目指しますが、財政難のため1767年(明和4年)、再建を諦めて居城・藩庁を川越に移したのです。それから100年後の1867年(慶応3年)、藩主・松平直克は、前橋城の再建と帰城を幕府に願い出て前橋藩が再立藩。こうして藩主が前橋に戻ると、武蔵国には比企郡を中心に約6万2千石の領地が飛び地として残ってしまい、これを管理するために、1867年(慶応3年)、前橋藩松山陣屋が置かれたのでした。
 
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埼玉県立松山高校は1922年設立の旧制中学を前身とする男子校。通称「松高(まつこう)」。文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール指定校で旧制松山中学校時代を含めた卒業生は2万人超。大正時代の旧校舎(旧埼玉県立松山中学校校舎)を移築した国の登録有形文化財である松山高校記念館がシンボルですが本日お化粧直しのためみられませんでした。

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日吉町は、江戸時代の中ごろに、染色に関係した職人が住み着くようになったことから発展したようです。この神社は、神仏分離まで境内の西隣にあった天台宗の真福寺も守り神として勧請され、それが日吉町に住み着くようになった人々によって町内の守護神として護持されるようになったものでしょうといわれていようです。当社は元来は「山王大権現」と称していたが、明治に入ると神仏分離によって真福寺の管理を離れると同時に、社号を現状の日枝神社に改めたがしかし、改称の後も住民の間では「山王様」の通称で呼ばれることの方が多く、現在でもなお、「日吉町の山王様」として市民に知られているのです。

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和食のお店藤川で昼食。焼き鳥丼のようでしたが「山賊丼」というようです。かなりピリッと辛みが効いていました。
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松山神社は元々、旧松山宿の総鎮守として、1063年(康平6年)に大宮氷川神社を勧請して創建したその後の改名なのです。境内には末社の大鳥神社・浅間神社があります。市街地に位置しながら、神社の周りにはカシ・モミ・イヌシデなどたくさんの樹木があり、これらの木々全体が松山神社の杜として市の名木に認定されています。拝殿には見事な彫刻が施されていました。

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近隣の上沼公園とともに散策の場として市民に親しまれています。

八雲神社の社殿は大きな覆いがありました。間口2.7m 奥行き3.6m単層切妻、正面軒は唐破風、その下が千鳥破風でした。そして周囲の彫刻は花鳥、竜、唐獅子など見事なのです。説明板によると安政6年に彫工飯田仙之助とその弟子たちで作成されたようでした。
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道路元標は道路の起点と終点を示すものです。東松山では道路元票が松山町と野本町でみつかっているようです。ここにあるのは本町1丁目にあったのを移設したとのことです。

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東松山市ウォーキングセンターは、歩く人たちの中心施設としての機能をもち、自然に対する理解を深めていただくためにつくられ、ウォーキングについての様々な活動をしているとのことです。「ふるさと自然のみち」や「ウォーキングトレイル」を活用しながら、自然について学ぶ機会を提供し、環境保全への理解を図ること、ウォーキングや自然学習のリーダーの育成と共に様々なイベントのプランがありました。さすが、スリ−デーマーチを長く開催している土地柄です。
そういえばスルーデーマーチは1978年(昭和53年)群馬県で第1回開催、その後第3回から東松山での開催となり、令和3年から、第44回はコロナ禍で限定的なものだったとのこと。どうやら本年の第45回は11月4・5・6日に記念大会として開催の準備がはじまっているとの情報もここで手にいれました。いつも参加する私は楽しみです。

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松山城跡は”松山合戦で知られる難攻不落の城の跡”です。松山城は比企丘陵の先端に建てられた平山城。ふもとを流れる市野川を天然の堀として利用し、その天然の要害から不落城とも言われていました。戦国時代には上杉謙信、武田信玄、小田原北条氏などの名将が激しい攻防を繰り広げたのです。西側の市野川をはさんで対岸にあたる比企郡の松山本郷(現在の東松山市)は平地になっており、城下町が形成されていたとのことです。
本日は午後かなりの雨が降り足元が危ないので見に行かずでした。

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岩をうがって観音像をまつったところから岩室観音堂というのです。こちらは龍性院の境外仏堂とのこと。この観音のはじまりは弘仁年中(810〜824年)。松山城主が代々信仰し護持していましたが、1590年(天正18年)松山城の攻防戦の際に兵火にあって当時のお堂は焼失。現在のお堂は、江戸時代の寛文年間(1661〜1673年)に龍性院第三世堯音が近郷近在の信者の助力を得て再建したものとのことです。
お堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしては大変めずらしいようです。

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吉見百穴は古墳時代の末期(6世紀末〜7世紀末)に造られた横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定されています。吉見町を代表する史跡で、現在確認できる横穴の数は219基とのこと。各横穴は玄室・羨道の2部分からなり、その一部には天然記念物のヒカリゴケも自生していると伺いました。

本日は午後雨がかなり降り、松山城跡や吉見百穴は細かく見られませんでしたがお土産はしっかりとゲット。本日の埼玉の逸品は東松山の名菓富久屋の「松ぼっくり」。その他は百穴の高橋売店で購入。いずれにしても雨が降ると資料館も含め細かく見ることが出来ません。今年はまたスリーデーマーチで立ち寄ると思うのでまずは“良し”としました。
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今日はあいにく午後雨が降り、気温13℃と低め、ということで吉見百穴からバスで東松山駅まで出て東上線で帰宅。それでも2万歩の行程はまずまず。次は越谷市、幸手市、秩父市と予定を入れていますからまた頑張ります。
posted by yunofumi at 18:47| あちこちウォーク