2022年01月31日

2022.1.23 さいたま彩発見ぶらり街あるき 三郷市

三郷市は、埼玉県の東南端にあり、都心から約15km、秋葉原まで20分で行けるそうです。市内は東西5.6km、南北9.5km、地形はほとんどまっ平。もともとは関東平野の江戸川と中川に沿った沖積平野とのこと。三郷市になって早や50年で市内にはラッピングしたバスが走っていました。今日はお正月が終わりましたが三郷七福神めぐりも兼ねたウォーキングとなります。

JR武蔵野線新三郷駅⇒新三郷ララシティ⇒みさと団地⇒三郷工業技術高校⇒二郷半領用水路⇒自然派レストラン蕎麦旬⇒玉蔵院(弁財天)⇒蜜蔵院⇒三郷市立彦成小学校記念講堂⇒延命院(寿老人)⇒東光院(毘沙門天)⇒香取神社⇒善照院(布帯尊)⇒上口公園⇒番匠免神社⇒迎摂院(弁財天)⇒三郷市消防団第五分団第3班⇒御菓司匠観音どら焼き饅頭屋⇒円能寺(福禄寿)⇒花和田児童公園⇒西善寺(大黒天)⇒成就院(恵比寿)⇒JR武蔵野線三郷駅

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JR武蔵野線新三郷駅は1985年に旧国鉄の駅として開業。その頃は武蔵野操車場を挟む形で、上下線のホームが360mも離れて設置されており、ギネス世界記録に「世界一ホームが離れている駅」として掲載されたこともあったそうです。この武蔵野操車場1986年に廃止され今は上下ホームも統合され普通の駅となっていました。そして武蔵野操車場跡は新三郷ららシティとなり、「ららぽーと新三郷」、「 IKEA新三郷」、「コストコ」などの大型商業施設が堂々とありました。いずれも特徴のある施設ですから休日などは遠くから買い物客が集まるようです。

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みさと団地はもと日本住宅公団(現・UR都市機構)により建設され、1973年(昭和48年)4月より第一次入居開始、続いて1974年(昭和49年)12月に第二次入居開始。総住宅戸数は9,867戸で、ピーク時には2万3千人の人口を擁する国内有数のマンモス団地となったのです。初めから低層と高層の2ブロックで構成されているとのことです。

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二郷半領用水路(にごうはんりょうようすいろ)は、吉川市、三郷市、北葛飾郡松伏町東部地域の灌漑の為に整備された用水路。元々、水路の歴史は古く、寛永年間に開削された用水路で、現在の東京都葛飾区地内の葛西領が利根川に水源を求め水路を整備した際に、松伏溜井から15km下流の小合溜井まで送水するために整備された水路だそうです。この地域は早場米の産地でもあったのですが、元々中川低地に位置しているため、たびたび水害にも悩まされていたこともあり、戦前・戦後を通じて幾多の灌漑排水事業を行い良質な穀倉地帯となったのです。
現在、松伏町大字松伏の二郷半領揚水機場にて大落古利根川の松伏溜井から、また水量補給の為、三郷市彦川戸の二郷半領中川揚水機場にて中川より取水を行っているとのことでした。

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自然派レストラン蕎麦旬は和食と本格手打ち蕎麦のお店でした。こだわりの食材を使った本格派の蕎麦をメインにした会席膳が味わえる一軒家のレストラン。まずは吟味した石臼引きのそば粉を店内で製麺し、打ち立て.茹でたての十割蕎麦をいただきました。またそばつゆは昆布 かつお さば他でだしを取り、県内.老舗の醬油で作ったかえしを使ったものとのことでした。お膳の作り方は京風でちょっとおしゃれでした。ということでまた来たいお店になりました。
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玉蔵院(ぎょくぞういん)(弁財天)
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玉蔵院は、山号を北野山玉蔵院と称し、真言宗豊山派に属します。江戸高田(現在の東京都湯島)の根生院の隠居寺として、1606年(慶長11年)建立されたといわれ、開祖は祐堅和尚とのこと。本尊の阿弥陀如来は、平安末期の作で一木造の仏像。弁財天も含め本堂も閉じられており、境内を見るだけでした。

三郷市立彦成小学校記念講堂
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この小学校は明治6年に開校。記念講堂は 1926年(大正15年)に建てられ現在郷土資料館分館でとなっていました。
講堂は2016年に大正時代の貴重な木造建築物ということで復元されたのです。 郷土資料館では、農具や農家の暮らしに関わる資料など、地域の歴史について展示しているようです。本日は内部を見られませんでしたが特徴としては天井に蝶(ちょう)・菖蒲(しょうぶ)・鳳凰(ほうおう)の透(す)かし彫(ぼ)りが二か所あること。「折上(おりあ)げ」という手法で壁と天井の境目はカーブを描く造りになっていること、外から見ると 両開きの鎧戸風(よろいどふう)の装飾窓が見えました。そして玄関ポーチを支える二本の柱は建物の外観の中でも特に装飾的で、柱は四本の角柱が半円形の柱を挟むような形に組まれており、半円形の柱材には西洋建築に見られる筋彫(すじぼ)りという装飾がほどこされているようでした。

延命院(えんめいいん)(寿老人)
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延命院は、明星山如意寺延命院と号し、真言宗豊山派の寺で、1570年頃(元亀年間)に俊秀和尚が開山したということです。本尊は不動明王。境内にある虚空蔵堂(こくぞうどう)は、虚空蔵菩薩が1486年(文明18年)に古刀禰川(現在の中川)に出現したので、村民がお堂を造ってこれを安置したのが始まりとのことです。
境内には様々な大きさの力石がありました。
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また本堂にあった寿老人がご住職の好意で拝顔できました。
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東光院(とうこういん)(毘沙門天)
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真言宗豊山派寺院の東光院は、荒神山薬師寺と号します。東光院の創建年代は不詳。上口香取神社の別当を勤めていたといいます。境内に三郷七福神(彦成めぐり)の毘沙門天がありました。
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善照院(ぜんしょういん)(布帯尊)
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真言宗豊山派寺院の善照寺は、神霊山と号します。善照寺は、1558年ころ(永禄年間)の創建。
境内の布袋尊と埼玉県のHPにあったコバトン布袋尊を並べて記念撮影です。
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番匠免神社
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番匠免神明神社は、延元元年(1336)の春に創建。明治6年村社に列格、明治40年には村内の稲荷社を合祀したようです。
この神社は、中川左岸の自然堤防上に広がる農業地域である番匠免にありました。番匠とは大工の古称で、地名の由来については、このあたりが番匠の免田(税を免除された田)であったことによるという説と、古くは「番匠面」とも書いたようで、当地に優れた面を作る番匠がいたことによるとする説があるとうかがいました。

迎摂院(こうしょういん)(弁財天)
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迎攝院は、真言宗豊山派に属し、山号を彦峯山観音寺。ご本尊は不動明王。1596年ころ(慶長年間)に祐貞によって中興され、このとき現在の真言宗豊山派に改宗したということです。この寺の観音堂は室町時代の創設と推定され、三郷市最古の建造物といわれているようですが本日は固く扉が閉まっていました。

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御菓司匠饅頭屋は大正2年創業の三郷市の篠田製菓饅頭屋とのこと。目玉商品は「観音どら焼き」「三郷インター最中」とのことでした。
「三郷インター最中」は本日の逸品でいただき、「観音どら焼き」は我が家のお土産にしました。
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円能寺(えんのうじ)(福禄寿)
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円能寺は、真言宗豊山派に属するお寺で、悲願山正連院円能寺と称している。本尊は不動明王。
当院は、武田信玄の家臣の田中修理という人が、1582年(天正10年)の武田氏の滅亡後まもなくこの地に来たときに、携帯してきた不動明王立像を本尊として建立したと伝えられている。
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境内には、かつて松の大木があって、明治維新のときの上野の戦いに破れた兵士が追われてきたとき、この松の木に登って身を隠したことにより、助かったという言い伝えがある。それからこの松を「忍者の松」とか「人助けの松」と称して、信仰の対象になっていたということでした。

西善寺(さいぜんいん)(大黒天)
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西善院のご本尊は阿弥陀如来立像。像高90p、かや材寄木造、制作年代は鎌倉時代とのこと。この地区花和田周辺に人が住み始めたのは室町時代、西善院が建てられたのが1600年頃(江戸時代慶長年間)、現在まで西善院の代々の人々によって受け継がれてきました。

成就院(じょうじゅういん)(恵比寿)
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成就院は、神谷山谷口不動尊成就院と号し、真言宗醍醐派の寺で、本尊は不動明王。
寺伝によると、この不動明王は、最初は下総国小金領大谷口城主(現在の千葉県松戸市)が本尊として供養していたもので、天正十八年(一五九〇)に落城した時、家臣の神谷安右衛門が密かに持ち出した。その後、この神谷氏から分家に出た者が当地に移住し本尊としてこの不動明王を供養していたと伝えられる。ある時、不動明王が主人の神谷安兵衛(安右衛門の子孫)の夢まくらに立ち、「村人の願いごとは何でも聞き届けるから、人々にこれを伝えなさい。」と教えた。そこで安兵衛は僧となり、明治初年に一堂を建立し、成田山新勝寺において不動明王の開眼供養をして当堂に安置した。
以来、厄除け、災難除けなど何でも願いごとを聞き届けてくれる霊験あらたかなありがたい不動様であると伝えられ、今日もなお近郷近在の老若男女の信仰の的になっている。

三郷市にはJR武蔵野線の駅として今朝到着した新三郷駅と今到着した三郷駅、それにつくばエキスプレスの三郷中央駅があります。この三郷駅は1973年(昭和48年)国鉄の駅として開業。開業当初に自動改集札機が試験設置された駅でもあります。1992年(平成4年)にはみどりの窓口も開始されましたからそれなりに混雑していたようです。しかしいまは新三郷駅や三郷中央駅が繁盛しており少し地味になってきているようです。
本日は七福神をめぐるウォーキングのはずでしたがお正月が終わっており各々の神様がほとんど見られませんでした。ということでここで整理しておきます。
まず七福神とは室町時代末期から生まれた福の神信仰なのです。埼玉県で有名なのは草加宿・武州与野・越渡川越が有名です。私はこの3つはすでに巡っておりますまた今回の三郷は3つの地区に七福人めぐりがあるそうで、今日は彦成地区七福神めぐりでした。
七福神は恵比寿(えびす)、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)です。以下にざっと概略を示します。
恵比寿(えびす)=日本の神様、漁業の神様、烏帽子帽をかぶり釣竿と鯛を持っています。
大黒天(だいこくてん)=元々はインドのヒンズー教の神様仏法の守護神、打ち出の小槌と大きな袋を持ち米俵の上に載っている、食物・財福の神様。
毘沙門天(びしゃもんてん)=元々インドのヒンズー教の神様、仏教では多聞天という神様、武神・守護神で甲冑を身に着け矛と宝塔を持ち邪鬼を踏んでいる。インドでは財宝の神様。
弁財天(べんざいてん)=女性の神様、琵琶を奏で音楽、弁才、財福をつかさどる神様。
布袋尊(ほていそん)=中国の実在した人物、大きな袋を持って諸国を放浪した方、平和和合、金運招福の神様。
福禄寿(ふくろくじゅ)=中国の同郷の神様の化身、道教の三徳(幸福・封禄・長寿)を具現化した神様、長い頭と長い白髭、杖を突き鶴屋亀を連れている。
寿老人(じゅろうじん)=中国の神様の化身、白髭のおじいさん、長寿のシンボルの桃や鹿を伴っている仙人で長寿、諸病平癒の福の神。
もうひとつ三郷には彦のつく地名が多いと伺いました。「彦」は男の子の名前につくことはよく知っていました。そして三郷には11の彦のつく地名があったのです。ちなみに上彦川戸・上彦名・下彦川戸・彦糸・彦江・彦音・彦川戸・彦倉・彦沢・彦成・彦野です。そしてこれらの地名がある所の立地をみると中川沿いに集中しており、沢や川、江など水に関する字も多いのです。そして調べてみると「彦ってのは古代の方言でヒクのこと。ヒクとは川沿いに堆積した土砂で出来た自然堤防のこと。肥沃な土に人が集まって出来た集落に、彦の字つかったとネットも駆使してわかりました。面白いですね。

ということで本日のウォーキングを終了。喜多見先生の先導で小松TDが後ろを固め、曇天で寒かったですが本日も18名が無事に元気に約19000歩の歩程を無事を終えました。
皆様、来月の次回は三郷市のお隣の八潮市です。またお会いしましょう。
posted by yunofumi at 14:50| あちこちウォーク