2021年11月10日

2021.114 古地図めぐり 浅草橋・両国・錦糸町あたりー午前の部

JR浅草橋駅東口⇒銀杏岡八神社⇒柳橋2丁目⇒元祖つくだ煮鮒佐本店⇒須賀神社⇒閻魔同跡⇒須賀橋交番前信号⇒旧浅草蔵前町名案内板⇒天文台跡⇒蔵前1丁目信号⇒且R縣商店⇒かじ取稲荷神社⇒蔵前工業高校⇒東京都下水道局⇒浅草御蔵跡⇒すみだテラス⇒北斎首尾の松の碇舟椎木の夕蝉⇒首尾の松⇒くらまえ橋郵便局⇒御蔵前公園⇒榊神社⇒東京工業大学⇒江戸そば蕎麦手打處 ここまで午前の部

これより午後の部 江戸そば蕎麦手打處⇒松根屋せんす⇒人形専門店久月⇒吉徳の人形⇒鳴門鯛焼本舗⇒浅草見附け跡⇒旧浅草橋⇒両国郵便局⇒初音森神社⇒柳橋⇒明暦の大火石碑⇒両国橋⇒⇒山クジラ⇒両国花火資料館⇒回向院⇒吉良邸裏門⇒本所松坂町公園⇒吉良邸表門⇒大川屋⇒勝海舟公園⇒両国小学校・芥川龍之介文学碑⇒両緑敬神⇒椿稲荷神社・北斎居住地跡⇒東京東信用金庫両国支店(ひがしん)⇒江戸東京博物館⇒八角部屋⇒野見宿弥神社⇒松花橋跡⇒千歳橋跡⇒若葉橋跡⇒堅川中学校⇒効率本所小学校跡・勝海舟居住地⇒江東橋保育園⇒津軽稲荷神社⇒スカイツリー⇒JR錦糸町駅

ここではまず午前の部の記事を書くことにいたします。

JR浅草橋駅は台東区の駅で最も南にある駅でJR東日本の運転系統は中央・総武線各駅停車と、都営地下鉄の浅草線が乗り入れ、接続駅となっている駅。

銀杏岡八幡神社(いちょうがおかはちまんじんじゃ)。
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浅草橋駅のすぐそばにありました。その昔、源義家公が奥州征伐の際にこの場所で休憩中に川上より銀杏の枝が流れてきたのでその枝を丘の上にさし立て「朝敵退治のあかつきには枝葉栄うべし」と祈願したそうです。そして奥州平定の後再びこの地に帰った時、銀杏が大きく繁茂していたので公は神恩に感謝し太刀一振を捧げ、八幡宮を勧請したのが1062年(康平5年)とのことでした。

元祖つくだ煮鮒佐本店。
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鮒佐は、1862年(文久2年)に創業。159年の伝統を持つ佃煮の製造・販売の老舗。 鮒佐の名は、創業者である初代 大野佐吉が、醤油で『鮒』を付け焼きした「鮒のすずめ焼」を商っていた事と、佐吉の名前の『佐』に由来するとのことで、いまでは『鮒佐』が『佃煮の元祖』といわれているようです。

須賀神社。
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ご祭神は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)。創建は601年(推古天皇9年)とのこと。この当時、この辺りで疫病が流行し、困った人々が牛頭天王(ごずてんのう)に病気平癒を祈ったところ、疫病が快気したことで当地に祠が創建されたということでした。江戸時代には「祇園社」「蔵前牛頭天王」「団子天王」「笹団子天王」などと称され、明治時代に「須賀神社」へと改名されたのです。社殿は関東大震災と第二次世界大戦で焼失しその後再建され、現在の社殿は昭和36年に造営された鉄筋コンクリートのものとなります。

閻魔堂(えんまどう)跡。
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閻魔堂石碑は須賀神社のそば、江戸時代の華徳院のご本尊だった閻魔堂のことのようです。華徳院は今では杉並に移転したのでこの石碑が残っているようです。

天文台跡。
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浅草天文台跡は、1782年(天明2年)に牛込藁店(現、新宿区袋町)から移転、新築された江戸幕府の役所機関「天文方」の施設「頒暦所御用屋敷」のことで、1869年(明治2年)に廃止されるまで、暦を作るための天体観測などが行われていた所。日本地図を徒歩で測量した伊能忠敬もここに通っていたということでした。

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楫取稲荷神社(かじとりいなりじんじゃ)は江戸幕府米倉造営用の石材を船で運搬する際の遭難を避けることを祈願して創建された神社とのことです。

東京都下水道局がありました。ここには蔵前水の館という見学場所があるようですが今はコロナ禍で非公開でした。

浅草御蔵跡石碑。
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浅草御蔵は、江戸幕府が全国に散在する直轄地(天領)から年貢米や買い上げ 米などを収納・保管した江戸最大の米蔵。 その敷地は、今の蔵前橋を中心に柳橋 2 丁目4番から厩橋手前に至る一帯の約 12万uもの広さでした。酒田からの幕府直轄領の米もここに運ばれ たのです。 隅田川岸の北から順に一番掘りから八番堀まで串のように堀が掘られ、弘化年 間(1844〜48)には、67棟356戸前(とまえ)の蔵が立ち並び、30 〜40万石の米が出入りしていたということです。ここで収納された米は旗本・御家 人への支給米や、幕府の非常備蓄米で勘定奉行支配下にあったのです。 御蔵の8筋の掘割は大正初期まであったがその後、護岸工事のため埋められ、蔵前一帯に当時の面影はほとんど残っていないのです。

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隅田川テラスに設置された、北斎の「首尾松の鉤舟 椎木の夕蝉」。御厩河岸上流の浅草川は禁漁(殺生厳禁)とされていたので、御蔵前は釣りの名所でもあったようです。
これが現在の「首尾の松」。
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榊神社【第六天榊神社】。
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景行天皇の御宇四十年(110)日本武尊が、勅命により東国の鎮定に下向の折この地に国土創成の祖神である皇祖二柱の神を鎮祭し、自ら奉持した白銅の宝鏡を納め国歌鎮護の神宮としたとのこと。古来より「第六天神宮」と称され公武衆庶の崇敬を受けてきた。明治6年榊神社と改称したのです。
浅草文庫跡碑が榊神社の境内にありました。明治の初めには浅草文庫と言われる国立の図書館があり、当時の太政大臣三条実美の筆による浅草文庫の朱印が押された蔵書が公開されたていたのです。その書物は今、国立国会図書館等にあるようです。
またこの境内には「蔵前工業学園之蹟」と刻まれた大きな石碑と碑文の説明板がありました。
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この地は1881年(明治14年)に「東京職工学校」が開設され、1890年(明治23年)に「東京工業学校」、1901年(明治34年)には「東京高等工業学校」と改称した。1923年(大正12年)関東大震災により施設の大半を焼失したため目黒区大岡山に移転。1929年(昭和4年)に現在の「東京工業大学」となったのです。

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江戸蕎麦手打處「あさだ」は創業 江戸安政元年。その昔、中野で穀物商を営んでいた 初代・浅田甚右衛門がこの地に手打蕎麦屋を開いて150余年で現在、江戸前の伝統技術と心意気を受け継ぎ続けて八代目となりました。蕎麦粉は、主に北海道・茨城・福井の純国産の蕎麦の実。新蕎麦の時期には一年分の玄蕎麦を仕入れ、真空保存で鮮度を維持するように努めています。あさだの蕎麦は、毎朝石臼で挽き立ての粉を用いた、「練り・延し・切り」の全ての行程を手作業で行う、つなぎを一切加えない手打ちの十割蕎麦。ということでおいしくいただきました。
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ということで本日の午前の部を終了。約1時間の食事の後、午後の部に再び出発しました。
次回の記事もお楽しみに!!
posted by yunofumi at 20:44| あちこちウォーク