南与野駅(みなみよのえき)は、埼京線の駅。、埼京線は大崎駅から新宿駅、池袋駅、赤羽駅、武蔵浦和駅を経由し、大宮駅までを直通運転しています。常日頃は乗りなれていない路線なので列車のスピードがとても早く感じました。1985年開業の駅ですがまだまだ乗客は少なそうでした。東口前には広々とした鈴谷東公園がありました。
桜区はさいたま市の南西にあり、荒川を渡れば志木市などに接しています。ということでこの区のシンボルのサクラソウを訪ねるウォーキングとなりそうです。
まずは南与野駅から埼玉大学まで路線バスで移動。
埼玉大学は国立の大学。官立浦和高等学校、埼玉青年師範学校、埼玉師範学校を統合し1949年国立大学として設置されたとのことです。現在は5学部(教養・教育・経済・理・工)、3大学院研究科(人文社会科学・教育学・理工学)を有する総合大学で、埼玉県で唯一の国立大学。ノーベル賞の梶田 隆章(かじた たかあき)先生はこちらの卒業生とのことです。
大久保領家公園を通り過ぎると大久保日枝神社がありました。
この社は大山咋命を祭神としており地元では「領家の山王様」と呼ばれており、お産の神様としてして知られているのです。妊婦が安産を願ってお参りしその後、無事出産を終えると、母親は自分の頭髪を一房切って神前に備えてお礼参りをするのが習わしのようです。
社頭にはある大欅(おおけやき)は、目通りの周囲が9.7mもある樹齢千年という老木。幹には空洞が見られました。
この大欅は、若狭の八百比丘尼(やおびくに)が植えたと伝えるもので、「はばきさま」と呼ばれている。比丘尼は特別なもの(人魚の肉など)を食べたことで不老長寿を獲得した方とのことです。
えの本ではそば膳をいただきました。
これより埼玉大学キャンパスを散策しながら南区役所に向かいました。さすがに国立大学は広々していました。
埼玉大学を通り抜けると鴨川堤桜通り公園との案内があり浦和工業団地、サイデン化学の社屋がありました。この会社は接着剤・粘着剤・塗料など化学製品を作っているようです。区役所そばにある大きな「さいたま市記念総合体育館」は「サイデン化学アリーナ」というようです。
桜区はさいたま市内南西部にありもともとは大久保地区と土合地区の一部からなっています。大久保地区は、明治22年、上大久保村、下大久保村、五関村、植田谷領領家村、植田谷領在家村、塚本村、宿村、神田村、白鍬村の九か村が合併して大久保村となったのです。
桜区は現在人口約9万5千人、区の花はサクラソウ、区の木はサクラ、区の色はさくら色と桜一色です。
庁舎は2003年(平成15年)に開庁ですからとても新しくきれいでした。すぐ隣のプラザウエストに図書館がありました。
近くの別所沼古墳から犀形埴輪がでたということで大きな復元がオブジエで飾られていました。
図書館を通り抜けるといよいよ秋ヶ瀬公園です。
荒川の手前の鴨川堤は桜通り公園というそうで、今はソメイヨシノは終わり八重桜が見られました。
新開タワー(しびらきたわー)は平野原送信所(ひらのはらそうしんじょ)といい、正式には「NHK平野原FM放送所」と「テレビ埼玉・浦和テレビ送信所」というそうです。埼玉県の地上デジタルテレビジョン放送およびFMラジオ放送を送信する高さ約173mの電波塔(送信所)で埼玉では最も高いタワーだそうです。電波塔としては埼玉県南部、県央地域、東部、利根地域、東京23区北部・北多摩郡市北部、千葉県北西部、茨城県南西部および群馬県南部を放送エリアとしてカバーしているようです。
鴨川の土手を河原のほうに 浦和ゴルフ倶楽部がありました。
浦和ゴルフ倶楽部は1962年(昭和37年)に開場したゴルフ場で長年地元にも親しまれているようです。
国道40号のさくらそう橋に着き荒川の大きな昭和水門手前を右折でいよいよ田島地区に入り、田島ケ原サクラソウ自生地です。
珍しい白色のサクラソウ
ノウルシ
ここでちょっと休憩。埼玉の一品「シュガーバターの木」をいただきました。
どうやらこのお菓子の製造工場が埼玉にあるらしいのです。
桜区は2003年(平成15年)に政令指定都市となったさいたま市に一区として誕生した新しい区で住民もどんどん増えているようです。区役所ができた後、その前にきれいな道ができ、さいたま市の中心に向かうのが非常に便利になったのです。私もこの道を毎朝通って埼玉県庁傍まで通勤しています。
本日は南与野駅10:00集合。その後路線バスで埼玉大学に行きここをスタートとして、いつも見ている風景の中をひたすらウォーキングを15:00西浦和駅まで約10km、2万歩超えのウォーキング。微風に撫でられながら青空とぽっかり浮かぶ雲を見、大いに楽しみました。やはりウォーキングはお天気が一番の御馳走なのでした。これからも晴天の下、ウォーキングしたいものです。