2019年10月21日

2019.10.20 さいたま彩発見ぶらり街あるき 第5回中央区

本日の気象予報では昨日とは打って変わり温かい一日となりそうとのこと。有難く思いつつ脱ぎ着しやすい服装でお出かけしました。講師喜多見先生、TD小松さんの元に参加者22名が集合した10:00にスタート。
本日の歩程説明で与野七福神巡りもするとのこと、また埼京線の説明が印象的でした。
以下、ウォーキングルートには七福神を巡った順番も数字で入れてみることにいたします。

JR埼京線南与野駅西口⇒鈴谷西公園⇒与野鈴谷郵便局⇒埼大通りのけやき並木⇒コメダ珈琲⇒妙行寺⇒金毘羅天⇒鈴谷西保育園⇒かやの木通り⇒鈴谷大堂@毘沙門天⇒与野西中学校⇒埼玉芸術劇場⇒円福寺A布袋尊⇒大木屋⇒圓乗院B大黒天⇒与野公園⇒天祖神社C寿老人⇒レストラン「シャルダンドヨノ」(昼食)⇒御嶽社D弁財天⇒大国社⇒あおいとり幼稚園⇒八王子神社⇒浅間神社⇒不動明王⇒円阿弥通り⇒氷川神社E福禄寿⇒長伝寺⇒うなぎの相川屋⇒おかずや⇒赤山通りの地蔵菩薩立像⇒一山神社F恵比寿神⇒蔵造り石川家⇒鴻沼川⇒JR埼京線与野本町駅

JR埼京線(さいきょうせん)は、都内品川区の大崎駅から新宿区の新宿駅、豊島区の池袋駅、北区の赤羽駅、さいたま市南区の武蔵浦和駅を経由し、大宮区の大宮駅までを直通運転している路線。実はこの路線はJR東日本の運転系統の通称で正式には大崎駅 - 新宿駅 - 池袋駅間は山手線(山手貨物線)、池袋駅 - 赤羽駅間は赤羽線、赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅間は東北本線支線(別線)を走行していると初めて伺い、ちょっとびっくり。路線の開業は1985年、路線距離は約37km。もともとは東北新幹線高架を作るときに地元貢献でできたような、、、。なかなか複雑!!もっとも私はほとんど利用する機会がなかったのでこの話は聞いたこともなかったのです。

埼大通りのけやき並木。
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この並木がある国道463号線は埼玉県越谷市から、さいたま市、所沢市を経て、入間市へ至る総距離58kmの国道。北浦和駅入口交差点から所沢までの19.7kmのうち17kmにわたり、その数2417本の欅が植栽されており「日本一長いケヤキ並木」なので、「新・日本街路樹100景」にも選ばれているとのことです。
けやき(欅)はニレ科の落葉樹で春には新しい葉をつけ、うすい黄緑色の小さな花も付きます。「埼玉県の木、さいたま市の木」でもあり、あちらこちらで見られます。

妙行寺(みょうぎょうじ)は、日蓮宗の寺院で山号は東永山。旧本山は下総の大本山正中山法華経寺。もともとは鎌倉時代に創建された臨済宗寺院の東栄山心浄寺が起源。1408年(応永15年)に日英が日蓮宗に改めたとのこと。1649年(慶安2年)徳川家光から寺領10石の朱印を拝領。以後1860年(万延元年)まで計7通の朱印状が伝わっています。1773年(安永2年)火災で伽藍を焼失し、1778年(安永7年)諸堂を復興、山号を東栄山から東永山に改めた。現在の本堂は1930年(昭和5年)の火災焼失後、1935年(昭和10年)に再建されたものとのことでした。
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妙行寺に隣接して金毘羅天堂がありそばには「与野の大カヤ(榧)」(国の天然記念物)がそびえていました。通称、カヤの木の寺として知られています。
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この大カヤは平安時代中期の長元年間(1,028年〜1,037年)に植えたということで樹齢は1,000年以上。国の天然記念物に指定された1932年時点で大きさが樹高21.5m、根回り周囲13.5m、目通り周囲(目の高さでの幹周り)7.28m。今も樹勢は元気そのものですから、果たしてどこまで大きく成長しているのでしょう、ビックリ!
また、妙行寺境内の裏手には「妙行寺のモッコク」もありました。
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樹齢600年、幹回り3.5m、高さ7m。5年前には枯れ枝が目立っていたのですが庭師さんの頑張りで今は自らの力で蘇っているようです。

「正元二年銘の板石塔婆」
江戸時代の文化文政期に活躍した俳人・鈴木荘丹(すずきそうたん)(1732年から1815年)の墓です。
江戸の商家に生まれた荘丹は、儒学・医学・俳諧などを学び、医師として活躍していました。その後、松尾芭蕉の系統を引く雪中庵・大島寥太の門に入り、晩年は、与野に移り住み、近郷を巡って芭蕉の俳風の普及に努めました。墓石には、「秋の空こゝろ動す風もなし」と辞世の句が刻まれています。

稲垣田竜(いながきでんりゅう)の墓。
名主稲垣家に生まれ、江戸で剣術・柔術を修行する。後に幕臣の浅野北水について西洋流の天文学・暦学を学び名をはせた。帰郷後は家を継ぎ村政にあたる一方で文武両面で後進を指導したのです。

与野七福神の毘沙門天@鈴谷大堂。
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ここは真言宗智山派寺院の仏堂。創建年代等は不詳で、境内石碑によると「六地蔵の銘文から江戸時代前期の寛文7年(1667年)には存在していたことがわかるようです。

彩の国さいたま芸術劇場はさいたま市の複合舞台芸術施設。 管理者は埼玉県で1994年(平成6年)10月に開館。設計は 建築家の香山壽夫(香山アトリエ + 環境造形研究所)。
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彩の国シェイクスピア・シリーズ が 1998年より上演されており、芸術監督は演出家の蜷川幸雄から蜷川が2016年5月に他界した為、俳優・演出家の吉田鋼太郎を2代目芸術監督として迎え、ウィリアム・シェイクスピアの全戯曲37作品のうち第33弾よりシリーズ完結まで務めることが決定しているとのことです。
蜷川さんの記念品展示。
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本日は日曜日のため各ホールが使われており映像ホールで全体像を開設頂いた後、大稽古場を見せていただきました。

与野七福神の布袋尊A円福寺。
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真言宗智山派寺院の円福寺は、北明山と号します。円海(大永元年1521年寂)が創建、東光坊として創建、江戸幕府より寺領5石の朱印状を拝領したと伝えられています。境内の釈迦堂には木造釈迦如来坐像がるとのことです。北足立八十八ヵ所霊場15番でもあるとのことです。

大木屋は130年以上にわたり、当時と変わらない店構えで、呉服を中心に婦人用品などを取り扱うお店。
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宝永年間(1704〜1711年)から続く『与野夏祭り』の地元でもあることから、創業以来、祭りや神事に関連する布製品の品揃えも多彩で、特に近年は、初午や節句の際に祭壇に飾る木綿の五色布を扱う数少ない店として、市内に限らず、遠方からの注文にも対応しているとのことです。本日は日曜日のため休業となっていました。またあとで伺う予定の足の神社大国社に奉納するわらじも販売しているとのことでした。

与野七福神の大黒天B圓乗院。
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ここは真言宗智山派寺院で安養山西念寺と号します。円乗院は、畠山重忠が建久年間(1190-1199)道場村(現桜区道場)に創建、慶長年間(1596-1615)に当地へ移転、慶長19年(1614)には江戸幕府より寺領15石の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁していたということです。北足立八十八ヵ所霊場初番札所でもあります。

与野公園は明治10年に開設された約51,000uの緑の公園。サクラとバラの名所として有名。 染井吉野の桜や約180種、3,000株のバラが見られます。本日は秋バラが綺麗でした。
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与野七福神の寿老人C天祖神社(てんそじんじゃ)。
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与野天祖神社は、与野公園の中にある神社。与野天祖神社の創建年代等は不詳のようですが、文政年間(1818-1830)の「与野町並絵図」に「神明山」と記載があり、江戸時代末期には祀られていたのではないかといわれています。明治8年天祖神社として与野町の村社に列格したようです。

レストラン「シャルダンドヨノ」。(旧店名シャンソニエ)
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建物が綺麗で店先にドラマ撮影で使われたことが紹介されていました。
メニューはかぼちゃのポタージュ、メカジキの香草パン粉焼き、アイスクリーム、珈琲で美味しくいただきました。
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与野七福神の弁財天D御嶽社。
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与野御嶽社は、御嶽講の四大講祖の一人である一心行者を支援していた名主の伊原平八が、明治初年前後に創建したということです。

与野大國社の創建年代等は不詳。実は円乗院の守り神として祀られたとも伝えられており、江戸期には蔵王権現社と称されておりその後、明治初期に大国社と改めたのではないかということです。
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樹木に覆われた直径20mにも満たない小さな丘の上まで鳥居をくぐり、10段程の階段を上がると、小さな本殿正面に、多くのわらじが奉納されていました。地元では「与野大権現」として知られており多くのわらじが奉納されていました。喜多見先生が私たちのツアーの無事を祈り大木屋さんから購入されたわらじを奉納してくださいました。
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新大宮バイパスから見えるように大きな看板が出ています。
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八王子神社。
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八王子神社の創建年代等は不詳ながら、『融通念仏縁起』(京都清涼寺所蔵)によれば、正嘉年間(1257-59)のころ「全国的に疫病が流行した時、与野郷のある名主が、念仏を修し、家内の老若男女もろともに疫病を免れた」といい、比叡山で守護神と祀っている八王子権現を当地に祀られたのではないかといわれています。江戸時代には八王子村の鎮守となり、明治6年村社に列格となったとのことです。
この神社の境内にで、与野浅間神社もありました。
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八王子神社、浅間神社をでてすぐ不動明王像がありました。
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両腕がなく、いわれもわからずお気の毒でした。

円阿弥(えんなみ)の辺りは江戸期より存在した武蔵国足立郡与野領に属する円阿弥村であったとのことです。地名の由来は戦国期に当地に居住していた岩槻城主太田氏房の家臣でもある領主の名前の円阿弥によるとのことでした。今はさいたま市の大宮台地上に位置しております。

与野七福神の福禄寿E氷川神社。
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大戸は、古くは与野郷に属し、与野市下落合から浦和市鹿手袋に広がっていた鴻沼(こうぬま)を望む平坦地にあり、地名の大戸はこの鴻沼への入口に由来するということでした。この神社は、大戸のほぼ中央に鎮座しているのです。

長伝寺の創建年代は不詳ながら、古くよりこの地に真言宗寺院として長伝寺があったといいます。後に芝増上寺12世となる観智国師が当寺を浄土宗に改めて開山、江戸期には幕府より寺領寄進の御朱印状を拝領していたとのことです。
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西沢曠野の墓や伊達政宗が寛政九年(1632年)政宗が臨済宗南禅寺の高僧以心崇伝(本光国師)に出した書状があると紹介されていました。
西沢曠野は、1743年(寛保3年)与野本町に生まれ、その後江戸に出て、儒学者細井平洲の門人となり、さらにその後与野に帰郷後、家業のかたわら漢学塾を開き近在の子弟教育にあたり、後世「与野聖人」と慕われたことでしられているようです。
長伝寺の本堂の欄干に龍がいました。この龍は雨続きの時、川の水を飲んで、水没しかけていた田や畔を救ったという言い伝えがあるそうです。
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赤山通りの石造地蔵菩薩立像。
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江戸時代後期(推定)。像高181.0cm。胸・胸部の損折は安政の大地震のものとのことです。

与野七福神の恵比寿神F一山神社(いっさんじんじゃ)
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一山神社は、与野の御嶽講(一心講)を建て直した一山を慕った講員が、八幡社の境内に御嶽大神を勧請、一山神社と称して嘉永年間(1848-53)に創建したということです。
一山は俗名を治兵衛といい、相模国津久井郡の出身で壮年になって藤原家(平八)の養子となったようです。信仰心厚く、御獄大神を尊信して御嶽講の行者となった一山はが一心講の復興に努め、自らは一山講を興し、晩年、この地に霊場を設け、ついに数万の信者を擁するまでになったようです。ここは「柚子祭り」が有名だそうです。

本町通りに出ると数件蔵造りの家がありました。ここではバラの街中央区フェスタが今月開かれたそうです。

鴻沼川(こうぬまがわ)は、埼玉県さいたま市を流れる一級河川。荒川水系鴨川の支流で上流では霧敷川(きりしきがわ)、下流では鴻沼川、また鴻沼排水路(こうぬまはいすいろ)とも呼ばれているとのことでした。この川に沿って行くと本日のゴール与野本町駅でした。

本日はやや汗をかきながらの約10km弱のウォーキングでした。与野公園の金木犀や秋バラをはじめ思ったより見る所が多く、しかも七福神があることにはちょっとびっくり。お正月しか七福神は御開帳ではないので本日は見られませんでしたがいずれも近い寺社と分かりましたのでまた伺いたいと思いました。また中央区のご厚意で折り紙のバラ、講師陣からは片山食品のねぎみそ煎餅をお土産にいただきました。
ウォーキング歩程約10km約4時間弱、気温22℃は少々暑かったのですが、お陰様で22名が元気にゴールできたことがなによりでした。感謝!
posted by yunofumi at 22:38| あちこちウォーク