2019年09月29日

2019.9.28 2巡目第7回東京の新発見旅「千代田区」

今朝はスタート地点の東京駅丸の内北口に到着し秋晴れの空を眺め、久しぶりの東京駅舎を振り返っているとお巡りさんや黒服がやたらに多いことに気づきました。「オヤッもしかして!」と思い、近くの女性SPさんにお声をかけた所、「天皇陛下が茨城・ひたちなか市である国体の総合開会式に出席のためもうすぐこちらに到着です」と教えてくださいました。エッ!あと30分ほどで到着!私の参加するウォーキングツアーは改札に10:00.集合。それならと添乗員さんに一言かけた後、「めったにない素晴らしい!」と多くの人々同様にロープ前で待ち構えました。約10分後、パトカー先導で黒塗りの車列が来ました。チャンスとばかりにデジカメのシャッターをパチパチ!お陰様で雅子さまのお手ふりをしっかり拝見できました。
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こうして本日のウォーキングスタートです。

JR東京駅丸の内北口改札⇒行幸通り⇒和田倉門前信号⇒パレスホテル東京⇒大手門⇒三の丸尚蔵館⇒二の丸庭園⇒二の丸池⇒北桔橋門⇒乾門⇒首都高代官町出入口⇒旧近衛師団司令部庁舎⇒国立公文書館⇒東京国立近代美術館⇒学士会館(昼食)・東京大学発祥の地・日本野球発祥の地⇒神田古本屋街・すずらん通り・小学館ギャラリー⇒太田姫神社⇒明治大学博物館・阿久悠記念館⇒杏雲堂病院⇒日本大学歯学部病院⇒ニコライ堂⇒井上眼科病院⇒太田姫神社ご神木⇒JR御茶ノ水駅

今朝は天皇・皇后の車列を見た後の行幸通りはなんとなく一味違ってウォーキング。
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和田倉門前信号を過ぎていよいよ大手門から皇居に入りました。
大手門は1606年(慶長11年)に江戸城の縄張りがはじまり、翌年完成した江戸城の玄関。1620年(元和6年)の江戸城修復に際し、伊達正宗(だてまさむね)らの力により現在のような桝形形式の城門となった江戸城の正門。その警備は鉄砲30丁、弓10、長柄20という厳重なものだったとのことです。
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三の丸尚蔵館は昭和天皇の死後の1989年(平成元年)に昭和天皇の遺族から寄贈され国庫に帰属した美術品を保存、研究、公開するための施設として、1992年(平成4年)に皇居東御苑内に建設され、1993年(平成5年)に開館されました。様々な素晴らしい絵画もありました。入館料が無料でかなり込み合っていました。

二の丸庭園は宮内庁管轄の約6万坪の庭園。皇居は、かつて徳川幕府の江戸城で、明治元年に皇居となった場所です。江戸城の頃は、徳川家の茶道指南役だった小堀遠州による庭園だったようですが江戸末期に一旦消失。昭和43年(1968)に皇居東御苑の整備ともに庭園として改められたとのことです。
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アサザが咲いていました。
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二の丸池
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お城といえば石垣です。梅林坂の石垣は目地が揃っていないため<乱積み>と呼ばれる積み方とのことでした。
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皇位継承の重要儀式としてこの10、11月に「即位の礼」と「大嘗祭(だいじょうさい)」があるとのことです。本日皇居内をウォーキングしてもあちらこちらと通行止めがありました。天守の傍では大きな建物を建築中でした。
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首都高代官町出入口は1964年にできたそうですがよく見たら北の丸公園の一部で皇居乾門の傍で改めて驚きました。

東京国立近代美術館工芸館の建物は旧近衛師団司令部庁舎だった所。
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工芸館の建物は、旧近衛師団司令部庁舎を保存活用したもの。この建物は、1910年(明治43年)、陸軍技師田村鎮(やすし)の設計で、近衛師団司令部庁舎として建築。2階建煉瓦造で、正面中央の玄関部に小さな八角形の塔屋があり、両翼部に張り出しがある簡素なゴシック様式の建物。今では日本人技術者が設計した現存する数少ない遺構として重要な文化財となっているようです。

国立公文書館は政府の付属機関等から移管された歴史資料など重要公文書を一般公開している所。所蔵資料は明治時代以来の公文書が約60万冊(2006年3月現在)・旧内閣文庫約53万冊。公文書を閲覧できるように閲覧室があるとのことです。本日は常設展を見ました。
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東京国立近代美術館。
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明治時代後半から現代までの近現代美術作品(絵画・彫刻・水彩画・素描・版画・写真など)を随時コレクションし、常時展示した初めての美術館。以前は企画展等で「借り物」の展示を中心に行われていた日本の美術館運営に初めて「美術館による美術品収集」をもたらしたところです。収蔵品は2016年(平成28年)度時点で、日本画839点、油彩画1,254点、版画3,051点、水彩・素描4089点、彫刻(立体造形)458点、映像56点、書21点、写真2,720点、美術資料666点、合計13,154点におよぶとのことです。
本日は常設展を見ましたが特別展として「竹工芸名品展」と「高畑勲展」を開催中で大いににぎわっていました。

学士会館は1886年(明治19年)に設立。現在は一般社団法人組織となっており、旧帝国大学系大学の出身者等を主な会員としており、大学の枠を超えた一種の同窓会組織の要です。
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中にはホテルやレストランがあります。千代田区ウォーキングではどうやらこちらのハンバーグでの昼食が定番のようです。
敷地に「東京大学発祥の地」の碑があります。
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もう一方の角には「日本野球発祥の地」の碑があります。
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神田古本屋街通りを色々巡り、すずらん通りも行きました。
神保町すずらん通りには「小学館ギャラリーBH神保町」があり、さながら神保町古本街のインフォメーションセンターの様相でした。案内所にはパソコンが設置してあり本屋はもちろん、アート、グルメなど検索できるほか、街歩きのためのオリジナルマップを作ることができるようです。

太田姫神社は社伝によると、室町時代中期に太田道灌の娘が天然痘(疱瘡)に罹って生死の境をさまよい、京都の一口稲荷神社(いもあらいいなり)が小野篁にまつわる縁起により天然痘に霊験があると聞いた道灌が一口稲荷神社に娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したということで道灌はこのことに感謝し、1457年(長禄元年)に一口稲荷神社を勧請して旧江戸城内に稲荷神社を築いたのです。後には城内鬼門に祀られたとのこと。
徳川家康の江戸入府後、1606年(慶長11年)に江戸城の改築により、城外鬼門にあたる神田川のほとりの聖橋南詰に遷座した。 これが今のご神木がある所。この椋の木には元宮を示す木札と神札が貼られています。
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その後の1872年(明治5年)、村社に定められ、名も太田姫稲荷神社と改め、大正12年(1923年)の関東大震災で社殿が焼失し一時湯島天神に避難。その後の1928年(昭和3年)に再建され、1931年(昭和6年)に、御茶ノ水駅の総武線拡張により、現在地に遷座しのです。淡路坂上の旧社所在地で御茶ノ水駅臨時改札口脇に残されたのです。
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明治大学博物館は、駿河台の明治大学駿河台キャンパス内にある博物館で、刑事部門・商品部門・考古学部門および大学史展示室があります。
またこの大学の卒業生である阿久悠さんの記念館がありました。1911年オープンとのこと。多数の歌謡曲の作詞を手がけ、その数は5,000曲。著作では直木賞候補となった『瀬戸内少年野球団』など、多くの業績を見たり感じたりできました。
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ニコライ堂は日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライにちなみ通称としてよく使われています。 正式名称は「東京復活大聖堂」で、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶する大聖堂。 建築面積は約800u、緑青を纏った高さ35mのドーム屋根が特徴で日本では初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれています。1891年に竣工し、駿河台の高台に位置したため御茶ノ水界隈の景観に重要な位置を占めたのです。関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在に至っているのです。上から見ると十字の形をしているそうです。
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本日は晴天の下、午前・午後それぞれ2時間の予定の歩程約11kmでしたが珍しく少し早めに終了。約16000歩はちょうどよかった感じ。雨にも会わずそよ風の中、なかな気分の良いウォーキングでした。皆様またお会いしましょう。
posted by yunofumi at 04:23| あちこちウォーク