2019年07月13日

2019.7.11 2巡目第5回東京の新発見旅「新宿区」

梅雨明けはまだの時期ですが今日も街歩きに参加です。参加者22名、講師は若さハツラツ渡辺先生、TD反保さんと共に出発。空模様はまさに曇天、無風で21℃。ウォーキングにはまずまずの日和と思いつつ10:00出発。

副都心線西早稲田駅⇒新宿コズミックセンター前⇒新宿区立戸山シニア活動館⇒戸山公園・箱根山⇒放生寺⇒穴八幡神社⇒木組み博物館⇒ワセダグランド商店会⇒高田馬場跡・八幡鮨⇒堀部安兵衛之碑⇒早稲田大学・坪内博士記念演劇博物館・会津八一記念博物館・大隈講堂⇒トラード早稲田⇒川田米店⇒天祖神社⇒鶴巻南公園⇒宗参寺⇒漱石山房記念館・漱石公園⇒大願寺⇒矢来公園・・杉田玄白生誕地之碑⇒矢来能楽堂⇒牛込北町信号⇒牛込中央通り商店会・細工町⇒リストランテ・カルミネ(昼食)⇒宮城道雄記念館⇒袋町⇒神楽坂加賀⇒善国寺⇒筑土八幡神社⇒新小川町⇒中之橋⇒凸版印刷梶E印刷博物館⇒有楽町線飯田橋

戸山公園は東京都立公園。敷地は明治通りを挟んで、大久保地区(西側)と箱根山地区(東側)に分かれています。地名としては、戸山二丁目・三丁目と大久保三丁目にまたがっている広大な公園です。もともとは、江戸時代には尾張藩徳川家の下屋敷で、2代藩主徳川光友により、回遊式庭園として整備され、敷地内には箱根山に、東海道の小田原宿を模した建物など二十五景がしつらえられています。寛政年間には11代将軍徳川家斉の訪問を受けるなど、水戸藩徳川家の小石川上屋敷と並ぶ有数の大名庭園だったようです。明治維新後、明治政府に渡り、跡地に1873年(明治6年)に陸軍戸山学校が開かれ、太平洋戦争終結まで、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに利用されたとのことです。戦後、軍事施設はすべて廃止され、1949年(昭和24年)、跡地に戸山ハイツの建設が開始され、1954年(昭和29年)には敷地の一部を公園として整備し、「戸山公園」として開園したのでした。

箱根山は江戸時代に作られた築山で標高44.6mと山手線内では一番高い山なので戸山公園サービスセンターから登頂証明書をいただきました。
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穴八幡神社(あなはちまんじんじゃ)は蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされている神社で旧称は高田八幡宮。社伝では1062年(康平5年)、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったというのがはじまり。 その後1636年(寛永13年)、ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神としたのです。1641年(寛永18年)、宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れ、掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」というようになったのです。3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護としたとの話もあります。 歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍徳川吉宗は、1728年(享保13年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納し、これより流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、竹千代君(後の10代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が行われたのです。
境内入り口には高田馬場流鏑馬像があります。
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木組み博物館は館長の谷川一雄さんが約40年間、数寄屋や社寺建築などの日本伝統木造建築の施工管理に携わってきた中で、伝統工法で建てようとする人の減少、作り手の後継者がいない、材料が枯渇してきているなど日本の伝統木造建築の文化継承を模索し、多くの方の支援でできた博物館だとのことです。展示は通り一遍ということではなく、日本の伝統木造建築の技術を伝える博物館展示型、体験型、参画型へ、そして木組みと共に左官、漆などの伝統技術や素材、道具も紹介していました。
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木の香りは心に癒しを与えてくれる空間でした。
              
堀部安兵衛之碑。
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堀部安兵衛は赤穂浪士で最強の剣豪。子供のころから親との縁が薄く一人で生き抜いてきた方のようですが例の赤穂浪士の一員だった堀部金丸との縁で自身も赤穂浪士となったようです。その後、例の松の廊下の事件があり吉良氏仇討ちに加勢したのです。

早稲田大学の坪内博士記念演劇博物館。
通称エンパクというそうで、1928年(昭和3年)に設立。坪内逍遙が開館式で「よき演劇をつくり出すには、内外古今の劇に関する資料を蒐集し、整理し、これを比較研究することによって基礎をつくる必要がある」と述べたと伝わっているようです。その志を受け継ぎ、今日に至るまで古今東西の貴重な資料を収集・保管・展示しており、収蔵品は百万点を超え、アジアで唯一の、そして世界でも有数の演劇専門総合博物館として、演劇関係者、愛好家、研究者にとても愛され、支えられてきたとのことです。
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坪内 逍遥(つぼうち しょうよう)は小説家、評論家、翻訳家、劇作家で長く早大の教授もされていたようです。演劇博物館は坪内逍遙の発案で、エリザベス朝時代、16世紀イギリスの劇場「フォーチュン座」を模して今井兼次らにより設計されたと伺いました。私はこれまで数回、早大に伺っていますがどうしたことか一度も開館日に巡り合っていません。ということで本日も工事中!!残念でした。

会津八一記念博物館。
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東洋の古美術に関心が高かった会津八一が蒐集した品を中心に多くの収蔵品がありました。中国の秦漢時代の建築や墓室を飾った瓦当・画像塼54点、後漢〜唐時代の墓に副葬された武人・侍女・馬などの陶俑や、竈や井戸を模した明器395点、多様な図案や銘文を背面にあしらった銅鏡208点、金石資料の拓本532点などが挙げられるようです。展示の中では伺うたびにうっとり見とれるのは横山大観の「明暗」です。本日も見ることができて幸せでした。

大隈講堂(おおくまこうどう)は、早稲田大学早稲田キャンパスにあるチューダー・ゴシック様式の講堂。すぐ傍にある大隈重信像と並び早稲田大学を象徴する建築物です。
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ドラード早稲田は鶴巻町の有名デザイナー『梵寿綱(ボンジュコウ』建築のデザイナーズ分譲賃貸マンション。 早稲田エリアでは一際目立つこの建物、オートロック完備でとても人気のある物件だそうです。
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宗参寺は、1543年(天文12年)に没した牛込重行(法号:宗参)の墓所を、息子の牛込勝行が造ったことがはじまりとのことでした。
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牛込氏は、元は上野国(現在の群馬県)の領主で、室町時代に北条氏の家臣となって現在の牛込地域を領した。その後、徳川家康に仕えて幕末まで旗本だったそうです。 門扉にも紋所がくっきりでした。

漱石山房記念館は漱石が暮らし、執筆した空間を可視化するために記念館内に書斎・客間・ベランダ式回廊など「漱石山房」の一部を再現しています。文学館として初の本格的漱石記念館としての役割を果たすべく通常展のほか、特別展や講座・イベントを開催して漱石やその文学の世界を紹介していました。気軽に利用できるように明るい空間でした。
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ということでカフェで有名な銀座の「空也もなかセット」をいただき元気回復です。
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記念館の隣。漱石公園のあたりは、1907年(明治40年)〜1916年(大正5年)、漱石が亡くなるまで過ごした「漱石山房」があった場所。今は通りに面して山房記念館、横から裏手にこの公園がとても綺麗になっていました。ここで漱石は、「三四郎」「それから」「こころ」といった代表作を執筆したのです。
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猫塚です。漱石の没後、遺族が家で飼っていた犬、猫、小鳥の供養のために建てたようです
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数年前に伺った時には建物は道草庵だけでしたが見違えるように整備されていました。

矢来公園(やらいこうえん)には複合遊具、グローブジャングル、動物などのスプリング遊具、砂場などがあり、またケヤキやスダジイなどの高木が木陰をつくっており、まずは安らぐ公園でした。ここ矢来町には江戸時代に小浜藩の下屋敷があり、屋敷内には江戸詰の藩士が居住し、「解体新書」を著した蘭学者杉田玄白は、この屋敷内で生まれたようです。公園内には杉田玄白、小浜藩邸跡記念碑がありました。
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矢来能楽堂(やらいのうがくどう)は観世九皐会所有の能楽堂。矢来観世家・観世九皐会の本拠地として活動の拠点となっているとのことです。1952年(昭和27年)に現在の舞台・建物が建てられ、現在東京都内にある能楽堂のなかでは、杉並区にある大蔵流狂言・山本家の舞台に次いで古いとのことでした。
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リストランテ・カルミネ(昼食)
日本で初めてイタリアンレストランを開いたカルミネさんだそうです。店員さんもイタリアン人の方が沢山おられイタリア語?が飛び交っていました。パスタは日本では珍しく歯ごたえがあり、美味しく頂きました。
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善国寺(ぜんこくじ)は、神楽坂にある日蓮宗の寺院。旧本山は大本山池上本門寺で鎮護山善国寺。安土桃山時代の1595年(文禄4年)、池上本門寺第12代貫主である日惺上人により、馬喰町に創建。たびたび火災に見舞われ、麹町を経て1793年(寛政5年)には現在地へ移転。本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれています。また新宿山ノ手七福神の一つでもあります。
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印刷博物館(いんさつはくぶつかん)は、印刷に関する博物館。2000年に凸版印刷が100周年記念事業の一環で設立し、印刷文化に関わる資料の蒐集や研究活動、活版印刷などの印刷を実体験するなどの実践・啓蒙活動を行っている所です。ミュージアムショップ、印刷関連図書専門のライブラリー、P&Pギャラリー、研修室(グーテンベルク・ルーム)、VRシアター(土日・土日に続く休日のみ)を併設しているとのことです。 駿河版銅活字(重要文化財)をはじめ印刷の歴史や社会的な背景、表現など印刷文化に関わる本全般を扱っていました。とても短時間では見ることができず、こちらも再訪が必要と思いました。
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本日の街歩きは若い渡辺先生の先導でしたから街並みを見ることを十分堪能しました。印象的は神楽坂界隈が面白かったです。結局最後の最後、印刷博物館を出るまで雨に合わず、快適でした。約11km、17000歩を本日も元気に過ごせたことに感謝!今後も地道に街歩きを楽しみたいと思っております。
posted by yunofumi at 12:21| あちこちウォーク