2019年01月24日

20190119 鎌倉七福神めぐり

JR北鎌倉駅⇒東慶寺⇒1浄智寺⇒長寿寺・亀ヶ谷坂切通⇒建長寺⇒円応寺⇒巨福呂坂送水菅路ずい道⇒二十五坊遺跡⇒2鶴岡八幡宮⇒近藤(昼食)⇒3宝戒寺⇒土佐坊昌俊邸址⇒4妙隆寺⇒日蓮上人辻説法跡⇒大巧寺⇒5本覚寺⇒鎌倉市農協連即売所⇒下馬交差点⇒和田塚4号踏切⇒六地蔵⇒六地蔵交差点⇒鎌倉彫寸松堂⇒中山刀剣美術店⇒主馬盛久之頸幽⇒文学館入口交差点⇒甘縄明神宮⇒萬屋本店⇒のり真安濟商店⇒旅館對僊閣⇒6長谷寺⇒鎌倉彫白日堂⇒7御霊神社⇒江ノ電長谷駅

朝5時起き!まだ暗闇の中で支度開始。気温1℃?かなり冷え込んでいました。日中は晴天、ほぼ無風、最高気温11℃の予報を確認し、副都心線で約2時間弱、JR北鎌倉駅到着。これまでにも数回伺った北鎌倉駅はこじんまりと可愛い。今朝はいくつものグループが出発準備中。私は駅前の喫茶「門」が営業中だったので温かい珈琲をいただいてからクラブツーリズム「鎌倉和総菜ランチと鎌倉七福神めぐり」ツアーに参加。講師:長坂先生、TD川崎さん、参加者13名で9:45出発。

鎌倉七福神とは大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七つの神様の総称。「七難即滅、七福即生」の説に基づき七福神を参拝すると七つの災難が除かれ七つの幸福が授かるといわれています。近頃はお正月にあちらこちらでよく行われています。本日の鎌倉七福神めぐりは約5kmのコース。

出発後すぐに東慶寺(とうけいじ)の門前に到着。
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ここの山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。開基は北条貞時、開山は覚山尼とのこと。開山以来尼寺で、幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたようです
「開山潮音院覚山志道和尚」は安達義景の娘で、鎌倉幕府の第8代執権・北条時宗の夫人であったためここは松岡御所ともよばれ格式ある寺だったのです。

1番目・浄智寺(じょうちじ)・布袋尊様(家庭円満の神様)
鎌倉幕府5代執権北条時頼の三男宗政が29歳で1281年に没し、8代執権北条時宗が弟の菩提を弔うために建てた寺院。庭が広く梅や牡丹が有名だそうです。
三門と甘露の井がお出迎えです。
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総門
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仏殿
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お寺の奥のやぐらの中に布袋尊様がおられました。参拝客の皆さんがお腹を撫でたため少し黒ずんでいました。
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建長寺(けんちょうじ)は鎌倉時代の1253年(建長5年)の創建。、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆、鎌倉五山の第一位。今日は門前でのご挨拶のみ。
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巨福呂坂送水菅路ずい道。
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元々は旧海軍施設。日露戦争の勝利により、海軍力増強が推し進められ、横須賀海軍工廠をはじめ海軍施設が拡張されたため、艦隊補給や工廠用水など水需要が増大。走水水源では間に合わなくなった海軍が新たに相模川支流の中津川から水を引くことを計画したのが軍港水道半原系統で、約53km離れた愛川村半原から新設の逸見浄水場まで自然流下式で導き、ろ過した後、各施設に配水するものだったのです。送水線路はほぼ直線に南東に向かい、鎌倉あたりで東南東に少し折れて横須賀・逸見へと続いており、送水線路上にあった河川や丘陵には水道橋や隧道が何箇所か建設されたのです。この水道管が敷設されたルートは「横須賀水道みち」、「横須賀海軍水道みち」と呼ばれたとのことです。

2番目・鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)・弁財天様(財運を招く神様)
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鎌倉市雪ノ下にある神社で武家源氏、鎌倉武士の守護神で鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社。京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前年の役で奥州の安部氏を平定後、1063年(康平6年)、京の石清水八幡宮を鎌倉由比が浜郷に勧請し社殿を創建。その後、1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉入りするや由比が浜八幡宮(元八幡)をこの地小林郷に移したのです。1191年(建久2年)には武士の守護神の宗社に相応し上下了宮の現在の姿となったとのことでした。

弁財天様は旗上社におられました。
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若宮通り、津多ビル1F創作和料理「近藤」にて昼食。
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寒い時期は温かいことも御馳走のうち。お魚の煮つけの味もよく、野菜も添えられ美味しかったです。こちらは初めて伺ったお店ですがもう一度鎌倉野菜を味わいたいと思いました。

3番目・宝戒寺(ほうかいじ)・毘沙門天様(病魔退散・財宝富貴の神様)
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宝戒寺は天台宗の寺院で開基は後醍醐天皇で1335年(建武2年)に創建。この場所はもともと北条義時が小町邸を造って以来、北条執権の屋敷があった所。1333年(元弘3年)新田義貞に鎌倉攻めで鎌倉幕府は滅亡し北条一族は滅びたのです。北条得宗家九代の霊を慰めまた人材養成修行のために後醍醐天皇が足利尊氏に命じてこの屋敷跡に建立された寺院なのです。本尊は子育経読地蔵大菩薩で本堂にあるようでした。
お庭には可憐な日本水仙が咲いていました。
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聖徳太子を祀る太子堂。
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徳崇大権現者
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ここは白萩が有名で萩寺といわれています。

4番目・妙隆寺(みょうりゅうじ)・寿老人様(長寿の神様)
ここは日蓮宗の総寺院。 
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またこのあたり一帯は千葉常胤の子孫・胤貞の別邸跡といわれており千葉屋敷とも呼ばれているとのことでした。胤貞が1385年(至徳2年)七堂伽藍を建立して妙隆寺を創建。ご本尊は日蓮上人。

妙隆寺の墓地には丸山定夫の碑がありました。
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丸山定夫は、明治34年5月12日、愛媛県松山市北徒歩町に、丸山常次の四男として生まれました。そして早くから演劇の魅力に憑かれ、大正13年6月3日、築地小劇場が東京築地に開設されるや、その開幕のドラを叩いた方です。昭和3年まで同劇場で働き、昭和4年新築地劇団の創立に加わり、15年まで舞台に立ち、独異の性格俳優として「新劇の団十郎」といわれ、新劇史上不朽の名をとどめた方です。多くの人に愛されましたが、昭和20年8月6日、広島市堀川町99番地、移動演劇桜隊の宿舎でアメリカ軍投下の原爆に遭い、十日間の苦悶の末、16日、厳島存光寺の庫裡で誰にも見取られずに43年のいのちを閉じたのです。その後、埋められた場所さへ知られずにいたのを、最近この地に朽ちかけた墓標が発見され、友人知人たちの協力で新しく記念碑が建てられ碑には由来が記されていました。

日蓮上人辻説法跡。
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昔の鎌倉では地震、暴風雨、干ばつ等で疫病が続発し、不安と恐怖におののく人々を救おうと、38歳の日蓮上人は、松葉が谷の草庵から毎日小町大路の街頭に出て、道行く人々に辻説法を行い法華経を教え熱心に説いていたようです。「煩悩菩薩・生死即涅槃」「南妙法蓮華経」と唱え、人生のいろいろな悩みや執着はそのまま悟りだと思い、法華経を信じる事を説いたのです。「政治が正しくなければ国も庶民の生活も安ずることが出来ない」また「為政者が邪教を信じ、法華経をないがしろにすれば”自界叛逆・他国侵逼難”となって日本は滅亡する」と予言していたとのことでした。

大巧寺はおんめさまとよばれたお寺。 安産を願う妊婦さんが、日本全国や海外からお札を受けに見えるようです。また、境内にて季節ごとに咲く多種類の花々が、訪れる方の心を癒します。
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5番目・本覚寺(ほんがくじ)・恵比寿天様(商売繁盛・五穀豊穣の神様)
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本覚寺は日蓮宗の寺院。日出上人が開山し、1436年(永亨8年)に創建。足利持氏が鎌倉の夷堂があった場所に寺を建て日出上人に寄進した寺院とのこと。
1274年(文永11年)に佐渡の流罪を解かれ鎌倉に戻った日蓮上人はこの夷堂に滞在して布教していたとのこと。
本覚寺文骨堂には身延山から分骨した日蓮上人の御骨が収まっており、東身延山ともいわれているのです。ご本尊は釈迦三尊。
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境内には樹齢100年以上の百日紅が花をつけるとのことでした。

鎌倉市農協連即売所の発足は昭和3年に、鶴岡八幡宮の参道、若宮大路の茶屋の休憩所を借りて始まったようです。次に現在丸七商店の場所を経て、戦後の32年に現在の場所に移転してきました。 鎌倉野菜の運搬も、牛車、自転車にリヤカー、オート三輪車、トラックへと変わり、生産者も、3代目、4代目となっているとのことでした。

下馬交差点(げばこうさてん)は昔、鎌倉幕府へ詣(もう)でる武士は、ここで馬を下りてあとは、歩いて行ったと伝わる場所でした。

由比ガ浜大通の中ほどの道の角に六体の地蔵が赤い頭巾をかぶり、よだれかけを首にかけて並んでいて、このあたりの地名にもなっていました。
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この場所からやや北によったところに、鎌倉時代の刑場(けいじょう)があったと言われており、この刑場跡に罪人の霊を弔う(とむらう)ために祀(まつ)ったのが、六地蔵のはじまりとのことで、後に人通りの多い現在の場所に移されたとのことです。

鎌倉彫寸松堂(すんしょうどう)。
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構造規模は木造2階建、搭屋付、和小屋組 。延べ床面積421.22u、屋根は銅板瓦棒葺き、一部亜鉛引鉄板葺き及び桟瓦葺き、外壁は漆喰塗り大壁、一部押縁下見板張り。 この建物は、1936年(昭和11年)、鎌倉彫の彫師佐藤宗岳氏の店舗併用住宅として、市内の大工西井喜一、正二親子によって建てられたとのこと。1階店舗部分のガラス 戸、ショーウインドーなどに近代洋風建築技術が見られ、全体としては寺院建築と城郭建築が合体したような建物。寸松堂は建築当初から 笹目町、長谷界隈のランドマークとして重要な役割を果たし鎌倉の景観重要建築物となっています。
もうひとつ鎌倉彫白日堂(はくじつどう)の建物も有名で1940年(昭和15年)に鎌倉彫の工房兼住宅として建てられたとのこと。こちらも鎌倉の景観重要建築物。概観は、城郭風と寺院風を加味した感じにみえました。。
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旅館 對僊閣は明治末期から120年以上旅館として続き、現在の建物は関東大震災後、昭和2年頃に建てられたもの。長谷寺の参道にあり、必ず對僊閣が目につきます。一部改装が施されており、とてもよく戦前の和風旅館の佇まいを残している貴重な建物です。高浜虚子がホトトギスの会を開き、与謝野晶子が宿泊した当時の雰囲気も残っているようです。
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6番目・長谷寺(はせでら)・大黒天様(出世・開運の神様)
こちらは鎌倉時代以前からある古寺で736年(天平8年)の創建。坂東33カ所観音霊場の4番札所。
ご本尊十一面観世音菩薩。高さ9.18m、楠の木造、全身の金箔は足利尊氏が、光背は足利義満が納めたとのことです。
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長谷寺は紫陽花の花が有名、また秋の紅葉のライトアップも見事なようです。
そのほか藤や牡丹、つつじもよいようです。今日はちらほら白梅や蠟梅も見られました。

7番目・御霊神社(ごりょうじんじゃ)・福禄寿(知恵の神様)
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この社はもともと鎌倉の平氏五氏(大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉)の祖先を祀る御霊神社だったようです。その後武勇で名高い領主の鎌倉権五郎景政公一柱を祀るようになったようです。
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本日はほぼ16:00すぎにウォーキング終了。歩程約6km、歩数は16000歩超。一カ所づつ、かなり丁寧に見て歩け、なかなか得難い行程でした。
この時期ですからお花が見られませんでした。今後は時期を見てまた伺おうと思いました。
posted by yunofumi at 00:19| あちこちウォーク