2018年06月22日

2018.6.17 横浜散策 第12回戸塚区

JR戸塚駅⇒オーロラシティ⇒福寿歩道橋⇒福寿観音⇒柴田農園⇒旧東海道・品濃坂上⇒品濃坂歩道橋⇒品濃坂・品濃町⇒楓の風⇒東戸塚駅入口交差点⇒旧東海道・海道橋⇒旧東海道・赤関橋・川上川⇒上柏尾交差点⇒柏尾歩道橋⇒瑞穂神社⇒柏尾バス停⇒柏尾小学校入口交差点⇒王子神社⇒四つ杭跡⇒護良親王首洗井戸⇒戸塚警察署不動坂交番⇒益田家のモチの木⇒大山前不動・柏尾の大山道道標⇒史跡への小径⇒斉藤ハム製造本舗⇒舞岡川・元舞橋⇒舞岡町入口バス停⇒舞岡入口交差点⇒五太夫橋⇒宝蔵院会館⇒江戸方見附跡⇒読売新聞戸塚東部⇒妙秀寺⇒旧東海道・吉田一里塚跡⇒森永牛乳店⇒吉田大橋⇒横浜矢部郵便局⇒伊東医院⇒戸塚駅・TOTSUKANA漁師料理海ぶね⇒戸塚大踏切デッキ⇒南向山清源院・芭蕉の句碑⇒SACLASS⇒バスセンター前交差点⇒大和証券戸塚支店⇒内田本陣跡⇒戸塚郵便局⇒問屋場跡⇒澤邊本陣跡・羽黒神社⇒戸塚消防署⇒消防署前バス停⇒歯科佐藤⇒保田動物病院⇒日立入口バス停⇒八坂神社⇒かまくら道道標⇒八坂神社前交差点⇒冨塚八幡宮・冨塚天満宮⇒上方見付跡⇒大坂下バス停⇒日立入口バス停⇒柏尾川桜並木道・桜橋⇒豊塚堰⇒JR戸塚駅

福寿観音
JR東戸塚駅からすぐの福寿歩道橋そばにありました。建立した願主は福原政二郎氏。福原政二郎氏は東戸塚の新駅誘致を行い、土地造成を担当した新一開発の社長さん。昭和38年(1963年)以来、この東戸塚の開発の旗振りをやってきた人で信心深く、観音信仰に篤かったので福壽観音堂を建立したとのことでした。
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品濃坂(しなのざか)には環状2号線の上を跨いでいる“品濃坂歩道橋”の西端に 高さ1m弱の小さな祠のような家型の標識がありました。
坂名の由来は不明とのこと。戸塚区平戸の台地から 急坂を下る 古い歴史のある坂道で、現在は 坂の途中が環状2号線によって分断されてしまい,東西が「品濃坂歩道橋」でかろうじてつながっているだけなので,これらが もともと つながった一つの坂だという知識がないとわかりにくい感じでした。
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品濃坂を下り旧東海道に沿って歩くと柏尾川沿いに海道橋、赤関橋を通過、柏尾小学校を通過して王子神社に到着。
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王子神社は後醍醐天皇の第一皇子護良親王(もりながしんのう)が祭られているようです。侍者が、護良親王の御首を奉じて当地四抗の勤皇の郷土斉藤氏を頼り、密かに現本殿の位置に埋葬したと伝えられています。四抗とは、御首を洗う為の四本杭の簀の子のことで、或いは鎌倉街道上で鎌倉から山を四つ越えた(よつごえ)の転訛ともいうようです。また、首を一時隠し奉った所を「御墓」といい、老松がありました。
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近くに親王の御首を洗い清めた井戸とされる「首洗(くびあらい)井戸」がありました。
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益田家のモチの木は通称「相模モチ」といわれ、不動坂交差点北東側の旧「益田家」の敷地内に樹立、2本の雄株が寄り添うようにそびえ、片方は高さ18m・根回り3.1m、もう片方は高さ19m・根回り4.9mあったそうです。樹齢約300年と推定され、江戸時代以来、東海道沿いにその威容を誇ってきた歴史的価値のある樹木として、1981年(昭和56年)に神奈川県指定天然記念物となったのでした。ところが2017年2月に倒木の危険があると切って今の状態になったそうです。いやはや歴史を知らないと大変なことになるのですね。びっくりしました。
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大山不動尊・柏尾の大山道道標。
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大山には大山阿夫利神社と追分不動尊が祀られていて、江戸時代からよく信仰されているとのこと。参拝者は旧東海道から大山街道を利用して伊勢原に入り大山産廃に向かうのでした。この大山街道の入り口がこの柏尾にあることから追分不動尊が建立されたようです。

斉藤ハム製造本舗の隣は鎌倉ハムの倉庫で日本人によるハム製造発祥の地。この倉庫は今でも持主が貯蔵庫として使用しているようです。
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ブリジストン工場前の国道(東海道)には五太夫橋」が舞岡川に架かっていました。
橋にはプレートがあり、以下のように書かれていました。
「石巻(康慶)五太夫は小田原北条氏 の家臣で豊臣秀吉 の小田原攻めのとき北条方の使者でした。北条氏滅亡後、鎌倉郡中田村で謹慎していた五太夫が、天正一八(一五九〇)年江戸に入る徳川家康 をこの辺りで出迎えたことから、五太夫橋の名がついたといいます。泉区の中田町には五太夫の墓があります。」

江戸方見附跡。
以前東海道五十三次でこの地を訪れた時はイオンだった所が工事の塀で囲われ江戸方見附跡の碑は窮屈そうでした。見附は宿場町の出入り口で、戸塚宿の入口を示しています。
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妙秀寺は日蓮宗のお寺で身立山妙秀寺。鎌倉の小町にある妙厳山本覚寺の末寺で、題目である「南無妙法蓮華経」の弘道の拠点として延文元年(1356年)に創建されたとのこと。開基は豊島氏一門の妙秀禅尼、開山は身立院日修(しんしゅういんにっしゅう)聖人。ご本尊は宗祖・日蓮大聖人折伏像で、寄木造りで玉眼彩色された高さが34.2cmの像。
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境内には2つに折れたものを繋いだ「(かま)くらみち」道標がありました。上部は剥離して字が読めないけれど、歌川広重作の浮世絵「東海道五拾三次」の「戸塚宿」に描かれた「左かまくら道」道標とする説や大正時代に大橋の袂にあった2つに折れた道標を移設した等の伝承があるようです。しかし、裏面に「南無妙法蓮華経」の日蓮宗の題目が彫られていることからこの道標は妙秀寺から真っ直ぐ行った柏尾川の土手の寺側あたりにあった鎌倉道道標ではないかとうかがいました。
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旧東海道・吉田一里塚跡。
吉田の一里塚は明治に入り早い時期に取り壊されてしまったようです。江戸から10番目の一里塚で、 日本橋から約40km。昔は、40kmは一日で歩く距離、したがってこの辺りで旅籠のある戸塚の町まで、大橋を 渡ってあともう一息といった場所だったのです。今は案内板だけでした。

吉田大橋。
正式名称は「大橋(おおはし)」。
江戸時代の浮世絵にも描かれている歴史ある橋ですが、現在の橋は昭和61年に架け替えられた橋です。
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この辺りの路面にはこの広重を元にしたマンホールがありました。
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南向山清源院。
浄土宗寺院の清源院は、南向山長林寺と号し、かつて安達藤九郎盛長の一族長林某が創建した獅子王山林長寺があったこの地に清源院尼が元和元年(1615)に開基、小石川伝通院三世白誉を開山に迎えて創建したといわれています。
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芭蕉の句碑、心中句碑、徳川家康の側室の於萬の方(清源院殿)の火葬跡もありました。
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内田本陣跡。
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本陣は、大名、勅使、公卿、宮門跡、公用の幕府役人などだけが宿泊や休息できた施設。この辺りに、戸塚宿 に2つあった本陣のうちの1つ内田本陣があったのです。内田本陣は間口18間(32.8m)・奥行14間(25.5m)で、 畳数は152畳あったということです。

問屋場跡。
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戸塚宿には大小あわせて75の旅籠(はたご)、本陣が2軒、脇本陣3軒がありました。そしてこの辺りが宿の手配等を行う問屋場だったようです。どうやらこの通りを挟んで斜め前の大きなビルの辺りとのことでした。

澤邊本陣跡。
澤邊本陣は戸塚宿に2つあった本陣のうちの1つ。本陣創設時の当主、澤邊宗三は戸塚宿の開設にあたって 幕府に強く働きかけた功労者で明治天皇の東下の際には行在所になったようです。
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敷地の一角に戸塚宿の鎮守の1つ 羽黒神社がありました。1556年(弘治2年)に澤邊河内守信友が羽黒大権現を勧請したのが始まりと言われています。
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戸塚八坂神社は、戸塚郷の庄司内田兵庫源政親が元亀3年(1572)創建したとのことです。その後1688年(元禄3年)に内田佐衛門尉源政利が再興、明治初年社号を八坂社と改めたといいます。明治元年の明治天皇還幸にあたっては、当社境内に内侍所が奉安されたといいます。
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お札まきは、七月十四日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったということです。この踊りは、江戸時代中期、江戸や大坂で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されているのです。

八坂神社前の交差点を渡った所にかまくら道道標がありました。
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冨塚八幡宮・冨塚天満宮
富塚八幡宮は社殿後方の山上には富属彦命の鎮堂を奉った富塚が、境内には松尾芭蕉の句碑があります。戸塚の地名は、この「富塚八幡宮」の「富塚」からきていると言われているようすで戸塚の氏神様として市民の信仰を集めているのです。
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拝殿・本殿に向かい右手前側に裏山へ上る山道をたどると「富塚の碑」という石碑があるとのことでした。「富塚」は戸塚区内に現存する唯一の前方後円墳なのです。
学問の神様でもある、天満宮の社殿が神社社殿の脇に建っており、合格祈願に訪れる人も多いとのことです。さらにその横には庚申塔が沢山ありました。
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上方見付跡。
東海道の各宿場の出入口には見付がおかれ、ここで大名行列などを出迎えました。ここは戸塚宿の京都の方で上方見付なのです。モニュメントが作られていました。
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柏尾川桜並木道。
柏尾川は、戸塚区柏尾町の阿久和川と平戸永谷川の合流点から藤沢市の境川合流点までの延長約11kmの二級河川。流域面積は約84km2、横浜市内では2番目の大きさ。この川は、昔は暴れ川と呼ばれ、たびたび洪水を繰り返していたのです。その治水対策として本格的な河川改修が行われたのは昭和55年からで、流域での1時間あたりの降雨量50mmに対応する整備が進められてきました。 また、上流側のブリヂストンに隣接する柏尾橋から栄区飯島橋までの区間には、河川管理用通路を活用した緑豊かな親水空間であるプロムナードもあるとのことです。堤防や高水敷を利用した広場やイベントステージ等があり、水辺でのレクリェーションを楽しむことができる憩いの空間なのです。柏尾川の桜の歴史は古く、安政年間からで、大正〜昭和初期には、戸塚駅から大船までの両岸に見事な桜のトンネルができ、関東屈指の桜の名所として知られるようになりました。その後、戦争や改修による伐採と新たな植樹を繰り返し現在に至っているのです。 現在、区内の柏尾川プロムナードに現存する桜は約700本で、その約8割がソメイヨシノ。その他には、オオシマザクラ、ヤマザクラなど9品種が確認できているとのことでした。
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戸塚区は自治体の取り組みが良く、あちらこちら見るところはほとんど案内があり、感心しました。しかし昔の風情がほとんど残っていない場合が多く、これは少し残念に思われました。
本日は曇り、気温22℃、風はほとんどなく、ウォーキングにはまずまずの日和。参加者22名は講師浅井先生、TD関さんのお世話でAm10:00〜PM4:00までに歩程約10km、約2万歩を完歩。元気で終了することができて何よりでした。まだまだこのシリーズは続きます。頑張ります。
posted by yunofumi at 22:33| あちこちウォーク