2018年06月07日

2018.6.2. 東京新発見旅第21回 練馬区

大江戸線光が丘駅⇒光が丘東大通り⇒光が丘消防署前交差点⇒田柄5丁目バス停⇒北野八幡宮神社⇒光が丘美術館⇒光が丘警察署前⇒光が丘郵便局⇒光が丘公園・花とみどりの相談所⇒一橋セミナー⇒高松4丁目交差点⇒高松地区区民館入口交差点⇒高松小学校⇒御嶽神社⇒高松ゴルフセンター⇒谷原1丁目交差点⇒練馬青果市場⇒神新田橋⇒こぶし橋⇒谷原三之橋⇒練馬区医師会医療健診センター⇒高野台1丁目交差点⇒氷川神社⇒長命寺⇒順天堂練馬病院⇒長光寺橋公園⇒石神井川・和田前歩道橋⇒葵寿司(昼食)⇒南田中団地西交差点⇒都立石神井公園⇒稲荷諏訪合神社⇒池渕史跡公園・ふるさと文化館⇒石神井氷川神社⇒石神井城の中心郭跡⇒三宝寺池沼沢植物群落⇒パークロード⇒石神井公園駅入口交差点⇒西武池袋線石神井公園駅

大江戸線光が丘駅
大江戸線は1991年(平成3年)に都営12号線の駅として開業。2000年(平成12年)に今の大江戸線と改称したとのこと。この駅は光が丘団地のほぼ中心軸で、駅周辺には大規模な商業施設(光が丘IMA)がありました。光が丘団地内に多くの公園がありました。2017年(平成29年)現在、光が丘1〜7丁目には約13000世帯、約30000人が暮らして居るとのことでした。
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北野八幡宮神社は、練馬区田柄にありました。創立年代不詳とのことながら、康平年間(1058-1065)に創祀したと伺いました。上田柄の氏神として地元の崇敬を集め、田柄の北野八幡さまと一般的にはいわれているようです。
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光が丘美術館。
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都営大江戸線光が丘駅から徒歩で5分のところにありました。ここは日本画や陶芸、版画など、日本芸術と伝統が融けあった美術館とうたっています。平成5年に開館した私設の静かな佇まいの美術館。森田りえ子、中野嘉之をはじめとした、新進気鋭の作家の作品や、人間国宝の田村耕一の陶芸、井上員男の全長76mに及ぶ版画の大作「平家物語」など、大変バラエティに富んだ作品を楽しむことができました。
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また、伺ったところではウィーン・ベーゼンドルファー社製の特別ピアノを使用したコンサートを、月1回程度開催。また美術鑑賞の後には、敷地内に緑が美しい空間に古民家のおしゃれな蕎麦屋が併設されており、美しい景色の中ランチが楽しめるとのことでした。

光が丘団地の周囲には、春の風公園・四季の香公園・夏の雲公園・秋の陽公園の4つの大きな公園がそれぞれ特徴を持たせて作られています。
四季の香公園は約42,100uの公園。園内には、四季折々の花があふれていました。公園の中心に「区立 花とみどりの相談所」があり、盆栽などの展示や植物の情報が見受けられました。
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春の風公園は自然豊かで多くの樹木があります。特に桜の木は多く、春のお花見スポットとしても有名とのことです。人工的な川や雨水を水源とするかえる池にはさまざまな水生植物が植えられ、鯉・亀・カルガモなどが暮らしています。
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光が丘公園は、光が丘、旭町、板橋区赤塚新町にある都立の都市公園(総合公園)。
光が丘団地に隣接する練馬区最大の公園。ここは、戦前には特攻隊の出撃基地ともなった成増飛行場および神田區武蔵健兒學園(花岡学院)があったとのこと。戦後は米軍グラントハイツとして利用されたとのことでした。

高松御嶽神社は江戸末期に上練馬村高松の小澤橋山(林蔵)によって創建されたと伝えられており1878年(明治11年)当地に遷ったとのことです。ご祭神は、国常立尊・大己貴命・少彦名尊の三神で、木曽御嶽神社の分霊を勧請したもの。新たな道が開けて木曽御嶽山への登拝が容易になったのは、1781年あたり(天明の頃)ということです。その後、江戸を中心に御嶽講をまとめ、信仰を広めたのは山行者たちのようです。むかし、ここから約150m北、富士街道沿いに高松寺という真言宗の寺があり、明治初年廃寺となたため墓地は愛染院に合併、ご本尊の薬師如来はその時この地に移されたのです。御嶽神社・薬師如来記念碑は神仏分離後のものとして珍しいものだそうです。
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鳥居脇の石仁王二体は1706年(宝永3年)伊賀忍者の頭領服部半蔵が高松寺へ寄逢したもの。背面に半歳の銘が見えます。伊賀衆は、幕末まで橋戸村(現在の大泉町)を領地としていました。当地は江戸屋敷(四谷伊賀町)と領地橋戸村との往還にあたっていたのです。
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練馬青果市場は、昭和21年6月に、東京都中央卸売市場淀橋分場の練馬配給所として業務を開始、その後いろいろ形を変えながら平成17年には卸売事業部門を分割統合して、新会社東京新宿べジフル(株)となっているとのことでした。

石神井川遊歩道。
石神井川は流路延長25kmほどの、荒川水系の一級河川。小平市が源流域で、西東京市、練馬区、板橋区、北区と、東京都北部を東へと流れ、北区で隅田川へと注ぐ。この石神井川の、板橋区中板橋辺りから東へ、北区滝野川へ至る区間の河岸は桜の並木になっており、春には見事な景観を見せてくれるのです。今日はもう花はありませんでしたが散策をしました。
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氷川神社は江戸時代初期の創建とのこと。傍にある長命寺は元々はこちらの別当だったようです。
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長命寺(ちょうめいじ)は、高野台にある真言宗豊山派の寺院。山号は東高野山。江戸時代から「東の高野山」として関東地方でも有数の霊場として広く人々から信仰を得ていたようです。
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南大門はこの寺の山門で四天王像が安置されていました。
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順天堂練馬病院。
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練馬区は23特別区の中では5番目に広く、人口は第2位。そして人口10万人あたりの一般・療養病床数は23区内で最低。昭和61年11月に地域医療振興協会練馬光が丘病院)が開設したがそれでも病床数の不足は解消しなかったようです。順天堂が2005年に開院、それでも病床数不足。現在この病院は400床の病院とのことでした。

都立石神井公園。
三宝寺池、石神井池の二つの池を中心とした公園で、園内は起伏に富み、武蔵野の自然がよく残っていました。木々に囲まれ静寂な趣の三宝寺池と、ボートで賑わう石神井池のほかに、石神井城跡とこれに関する幾つかの遺跡がありました。20万uの広さがあり十二分に緑を満喫できる公園です。
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茅葺の旧内田家
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ふるさと文化館
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池渕史跡公園石神井氷川神社は石神井の郷の総鎮守社。
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現在の町名では、石神井台から石神井町、上石神井、下石神井、立野町までを含む全域の鎮守(守り神)。今日、一般には「石神井のお氷川さま」と呼ばれているとのこと。神社の創建は、古く室町時代にさかのぼり、室町時代の応永年間(1394-1428)に、このあたりに勢力の大きかった豊嶋氏がこの地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まり。武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社から御分霊を奉斎したのです。石神井城落城後も氷川神社に対する村民の尊崇は篤く、鎮守の神として仰がれて現在に至っているのです。 社殿は本殿・拝殿ともに流れ造りです。社殿に向かい右手にある神楽殿は、昭和12年の建立。

石神井城の中心郭跡。
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石神井城は鎌倉後期に秩父平氏の豊島氏とされている。三宝寺池からの水の支配のために、この地に建てたとされているのです。 武蔵関公園から流れる石神井川と三宝寺池(石神井公園)を起点に延びる谷との間に挟まれた舌状(せんじょう)台地上に位置しています。
この石神井城は文明9年(1477)の4月、扇谷上杉家宰、太田道灌によって落城し、廃城となっています。

三宝寺池沼沢植物群落。
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今日も27℃、晴れ渡った青空の元、参加者5名は信野講師、小玉TDの付き添いで気持ちよくウォーキングしました。歩程10km、約2万歩でしたが練馬区、それも石神井の公園巡りという感じのウォーキングで都心とはいえ、緑の中を十二分に歩き回り気持ちよく終了でした。
今回で東京23区中、21区終了。後は都合で参加できなかった北区と大田区を残すのみです。
この東京新発見旅23区めぐりはこれで3巡目だそうです。まだ不参加の所は何時催行なのかわかっておりませんが気長にチャンスを待つことにいたします。とにかくこれで一段落。ヤレヤレと思いつつ面白いシリーズでした。
posted by yunofumi at 22:46| あちこちウォーク