2017年11月09日

2017.11.8 第19回東京の新発見「板橋区」

都営三田線高島平駅東口改札⇒高島平団地⇒高島平8丁目交差点⇒熱帯環境植物園⇒高島第一中学校⇒徳丸ヶ原公園⇒徳丸ヶ原公園前交差点⇒高島平2丁目⇒高島平図書館⇒高島平児童館⇒高島特別支援学校⇒赤塚公園⇒諏訪神社⇒竹の子公園⇒赤塚城跡⇒郷土資料館⇒赤塚トンボ池⇒板橋区立美術館⇒不動の滝公園⇒麦の子保育園⇒大仏そば萬吉禎(昼食)⇒赤塚植物園⇒乗蓮寺・東京大仏⇒麺工場幸住⇒松月院・大堂⇒東武東上線下赤塚駅

以前、板橋区は川越街道歩きで通りましたが本日はまったく別の地区という感じ。板橋区はマップを見ると板橋・上板橋・志村・赤塚の地区がありますが本日は高島平団地のそばと赤塚地区を重点的に見て歩きました。

高島平は板橋区北部、荒川及び新河岸川南岸にあり、北側は新河岸、西側は三園、南側は大門・四葉・徳丸・西台、東側は蓮根と接しているようです。高島平は1丁目から高島平9丁目までありそのほとんどが高島平団地とのこと。昭和40年過ぎに団地ができる前は徳丸ヶ原といわれた地区で約2万人超の住人がいるようです。
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熱帯環境植物園は、東南アジアの熱帯雨林を立体的に再現していました。潮間帯植生、熱帯低地林、集落景観の3つの植生ゾーンに分かれた温室を中心に、熱帯の高山帯の雲霧林を再現した冷室、さらに地階にはミニ水族館を設け、海から山へと続く、一連の熱帯環境を楽しみながら学べる博物館型植物館とのことでした。隣接している高島平温水プールや高島平ふれあい館とともに、板橋清掃工場の余熱を利用した省エネルギー型の施設として平成6年9月に誕生したのです。
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徳丸ヶ原公園。
「徳丸ケ原」は、板橋区中西部、高島平、新河岸、三園など、荒川の南岸一帯を指すとのこと。ここはもともと幕府の鷹場だったのが、8代将軍吉宗の時代から鉄砲の稽古場として使われるようになったとのこと。明治時代になると民間に払い下げられて開墾が進められ、「徳丸たんぼ」・「赤塚たんぼ」と呼ばれる一大水田地帯が出来上がったのです。昭和40年代になると高島平団地や地下鉄の建設や住宅地ができ公園となったです。
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東京都立赤塚公園は、その昔、赤塚城があった所。運動施設を中心とする中央地区、自然林に覆われた丘陵地など変化に富んでおり、高島平団地と首都高速5号池袋線に沿って東西に連なっているようです。
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諏訪神社の創建は文明年間といわれ、赤塚城主千葉自胤が信州諏訪大社の分霊を勧請してここに祀り、赤塚城の鬼門除けにしたとのことです。本日は伺わなかった徳丸北野神社とともに、国重要無形文化財に指定されている「田遊び」や区無形民俗文化財の「獅子舞」が伝承されています。田遊びは、旧正月にその年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈願し神に奉納する行事で、稲作の作業内容を唱える言葉と所作を田の神に奉納し、豊作を祈願する予祝の祭りのことのようです。
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板橋区大門にある竹の子公園には、鳳凰竹、金明竹など13種類の竹が植えられているようです。
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赤塚城跡は戦国時代、この辺りを支配していた千葉氏の居城跡。中世の典型的な平山城で、周辺には空壕など遺構がわずかに残っていました。ここを居とした千葉自胤は、太田道灌と結んで勢力を伸ばしていました。その後、小田原の北条氏に従ったところ、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏は滅亡。徳川家康の江戸入府に伴い、赤塚城も廃城となったのです。
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赤塚城址及び赤塚溜池公園に隣接した郷土資料館は、板橋区の歴史や文化・自然に関するさまざまな資料、情報の展示を行い、郷土に関する講習会・講座・体験学習を行っているとのことでした。
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赤塚溜池公園赤塚トンボ池 は通称「溜池公園」。公園入り口にある梅林と美術館の間にひっそりと赤塚トンボ池が有りました。殆ど水は湧いていないようで、いつも濁り気味だそうで近頃は秋でも赤とんぼはみられないようでした。

赤塚公園の城址地区、赤塚溜池公園からすぐの所に不動の滝公園がありました。此処は東京都名湧水57選にも選ばれているようです。木々に覆われた崖から、わずかにちょろちょろと湧水が流れていて、昼間でも薄暗く、一種独特の雰囲気があり、パワースポット的な場所にも見えました。不動の滝は江戸時代の中頃、地元の人たちが富士山や大山(神奈川県伊勢原市)などの霊山に詣でる際に、身を清める「みそぎ」場として使われていたそうです。
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大仏そば萬吉禎(昼食)
今まで食べた蕎麦の中で一番美味い蕎麦屋さんでした。おそばの香りが漂っていました。どうやら自家製の石臼挽きを使っているらしいです。
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赤塚植物園は、武蔵野の面影もある赤塚の丘陵地にありました。1981年(昭和56年)に開園とのこと。構成は本園と万葉・薬用園からなり、本園は、約1haの敷地内に樹木見本園として多くの樹種が植えられ、その下には野草もありました。また万葉・薬用園には、万葉集に詠まれた植物や薬用植物が植えられ、解説も十分でした。本日は花が少なく残念。また春でも来てみたいと思いました。
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乗蓮寺は浄土宗の寺院で東京大仏が有名。この辺りの郷主・板橋信濃守忠康の菩提寺で人々から信仰されていたようです。1591年(天正19年)に徳川家康から十石の朱印地が寄進、その後も歴代の将軍から朱印地が与えられ格式ある寺院となったようです。また八代将軍・徳川吉宗の鷹狩の際の休憩所・お膳所としても使われたようです。この地に移ったのは1973年(昭和48年)でここは赤塚城の二の丸跡とのこと。山号は赤塚山。
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1977年(昭和52年)、東京の関東大震災や東京大空襲などが再び起きないように願いを込めて東京大仏が建立されたとのことです。
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麺工場幸住は製造販売を直に行っているお店で、TVでも有名らしいです。お値段はリーズナブルで工場直売の生ラーメンですからとても人気があるとのことでした。私はラーメンが苦手なのでちょっと眺めていただけでした。
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松月院(しょうげついん)は、曹洞宗の寺院。山号は萬吉山(ばんきざん)。正式名称は、萬吉山宝持寺松月院とのこと。元々は、房総に勢力を持っていた武将・千葉自胤が1459年(康正2年)に今の市川から赤塚城に移り、その後1492年に此処にあった古寺・宝持寺を自身の菩提寺として定め、土地を寄進し、松月院と名を改めさせたのが始まりとのこと。江戸時代には、徳川家康より40石の朱印地が与えられ、また歴代の将軍からも保護を受け発展してきたようです。
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幕末には、砲術家として名高い高島秋帆が1841年に近隣の徳丸ケ原(今の高島平あたり。高島平の名は高島秋帆にちなんでいるようです)で西洋式の砲術訓練を行った際に本陣がこの松月院に置かれたのです。この訓練は当時の大名などを驚かせ、高島秋帆に大きな名声を与え、さらに松月院も有名になったのです。また明治時代には、一時期旧赤塚村の村役場が境内に置かれていたとのことです。

松月院大堂は松月院から少し離れたところにありました。石段側に阿弥陀堂(豊島八十八ヶ所札所の40番)と国の重要美術品に認定された梵鐘がありました。
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鐘楼には看板があり「この釣鐘は国の重要美術品に認定されている暦応の古鐘です。鐘には少し割裂がありますので保存上つき鳴らすことを禁止しております 松月院」とありました。

本日は朝10:00〜15:10、実質4時間、約15000歩のウォーキングでした。何よりだったのは曇り空で風もなく18℃、今にも雨が落ちてきそうでしたが木々の紅葉が見られ、まずは良かったです。赤塚地区は板橋の文化を感じさせる施設が多かったのが印象的でした。今後も時々お散歩方々来てみたいところでした。
posted by yunofumi at 23:35| あちこちウォーク