2017年07月19日

2017.7.15 第17回東京の新発見「世田谷区」

東急田園都市線駒沢大学駅⇒駒沢大学駅前商店街⇒駒沢大学⇒駒沢大学耕雲館⇒向井潤吉アトリエ館⇒親和橋商店会⇒世田谷1丁目⇒松崎煎餅⇒松陰神社通り⇒松陰神社前駅⇒櫻井米店⇒松陰神社・吉田松陰先生他烈士墓所・松下村塾⇒国士館大学⇒勝国寺⇒世田谷区役所城山分庁舎⇒城山小学校⇒豪徳寺2丁目⇒豪徳寺・本殿・六地蔵・井伊直弼墓⇒世田谷城跡⇒旧玉電踏切⇒SAIGON(昼食)⇒大場家住宅・郷土資料館・世田谷ボロ市⇒桜小学校バス停⇒世田谷警察署松ヶ丘交番⇒東京農大第一高校⇒東京農大食と農の博物館⇒馬事公苑⇒桜新町駅

東急田園都市線駒沢大学駅から約10分で駒沢大学到着。
駒沢大学は日本の仏教宗派の一つである曹洞宗が1592年(文禄元年)に設立した吉祥寺の学寮(吉祥寺会下学寮)を起源とする旃檀林(1657年命名)が発展した大学。曹洞宗の開祖は道元禅師。駒澤大学の建学の精神は、「仏教」の教えと「禅」の心を現代的教育に活かしてゆくこと。このことは「行学一如」と「信誠敬愛」の言葉で示されているとのこと。
現在、コメディアンの萩本欽一さんが学生となっていることは有名なことです。
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駒澤大学禅文化歴史博物館は、1928年(昭和3年)に菅原榮蔵によって図書館として建築されたのが「耕雲館」。2002年(平成14年)6月からは、禅文化関係の文物を収集・保存・展示する博物館となったとのこと。図書館が所蔵していた貴重書や禅堂の彫刻などを移転して再構成し、その特徴的な建築は東京都選定歴史的建造物に認定されており、また世田谷芸術百華にも参加しているとのことです。本日はお化粧直しで布に覆われており外観はよくわかりませんでした。
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修行僧の食事です。
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天井のステンドグラスが綺麗でした。
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向井潤吉先生は、戦後より一貫して、日本の風土に根ざした茅葺き屋根の民家をモティーフとして、制作してきた画家。戦後の高度経済成長の中で次々にその姿を消していく民家を求め、つねに現場におもむき、誇張のない的確な写実表現によって、民家のありのままの姿を生き生きととらえ、日本の美しい風土そのものを描き残してきたのです。
向井潤吉アトリエ館は、向井先生と家族が昭和8年より住まわれてきた世田谷区・弦巻の閑静な住宅地にありました。クヌギ・コナラ・ケヤキなど、武蔵 野の面影を今に残す樹木に囲まれたアトリエ館は、瀟洒な雰囲気を醸し出し、潤いのある憩いの場と感じさせました。アトリエ館は、昭和37年に建てられた、アトリエと住まいを兼ねた建築と、昭和44年に岩手県一関より移築された土蔵が対になっていました。 
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松陰神社の鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった所。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年(文久3年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓がここに改葬されたのです。1882年(明治15年)、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。現在の社殿は1927年から1928年にかけて造営されたものである。松陰神社はこの世田谷区と山口県萩市にあります。
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松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前があります。松下村塾を模造した建物や頼三樹三郎、広沢真臣らの墓もありました。松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されましたが、明治元年(慶応4年)、木戸孝允がこれを修復整備しています。墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居があります。また、敷地に隣接する形で桂太郎の墓もあります。桂自身の遺言により、この地に埋葬されたとのことです。

吉田松陰先生他烈士墓所
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松下村塾
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勝国寺(しょうこくじ)は、新義真言宗の寺院。この地が世田谷城の裏鬼門に位置しており、鬼門除けのために薬師如来を安置して祀ったのが起りとのことです。
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豪徳寺(ごうとくじ)は招き猫発祥の地といわれ、境内には招き猫が一杯でした。
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この辺りは中世の武蔵吉良氏が館を構え、1590年(天正18年)の小田原征伐で廃城となった世田谷城の主要部だったようです。
1480年(文明12年)、世田谷城主吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために「弘徳院」と称する庵を作ったのです。当初は臨済宗に属していましたが、1584年(天正12年)曹洞宗に転じています。
1633年(寛永10年)、彦根藩主・井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し、整備したとのこと。寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」によるとのことでした。
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なお、徳富蘆花の「謀反論」にもあるとのことですが、松陰神社とは谷を挟んで目と鼻の先でした。豪徳寺は吉田松陰を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼の菩提寺であることも不思議でした。

三重塔
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井伊直弼墓
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世田谷城跡。
世田谷城は、吉良氏によって築かれた平山城で世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えた場所。世田谷城は経堂台地から南に突き出た舌状台地上に占地し、城域の三方を取り囲む様に麓を烏山川が流れ天然の堀を成していたとのこと。豪徳寺付近に本丸を置き、現在の世田谷城址公園付近まで城域が拡がっていたものと考えられているとのこと。世田谷城址公園内から北に向けて延びる、空堀及び土塁が現存していました。
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仲良し3人のおじ様は本日も元気に参加されていました。
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大場家住宅は世田谷代官屋敷といわれ、彦根藩世田谷領の代官を世襲した大場家の私邸と役宅でした。敷地内には、表門と主屋、お白洲の玉砂利が白洲跡として残っていました。表門はボロ市の開かれるボロ市通りに面して建つっており、主屋は約70坪で茅葺、寄棟造りでした。世田谷ボロ市は世田谷区で毎年1月15・16日と12月15・16日に開かれるボロ市のこと。また本日はホタル祭りとサギ草市の日で表門も開いており、賑わっていました。
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サギ草
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大場家住宅に隣接して郷土資料館がありました。さまざまな資料や模型で世田谷の歴史が細かく説明されており、世田谷にも古墳があったことも示されていました。
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入口傍には擂臼、麦打ちコロ、狐の石像、地蔵菩薩など集めてありました。
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1578年、北条氏政の「楽市掟書」により世田谷城下で始まった楽市を嚆矢としているとのこと。江戸と小田原の間にある世田谷宿において伝馬の確保のため、宿場を繁栄させようという目的があったと思われるようです。その後、北条氏が豊臣秀吉により1590年の小田原征伐で没落し、北条氏の配下であった吉良氏の世田谷城も廃止されたことから、楽市は急速に衰えたのですが、その後も近郊農村の需要を満たすため、農具市として年末に開かれる歳市に形を変えて現在につながっているのです。
ボロ市名物は味があんこ、きなこ、からみの3種類の代官餅だそうです。

東京農大食と農の博物館は食と農を通して、生産者と消費者、シニア世代と若い世代、農村と都市を結ぶことがコンセプト。 様々なイベントや隣接する展示温室“バイオリウム”では、楽しい学びの場を提供しているようです。ということで“見る、聞く、触る、味わう”という食と農、そして環境について見分できました。
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カフェ プチ・ラディッシュではビタミンCが豊富なカムカムドリンクをいただきました。
珍しい味だったのでとちのはちみつと共にお土産にゲットしました。
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帰路の終点は東急田園都市線桜新町でした。ここではサザエさん一家のお見送りをいただきました。
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本日も14名が参加。講師は牧さん、CDは長身の小玉さん。晴天のもと、暑さは厳しく34℃でしたので施設に伺っては調子を整え、一気にウォーキングというパターンを繰り返し、朝10:00〜15:00で約11km、歩程20000歩を全員が完歩。
少し残念だったのは世田谷美術館が改修工事のため休館中で見られなかったことです。でもきちんとそれを補うべく向井潤吉アトリエ館を組み込んでいたのはサスガ!!と思いました。
本日で都内23区中17区終了。まだまだ先が長いので気長に楽しく回を重ねたいと思っております。
posted by yunofumi at 04:09| あちこちウォーク