2017年07月17日

2017.7.11 銀座線ウォーク第4回 

上野広小路〜浅草

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキング。
第1回は渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附。
第2回は赤坂見附・溜池山王・虎の門・新橋・銀座・京橋。
第3回は京橋・日本橋・三越前・神田・末広町・上野広小路。
そして本日、第4回目は上野広小路・上野・稲荷町・田原町・浅草まで。

上野広小路駅⇒あすか信用金庫上野支店⇒箭弓稲荷神社⇒湯島中坂下交差点⇒本富士警察署天神町交番⇒湯島駅⇒上野恩賜公園・上野公園野外ステージ・不忍池・彰義隊戦争の黒門跡・西郷隆盛銅像・彰義隊の墓・清水観音堂・上野精養軒・パゴダ薬師堂・上野大仏⇒正岡子規野球場⇒摺鉢山古墳⇒上野駅・パンダ橋⇒東京メトロ銀座線踏切⇒日本警察犬協会⇒広徳公園・広徳禅寺遺跡⇒台東区役所⇒上野消防署⇒下谷神社・寄席発祥の地碑⇒稲荷町駅⇒誓教寺・葛飾北斎の墓⇒光明寺⇒妙音寺⇒聖徳寺・玉川庄右衛門および清右衛門の墓⇒
本覚寺・ガンダーラ仏⇒福徳稲荷神社⇒矢先稲荷神社⇒合羽橋商店街・かっぱ河太郎⇒浅草みよし(昼食)⇒東本願寺⇒西浅草1丁目⇒等光寺・石川啄木碑⇒宗吾霊堂⇒黒船神社⇒浅草消防署前交差点⇒バンダイ⇒駒形1丁目・駒形どぜう⇒世界のカバン博物館・新川柳作記念館⇒都営地下鉄浅草駅⇒雷門そば⇒駒形橋⇒駒形堂⇒雷門郵便局⇒東京メトロ浅草駅⇒松屋浅草7階駅見世・六本木六丁目食堂

今日も朝から陽ざしが厳しく暑い!20人が参加、3グループに分かれ東京シティガイドクラブの女性3人が説明役。私はB班で大和さんが担当。

上野恩賜公園は上野駅下車でいつも桜や動物園、博物館などを見に来る所。元々は江戸城の鬼門だったということで寛永寺などができたようです。オランダ医師アントニウスボードウィンの提案で公園になったとのこと。今日は不忍池の池のスイレンが綺麗に咲いていました。
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上野は1868年1月鳥羽・伏見の戦で始まる旧幕府佐幕派諸藩軍と朝廷側の倒幕軍との内戦だった戊辰戦争で寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅した上野戦争があった場所。彰義隊戦争の黒門跡、西郷隆盛銅像、彰義隊の墓を見ました。
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清水観音堂は寛永8年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって創建。天海大僧正は寛永2年に、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた上野忍が岡に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開山と同時に、比叡山が京都御所の鬼門を守護、王城の鎮護を担うと伝えられるのに倣い、江戸城の鬼門の守りをも意味したとのことです。その時に建立されたのが清水観音堂です。
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パゴダ薬師堂と上野大仏がある丘に釈迦如来坐像が安置されていました。 
最初の大仏は越後村上藩主堀直寄が寛永8年(1631)に造立し、2.8mの釈迦如来像だったようですが粘土を漆喰で固めたものであった為、1647年(正保4年)の地震により倒壊してしまったのです。その後再建されたようですが1873年(明治6年)上野公園開設時に仏殿が取り壊され、1923年(大正12年)の関東大震災では大仏の面部が落下、また第二次世界大戦における金属供出令により大仏の体・脚部を国へ供出した為、面部のみが寛永寺に遺ったようです。寛永寺では、1972年(昭和47年)丘陵上野左手に壁面を設け、いまのように「上野大仏」の顔をレリーフ状に奉安のです。
時の鐘は上野精養軒の看板傍にありました。
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摺鉢山古墳にはびっくり。上野公園内にある全長約70mの前方後円墳。後円部径約43m・高さ約5m、前方部最大幅約23m、埴輪片が出土しており内部構造は不明とのこと。5世紀頃の築造のようです。
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東京メトロ銀座線唯一の踏切で上野検車区の出口。遮断機の先は、下り勾配になっていて、トンネルに入り、地下鉄の上野駅へ続いているのです。
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広徳禅寺遺跡は区役所に隣接している「広徳児童遊園」に「広徳禅寺遺跡」の碑がありました。広徳禅寺はもとは台東区役所となっている所。
 「びっくり下谷の広徳寺、おそれ入谷の鬼子母神」と入谷の鬼子母神と並び江戸を代表する寺院として知られ、加賀前田家・会津松平家など多くの大名家菩提寺となっていました。墓所には大名家の多宝塔などが林立する壮観な寺院でしたが関東大震災により焼失し、現在は練馬区桜台に移転しています。 
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下谷神社・寄席発祥の地碑
下谷神社は、第45代聖武天皇の730年(天平2年)に峡田稲置らが、日本武尊の神徳を崇め奉って上野忍ケ丘の地にお祀りしたのが創まりとのこと。
東京大空襲では焼失しなかったとのこと。
また、下谷神社は1798年(寛政10年)に初めて寄席が行われた地で、境内には「寄席発祥の地」の石碑がありました。
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誓教寺・葛飾北斎の墓
葛飾北斎は江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖。本姓は中島、名は時太郎のち鉄蔵。号は春朗、宗理、可候、画狂人、卍翁など三十余あったとのこと。1760年(宝暦10年)江戸本所割下水の生まれ、父は徳川家用達の鏡師中島伊勢とのこと。十四、五才の時彫刻師に学び、十九の時に浮世絵師勝川春章の門に入ったが、ひそかに狩野派の画法を学び破門。以来土佐派、淋派、洋風画、中国画などを学び独自の画境を開いたのです。肉筆画、版画、絵本、さし絵などに手腕をふるい、特に風景画は広重とともに称賛され、「富岳三十六景」をはじめ傑作が多い。彼の作品はヨーロッパに多く流れ、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えたのです。
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聖徳寺には玉川庄右衛門および清右衛門の墓がありました。この二人は江戸時代初期に江戸市民の飲料水を確保するために、玉川上水を開発したのです。
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本覚寺・ガンダーラ仏
祖師堂はとても雰囲気が良かったです。
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矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)には福禄寿が祀られていました。1642年(寛永19年)、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立し、弓の射技練成のために「通し矢」が行われたとのこと。また京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけらたのです。 1698年(元禄11年)浅草の大火や関東大震災、東京大空襲などにもあったのですが現在地に再建されています。
浅草名所七福神(あさくさなどころひちふくじん)は浅草寺(大黒天)・浅草神社(恵比須)・本龍院(毘沙門天)・今戸神社(福禄寿)・不動院(布袋尊)・石浜神社(寿老人)・吉原神社(弁財天)・鷲神社(寿老人)そして矢先稲荷神社(福禄寿)。いつか一巡してみたいものです。
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合羽橋商店街・かっぱ河太郎
東京合羽橋商店街振興組合が平成15年に「合羽橋道具街」が誕生90年を記念してシンボル像「かっぱ河太郎」を建立。「合羽橋道具街」は、明治末期から大正初期に古道具を取り扱う店の集まりから発生、第二次世界大戦後に主に料理飲食店器具や菓子道具を販売する商店街へと発展したのです。現在では、和、洋、中華食器、漆器、和洋菓子機器、厨房設備器具、ショーウインド、和洋家具、店舗装備デザイン施工、サンプル、看板、食料原材料、包装用品等を取り扱う 170店舗、約 800mの専門店街となっています。
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浅草みよし(昼食)は素晴らしく美味しいお店でした。色々次から次のお料理が並び、これは個人で来るとかなり良いお値段かもしれません
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東本願寺(ひがしほんがんじ)は、浄土真宗東本願寺派の本山。ご本尊は阿弥陀如来。2017年現在の住職は、浄土真宗東本願寺派第26世法主である大谷光見(聞如)師。境内は4252坪と広く荘厳な雰囲気が満ちていました。
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等光寺・石川啄木碑
等光寺は、斎藤道三に殺された土岐頼藝の遺子大圓が、父祖を追福するため三河國宝飯郡廣石村に創建、慶長14年(1609)神田旅籠町へ移転、明暦の大火により浅草へ移転したということです。ここには明治時代に活躍した詩人、石川啄木の歌碑があり、啄木の処女歌集「一握の砂」に収められた「浅草の夜のにぎわひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心」の句が刻まれていました。啄木生誕70年にあたる1955年(昭和30年)に建立されたのです。
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宗吾霊堂は桓武天皇の時代に、征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定し、戦没者供養のため建立された真言宗豊山派の寺院。義民といわれる佐倉宗吾(木内惣五郎)は、350年前に佐倉藩国家老による暴政のため領民の救済を4代将軍家綱公へ直訴し、その罪により公津ケ原刑場で磔刑(はりつけ)に処せられのです。
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黒船神社は、平将門の乱を平定した平貞盛・藤原秀郷が造営、黒船稲荷大明神と号して天慶3年(940)に創建。藤原秀郷は、財宝を積んだ黒船に白狐がいる霊夢を見、墨田川の浜の石上に当社を勧請したとのこと。江戸時代に入り散穂稲荷大明神、紅葉山稲荷大明神を合祀、黒船三社稲荷大明神と称されたのことです。狛犬から見てもっと大きな神社だったと思われました。
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世界のカバン博物館は大手カバンのメーカーのエースが運営する施設。中はカバンに関するパネル展示、現物展示、ビデオ展示など、想像以上におもしろかったです。8階はカバンのエースの創業者・新川柳作氏の記念館とラウンジになっていました。新川柳作さんが石川県旧松任町の出身とはじめて知りました。
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駒形堂
駒形堂は隅田川にかかる駒形橋の傍らに建つています。628年に浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩が宮戸川(隅田川)で発見されたこの地に設けられたお堂。 江戸時代は駒形堂のすぐ前に船着き場があり、ここから上陸した人びとはまず駒形堂を拝み、次に浅草寺に参拝したとのことです。
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東京メトロ浅草駅
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銀座線は1927年(昭和2年)に浅草 - 上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、アジア・オセアニア地域では初めての地下鉄路線だったのです。今回4回シリーズで路線に沿いウォーキングできて面白かった!!東京は実に名所旧跡が多く、ウォーキングにはとてもよいのです。
今朝は9:30〜15:00、32℃の炎天下の中、すべての参加者がペースも落とさず、完歩。朝日旅行では完歩賞は特になく、ケーキセットがふるまわれました。最近ウォーキング参加者は80歳以上も多く、皆さんが驚くばかりの元気さです。またお会いしましょう。
posted by yunofumi at 04:51| あちこちウォーク