2017年07月05日

2017.6.27 1300kmドライブ旅行 5日目

いよいよ本格的に表日本から裏日本へという感じ。
山々の間を縫って進み、ここでトラブったらコワーイ!と思いつつ、愛車は順調!!

ホテルサンルート彦根→名神高速道:彦根IC・米原JCT・賤ヶ岳SA・南条SA・福井IC→福井城址・福井神社・福井市立歴史博物館・養浩館庭園・福井市美術館→福井アカデミアホテル(福井県福井市)
本日のドライブでの移動は114kmを2時間30分で終了。午後雨が降るかも!と思い素直に急いだのです。

福井城址公園。
福井城は城郭の一部が現存するのみでした。形式は平城。本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされているようです。この城は福井藩主越前松平家の居城、城下町として栄えたのです。別名、北ノ庄城といわれ築城は柴田勝家とのことですが1583年の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻・市と共にここで自害したのです。
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天守跡には福井の名前の元となった「福の井」が復元されていました。
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またお濠をぐるりと歩くと山里御門が復元中とあり、それに続くお殿様が渡った御廊下橋も復元中でした。
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明治維新の際には徳川親藩、または譜代大名の尊王派の中心人となっていた松平慶永公を祀る神社として知られるのが「福井神社」。1943年に創建されました。当時は総檜造りの社殿だったのが創建後間もなく戦災で焼失し、昭和32年には福井大学工学部の設計により、総コンクリート造りという独特の様式で再建されたのです。近代的な建築でありながら、境内には、幕末の福井藩士の他、橋本左内などが祀られています。
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福井市立歴史博物館は元々、1953年(昭和28年)に足羽山に開館して以来、福井に関する史料を収集し、福井市春嶽公記念文庫をはじめとする福井藩、越前松平家に関する資料が充実していました。2004年(平成16年)に越前松平家の別邸であった養浩館庭園に隣接して福井城の門舎人門が復元されたことで現在地に移転し、新築開館したのです。現在はこの一帯は福井歴史の庭散策ゾーンとして整備されていました。
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養浩館庭園は、江戸時代には「御泉水屋敷」と呼ばれ、福井藩主松平家の別邸だったようです。明治時代、廃藩置県となった後も御泉水屋敷の敷地は引き続き松平家の所有地とでその福井事務所や迎賓館として機能したようです。明治17年には松平春嶽によって「養浩館」と名づけられたのです。また養浩館は、その数寄屋造邸宅や回遊式林泉庭園が早くから学会で注目され、すでに戦前には建築史・庭園史の専門家の調査があったようです。
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福井市美術館。
ユニークな建物は黒川紀章の設計。外壁のほとんどがガラスで曲線を多用した不思議な形でこれは黒川紀章が提唱した「共生」の思想を表現しているとのこと。ここでは彫刻ならではの自然光による作品鑑賞や、明るい雰囲気の中で行う創作など、豊かな創造活動が行えるのです。第二次世界大戦前後の動乱期をフランスで過ごした彫刻家・高田博厚の作品が収蔵、展示されているようです。本日はこドライブ中にカーラジオで企画展 “版画にみる『美しき時代 ベル・エポック展』〜ロートレックたちが描いた華麗なる巴里〜”を、開催中との情報があり急遽、立ち寄りました。
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福井県には子供のころからよく来ていましたが東尋坊以外の観光ははじめてでした。本日はまったく優雅な観光三昧!でした
普段、時間にかまわず行動することがなかなか難しい日々です。
有難く、のんびり、気ままで、今日も感謝。13000歩もありがとう。
posted by yunofumi at 23:14| ドタバタ日記