2017年06月08日

2017.5.27 横浜散策第2回 中区

JR石川町駅南口⇒石川町駅前歩道橋⇒石川町2丁目⇒大丸谷震災地蔵尊⇒横浜市立元町小学校⇒フェリス女学院⇒外交官の家⇒三育幼稚園前交差点⇒中央大学⇒カトリック山手教会⇒山手公園⇒日本庭球発祥之地碑⇒横浜山手テニス発祥記念館⇒旧山手68番館⇒明治3年日本発の様式公園⇒横浜市立元町小学校⇒公園坂⇒上野町4丁目⇒山手駅入り口交差点⇒大村薬局⇒麦田町バス停⇒Plow Cafe⇒大和町バス停⇒山手駅入り口交差点⇒妙香寺⇒妙香寺前交差点⇒キリン園公園入口交差点⇒千代崎町1丁目⇒キリン園公園⇒北方小学校⇒諏訪町⇒北方小学校前交差点⇒山手本通り⇒ベーリックホール⇒元町公園⇒山手80番館遺跡⇒大正活映撮影所之跡⇒代官坂⇒元町2丁目⇒本丸亭⇒代官坂通り⇒元町プラザ⇒ウチキパン⇒山手外国人墓地⇒元町・中華街駅

駅を離れすぐに石川町駅前歩道橋を上り、早速街の地形を眺めて出発です。
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大丸谷坂震災地蔵尊。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の震源地は相模湾で死者約10万人という大地震。この辺りでも火災が発生し、人々は大丸谷坂を高台へと上ったのです。でも凄まじい火炎が付近の草木も焼き尽くしその結果約50名の方がなくなったそうです。このお地蔵さまは震災50周年に当たり建立されたとのことです。
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外交官の家。
こちらはもともとニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられました家。 設計者はアメリカ人のJ.M.ガーディナー。建物は木造2階建て塔屋つき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響があるとのこと。1階は食堂や大小の客間、2階は寝室や書斎などがあり、部屋の家具や装飾はアール・ヌーボー風でした。
1997年(平成9年)横浜市が内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館を寄贈され、山手イタリア山庭園に移築復元されたのです。庭園も素晴らしかったです。
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カトリック山手教会。
聖フラシスコ・ザビエルにより日本宣教が始まった1549年の後、厳しいキリシタン弾圧が続いたけれど、幕末の1859年開港時に日本再宣教のため、パリ外国宣教会のジラール神父らが来日。1862年横浜居留地80番地(現横浜市中区山下町80)に「横浜天主堂」(イエズスの聖心教会)が造られたのです。ちなみに長崎大浦天主堂はこの3年後にできたとのことです。ということでここは日本最初の教会なのです。
1906年、天主堂付近の市街化により現在地に移転し2代目の双塔を持つゴチック風の聖堂ができたが1923年の関東大震災によって崩壊。現在の聖堂は3代目だそうです。
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教会の中庭にある聖母像は、1868年にフランスから贈られたもの。開国後初のキリスト教会として1862年(文久2年)に居留地に建てられたイエズスの聖心教会の入り口の上にありました。1906年(明治39年)に教会が、現在の地(山手町44番地)に移転した際に現在の場所に移されたとのことです。
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山手公園は、日本初の洋風公共庭園。
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山手公園内にある日本庭球発祥之地碑。
山手公園内に、1870年(明治3年)に横浜居留地外国人のレクリエーション施設としてテニスコートが造られたのですということでここが日本における庭球発祥の地とされているのです。
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横浜山手テニス発祥記念館は、横浜インターナショナルテニスクラブ創立120周年を記念して建てられ、テニスの歴史パネルなどが展示されていました。
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旧山手68番館は現在山手公園管理事務所となっていました。

横浜市のマンホール。
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Plow Café(昼食)は麦田町にあったカフェ。さぐが横浜、ウォーキングでは珍しくイタリアンでした。
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妙香寺は814年(弘仁5年)真言宗の開祖弘法大師(空海)の創立で当時は本牧山東海寺と称していたとのこと。その後 日蓮聖人の日蓮宗に改宗し連昌山妙香寺となり、現在は本牧山妙香寺。1923年(大正12年)9月1日関東大震災で焼失、1927年(昭和2年)に失火で焼失、1945年(昭和20年)5月29日に第二次 世界大戦横浜空襲により全山焼失。でも今は再建されているのです。
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境内には君が代発祥の地碑がありました。
君が代の歌詞は古今和歌集第7巻賀歌の部の一部。作曲は明治2年秋に英国陸軍の楽長ジョン・ウィリアム・フェントン。その後この曲を排して宮内省の林広守の曲が現在も使われているとのこと。
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また日本吹奏楽発祥の地もありました。
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1854年(安政元年)ペリー提督と一緒に上陸した楽隊が演奏したのが日本初の洋楽演奏。
その後日本で初の楽隊となった薩摩藩洋楽伝習生がこの妙香寺を寄宿舎として吹奏楽を学んだのです。

キリン園公園はキリンビール発祥の地。中央に巨大な麒麟麦酒開源記念碑の碑がありました。
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この一帯はかつて、天沼と呼ばれる清水の湧きでる地で明治初期には山手居留地123番地と呼ばれたのです。1870年(明治3年)には、ウィリアム・コープランドが「スプリングバレー・ブルワリー」を開設しこの良質な井戸水を使い、ビールの醸造を始めたのです。明治18年には後藤象次郎や岩崎弥之助、ベルツなどが加わりジャパン・ブリュワリー・コンパニーとなってスプリング・ヴァレー・ブリュワリー事業を継承し、麦酒に「麒麟麦酒」と命名。大正12年関東大震災で工場などすべてを生麦に移転。現在に至っているのです。その工場跡地はキリン公園と北方小学校なのです。当時の名残として、キリンビールの寄贈により1967年に修復されたビール井戸が校内に保存されています。
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元町公園は横浜の山手地区にある緑豊かな公園。 園内には、ジェラールの水屋敷跡や山手80番館遺跡など、歴史的に貴重なものが多くありました。また横浜山手西洋館の一部である、山手234番館やエリスマン邸やベーリック・ホール、山手234番館もありました。
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ジェラールの水屋敷跡。
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山手80番館遺跡。
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エリスマン邸。
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ベーリックホール(旧ベーリック邸)
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として1930年(昭和5年)にアメリカ人建築家J.H.モーガンにより設計され、第二次世界大戦前まで住宅として使用され、1956年(昭和31年)に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付されました。その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた時期もあります。約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルが基調、外観は玄関の3連アーチ、クワットレフォイルという小窓、瓦屋根には煙突など、多彩な装飾がありました。内部は、リビングルームやパームルーム、ダイニングルーム、白黒のタイル張りの床など、建築学的にも価値ある建物だとのことです。
2001年(平成13年)に横浜市が元町公園の拡張区域としたのです。
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大正活映撮影所之跡の碑。
大正活映は、1920年(大正9年)に設立された無声映画の配給映画会社。
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山手外国人墓地にある生麦事件犠牲者リチャードソンの墓”
生麦事件は、幕末の1862年(文久2年)に、武蔵国橘樹郡生麦村付近で、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを、供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件。
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本日は10:00にJR石川町駅南口に集合、講師は浅井先生、CDは金子さん、参加者は29名。朝はやや曇りでしたが次第に晴天となり28℃はあった感じ。1日の歩程は約4.5kmとパンフレットには明記されていましたが、先生いわく「地形に注目しながらウォーキングしましょう」の言葉通り、高低差があり、また断層も見られ、歩数はかなりとなりました。ということで終了後はお知り合いになった姉妹とご一緒にお茶をして大いに楽しみました。
横浜は18区ありますので最後まで楽しく頑張ります。
posted by yunofumi at 21:13| あちこちウォーク