2017年03月17日

2017.3.18 第14回東京の新発見 「豊島区」

JR駒込駅⇒豊島区立染井吉野桜記念公園⇒駒込橋交差点⇒六義園⇒駒込警察前交差点⇒六義園公園⇒東洋文庫⇒本駒込6丁目・旧駕籠町⇒徳川慶喜巣鴨邸跡地⇒巣鴨橋⇒JR巣鴨駅⇒染井吉野石碑⇒真性寺⇒巣鴨地蔵通り商店街⇒高岩寺⇒巣鴨薬園跡⇒東京都染井霊園⇒慈眼寺⇒本妙寺⇒豊島市場前交差点⇒ファイト餃子⇒巣鴨地蔵通り商店街⇒巣鴨郵便局⇒巣鴨地域文化創造館⇒庚申塚交差点⇒猿田彦大神庚申塚⇒都電荒川線庚申塚駅→都電荒川線向原駅⇒豊島区立朋有小学校⇒東池袋雨水調整池⇒豊島郵便局⇒サンシャインシティプリンスホテル・むさし野(昼食)⇒サンシャイン前交番⇒東池袋中央公園・巣鴨プリズン跡⇒JR池袋駅東口⇒ウイロード⇒JR池袋駅西口⇒自由学園明日館⇒西武線踏切⇒豊島区立目白庭園⇒徳川ドーミトリ⇒目黒駅交番⇒JR目白駅

JR山手線の駒込駅の北口の改札を背に右隣に「豊島区立染井吉野桜記念公園」があります。名前の通り染井吉野はこの地域(駒込・巣鴨)で発祥したので、その由来を説明する碑も建っています。ソメイヨシノは今や日本中に広まっていますが、江戸時代にこの地で“エドヒガンザクラ”と“オオシマザクラ”が自然交配でできた品種と言われています。ソメイヨシノは、一斉に咲き、そして一斉に散る様が見事なことから、日本人に好まれるようです。この公園は1997(平成9)年に開設され、園内にはエドヒガンザクラとオオシマザクラが植えられ、花を見ると親品種同士の比較ができるようにしているそうです。
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またこの敷地内には「ワシントンDCから里帰りした/ソメイヨシノ/生誕の地駒込(旧染井村)に植える」という碑もありまだまだ幼い木が植えられていました。
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六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、もともとは広大な平坦な土地だった所に丘や池を掘り、7年かけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園にしたのです。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来しているそうです。
明治初年、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、庭園を整備。この時期に周囲を現在もある赤煉瓦の塀で囲ったようです。その後は関東大震災や東京大空襲にも遭遇していないのです。
正門からは入ると内庭大門がありその前の枝垂れ桜は満開になると見事で、私はこれまでも数回見に来ています。本日はようやく花芽が見つけられる程度でした。

東洋文庫は東洋学の研究図書館。三菱第三代当主岩崎久彌が1924年に設立、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館で、世界5大東洋学研究図書館の一つとのこと。その蔵書数は国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊あり、内訳は、漢籍40%、洋書30%、和書20%、他アジア言語(韓・越・梵・イラン・トルコ・アラビア語等)10%。 現在職員は研究員も含め約80名で、2つの超域研究、10の研究班による歴史・文化研究および資料研究を行っているとのこと。 図書館は閉架式の閲覧室があるとのこと。一般に無料で閲覧や検索が出来るようです。本日は外観などを拝見しました。
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徳川慶喜巣鴨邸跡地は、巣鴨駅の駅前、白山通りに説明板と石碑がありました。
徳川慶喜は、慶応4年1月3日の鳥羽伏見の戦いで敗れ、こっそり大坂を軍艦で脱出し、江戸に逃げ帰った後 江戸城が無血開城。水戸で謹慎。その後水戸より駿府にある宝台院で謹慎。それから東京に戻ったのは明治30年。これより4年間、巣鴨に住んでいたのです。その後、明治天皇にも拝謁しているとのこと。この徳川慶喜の巣鴨邸は、中山道に面して門があり、奥行きは約200mもあったとのことで巷では「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれ親しまれていたとのことです。
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真性寺の創建年代等は不詳とのことですが、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたことが伝えられているとのこと。江戸時代に入り元和年間(1615年〜1624年)に中興されており、この時代に江戸六地蔵の第四番が安置されており、江戸幕府8代将軍徳川吉宗もたびたびこの寺に立ち寄ったとされているとのことです。
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巣鴨地蔵通り商店街は高岩寺の門前町。おばあちゃんの原宿といわれ、毎月4・14・24日に開かれる縁日には、昔懐かしい露店が地蔵通りに沿って軒を連ね、壮観を呈すると共に江戸情緒豊かな風情の中、10万人とも15万人ともいわれる善男善女で賑わうのです。
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染井霊園からとげぬき地蔵尊に行く途中の白山通り沿いにある東京都中央卸売市場豊島市場のフェンス前に、巣鴨薬園跡の説明板がありました。ここは、もともと伊勢国津藩主藤堂和泉守家の屋敷の一部で、幕府御用林となった後、巣鴨薬園だった場所とのこと。明治維新後廃止され、1937年(昭和12 年)東京市中央卸市場豊島分場が開設、現在にいたるようです。
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東京都染井霊園は都営霊園で旧称の染井墓地と呼ばれることも多いようです。
司馬江漢、斉藤鶴磯、小林平八郎、芥川龍之介、岡倉天心、高村幸太郎などのお墓を見ました。水戸徳川家墓所は水戸に移った様子で更地になっていました。

本妙寺。
1572年(元亀2年)日慶が開山。徳川家康の家臣らのうち三河国額田郡長福寺(現在愛知県岡崎市)の檀家であった武将を開基として、遠江国曳馬(現在静岡県浜松市中区曳馬)に創建された寺。その後寺地を転々とし、1616年(元和2年)小石川(現在東京都文京区)へ移り1636年(寛永13年)、小石川の伽藍が全焼し、幕府から指定された替地の本郷丸山(東京都文京区本郷五丁目)へ再度移ったとのこと。1657年(明暦3年)の明暦の大火はこの寺から火が出たとも伝えられるようです。境内の墓地には明暦の大火で亡くなった人々の菩提を弔う供養塔がありました。
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巣鴨地蔵通り商店街を抜けた所の猿田彦大神庚申塚そばに都電荒川線庚申塚駅がありました。都電荒川線は荒川区の三ノ輪橋から王子〜大塚、雑司ヶ谷〜早稲田までの路線。今日は庚申塚駅から向原駅まで乗車。下車するとすぐ傍が池袋でした。
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1日の利用客270万人と世界でも2位のワールドクラスのビックな池袋駅がある池袋は、江戸時代はもともと池袋村という小さな村。常磐から横浜方面へ輸送する鉄道が池袋に設置され、池袋が発展したのです。戦後、池袋の闇市はとても発展し、ちょっと怖い街のイメージがあり、また大きな歓楽街でもありました。
池袋のサンシャイン60が建つ前、スガモプリズンと呼ばれる巣鴨拘置所が第二次世界大戦中から大戦後に存在。スガモプリズンとは第二次世界大戦中には思想犯・反戦運動活動家が収容され、戦後には、A級戦犯、BC級戦犯が収容されていたので多くの死刑が執行され、東条英機らA級戦犯が7名、BC級戦犯が53名にも達したのです。
スガモプリズン跡に建てられたサンシャイン60の「60」は処刑された60にかけたものともいわれているとのこと。つまり、サンシャイン60自体が処刑された者たちへの慰霊碑ということのようです。
そして巣鴨プリズンの絞首台跡には池袋東中央公園の慰霊碑がありました。
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JR池袋駅東口からウイロードをくぐり北口に出た後、西武池袋線踏切を越すと自由学園明日館(みょうにちかん)がありました。ここは、1921年(大正10年)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカ人フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。
夫妻の教育理念に基づきライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たす」を基調に設計したようです。1934年(昭和9年)に自由学園が南沢(東久留米市)に移転したので明日館は主として卒業生の事業活動に利用されており歴史的、芸術的価値により、また関東大震災や第二次世界大戦の空襲からも免れたことで1997年(平成9年)国の重要文化財指定となってようです。
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豊島区立目白庭園は、豊島区の都市化、国際化が進む中で、人々が自然に接し、伝統文化を育む場できるようにと、平成2年11月に建設されたようです。園路は回遊式で、池の周囲をめぐりながら随所に自然の造形美に出会えます。水辺に近い飛び石からの眺めや滝見台からの眺めは景観を一変させ、同じ庭園とは思えない変化を楽しめます。またこの庭園は、園内中央に大きな池をつくり、水ぎわに石垣を築いてその上に「赤鳥庵」がありました。「赤鳥庵」は、京都の北山杉を用いた木造瓦葺き平屋建ての数奇屋建築で、姿はとても優雅に見えました。
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本日も晴天に恵まれ、17名が渡辺先生、CD吉田さんにお世話いただきながらのウォーキング。終わってみれば10:00〜15:00とはいえ、見学も多、く約2万歩はあっという間でした。
このシリーズは全23回ですが半分は終了したので早い!という印象。記録帳の地図が塗りつぶされていくのが励みになっています。顔なじみも出来、今後も楽しめそうです。
posted by yunofumi at 22:43| あちこちウォーク