JR金町駅⇒金蓮寺⇒南蔵院⇒水元公園⇒水辺の生きもの館⇒東金町五丁目信号⇒葛西神社⇒江戸川水塔・金町浄水場⇒柴又公園・矢切の渡し⇒柴又帝釈天⇒船橋屋⇒京成柴又駅
JR金町駅は普段馴染みがなく、路線案内を見ながらまいりました。JRは常磐線、そして京成電車とキョロキョロ状態でしたが10:00集合には間に合いました。本日は小雨、9℃という状況の中ですがとにかく、国先生の先導、村上TDの付き添いで11名が出発です。
金蓮院(こんれんいん)は、真言宗豊山派の寺院で新四国四箇領八十八箇所霊場第31番札所とのこと[。永正年間(1504年〜1521年)、賢秀によって開山され、「本寺」の格式を持つ寺であったとのことです。このお寺は度々火災に遭い、寺宝の弘法大師の肖像画は自ら飛び出して難を逃れたという逸話から「火伏の大師」との異名をもつということです。
羅漢槙(ラカンマキ)はマキ科に属する常緑樹です。古くから金蓮院の「ラカンマキ」として有名で、1829年(文政12年)の紀行文「十方庵遊歴雑記」などの文献にも記された名木です。ラカンマキの大木は都内でも極めて少なく、樹高は10mあまり、幹廻りは3mほどで、樹齢は400〜450年といわれているようです。
南蔵院(なんぞういん)は、真言宗豊山派の寺院で長保年間(999年-1004年)に開山されたとのこと。また熊野権現(現熊野神社)を勧請した際に、別当寺として創建されたとも伺いました。
江戸時代、徳川将軍は鷹狩のために江戸郊外のこの地を度々訪れており、この寺は「御膳所」(休憩場所)に充てられたのです。また延享3年(1746年)の銘が入った梵鐘があっようですが、戦時中の金属類回収令によって供出され、現存していないのです。
この寺の裏にはかつて南蔵院裏古墳と呼ばれる6世紀後半ごろの古墳があって、埴輪などが出土しているとのことでした。
しばられ地蔵尊は、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られているようです。
水元公園(みずもとこうえん)は、都立公園で東京23区では最大規模の公園で、水域面積の多い水郷公園とのことです。
水元公園は小合溜(こあいだめ)に沿って造られた、都内では唯一水郷の景観を持つ公園なのです。実は昭和50年までこの辺りは都立江戸川水郷自然公園でした。今では小合溜(こあいだめ)から引いた大小の水路が園内にあり、水郷景観が美しいのです。園内ではポプラやメタセコイア、ハンノキなどの樹木、ハナショウブ、スイレン、蓮などの水生植物がみられます。
小合溜とは今から約300年前まで古利根川といわれ江戸川に合流していました。江戸時代に現在の中川にあった亀有溜井を川に戻して、その代わりに古利根川を締め切り、小合溜井(小合溜)を作ったのです。そしてこの水は葛飾や江戸川流域の水田を潤しているのです。また小合溜の対岸は埼玉県三郷市の埼玉県立みさと公園と案内もありました。
水辺の生きもの館の中は簡易的な展示場のような場所で、園内の生き物の情報がたくさんあります。印象的だったのはオニバスの葉の大きさと小さな花の写真でした。
葛西神社の創建は平安時代末期、1185年(元暦2年)とのこと。当時は上葛西、下葛西合わせた三十三郷(現在の行政区分では、東京都葛飾区、江戸川区の全域、墨田区、江東区、足立区の一部地域にあたる)の総鎮守として葛西三郎清重公の信仰により、香取神宮の分霊を祀ったのが始まりとのことでした。
祭囃子発祥の神社でもあるようです。祭囃子すなわち葛西囃子は城東地域(東京東部)に古くから伝わる郷土芸能の一つで起源について明確にはわかっていないようですが通説としては享保年間、葛西神社の神官、能勢環(のせたまき)が敬神の和歌に合わせ、音律を工夫して和歌囃子として村の若者に教え、御神霊をお慰めしたのがその起源とされているようです。
金町浄水場は、大正15年8月、当時の南葛飾、南足立、北豊島3郡の12町村を給水区域とする「江戸川上水町村組合」の施設として給水を開始。昭和7年に東京市に引き継がれ、その後数回の拡張改良工事の後、平成4年には、東京都で初めてオゾンと生物活性炭とを組み合わせた高度浄水施設の運転を始めたようです。
江戸川の右岸にある2基の取水塔から表流水を取り入れ、金町浄水場内へ導水しています。三角形のトンガリ帽子の屋根を持つレンガ造りの第2取水塔は、昭和16年に完成。映画「男はつらいよ」シリーズや漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にも登場しているようです。河川敷は柴又公園となっており矢切の渡しもありました。
柴又帝釈天は日蓮宗のお寺で経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、1629年(寛永年間)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人が実際の開基とのことでした。古い記録から文化文政(1803〜1829年)の頃 こちらにはすでに六間四面の帝釈堂があったようです。正面の小さな山門を潜って石畳を進むと、突き当たりに帝釈堂があって、お堂の前には瑞龍の松があり、その右に祖師堂(本堂)、左に庫裡があったとのことがいわれています。
帝釈天の参道は週末だというのにとても賑わっていました。参道に沿い草団子と煎餅のお店がやはり目立ちました。
昼食は船橋屋で暖かいにゅう麺・紫蘇飯と葛餅のランチセット。にゅう麺には浅利がたくさん入っており薄味ながらとても美味しかったです。
京成柴又駅前にはフーテンの寅さんとさくらの像もあり、すっかり楽しく終了。
お土産は船橋屋の洋菓子「フィナンシュ」にしました。
結局、今日は雨降りで、気温は9℃と裏寒かったですがランチで少し休憩でき、帝釈天参道もぶらぶらできてのんびりしたウォーキングでした。
ちょっと残念は雨に気を取られていたからか、“寅さん記念館”を見てくるのを忘れました。残念!!国先生はこのコースはいつも“雨”と言われていましたが、他のウォーキングでもまた元気にお会いしましょう。国先生の明朗な解説がとても気に入った一日だったのです。ではまた皆様、次回もお楽しみに!!