2023年03月23日

2023.3.19 春の花々を求めて

本日の休日は春の日差しが輝くばかりの陽気なので近場に春の景色を求めて散策しました。

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まずは川越市故仙波町の中院へ。こちらは、天台宗の寺院。山号は星野山。寺号は無量寿寺。院号は中院。平安時代、淳和天皇の勅許で円仁(慈覚大師)が建立、当初は無量寿寺仏地院といい、鎌倉時代、尊海僧正によって再建されたようです。枝垂れ桜が有名です。また色々な花々も咲き、お陰様で大いに楽しました。
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庭には島崎藤村記念碑とお茶室不染亭があり,お茶をいただけました。
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お庭は賑わっていましたがとても風情がありました。
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こちらでは彫刻教室をやっているようで皆さんが作られた仏様が並んでおられました。
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毎年伺っている中院ですが珍しく記念撮影をしました。
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この後は近所のそぞろ歩きをしました。
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桜を訪ねて今度はふじみ野市の地蔵院へ。
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こちらは正和三年(1314年)、僧 覺應の開山とのことです。平成27年には開山700年の記念行事が行われたということです。もともとは鎌倉幕府の高官であった二階堂氏が反幕府勢力を監視するため亀久保の地へ入部(1200年代初頭)し館(持仏堂)を構えたのが地蔵院の前身ということです。
今日は薬師堂が御開帳でした。
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樹齢約400年のしだれ桜(ふじみ野市指定天然記)は花笠を開いたような姿で、とても優雅。
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こうして優雅な一日を過ごしました。それにしてもやはり”桜”はいいですね。そして”春”っていいですね。元気も出ますし、気分は爽快!また日々頑張ります。
4月1日:今年は桜が長く見られます。本日はぽかぽか陽気でもあり上福岡駅周辺をお散歩。
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見事な桜が上福岡中央公園や上福岡駅前でもまだまだ元気でした。ということで歩き回り、その後のランチでも大満足!やっぱり、私は花より団子なのでした。
posted by yunofumi at 14:07| ドタバタ日記

2023年03月22日

2023.3.18 2巡目第14回東京新発見「葛飾区」

近頃春めいた日々が続いていたのですが今日は寒い!雨もかなり降り続くとの予報でしたがとにかくJR金町駅10:00集合の11名が出発しました。

JR金町駅⇒金蓮寺⇒南蔵院⇒水元公園⇒水辺の生きもの館⇒東金町五丁目信号⇒葛西神社⇒江戸川水塔・金町浄水場⇒柴又公園・矢切の渡し⇒柴又帝釈天⇒船橋屋⇒京成柴又駅

JR金町駅は普段馴染みがなく、路線案内を見ながらまいりました。JRは常磐線、そして京成電車とキョロキョロ状態でしたが10:00集合には間に合いました。本日は小雨、9℃という状況の中ですがとにかく、国先生の先導、村上TDの付き添いで11名が出発です。

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金蓮院(こんれんいん)は、真言宗豊山派の寺院で新四国四箇領八十八箇所霊場第31番札所とのこと[。永正年間(1504年〜1521年)、賢秀によって開山され、「本寺」の格式を持つ寺であったとのことです。このお寺は度々火災に遭い、寺宝の弘法大師の肖像画は自ら飛び出して難を逃れたという逸話から「火伏の大師」との異名をもつということです。

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羅漢槙(ラカンマキ)はマキ科に属する常緑樹です。古くから金蓮院の「ラカンマキ」として有名で、1829年(文政12年)の紀行文「十方庵遊歴雑記」などの文献にも記された名木です。ラカンマキの大木は都内でも極めて少なく、樹高は10mあまり、幹廻りは3mほどで、樹齢は400〜450年といわれているようです。
 
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南蔵院(なんぞういん)は、真言宗豊山派の寺院で長保年間(999年-1004年)に開山されたとのこと。また熊野権現(現熊野神社)を勧請した際に、別当寺として創建されたとも伺いました。
江戸時代、徳川将軍は鷹狩のために江戸郊外のこの地を度々訪れており、この寺は「御膳所」(休憩場所)に充てられたのです。また延享3年(1746年)の銘が入った梵鐘があっようですが、戦時中の金属類回収令によって供出され、現存していないのです。
この寺の裏にはかつて南蔵院裏古墳と呼ばれる6世紀後半ごろの古墳があって、埴輪などが出土しているとのことでした。

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しばられ地蔵尊は、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られているようです。

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水元公園(みずもとこうえん)は、都立公園で東京23区では最大規模の公園で、水域面積の多い水郷公園とのことです。
水元公園は小合溜(こあいだめ)に沿って造られた、都内では唯一水郷の景観を持つ公園なのです。実は昭和50年までこの辺りは都立江戸川水郷自然公園でした。今では小合溜(こあいだめ)から引いた大小の水路が園内にあり、水郷景観が美しいのです。園内ではポプラやメタセコイア、ハンノキなどの樹木、ハナショウブ、スイレン、蓮などの水生植物がみられます。
小合溜とは今から約300年前まで古利根川といわれ江戸川に合流していました。江戸時代に現在の中川にあった亀有溜井を川に戻して、その代わりに古利根川を締め切り、小合溜井(小合溜)を作ったのです。そしてこの水は葛飾や江戸川流域の水田を潤しているのです。また小合溜の対岸は埼玉県三郷市の埼玉県立みさと公園と案内もありました。

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水辺の生きもの館の中は簡易的な展示場のような場所で、園内の生き物の情報がたくさんあります。印象的だったのはオニバスの葉の大きさと小さな花の写真でした。


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葛西神社の創建は平安時代末期、1185年(元暦2年)とのこと。当時は上葛西、下葛西合わせた三十三郷(現在の行政区分では、東京都葛飾区、江戸川区の全域、墨田区、江東区、足立区の一部地域にあたる)の総鎮守として葛西三郎清重公の信仰により、香取神宮の分霊を祀ったのが始まりとのことでした。
祭囃子発祥の神社でもあるようです。祭囃子すなわち葛西囃子は城東地域(東京東部)に古くから伝わる郷土芸能の一つで起源について明確にはわかっていないようですが通説としては享保年間、葛西神社の神官、能勢環(のせたまき)が敬神の和歌に合わせ、音律を工夫して和歌囃子として村の若者に教え、御神霊をお慰めしたのがその起源とされているようです。

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金町浄水場は、大正15年8月、当時の南葛飾、南足立、北豊島3郡の12町村を給水区域とする「江戸川上水町村組合」の施設として給水を開始。昭和7年に東京市に引き継がれ、その後数回の拡張改良工事の後、平成4年には、東京都で初めてオゾンと生物活性炭とを組み合わせた高度浄水施設の運転を始めたようです。

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江戸川の右岸にある2基の取水塔から表流水を取り入れ、金町浄水場内へ導水しています。三角形のトンガリ帽子の屋根を持つレンガ造りの第2取水塔は、昭和16年に完成。映画「男はつらいよ」シリーズや漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にも登場しているようです。河川敷は柴又公園となっており矢切の渡しもありました。

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柴又帝釈天は日蓮宗のお寺で経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、1629年(寛永年間)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人が実際の開基とのことでした。古い記録から文化文政(1803〜1829年)の頃 こちらにはすでに六間四面の帝釈堂があったようです。正面の小さな山門を潜って石畳を進むと、突き当たりに帝釈堂があって、お堂の前には瑞龍の松があり、その右に祖師堂(本堂)、左に庫裡があったとのことがいわれています。

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帝釈天の参道は週末だというのにとても賑わっていました。参道に沿い草団子と煎餅のお店がやはり目立ちました。

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昼食は船橋屋で暖かいにゅう麺・紫蘇飯と葛餅のランチセット。にゅう麺には浅利がたくさん入っており薄味ながらとても美味しかったです。

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京成柴又駅前にはフーテンの寅さんとさくらの像もあり、すっかり楽しく終了。
お土産は船橋屋の洋菓子「フィナンシュ」にしました。
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結局、今日は雨降りで、気温は9℃と裏寒かったですがランチで少し休憩でき、帝釈天参道もぶらぶらできてのんびりしたウォーキングでした。
ちょっと残念は雨に気を取られていたからか、“寅さん記念館”を見てくるのを忘れました。残念!!国先生はこのコースはいつも“雨”と言われていましたが、他のウォーキングでもまた元気にお会いしましょう。国先生の明朗な解説がとても気に入った一日だったのです。ではまた皆様、次回もお楽しみに!!
posted by yunofumi at 23:42| あちこちウォーク

2023年03月21日

2023.3.7 2巡目第13回東京新発見「北区」

本日は約1年ぶりの東京新発見ウォークでした。晴天に恵まれ、19℃と春めいた中でのウォーキングで21名はとても元気に楽しめたと思います。

JR田端駅北口⇒田端大橋⇒田端文士村記念館⇒ASUKAタワー⇒田端高台通り⇒北区立童橋公園⇒芥川龍之介旧居跡⇒そば処福寿庵⇒田端八幡神社⇒東覚寺・赤紙仁王尊⇒板谷波山旧居跡⇒田端文士村散歩道⇒ポプラ坂・ポプラ倶楽部跡・田端保育園⇒北区田端公園⇒劇団文化座⇒八幡神社⇒大龍寺・子規墓所・板谷波山墓⇒北区立田端中学校⇒中里橋⇒第二中里踏切⇒光明山円勝寺⇒聖学院⇒本郷通り⇒滝野川会館前歩道橋⇒都立旧古河庭園⇒平塚神社⇒平塚亭⇒滝野川消防署⇒滝野川公園⇒花と森の東京病院⇒国立印刷局東京工場⇒滝野川警察署⇒西ヶ原一里塚⇒七社神社・旧一本杉神明宮社地⇒渋沢翁のテーマパーク王子飛鳥山⇒豫園飯店 (ヨエンハンテン)⇒関の甘納豆⇒JR池袋駅

山手線は品川が起点で田端が終点。あとは埼京線などがあることでぐるり、一周しているとのことなのです。
駅舎そばにJR東日本 首都圏本部ビルがあり、そのためでしょうか駅舎の前、田端大橋には東北新幹線200系の連結器カバーや車輪の展示がありました。
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田端文士村記念館の見学は1時間とまったりできました。石川県出身の室生犀星、板谷波山、田河水泡など著名な方々の展示がありました。

北区は高低差があるのでちょっと楽をしてASUKAタワーから高台へ。
このASUKAタワーは第一生命のビルとのことですがその中にチョコチップクッキーで有名なイトウ製菓も入っているようです。でもテナントで入っているファミリーマートにはこの会社の製品がないとのことでちょっと可笑しかったです。
田端高台通りにでると北区立童橋公園がありました。
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こちらは室生犀星の旧宅の庭にあった石が置いてありました。

芥川龍之介旧居跡には今は別の建物がありましたが、すぐそばにもうすぐ芥川の記念館が建つとのことでした
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そば処福寿庵は芥川龍之介が自宅の手書き案内図に書き入れていたお蕎麦屋さんで現在も営業中とのことでした。

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東覚寺は1491年(延徳3年)源雅により神田に創建されその後根岸そして、田端の地に移転されたとのことです。
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お堂のまえには赤紙仁王があり、病を患った人が病に相応する箇所に赤紙を仁王像に貼ると治癒されると言われており、現在においても赤紙を貼る人が絶たないとのことです。 その後病が治癒すると、草履を供えるものとされており、その風習も現在残っているようです。

春めいた日でしたのでこぶしもすっかり咲いていました。
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またマンホール蓋には「のらくろ」が描かれていました。
途中には田端文士村散歩道の案内や陶芸家板谷波山旧居跡の案内もありました。
田端保育園はポプラ倶楽部の跡で、ポプラ坂の名はこれにちなんでいるとのこと。ポプラ倶楽部は、明治41年ごろ、洋画家の小杉放庵(未醒)が作ったテニスコートで、田端に住む洋画家の社交場だったようです。陶芸家の板谷波山、洋画家の山本鼎、彫刻家の吉田三郎、詩人の室生犀星、小説家の菊池寛などが、このすぐ近くに住んでおり、大正2年、田端に越してきたのが芥川龍之介なのです。

北区田端公園を過ぎると劇団文化座がありました。
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劇団文化座は戦時下の1942年(昭和17年)に井上正夫演劇道場のメンバーであった演出家の故佐佐木隆、女優の故鈴木光枝らによって結成され、同年4月第1回公演梅本重信作「武蔵野」で旗揚げしたとのことです。現在在籍の俳優さんでは佐々木愛さんとか伊藤勉さんのお名前がありました。

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大龍寺は真言宗の寺院で堂々とした山門と大きな本堂が目を引くお寺でした。墓地には陶芸界の先駆的役割を果たした板谷波山、俳人・正岡子規、上皇にチェロを教えた清水勝雄などが眠っていました。
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北区立田端中学校の校歌は室生犀星ののことでした。

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第二中里踏切は、山手線の田端駅と駒込駅の間にある踏切で2005年以降、山手線に唯一残されている踏切とのことです。

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浄土宗寺院の円勝寺は、僧信阿聖法(弘安9年1286年寂)が開山し、戦国時代末期には曲輪内龍ノ口付近(千代田区)にあったようです。こちらには、石州流茶道伊佐家の墓所がありました。

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聖学院は大学・高等学校・中学校・小学校・幼稚園がある学校法人。この学校は1903年に宣教師のハーヴェイ・H・ガイ (Harvey Hugo Guy)と学習院大学教授の石川角次郎により、まず本郷森川町教会(現在の東京大学赤門付近)に設立された聖学院神学校に由来するとのことです。よく知られている方では渡辺明 (棋士)、坂東玉三郎(歌舞伎役者)、小室等(ミュージシャン)がおられます。

都立旧古河庭園ではやはり石造りの洋館が有名です。いつみても真鶴産の赤味がある小松石がいいですね。
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こちらはバラや桜の花で有名ですが今日はちょっと見られませんでした。また時期を見て伺うようです。

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平塚神社祀られているのは、源義家、源義綱、源義光。神社には『平塚明神并別当城官寺縁起絵巻』が伝わっているとのことです。
お隣には浅見光彦シリーズで知られる「平塚亭」がありました。本日は残念ながらお休み。お団子を食べてみたかったです。

滝野川消防署には併設で東京消防庁消防防災資料センターがあります。
またお隣の滝野川公園は、水と緑が多く、子どもから高齢者まで、多くの人々に利用されています。この公園の特徴は「防災公園」としての性格も有していることで、隣接する北区防災センターには、災害備蓄倉庫、応急給水槽(1500トン)、深井戸、散水塔(放水銃)などの防災設備が整っているのです。周辺には消防署、警察署、病院、体育館があり、滝野川公園を含めた、このいったいが総合的な防災拠点になっているようです。
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西ヶ原一里塚は、江戸の日本橋から日光まで続く“日光御成道”の二里目の一里塚で、徳川時代に設置されたままの旧位置を留めており、都内では大変貴重なのです。大正時代に道路改修工事にともない撤去されそうになりましたが、実業家の渋沢栄一等を中心とする地元住民の運動によって塚の保存に成功したのです。

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七社神社は火災により古記録を焼失したため、創建年代等については不詳とのことですが古くから西ヶ原村の鎮守であったようです。もとは無量寺の境内(現在の古河庭園内)にあったのが、明治初年の神仏分離の後、現在地へ遷座したようです。

渋沢翁のテーマパーク王子飛鳥山です。
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茶室 無心庵。
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豫園飯店 (ヨエンハンテン)は本格的な中国料理で久しぶりに美味で、最後の杏仁豆腐もおいしかった。

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関の甘納豆は竜野川2−7−7の甘みのお店で創業90年の甘納豆専門のお店。大納言は北海道産小豆使用。周りにはグラニュー糖をまぶしており、軟らかくて上品な味でした。
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本日は講師大山先生とTD間宮さんのコンビに付き伴われてのウォーキングでした。
このコースは2019年に訪れた所です。今日の講師,大山先生の説明には初めての話が多く非常に目新しく感じました。そしてつくづく実感したのは東京って様変わりが激しいのです。
本日は午後王子神社の予定でしたが、今年年明けにすでに伺っていましたので午後はエスケープして早帰りさせていただきました。
ということでまた次回が今月葛飾区ですから楽しみです。
posted by yunofumi at 10:40| あちこちウォーク

2023年03月06日

2023.3.3 江の島めぐりと寒桜

私の地元、上福岡はここ数日暖かく、上福岡中央公園では寒桜が満開になりました。
そして今朝は5時前に起きてすぐに出発準備。昨夜、今回のツアー出発場所が朝霞と気づき、超ビックリ。どうやら申し込み時の勘違いかもと思い直しての今朝なのです。集合はまだ夜明け前のため、少し薄暗っかたですが、でも元気にステップトラベルバスツアー41名がそろって7:30に出発。

JR朝霞駅南口⇒江の島⇒鶴岡八幡宮⇒横浜中華街⇒ファクトリ⇒朝霞駅

まずは約100km先の江の島へ急行です。途中の狭山PAでのトイレ休憩や交通事故渋滞などありましたがAM9:00頃には江の島に到着しました。
江の島弁天橋はこれぞ観光地という感じでした。
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1891年、江の島に初めて木製の橋が架かり、その後、1959年に現在のコンクリート橋に架け替えられた弁天橋なのです。通行は無料とのこと。歩行者用の弁天橋の隣には、自動車専用の「江の島大橋」もあり、こちらは夜間通行禁止。したがって深夜、江の島へ車では渡れないようです。

そもそも江の島(えのしま)は神奈川の陸繋島で、同島全体を指した町名で片瀬地区(旧片瀬町地域)に属するとのこと。江の島一丁目および江の島二丁目があり全域で住居表示が実施されているようです。

さすが観光地です。商店街前の路面には貝のタイルがはめ込まれていました。
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すぐに有名な青銅の鳥居到着。
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江の島弁財天信仰の象徴である青銅の鳥居は1747年(延亨4年)に創建。現在のものは1821年(文政4年)に再建されたもの。約200年の間、潮風をうけながらも姿をそのままとどめているとのこと。両柱には再建に協力した寄進者の名前が記され、信仰の厚さを物語っています。鳥居をくぐると江島神社へと続く参道で、土産物屋がずらりと並んでいます。
その後はだらだらと弁財天仲見世通りを上り瑞心門・朱の鳥居をくぐりました。
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更に上り、辺津閣(江島神社)まで伺い、お詣り。
1206年、時の将軍・源実朝 が創建。1675年に再建された後、1976年(昭和51年)の大改修により、権現造りの現在の社殿が新築されたのです。
今日はこれで時間切れなので駐車場に戻りましたが実はこの江の島の頂上には江の島シーキャンドルや江嶋神社(中津宮)江の島大師もあるとのことでしたからまた気候の良いときに来ることを心に秘めました。
今日は江嶋神社の御朱印をいただけたことで満足。

鶴岡八幡宮はコロナ禍が少し落ち着いたことがはっきりわかるほどの込み合いようでした。
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今日は全国旅行支援で代金20%OFFと「いざ、神奈川クーポン」で2000円分をいただいていたのでちょっとお得な思いもしました。
ということで定番の鳩サブレ―をゲット。また鎌倉彫吾妻屋で根付の猿と羊もゲット。
鎌倉彫の 根付も購入し、これでお土産は十分。
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時間的制約があり小町通りまで見物できませんでしたが、色々新しい建物も目につきました。そのひとつが「英国アンティーク博物館」。これはちょっと気になりました。ここでの再訪を心に決めました。
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横浜中華街はすごい混雑。
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福満園別館にはちょどお昼に到着。単品で次々に提供されましたがこれが一番辛かった!
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次はちょっと離れて横浜旭区に移動して高木ファクトリーへ。超高級なムートン製品を見て私などは目の保養。それでも購入の方が数名おられたようで業者としては大喜びの様子でした。

こうしてPM6:00には朝霞駅に到着でしたから本日は上々のバスツアーでした。途中観光はほぼ1時間自由行動でしたから自宅に帰れば13000歩も上々という具合。多分バスの移動は往復290kmくらいだったでしょうか。若い男性の21歳添乗員さん頑張っていました。コロナ禍の少し下火の時でしたからお陰様で久しぶりにお土産もゲットし、呑気なツアーに知人と参加でき、リフレッシュいたしました。
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また週明けから日々がんばります。
posted by yunofumi at 14:40| ドタバタ日記