2022年06月12日

2022.6.5 さいたま新発見 ぶらり街あるき 越谷市

埼玉県内で最大の宿場だった越ケ谷宿。元荒川を挟んで南側が昔は越ケ谷町、北側は大沢町といったようです。ここは徳川家康がたびたび鷹狩で訪れた所でもあるようです。今は昔にも負けず大きな市になっており、人口約34万人、世帯数15万は県内でも有数の大きさ。ということでほぼ平坦な土地柄のようなので楽しみながらウォーキングできそうな予感がしていました。

東武スカイツリーライン北越谷駅⇒大沢香取神社⇒元荒川大沢橋⇒鍛冶倉⇒はかり屋⇒越谷本町⇒元荒川橋⇒越ヶ谷御殿跡⇒越谷元年板碑⇒御殿町自治会館⇒越谷アリタキ植物園⇒久伊豆神社⇒そば処久伊豆⇒東越谷4丁目信号⇒こしがや能楽堂⇒花田苑⇒越谷市立病院⇒大聖寺⇒虹だんご⇒元荒川土手⇒瓦曽根溜井⇒しらこばと橋⇒葛西用水⇒越谷市役所⇒がーやちゃん蔵屋敷⇒JR越谷駅

東武スカイツリーライン北越谷駅は東武鉄道の開通当初から設けられた駅の一つ。宿場町である南埼玉郡越ヶ谷町の最寄駅として、開業当初は越ヶ谷駅と名付けられたのです。1919年に、ここより南方に越ヶ谷駅(現在の越谷駅)の開業を迎えることを受けて名前を譲り、所在する町名(南埼玉郡大沢町)に従って武州大沢駅に改称、さらに、1954年に越ヶ谷町・大沢町などが合併し越谷町が発足した後、1956年に北越谷駅に改称されたのです。
開業時の駅舎は貴賓室があり、皇族が埼玉鴨場へ来場される時に利用されていたとのことです。その後、1962年に帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)日比谷線との直通運転が開始されることを機に、この駅は東武鉄道初の橋上駅となり、西口が開設されました。連続立体交差事業により1999年には高架駅となり、2001年、当駅から越谷駅までが複々線化されたとのことでした。

大沢香取神社。
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香取神社(かとりじんじゃ)という名前の神社は、「香取」を社名に持ち経津主神を祭神とする神社。関東地方を中心として全国に約400社あり、千葉県香取市の香取神宮を総本社としています。多くは香取神宮から勧請して創建され、神宮と同じ経津主神を祀っているようです。香取神社の分布圏は10世紀以降に開拓され、元は低湿地だった土地である。
ちなみに香取神社は主に利根川・江戸川沿いを中心に分布。南の荒川沿いには氷川神社、それらに挟まれる元荒川沿いには久伊豆神社が分布ということでした。
大沢香取神社の創建は永年間(1394〜1428年)とのこと。五穀豊穣や日常生活をお護りする神様として土地の方々から深い信仰を得ています。
大沢香取神社の本殿には彫物師浅草山谷町長谷川竹良の手による高砂の翁、大黒天、龍などが見られました
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旧日光街道越ケ谷宿の街並みは江戸時代に整備された宿場で江戸日本橋から数えて3つ目の宿場。
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街道沿いに「はかり屋」というお店が昔のままで営業していました。私たちはまだウォーキングを開始したばかりでしたが蒸し暑いので昔の味がしたアイスキャンディをいただきました。

越ヶ谷御殿跡。
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越ヶ谷御殿は徳川家康によって1604年(慶長9年)に設けられた御殿。御殿の建物に関する詳細は不明とのことですが広さはおよそ現在の御殿町全域と推定されているとのことです。ここはもとは越ヶ谷郷の土豪会田出羽の陣屋があった場所だったのを、家康が増林にあった御茶屋御殿を移したものといわれているのです。家康・秀忠などがしばしば訪れて泊まり、鷹狩をしていた記録が残っているとのことです。
その後、越ヶ谷御殿は1657年(明暦3年)の江戸大火によって江戸城が消失したため、将軍の仮殿として江戸城二の丸に移され、その跡地は畑地として開発され、現在に至っているのです。

越谷元年板碑。
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建長元年の板碑は元荒川右岸の御殿町地内にありました。今から750年以上前の鎌倉時代の中頃、1249年(建長元年)の銘が刻まれています。市内最古で最大の板碑で、高さ155cm、幅56 cm。材質は平板に割れやすい緑泥片岩で、山形の頂部に二段の切り込み(二条線)があり、中心には阿弥陀尊をあらわす大きな梵字(キリーク)が刻まれていました。

越谷アリタキ植物園。
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越谷アリタキ植物園は、市に寄贈された故有瀧龍雄氏の植物園を整備し、新たに市の植物園として開園したものです。面積:約9000u、園内には市の天然記念物に指定されている北米原産の「ラクウショウ」をはじめ、幹周り4m以上もある巨樹「シナサワグルミ」や多種の「ツバキ」など、暖温帯性の樹木を中心に約320種、約1000本の樹木が植えられているとのことです。その他、希少な草花や野鳥、昆虫も観察することもできるということです。今日は立ち寄れませんがいつかまた来てみたいものです。

祖霊社。
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久伊豆神社の入り口にありました。ここには長年久伊豆神社を崇敬された、医師矢野太刀也氏の御霊を矢野太刀也大人命として祖霊社に合祀されているとのことです。

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久伊豆神社は久伊豆大明神と古来氏子・崇敬者から崇められてきた、国造りの大神・縁結びの神・福の神として知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)と、その御子神で父神と共に代表的な福の神である言代主命(ことしろぬしのみこと)が主祭神。また配祀として大国主命の御女子神である高照姫命(たかてるひめのみこと)、言代主命の御妃である溝咋姫命(みぞくいひめのみこと)、そして皇祖天照大御神(あまてらすおおみかみ)の第二の御子であり、出雲国造いずもの(くにのみやつこ)の祖先神である天穂日命(あめほひのみこと)の三柱が奉斎されています。創建の年代は不詳。近世に入ると、徳川将軍家も篤く崇敬し、二代将軍秀忠、三代将軍家光も鷹狩りに際して参拝、休憩したと伝っています。この神社は古来、現在の越谷市の中核となった元の四丁野村、越ケ谷宿、大沢町、瓦曽根町、神明下村、谷中村、花田村の七ケ所の総鎮守とされています。

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久伊豆神社の手水舎は1675年(延宝三年)に建てられたと伝えられるもので天井の龍の絵がすごかったです。

力石とは力仕事を人力に頼らざるを得なかった時代において、力くらべをしたり、体力を鍛えるために用いられた石。 三ノ宮卯之助は江戸時代後期に、三野宮村(現在の越谷市大字三野宮)出身で、力石や米俵などの重量物を持ち上げる興行を行いながら全国各地を回り、日本一の力持ちと言われた人物です。興行先であったと考えられる神社などには、「三ノ宮卯之助」の銘が刻まれた力石が残されています。
越谷市内では越ケ谷久伊豆神社に1個、三野宮香取神社に4個、三野宮向佐家に1個の計6個が確認されています。久伊豆神社の力石には「奉納天保二辛卯年(1831年)四月吉日 五十貫目 三ノ宮卯之助持之 本庁 會田権四郎」と刻まれており、卯之助が24歳の時に、五十貫目(約190kg)の力石を持ち上げたとされる文字が刻まれています。

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家出や悪所通い、多忙な仕事などで家庭を顧みない家族との絆をしっかり結びなおしたいという願いを込めて、拝殿前の狛犬の足に麻を結びます。古くから「足止めの麻」といわれているようです。

本堂裏には力石がぽつんとありました。
そういえば「越谷七不思議」のひとつということです。
ちなみにこの七不思議は@ぎょうだい様(蒲生茶屋通り)A白山神社の原貞掛け石塔(増林)B大祖模不動尊の亀碑(相模町)C稲荷神社「菅原荘」の石碑(新川町)D久伊豆神社本殿後ろの力石(越ケ谷)E会田金物店の壁画(越ケ谷本町)F聖徳寺と光明院の塩地蔵(北川崎)とわかりましたのでまた見に伺いたいものです。

そば処久伊豆。
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こしがや鴨ねぎ鍋が売りのお店でした。
鴨の脂がすごかったです。

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越谷市日本文化伝承の館 こしがや能楽堂目的は伝統芸術文化の振興と市民文化の向上のために建てられたとのことです。埼玉県内唯一の野外の能楽堂は総檜造り。建築面積は約1187u、能舞台には舞台が5.9m四方のほか、地謡座・後座・橋懸り、鏡の間・溜の間がありました。敷地内には能舞台のほか中庭、和室、大広間、応接室等がありました。能楽はもちろん日本舞踊や詩吟、茶道といった伝統芸術の拠点にもなっておりまた一般向けのイベント開催もあるとのことでした。
展示で能の面や衣装がありました。
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花田苑。
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こしがや能楽堂に隣接している廻遊式池泉式庭園。正門は市内の宇田家長屋門が復元されたもの。敷地内には茶室もありました。かつては畑地であったのが、区画整理事業と連動して計画が持ち上がり、1988年(昭和63年)度から1990年(平成2年)度にかけて整備されたようです。14,000本の樹木が植えられています。
長屋門です。
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アジサイなど色とりどりで花が咲いていました。
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大相模不動尊眞大山大聖寺は真言宗豊山派の寺で、本尊は不動明王。天平勝宝2年(750)に良弁僧正が開基した越谷最古の寺院。山門の「真大山」の額は老中松平定信の筆とされています。なお、「山門」や「北条氏繁掟書」、「徳川家康の夜具」、「タブノキ」は市指定文化財になっています。
今風のぴんころ地蔵がありました。
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素朴な「虹だんご」があり、お土産にゲットしました。

元荒川土手にでるとアジサイが見ごろでした。
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瓦曽根溜井(かわらそねいためい)。
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1600年頃に瓦曽根堰が元荒川に設置され溜井ができ、農業用水のための溜井として江戸期から利用されていたようです。西部の一部が埋め立てられ、越谷市役所などが建設されたようです(主に越ヶ谷4丁目にあたる部分)。葛西用水、谷古田用水、八条用水が分水しており、岸沿いに葛西親水緑道が整備され、花菖蒲やアジサイが植えられているのです。
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斜張橋は、しらこばと橋(平成6年竣工、長さ145m、 八潮越谷線)。橋名は越谷市の市の鳥である、しらこばとに 由来する。橋のデザインは、しらこばとが羽を広げた姿を イメージしてあるのだという。

花菖蒲がとてもきれいでした。
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「ガーヤちゃんの蔵屋敷」は、こしがやを「案内する」「食する」「持ち帰る」「体験する」をコンセプトとした、越谷の魅力を発信する観光物産拠点施設。越谷市だけではなく、近隣市町や阿波踊りで交流のある徳島市、日光街道の連携都市などの人気商品を販売し、広域的な観光PRを行います
店内では色々目移りしそうでしたが珍しい「苺カレー」もゲットしました。
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ということでお土産は大聖寺の境内にあった虹だんごの「焼き団子」。これは素朴で美味しかったです。また本日の逸品の「がーやちゃん煎餅」と「苺カレー」は今からいただくのが楽しみです。
今日はいつものように喜多見先生の先導、TDは池谷さん、参加者22名は楽しく参加。
越ケ谷の土地が元荒川や用水をふんだんに縦断しておりなるほど水郷の街でした。また今日は伺わなかった大林地区にある埼玉鴨場では,野生の鴨を無傷のままで捕獲する独特の技法が維持保存されているとのことでした。以前日光街道ウォークで前を通りましたので今もイメージが残っています。
posted by yunofumi at 11:11| あちこちウォーク