今朝は今にも雨が降り出しそうな空模様のもと、喜多見先生、TD増田さん、参加者22名と共に出発。
東武スカイツリーライン春日部駅東口⇒粕壁神明社⇒ぷらっとかすかべ⇒永嶋庄兵門商店⇒最勝院⇒古隅田川・大落古利根川⇒上喜蔵河岸跡・新町橋⇒浜島家住宅土蔵・高札場跡⇒新町橋西信号⇒かすかべ大通り⇒埼玉りそな銀行⇒問屋場跡⇒日光道中粕壁宿⇒田村荒物店⇒ミセと蔵⇒古利根公園橋⇒古利根きらめき通り⇒大落古利根川⇒碇神社・イヌグス⇒春日部商工会議所⇒匠大塚⇒利根川せんべい⇒文化会館前信号⇒脇本陣跡⇒東陽寺⇒一宮信号⇒八坂神社⇒郷土資料館⇒秋葉神社⇒暖歩(昼食)⇒春日部駅西口−電車―藤の牛島駅
⇒藤花園⇒藤の牛島駅
東武スカイツリーラインはもともと東武伊勢崎線というのです。2012年3月より、浅草駅 - 東武動物公園駅間および押上駅 - 曳舟駅間には「東武スカイツリーライン」という路線愛称名となっています。普段利用しない私などはよく理解できませんがとにかく今日はこのスカイツリーラインを利用。

春日部駅は明治32年に「粕壁」駅として開業し、昭和24年に現在の駅名に改称。現在の東口駅舎と西口駅舎があまりに古くていよいよ大幅な改装・増築がされるようで駅舎には「鉄道の高架化が始まります」と表示がありました。完成すればまた街の様子が変わることでしょう。

粕壁神明社は、天明年間の1781-1789と1765年(明和2年)に当地の豪族九法四郎兵衛が土中から神体を発掘。九法家の氏神として祀られていたものの、その後、九法家の廃絶により、名主の見川家の邸内の一部となったとのことです。宿場の守り神として信仰を集め、現在では、「疫病封じ」として始められた例祭と、「春日部のお酉様」とも称される新穀感謝祭が行われているようです。

ぷらっとかすかべは市内の観光情報、市の特産品などの魅力的な情報を発信している所。この情報発信館は、「誰でもぷらっと気軽に立ち寄れる憩いのスペースであり、春日部の特産品やまちの情報などを全国に発信するプラットホームでもあってほしい」という願いが込められています。本日は特産品の「麦わら帽子、桐箪笥、押絵羽子板」などの展示が目立ちました。また首都圏外郭放水路の紹介もありました。これは地底50mを流れる世界最大級の地下放水路で、中川、倉松川、大落古利根川、18号水路、幸松川といった中小河川が洪水となった時、洪水の一部をゆとりのある江戸川へと流すことができるようになっています。

永嶋庄兵門商店は創業が慶長年間のお米屋さん。何しろ建物が立派でした。

真言宗智山派寺院の最勝院(さいしょういん)は、華林山慈恩寺と号します。最勝院は、慈恩寺の僧「尊が、慈恩寺を退いて1504年(永正元年)当地に創建したと伝えられます。1649年(慶安元年)には寺領15石の御朱印状を幕府より受領、近郷に末寺を擁した本寺格の寺院でした。
本堂横には春日部重行公墳があり、明治時代には粕壁小学校や粕壁税務署などにも利用されたとのことです。


古隅田川と大落古利根川の合流地点。

上喜蔵河岸跡・新町橋。
古利根川にかかる新町橋のたもとには、江戸時代、上喜蔵河岸(かみきぞうがし)という河岸場がありました。現在も長方形に整形された石を積む「切込みハギ」という工法による石垣が2〜3段、現地でみることができました。

河岸場はこのほかに、碇神社(いかりじんじゃ)付近に下喜蔵河岸(しもきぞうがし)があったといわれ、いずれも江戸時代中ごろに粕壁宿の名主であった見川喜蔵(みかわきぞう)の名前が由来とされています。
粕壁宿は、このような河岸場を利用して、日光道中の陸路と古利根川の舟運の結節地として発達しました。
幕府により江戸川が開削、整備されると、江戸への物資の輸送には江戸川が使われるようになりました。古利根川は、流域の新田開発が進み、途中に溜井(ためい)などの利水施設が設けられたため、江戸へ直接、荷物を運ぶことが難しくなり、地域間の舟運路として使われました。
浜島家住宅土蔵・高札場跡は春日部駅東口より徒歩7分くらいのところ、旧日光街道脇の交差点、スポーツクラブの道を挟んだ反対側にあります。ここは、明治22年の岩槻新道が開通してからのもので、それ以前は日光道中と寺町通が分岐する三叉路だったのです。多くの人びとが集まる場所であることから、幕府からの触書(法令等)を掲示する高札場(高さ3.1m、幅4.6m、奥行1m)が設置された。通りの向かいにある黒壁の土蔵は、戦前まで佐渡屋の屋号で米穀商を営んでいた、浜島家の土蔵(国登録有形文化財)である。明治時代前期には建てられていたと推定され、1階は座敷、2階は使用人の部屋兼倉庫として利用されたとの事です。

問屋場跡の案内板。
問屋場は、公用の旅人や荷物を運ぶ人馬を手配した施設である。粕壁宿では、輸送に必要な人足35人、馬35疋の常備が課せられていた。この辺りは上宿(上町)と呼ばれ、人夫が集まることから、飲食店も多く、月に6度の市が立った。なお、問屋場は1826年(文政9年)に三枚橋に移転した。向かいの神明通りは、名主や本陣を勤めた見川家の屋敷内の通路であった。通り沿いの神明社には、道化の屋敷神といわれる見川稲荷が残っている。
日光道中は、東海道・中山道・甲州街道・奥州街道を合わせた、「五街道」と呼ばれる街道のひとつで、江戸時代初期には、日光街道あるいは日光海道と記されていました。しかし1716年(正徳6年)に五街道に名称についての御触れが出され、日光街道は海のない国を通るため、日光道中と改められました。粕壁宿は、江戸時代1616年(元和2年)に日光道中千住宿から数えて第4の宿場に定められたとされています。1636年(寛永13年)に日光東照宮が完成し、将軍や諸大名の参詣で日光道中の各宿場はにぎわい一段と発展しました。江戸時代の終わりの頃の記録よると、宿場は「名主3軒」「本陣1軒」「問屋場1軒」「寺院8軒」「旅籠45軒」をはじめ、米穀商・質屋・薬屋などの商店や農家の家並みで159軒を配し、新町橋より横町・寺町・上宿・中宿・新宿・三枚橋・新々田・下宿の8つの字に分かれていました。
ミセと蔵の標識がありました。粕壁宿は江戸日本橋から4番目の宿場。宿場には本陣・脇本陣・旅籠・問屋場があり、粕壁は日光街道23宿の6番目の規模でした。粕壁の商家は間口が狭く、奥行きの長い敷地になっていました。街道に面しては「ミセ」、その奥には生活空間としての「オク」がありました。粕壁宿は古利根川に沿って蔵を連ね、船を乗り付けて荷物の上げ下げを下とのことです。

古利根公園はまちの中心を流れる古利根川に架かる橋上の公園。川沿いの公園とは一味違った感じで古利根川の景観を楽しむことができる人気のスポットだそうです。また、日の入り後は中心にある「麦わら帽子をコンセプトとしたモニュメント」をライトアップしているようです。(点灯時間:日の入り〜午後10時)。この橋の上にも作家さんが作った作品がありました。
古利根きらめき通りウォーキングコースが設置されていました。
⓵古利根公園橋⓶春日橋⓷埼葛橋C八幡橋D牛島人道橋Eゆりのき橋F藤塚橋G古利根橋
このコース全体でトータル6.1km、約2時間とのこと。かなり気持ちよく走れそうです。
大落古利根川は南埼玉郡と北葛飾郡の郡境を画し、「古利根川」という名称が付されているようにかつては「利根川」の本流で、「大落」とは大きな農業排水路という意味とのことです。現在でも利根大堰からの水が埼玉用水、葛西用水路等を経由して流れ込んでいるのです。このため、4月〜10月は豊富に水が流れていますが、11月〜3月は大きく減少します。今では、大落古利根川は、古利根堰(越谷市・松伏町)の改築に伴い、古利根堰から東武野田線の鉄橋付近までの堤防補強工事が完成しています。近年、主に河川環境整備工事が実施され、平成16年度には、杉戸町、宮代町と連携し、階段護岸や遊歩道の設置を軸とした親水護岸の整備をしました。

粕壁東2丁目、古利根川そばには碇神社とその境内にイヌグスの大木がありました
この地にはもともとは江戸時代の名主多田家屋敷稲荷があったようです。

このイヌグスは根回り10m、樹高約12m、樹齢推定約600年(室町時代)で、イヌグスの生育の北限とされるとのことで埼玉県指定の天然記念物になっているとのことでした。
粕壁東2丁目の「匠大塚」は2015年大型家具店としての発祥の地だそうです。近年社内の色々が聞こえてきますが、店内の立派なことに驚きました。

曹洞宗寺院の東陽寺は、医王山と号が記されていました。東陽寺の創建はどうやら文明年間(1469-1487)に春日部八幡神社の東隣に創建したようですが、1624年(寛永元年)に焼失、1662年(寛文2年)にこの地に再建、僧熊巌が中興開山したということでした。江戸期には新西国三十三ヶ所30番目。松尾芭蕉に随行した曽良旅日記からの一文の碑がありました。
すぐそばには粕壁宿の市神として祀られた八坂神社がありました。春日部夏祭りの起源というお祭りがあるようです。
春日部市郷土資料館には春日部市の歴史特産物、日光道中模型などが示されており、なかなか見ごたえがありました。

粕壁秋葉社は、春日部市中央にある神社。粕壁秋葉社の創建年代等は不詳とのこと。江戸時代に粕壁宿の名主であった多田次郎兵衛が邸内に建立したもので、火伏の神として崇敬されたということです。神社のあった場所は移ったようですがイチョウと松が合体した夫婦松は春日部駅の西口のすぐのところに石碑とともにありました。

暖歩(だんぽ)は心と体を癒す、四季折々のお料理と美味しいお酒を提供する「季よせ料理」のお店。和食好きの私は美味しくいただきました。

午後は単独で春日部駅西口にはふじ通りの藤が見られるようでしたがそれを見ずに、一路、藤の牛島駅に向かい、一駅で到着。途中では春の花があちこちで見られとても楽しかったです
牛島駅から約10分で藤花園に到着。

藤棚の日当たりなども関係するようで、それぞれほぼ満開でしたが花の色や房の大きさも違って、とても堪能しました。

今日の埼玉の逸品は味好堂の「春日部瓦せんべい」。帰宅後いただきましたが昔懐かしい味でした。

本日は一日違いの曇天で19℃と少し涼しめでした。また予報では午後は雨と出ていましたが帰宅するまで雨に合わず、幸運な一日でした。美味しい昼食後は自分のわがままで御一行様から離団して藤の花を見に行きました。実は春日部市は日光街道ウォークも含め、数回訪れたことがあったからです。そして春日部駅は牛島駅の隣だとわかっていたのでちょうど藤の花が満開と思ったからです。案の定、藤の花はほぼ満開でとても見事だったので大満足でした。
さて次回は一週間後に東松山市ウォークです。有名な牡丹園はもう咲ききっているかもしれませんがまた大いに楽しみたいと思います。皆さん、また頑張りましょう!