今日の先導は喜多見先生、TD反保(たんぽ)さん、参加者7名で10:00中浦和駅をスタートしました。
JR埼京線中浦和駅⇒手打蕎麦遊山⇒萬店(まんだな)⇒別所沼公園⇒花と緑の散歩道⇒浦和別所小学校⇒真福寺⇒武蔵野線第2大里ガード⇒南区役所⇒沼影自治会館⇒沼影観音厨子⇒Something Bella Gioia⇒さいたま中央郵便局⇒白幡沼⇒医王寺⇒南浦和小学校⇒焼米坂⇒神明社⇒さいたま市文化センター⇒一ツ木公園⇒大谷場氷川神社⇒丸広浦和店⇒JR埼京線南浦和駅
中浦和駅の線路名称上は東北本線(支線)ですが、運転系統上は埼京線として案内されているとのことです。そういえば浦和という地名がつく駅名は、浦和駅、北浦和駅、南浦和駅、東浦和駅、西浦和駅、武蔵浦和駅、中浦和駅、浦和美園駅の合計8駅あるのです。全く間違えやすいので注意、注意!
別所沼公園は100万年という歴史を持つ別所沼を中心にして、昭和26年9月に開設されたとのこと。広さ7.9haの園内には、中国原産のメタセコイアなどの巨木が立ち並んでいて、ちょっと日本離れした雰囲気を漂わせています。一見北欧みたいなのです。
立ち並んでいる巨木はメタセコイアとラクウショウ。この季節は葉がついていないので区別しにくかったです。また紅葉がきれいな秋に来てみることにいたします。
公園内には別所沼弁財天がありました。
浦和うなこちゃんも鎮座。
うなこちゃんはさいたま市浦和区のマスコットキャラクター。アンパンマンで有名なやなせたかしさん作。一応、さいたま観光大使なのです。もう少し大きなうなこちゃんは浦和駅でみられます。
これはメキシコのトルーカ盆地のカリストラクカで発掘された石像の複製「風の神像」です。さいたま市とは姉妹都市のためここに鎮座。「風の神」は健康、豊作、知恵を市民にもたらす恵の神。
ヒヤシンスハウスは詩人立原道造が、1937(昭和12)年冬から翌年春にかけて、当時、葦がおい繁り静寂をきわめた別所沼の畔に、自らのために建てた小さな週末住宅なのです。立原は、詩誌『四季』を主な舞台として活躍し、わずか24歳でその短い生涯を閉じた方です。
昭和初期、浦和市郊外の別所沼周辺には多くの画家が住み、「鎌倉文士に浦和画家」とも呼ばれ、一種の芸術家村の様相をみせていたということです。当時この地には、立原の年長の友人で詩人の神保光太郎、画家の須田剋太、里見明正らが住んでいたようです。また、立原と親交の深かった東大建築学科の同級生小場晴夫は旧制浦和高校の出身でもあったことから、《芸術家コロニイ》を構想した立原は、自ら住まう週末住宅の敷地として別所沼畔を選んだのであろうと想像されます。立原は、この五坪ほどの住宅を《ヒアシンスハウス・風信子荘》と呼び、五十通りもの試案を重ね、庭に掲げる旗のデザインを深沢紅子画伯に依頼。また、住所を印刷した名刺を作り、親しい友人に配っていたとのことですがしかし、立原が夭折したため、別所沼畔に紡いだ夢は実現しなかったのでした。
別所沼会館(ヘリテイジ浦和)は公園内にあるビジネスホテル。
花と緑の散歩道は春はサクラ、梅雨時はアジサイの七色が散歩道を彩り、秋には落ち葉を踏みしめて歩く所としてよいところです。
真言宗豊山派寺院の真福寺は、正式には法光山無量院。真福寺の創建年代等は不詳。1314年(正和3年)銘の阿弥陀三尊種子板石塔婆があるとのことでした。僧宥尊(寛文6年1666年寂)が中興したということです。北足立八十八ヵ所霊場36番でもあります。
沼影観音堂厨子(ぬまかげかんのうどうずし)
本日は表の扉は閉まっていました。江戸時代初め頃。一間厨子、禅宗様、入母屋造。桁行1.265m、梁間0.88m、高さ2m。観音堂須弥壇に安置されており全体は漆塗りとのことでした。
Something Bella Gioiaは武蔵浦和駅そばにありました。イタリア式食堂キャンティの系列店と伺いました。こちらはドレッシングが特徴のようでした。
白幡沼は大宮台地の縁にあたる場所とのこと。かつての旧入間川流路の名残りのひとつとなっていて、流路は上谷沼手前を屈曲しながら芝川の網代橋付近へ流れているようです。現在でも沼の余水や大宮台地から流れてきた雨水を笹目川に排水する暗渠水路があり、上部は白幡緑道(白幡遊歩道)となっているとのことでした。
県立浦和商業高校が見えました。サギもえさをついばんでおり、のどかな風景でした。
真言宗智山派寺院の醫王寺は、正式には上宮山。創建年代等は不詳とのこと。北足立八十八ヵ所霊場24番。
こちらには延慶二年銘板石塔婆がありました。現在は高さ240p、幅66p、厚さ107p。しかし上部と下部がかけているようで実際には4mもあったようです。鎌倉時代の代表的なものだそうです。
南浦和小学校の校門近くには今時珍しく二宮金次郎像がありました。
焼米坂は別名、浦和坂。中山道を江戸から荒川を渡ってくると最初に出合う坂で、この坂を上りきると浦和宿なのです。江戸時代、中山道を通る旅人に“焼米”を売る店があり、それが名物となり名付けられたということです。
岸町神明社は、さいたま市浦和区岸町にある神社です。岸町神明社の創建年代は不詳ですが、永仁年間(1293-98)の勧請といい、調神社の末社だったともいうことです。
一ツ木公園(いつきこうえん)はJR「南浦和駅」から徒歩10分弱の住宅街の中にある公園。周囲は坂があるため、公園は高台のようになっていて、開放感があります。坂の下からは階段になっているので、ベビーカーの方は坂の上からの入園をおすすめです。住宅街の公園としては比較的面積も広く、木々も多く、癒やされる空間となっています。この春も桜が美しくお花見をする親子連れも多く見られます。遊具はブランコやすべり台、複合遊具などが揃っていました。
大谷場氷川神社(おおやばひかわじんじゃ)
創立年代は不詳とのことですが、大谷場の鎮守の神として古くより崇敬の篤い社とのことです。江戸初期社殿流失したようです。現在の本殿は寛文六年の棟札あり、三間社流見世棚造り屋根は板葺でした。御神体は束幣立烏帽子、丈一尺二寸余、最古色を帯たり、箱に宝暦の年号があるとのことが天保元年の新編武蔵風土記に記載されているようです。江戸時代の別当寺は華徳院であったが明治元年神仏分離令の廃仏毀釈により華徳院は廃寺されたようです。その後、太平洋戦争終結により、昭和21年国家神道から神社本庁所属の宗教法人神社となり、現在にいたったようです。
こちらは大谷場氷川神社の狛雉子(キジ)。鳥居の手前の左右に1体ずつありました。昭和の初め頃、この地にキジが棲みついていたことから、氏子の間で雉子は氷川様のお使いと言われ、「雉子の氷川さま」と呼ばれるようになったそうです。
ご神木は鳥居そばにあった樹齢100年以上のユリノキ。推定樹高21.8m。樹齢ははっきりしないようですが1894年(明治27年)に植えたとも伝えられています。
浦和まるひろ店がJR埼京線南浦和駅そばにあり、いったん休憩。私はここで終了とさせていただきました。皆さんはこの後浦和競馬場まで行かれました。
本日の埼玉の逸品は浦和まるひろ店1階にある手作りぱんの「ブーランジェベーグ」のあんぱん。なかなか生地がしっとりしており、中のあんこがぎっしりと入っていてとても美味しかったです。
そして本日は私がさいたま市10区を完歩出来たので「埼玉県40市めぐり 多彩な”埼玉”彩発見!第一ステージさいたま市10区コンプリート賞」をいただきました。すでに昨年10月には第2ステージ県央7市コンプリート賞をいただいております。このウォーキングの全体行程を見ると実際には49回第5ステージまであります。まだまだ先は長いですが、まあ、ぼちぼち参加します。
ということで本日はウォーキング日和の晴れ間の中、気温16℃、18000歩は2日間連続でしたが元気に終了。皆さん、今後もよろしく気長に頑張りましょう。