JR深谷駅⇒駅前広場清淵広場⇒古伝飴濱岡屋⇒カフェ花見⇒東白菊蔵元・藤崎藤三郎商店⇒深谷シネマ⇒ときわ園⇒旅館きん藤⇒笛を吹く武者⇒北川千代文学碑⇒深谷城址公園⇒深谷大河ドラマ館――路線バスーー誠之堂・清風亭⇒割烹楓⇒尾高惇忠生家⇒鹿島神社⇒渋沢栄一記念館・八基公民館⇒睦橋⇒青淵公園・青淵由来之跡碑⇒渋沢栄一生家・中の家――路線バスーー⇒JR深谷駅
深谷市の玄関口であるJR深谷駅は、東京駅を模したデザインの駅舎。東京駅が深谷市産のレンガを大量に用いている縁から「レンガの街」をアピールする意味を込めて1996年に改築されたのです。明治期、新たな建築材料だったレンガが日本国内に普及するうえで渋沢が果たした役割は大きく、その重要な供給元として発展を遂げたのが深谷であり、そして出荷を支えたのが鉄道だったのです。昔は深谷にレンガ製造の工場もあったとのことです。
駅舎を下りると深谷のイメージキャラクターふっかちゃんと交代で渋沢さんのからくり時計が作動し、渋沢さんが愛嬌を振りまいていました。
ふっかちゃんの頭についているのは名産の深谷ネギ。結構人気者なのです。
駅前には町の偉人の渋沢さんの銅像があり駅前青淵広場と書いてありました。
この像は1999年(平成8年)に田中昭により制作された2代目の銅像。1代目は後程伺う記念館にあるとのことです。
古伝飴濱岡屋は明治に創業以来130年「あんこ」にこだわってきたお店のようです。北海道の小豆が原材料とのことでした。ここで本日の逸品で「明治大福」を美味しくいただきました。
藤崎藤三郎商店は東平菊の蔵元。江戸時代の末期、1848年(嘉永元年)越後柿崎より現在の場所に移転して酒造りを始めたそうです。代表銘柄「東白菊」は関東の東に酒の清らかな白、清酒の香りを菊で表現しているとのことでした。お店の裏に回ると昔の景色が少し残っているようでした。
すぐそばには昔の建物七ッ梅所蔵跡地に深谷シネマがありました。現在NPOの運営でもう18年間も頑張っているそうです。上映スケジュールも決まっているようでしたから機会を見つけて一度伺おうと思いました。
ここには深谷本陣があったそうです。
旅館きん藤(きんとう)は中仙道沿いに江戸時代より営業している180年経つ老舗旅館。懐石料理、鴨料理等で人気あり。各種宴会可能。無線でコンピューター作業も出来る。風呂は人工温泉でゆっくり疲れがとれるのでスポーツ関係の合宿が多いとのことです。市内は無料で送迎バスがあります。
「笛を吹く武者」は、平成7年に旧深谷市の市制40周年記念で建立されたもので、深谷城があった時代の武者の姿をイメージしてつくられたようです。 この像が立つ大手口公園は、かつての深谷城の正面口付近といわれていると伺いました。
北川千代文学碑。大正から昭和期を代表する児童文学作家である北川千代は、1894年(明治27年に榛沢郡大寄村(現在の深谷市上敷免)の日本煉瓦工場内の社宅で生まれました。
『世界同盟』など社会の現実を直視したテーマで多くの作品を発表。『みつばちマーヤの冒険』や『アンクルトム物語』などの翻訳。春やいずこや父の乗る汽車などを著しています。
深谷市本住町にある『深谷城址公園』は、「深谷市民文化会館」「深谷市保険センター」と同じ敷地内にある、緑と瓦つくりが特徴の公園です。
春には桜を楽しむ事ができ、隣には深谷図書館もあるようでした。
大河ドラマ館は、深谷生涯学習センター・深谷公民館の1階に展示されていました。
深谷大河ドラマ館は2021年2月下旬、埼玉県深谷市と東京都北区で「青天を衝け」NHK大河ドラマ館をオープンしたのです。コロナ禍ではありますが、約1か月間の運営で、来場者が10,000人を超えたとのことです。2022年1月10日までの設置だそうです。
埼玉県深谷市は、渋沢栄一生誕の地であり、青年期まで過ごした故郷でもあるのです。
ドラマ館では、ドラマで実際に使用された小道具や衣装の展示、メイキング映像の上映、ストーリーやキャスト紹介のパネル等の展示、さらにはセット展示や記念撮影ポイントなど、大河ドラマの世界観を存分に体験できるようになっていました。
台所の様子や衣装も面白かったですが私的に一番は惇忠さんの書でした。昔の方って筆が立つのですよね。
面白かったのは建物の外に大きく張ってあった新1万円札。
誠之堂(せいしどう)は1916年(大正5年)渋沢栄一の喜寿を記念して第一銀行行員たちにより建築されたとのこと。設計は田辺淳吉。煉瓦造り平屋建、外観は英国農家風ながら室内は中国・朝鮮・日本の意匠がとりいれられているのです。喜寿を迎えたのを機に栄一は頭取を辞任しています。
清風亭(せいふうてい)は1926年(大正15年)当時の第一銀行頭取佐々木勇之介の古希を祝って建てられた。設計は銀行建築の第一人者の西村好時で南欧の田園趣味、鉄筋コンクリート造り。
割烹 「楓」(かえで)で昼食でした。
煮ぼうとうコースをおいしくいただきました。
その後はご覧の通りのネギ畑を通ってウォーキング。
尾高惇忠(おだかあつただ)の生家。
惇忠は幼少時から学問に秀で、自宅に私塾の尾高塾を開き、17歳から幕末の頃まで近郷の子弟たちを集めて漢籍などの学問を教えたとのこと。惇忠に教えを受けた一人が渋沢栄一。惇忠の母・やへが栄一の父・渋沢市郎右衛門の姉であり、惇忠と栄一は従兄弟だったのです。惇忠は富岡製糸場の初代場長、第一国立銀行仙台支店支配人などを務めたのです。
鹿島神社は下手計の鎮守社で境内には、渋沢栄一の師である尾高藍香りの偉業を称える頌徳碑が建立されていました。この碑の篆額は徳川慶喜公の揮毫、三島毅文学博士(号、中洲)の撰文によるものとのこと。 今では朽木となったが、いまだに木魂の宿る神木に変わりなく、幹から根方にかけては、力強い樹皮の瘤が盛り上がっています。昔は根元に湧いた神水で共同風呂が設けられ、栄一の母、栄は、これを汲み、らい患者の背を流したと伝えられています。
渋沢栄一記念館の1階資料室には渋沢栄一ゆかりの遺墨や写真など、たくさんの資料が展示されていました。その後2階講義室で渋沢栄一アンドロイドによる講義を見学しました。
昔の講演を現在の言葉に直した音声で「道徳経済合一説について」の講義、身振り手振り、瞬きも見事でイヤー結構びっくりしました。アンドロイドは大阪大学大学院基礎工学研究科石黒浩教授の技術指導があってできあがったようです。
青淵公園は昭和12年に皇太子明仁親王の生誕奉祝記念事業として、八基村青年団により建てられましたのがこの青淵由来之跡の碑。清浦奎吾揮毫、栄一の甥にあたる渋沢治太郎撰書とのこと。このすぐそばに旧渋沢邸・中の家(なかんち)がありました。
当時としては豪農だったと思われます。屋根にある鬼瓦がすごかったです。
こちらは奥のお部屋で我々をお出迎え中のアンドロイド栄一さん。お辞儀などをしていました。
その後スタート地点の深谷駅で解散。その後数人が例の濱岡屋さんへ行ってお土産をゲット。
私は「ふっかちゃんのたまご、渋栗、駅舎最中、塩豆明治大福」を購入しました。
そうそう最後にやっとふっかちゃんマンホールを見つけ大満足でした。
本日は喜多見先生、TD小松さんと共に18名が参加。天候は晴れ、11℃、微風でしたからウォーキング日和でした。途中、論語の里循環バスを2回利用し、16000歩とあまり疲れを感じないコース作りで大いに楽しめました。心残りは深谷大河ドラマ館がちょっと忙しかったのでもう一度、閉館になる前に伺いたいと思いました。
何しろ埼玉って面白いのです。