JR御茶ノ水駅聖橋口⇒神田川・聖橋⇒相生坂⇒湯島聖堂⇒都バス神田明神前⇒神田明神⇒妻恋神社⇒三組坂上信号⇒湯島天満宮⇒湯島中坂下信号⇒うなぎ神田久保田⇒外神田5丁目信号⇒東京メトロ末広町駅⇒神田キリスト教会⇒アキバ商店街⇒神田万世橋・ecute⇒藪そば⇒珈琲ショパン⇒神田連雀亭⇒六文そば⇒竹むら⇒出世稲荷神社⇒まつや⇒須田町歩道橋⇒多町大通り⇒神田青果市場発祥石碑⇒二十二代庄之助最中⇒松本家住宅⇒JR神田駅
JR御茶ノ水駅は神田川(外堀)南側(千代田区側)にあります。ここ何年も駅近辺の改良工事が行われています。古くは北側の本郷台(湯島台)と南側の駿河台が一続きで「神田山」と呼ばれていましたが、2代将軍徳川秀忠の時代に、水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が作られたとのことです。また同じ頃、その北側にあった高林寺(現在は文京区向丘に移転)から泉が出て、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、この地が御茶ノ水と呼ばれるようになったということでした。
そうそう、この駅には近頃JR御茶ノ水駅限定でお茶と水だけの自動販売機が設置されたようです。今日は聖口から出ましたので見逃してしまいました。
本日は古地図をもとにしたウォーキングですから古地図と現在の地図をいただき見方の説明がありました。

神田川(かんだがわ)は、実は一級河川で荒川水系の支流で、三鷹市の井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し、東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流しています。流路延長24.6km。東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることはいまでは極めて稀とのことでした。

聖橋は千代田区駿河台と文京区湯島にまたがり、本郷通り(都道403号)を結んでいる橋。外堀通り、神田川、JR御茶ノ水駅を跨いでおり、駅の東端にあります。全長79.3mのうち、神田川の上部の36.3mが放物線を描くアーチ橋で[1]、形式は鉄筋コンクリートアーチ橋。関東大震災後の震災復興橋梁の1つで、昭和2年(1927年)に完成したのです。聖橋の名前は両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことからきているようです。
湯島聖堂(ゆしませいどう)は、もと上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、官学の府としたのが始まり。この時からこの大成殿と附属の建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになった。
仰高門(ぎょうこうもん)

孔子像

大成殿(たいせいでん)

神田明神(かんだみょうじん)は、外神田二丁目にある神社で正式名称は神田神社(かんだじんじゃ)。神田祭を行う神社として有名です。神田、日本橋(日本橋川以北)、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神。旧社格は府社(明治3年(1870年)まで准勅祭社)。現在は神社本庁の別表神社となっています。また旧准勅祭社の東京十社の一社でもあります。
随神門

神殿

獅子山

銭形平次の碑

この界隈を歩くと時代小説が思い出されます。岡本綺堂による「半七捕物帳」、野村胡堂による「銭形平次捕物控」、池波正太郎による「鬼平犯科帳」などがよく知られています。
湯島と外神田の境目にあるのが三組坂。ここは1616年(元和2年)徳川家康が駿府で亡くなり、家康お付きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者が当地に屋敷地を賜りこのあたり一帯を駿河町と呼んだようです。その後、1696年(元禄9年)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と改め、この町内の坂であることから「三組坂」と名づけられたようです。しかし元禄以来、呼びなれた三組町は、1965年(昭和40年)4月以降、今の湯島3丁目となったとのことでした。
湯島天満宮の銅鳥居。

鳥居の横には湯島神社、普段はみな湯島天神などと言っています。
458年雄略天皇2年に勅命で創建されたとのこと。その後太田道灌や家康公、菅原道真などの後押し、そして綱吉公が崇拝したことから大いににぎわったようです。また1703年には火災で全焼したが将軍綱吉公寄進が功を奏し再建。何度かその後も改築されたがもっとも最近では平成7年に総檜造りで造営されて今日の姿のようです。
本殿

うなぎ神田久保田。

こちらは1897年(明治30年)創業に老舗。地元の神田市場や秋葉原電気街の方々からも人気のお店とのことです。本日私たちはうな重をいただきました。


神田キリスト教会の最初の聖堂は、1877年10月、米国聖公会から派遣されたH.B.クーパー宣教師、クレメントT.ブランシェー宣教師によって建てられ、C.M.ウイリアムス監督(主教)臨席の下、献堂されました。しかし関東大震災で倒壊、第二次世界大戦では焼失しました。現在の礼拝堂は、1991年に建設されたもので、内部にはパイプオルガンが備えらえているとのことでした。
アキバ商店街

秋葉原の電気街のあたりは江戸時代には下級武士の居住区。もっともと江戸は火事が多かったので静岡の沈下の神様秋葉神社を勧請したのが地名の始まりのようです。1890年(明治23年)上野からの鉄道延長で駅名が秋葉原となったのが今日に続いているとのことです。
一般に、秋葉原電気街は、太平洋戦争後、駿河台/小川町界隈の闇市が、徐々にラジオ部品を専門に扱うようになり、進駐軍の露店整理令によって、1951年(昭和26年)ガード下に収容されたことが始まり。その後高度成長期、オイルショックの時代の後には家電全盛期やPC時代に入り、今ではオタク文化の殿堂みたいになっており、ごちゃごちゃした街には人があふれていました。あちらこちらにメイド喫茶がありまいsた。

中央線神田〜御茶ノ水間には1912(明治45年)年に完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋がありました。そのころを振り返り階段、壁面、プラットホームなどの遺構をよみがえらせ、今は嗜好性の高いショップやカフェが並ぶこれまでにない商業施設になっています。旧万世橋駅の開業時に作られたホーム部分を『2013プラットホーム』として整備、デッキとして見物できるようになっていました。高架橋にある旧万世橋駅のふたつの階段は1912段と1935段ありこれを上ると、線路階にあるホームに出て、実際に駅構内を歩く気分で回遊できます。ホームではガラスに囲まれた展望デッキがあり、 中央線がすぐ両脇を行き交うのは結構な楽しみでした。

藪そばは1880年に創業。作家池波正太郎もよく通ったお店。木造2階建ての現店舗は、関東大震災後の1923年に建築された。佐々木芳次郎の設計による数寄屋造りで、東京都選定歴史的建造物でもある。加山雄三の主演映画『帰ってきた若大将』のロケもこの店で行われた。2013年2月19日夜出火し、店舗のほか隣接する建物と合わせて焼けるという火事に見舞われた[9]。以後1年8ヶ月に渡って休業し、重要文化財などの文化財指定以外では初となる東京都選定歴史的建造物の解除(事実上の取り消し)となった。2014年10月20日に新家屋が再建され、営業再開したのです。

珈琲ショパンは昭和8年創業の老舗喫茶店。美しいステンドグラスが映える店内には、創業当時から使われているアンティークの調度品が並び、自慢のブレンドコーヒーは通常の3倍の豆を使用して濃厚で贅沢な味を楽しめまるとのこと。

神田連雀亭(かんだれんじゃくてい)とは、東京都千代田区神田須田町にある寄席。二ツ目の落語家・講談師専用の定席として運営されている。
2014年10月11日に落語家古今亭志ん輔のプロデュースにより開設されたコンパクトな寄席。オーナーは加藤伸。座席数は38名。立ち見は不可。高座は、奥に向かって狭くなる3角形をしており、上手側(客席から見て右側)が楽屋になっている。席亭やスタッフはおらず、出演者自身が呼び込み、受け付け、開演時の案内などを行う。高座と客席が極めて近く、臨場感がある会場として知られる。また二つ目や若手真打が会を開くのにちょうどよい収容客数であるため、独演会や勉強会などが行われることも多い。

竹むらは1930年創業の歴史ある建屋と趣き。池波正太郎も愛した揚げ饅頭が有名な、神田淡路町の甘味処。 人気はやはり揚げ饅頭と、粟ぜんざい。 戦災を逃れた木造三階建てのお店は、東京都選定歴史的建造物にも選定されています。
出世稲荷神社

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神田まつや

蕎麦の激戦区、東京都千代田区神田にあります老舗のお蕎麦さん。 店構えが歴史を感じさせます。
神田青果市場発祥石碑は靖国通りの 裏通りの“老川ビル”の前から、靖国通りから多田通りに入ったすぐの歩道上にありました。この神田須田町付近には 江戸時代の初めごろから 青物商が集まっていたのです。その後 徳川幕府は各所に散在していた青物商を この地域に呼び集め,御用市場として育成した結果, 駒込・千住と並び「江戸三大市場」として栄えたとのことです。明治となってからも政府公認の市場として引き継がれましたが,関東大震災で全滅し 外神田(秋葉原駅北側)に移転。東京市中央卸売市場神田分場として 東京の台所をあずかる重要な市場となったのです。しかし戦後の東京の膨張にともない 秋葉原のこの場所も手狭となり,1989年(平成元年)には大田区の大田市場に移転したようです。

二十二代庄之助最中。
角界御用達で、贈り物にぴったりの商品を置いているという和菓子店。大相撲の行司の最高位である「立行司」をつとめた、二十二代木村庄之助にちなんだお店で、その長男が昭和24年に開業したとのこと。これで3度目くらいの訪問ですが本日はまたしてもお休みでした。

松本家住宅は神田多町問屋街に残る震災復興町家で、多町大通りに面した角地に東面して建つ。木造3階建、切妻造、平入で、正面は出桁造の構えをとり、北妻面は窓の少ない防火に配慮した造りとする。東京の下町における震災復興期の和風町家として貴重である。
本日の古地図巡りは御茶ノ水駅を中心としたコース。最後は東京復活大聖堂(ニコライ堂)を見る予定でしたが終了後の予定がありこちらはエスケープ。
講師小崎先生、TD久森さん、参加者10名、晴天で気温29℃、微風の中でのウォーキングでしたから気持ちの良いコンデションでした。おかげで14:00にJR神田駅終了とし、12000歩、約5km。ちなみにこのシリーズは全10回。本日は2回目ですから先は長い!!またがんばります。