2021年10月30日

2021.10.29 鴻巣市再訪

10月17日鴻巣市のウォーキングでしたがあいにくの雨とデジカメの不調で満足感が少ない結果となっていました。
そこで本日は晴天との気象予報を受けて鴻巣市の再訪を車で実践しました。
往路:上福岡自宅→上尾→桶川→北本→鴻巣市
再訪場所:おおとり→鴻巣市産業観光会館「ひなの里」→菓子処大和屋→鴻巣市役所→せせらぎ公園→クレアこうのす→鴻神社→箕田氷川神社
帰路:鴻巣市→吉見町→川島町→川越市→上福岡

おおとり。
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先日は埼玉の逸品としていただいた「川幅せんべい」のお店。本日は味を組み合わせたセットを購入しました。

鴻巣市産業観光会館「ひなの里」。
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こちらは17日には立ち寄りませんでした。館内は昔のお雛様もありとてもよかったです。
しかしお雛様って顔立ち着物が時代により全く違うのです。面白かったです。
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菓子処大和屋。
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先日はお店の佇まいを確認しただけでした。今日は店内に入り、おすすめの「いがまんじゅう」と「ぶどう大福」をゲットしました。

鴻巣市役所のコウノトリ像。
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鴻巣市のシンボル。コウノトリの実物を見たことがないので一見、鶴やシラサギのようでした。コウノトリ伝説のある鴻巣市ではこの度コウノトリの飼育施設としてのコウノトリ野生復帰センターを造ったようです。埼玉県立こども動物園(高坂)からつがいの2羽をもらい受け、1月公開に向け頑張っているようです。


クレアこうのすは大ホールなどがあるイベント施設。この1階に歴史民俗資料コーナーがあり今日はここを目的に再訪です。
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埴輪の色々をじっくり見ました。
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生出塚埴輪(おいねづかはにわ)というそうです。また東京2020オリンピックの市松模様と同じものが描かれている貴人埴輪、武人埴輪がありました。
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鴻神社(こうじんじゃ)。
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中山道鴻巣今昔絵図が印象深かったです。
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神社前の道路面にはコウノトリの道路タイルがありました。
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箕田氷川神社(みだひかわじんじゃ)
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この神社の礎を築いた功績で須佐之男命、櫛小田姫命、大国主命、応神天皇、神功皇后十と共に渡辺綱も御祭神に列挙されていました。
ということで御朱印をいただいてきました。
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箕田氷川神社のお隣は源頼光四天王の一人、渡辺綱が建立した「全国渡辺姓の発祥の地」にちなんだ太刀と位牌がある寶持寺でした。
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本日の往路・復路とも往復60kmのドライブ。晴天で気温20℃。それぞれの訪問先は車だったためウォーキングは約7000歩。秋めいて紅葉もすすんできた風景を眺め、とても癒されたドライブでした。これでどうやら鴻巣市は一段落の気持ちになりました。それではまた。
posted by yunofumi at 17:24| ドタバタ日記

2021年10月26日

2021.10.23 Step トラベル バスツアー

ウニクス川越⇒甲州わさび漬けセンター⇒ファッション工房Ambrose⇒横谷温泉(よこやおんせん)⇒蓼科高原チーズケーキ工房⇒長円寺⇒丸井伊藤商店⇒川越駅

今日のツアーはあちらこちらと広範囲にバスで移動のいわばお買い物ツアー。
ということで集合場所のウニクス川越に7:10到着。ところが交通事故渋滞に巻き込まれたバスが遅れて到着のためそれから大急ぎで7:30出発となりました。中型バスで37名参加ですから座席は1人ないし2人での席割。私は職場の同僚Kさんと参加。久しぶりのバスツアー。晴天で富士山もくっきり!気分はルンルン。
9:30山梨県の甲州わさび漬けセンター到着。こちらは石和温泉郷の玄関口にある工場。他の店では小売りされていないという生わさびだけを使用する、珍しいわさび漬けを製造販売している所。約20分の滞在で慌ただしく見学とお買い物しました。
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次はバスで10分のファッション工房Ambroseに到着。
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Ambrosehaは1984年宝石・貴金属などの製造、販売を創業。現在は2代目社長さんが頑張っておられるようです。製品の展示室ではネックレスや指輪をお試しで手に取ってみることが出来ました。ロビーには絵画や原石があり癒されました。
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社外に出ると富士山がお見送りしてくれました。
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コロナ感染防止のために様々な工夫の場面に出会いました。その中でもバスの中の仕切りは段ボールで作ってあり、苦心の跡が見られました。
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長野県に入ると一段と山々が迫ってきて、いよいよ雪の季節が近いことを実感。
1時間30分ほどでお蕎麦屋さん「遊楽庵」に到着。十割そばをいただきました。
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横谷温泉旅館では入浴予定でしたがあまりの寒さに湯冷めを警戒して横谷峡の散歩に予定変更。
これは落差15mの乙女の滝。
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昨日は相当な雨量が降ったようでゴウゴウ川が流れていました。
途中には珍しい石灯篭もありました。
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その後1時間で蓼科チーズケーキ工房へ移動。時節柄試食がないのでそそくさとお買い物。

次はいよいよ紅葉を求めて長円寺へバス移動。
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長円寺は慶安二年(1649)、武田慶尊法印が高野山金剛頂院の法流を相続して開山。正式には要穴山胎蔵院長圓寺。ご本尊は金剛界大日如来。脇士は不動明王と愛染明王。延亨二年火災のため本堂、庫裏とも焼失。同三年庫裏、四年(1747)には本堂を再建し火伏せのため山号を清龍山と改めたようです。

傍に薬師堂がありました。薬師如来は像高91.5cm。檜の一木造りの立像。鎌倉時代の春日の仏師の御作と伝えられるとのこと。日本三薬師如来と云われ旧諏訪大明神の本地仏で、明治の廃仏毀釈のおり諏訪大社上社よりこちらに移された。本日はお姿を見られラッキーでした。
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残念ながら紅葉はまだ始まったばかり。でもお地蔵様も沢山見られてちょっとほっとしました。
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そして最後は丸井伊藤商店へ。
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こちらはお漬物とお味噌の製造元。こちらは創業以来100年を数え、味噌造り一筋に、昔ながらの伝統の技を尊重しつつ、新しい技術も取り入れ、研究を重ねて故郷の味を届けているお店。
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昔ながらの天然蔵には、天然二年味噌、三年味噌が背丈よりも大きな木樽で静かに熟成の時を待っています。
近代的設備を備えた漬物工場では、一つ一つ丁寧に漬け込まれた野沢菜、山ごぼう、セロリ、胡瓜、茄子、しょうが、大根、人参、しその実、みょうが、昆布など高原野菜がありました。
蔵内には、ユニークかつ斬新な神社、「貧乏神様神社」があります。
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こうして17:00過ぎにはバスに乗車しひたすらバスは走りました。いつもの通り談合坂は込み合いましたがまずますお陰様で20:15には出発地点に到着。
ということで自宅に戻れば9700歩は上出来でした。お土産はお味噌を3種類もゲット。我が家の娘はここ数年味噌つくりに凝っておりますので、信州みそを比べてみたいとの希望でしたので買い込みました。ちょっと重かった!!
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娘孝行もできたし、無事にバスツアーも終了。また機会がありましたら参加します。
posted by yunofumi at 14:08| ドタバタ日記

2021年10月25日

2021.10.17 さいたま彩発見ぶらり街あるき 鴻巣市

鴻巣宿は江戸時代の五街道の一つ中山道の七つ目の宿場でした。鴻巣の地名はかってこの地には国府が置かれ、「国府の洲」から「こうのす」に転じ、「鴻(こうのとり)伝説のことから現在の漢字「鴻巣」が充てられたとのことです。

JR鴻巣駅⇒御成町商栄会商店街⇒御成町東照宮⇒大正家⇒鴻巣寄席・西洋料理メイキッス⇒鴻巣御殿⇒鴻巣本陣跡⇒鴻巣駅入口信号⇒鴻巣宿おおとり公園⇒鴻神社⇒法要寺⇒菓子処大和屋⇒鴻巣保健所⇒法務局⇒鴻巣市役所⇒せせらぎ公園⇒鴻巣文化センター・クレアこうのす⇒埼玉県運転免許センター⇒鴻巣フラワーセンター・かねはち(昼食)⇒宝持寺⇒箕田小学校⇒箕田氷川八幡神社⇒箕田追分⇒JR北鴻巣駅

鴻巣駅(こうのすえき)は、高崎線と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが通っている特急なども停車する駅。発車メロディには、鴻巣市出身のシンガーソングライター・美根ゆり香の曲である「HANDS-大きな手から小さな手へ-」が流れているとのことでした。

東口広場には色々なお花と共に「ひな人形とはなの街こうのす」と《四尺玉煙火筒モニメュント》がありました。
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鴻巣市は、古くから「人形のまち」として知られており、江戸時代から約380年の歴史を重ねる「鴻巣雛(こうのすびな)」はすべて手作業でつくられる美しいひな人形で、埼玉県の伝統的手工芸品に指定されています。鴻巣駅の近くに、人形店などが軒を並べ、伝統を現在に伝えてくれるエリアがあるとのこと。旧中山道が貫くこのエリアの町名は「人形」。これは「鴻巣宿」の時代から人形づくりが盛んであったことを伝えてくれる地名です。そういえば、「人形」という言葉が入る正式な地名は、日本全国にたった2つ。東京の「中央区日本橋人形町」と、こちらの「鴻巣市人形」だけとのことでした。
人形づくりの伝統を伝え、2005年から「鴻巣びっくりひな祭り」が桃の節句である3月3日の前後に、2週間以上にもわたって開催されています。メイン会場と複数のサテライト会場を合わせて、飾られるひな人形の数は、約1万体。メイン会場の鴻巣駅直結のショッピングモール「エルミこうのす」では「日本一高いピラミッドひな壇」の展示が見られるとのことでした。
《四尺玉煙火筒モニメュント》は2015年(平成27年)に設置されたとのことです。これは2014年(平成26年)10月11日に開催された花火大会で「世界最大の打ち上げ花火」として世界記録をギネスに登録された記念の、実際に使用した本物の筒だそうで、四尺玉の重さは464Kgもあるそうです。
鴻巣市の花の生産は寺谷地区から始まり、パンジーに引き続き色々な花々に挑戦し今ではプリムラ、サルビア、マリーゴールドの出荷量は日本一だそうです。お花は時期ものですが本日はウォーキング中にマリーゴールドが見られました。
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御成町商栄会商店街に日本一小さい東照宮として「御成町東照宮」がありました。祠のそばの石碑には「東照宮 敷地奉納記念碑」とあるようです。

小さな東照宮のそばに鴻巣御殿の案内板がありました。
鴻巣御殿は徳川三代(家康・秀忠・家光)の宿泊所として使われたようなので地名としては御成町となっているようです。
ウォーク途中で100年以上続いている和食のお店「大正家」を見ました。
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西洋料理メイキッスの2階で鴻巣寄席が奇数月に開催されるようです。絨毯敷で100席はあるようですから本格的な落語を聞くにはよいところのようです。

鴻巣本陣跡は今では石碑だけがありました。桶川宿の次ということでいわゆる「間の宿」(あいのしゅく)だったようです。
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道路面には「こうのとり」の絵タイルがありました。
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中仙道沿いに「鴻巣宿おおとり公園」がありました。ここのモニュメントはコウノトリの羽をモチーフにしてありました。

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鴻神社(こうじんじゃ)はこうのとりのお宮ということで元は「国府の宮」。
鴻神社は明治6年にこの地ならびに近くにあった三ヶ所の神社を合祀したもので、もとは鴻三社といわれておりました。明治40年4月8日に鴻三社から社号を改め『鴻神社』となったようです。三狐稲荷神社、幸の宮弁天社、宿神社、夫婦銀杏、なんじゃもんじゃ稲荷などがありました。
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真言宗智山派寺院の「法要寺」は、正式には慈雲山医王院。長禄元年(1457)亮恵上人が開基。江戸期には加賀藩前田家の宿所となっていたとのことです。

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菓子処大和屋は昭和48年に創業。当初から原材料を吟味し、味や品質にこだわった季節毎の和菓子を変わらぬ味で守り続けているようです。製品としてはつきたて杵つき餅、川幅どらやき、ひな小町、栗どら焼き、ゆずまんじゅう、ぶどう大福、いがまんじゅう等があるとのことです。

せせらぎ公園は人気のSLの展示やコンビネーション遊具などが楽しめそうな公園。園内には小川のせせらぎや噴水もあるようでした。

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「鴻巣文化センター・クレアこうのす」には大ホール、小ホールをはじめ様々なコーナーがあるようです。歴史民俗資料コーナーには埴輪の展示がありました。

埼玉県運転免許センターは元々旧農林水産省農事試験場跡地に、1989年(平成元年)に設置された施設で埼玉県警察が管理する運転免許試験場。運転免許の学科試験や技能試験や限定解除審査、運転免許証の発行・更新・再交付、国際運転免許証の発行など多岐にわたる業務をしている所。普段私共は近隣の警察署で運転免許更新などを行っていますので滅多に伺うことがないのです。

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鴻巣フラワーセンターは鴻巣市寺谷にある花卉(かき)市場。市場の運営は、鴻巣花き(株)によって行われているようでした。休日なのに施設内を案内していただきました。
昼食は2階のかねはちで海鮮丼をいただきました。
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宝持寺はおよそ1000年前に渡辺綱が、祖父(箕田源氏の祖・源仕)父(源宛)の菩提を弔う為に建立したと伝えられており、境内には全国の「渡辺さん」有志でつくる「全国渡辺会」が建立した顕彰碑も存在します。渡辺綱は平安時代中期から後期の武将で、坂田金時、卜部季武、碓井貞光らと源頼光の四天王の一人として活躍したのです。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻橋では付近に出没する鬼の腕を切り落とした逸話で有名です。

箕田氷川神社は渡辺綱が988年(永延2年)に当地に八幡宮を勧請したとのこと。この氷川八幡神社そばに渡辺綱の祖父箕田武蔵守源仕以来の館があったそうです。
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箕田追分(みだおいわけ)は箕田源氏(みだげんじ)のゆかりの地である鴻巣市箕田(みだ)、中山道(旧中山道)の鴻巣宿と熊谷宿のあいだにある追分で、ここで北に向かって忍(行田市)や館林(群馬県)城下へ向かう道と分かれました。
追分の交差点の南西の角には真新しい解説板が立てられ、きれいに整備されていました。

JR北鴻巣駅(きたこうのすえき)は、埼玉県鴻巣市赤見台一丁目にある、JR東日本高崎線の駅。上野駅発着系統と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車します。開業は1984年(昭和59年)。1日乗降客は約5000人とのことでした。

本日は午前中は雨降り。昼食と花き市場見学後の午後は雨も上がりひまわりやコスモスも楽しみました。
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気温は22℃までありまずは上々で17名のウォーキングは22000歩で終了。
本日の埼玉の逸品は本手焼きおおとりの「川幅せんべい」。これは鴻巣市内を流れる荒川にかかる御成橋が対岸の吉見町まで2537mありこの川幅が日本一なんだそうです。
おせんべいそのものが大きく家族3人でいただきました。
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ということで本日も喜多見先生、TD小松さんのおかげで無事終了。次回も頑張ります。
posted by yunofumi at 15:16| あちこちウォーク

2021年10月08日

2021 2021.10.2 古地図巡り 神田・湯島あたり

JR御茶ノ水駅聖橋口⇒神田川・聖橋⇒相生坂⇒湯島聖堂⇒都バス神田明神前⇒神田明神⇒妻恋神社⇒三組坂上信号⇒湯島天満宮⇒湯島中坂下信号⇒うなぎ神田久保田⇒外神田5丁目信号⇒東京メトロ末広町駅⇒神田キリスト教会⇒アキバ商店街⇒神田万世橋・ecute⇒藪そば⇒珈琲ショパン⇒神田連雀亭⇒六文そば⇒竹むら⇒出世稲荷神社⇒まつや⇒須田町歩道橋⇒多町大通り⇒神田青果市場発祥石碑⇒二十二代庄之助最中⇒松本家住宅⇒JR神田駅

JR御茶ノ水駅は神田川(外堀)南側(千代田区側)にあります。ここ何年も駅近辺の改良工事が行われています。古くは北側の本郷台(湯島台)と南側の駿河台が一続きで「神田山」と呼ばれていましたが、2代将軍徳川秀忠の時代に、水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が作られたとのことです。また同じ頃、その北側にあった高林寺(現在は文京区向丘に移転)から泉が出て、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、この地が御茶ノ水と呼ばれるようになったということでした。
そうそう、この駅には近頃JR御茶ノ水駅限定でお茶と水だけの自動販売機が設置されたようです。今日は聖口から出ましたので見逃してしまいました。
本日は古地図をもとにしたウォーキングですから古地図と現在の地図をいただき見方の説明がありました。
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神田川(かんだがわ)は、実は一級河川で荒川水系の支流で、三鷹市の井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し、東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流しています。流路延長24.6km。東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることはいまでは極めて稀とのことでした。
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聖橋は千代田区駿河台と文京区湯島にまたがり、本郷通り(都道403号)を結んでいる橋。外堀通り、神田川、JR御茶ノ水駅を跨いでおり、駅の東端にあります。全長79.3mのうち、神田川の上部の36.3mが放物線を描くアーチ橋で[1]、形式は鉄筋コンクリートアーチ橋。関東大震災後の震災復興橋梁の1つで、昭和2年(1927年)に完成したのです。聖橋の名前は両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことからきているようです。

湯島聖堂(ゆしませいどう)は、もと上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、官学の府としたのが始まり。この時からこの大成殿と附属の建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになった。
仰高門(ぎょうこうもん)
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孔子像
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大成殿(たいせいでん)
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神田明神(かんだみょうじん)は、外神田二丁目にある神社で正式名称は神田神社(かんだじんじゃ)。神田祭を行う神社として有名です。神田、日本橋(日本橋川以北)、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神。旧社格は府社(明治3年(1870年)まで准勅祭社)。現在は神社本庁の別表神社となっています。また旧准勅祭社の東京十社の一社でもあります。
随神門
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神殿
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獅子山
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銭形平次の碑
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この界隈を歩くと時代小説が思い出されます。岡本綺堂による「半七捕物帳」、野村胡堂による「銭形平次捕物控」、池波正太郎による「鬼平犯科帳」などがよく知られています。

湯島と外神田の境目にあるのが三組坂。ここは1616年(元和2年)徳川家康が駿府で亡くなり、家康お付きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者が当地に屋敷地を賜りこのあたり一帯を駿河町と呼んだようです。その後、1696年(元禄9年)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と改め、この町内の坂であることから「三組坂」と名づけられたようです。しかし元禄以来、呼びなれた三組町は、1965年(昭和40年)4月以降、今の湯島3丁目となったとのことでした。

湯島天満宮の銅鳥居。
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鳥居の横には湯島神社、普段はみな湯島天神などと言っています。
458年雄略天皇2年に勅命で創建されたとのこと。その後太田道灌や家康公、菅原道真などの後押し、そして綱吉公が崇拝したことから大いににぎわったようです。また1703年には火災で全焼したが将軍綱吉公寄進が功を奏し再建。何度かその後も改築されたがもっとも最近では平成7年に総檜造りで造営されて今日の姿のようです。
本殿
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うなぎ神田久保田。
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こちらは1897年(明治30年)創業に老舗。地元の神田市場や秋葉原電気街の方々からも人気のお店とのことです。本日私たちはうな重をいただきました。
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神田キリスト教会の最初の聖堂は、1877年10月、米国聖公会から派遣されたH.B.クーパー宣教師、クレメントT.ブランシェー宣教師によって建てられ、C.M.ウイリアムス監督(主教)臨席の下、献堂されました。しかし関東大震災で倒壊、第二次世界大戦では焼失しました。現在の礼拝堂は、1991年に建設されたもので、内部にはパイプオルガンが備えらえているとのことでした。

アキバ商店街
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秋葉原の電気街のあたりは江戸時代には下級武士の居住区。もっともと江戸は火事が多かったので静岡の沈下の神様秋葉神社を勧請したのが地名の始まりのようです。1890年(明治23年)上野からの鉄道延長で駅名が秋葉原となったのが今日に続いているとのことです。
 一般に、秋葉原電気街は、太平洋戦争後、駿河台/小川町界隈の闇市が、徐々にラジオ部品を専門に扱うようになり、進駐軍の露店整理令によって、1951年(昭和26年)ガード下に収容されたことが始まり。その後高度成長期、オイルショックの時代の後には家電全盛期やPC時代に入り、今ではオタク文化の殿堂みたいになっており、ごちゃごちゃした街には人があふれていました。あちらこちらにメイド喫茶がありまいsた。

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中央線神田〜御茶ノ水間には1912(明治45年)年に完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋がありました。そのころを振り返り階段、壁面、プラットホームなどの遺構をよみがえらせ、今は嗜好性の高いショップやカフェが並ぶこれまでにない商業施設になっています。旧万世橋駅の開業時に作られたホーム部分を『2013プラットホーム』として整備、デッキとして見物できるようになっていました。高架橋にある旧万世橋駅のふたつの階段は1912段と1935段ありこれを上ると、線路階にあるホームに出て、実際に駅構内を歩く気分で回遊できます。ホームではガラスに囲まれた展望デッキがあり、 中央線がすぐ両脇を行き交うのは結構な楽しみでした。

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藪そばは1880年に創業。作家池波正太郎もよく通ったお店。木造2階建ての現店舗は、関東大震災後の1923年に建築された。佐々木芳次郎の設計による数寄屋造りで、東京都選定歴史的建造物でもある。加山雄三の主演映画『帰ってきた若大将』のロケもこの店で行われた。2013年2月19日夜出火し、店舗のほか隣接する建物と合わせて焼けるという火事に見舞われた[9]。以後1年8ヶ月に渡って休業し、重要文化財などの文化財指定以外では初となる東京都選定歴史的建造物の解除(事実上の取り消し)となった。2014年10月20日に新家屋が再建され、営業再開したのです。

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珈琲ショパンは昭和8年創業の老舗喫茶店。美しいステンドグラスが映える店内には、創業当時から使われているアンティークの調度品が並び、自慢のブレンドコーヒーは通常の3倍の豆を使用して濃厚で贅沢な味を楽しめまるとのこと。

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神田連雀亭(かんだれんじゃくてい)とは、東京都千代田区神田須田町にある寄席。二ツ目の落語家・講談師専用の定席として運営されている。
2014年10月11日に落語家古今亭志ん輔のプロデュースにより開設されたコンパクトな寄席。オーナーは加藤伸。座席数は38名。立ち見は不可。高座は、奥に向かって狭くなる3角形をしており、上手側(客席から見て右側)が楽屋になっている。席亭やスタッフはおらず、出演者自身が呼び込み、受け付け、開演時の案内などを行う。高座と客席が極めて近く、臨場感がある会場として知られる。また二つ目や若手真打が会を開くのにちょうどよい収容客数であるため、独演会や勉強会などが行われることも多い。

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竹むらは1930年創業の歴史ある建屋と趣き。池波正太郎も愛した揚げ饅頭が有名な、神田淡路町の甘味処。 人気はやはり揚げ饅頭と、粟ぜんざい。 戦災を逃れた木造三階建てのお店は、東京都選定歴史的建造物にも選定されています。

出世稲荷神社
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神田まつや
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蕎麦の激戦区、東京都千代田区神田にあります老舗のお蕎麦さん。 店構えが歴史を感じさせます。

神田青果市場発祥石碑は靖国通りの 裏通りの“老川ビル”の前から、靖国通りから多田通りに入ったすぐの歩道上にありました。この神田須田町付近には 江戸時代の初めごろから 青物商が集まっていたのです。その後 徳川幕府は各所に散在していた青物商を この地域に呼び集め,御用市場として育成した結果, 駒込・千住と並び「江戸三大市場」として栄えたとのことです。明治となってからも政府公認の市場として引き継がれましたが,関東大震災で全滅し 外神田(秋葉原駅北側)に移転。東京市中央卸売市場神田分場として 東京の台所をあずかる重要な市場となったのです。しかし戦後の東京の膨張にともない 秋葉原のこの場所も手狭となり,1989年(平成元年)には大田区の大田市場に移転したようです。

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二十二代庄之助最中。
角界御用達で、贈り物にぴったりの商品を置いているという和菓子店。大相撲の行司の最高位である「立行司」をつとめた、二十二代木村庄之助にちなんだお店で、その長男が昭和24年に開業したとのこと。これで3度目くらいの訪問ですが本日はまたしてもお休みでした。

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松本家住宅は神田多町問屋街に残る震災復興町家で、多町大通りに面した角地に東面して建つ。木造3階建、切妻造、平入で、正面は出桁造の構えをとり、北妻面は窓の少ない防火に配慮した造りとする。東京の下町における震災復興期の和風町家として貴重である。

本日の古地図巡りは御茶ノ水駅を中心としたコース。最後は東京復活大聖堂(ニコライ堂)を見る予定でしたが終了後の予定がありこちらはエスケープ。
講師小崎先生、TD久森さん、参加者10名、晴天で気温29℃、微風の中でのウォーキングでしたから気持ちの良いコンデションでした。おかげで14:00にJR神田駅終了とし、12000歩、約5km。ちなみにこのシリーズは全10回。本日は2回目ですから先は長い!!またがんばります。
posted by yunofumi at 15:36| あちこちウォーク