JR北本駅⇒本宿天神社⇒多聞院⇒解脱会練心会⇒第七川越街道踏切⇒北本市役所⇒北本市文化センタ⇒真福寺⇒解脱会北本スポーツセンター⇒石戸厄除両大師⇒石柱⇒高島氷川神社入口信号⇒道標これより石と舟のみち⇒高尾氷川神社⇒厳島神社⇒須賀神社⇒北向地蔵⇒三味茶屋(昼食) ⇒城中坂⇒北本自然観察公園、地蔵口⇒一夜堤⇒石戸城⇒石戸屋天神社⇒放光寺⇒東光寺⇒北里大学メディカルセンター----路線バス---JR北本駅
北本駅は1918年にもともと北本宿駅として開業。現在の駅舎は当時と少し変わったようです。普段高崎線に乗ることが珍しく、本日は初めて降車しました。
本宿天神社は、北本市本宿にある神社。こちらは、元宿村の名主岡野家が、元宿村の鎮守・岡野家の氏神として寛文2年(1662)に創建し、明治6年に村社になったようです。
真言宗智山派寺院の多聞寺は、文永年間(1264-75)に多聞律師が開基したようで、光宗法師が1658年(万治元年)に伽藍を再建して中興したとのことです。北本七福神の毘沙門天があります。
解脱会(げだつかい)は、会祖・解脱金剛尊者(岡野聖憲)によって昭和4年に立教された宗教法人。会祖が大病を機に悟りを開かれ1929年に立教されたようです。このウォーキング中に多くの施設を見ました。
北本市(きたもとし)は、埼玉県の東部中央にある人口約6万6千人の市。江戸幕府による宿駅整備以前の1602年(慶長7年)までは中山道の宿場、鴻巣宿があったことが地名の由来のようです。北本市役所の 新庁舎は平成26年10月14日に全面開庁。まだまだきれいな建物でした。
北本市文化センタの中にはホール、公民館、会議室、図書館、プラネタリウムなどがあり、大きな建物でとても立派に見えました。また2015年受賞ノーベル生理学医学賞大村智博士の記念碑もありました。
石戸厄除両大師 真福寺は、天台宗の寺院。創建から600年を超える由緒ある古刹ということもあり、地域の人々からは、石戸大師、両大師様、大師様などの愛称で親しまれているおのことです。
ご本尊は、不動明王、慈恵大師良源(じえだいしりょうげん)、元三大師(がんざいだいし)。ご利益は、厄除け、年間の無事祈願(だるま市)となっています。
このお寺の山門には、寄木造・彫眼、彩色からなる仁王像がありました。この仁王像は、江戸時代安永3年頃に作られたと言われる由緒ある仁王像とのことでした。
道標これより石と舟のみち。
この道標は、馬室(鴻巣市)から石戸宿へ通じる、昔からの鎌倉街道沿いに、1727年(享保12年)に建立されたようです。高さ64p、幅21p。荒川は江戸時代から大正時代頃までの長い間、舟運として利用されていたとのことです。この「石と舟と」とは、「石戸河岸」のこと。この現地の石柱は複製だそうです。
高尾氷川神社社務所は昭和4年の建設以来、約90年が経過。平成31年には、当神社鎮座1150年。現在、記念事業として新社務所建設を計画しているとのことです。
創建は、平安時代 の869年(貞観11年)と伝えられ、主祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)等 6柱を祀っいるようです。主なお祭りとして4月の人形慰労祭、 7月の例大祭などがあるとのことです。
こちらには日本最大のおみくじがありました。
興味本位でこのおみくじを引きました。2mほどの棒の先に番号があり、お札と交換。26×9pと大きなおみくじをいただきました。それにしてもこの完全防備のウォーキングスタイルにはびっくりでしょうね。
氷川神社から道を挟んで下に降りると厳島神社がありました。
池の中ほどに社殿がありました。伝説としては龍がこの池の杉(龍燈杉)より昇天したとのことで、その杉が台風で倒れたことによって、跡地に社を祀ったのが「厳島社」とのことです。現在、女神がお祀りされているため安産・女性の守護として崇敬されているとのこと。
須賀神社は安土桃山時代の創建。大正時代には旧荒井村の各神社を合祀したとのことです。「荒井の天王様」と親しまれ、境内には道祖神が旅の守護神として祀られ、現在もお礼参りのわらじが多く奉納されているようです。
鳥居手前に「寿老人(杖と経巻物を持つ長寿の神)」がありました。
北向地蔵は仏像には珍しく北面しているためこの名があるとのことです。「泥の団子」を供えて願い事をし、願いがかなったら「米の団子」を供えるという信仰があるとのことです。昔から道標も兼ねているようです。
三味茶屋は自家製の北本産こしひかり100%使用!甘みのある美味しいごはんを提供!毎日市場から仕入れている新鮮な魚・野菜を使用。この辺りにはミカンの木があちらこちらに見られ、食卓にも提供されていました。
城中坂とは明治時代にこのあたりに新しい改良の坂道ができたことからついた名前のようです。城中坂(じょうちゅうさか)の地蔵と大山阿夫利講の灯籠があり、すぐそばに石戸城があったようです。
北本自然観察公園には地蔵口から入りました。
県営「北本自然観察公園」は、JR北本駅から約3kmに位置し、荒川河川敷に隣接する谷地形を活かした大自然公園。総敷地面積25.2haのほぼ全部が雑木林や湿地帯や草原の公園で1992年(平成4年)7月にオープン。園内に「埼玉県自然学習センターが1992年(平成4年)7月に開設されたとのことです。
公園では、「コジュケイ」「モズ」「ウグイス」「カワセミ」「オオヨシキリ」「ムクドリ」「フクロウ」「オオルリ」「キビタキ」など、約170種の鳥。「タヌキ」「イタチ」「ハクビシン」などの野生動物がみられるようです。ということで今日は職員の方に雑木林、草むら、湿地と池などを案内頂きました。
池というか湿地になっているところは蛍の乱舞が見られるとか、ガマの哺をつぶすとフワフワの綿のようなものが出てくるなど案内人は大活躍でした。そうそう、アオサギも見ました。
ほとんどが低湿地なので途中には木道がありました。
桜土手傍の一夜堤口の出口に来ました。
堤の上から見るとまさに谷底という感じで雨が降ると公園の中は池のようになるそうです。
一夜堤は1562年(永禄5年)、上杉謙信方の石戸城を攻略する際、北条氏邦勢が一夜にして土橋を築き、一気に城に攻め入り勝利したという伝説がある所で傍に石戸城跡がありました。現在は若干の土塁と空堀があるだけのようでした。
石戸宿天神社の創建年代等は不詳。石戸城の鎮守として祀られたのではないかとも伝わっているようです。江戸期に石戸宿村の鎮守として創祀したらしく例祭で奉納されるささら獅子舞は、北本市無形民俗文化財です。
天台宗寺院の放光寺は、青龍山梅林院と号します。放光寺の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「天台宗、川田谷村泉福寺末、青龍山梅林院と號す、本尊不動を安す。念佛堂。三尊の彌陀を安ず」とあり、江戸期には石戸宿天神社の別当寺を務めていました。
東光寺は、川越市東明寺(時宗=じしょう)の末寺で、西亀山無量院東向寺とも号し、伝説では、蒲冠者 源範頼(かばのかじゃ みなもとののりより)が開基といわれています。
境内には、国指定天然記念物「石戸蒲ザクラ」のほか、県指定歴史資料「板石塔婆」、市指定彫刻「銅造阿弥陀如来坐像」など多数あります。
北里大学メディカルセンター。
1914年(大正3年)、北里柴三郎博士によって創立されのが北里研究所。
1989年(平成元年)創立75周年の佳節に「北里研究所メディカルセンター」が現研究所顧問、大村智博士により提案され、平成元年4月にこの「社団法人北里研究所 北里研究所メディカルセンター病院」が開院したのです。現在は372床の救命救急など多くの科目を備えた病院となっています。
北里大学メディカルセンターから路線バスに乗り北本駅で15:00前に解散。歩程2万歩。約8kmのウォーキングを講師喜多見さん、TD小松さんと共に12名は元気にウォーキング終了。北本市ではトマトが特産ということで北本トマトカレーを駅前でゲット。
早速、夕食にいただきましたがなかなか美味とても口に合いました。今年のお歳暮はコレかな?と思案中。
本日は久しぶりのさいたまのウォーキングでした。また頑張りたいです。