2020年10月29日

2020.10.23 第2回 東京十社巡り

東京メトロ千代田線乃木坂駅⇒乃木神社⇒乃木邸⇒乃木会館⇒ガレリア⇒檜坂⇒本氷川坂⇒氷川分館⇒赤坂氷川神社⇒四合稲荷神社(しあわせいなりじんじゃ)⇒赤坂子ども中高生プラザ⇒勝安房邸跡⇒港区立氷川公園⇒TBS ⇒フランス料理オステルリースズキ⇒赤坂サカス⇒ 鈴降稲荷神社(すずふりいなりじんじゃ)⇒丹後坂⇒牛鳴坂⇒武家屋敷門⇒山脇学園⇒弾正坂⇒赤坂警察署⇒美喜井稲荷神社⇒豊川稲荷⇒国際医療福祉大学⇒赤坂不動尊⇒函館開陽亭赤坂店⇒山王日枝神社⇒溜池山王駅

朝10時に乃木坂駅に集合するとかなりの雨降り。そこでポンチョを身に着け、ウォーキング開始。初めは雨降りが激しくて写真が思うようにとれませんでした。
でも次第に小雨になり、何とかランチに突入。そして午後はポンチョもやめて、撥水のジャンパーと帽子でどうにか15時の終了まで頑張りました。

乃木神社。
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1912年(明治45年)7月30日明治天皇がなくなられ、その後大葬の日が1913年(大正元年)9月13日となりこの日、乃木希典大将は夫人と共に自害されたことからご夫妻をまつった神社なのです。

正松神社は乃木神社の境内の奥にありました。 松下村塾の開祖 玉木文之進先生と吉田松陰先生をお祀りしてあるとのことです。
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乃木邸は日清・日露戦争を戦った陸軍大将乃木希典(1849〜1912)の邸宅地だったのが、乃木将軍の遺言により、公園として東京市に寄贈され、大正2年に一般の方々が見学できるようになったのです。
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東京ミッドタウンは、赤坂にある大規模複合施設。もとは防衛庁本庁檜町庁舎(防衛庁檜町地区)跡地の再開発事業として、2007年(平成19年)3月30日に開業したとのこと。東京ミッドタウンには、ホテル(ザ・リッツ・カールトン東京)、文化施設(サントリー美術館など)、130に及ぶ商業店舗、オフィス、住居、病院、公園などがあるとのことです。

「檜坂(ひのきざか)」は江戸時代に、檜の木が多ったので、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(檜町公園)に添う坂であったことからこのようによばれているのです。

「本氷川坂」は赤坂の繁華街から一歩外れた落ち着いた場所にあり、坂の西脇には氷川神社が隣接していました。高低差があり、坂の形状自体も湾曲しているので、歩いていると次々に景色が変わり、それなりに楽しい坂道だと思いました。坂名の由来は、もともと江戸時代に元氷川明神があったことからそう呼ばれるようになったということです。

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赤坂氷川神社と道路で隔てた向かい側には長〜い土塀があり、その上には侵入防止のためのワイヤーまで張られていました。実はここは日本銀行氷川分館で迎賓施設のようで、業務上機密を要する会合が行われるとのことです。唯一日本銀行の施設であることを推察できるのは、塀の先端の瓦のマークでした。

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赤坂氷川神社の御祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと別名…大国主命)のお三方の神様。御神徳は厄除・良縁・家内安全・商売繁盛とのことです。

TBS放送センターは「ビッグハット」とよばれ、屋上のパラボラデッキから由来しているようです。一番上に見えるパラボラデッキに無線送受信設備を設置してあり、ヘリポートでもあるようです。

フランス料理オステルリースズキ(昼食)。
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フランス三ツ星レストラン出身のシェフが本場の郷土料理をベースとした素材の味を活かした本格フレンチいただきました。私たちはいただけませんでしたが、シェフ自ら厳選したワインは常時300種類以上用意してあるとのことでした。

赤坂サカスは、赤坂5丁目の再開発複合施設。赤坂サカスの「サカス」は、桜を咲かすという意味であると同時に赤坂にたくさんある坂=「サカス」の意味もあるのです。また「赤坂サカス」のローマ字表記「akasaka Sacas」を後ろから読むと「SACA・SAKA・SAKA」=「坂・坂・坂」となる。
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赤坂サカスには、およそ100本の桜が植えられています。その中心に位置しシンボルとも言えるのがこの「三春桜」です。三春桜はエドヒガン系のベニシダレザクラで樹高12m、樹齢は100年とも言われています。日本三大桜のひとつで国の天然記念物、福島県三春町の「滝桜」の子孫樹であることから「三春桜」の名がつけられたのです。


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鈴降稲荷神社(すずふりいなりじんじゃ)は円通寺通りから曲がった細い路地の奥に、ひっそりとありましたが、通りの看板と赤い旗ですぐわかりました。
「鈴降稲荷神社はもと四谷仲殿町にあり、伊賀町、仲殿町一体がその氏子であった。元禄8年、さきの鈴を神鈴として鈴降稲荷といい伊賀組の鎮守としたのです。そういえばNHKの以前の朝ドラ「ひよっこ」ででてきた「すずふり亭」はこのお稲荷さんと背中合わせの設定だったと伺いました。オモシロイ!!

「丹後坂」は赤坂のコロンビア通りから北方へ登る石段の坂道で、坂上からさらにまっすぐ行くと牛鳴坂(うしなきざか)の坂上に到達しました。牛鳴坂は赤坂から青山に抜ける厚木道だったようで路面が悪く車を引く牛が苦しんだことから名前が付いた坂道とのことです。

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1864年(元治元年)に再建された武家屋敷門は、切妻造本瓦葺きで、裄(けた)行(ゆき)21.8m、梁間(はりま)4.7mの規模を持つ国の重要文化財。
2016年(平成28年)に山脇学園新校舎建築事業の一環として、千葉県九十九里町にあったこの門が赤坂に移築されたとのことです。持ち主の山脇学園ではこの門を“志の門”と呼んで、入学式や卒業式など節目の日に開門して、生徒が志を新たにする機会としているようです。

「弾正坂(だんじょうざか)」の西側には吉井藩松平氏の屋敷があったとのことです。この家は代々、監察・治安維持などを主要な業務とする官庁の役割を担った弾正だあったので家の前の坂にこの名前が付いたようです。実際には赤坂御用地(元赤坂二丁目)と豊川稲荷別院との間を登り、青山通り(国道246号線)と斜めに交差して、更に赤坂警察署と虎屋本社との間を山脇学園前まで登る坂道なのです。

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美喜井稲荷神社(みきいいなりじんじゃ )は「とらや本店」のわきの路地を入りビルの中二階に秘密基地みたいにあった神社です。この神様は蛸を食べないことや猫が飾られているのが印象的でした。

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豐川稲荷は正式名を豊川閣妙厳寺(とよかわかくみょうじん)といい、山号が圓福山(えんぷくざん)という曹洞宗のお寺で愛知県豊川閣の直轄の別院だそうです。こちらは「稲荷」となっていますが「狐を祀った神社」ではないこと、またもともと赤坂一ツ木にあった大岡越前守忠相邸にあったとのことです。

国際医療福祉大学には山車がありました。
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大学の学生が赤坂氷川神社の例大祭「赤坂氷川祭」に山車をひいて参加するようです。

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赤坂不動尊 智劔山威徳寺は江戸時代より紀州徳川家の祈願寺ということで内陣には紀州徳川家奉納の厨子や仏具などがあるようです。

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山王日枝神社の創建年代は不詳といいつつも、文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるというふうに伺いました。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座して、江戸城の鎮守をしたようです。そして慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになったのです。またここは江戸城から見て裏鬼門に位置することが知られています。
この鳥居は「山王鳥居」または「合掌鳥居」「破風鳥居」というようです。山王は、日枝山(比叡山)の神(大山咋神)が山王権現と呼ばれていたことが由来とのことでした。この山王鳥居は、日枝神社以外では、日吉大社でも見ることができると伺いました。
一番の驚きはこの日枝神社が小高い丘の上にあることから外堀通りから社殿まで3基のエスカレーターが設置されていたこと。ビックリでした。
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日枝神社には、狛犬ではなく「猿」が置かれていました。 猿は、もともと神様と人間のあいだをとりもつ存在で、昔から敬われているのです。「魔が去る(まがさる)」などと考えられ、勝運の神や魔除けの神として置かれています。音読みの「えん」と本殿に向かって左がメスの神猿像。子猿を抱いていて、子宝や安産のご利益があるようです。 本殿向かって右がオスの神猿像で本来、猿は山の守り神で、木や生き物を生み出し育てたと伝えられていますのでそれにあやかり物事を生み出す、発展させる「商売繁盛」や「社運隆昌」にご利益があるとのことでした。

本日は時々強い雨降りの中どうにか16000歩のウォーキングを午後3時に溜池山王駅で終了。気温が16℃前後で変化なく汗はじっとり身体にまとわりついており帰宅後はすぐに入浴して温まりました。講師の藤原さん、TD西平さんには参加者11人を安全に誘導するのにかなりご苦労されたのではないかと思いました。参加者のひとりとして、ただただ感謝!!そして11月の第3回が晴天に恵まれますように!!
posted by yunofumi at 17:51| あちこちウォーク

2020年10月09日

2020.10.5 第1回 東京十社巡り

本日は東京十社のうち神田明神・根津神社・白山神社を中心のウォーキングツアー。
東京十社は、明治元年にあたる1868年に明治天皇が定めたもの。
江戸城の造成に風水が取り入れられていたことは有名な話ですが、明治になったばかりのあわただしいなかで東京十社を迅速に定めたのは、皇居と東京に暮らす人々を守る、新しい時代の新しい結界を作ることを重要視したためのようです。
東京十社とされたのは、根津神社、神田明神、亀戸天神社、白山神社、王子神社、芝大神宮、日枝神社、品川神社、富岡八幡宮、赤坂氷川神社。
このなかで神田明神は鬼門(東北)に、日枝神社は裏鬼門(西南)に位置しているとのことです。

JR御茶ノ水駅聖橋口⇒聖橋⇒湯島聖堂⇒神田明神⇒清水坂下信号⇒妻恋神社⇒湯島中坂上信号⇒鳥つね⇒湯島天満宮⇒舞鶴ぶどうぱんの店⇒東京メトロ湯島駅⇒天神下信号⇒ALFA CAFÉ(昼食)⇒根津教会⇒根津神社⇒漱石旧居跡⇒海蔵寺⇒大林寺⇒大圓寺⇒圓乗寺⇒白山神社⇒東京メトロ白山駅

AM10:00JR御茶ノ水駅聖橋口を出発。
本日の参加は女性ばかり11名。東京シティガイドの講師前川、加藤のお二人。TDは若い青木さん。私の1班の5人は加藤さんの案内で元気に出発。
聖橋は神田川の上の外堀通りにあり、JR御茶ノ水駅をまたいでいます。長さは79.3mで鉄筋コンクリートのアーチ橋。この橋は関東大震災後の震災復興橋梁の1つで、1927年(昭和2年)に完成。設計・デザインは山田守、成瀬勝武。2018年には土木学会選奨土木遺産に認定されたとのことでした。

湯島聖堂は江戸時代の1690年(元禄3年)に江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟で、後に幕府直轄の学問所だったとのこと。「日本の学校教育発祥の地」の掲示がありました。
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湯島聖堂の周りにある塀は練塀といって白漆喰が交互に積み上げられた土塀とのこと。江戸時代は火事が多かったからこの様な工夫がされたようです。
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孔子像は知っていましたが楷の木(かいのき)、白松(はくしょう)の説明をはじめて伺いました。
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楷の木は孔子の墓所に植えられている名木で枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源となったのは枝がカクカクしているからのようです。
白松は樹皮が薄く丸く剥げていく性質があるとのことです。


神田明神。
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正式名称は神田神社。 東京の中心の神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場などの108町会の総氏神様。
大黒様といわれる大己貴命(おおなむちのみこと)、えびす様といわれる少彦名命(すくなひこなのみこと)、除災厄除の神様といわれる平将門命(たいらのまさかどのみこと)が御祭神です。以前伺った時は工事中だった境内にEDDOCO神田明神文化交流館ができていました。
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妻恋神社(つまこいじんじゃ)の神紋は「檜扇に御の字」。江戸時代には関東総司稲荷神社とされ、「關東總司 妻戀神社」といわれたようです。また、日本七社(日本七稲荷)の一つでもあります。

湯島中坂上信号をすぎると「鳥つね」が見えました。こちらの親子丼が半熟の玉子で艶々していてとても美味しいとのことです。

湯島天満宮(湯島天神)は受験シーズンは合格祈願のために、参拝する受験生が訪れることで有名です。本日はリニューアルが境内で行われている様子で少し雑然としていました。
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境内には「撫で牛」が2体ありました。自分の体の悪いところを撫でると良くなると言われています。正式には「臥せ牛」というようで昔、道真公が亡くなるときに、「自分の遺骸を牛の背に乗せ、人に引かせず、その牛が立ち止まったところを墓所とするように」との遺言があり、牛を天神様の使いと考えたからのようです。
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奇縁氷人石は落し物や迷子の時、この石にお願いするとさがしているものが見つかるといわれた石。石柱の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」があり、落し物や迷子を探す人は「たつぬるかた」に、拾ったり見つけたりした人は「をしふるかた」に、お願いしたことや知らせたいことを紙に書いて貼っておくとよいということで江戸時代に人出が多かった場所に設置され、伝言板の役割を果たした石なのです。

文京区から台東区のこの辺りは谷中・根津・千駄木の総称が「谷根千」といわれているようで東京の中心部に位置しながらも下町情緒溢れるこのエリアということでお散歩コースとして人気だそうです。

舞鶴ぶどうぱんの店は湯島にある創業1980年(昭和55年)の喫茶店。看板商品はレーズン含有率92%の「ぶどうぱん」。天神下交差点から湯島方向へ約1〜2分、湯島駅3番出口から約1分。ショーウインドウには「ぶどうぱん」が色々並びお値段はそれなりの様子。一度は食べてみたいと思いました。
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ALFA CAFÉは東京メトロ根津駅すぐそばでした。
本日はお得なランチということで前菜・スープ・骨付きロースポーク・デザート・珈琲。ちょっぴり贅沢な食事でした。
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根津教会は日本基督教団の教会堂。1919年(大正8年)に「本郷福音教会」として建立。東京の空襲にも会わなかったそうです。木造平屋建て切妻造で、外壁は下見板張りで、切妻の妻面に窓を開けた尖頭アーチのデザイン。玄関部のトンガリ屋根を載せた角塔が地域のランドマークのようでした。 2001年(平成13年)には、門及び塀とともに国の登録有形文化財に登録されたとのこと。
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根津神社は日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝わる古社。
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現在の社殿は1706年(宝永3年)、甲府藩主徳川家宣(のち征夷大将軍)が献納した屋敷地に造営されたもの。権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされているようです。社殿7棟が国の重要文化財とのこと。境内の徳川家宣胞衣塚と乙女稲荷も見ました。
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漱石旧居跡。
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日本医科大学同窓会館のそばに文豪夏目漱石(1867〜1916)の旧居跡がありました。 ここには、イギリスから帰国後の明治36年から3年間住んだようです。この間、東京大学英文科・第一高等学校の講師として活躍する一方、処女作『我輩は猫である』を執筆し、この旧居は作品の舞台となったのです。塀の上には猫が鎮座しここは「猫の家」跡ということです。ここではまた『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』等も発表したようです。また家屋そのものは愛知県犬山市の「明治村」に移築され公開されており、私は以前、明治村を見学したことがあります。 

曹洞宗 大智山 海蔵寺は天文年間(1532‐1554) 勝庵宗最禅師を開山とし、現在の和田蔵門内に創建され、その後明暦年間(1655‐1657)に現在地に移転してきたとのこと。
著名な墓碑では、江戸庶民に富士信仰を広めた富士行者身禄の墓、江戸後期の儒学者立原翠軒夫婦の墓があると示されていました。
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大林寺(だいりんじ)は、東京都文京区にある曹洞宗の寺院。元和年間(1615年 - 1624年)、元秀和尚の開基。元秀和尚は臨済宗の僧だったが、隠居するにあたり駒込高林寺の喜山春悦和尚を第2代住職に迎えた。その際に当寺は曹洞宗に転宗したようです。よって喜山春悦和尚を勧請開山としていることになります。 元々は下谷にありましたが、その後、現在の文京区内を転々とし、1712年(正徳2年)に現在地に移転したようです。

大圓寺ではほうろく地蔵を見ました。
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圓乗寺では八百屋お七の物語と共にお墓を見ました。
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白山神社。
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菊理姫命(くくりひめのみこと)伊弉諾命(いざなぎのみこと)伊弉冊命(いざなみのみこと)が御祭神。
天暦2年加賀一宮白山神社を現本郷元町に奉勧請したとのこと。建武4年足利尊氏公により国家平安御祈願所に命ぜられ、元和2年には徳川秀忠公の命に依り巣鴨原へ遷座、慶安4年には徳川家綱公の用地と成り、明暦元年現社地に移奉したようです。その後、五代将軍綱吉公と生母桂昌院の信仰を受け、小石川の鎮守となったのです。ここは紫陽花と白旗幡桜が有名のようです。

本日自宅出発時は16℃、日中は24℃。ウォーキング中は曇りだったので絶好の日和。コロナ禍になってから初めてのウォーキングツアーでしたが16000歩を完歩できてほっとしました。加藤講師は初めて担当頂きましたがとてもお話が面白く、多岐にわたりかなり初めてのことも知ることができました。
本日の十社巡りは第1回ということで御朱印帳もいただき今後が楽しみです。また頑張ります。
posted by yunofumi at 16:06| あちこちウォーク