2019年11月21日

2019.11.17 さいたま彩発見ぶらり街あるき 第6回見沼区

本日の見沼区は人口16万人、西方から見ると見沼代用水東縁、芝川、見沼代用水西縁、深作川、綾瀬川と川に挟まれた所のようです。

東武アーバンパークライン(旧東武野田線)七里駅⇒七里停車場跡⇒七里自然の森⇒大圓寺⇒めいらく工場⇒大川ホールデングス⇒七里商工会⇒七里駅入口信号⇒風渡野バス停⇒天神社⇒風渡野緑地公園⇒半縄橋⇒大宮東警察署⇒宮ヶ谷塔バス停⇒県営大宮東門前団地⇒氷川神社⇒小深作⇒春おか広場⇒はるおかいちご園⇒野第37号踏切⇒緑のヘルシーロード⇒見沼東縁代用水路⇒中島橋⇒キットチエント(昼食)⇒深作(東)信号⇒深作氷川神社・菅原神社⇒古沢農園直売所⇒コジマデンキ⇒観音寺下公園⇒タイヤ館⇒グリーンプラネット⇒武蔵野銀行⇒宝積寺⇒春野3号公園⇒深作遊水地・深作多目的遊水地⇒深作川⇒関前橋⇒井川歩道橋⇒春野図書館⇒セブンイレブン春野図書館前店⇒アーバンみらいバス停〜路線バス〜JR東大宮駅

東武アーバンパークライン(旧東武野田線)は大宮から船橋までの35駅、約63kmの路線。途中の大きな駅としては春日部があります。七里駅は大宮から4駅目。
七里駅は1929年に開業。さいたま市見沼区にあります。

さいたま市見沼区風渡野(ふっとの)にあった七里停車場道路元標です。現在の七里駅の傍です。
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町や村で建てられたものとは異なり、道標も兼ねているようです。昭和4年に開業した東武野田線七里駅の記念として昭和5年に建てられたらしいです。

七里自然の森は埼玉県さいたま市見沼区にあり、かなり広々した自然の森。風が心地よかったです。
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この場所で清浦 奎吾の紹介を伺いました。
清浦 奎吾(C浦 奎吾、きようら けいご、肥後(熊本県)出身。(1850年3月27日(嘉永3年2月14日)〜 1942年(昭和17年)11月5日)は、日本の官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。幼名は普寂(ふじゃく)。旧姓は大久保(おおくぼ)。彼は1872年(明治5年)に上京。以後埼玉県県令となり、そのころ埼玉県の教育に力を貸すよう求められ、埼玉県第21区小学第三校大教授申付(現・さいたま市立七里小学校)として出仕し、1873年(明治6年)には、埼玉県権少属、1874年(明治7年)には権中属、1876年(明治9年)には中属となっているとのことです。さらにその後1924年(大正13年)に第23代内閣総理大臣となっています。埼玉の有名人としては渋沢栄一しか知らなかったのでまったくはじめての説明でややびっくりでした。

大圓寺(風渡野村)は曹洞宗、大成村普門院末。鷲嶽山というようです。
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大圓寺は室町時代の創建で、その頃このあたりは岩付太田氏の領地に組み入れられていました。太田氏と大圓寺とのかかわりは深く、古天明霞釜は太田道灌が茶の湯に愛用していたと伝えられ、のちに大圓寺に寄贈されたもの。寄贈者は陽光院殿で、同寺に参詣する時は、この釜で茶をたて、道灌の位牌に供えたと言われています。天明は、現在の栃木県佐野市あたりの地名で、古天明は、室町時代後期までにつくられたものの総称とのことです。「西の芦谷東の天明」と言われ、茶の湯釜の双璧と称されました。

鞄結桙゚いらく大宮営業所。
スジャータでおなじみのめいらくが大圓寺そばの見沼区大字風渡野にありました。
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こちらは「スジャータ」をはじめ、ホイップやスープ、シルクアイス、コーヒーなど、様々な商品を作っているようです。

風渡野(ふっとの)とは台地に挟まれた地域をいうようです。 バス停で読み方がわかりました。土地の歴史としてのはじまりは幕府領、1633年(寛永10年)にその一部が旗本水野氏の知行となり、その残りは1661年(寛文元年)より旗本伏見氏の知行となって2氏による協力体制ではじまったようです。

中川天神社。
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御神祭は菅原道真。見沼区中川にあります。中川天神社の創建年代等は不詳で、江戸期には中川村小名天神に鎮座、村民持ちの社だったようです。明治40年中山神社に合祀されたとのことでした。
ご神木です。
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この場所の宮ヶ谷塔(みやがやとう)とは鎮守であった氷川神社(宮)と、谷戸があったことから「宮ヶ谷戸」と呼ばれ、その表記が変化したものとのことです。もともとは江戸期より存在した武蔵国足立郡南部領に属する宮ヶ谷塔村だったようです。『武蔵国田園簿』では宮ケ谷戸村とも伝わっているようですが、『元禄郷帳』では宮ヶ谷塔村とあるとのことです。地勢上綾瀬川に近く、水利には恵まれていた反面、大水の被害に度々見舞われていたという土地柄らしいです。
地名はバス停で確認できました。

この氷川神社は中氷川神社とも呼ばれています。別称として氷川神社(大宮区)・氷川女体神社(緑区)とともに一体の氷川神社を形成していたという説がある。
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ここは崇神天皇2年(紀元前95年)創建と伝えられ、氷川女体神社と同年代の創建となるとのことです。「中氷川」の由来は、氷川神社と氷川女体神社の中間に位置することから付けられたということでもあるようです。社伝では、鎮火祭(後述)の火により「中氷川」の氷が溶け、「中川」の地名になったとされているともいうことでした。1591年(天正19年)徳川家康から社領15石の朱印を受け、明治40年(1907年)周辺の神社を神社合祀し、鎮座地の中川の「中」と、江戸期の新田開発以来、氏子付き合いを深めてきた上山口新田の「山」を合わせて、中氷川神社から中山神社へ改称したとのことでした。
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参道に「小川とく」と書かれた石碑がありました。この方はこの神社傍で住んでいた方で久留米縞織の創始者。明治期の殖産家,染色家 久留米縞織で有名。もともとの出身は筑後国三瀦郡鳥飼村(福岡県)とのことです。

春おか広場では芝生広場、ソフトボール圓、お花畑、多目的広場と広々とした空間のほか、多目的ホール・会議室・和室・料理実習室があります。研修、会議、習い事等などに利用できるとのことです。桜やヒマワリの満開のころに来てみたいものです。
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「緑のヘルシーロード」及び「水と緑のふれあいロード」は、見沼代用水路やその支線用水路の改修により生み出された土地や管理道路を有効に利用して設置された、自転車・歩行者・農耕車の専用道路です。サイクリングやジョギングをしながら、水と緑に囲まれた田園空間を楽しめそうです。

見沼代用水(みぬまだいようすい)は、江戸時代の1728年(享保13年)に幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために、武蔵国に普請した灌漑農業用水のこと。名前の通り、灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路で流路は、現在の埼玉県行田市付近の利根川より取水され、東縁代用水路は東京都足立区、西縁代用水路は埼玉県さいたま市南区に至っているとのことです。
今日は見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)に沿ってウォーキングしました。
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レストラン「キットチエント」は、見沼区深作にある畑に囲まれた一軒家レストランでした。肉の挽き方にもこだわる洋食屋という感じ。地産地消の野菜などの材料にこだわったお料理を提供しているようです。
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メニューで確認するとお値段はリーズナブル。是非また来たいと思いました。

深作氷川神社は深作村の鎮守として創建され、『風土記稿』に「氷川社村の鎮守なり、覚蔵院の持、社辺に庵を作り、覚蔵院より僧をおひて(置いて)社を守らしむ」とあるとのことです。明治の初めに神仏分離が行われるまでは、地内にある覚蔵院という真言宗の寺院がこの神社を管理していたようです。
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この神社で300年以上続いている「深作ささら獅子舞」があるとのこと。実は境内には、氷川・諏訪・太神宮の三社が合祀されていて氷川様には神楽を、諏訪様には獅子舞を奉納する習わしとなっていたのですが神楽は長い間途絶え、神楽殿も数年前に焼失してしまったようです。 「ささら獅子舞」は、牝獅子、中獅子、牡獅子の3頭立てで、他に花笠を被るササラ2人、笛方2人、山神(天狗)1人の役があり、道行きでは総代を先頭に金棒曳き2人、神主、親方、ホラ貝等が加わるものです。毎年8月にお祭りがあるようです。

宝積寺(ほうしゃくじ)。
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曹洞宗寺院の宝積寺は、深作山延命院といいます。こちらは、密庵俊茂が開基、實州参和尚(寛永6年1629年寂)が開山したといわれており新秩父三十四ヶ所霊場29番でもあります。本堂には円空作役行者像(えんくうさくえんのぎょうじゃぞう)があり、わざわざご住職が見せてくださいました。
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板石塔婆は供養のため造立された卒塔婆の一種で天沼町の大日堂板石塔婆に次いで市内二番目の大きさ。石材は緑泥片岩で、塔身部上部に五点具足のアーンク(梵字の胎蔵界大日如来)を薬研彫りし、その下に造立趣旨が刻まれています。

深作多目的遊水地はさいたま市見沼区を流れる深作川の多目的遊水池でL字型に曲っているのが特徴とのこと。説明では 遊水池の南には「遊水池公園」と「アーバンみらい東大宮」という住宅地があるようです。ここは遊水池とその周囲が公園化されており広々した感じでした。 手前では木の柵で中には入れないようでした。
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さいたま市見沼区の北部の綾瀬川沿いに広がる低地に「アーバンみらい東大宮」があります。バス停から見ると自然の田舎の風景とビル群が同時に見られ不思議な街が出来上がっていました。この新興住宅地は 地区の東側から南側・西側を深作、北側を丸ヶ崎とが隣接し、 かつては深作沼等の広大な湿地帯であり沼を埋め立てて宅地を整備したとのことでした。一番近くには深作川が流れていました。

今朝10:00からアーバンみらいバス停1530までのウォーキングは約18000歩、歩程約9m。気温16℃、晴天でまあぁ、気持ちよかったことが一番の収穫。講師喜多見先生、TD小松さんとともに参加者26名のほとんどが満足した昼食にありつけたこともとても良い印象を残した一日でした。さいたまウォーキングはかなり新鮮で今後も楽しみです。
posted by yunofumi at 07:58| あちこちウォーク

2019年11月19日

2019.11.15 神田川船の旅

JR浅草橋駅⇒浅草橋三浦屋船着き場⇒左衛門橋⇒美倉橋⇒和泉橋⇒防災船着き場・柳森神社⇒万世橋⇒旧交通博物館⇒昌平橋⇒お茶の水橋⇒水道橋⇒後楽橋⇒三崎橋⇒新三崎橋⇒あいあい橋⇒新川橋⇒掘留橋⇒南堀留橋⇒俎橋(まないたばし)⇒宝田橋⇒雉子橋⇒一ツ橋⇒錦橋⇒神田橋⇒鎌倉橋⇒竜閑さくら橋⇒新常盤橋⇒常盤橋・常盤橋公園⇒一石橋⇒西河岸橋⇒日本橋⇒江戸橋⇒兜橋・兜神社⇒茅場橋⇒湊橋⇒豊海橋⇒永代橋⇒中央大橋⇒佃大橋⇒勝鬨橋⇒築地大橋〜これより東京湾〜浜離宮⇒晴海運河⇒相生橋⇒〜これより隅田川⇒永代橋⇒隅田川大橋⇒清州橋⇒新大橋⇒首都高速7号⇒両国橋⇒JR総武線⇒蔵前橋⇒厩橋(うまやはし)⇒駒形橋⇒吾妻橋⇒浅草寺二天門船着橋・言問橋⇒浅草・むぎとろ本店

本日は朝日旅行の神田川・日本橋川・東京湾・隅田川に架かる約60橋を眺めながらのクルージングに参加。

9:40JR浅草橋駅東口改札に参加者41名、講師2名、TD1名でスタート。
浅草橋駅より徒歩3分、神田川にかかる浅草橋と左衛門橋の間にある屋形船三浦屋の粋人丸に乗船。
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客席の一番前に着席できスタート後、すぐに左衛門橋をくぐって行きましたがどうやら橋の名前が書かれているのもあったりなかったり。これは注意してみていこうと意識しはじめてすぐ神田ふれあい橋に遭遇。橋の上を見るとJR山手線がちょうど走ってきました。
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これはちょっと面白い写真も撮れるかもと期待が高まりました。

左手に旧交通博物館、正面に昌平橋。赤レンガが歴史を感じさせます。
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お茶の水分水路入口。
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神田川の途中にあった地下トンネルへの入口が分水路の入口。分水路は地面の下に作られた人工の川で、川の本流のバイパスの役割があるらしいのです。大雨などの時には調整するようです。

防災船着場がこれより先にいくつも見えました。1993 年に発生した阪神大震災の際、大阪湾内で物資や帰宅難民の輸送に対して船舶が利用されたのです。このことから災害時において河川を利用した舟運が見直され、大都市圏では災害時に利用可能となる『防災船着場』が急遽建設されるようになったようです。和泉橋防災船着場は、千代田区が管理している船着場で、千代田区役所和泉出張所の裏に設置された船着場とのことで2005年にできたようです。

後楽橋を過ぎるともう日本橋川です。
俎橋(まないたばし)は靖国通りにある橋で東側は神田神保町三丁目、西側は九段北一丁目及び九段南一丁目を結んでいるとのことです。もともとの橋が2枚の俎(まないた)を渡したような板橋であったことでついた名前または、近くに存在した台所町との関連で名付けられたとするいわれがあるとのことです
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宝田橋あたりから石垣が目立ちました。これは昔の江戸城の石垣のままということです。島津藩の丸に十の彫り物などが見られました。
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一石橋をくぐった時、今日は見えませんでしたがこの界隈は江戸時代迷子が多く、迷子探しの告知石碑があります。一国橋は北側に金座支配・後藤正三郎、南に呉服商頭取後藤縫殿助の屋敷があり後藤(五斗)を二つ足して一石で橋の名前にしたとようです。
日本橋は初めてできたのは1603年(慶長8年)。当時は木造の太鼓橋。現在の石造二重アーチは1911年(明治44年)。

新しくできた豊洲市場。
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この反対側には東京オリンピック選手村。

兜橋あたりから広々。東京スカイツリーも見えました。
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隅田川に出て再び永代橋、中央大橋、佃大橋、勝鬨橋を過ぎると築地大橋がありいよいよ東京湾です。


相生橋
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これより再び隅田川に入り厩橋(うまやはし)、駒形橋、吾妻橋を経て浅草寺二天門船着橋に到着。
ついてみれば川べりから東京スカイツリーがきれい!!
10:00から正午過ぎまでのクルージングを終え、すぐそばの浅草・むぎとろ本店に直行。ミニ懐石むぎとろ膳をいただきました。最後のデザートはとろろ入り抹茶アイスクリームでお腹がいっぱいになりました。
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本日は晴天に恵まれ、気温約15℃。風もあまりなく暖かい日よりでしたが船はそれなりのスピードでした。前もって連絡をいただいていたのでダウンの上下を着こみ手袋をはめ、穏やかな気分で一日中過ごせました。またどの橋の上にも高速道路が縦横無尽に走っており、すごい時代だと思いました。今後は日本橋の上の道路が取り除かれると聞いていますのでせめてもと安堵しております。
posted by yunofumi at 07:48| ドタバタ日記