2019年06月20日

2019.6.15 横浜18区ウォーク第16回緑区

JR長津田駅⇒ほう不動産⇒御野立所⇒大石神社・長津田宿常夜燈二基⇒旧大山街道⇒長坂夜雨⇒横浜田園都市病院⇒旧大山街道⇒林地蔵⇒二十三谷戸⇒天王鴬林⇒福泉寺⇒王子神社⇒長津田幼稚園⇒Covoloba⇒大林寺⇒JR長津田駅
今日は朝から雨降りなので気合を入れてウォーキング開始です。

長津田駅は東急田園都市線とJR横浜線、こどもの国線がありました。
最近、上皇陛下のニュースでこどもの国のことが話題になっていたのを思い出しながら浅井先生の解説に耳を傾けました。そもそもは1959年(昭和34年)4月の現上皇陛下が皇太子だった時のご結婚のお祝い金をもとに1965年(昭和40年)5月5日のこどもの日に開園。この土地は旧日本陸軍田奈弾薬庫補給廠跡の国有地だったのが米軍から返還され、国費など多くの民間企業や団体・個人の協力で整備された施設でこどもの健全育成のための児童厚生施設だとのことでした。こどもの国線は2000年までは社会福祉法人こどもの国協会が運営していた路線ですが今は東急がそれを担っているようです。

長津田(ながつた)は「長い湿田」という意味だそうで一般的には遷流する岩川上流部の集落を総称していう地名だそうです。具体的には多摩丘陵東縁部、鶴見川水系恩田川中流域右岸に位置し、地形としては町域北側に恩田川段丘崖があり、武蔵野層・鶴川層・上倉田層などに分類される洪積台地と恩田川・岩川周辺の10数本の谷戸からなる沖積地で構成されるとのことです。江戸時代の頃から小田原〜江戸の往来が盛んになり裏街道として足柄〜厚木〜江戸への裏街道、旧大山道の宿場のひとつとして長津田宿ができたようです。
本日は旧大山街道に沿いながらあちらこちらを巡るウォーキングとなりました。
またはじめに講師から長津田には「長津田十景」というビューポイントがあると説明を
受けました。これも楽しみたいと思いました。

長津田駅前には「ほう不動産」がありその傍には広い駐車場がありました。この辺りには桑が多く栽培されていたようでこの場所には蚕の繭から絹糸を取り出す工場があったとのことです。昔、「養蚕(ようさん)」は日本の大切な一大産業でしたから。今はまったくその面影はありませんでした。

御野立落雁(おのたちらくがん)。
DSCN3390no2.JPG
ここは大正10年の陸軍大演習で冬至の皇太子(昭和天皇)が演習をご覧になった場所。崖になった縁まで行くと眼下に恩田川をはじめ周辺が一面見渡せました。落雁とは雁が空から舞い降りる様子。ここには約7mの「皇太子殿下御野立之跡」の石碑がありました。

大石神社は長津田宿の西方、旧大山道に面する小高い丘の上にあり、王子神社とともに長津田の鎮守。ご神体の大石は無銘の自然石が六歌仙のひとりの在原業平であるという伝説が残っているとのことです。
DSCN3394no2.JPG

大石神社の女坂参道脇に、1843年(天保14年)、秋葉講中によって建立された燈籠(上宿常夜燈)がありました。燈籠正面に秋葉山の文字を刻み、基礎部分、中台側面には彫刻が施され、火袋部分には天狗の羽扇の透かしが見えました。
DSCN3398no2.JPG

大石神社を出てからいよいよ旧大山街道にそってウォーキング。長津田小学校から森村学園脇の旧道は昔の街道の雰囲気がありました。この風光明媚な景色は長津田十景のひとつで長坂夜雨(ながさかやう)というとのことです。
DSCN3402no2.JPG

DSCN3409no2.JPG

旧大山街道を進むと長津田町4161付近の三叉路に「林地蔵」がありました。
辻の古木の根元にあり、念仏供養塔のようでした。説明板は読めませんでしたがお地蔵さんですから夭折(早世)した子供さんの供養と思いました。
DSCN3413no2.JPG
このあたりは谷戸(やと)と呼ばれ、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形で、その地形を利用した農業が古くから行われていたとのことです。今では土地の開発が進みこの辺りのような風景は少なくなっているようです。
DSCN3414no2.JPG

長津田町4155付近には二十三夜塔と辛うじて読める石塔がありました。道祖神でも双体僧形道祖神とのお話でした。
DSCN3415no2.JPG

小高い丘の上に天王社がありました。正式には牛頭天皇宮(ごずてんのうみや)といい、京都祇園社(八坂神社)が本社とのことですから格式は高いようです。ご祭神は須佐王の尊で疫病排除の神様とのことでした。
DSCN3417no2.JPG
この辺りは丘陵の尾根にあたり先は谷戸に通じており素晴らしく森閑とした緑の林で鴬が多いようで「天王鴬林(てんのうりんかん)」といわれており実際に鴬(ウグイス)の鳴き声も聞くことができました。

福泉寺(ふくせんじ)は高野山真言宗の寺院。詳名は薬王山医王院福泉寺。関東八十八箇所霊場の第65番霊場。
DSCN3419no2.JPG

王子神社(おうじじんじゃ)の南は国道246号に面しており長津田の鎮守とされており、王子権現や若一王子社とも呼ばれているとのことです。熊野信仰が盛んな頃、全国各地に若一王子神社が祀られこの神社もそのひとつとのこと。ちなみに若一王子神社とは熊野三山(本宮・新宮・那智)のうち新宮速玉大社に祀られている「熊野十二所権現」のひとつだそうです。このあたりは「王子秋月(おうじしゅうげつ)」として長津田十景なっていました。
DSCN3424no2.JPG

長津田幼稚園は陣屋跡で旗本岡野家の屋敷があったとのことでしたが全くその形跡はありませんでした。

土砂降りの中ようやく昼食場所「COVOLBA」に到着。
DSCN3426no2.JPG

DSCN3428no2.JPG
チキンソテーとグリル野菜ガーリックトマトソースをいただきやっと人心地がつきました。ところがこの後はさらに土砂降りでそれでもめげずにまずは大林寺へ。

大林寺(だいりんじ)は、曹洞宗の寺院で詳名は慈雲山大林寺。長津田一帯を治めていた江戸幕府の旗本岡野家の菩提寺で、1570年(元亀元年)初代岡野房恒の父板部岡江雪斎が開基とのこと。岡野氏は小田原北条氏の旧臣であり、1591年(天正19年)に旗本に取り立てられて長津田村に500石の知行を得たようです。
大林寺は大火に何度も会い現在の木造の本堂、山門、客殿、座禅もできる五百羅漢堂、庫裏は2008年(平成20年)に完成したもの。
DSCN3436no2.JPG
旗本岡野家歴代の墓所。
DSCN3440no2.JPG
奇術師、引田天功(初代)の墓。
DSCN3442no2.JPG

大林寺山門の手前の横に大きな板碑がありました。
DSCN3433.JPG
これは1901年(明治34年)に長津田村の龍昌寺から移されたもので阿弥陀如来を表す種字キリークが刻まれています。高さが185pあり横浜市の板碑として最大のもの。記年については1303年(嘉元元年)または1304年(嘉元2年)とのこと。

参考に長津田十景を書いておきます。@大林晩鐘(だいりんばんしょう)A御野立落雁(おのたちらくがん)B大石観桜(おおいしかんおう)C王子秋月(おうじしゅうげつ)D高尾暮雪(たかおぼせつ)E天王鶯林(てんのうおうりん)F下宿晴嵐(しもじゅくせいらん)G長坂夜雨(ながさかやう)H長月飛蛍(ちょうげつひけい)I住撰夕照(じゅうせんせきしょう)

本日のウォーキングは10:00から14:00までの参加で早々にひきあげました。なぜなら昼食後の強い雨降りの状況は半端ではなかったからです。長津田駅に戻った後、上着から靴下まで予備の衣類に着替え、一息ついてから帰路につきました。強い雨降りの中でのウォーキングは久しぶりで、翌日まで体の節々が痛かったのが印象に残りました。結局、「年」を実感したのです。とはいえ今後もめげずにウォーキングをまだしばらく続けたいと思っています。
posted by yunofumi at 23:09| あちこちウォーク