2019年05月19日

2019.5.14  2巡目第2回 東京の新発見旅「江戸川区」

都営新宿線篠崎駅⇒篠崎文化プラザ⇒篠原風鈴本舗⇒春江の森公園⇒春江中学校⇒春花園・BONSAI美術館⇒一之江名主屋敷⇒椿西通り⇒江戸川椿郵便局⇒瑞江葬儀所⇒大雲寺⇒瑞江第二中学校⇒瑞江駅⇒ベルクオーレ(昼食)⇒都営新宿線瑞江駅--一之江駅⇒長勝寺⇒国柱会⇒感応寺⇒水神宮⇒村井染工場⇒一之江親水公園・境川⇒タワーホール船堀⇒都営新宿線船堀駅

都営新宿線は新宿から本八幡まで31駅、片道40分の路線。私自身はめったに乗車はなく、まして篠崎は初めてかも、という感じ。今朝はこの駅に10:00集合、牧先生、久森TDの付き添いで出発。
篠崎駅西口から引き続きすぐに篠崎文化プラザ到着。ここは江戸川区を紹介する施設で展示室・図書館・伝統工芸などなど幅広い活動をしているようでした。
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私は珍しいサラダ小松菜と小松菜うどんを早々にゲット。
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そもそも江戸川区とは東京都内では東部の高齢者と子供の多い、すなわちしっかり家族世帯で住んでいる方々が多いようです。特産は江戸川区が発祥の地として知られる小松菜。現在の江戸川区小松川で、江戸幕府第8代将軍の徳川吉宗が鷹狩の際、名が無かった菜が入った味噌汁を食し、「小松菜」と命名したことに由来しているとのことでした。また朝顔の栽培が盛んで、毎年7月に台東区入谷で開催される朝顔市に出荷される朝顔の6割〜7割は江戸川区産だそうです。地形としては江戸川区の西部(荒川両岸地域)は海抜ゼロメートル地帯。最も低いところでは東京湾の満潮時の海面より2メートルほど低い場所もあるようです。区の東部(千葉県寄りの江戸川沿い)は比較的海抜が高く、新中川以東且つ京葉道路以北は海抜1.5m〜3mほどで、特に小岩地域は比較的古くからの陸地で、貝塚も見つかっているとのこと。区の南部は大半の地域を埋立地が占め、埋立地の南部には葛西臨海公園、葛西臨海水族園があり、南端で東京湾に面しているとのことでした。

篠原風鈴本舗。
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篠原風鈴本舗会長の篠原儀治(篠原風鈴二代目)さんが昭和40年にこのガラス風鈴を江戸風鈴と名付けたとのことです。このガラス風鈴は手作りで絵や文字は内側から手書きしているのです。今日も工場で職人さんの作業を見せていただきました。
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春花園・BONSAI美術館。
ここは盆栽師16年前小林國雄さんが作り上げた世界。
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800坪の敷地内には所狭しと約1000盆の盆栽が並び、中には1億円真柏(ヒノキ)も見られました。
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谷やん池の中には大きな鯉、周囲には盆栽がいくつもあり見ていて楽しい。
奥には立派な建物があり春の間・花の間をはじめ最後の屋久杉の間ではしばし見とれてしまいました。
現在はおとづれる外人さんも多く、お弟子さんは100人も巣立っているようです。

一之江名主屋敷は、江戸時代のはじめにこの地で新田を開いた田島家の屋敷。一之江新田の名主を代々つとめてきたのです。現在の主屋は安永年間(1772年から1780年)の再建で、屋敷林や堀をめぐらした屋敷構えは、創建当初のようすがわかります。
屋敷入口の長屋門。
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主屋(おもや)は懐かしい土間やいろり、竈など見られました。
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屋敷林や濠、屋敷神も現存し、敷地の端に展示棟がありました。
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瑞江葬儀所(みずえそうぎしょ)とは、江戸川区春江町にある東京都が運営している都区内では唯一の公営の火葬場。葬儀用の式場はなく、火葬設備のみで1938年2月に使用が開始された。別名「瑞江斎場」。1975年に新施設操業開始。新施設では火葬場の特徴であった煙突をなくし、設備の無公害化、燃料のガス化、控室を個室化、火葬受付件数の設定をしたとのことです。

大雲寺(だいうんじ)は、江戸川区瑞江にある浄土宗の寺院。山号は長行山。院号は専称院。本尊は阿弥陀如来。歌舞伎俳優の墓が多いことから「役者寺(やくしゃでら)」といわれています。
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この寺は、もともと1619年(元和5年)梵誉の開山により蔵前に創建された寺で、その後本所(現在の墨田区押上)に移され、1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受けたため、1931年(昭和5年)現在の場所へ移り再建されたのです。
歌舞伎役者としては)市村羽左衛門累代墓、坂東彦三郎累代墓、三代坂東彦三郎家墓、初代尾上菊五郎供養碑、寺嶋家門弟一同建立碑、寺嶋家門弟代々墓、瀬川累代墓、松本家墓、中村勘三郎累代墓、三代中村勘三郎墓などを伺いお詣りしました。

ベルクオーレ(昼食)
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こちらはイタリアンのお店。はじめにパンがドンと1テーブルに一籠来ました。その後スパゲッティが大皿でドーン。4人で結局完食しました。

昼食後全歩程調整のため瑞江駅〜一之江駅を都営新宿線で移動。街歩きではよくあることです。
一之江駅からの歩道の路面にシラサギ、マッチ箱電車、トロリーバス、花菖蒲などが描かれた陶板がはめ込まれており楽しくウォーキングしました。

国柱会(こくちゅうかい 國柱會)は、元日蓮宗僧侶・田中智学によって創設された法華宗系在家仏教団体。純正日蓮主義を奉じる右派として知られています。
こちらは帝網道場(国柱会本部)。
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宮澤賢治辞世碑がありました。
 「方十里 稗貫のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる 病(いたつき)のゆゑにもくちん いのちなり みのりの に棄てば うれしからまし」

感応寺(かんのうじ)。
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感應寺は1205年(元久2年)真言宗の僧・空念によって開かれた。しかし正応元年(1288年)各地を巡り日蓮の教えを説いていた僧侶、のちに日蓮宗総本山・身延山久遠寺3世となる日進が感應寺を訪れ、法論を決した末に改宗、日進が日蓮宗の感應寺として改めて開基したということで以来今日まで日蓮宗の寺院となっている。
1982年(昭和57年)「江戸川区指定有形文化財・工芸品」に指定された感應寺の梵鐘は[44]、元禄11年(1698年)のちに将軍家の御成先御用釜師を勤める鋳物師の名跡・太田近江大掾藤原正次(通称「釜屋六右衛門」「釜六」)により鋳造された[18]。同梵鐘は太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に江戸川区内で唯一戦時供出を免れ、区内に残っている梵鐘の中で最も古いとされる[3]。同梵鐘の高さは152cm、口径は77cm[44]。鐘を突く橦木には古来より最適とされる棕櫚の木を使用しているとのことです。建材に欅と吉野の桧を使用した鐘楼堂は中世の折衷様式を用いて2008年(平成20年)に建立。特に屋根は大工職人の技の粋を集め、振隅、切裏甲、垂木は居定付きとし、精巧で優美なものに仕上ったのです。ということで屋根を支えている柱はそれぞれ3本見えました。

水神宮。
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江戸川区は大きな神社の境内社も含め、水神社(水神宮)が大変多いのが特徴とのことです。かつては田畑が多く、水路に恵まれていた一方で、水害も多かったものと推察され、水害を治めるために祀られたようです。

村井染工場。
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この会社は1936年(昭和11年)に東小松川で創業され、1939年(昭和14年)現在地に移転。目の前の一之江境川で洗いを行っていたのが、一之江境川が親水公園となってからは、井戸水を引いて工場内での作業となっているようです。今は浴衣から手拭いを多く作っているようでした。注文は主に日本橋界隈の問屋さんから、また芸能人や近隣の祭事用などの注文もあるようです。伝統的な手法を用いる手拭いは本来の使い道のほか、インテリアや小物として使われているとのことでした。

一之江境川親水公園(いちのえさかいがわしんすいこうえん)は江戸川区一之江1丁目、5丁目、6丁目、一之江町、二之江町、船堀7丁目付近を流れる一之江境川を利用した親水公園。
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野川の再生」をテーマとした公園で全長は3.2kmに及び、1995年(平成7年)より順次開園した。魚や昆虫、水生植物が生息できるように新中川の自然水を流している。ハゼ、スズキ、テナガエビなども見られ、冬から春にはカモが飛来、豊かな自然とふれあえる親水公園である。また約2800本の樹木が植えられソメイヨシノ、クスノキ、サツキ、アジサイなどが見られるのです。今日は生まれたばかりのカモの親子も見えました。
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タワーホール船堀は、水辺都市・江戸川区にちなんで「区民の乗合船」をコンセプトに造られ、平成11年3月のオープン以来、江戸川区のシンボルです。10階部分に展望台の船堀タワーがあり、360度の視界を楽しめました。
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本日は時々小雨でしたがまずまず無事にウォーキング終了です。
歩程約17000歩、約11km、参加者一同が無事に完歩できたことが一番良かったです。終了後、東海道53次などでご一緒だった顔なじみが5名もそろっていたので非常に懐かしくお茶をしてから解散しました。また次回もぜひお会いしたいものです。
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posted by yunofumi at 18:20| あちこちウォーク