2019年05月18日

2019.5.12さいたま彩発見ぶらり街あるき

第1回浦和区

JR浦和駅⇒西口⇒東口⇒岸町3丁目⇒浦和第一女子高校⇒調神社⇒高砂小学校⇒伊勢丹⇒うなぎ彦星⇒門前通り⇒玉蔵院⇒中央公園⇒浦和一女発祥の地⇒埼玉会館⇒埼玉県庁⇒さいたま市役所⇒浦和区役所⇒浦中発祥碑⇒常盤公園⇒浦和宿二・七市跡⇒市場通り⇒仲町公園・浦和本陣跡⇒浦和宿碑⇒浦和ロイヤルパインズホテル⇒酒井甚四郎商店(奈良漬)⇒須原屋⇒JR浦和駅

浦和は馴染みのある街ですが折角なので埼玉全部をめぐるシリーズということを耳にしたので第1回から参加しました。
浦和には浦和がつく駅が8つあります。@浦和駅A東浦和駅B西浦和駅C南浦和駅D北浦和駅E中浦和駅F武蔵浦和駅G浦和美園駅。これを歌い上げたのが山本リンダの「ねらいうち」の替え歌だそうです。今日の講師の喜多見先生はのっけから面白い紹介をされる方で1日楽しめそうな予感がしました。
浦和といえば浦和レッズの本拠地なので西口にはこのようにオブジェがありました。
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浦和駅は明治16年誕生ですが西口と東口がつながったのは2014年。平屋ばかりだった東口は今では商業施設のパルコやバスターミナルができて大いに賑わっています。
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岸町3丁目を過ぎると浦和第一女子高校です。明治33年設立。相変わらずの名門でスーパーサイエンスハイスクール指定校とのことです。
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そういえば埼玉は古くからの名門は今でも男女別学。ここは「いちじょ」とよばれています。卒業生には石井桃子、古谷範子、東海林のり子、青木裕子、北川玲子など多くの有名人がズラリ。
校地南側にはオーストラリア原産フトモモ科の暖地性植物のユーカリ樹があると紹介されました。本日は校地内に入れないのでよく見えませんでした。高さ13m、幹まわり0.98m、根まわり1.36m。大正8年に、昭和天皇成年式を記念して全県下に配布されたものの一つで、現存しているのはこれ1本のみになってしまっているとのことです。この周辺が、暖地系植物の北限として、学術的にも貴重な存在なのです。花は早春に咲き、葉を乾燥してユーカリ油の原料とする地域もあるようです。また、世界三大名木の一つとも言われています。

調神社(つきじんじゃ、つきのみやさま)。
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鳥居は2本の石柱があるのみ。これは調神社の七不思議の1つ。理由は伊勢神宮に奉納する貢物を運び出すのに邪魔になるからと上に渡す柱がないのです。

その他の不思議は、境内に松の木が無い、御手洗池に住む片目の魚、祭神の使い姫は兎、日蓮上人駒つなぎのケヤキがある、蠅がいない、蚊がいないこと。
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本殿.
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月と同じ読み、と云うことで月待信仰と結びつき、月神の使いである兎が守り神です。狛兎はもちろん、手水や社殿、御朱印帳まで兎だらけ!兎好きの間では兎スポットとしても有名だとか。
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引退した狛兎.
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高砂小学校は浦和最古の小学校で明治4年浦和郷学校として開校。明治5年には浦和小学校となった後、昭和22年に現在の高砂小学校となっています。
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表門のあたりは風格があり周囲を見ても何処かの御屋敷かと思いました。

伊勢丹とコルソという大きな商業施設の端に「ときわだんご」があります。明治8年開店のお店で美味しいので時々立ち寄っています。
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伊勢丹の前には浦和うなこちゃんも元気に愛嬌を振りまいています。
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埼玉県さいたま市浦和区のマスコットキャラクターでやなせたかしさんの作。さいたま観光大使です。

うらわ桜草通りを入った路地に「うなぎ彦星」がありました。やや小さいお店でしたがなかなか美味しい鰻重でした。
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浦和駅傍の旧中山道から玉蔵院への通り約60mを門前通りといいます。
玉蔵院は1780年真言宗の弘法大師が開山。正面にこんもり見えるのが枝垂れ桜で有名です。
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すぐ隣に地蔵堂があります。

浦和中央公園はもともと玉蔵院の敷地だったようです。昔は調神社の外には大きな公園がなく、健康増進や休憩スポット、非常時の避難場所として開設したとのことです。現在は常盤公園や別所沼公園が整備されています。

浦和一女発祥の地碑。
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浦和一女は、1900年(明治33年)に、その頃の埼玉県立浦和図書館があった浦和区高砂3丁目に「埼玉県高等女学校」として設立。その後、10年後の明治43年に今朝見た現在の浦和区岸町に移転しています。この場所(現在は取り壊して更地)の跡地に一女発祥の地の記念碑が建っていました。

埼玉会館は1926年(大正15年)に昭和天皇の「御成婚記念埼玉會館」として誕生。もともと1923年(大正12年)より計画されたのがその年の関東大震災で建設が延期されたのを渋沢栄一さんの尽力で急ピッチで出来上がったとのことです。設計は岡田信一郎で当時としては珍しいドイツパイロット歌劇場の様式だったとのことです。大ホールは1500人収容です。その後、1966年(昭和41年)に建て替えられ、現在に至り「埼玉会館」となったのです。当初から見ると約90年。「大正、昭和、平成」3つの時代を通し、常に文化の中核を担う拠点会館とし歴史を刻んでいるのです。
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埼玉県庁は当初、埼玉郡岩槻町(現在のさいたま市岩槻区)に置かれる予定だったのが、県庁としての業務を行える建築物がなかったため、北足立郡浦和宿の旧浦和県庁舎が使われたことがはじまり。1871年(明治4年)11月14日埼玉県が発足(埼玉郡・足立郡・葛飾郡)。翌月、旧浦和県庁舎に埼玉県庁を置いたのです。
1992年(平成4年)11月14日 - 埼玉県の愛称として「彩の国」が採用となっています。
現在の県庁の第一庁舎は1955年にできた建物のようです。道理で本当に古いのです。
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写真真ん中の埼玉県庁のプレートにあるのが「県章」。埼玉県名の由来である「幸魂(さきみたま)」の「魂」は、「玉」の意味でもあり、まが玉は、埼玉県にゆかりの深いものとなっているため「まが玉」を円形に配置したデザインで、「太陽」「発展」「情熱」「力強さ」を表しているとのことでした。 県旗は県章を白地に赤く染め抜いたもので、昭和39年に制定したことも伺いました。
彩の国さいたまの「彩」は、いろどりや美しさを表す言葉で、四季折々の色彩豊かな自然に恵まれ、産業、文化、学術などさまざまな分野で発展する多彩な国を表しているのです
なんとこれは全国から寄せられた21,275点の中から県の愛称として決まったということでした。また埼玉県の花は桜草で浦和市田島ヶ原の自生地は、今も昔ながらの面影を残しており、国の特別天然記念物に指定されているのです。

さいたま市は埼玉県の南東部にあり、県庁所在地。 2001年5月浦和市と大宮市と与野市が合併して発足。 2003年4月全国で 13番目の政令指定都市へ移行したので西区、北区、大宮区、見沼区、中央区、桜区、浦和区、南区、緑区の9区が誕生、市役所は浦和区にあるのです。 2005年岩槻市を編入して岩槻区が誕生し合計10区となったのです。従来の業務核都市としての位置づけと相まって首都圏の一翼を担い,工業団地,商業施設,住宅の進出が著しいのです。文化・スポーツ施設,公園・緑地も整備され,彩の国さいたま芸術劇場,埼玉スタジアム 2002などは市外、県外から集客を見込んで作られたようです。荒川河川敷に国の特別天然記念物である田島ヶ原サクラソウ自生地、与野には国の天然記念物の大カヤがあります。国指定史跡として見沼通船堀もあります。市域南東部は安行武南県立自然公園です。鉄道は JR東北新幹線、上越新幹線、東北本線、宇都宮線、高崎線、川越線、埼京線、武蔵野線、京浜東北線、東武鉄道野田線、埼玉高速鉄道、埼玉新都市交通線が、そして道路は東北自動車道、国道 16号線、17号線、122号線、463号線が通り、首都圏と東北地方、上信越を結ぶ交通の要衝でもるのです。人口 は約126万人と膨らむ一方のようです。
ということで今回のこのウォーキングツアーではまずさいたま市の10区完歩を目指すのです。

浦和区。
江戸時代に中山道は江戸と京都を結ぶ重要な道路として整備されていました。浦和は日本橋から三番目の宿駅で、本陣や問屋があり、宿場町として繁栄したのです。1871年(明治4年)に埼玉県が出来、宿場町として栄えていた浦和宿は、県庁所在地となり、また明治22年に浦和町となり、行政・教育・文化の上でも県中心地となったのです。1923年(大正12年)の関東大震災では、地震の災害が少なかったこと、首都圏から20kmの至便性などから、住宅地としての評価が高まり、多くの文化人が移り住み、特に「鎌倉文士と浦和画家」といわれ、多くの芸術家が活躍したのです。2001年(平成13年)にさいたま市が誕生し、2003年(平成15年)さいたま市が政令指定都市へ移行し、浦和区ができたのです。

埼玉サッカー発祥の地碑.
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埼玉は静岡、広島と並びサッカーの御三家と言われ、その歴史は古く、今から約100年前の明治41年に、埼玉師範学校(現在の埼玉大学教育学部)教諭の細木志朗氏が蹴球部をつくったことにより始められ、埼玉師範から多くの指導者が県内の学校に教師として赴任したことにより普及・発展を遂げたのです。 現在のさいたま市役所は、その埼玉師範跡地に建っており、正に埼玉のサッカー発祥の地なのです。このため埼玉サッカーの歴史と伝統を末永く後世に伝えるため、埼玉師範が全国大会で初優勝を果たしてから60周年目の平成9年に当時、浦和市役所だったこの地に記念碑ができたのです。

浦中発祥碑。
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さいたま市役所の西 100m。合同庁舎の東隣りに“埼玉県知事公館の前に 2人の学生服を着た生徒と「ここに浦中ありき」という文字を刻んだ石碑です。 ここは 県立浦和高校の前身 (旧制)浦和中学校が開校した場所なのです。浦和高校の現在の校舎はこれより北に約1.5kmの北浦和駅そばの浦和区領家5丁目にあります。

常盤公園は、浦和区常盤の浦和警察署の東方面にある公園。園内には、子供用の遊具や砂場、トイレなどもあり、都会の中の憩いの場という感じ。
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園内にはもともと浦和地方裁判所があったので入口には名残の赤レンガ堀や、市指定の天然記念物となっているキャラの木があります。
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童話碑もありました。
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浦和宿二・七市跡。
中山道に面した慈恵稲荷神社の社頭に「市神様」と「市場定杭」が建てられています。ここは、浦和宿で市(いち)が開催された場所。浦和の市は、毎月2と7の日に開かれており、月6回行われていたようです。始まりはどうやら戦国時代に発達した六斎市の形態を受け継いでいるとも伺いました。市神と定杭を残す市場跡は貴重らしいです。
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さらに数分歩くと常盤公園へ行く道があり、入口に野菜を売る「農婦の像」と市場通り説明碑がありました。
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仲町公園・浦和本陣跡。
旧中山道沿いの仲町交差点そばの路地を入るとすぐ仲町公園です。中には説明板がありました。江戸時代、日本橋から数えて3番目の宿場として栄えた所で、本陣や脇本陣、旅籠、高札場、問屋場などがあったようです。また説明板隣には、明治天皇行幸の際に行在所になったことも記念した碑が建っています。
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浦和宿碑が浦和ロイヤルパインズホテルそばの旧中山道にありました。
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浦和の奈良漬といえば酒井甚四郎商店の浦和漬。こちらは明治初年創業。
須原屋は明治9年、旧中山道沿いの現在地で創業した書店。此処に来るとあらゆる分野のものがあります。
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今日は21℃、晴、微風の中、気持ちよいウォーキングができました。参加者18名、講師喜多見先生、TD伊藤さん。スタート10:00〜14:30でまずはこの第1回「さいたま彩発見ぶらり街あるき」は無理のない日程で終了しました。自分の活動量計では16000歩、約8kmでした。今後はまずさいたま市浦和区の後9区、その後埼玉県内の市をくまなくウォーキング予定、全部で40回となるとのことです。埼玉県は全国でも一番「市」が多いそうですから先が長いですがボチボチ参加しようと思っています。何しろ埼玉県民となって40年以上ですが県内をよく知らないので良い機会だと考えたのです。ではまた皆さま、次回も楽しみましょう。
posted by yunofumi at 09:08| あちこちウォーク