2019年05月06日

2019.5.4 国分寺駅周辺ウォーク

天気予報で日中は晴天と聞き、以前から見たいと思っていた殿ヶ谷戸庭園を中心にお出かけしました。

JR国分寺駅南口⇒殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)⇒野川不動橋⇒石橋供養塔⇒緑橋⇒お鷹の道⇒史跡の駅おたかカフェ⇒旧本多家住宅長屋門・おたかの道湧水園⇒こくべジ⇒武蔵国分寺跡史料館・武蔵国分寺跡⇒国分寺⇒万葉植物園⇒国分寺楼門⇒国分寺仁王門⇒国分寺薬師堂⇒七重塔跡⇒JR国分寺駅

JR国分寺駅構内に国分寺市観光案内所がありましたのでパンフレットをいただきつつ観光のヒントをいただきました。そして駅からすぐの殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)に立ち寄りました。GW中とはいえ、ほどほどの込み具合、おまけに入場料は無料でした。
殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)は1913年(大正2年)から1915年(大正4年)にかけて、江口定条の別荘として庭師・仙石の手で作庭。1929年(昭和4年)に三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備したとのことです。昭和40年代に再開発計画が持ち上がったが、保存を求める住民運動をきっかけとして1974年(昭和49年)東京都が買収、公園として整備の後に1979年(昭和54年)から有料庭園として公開されているとのことでした。
旧本館は展示室。殿ヶ谷戸庭園に関する様々な資料を展示・公開している建物なのですが、昭和9年に建築されたこの建物こそが、そもそも岩崎家の別邸として使用されていたものなのでした。
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白い煙突の下は室内に暖炉がありました。
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紅葉亭(こうようてい)は数寄屋造り風の茶室で今でも茶会などに利用されているようです。
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紅葉亭はちょうど崖の上にあり次郎弁天池をはじめ庭園を眺めるにはとても良い位置にありました。
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次郎池傍には湧水の源がありました。
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次郎池に沿って散策すると孟宗竹が連なっている竹の小径に出ました。筍が沢山顔を出しており成長した竹は身についていた皮を衣を脱ぎ捨てる如くに落としている様を初めて見ました。
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藤・山百合、カタクリなど様々な花を季節ごとに見られるようでした。
特にカタクリは花が終わり種子をとるために袋をかぶせてあり、珍しかったです。
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野川不動橋の傍に石橋供養塔がありました。
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石橋供養塔は、天保三年(1831)に造立されたとのこと。前にある不動橋は以前は石橋だったようです。石橋供養塔は、常に人に踏まれている石橋を供養する意味と、石橋を渡って村内に疫病や災厄が入り込むのを防ぐ意味を持っているとのことでした。庚申塔は、延享二年(1745)二月十八日の記年銘があり、造立者として国分寺村講中と11人の個人名が刻まれていること、不動明王碑には 「不動明王」と刻まれているとのことでこの石にちなみ現在の橋の名を不動橋としたようです。

お鷹の道。
野川は国分寺市に湧き出て、世田谷区で多摩川に注いでいる川です。江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていたのにちなんで、崖線下の湧水が集まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけているのです。現在約350mが遊歩道として整備 されています。四季折々の散策路として人気があり沿道には「カラー」の花が多くみられました。
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史跡の駅おたカフェは、国分寺市が特定非営利活動法人めぐるまち国分寺に委託て 資料館・庭園のチケット販売、史跡地域の総合案内等を行う施設。休憩や懇談の場として、また、史跡地域の魅力を発信する場になっています。ここでは、NPO地域交流センターが指定する 全国まちの駅、地域住民や来訪者が求める地域情報を提供する機能を備え、人と人の出会いと 交流を促進する空間施設としての認証を得ているようです。
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おたかの道湧水園はお鷹の道の北側にあります。園内北側は国分寺崖線にかかり、崖線一帯には湧水源など良好で豊かな自然環境が残されています。ちょっと遠めですがこの奥の穴ぐらから湧水がでています。
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おたかの道湧水園入口には国分寺市内でも貴重な、本多家の歴史的建造物の長屋門(江戸時代後期)と倉(明治時代)が残っていました。
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長屋門を入るとすぐ武蔵国分寺七重塔推定復元模型がありました。
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武蔵国分寺跡史料館はおたかの道湧水園内にあり、国分寺村名主だった本多家の屋敷跡です。中には史跡武蔵国分寺跡を見る・学ぶ・訪ねるをコンセプトにした資料が展示されていました。
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こくべジとは長い年月をかけ土とともに育ってきた国分寺の地場野菜のこと。きっかけは江戸時代の新田開発があった300年間大事に育てられてきた野菜を使ったプロジェクト。うどん屋さんで国分寺野菜7種の天ぷら冷やしうどんをいただきました。野菜は長芋・人参・うど・蕗・カブ・新茶葉・玉ねぎでどれも新鮮でとっても美味しかったです。

奈良時代の中頃、聖武天皇は仏の力で国を安定させるために、諸国に国分寺の建立を命じたとのことです。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺、西に尼寺が計画的に配置されました。武蔵国分寺跡は、全国の国分寺跡と比べても規模が大きいとのことです。
金堂跡、講堂間の通路など土台部分などがわかるようになっていました。
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現在の国分寺。
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「国分寺 万葉植物園」は、昭和25年から38年にかけて、以前の国分寺住職だった星野亮勝氏が、日本に現存する最古の和歌集である「万葉集」に詠まれている植物を収集、当時の日本文化や風習を後世に伝える事を目的で国分寺の境内に造園されたとのことです。すべての万葉植物を独力で採集し、丹精して育て、植物ごとに例歌、詠み人が記された札が建てられていました。8,019uの園内には万葉関連の植物が約160種、その他に各植物約700種が植えられておりました。
入口傍のジャケツイバラ(マメ科)が咲き誇っていました。
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国分寺楼門は門国分寺境内にあり、前沢村(現東久留米市内)の米津寺(米津出羽守田盛によって菩提寺として創建された寺)の楼門を明治28年に移築したものとのことです。
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国分寺仁王門は国分寺境内にあり、宝暦年間(1751年〜1764年)に建てられた八脚門とのことです。
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使用している木材の一部は建武2年(1335)に新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられ、「新編武蔵風土記稿」にもその説が紹介されているようです。またもとは萱葺の屋根で、現在は瓦葺の入母屋造。門の左右には、作者不明で享保3年(1718年)に作られた阿(向かって右・口を開けている)吽(向かって左・口を閉じている)の仁王像がみえました。

国分寺薬師堂は医王山縁起によると、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたということです。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものとのことでした。
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建物は単層寄棟造で、昔は萱葺屋根だったのを昭和60年に銅板葺の屋根にしたようです。正面厨子内には 国指定重要文化財の『木造薬師如来坐像』が安置されているとのことでしたが暗くて中の様子はよく見えませんでした。

長屋門傍で見た七重塔の実際の跡地が金堂や講堂跡から東へ約200mのところにありました。
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本日は殿ヶ谷戸庭園の見物と思っていましたがパンフレットから旧国分寺や現在の国分寺も見られそうということで歩き回りました。AM10:00すぎから正味3時間、晴天のさわやかな陽射しの中、24℃、微風はウォーキング日和でした。またGW中でのんびり17000歩のウォーキングを楽しく過ごしました。花々は色々咲いておりその都度楽しみましたがお鷹の道のカラーとジャケツイバラがとても印象的でした。またこの辺りは国分寺崖線を辿るウォーキングも可能かもしれないと感じました。またしらべて挑戦したいと思います。
posted by yunofumi at 20:30| あちこちウォーク