2019年04月29日

2019.4.21 MBTノルディックウォーキングin 代々木公園

寒さ厳しい冬からもめげずにここの所、月2回、ほぼ第1、第3日曜日に代々木公園でトレーニングしております。
内容はまずはノルディックウォーキングを40分ほど、その後ベルトを使った筋肉トレーニングです。
まずはぼちぼちのトレーニングながら仲間が久しぶりに顔を合わせ、ワイワイガヤガヤ、楽しみながらのトレーニングは得難い機会なのです。
集合と同時にまずは体を伸ばしてウ−ンと準備運動。
3no2.jpg

ウォーキング途中で全員集合の記念撮影!
4no2.jpg

そして懲りずにベルトを使って筋肉トレーニング!キツ--イ!!
2no2.jpg
このような調子ですから終了後は明治神宮の杜のカフェで一休み。
いつも1時間半ほど話に花が咲きます。
地区に今日は旧浦和店のメンバーと現自由が丘店のメンバーが揃い、賑やかさはハンパじゃなかった。
ということでストレス発散の半日なのです。
皆さま、またお会いしましょう。
posted by yunofumi at 21:17| ドタバタ日記

2019年04月28日

2019.4.20 2巡目第1回 東京の新発見旅「杉並区」

JR荻窪駅東改札⇒仲通り商店街⇒クロダ薬局⇒杉並区薬剤師会⇒長屋門⇒西郊旅館⇒東京子ども図書館石井桃子記念かつら文庫⇒大田黒公園⇒荻外荘・荻外荘公園⇒角川庭園・幻戯山房・杉並詩歌館⇒CHALEUREUX OGIKUBO⇒共立女子学園研修センター⇒都立杉並高校⇒成宗五色弁財天⇒成宗須賀神社⇒天王橋⇒相生橋⇒杉二小前広場⇒尾崎橋⇒成宗白山神社⇒和田堀公園⇒大宮児童公園⇒高千穂大学⇒鶏の焼肉珠杏(昼食)⇒大宮八幡宮・若宮八幡神社・大宮稲荷神社⇒大宮八幡神社参道⇒馬塔観音⇒杉並区郷土博物館⇒源義家公鞍掛けの松⇒大圓寺⇒京王井の頭線永福町駅

4月13日に完歩した東京23区めぐりですが再度、参加して2巡目に挑むことにしました。理由は各区が広くまだ一部しか見ていないと思っているからです。多分同じ場所も伺うでしょうが年月が経ちまた違うことを感じ取れるかもしれないからです。
ということで本日は2巡目の第1回なのです。

10:00 JR荻窪駅東改札集合。参加者22名。案内人は信野先生、TDは伊谷さん。空は晴れ上がり昼頃には微風ながら19℃と絶好のコンディションの中のウォーキングでした。

長屋門は宮前5丁目、井口桂策家の表門で、昭和49年に杉並区へ寄贈されたようです。建築年代は江戸時代の文化・文政年間(1804〜1829)頃。中央を通路、右手は土間の納屋、左手の板床の蔵屋には年貢米を収納したようです。長屋門は格式や権威を示す象徴的な建物で、大宮前新田を開発し、代々、名主を務めた井口家の格式は高かったようです。
DSCN5517no2.JPG

西郊旅館(西郊ロッヂング、せいこうロッヂング)。
1938年(昭和13年)建築の洋風建築。、2001年(平成13年)の改修後は賃貸住宅となっているとのことです。また、西郊ロッヂングは当初は本館のみ、後に新館が増築された。現在では新館のみが西郊ロッヂングと呼ばれ、本館は「西郊」という旅館として営業している。
DSCN5528no2.JPG

東京子ども図書館石井桃子記念かつら文庫。
かつら文庫は、地域の子どもたちが、くつろいで自由に本が読めるようにと願い、作家、翻訳家、編集者として活躍さした故石井桃子さん(1907〜2008)により1958年に開館。その後改修工事を行い、2014年4月より、おとなも利用いただける施設となったのです。石井桃子さんの書斎のほか、故渡辺茂男さんの蔵書を見られる公開書庫、エドワード・アーディゾーニ資料を収めた展示室、全国の子どもの読書推進グループの活動を紹介する「マップのへや」があります。
DSCN5534no2.JPG

大田黒公園は大田黒元雄さんの屋敷跡です。ご本人が亡くなられた後、一部を区立公園に整備して昭和56年開園とのこと。檜の門は総檜、切妻づくりで、屋根は棧瓦ぶき。左右に築地塀のあるどっしりした構えでした。
DSCN5536no2.JPG
門を入ると白い御影石を敷いた園路がまっすぐにのびており、長さは70m。左右には樹齢100年を経た大イチョウの並木でした。
DSCN5538no2.JPG
園内には東屋・池・茶室や記念館がありゆっくり桜やつつじを楽しみました。
DSCN5542no2.JPG

荻外荘(てきがいそう)・荻外荘公園。
荻外荘は、内閣総理大臣を3度務めた政治家・近衞文麿(このえふみまろ)が、昭和12年の第一次内閣期から20年12月の自決に至るまでの期間を過ごし、昭和前期の政治の転換点となる重要な会議を数多く行った場所。荻外荘の建物傍には行けなくて金網越しに見ました。
DSCN5573no2.JPG
庭園を含めて公園になっておりました。
DSCN5577no2.JPG

角川庭園・幻戯山房(杉並詩歌館)。
俳人で、角川書店創設者の角川源義(かどかわげんよし)の邸宅が区へ寄贈されその後改修し、「角川庭園・幻戯山房(すぎなみ詩歌館)」として区民に利用されているとのことです。庭は日本庭園でウメやサツキ、サルスベリなど四季折々の草木や花が楽しめるようです。
DSCN5581no2.JPG
幻戯山房(すぎなみ詩歌館)は加倉井昭夫氏が設計した、近代数奇屋造りの建物。源義氏にちなんだ展示室と、句会などを催せる詩歌室や茶室の貸室として活用されているとのことです。

成宗五色弁財天。
昔、この辺りは成宗村といい、水神様のご加護を願って湧水池(弁天池)の傍に建立されたのです。ご神体は鎌倉時代に江の島弁財天で焚いた護摩の灰で作った素焼きの曼荼羅像とのこと。ここは水信仰の中心地で雨乞いのためにここにお参り後、弁天池の水を持ち帰ったそうです。鳥居前の石橋と水路は天保用水の名残でそばに板型の用水路記念碑がありました。
DSCN5605no2.JPG

成宗須賀神社は旧成宗村本村の鎮守で、祭神は素盞嗚尊(すさのうのみこと)。社名は祭神が素盞嗚尊なので出雲の須賀社にちなんだようです。社殿は941年(天慶4年創建。その後1599年(慶長4年)再建と伝わっているが安政年間に記録を焼失し詳かではないようです。
江戸時代にはここは牛頭天王社と呼ばれていたようです。これは素盞嗚尊が牛頭天王の垂跡という神仏混淆の考えからと伺いました。明治維新後には成宗村の村社として人々の信仰を集め、昭和33年に社殿を新築し現在のようになったようです。
DSCN5611no2.JPG

成宗白山神社は旧成宗村字白幡の鎮守で、祭神は伊弉册命。『新編武蔵風土記稿』で地名の「白幡」について「往古人王七十代後冷泉院(在位1045〜1068)の御字、奥州の夷賊蜂起しければ……」とあり、源頼義が奥州征伐のみちすがら、空に白幡がなびくような雲をみて、勝利の現われだと1社を勧請し、その時からこの地を白旗(白幡)と呼んだと伝えているとのことです。
DSCN5647no2.JPG

和田堀公園(わだぼりこうえん)は、善福寺川に沿う形で広がっており、東京23区内では数少ない、閑静かつ広大な緑地帯により形成された公園。この辺りは地盤が低く、住宅地の低層を蛇行する善福寺川は氾濫を繰り返す歴史があるので氾濫により自然に溜池が作られ、古くから水はけの悪い土地であったのを戦後の宅地化が進む中、河川を改修して周囲に池を作り、遊具や広場を整備し公園として開園。現在では武蔵野の自然が調和した公園となっているようです。
DSCN5651no2.JPG

大宮八幡宮(おおみや はちまんぐう)は、杉並区大宮にあり、明治時代以降は大宮八幡神社と呼ばれていたのが、1981年(昭和56年)に「大宮八幡宮」に改められたとのことです。もともとは源頼義により建立。武蔵国の三大宮の一つで「多摩の大宮」とも呼ばれ、境内は約15,000坪と都内でも3番目の広さ。子育て・安産に特に御利益がいわれている。東京のほぼ中央にあるので「東京のへそ」という異名もあるそうです。善福寺川に接し、かつて湧出していた御神水は「多摩乃大宮水」といわれたのです。現在は自然には湧出していないため、ポンプで汲み上げているとのことでした。
DSCN5680no2.JPG

この馬塔観音は昭和3年、陸軍将校が乗っていた名馬宮春号がここで足を骨折して急逝し、この供養塔が建立されたそうです。
DSCN5711no2.JPG

杉並区立郷土博物館は、1989年(平成元年)に、 都立和田堀公園の中に開館。杉並区には、およそ3万年前に人々が住み始めています。 郷土博物館では、このときから現在までの杉並の歴史、 人々の生活や文化について資料を集め、 調査・研究をし、わかったことを展示していました。また古民家もありこちらではお茶のお接待をいただきました。
DSCN5715no2.JPG

源義家公鞍掛けの松は大宮八幡宮の参道の脇にありました。義家が奥州征伐に向かう途中、ここで一休みしてこの松の枝に馬の鞍を架けたとの言い伝えがあるとのことです。
DSCN5740no2.JPG

大圓寺(大円寺、だいえんじ)は、杉並区和泉にある曹洞宗の寺院。山号は泉谷山。本尊は釈迦如来。薩摩藩島津家の江戸での菩提所でもある。1603年(慶長8年)、徳川家康によって赤坂溜池(現在の東京都港区赤坂溜池町)に徳川家の香華院として建立。開山は諦厳桂察(武田信玄の弟)。この縁から飯野藩保科氏の菩提寺でもあるようです。この時に、旗本五井、松平、坂井、本多、土方の諸家を檀徒と定めたようです。 延宝元年(1673年)、薩摩藩(七十七万石)世子・島津綱久が江戸で没した時にその葬儀をこの寺で執り行い、以後薩摩藩の菩提寺ともなったのです。明治維新後の廃仏毀釈及び大檀越であった島津氏の神道改宗に伴い、以後庇護を失い衰微し1906年(、明治41年)に現在地に移転。現在も西郷隆盛の娘・菊子など鹿児島県出身明治維新関係者の墓が多く築かれているとのことです。
DSCN5766no2.JPG
明治元年戊辰の役戦死者没者の墓
DSCN5771no2.JPG

本日は晴天でしたから歩程約11kmをAM10:00〜PM15:00で気持ちよくウォーキングしました。ほとんどは一巡目の時と同じでしたが講師が違うことと2年ほどの時間経過があるので改めて見聞を広めた感じでした。
今後も2巡目の都内をそれなりに新発見を期待しながら参加していくことにいたします。
posted by yunofumi at 21:26| あちこちウォーク

2019年04月15日

2019.4.13. 山手線歴史探訪ウォーク 第2回

上野駅〜西日暮里駅
JR上野駅公園口⇒JR上野駅中央口⇒JR上野駅広小路口⇒「あゝ上野駅」碑⇒上野恩賜公園--黒門--獨山人の碑--西郷隆盛像--彰義隊の墓--天海僧正毛髪塔--寛永寺清水観音堂--不忍池弁財天--花園稲荷神社--時の鐘--上野大仏--パゴダ薬師堂--お化け灯籠--東照宮--東照宮唐門--グラントヒノキ--時忘れじの塔--東京文化会館フォレスティーユ精養軒--ボードワン博士像⇒旧博物館動物園駅跡(京成電鉄)⇒黒田記念館⇒東京文化財研究所⇒上野東照宮⇒寛永寺第二霊園・徳川綱吉霊廟勅額門・天璋院篤姫墓所⇒寛永寺・根本中堂・了翁禅師塔碑・銅鐘・尾形乾山墓碑・乾山深省蹟・旧本因坊表門・根本中堂鬼瓦⇒谷中霊園---DEPUIS PATISSIER INAMURA SHOZO--御隠殿坂−明治大学創立者岸本辰雄先生墓碑−徳川慶喜公墓所−渋沢栄一墓所−川上音二郎碑−天王寺五重塔跡⇒観音寺築地塀⇒初音の森⇒岡倉天心記念公園⇒谷中銀座・夕焼けだんだん⇒延命院の大椎⇒経王寺山門⇒善福寺・仁王門⇒富士見坂⇒淨光寺⇒諏方神社⇒太平洋美術⇒荒川区立第一日暮里小学校⇒西日暮里公園⇒JR西日暮里駅

JR上野駅中央改札のすぐ横の切符売り場の上にステンドグラスがありました。「昭和六十年春 ふる里・日本の華」でデータを調べると原画。監修:平山郁夫、設置:1985年3月、ステンドグラス、3.7m×18.6m、キーワード:扇、水、花ということでした。このような壁画などはパブリックアートというそうです。
DSCN5152no2.JPG

JR上野駅広小路口外には「あゝ上野駅」歌碑がありました。
DSCN5156no2.JPG
この歌碑は2003年建立。この歌は1964年に井沢八郎さんが歌った東北地方の集団就職者の応援歌として大ヒットした歌謡曲。歌碑は大きく機関車と多くの集団就職者が描かれており私たち世代だけではなくこれを見て昔を偲ぶこともいいことではないでしょうか。

上野恩賜公園は明治6年太政官布達で日本が初めて公園に指定。ここは、江戸時代、東叡山寛永寺の境内地で、明治維新後官有地となり、大正13年に宮内省を経て東京市に下賜され「恩賜」の名称が付いたとのことです。

西郷隆盛像は明治31年設置、作者は高村光雲、身長3.7m・胸囲2.6m・足55cm。できた時の様子は昨年のNHK大河ドラマ第1回で見られてとても印象的でした。
DSCN5172no2.JPG

天海僧正毛髪塔。
天海僧正は、江戸初期の天台宗の高僧。なかなかの名僧でのちに江戸崎不動院(茨城県江稲敷市)、川越喜多院(埼玉県川越市)などに住し、徳川家康の知遇を受け、1616年(元和2年)家康が没すると、その神格化のため権現号の勅許を計り、合わせて日光廟の基本的構想をたて造営を指導したのです。その後も将軍秀忠・家光の帰依を受け、江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院の建立を進言し、1625年(寛永2年)に寛永寺を創建し、1643年(寛永20年)に子院の本覚院で108歳でなくなっているのです。遺命により日光山に葬られたため本覚院跡には供養塔が建てられ、後に本覚院伝来の毛髪を納めた塔も建てられ、毛髪塔と呼ばれるようになったとのことでした。
DSCN5194no2.JPG

「彰義隊の墓」がありました。江戸幕府十五代将軍徳川慶喜が大政奉還の後、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸へ戻ったことから東征軍(官軍)や公家の間では、徳川家の処分が議論された。慶喜の一橋家時代の側近が慶喜の助命を求め、1868年(慶応4年)に彰義隊を結成。慶喜が水戸退隠後も上野山(東叡山寛永寺)にたてこもったのです。1868年((慶応4年)、新政府軍が、上野寛永寺周辺にたてこもる彰義隊を包囲し彼らは滅亡したのです。これは上野戦争といわれています。その後、彰義隊士の遺体は上野山内に放置されたのを、三ノ輪円通寺(現、荒川区南千住)の住職仏磨らによってこの地で茶毘に付されたとのことでした。正面の小墓石は、1869年(明治2年)寛永寺子院の寒松院と護国院の住職が密かに付近の地中に埋納したものだが、後に堀り出されたもの。大墓石は、1881年(明治14年)に元彰義隊小川興郷(椙太)らによって造立。彰義隊は明治政府にとって賊軍であったため、改府をはばかって彰義隊の文字はなく、旧幕臣山岡鉄舟の筆になる「戦死之墓」の字を大きく刻まれています。
DSCN5174no2.JPG

清水観音堂は、寛永8年(1631)に東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正により建立。比叡山延暦寺が、京都御所の鬼門を守護すると伝えられている事に倣い、天海大僧正は1625年(寛永2年)に江戸城の鬼門を守護するため、寛永寺を創建したのです。そして比叡山になぞらえて上野の山を東叡山と称して数多くの堂舎を建立。そのひとつとして清水観音堂は京都清水寺に倣って建立されたのです。清水観音堂は、江戸時代から庶民に親しまれる名所で特に境内に配された月の松は、江戸時代の浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」に「上野清水堂不忍ノ池」そして「上野山内月のまつ」として描かれているとのことです。
DSCN5215no2.JPG

DSCN5210no2.JPG

不忍弁天堂は寛永寺の創設者天海僧正。現在の八角形の御堂は昭和33年に再建されたもの。ご本尊は八臀大弁財天で長寿・福徳・芸能の神様。普段見受ける芸能人のお名前が書かれた提灯がいっぱいありました。
DSCN5228no2.JPG

上野大仏とパゴダ薬師堂は大仏山にあります。1631年(寛永8年)堀直寄が寄進。元々、大仏様は全身あったようですが地震や火災が度々ありこの顔面だけが残り大仏再建を願い仏塔(パコダ)が作られたとのことでした。
DSCN5255no2.JPG

DSCN5259no2.JPG

お化け灯籠(おばけどうろう)は、佐久間勝之(さくまかつゆき)が奉納したもの。銅灯籠や石灯籠と離れたところにある。おばけというのは、おばけのように大きく、高さが6.06mもあるからそのような名前がついたようです。また、笹石の周囲は3.36mで非常に大きかったです。
DSCN5262no2.JPG

時忘れじの塔は故林家三平師匠未亡人海老名香葉子さんが2004年(平成16年)に東京大空襲を忘れないでという趣旨で設立。林家一門で慰霊の会が開かれるようです。
DSCN5306no2.JPG

公演内をグルグル動き回った後振出の上野駅前に戻り昼食は、東京文化会館2階のフォレスティーユ精養軒でおしゃれなランチをいただきました。
DSCN5315no2.JPG
メイン前にはスープやパン、それにデザートと珈琲が出ましたので大満足でした。

ボードワン博士像。
明治政府が上野の山を別の目的で使用することを決めていたのを近代的な公園にすべきとボードワン博士が提言し現在の上野公園ができたそうです。いわば上野公園の生みの親でオランダの一等軍医だったとのことです。
DSCN5326no2.JPG

正岡子規記念球場は公園の外れに見えました。これは明治20年ごろ、正岡子規が上野公園内で草創期の野球を楽しんでいたことから、名前がついたのです。そばに「春風や まりを投げたき 草の原」の句を刻んだ碑があるとのことでした。

旧博物館動物園駅跡(京成電鉄)がありました。解説によると1932年日暮里と上野公園間の営業のため工事開始し1933年開業。1945年戦争のため運転休止。1953年この駅の営業を再開するも1997年駅が小さいことなどがあり営業休止。2018年リニュウアルして記念に残されたようです。

上野東照宮
もともと徳川家康公を祀った社。家康が1616年に死去し1618年には日光東照宮に祀られています。その後家康を敬心していた藤堂高虎が1627年(寛永4年)にこの上野東照宮を造営。現在の社殿は徳川家光が作り替えたもの。文化財保護の為、社殿内は非公開。 金色殿とも呼ばれており、参道側から拝殿、幣殿(石の間)、本殿の三つの部屋から構成される権現造り。
唐門は1651年(慶安4年)造営。国指定重要文化財。正式名称は唐破風造り四脚門(からはふづくりよつあしもん)。柱内外の四額面には左甚五郎(ひだりじんごろう)作の昇り龍・降り龍の彫刻があり、 毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があります。
偉大な人ほど頭を垂れるということから、頭が下を向いている方が昇り龍と呼ばれています。
上部の錦鶏鳥・銀鶏鳥の透彫は精巧で美しく、室町桃山時代の技術を集大成したものとして高く評価されています。 内側の透彫は諫鼓鳥(かんこどり)という中国の故事に由来し、皇帝が朝廷の門前に太鼓を置き、 政治に誤りがある時は人民にそれを打たせ訴えを聞こうとしたが、善政のため打たれることは無く、 太鼓に鶏が住みつくほどであったと言う話に基づいています。 天下泰平の願いを込めて彫られたと考えられています。
DSCN5277no2.JPG
唐門両側の6基の銅灯籠は、内側より紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたものとのことです。
DSCN5284no2.JPG
銅灯籠の間に見えるのは菱透塀。格子の向こう側が透けて見えるのでこの呼び名だとのことです。 社殿の東西南北を囲んでおり、上段には野山の動物と植物、下段には海川の動物の彫刻が内外両面に200枚以上、 色鮮やかに生き生きと表現されているとのことでした。

寛永寺第二霊園に入るとすぐ徳川綱吉霊廟勅額門・天璋院篤姫墓所の案内がありました。五代将軍綱吉は、1680年(延宝8年)に将軍となり1709年(宝永6年)に63才で死去。綱吉ははじめ、善政を行ったが後には「生類憐みの令」などを施行した将軍として著名です。 1698年(元禄11年)に綱吉によって竹の台に寛永寺の根本中堂が建立。造営の奉行は柳沢吉保、資材の調達は紀之国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門。又、それに伴って先聖殿(現湯島聖堂)が上野から湯島に移されたとのことです。綱吉の霊廟は宝永6年に竣工したが、その一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失したのです。この勅額門と水盤舎は、その廟所と共に、これらの災を免れた貴重な遺構とのこと。勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。
DSCN5346no2.JPG

寛永寺は天台宗関東総本山の寺院。徳川家光が創立者、初代住職は天海大僧正。ご本尊は薬師如来。本堂にあたる根本中堂を見ました。
DSCN5355no2.JPG
この周りには了翁禅師塔碑・銅鐘・尾形乾山墓碑・乾山深省蹟・旧本因坊表門・根本中堂鬼瓦など見所が一杯でした。

谷中霊園は日暮里駅と鴬谷駅の崖上に広がる墓地。ここはもともと寛永寺と天王寺の寺領だった所。1875年(明治7年)東京都の公共墓地となり一般にも公開されている。
本日は明治大学創立者岸本辰雄先生墓碑、徳川慶喜公墓所、渋沢栄一墓所、川上音二郎碑、天王寺五重塔跡などを見て回りました。
DSCN5391no2.JPG

DSCN5396no2.JPG

観音寺築地塀(つきじべい)とは土塀のこと。主に、石垣を台座として塀の中心となる部分に木の柱を立て、柱を中心に木枠を組み、そこに練り土(粘土質の土に油や藁などを混ぜた土)を入れて棒で突き固める版築(はんちく)工法で作られたものをいうようです。塀の上部には雨除けに瓦屋根が葺かれ、表面も漆喰で仕上げられています。
はじめは土のみで作られたが、強度を増すため、雨水から守るため、染み込む雨水の水はけを良くする為に、瓦を間に入れて作られるようになってきたようです。
DSCN5409no2.JPG

岡倉天心記念公園は東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立にかかわり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡。五浦のものを模した六角堂があり、中には天心坐像が据えられています。また公園のなかのいたるところに六角形が潜んでいます。
DSCN5421no2.JPG

谷中銀座は地元の方々は元より、定期的に商店街に足を運んでくださる広域の方々、遠方や海外からお越しくださる観光の方々に商店街を時代の流れに適応しながら古き良き商習慣を大切にして異世代に残していきたいと頑張っている商店街だそうです。本日は休日のため非常な混雑で有名なメンチコロッケのお店など行列ができていました。私は谷中満点ドーナツを買い、大いに満足しました。
DSCN5432no2.JPG

御殿坂と谷中銀座の間には「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段があります。夕方この階段に座って、谷中銀座方向を見ると綺麗な夕焼けが見えることから、一般公募で選ばれた名称だそうです。夕方になると、階段に座って夕焼けを待つ方もいそうです。夕焼けだんだんを降りると「谷中銀座」の入口です。
DSCN5437no2.JPG

延命院は四代将軍徳川家綱の乳母三沢局を開基とする日蓮宗の寺院。家綱の安産祈願をした日長が甲州身延山の七面大明神を勧請し、慶安4年(1651)にその別当として開創されたのです。境内には、樹齢600年を越える大椎がありました。
DSCN5448no2.JPG

経王寺(きょうおうじ)は明暦元年(1655)創建の日蓮宗の寺院で大黒山と号し、境内の大黒堂には日蓮上人作という大黒天が祀られており、旧谷中七福神のひとつ。1868年(慶応4年)の上野戦争に敗れた彰義隊士がここへ隠れたため、新政府の攻撃を受けました。天保7年(1836)建立の山門には銃撃を受けた弾痕が今も残っていました。
DSCN5457no2.JPG

善福寺・仁王門。
谷中は奇跡的に戦災を免れた為、古い民家と下町風情が残る稀少の場所で、善福寺・仁王門の金剛力士像もけなげに残っていました。
DSCN5463no2.JPG

淨光寺は真言宗豊山派の寺院で、太田道灌説と豊島左衛門尉経泰説があるようです。江戸時代までは、諏方神社の別当でした。諏訪台の高台に位置し、展望が開け眺めが良く雪見に適することから「雪見寺」とも呼ばれていたようです。江戸時代、将軍が鷹狩の際に立寄ってから御膳所にあてられ、将軍が来訪した時に腰掛けたとされる「将軍の腰掛けの石」と石の隣には、「三代将軍御腰掛石」という碑があります。また、山門の左手には、元禄4年(1691)に空無上人によって江戸の東部6カ所に開眼された江戸六地蔵の3番目として知られる大きな銅造地蔵菩薩立像、文化6年(1809)作の銅造地蔵菩薩坐像、庚申塔等の石造物があります。
DSCN5477no2.JPG

諏方神社は鎌倉時代に豊島佐衛門尉経泰によって創建されたと伝えられ、信濃国上諏訪大社と同じ建御方命を祀っておるようです。現在も日暮里(旧:新堀)・谷中の総鎮守。 諏方神社は、JR山手線の線路沿いの諏訪台にあり、江戸時代には、筑波や日光の連山などが見えたことから、景勝の地として知られていました。

諏訪神社の道を挟んで反対側に太平洋美術会がありました。太平洋美術会は明治22年に日本最初の洋画団体「明治美術会」として誕生。同35年、太平洋画会と改称し、さらに昭和32年に太平洋美術会と名称を改め今日に至っているとのことです。2011年、120周年を迎えこの間、幾多の英才、奇才を世に送り出し、日本近代洋画史に燦然たる足跡を残したのです。併設の太平洋美術学校(現・研究所)からも多くの才能を輩出し今日、多数ある美術団体の源流で、今もこの歴史と伝統を守るとともに、新しい潮流に向けて歩み続けていると伺いました。

荒川区立第一日暮里小学校門前に「正直親切」の石碑がありました。この記念碑は高村光太郎直筆で荒川区立第一日暮里小学校の創立百周年の記念碑とのことです。高村光太郎は明治23年に旧下谷区練塀小学校から日暮里小学校に転校しており、この地にはずいぶんとゆかりがあるのです。この「正直親切」の文字は昭和26年、岩手県山口小学校のためにかかれたものが、日暮里小学校の百周年記念の際、財団法人高村記念会の好意で使わせてもらうことになったという経緯があるようです。ちなみに隣にいるフクロウはこの第一日暮里小学校の校歌の歌詞に由来しているとのことです。学校の立地が日暮里の高台、緑がいっぱいの諏訪神社のすぐ隣にあり、「森の知者」であるフクロウをシンボルにして子供たちに親しまれるように、という想いが込められているそうです。
DSCN5491no2.JPG

西日暮里公園は西日暮里駅から坂を上がった高台にありました。すぐ近くには諏方神社や多くのお寺があります。この辺りは江戸時代に「ひぐらしの里」として、高台からの見晴らしや寺社巡り、虫の鳴き声を楽しむ虫聴きなどで親しまれていたのでこれらの案内を変わった形の案内板で示していました。
DSCN5502no2.JPG

本日は14℃と温かで晴天の元、約10km、歩程17000歩を結局実質5時間で完歩。参加者のほとんどは本日2回目で初々しい雰囲気が満載でした。私は初回が2017年10月でしたから約1年半かかっての完歩でした。昼食時に完歩認定証と山手線駅スタンプの一覧をいただきおまけに皆様の拍手はとても光栄でした。このようなシリーズのウォーキングツァーのいい所です。
DSCN5509no2.JPG
振り返れば全10回のうち雨は1回でしたから、なかなか幸運でした。これからも機会を見つけてまたシリーズのウォーキングを楽しみたいです。
posted by yunofumi at 23:11| あちこちウォーク

2019年04月07日

2019.4.7 MBT代々木公園ウォーク

すっかり本格的な春!!
本日は久しぶりに代々木公園でのMBTノルディックウォークにお出かけ。
代々木公園はすっかりお花見気分の方でいっぱい。
桜と緑と小さな花たちが眩しい!
DSCN3360no2.JPG

DSCN3373no2.JPG

DSCN3374no2.JPG

DSCN3375no2.JPG

DSCN3365no2.JPG

温かだったので久しぶりに仲間も7人勢ぞろい。
DSCN3380no2.JPG

DSCN3364no2.JPG

本日は日中20℃、晴天の元、大いにウォーキングを楽しみました。
ウォーキングを終了後ハッと見渡せば、明治神宮、神宮橋、原宿駅はごった返していました。皆さんが大いに楽しんでいてとても嬉しい風景でした。
お陰様で今年は桜を大いに楽しみました。
posted by yunofumi at 17:37| あちこちウォーク

2019年04月03日

2019.3.31第7回さいたマーチ〜見沼ツーデーウォーク〜2日目

「見沼たんぼ北コース」
さいたま新都心公園⇒さいたま新都心駅⇒武蔵一宮氷川神社一の鳥居⇒氷川参道⇒大宮消防署氷川参道出張所⇒南堀之内バス停⇒丸昌⇒自治医科大学附属さいたま医療センター⇒合併記念公園⇒大宮南部浄化センター・みぬま見聞館⇒さいたま新都心公園

昨日の疲れが残っていそうなので大事をとって本日は歩程5kmコースに参加。今日は知人が一緒でしたのでのんびりムード。またしてもゆるきゃらがお見送りに登場です。
DSCN5073no2.JPG

さいたま新都心駅前を過ぎるとすぐ武蔵一宮氷川神社に向かう氷川参道です。
DSCN5087no2.JPG
武蔵一宮氷川神社は2400年以上の歴史をもつといわれ、大いなる宮居として大宮の地名の由来にもなった日本でも指折りの古社。武蔵一宮として関東一円の信仰を集め、初詣には多くの参拝者で賑わいます。氷川神社名の社は大宮を中心に、埼玉県および東京都下、神奈川県下におよびその数は280数社を数えるとのことです。

氷川参道のこと。
DSCN5097no2.JPG
氷川神社の参道は中山道から南北に2km伸び、両側に美しいケヤキ並木が並んでいます。昭和初期には鬱蒼とした杉並木で覆われていて「並木十八丁鉾杉つづき」と歌われていました。杉からケヤキに変わったのは戦中、戦後の資材難から伐採された事や、車の排気ガスや振動、地下水脈の低下や歩行者による根元の踏み固めなど複数の要因が考えられます。更に古い時代には松並木の時代もあったとのことです。現在の参道の樹勢状況は平成22年に作成された『氷川参道のまちづくり』によると、およそ650本の高木があり、そのうちケヤキが約65%、次いでスダジイが約10%、そのほかクスノキ、エノキ、サクラなど37種類の樹木があるとのことです。
自治医科大学附属さいたま医療センターを過ぎるとすぐ合併記念公園でした。ここはほんじつのチェックポイントでしたからお弁当を食べた後はのんびりとあちらこちらと動き回り、色々な植物を見ました。
DSCN5114no2.JPG

DSCN5115no2.JPG

DSCN5118no2.JPG

大宮南部浄化センターは大きな建物でした。
DSCN5122no2.JPG
ここは、汚泥再生処理センターとして、平成13年3月に最新鋭の膜処理と高度処理方式を採用し稼働が始まったそうです。し尿・浄化槽汚泥の一日の処理能力は179kL。施設の特徴は、限外ろ過膜を使用した高負荷運転で汚れを除去しているとのことです。その後、活性炭吸着塔を通し、殺菌・消毒して無色・無臭の環境にやさしい処理水として芝川に放流しているようです。今日は私たちウォーカーのために色々説明をしておられました。また環境学習施設としてみぬま見聞館・自然庭園を紹介されました。自然庭園は外側から少し見ました。
DSCN5126no2.JPG

DSCN5127no2.JPG
みぬま見聞館には後日是非来てみたいと思いました。

結局ウォーキングはスタート11:00,ゴール13:00、実質6.2kmを約15000歩で終了。本日の参加者3663人。5kmコース参加者が少ないと思っていましたが空模様が怪しかったことや休日2日目ですからちびっこの参加が多く、とても賑やかでした。
今日は余裕でウォーキングを終了しましたので2人でアイスを食べて悠々と帰路につきました。
DSCN5066no2.JPG

DSCN5130no2.JPG
また来年も参加しまーす。
posted by yunofumi at 01:00| あちこちウォーク

2019.3.30第7回さいたマーチ〜見沼ツーデーウォーク〜1日目

「見沼たんぼ南コース」
さいたま新都心公園⇒さいたま新都心駅⇒さいたま赤十字病院⇒さいたま新都心郵便局⇒新都心大橋⇒上木崎小学校⇒洋服の青山⇒上木崎7丁目⇒見沼代用水・芝川土手⇒浦和西高校第2グラウンド⇒木崎3丁目保存緑地⇒見沼代用水路西縁⇒本木崎橋⇒木崎橋⇒御嶽大神⇒足袋屋橋⇒忠兵衛橋⇒北宿橋⇒みむら桜広場⇒米原橋⇒さいたま市立病院・見沼臨時グラウンド(チェックポイント)⇒芝川・北宿大橋⇒首都高速さいたま見沼入口高架下⇒見沼たんぼ首都高ビオトープ⇒山口橋⇒東京成徳短期大学運動場⇒北袋橋⇒さいたま新都心公園

第7回さいたマーチに本日初参加。朝10:00スタートの歩程10kmコースに挑戦。
今朝は気温6℃!かなり寒く手は凍えそう!
この大会は主催がさいたま市の関連団体、協賛は武蔵の銀行や埼玉信用金庫、ということでゆるきゃらのしんちゃんやヌウが応援に来てくれました。
DSCN4876no2.JPG

出発式は清水さいたま市長のあいさつではじまり15分で終了。早速スタート!
DSCN4880no2.JPG

さいたま新都心とは埼玉県さいたま市で東京都心機能の「新都心」となるべく企図された業務地区の名称。現在は「さいたま新都心土地区画整理事業」として大規模な再開発が行われ、官公庁の関東地方出先機関などが進出しておりコクーンなどの商業施設やさいたまスーパーアリーナもありイベント時には大にぎわいのまちとなってきました。
DSCN4894no2.JPG

スタートから小一時間で見沼代用水の辺りまで来ました。桜をはじめ色々な花が見られました。
DSCN4931no2.JPG

DSCN4942no2.JPG

DSCN4944no2.JPG

木崎3丁目保存緑地は自然な環境が素晴らしい。
DSCN4950no2.JPG

DSCN4967no2.JPG

DSCN4985no2.JPG

足袋屋橋、忠兵衛橋などの名前が面白いと思いました。またさいたま市立病院の向かい側の見沼臨時グラウンドがチェックポイント。ここでは大勢の方がおやつやお弁当を広げていました。

芝川の北宿大橋はさいたま市の緑区から見沼区へ見沼田んぼを横断するときによく渡る橋で如何にも写真には絶好のスポット。写真の好きな方はきっと何度でも通う場所でしょう。
DSCN5014no2.JPG

首都高速さいたま見沼入口高架下を歩き、はじめて詳しく見沼たんぼ首都高ビオトープのことを理解しました。
DSCN5041no2.JPG

DSCN5042no2.JPG
説明では多くの小鳥や動物が描かれていましたが今日のこの寒さでは何も出てきてくれませんでした。

今日はお陰様でほぼ満開の桜を堪能しました。桜はさいたま市の花木で、春には市内のさまざまな場所で花が咲き誇ります。実は「目指せ日本一!サクラサク見沼田んぼプロジェクト」というのが立ち上がっているようで、見沼代用水の西縁、東縁の桜を増やし、見沼田んぼをステージに日本一の桜回廊づくりに取組んでいるとのことです。そして今日では総延長が20kmを超え、桜の下を散策できる日本一の桜回廊となっているのです。今日の出発式での清水市長さんの話ではまだまだ延長が期待できそうです。
DSCN4997no2.JPG
結局、本日の参加者は5026人!コースは5kmから30kmに分かれてありましたがどうやら10kmのコースが一番参加者が多かったようです。桜並木が見事だったこと、雨に会わなかったことが幸いでした。失敗はチェックポイントでお弁当などの販売がなく、自分で準備していたおやつのみでちょっと寂しかったこと。歩程10kmのところ実質12.4km。おかげでこの余分の2.4kmがちょっと負担だった。ちなみにスタート10:00、ゴール14:00、実質3時間、約27000歩はかなり堪えました。帰宅後ゆっくり入浴やストレッチをして早寝をし、明日に備えました。

DSCN5058no2.JPG
そうそうお土産に参加賞のマグカップのほかに思いがけず特別賞をいただきました。これはさいたま市見沼たんぼで収穫された「彩のきずな」2kgでした。このお米は平成29年度産米の食味ランキングで最高の「特A」を獲得したお米なのです。
食べるのが楽しみです。
posted by yunofumi at 00:08| あちこちウォーク