2018年07月09日

2018.7.7 横浜散策 第13回泉区

相鉄いずみ野線いずみ中央駅⇒神奈中泉区総合庁舎前バス停⇒横浜市泉消防団第3分団第3班⇒蚕御霊神塔⇒和泉川あけぼの橋⇒宮澤果樹園⇒長福寺⇒小次郎池⇒泉中央公園⇒石橋⇒桜川公園⇒小林経師店⇒中之宮左馬神社・地神塔⇒関島橋⇒親水公園⇒宝心寺・岩舟地蔵像・旗本能見松平家の墓所⇒ゆめが丘駅入口交差点⇒ゆめが丘駅−いずみ中央駅・サガミ(昼食)-ゆめが丘駅⇒草木橋⇒伊藤造園土木⇒四ツ谷交差点⇒第六天神社⇒鍋屋交差点⇒宝蔵院⇒源流の森保存地区・清水家⇒天王森泉公園・旧清水製糸場本館⇒境川遊水地公園⇒東泉寺⇒琴平神社⇒なむいち⇒大竹屋⇒富士塚公園⇒相鉄いずみ野線ゆめが丘駅

相鉄いずみ野線の路線は神奈川東部方面線計画の一部分を構成する区間で、このうち横浜市西部の区間が1970年代に整備されたのが始まり。1976年(昭和51年に二俣川まで、1990年(平成2年)いずみ中央駅まで開業したようです。かなりの田舎の風景が広がりこれから開発がさらに進みそうです。

泉区和泉町に「蚕御霊神塔」がありました。長後街道からほんの少し入った神明社の横に庚申塚があり、そこに大山道と二本指で方向を示した手の線画が刻まれた道標を兼ねた蚕御霊神塔(明治11年(1878年)銘)や隣には右大山道、左藤沢と刻まされた道標を兼ねた庚申塔(万延元年(1860年)銘)、庚申供養塔(文化5年(1808年)銘)や2体のお地蔵さん、石祠が立っていました。長後街道は明治中期に整備されたのです。神明社があるこの細い通りは旧大山街道だそうです。鎌倉郡に位置した泉区内には、かまくらみちや大山街道が通っているのです。慶応2年(1866年)3月に霜害のために桑が枯れてしまい蚕を育てられず、蚕を地中に埋めてしまったことから1878年(明治11年)になって蚕御霊神塔を建立し蚕の慰霊を行ったのです。養蚕は明治、大正になると盛んになり、横浜港から生糸として輸出され財を蓄えた一人が原三渓で、横浜に残る三渓園がそれを示しているのです。
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和泉川は、旭区との境にある瀬谷市民の森付近を源流として、瀬谷区・泉区をとおり、戸塚区で境川に合流しています。本日は天王森泉公園までこの川に沿ってウォーキングした後、境川遊水地公園で境川との分岐まで見られるとのことです。

宮澤果樹園は和泉川の対岸にあるモチノキの生け垣が立派な果樹園で、春はタケノコ、梅。夏はブドウ、そして、秋は柿を販売しているとのことでした。
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長福寺(ちょうふくじ)は臨済宗で、円覚寺末で本尊は釈迦牟尼仏で泉小次郎親衡(いずみこじろうちかひら)が道場として創建したということでっす。泉小次郎は、二代将軍源頼家の遺児千寿丸を擁して北条氏を打倒しようとしたこところこれが失敗し逃亡したと伝わっています。
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隣の須賀神社は小次郎が鎮守神として祀った神社といわれています。

泉中央公園には、「泉小次郎馬洗いの池」がありました。池は一年中湧水が枯れたことがなく、昔からかんばつが続くと土地の人々が集まり、池の水を汲み干して雨乞いの願いをかけてきたとのことです。
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この池の底に沈んでいた小さな島には貞和三年造立の五輪塔があり、池のほとりには数基の板碑もあったとのことでこれらの板碑は、公園開設の工事の時に発見された板碑とともに長福寺に保存されているようです。

和泉川左岸の低い丘陵の先端、長福寺の一帯に、城址といわれている所がある。遺構は、南北400m、東西200mに及ぶもので、東側と南側には、約4〜5mの空堀と、基底が3m、高さが1mの土塁がありました。
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中之宮左馬神社(なかのみやさばじんじゃ)の祭神は左馬頭源満仲・天照皇大神(さまのかみみなもとのみつなか・あまてらすおおみかみ)で、中和泉地域の鎮守様です。和泉川沿いに見られるサバ神社の一社で、源家隆盛の頃の勧請ということです。1625年(寛永2年)、和泉村の領主となった松平勝左衛門昌吉が、この神社を村の鎮守として再興し、能見松平家(のみまつだいらけ)の累代の祈願所としたのです。
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本殿は総けやき造り。境内には木食観正碑・庚申塔・西南の役の忠魂碑・地神塔などがあります。
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泉区内の地神塔(じじんとう)は文字塔が多く、「地神塔」と刻まれたものや、地神が仏教と結びついて十二天の一神、地天の別称である「堅牢地神」と刻まれたものもあるとのことでした。
農業などの生産活動の守護を願う「田の神」信仰でその年の稲の豊作を願い、農業に関係の深い土地神様(とちかみさま)を祀るような行事で昔から地神信仰が盛んに行われたことがわかるようです。

親水公園。
和泉川の旧河川敷を利用した親水広場です。 淵、中洲、蛇行など、自然河川の原型を復元した親水性の高い施設でており、川には、水鳥が多く見られるとのことです。
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手造り郷土賞の記念の石碑がありました。

宝心寺(ほうしんじ)は和泉山松雪院と号し、本尊は阿弥陀仏。もとは泉小次郎親衡が菩提寺として建立した泉龍寺といわれており実は子孫が絶え荒廃していたのを、1651年(慶安4年)に領主の松平勝左衛門昌吉が浄土宗の寺として建立し、宝心寺としたとのことです。境内には
和泉廻化地蔵尊と岩舟地蔵尊や庚申塔があり、参道入口には車塔が建っていました。
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宝心寺の参道入口に立つ石柱は台座階段部分含めた総高4m以上、先のほうに車輪のような石の輪がついていました。どうやら高尾山でも見かける輪蔵のようで1回まわすとご利益があるようです。
側面に歌が刻まれており資料の解説をうかがいました。
『昨日みし人はと問えば今日は無し 明日は我が身も人に問われん』
『末遠く思ふうちにぞ近くなる 身のたねまきよ日の暮れぬ間に』
十八世住職の頃、明治四年に約60名の寄付者によって建立。

奥の墓所には旗本能見松平家のお墓が沢山ありました。
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第六天神社は通称下和泉上分の鎮守さま。鳥居前の水田が開発される前は、和泉川沿いから眺めると、白い御影石の鳥居が背景の緑の森に映えて、古鎌倉道のたたずまいとともに美しかったとのことです。ご祭神は社名の示すように天神第六代の「面足能命(おもたるのみこと)、惶根能命(かしこねのみこと)」の二柱とのこと。
この神社の東側に酒湧地または弁天地と呼ばれる泉があり、島の中に小祠が祀られているとのことでした。

真言宗大覚寺派寺院の宝蔵院は、東峰山といいます。本日は本殿と客殿の工事中でした。宝蔵院は、阿闍梨朝興法印が1547年(天文16年)に創建、東之峯光円寺と号していうことです。寛永年間に朝栄が本堂を大日山附近より吉田町に移し、東峯山金剛寺宝蔵院と改号、幾度かの移転を経て当地には昭和18年に移転したとのことです。
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板碑(いたび)は、石で作った供養塔といわれる石塔婆(せきとうば)の一種で、死者の冥福を祈りまた生前の逆修(生前にあらかじめ自分のために死後の冥福を祈ること)の供養塔だそうです。この板碑はとても古そうでした。

源流の森保存地区は、緑豊かな都市景観を形成し、市民生活に潤いと安らぎを与えているとともに、保水・治水機能の保全と河川の水量の確保に寄与している郊外部の良好な樹林地について、土地所有者の方が協力して樹林地の保存がなされている所です。 ここは旧清水製糸場があったそうです。

天王森泉公園(てんのうもりいずみこうえん)。
和泉川沿いに広がる水田と斜面の緑地が昔懐かしい農村の風景でした。この台地は豊富な湧水があったことから流域には20以上の製糸場あったそうです。この辺りの一角の約35000uのこの公園があるのです。
正面入り口に移築した旧清水製糸場本館がありました。広々としてとても立派でした。
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本館裏には湧水の森(ゆうすいのもり)がありました。
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木々の間ではリスが遊んでいました。

境川遊水地公園は泉区・戸塚区・藤沢市に接しており境川の洪水被害を軽減させるための遊水地を平時は公園として利用しているところです。
野球・テニスなどのスポーツの場所が見られました。
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また様々な生物や水辺の風景も楽しめるビオトープもありました。ちょうどサギが見えました。
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境川の新遊水地橋の下ではアユの遡上が見られ大感激でした。
園内情報センターは遊水地の管理すするとともに境川の自然や遊水地の仕組みや役割を見ることができました。

東泉寺は境川の反乱にあったことから1590年(天正18年)、領主旗本筧為春によりこの地に移転してきたようです。相模の国準四国八十八カ所五十九番目札所で弘法大師石像があるそうです。
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琴平神社のすぐ傍に珍しい男女の双体道祖神がありました。
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富士塚公園に富士塚城址の大きな石碑がありました。この辺りは源頼朝の危機を救った飯田五郎家義の館があった所とのことでした。明治の頃にはこの辺りで五輪塔や納骨瓶などの出土品があったそうです。
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相鉄いずみ野線ゆめが丘駅は島式ホーム1面2線を有する高架駅。斬新な造りの駅で、駅全体をカーブした鉄骨で囲み、鉄骨の間に屋根や風除けの板をはめ込んだ形状となっている。この板は透明なアクリル製。少し古くなってきたようでアクリル板の劣化が進んでいるのか視界は悪くなっていました。2000年(平成12年)には 関東の駅百選に選出されたとのことです。

本日は9:30集合、16:30解散で少し長かった。どうやら食事場所がなく途中で電車で移動もあったからと後で気づきました。私は自宅からいずみ中央駅まで2時間越えでしたからちょっと大変だったのです。それでも雨の合間の曇り空ながら気温29℃、やや風があり誠に気持ちの良く、歩程約10km、20000歩はあまり疲れもないウォーキングができました。やはり自然が多くみられるコースは気持ちが良いのです。次回は9月ですからまた楽しみに待つことにいたします。

本日は曇り、気温29℃、やや風がありウォーキングがとても気持ちよくできました。参加者25名は講師浅井先生、TD関さんのお世話でAm9:30〜PM4:30までと少し長かったのですがこれは昼食のためゆめが丘駅といずみ中央駅を往復したため。ということで歩程約10km、約2万歩を完歩。元気で終了することができて何よりでした。まだまだこのシリーズは続きます。頑張ります。
posted by yunofumi at 23:22| あちこちウォーク

2018.7.5. 誕生日でした

先月6月26日誕生日でした。74歳になりました。正直、驚いています。そして実感がないのです。
10歳違いの同じ日に誕生日の友人Aさんと今年も二人でお祝いをしました。
お互いに忙しい日々を過ごしていますのでようやく日程調整の上、浦和ロイヤルパインズホテルのトップラウンジでの食事などでおしゃれなひと時を過ごしました。
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参考として近況です。
何しろ日々元気で、風邪もひきません。薬やサブリメントはそれなりですが生活習慣などあまり状況は変わりばえしません。
仕事は月〜金曜日、趣味は月2回の映画鑑賞、月2冊ペースの読書、ウォーキングツアー参加もほぼ月2回。この他に単発のウォーキングやショッピング、コンサート、美術館巡りなどそれなりに楽しいことばかり!
これって幸せな日常と思い、しっかり楽しんでいます。
これから暑くなりますがまたがんばって日々過ごします。
posted by yunofumi at 09:00| ドタバタ日記

2018年07月04日

2018.7.3.NHK大河ドラマ特別展 「西郷どん」へ

近年あまり熱心ではなかったTV大河ドラマ鑑賞でしたが今回は人気の高い「西郷さん」なので初回より放映を見ております。そして西郷さんに関する書物もいくつか読みました。ということで本日、東京芸出題学大学美術館での特別展にお出かけした次第です。
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そもそも1回目放映で妻糸子さんが上野公園の西郷像除幕式で「エーッ」とびっくりして叫んだシーンに少なからず驚いたのが発端なのです。
誰でも知っている上野公園の銅像は高村光雲の作で1889年(明治22年)大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのをきっかけに、吉井友実ら薩摩藩出身者が中心となって建設計画が始まったのだそうです。全国2万5千人余の有志の寄付金で建立され、問題の除幕式は、西郷の死後21年を経た、1898年(明治31年)12月18日に行われたとのこと。この除幕式での公開の際に招かれていた西郷夫人の糸子さんが「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ」と腰を抜かし、また「浴衣姿で散歩なんてしなかった」といった意の言葉を漏らし、周囲の人に窘められたということはどうやら真実だったことも今日実感。しかも西郷の死後21年もたっており明治新政府の思惑も垣間見えました。
ちなみに西郷さんの銅像は聞くところによれば有名なのはこの上野公園と、鹿児島市立美術館近くの軍装(陸軍大将)姿の銅像(1937年(昭和12年)安藤照作。それに霧島市溝辺町麓の鹿児島空港近くにある西郷公園の銅像のようです。この3番目の銅像は古賀忠雄が1976年(昭和51年)にひととおり完成していたのがそのまま置かれておりその後作者の子息の古賀晟や多くの方々の尽力で現在の紋付羽織袴の姿で見られるようです。
大河ドラマで大久保利通役の俳優・瑛太さんによる音声ガイドがありましたので大いに助かりました。
展示会場では直筆の座右の銘を記した書「敬天愛人(けいてんあいじん)」、篤姫の婚礼のために西郷さんが尽力したという調度品、徳川幕府瓦解のきっかけとなった「討幕の密勅」などかなりの資料がありました。
歴史に疎い私ですがこの幕末から明治の時代変遷は大変なことだったと大いに感じました。それにしても3人の妻に慕われ、多くの人に慕われ、また別の意味で利用もされたのではないかとも思われる西郷さんはやはり偉大だったと思いました。そしてもうひとつ、幼馴染の大久保利通と結果的に敵対する中となっていったことは個人のつながりとは別の社会のしがらみみにまみれたことでもあったのかもしれません。
今後このドラマで生麦事件など多くの史実が描かれますが今日の展示を見たことでまた少し理解が深まるかなとも思いました。
そうそう、展示会場の外にはショップがあり多くの西郷書籍がありました。そして私が近頃読んだ「西郷の首(伊東潤)」、「西郷の貌(加治将一)」は出版が古いですが相当な書籍だったと実感をもちました。歴史は掘り起こし方で解釈が色々になるようです。今回のドラマは原作林真理子、脚本中園ミホのお二人です。今後の展開はおおむねこの展示が基本でしょうから期待できそうで、さらに楽しめそうです。
今日は10:00すぎに会場に入り約4時間見て回り、フラフラ!
館内のミュージアムカフェで西郷さんに因み「鹿児島産黒豚煮込み御膳」をいただき、また鹿児島のお土産モゲット!
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外に出ればほぼ快晴!気温33℃!すぐお隣の上野動物園のパンダを見ようかしらと思いましたが炎天下30分待ちとありましたのでまたね!と退散しました。
お陰様で中々充実した1日となりました。たまの骨休めも大切!日々明るく!元気に!過ごします。
posted by yunofumi at 00:22| ドタバタ日記

2018年07月01日

2018.7.1 いよいよ7月です

今日から7月!数日前に梅雨明けし今日はまた暑い!
午前は代々木公園でのMBTポールウォーキングに参加。
いつもの仲間といつものように和気あいあいで9:00〜11:00ころまで過ごしました。
近頃はポールウォーキングの合間にベルトを使ったストレッチをしたり、明治神宮の喫茶でお茶をしたりします。また明治神宮の森にタシロランが咲いているらしいとのことで仲間と見に行きました。
ありました!!
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そして帰宅後ネットで調べてみるとタシロラン(田代蘭)は環境省のレッドデータブック準絶滅危惧種に分類される希少なラン科の植物であることを知りました。
ということで来週、もう一度見に行こうと思います。
posted by yunofumi at 21:32| ドタバタ日記

2018.6.30 フレッシュコンサートへ

私が住人であるふじみ野市は現在人口11万の市民がいます。2005年に上福岡市と大井町が合併して出来た街です。旧住宅公団(今のUR)の霞ヶ丘団地と上野台団地が高層住宅になり、住民はぐっと若返った印象です。市長が2009年から変わり市民へのサービスも変わってきた印象です。
今日は産業文化センターで市内に関係している若い音楽家のコンサートなので出かけました。
今日のコンサートはソプラノの小西佑里香、河野柚子、二宮紀子、上石知加子、水野友貴、ピアノの伊藤正騎の若手が中心のプログラム。さらにピアニスト青木しのぶ、篠宮久徳、堀家徳子、テノールの東海林尚史が応援で出演や演奏をアシストしておられました。
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プログラムは一人ずつのミニコンサート形式でしたが熱意が伝わり、とても良かったです。
市内の住人にもこのような芸術家が育っていることは本当に喜ばしいことです。これからもできるだけ機会を見つけて取り組みに参加したいと思いました。
posted by yunofumi at 15:39| ドタバタ日記