2018年06月26日

2018.6.22. 足利フラワーパークへドライブ

自宅⇒川島IC⇒東北自動車道⇒佐野藤岡IC⇒足利フラワーパーク⇒栗田美術館⇒佐野厄除け大師⇒東北自動車道⇒川島IC⇒自宅

足利フラワーパークは栃木県足利市堀込町に 「早川農園」 として1968年に開園。それ以来 「250畳の大藤」 として知られていたとのこと。1997年に都市開発の為に現在の足利市迫間町 ( はさまちょう ) に移設し、「あしかがフラワーパーク」 としてオープンしたのです。元々湿地帯だった場所だったため園内に炭を敷き、土壌を浄化しすべての生命体の活性化を図ったと伺いました。園内の拡張整備も進み、現在は 94,000u の敷地面積となっているのです。
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園のシンボルは大藤で日本の女性樹木医第一号の塚本こなみさんが移植に尽力し、現在の姿になっているとのことでした。

大藤 4本 ( 野田九尺藤 3本、八重黒龍藤 1本 ) と 80m の白藤のトンネルはそれは立派でした。今日は花の時期は終わっていましたが、また来年が楽しみです。そして先日テレビで紹介されたイルミネーション は10月とのことでしたからまた伺いましょう。
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ということで入口ではまずは花しょうぶ。
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園内にもあふれるほどの花菖蒲でした。
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そして薔薇の花がこれも見事でした。
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パローレ
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ソルベフラン・ボワーズ
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大きな池には蓮が咲いていました。
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また百合も色々の花が見られました。
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まずは広い園内を歩き回り花々を堪能した後はレストラン「ウエステリア」で食べられるお花エディフラワーをあしらったローズパフェをいただきました。バラの香りも美味しさを引き立てていました。

次はこの園から徒歩約10分の栗田美術館に伺いました。
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創設者は栗田英男(故人)さん。彼が半世紀にわたり収集した伊萬里、鍋島のコレクションを土台として昭和43年に栗田美術館東京本館を開館、昭和50年にこの足利本館を設立したとのことです。
敷地は2万坪の景勝の地でそれは広々とし、緑豊かですっかり焼き物を堪能しました。
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赤松の道
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ミュージアムショップ
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佐野厄よけ大師は朱雀天皇の944年(天慶7年)奈良の僧宥尊上人が開いたお寺で最初は日本仏教で最も古い南都六宗の法相に属し、正式には春日岡山転法輪院惣宗官寺というとのことでした。
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厄除元三慈恵大師一千年御遠忌を記念して建立された「金銅(きんづくり)大梵鐘」
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足尾銅山鉱毒素事件を世間に知らしめた田中正造翁の墓。
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3カ所も一人でじっくり見て回ったのでとっくにお昼過ぎとなり、佐野厄よけ大師前の佐野市観光物産会館で紹介いただいた「鰻魚豊」へ。ちょっぴり贅沢なうな重をいただきました。折角の御馳走なので、敢えて小さいのにお願いしました。近頃になく国産鰻と新潟佐渡のコシヒカリとのことで近年になくふっくら美味しかったです。
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今日は露の真っただ中ですが天気予報に後押しされ朝早くに出発。東北自動車道を走り佐野ICで下に降り、約80kmで足利フラワーパーク到着。カーナビの御蔭で何ら迷うことなく爽快な気分のドライブでした。途中休憩なしでは1時間30分くらいですからちょっと気分転換にはよい距離なのです。
一日中ほぼ快晴で気温28℃は少し汗ばむくらいでした。本日訪れた所はいずれも初めてでしたので見て歩きはとても楽しかったです。特に足利フラワーパークは季節によってはまた別の風景も楽しめそうと思いました。そうそう足利フラワーパーク駅が正門のすぐ傍にできておりこれまたお客さんには一段と便利になったようでした。
posted by yunofumi at 00:05| ドタバタ日記

2018年06月22日

2018.6.17 横浜散策 第12回戸塚区

JR戸塚駅⇒オーロラシティ⇒福寿歩道橋⇒福寿観音⇒柴田農園⇒旧東海道・品濃坂上⇒品濃坂歩道橋⇒品濃坂・品濃町⇒楓の風⇒東戸塚駅入口交差点⇒旧東海道・海道橋⇒旧東海道・赤関橋・川上川⇒上柏尾交差点⇒柏尾歩道橋⇒瑞穂神社⇒柏尾バス停⇒柏尾小学校入口交差点⇒王子神社⇒四つ杭跡⇒護良親王首洗井戸⇒戸塚警察署不動坂交番⇒益田家のモチの木⇒大山前不動・柏尾の大山道道標⇒史跡への小径⇒斉藤ハム製造本舗⇒舞岡川・元舞橋⇒舞岡町入口バス停⇒舞岡入口交差点⇒五太夫橋⇒宝蔵院会館⇒江戸方見附跡⇒読売新聞戸塚東部⇒妙秀寺⇒旧東海道・吉田一里塚跡⇒森永牛乳店⇒吉田大橋⇒横浜矢部郵便局⇒伊東医院⇒戸塚駅・TOTSUKANA漁師料理海ぶね⇒戸塚大踏切デッキ⇒南向山清源院・芭蕉の句碑⇒SACLASS⇒バスセンター前交差点⇒大和証券戸塚支店⇒内田本陣跡⇒戸塚郵便局⇒問屋場跡⇒澤邊本陣跡・羽黒神社⇒戸塚消防署⇒消防署前バス停⇒歯科佐藤⇒保田動物病院⇒日立入口バス停⇒八坂神社⇒かまくら道道標⇒八坂神社前交差点⇒冨塚八幡宮・冨塚天満宮⇒上方見付跡⇒大坂下バス停⇒日立入口バス停⇒柏尾川桜並木道・桜橋⇒豊塚堰⇒JR戸塚駅

福寿観音
JR東戸塚駅からすぐの福寿歩道橋そばにありました。建立した願主は福原政二郎氏。福原政二郎氏は東戸塚の新駅誘致を行い、土地造成を担当した新一開発の社長さん。昭和38年(1963年)以来、この東戸塚の開発の旗振りをやってきた人で信心深く、観音信仰に篤かったので福壽観音堂を建立したとのことでした。
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品濃坂(しなのざか)には環状2号線の上を跨いでいる“品濃坂歩道橋”の西端に 高さ1m弱の小さな祠のような家型の標識がありました。
坂名の由来は不明とのこと。戸塚区平戸の台地から 急坂を下る 古い歴史のある坂道で、現在は 坂の途中が環状2号線によって分断されてしまい,東西が「品濃坂歩道橋」でかろうじてつながっているだけなので,これらが もともと つながった一つの坂だという知識がないとわかりにくい感じでした。
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品濃坂を下り旧東海道に沿って歩くと柏尾川沿いに海道橋、赤関橋を通過、柏尾小学校を通過して王子神社に到着。
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王子神社は後醍醐天皇の第一皇子護良親王(もりながしんのう)が祭られているようです。侍者が、護良親王の御首を奉じて当地四抗の勤皇の郷土斉藤氏を頼り、密かに現本殿の位置に埋葬したと伝えられています。四抗とは、御首を洗う為の四本杭の簀の子のことで、或いは鎌倉街道上で鎌倉から山を四つ越えた(よつごえ)の転訛ともいうようです。また、首を一時隠し奉った所を「御墓」といい、老松がありました。
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近くに親王の御首を洗い清めた井戸とされる「首洗(くびあらい)井戸」がありました。
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益田家のモチの木は通称「相模モチ」といわれ、不動坂交差点北東側の旧「益田家」の敷地内に樹立、2本の雄株が寄り添うようにそびえ、片方は高さ18m・根回り3.1m、もう片方は高さ19m・根回り4.9mあったそうです。樹齢約300年と推定され、江戸時代以来、東海道沿いにその威容を誇ってきた歴史的価値のある樹木として、1981年(昭和56年)に神奈川県指定天然記念物となったのでした。ところが2017年2月に倒木の危険があると切って今の状態になったそうです。いやはや歴史を知らないと大変なことになるのですね。びっくりしました。
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大山不動尊・柏尾の大山道道標。
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大山には大山阿夫利神社と追分不動尊が祀られていて、江戸時代からよく信仰されているとのこと。参拝者は旧東海道から大山街道を利用して伊勢原に入り大山産廃に向かうのでした。この大山街道の入り口がこの柏尾にあることから追分不動尊が建立されたようです。

斉藤ハム製造本舗の隣は鎌倉ハムの倉庫で日本人によるハム製造発祥の地。この倉庫は今でも持主が貯蔵庫として使用しているようです。
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ブリジストン工場前の国道(東海道)には五太夫橋」が舞岡川に架かっていました。
橋にはプレートがあり、以下のように書かれていました。
「石巻(康慶)五太夫は小田原北条氏 の家臣で豊臣秀吉 の小田原攻めのとき北条方の使者でした。北条氏滅亡後、鎌倉郡中田村で謹慎していた五太夫が、天正一八(一五九〇)年江戸に入る徳川家康 をこの辺りで出迎えたことから、五太夫橋の名がついたといいます。泉区の中田町には五太夫の墓があります。」

江戸方見附跡。
以前東海道五十三次でこの地を訪れた時はイオンだった所が工事の塀で囲われ江戸方見附跡の碑は窮屈そうでした。見附は宿場町の出入り口で、戸塚宿の入口を示しています。
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妙秀寺は日蓮宗のお寺で身立山妙秀寺。鎌倉の小町にある妙厳山本覚寺の末寺で、題目である「南無妙法蓮華経」の弘道の拠点として延文元年(1356年)に創建されたとのこと。開基は豊島氏一門の妙秀禅尼、開山は身立院日修(しんしゅういんにっしゅう)聖人。ご本尊は宗祖・日蓮大聖人折伏像で、寄木造りで玉眼彩色された高さが34.2cmの像。
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境内には2つに折れたものを繋いだ「(かま)くらみち」道標がありました。上部は剥離して字が読めないけれど、歌川広重作の浮世絵「東海道五拾三次」の「戸塚宿」に描かれた「左かまくら道」道標とする説や大正時代に大橋の袂にあった2つに折れた道標を移設した等の伝承があるようです。しかし、裏面に「南無妙法蓮華経」の日蓮宗の題目が彫られていることからこの道標は妙秀寺から真っ直ぐ行った柏尾川の土手の寺側あたりにあった鎌倉道道標ではないかとうかがいました。
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旧東海道・吉田一里塚跡。
吉田の一里塚は明治に入り早い時期に取り壊されてしまったようです。江戸から10番目の一里塚で、 日本橋から約40km。昔は、40kmは一日で歩く距離、したがってこの辺りで旅籠のある戸塚の町まで、大橋を 渡ってあともう一息といった場所だったのです。今は案内板だけでした。

吉田大橋。
正式名称は「大橋(おおはし)」。
江戸時代の浮世絵にも描かれている歴史ある橋ですが、現在の橋は昭和61年に架け替えられた橋です。
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この辺りの路面にはこの広重を元にしたマンホールがありました。
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南向山清源院。
浄土宗寺院の清源院は、南向山長林寺と号し、かつて安達藤九郎盛長の一族長林某が創建した獅子王山林長寺があったこの地に清源院尼が元和元年(1615)に開基、小石川伝通院三世白誉を開山に迎えて創建したといわれています。
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芭蕉の句碑、心中句碑、徳川家康の側室の於萬の方(清源院殿)の火葬跡もありました。
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内田本陣跡。
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本陣は、大名、勅使、公卿、宮門跡、公用の幕府役人などだけが宿泊や休息できた施設。この辺りに、戸塚宿 に2つあった本陣のうちの1つ内田本陣があったのです。内田本陣は間口18間(32.8m)・奥行14間(25.5m)で、 畳数は152畳あったということです。

問屋場跡。
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戸塚宿には大小あわせて75の旅籠(はたご)、本陣が2軒、脇本陣3軒がありました。そしてこの辺りが宿の手配等を行う問屋場だったようです。どうやらこの通りを挟んで斜め前の大きなビルの辺りとのことでした。

澤邊本陣跡。
澤邊本陣は戸塚宿に2つあった本陣のうちの1つ。本陣創設時の当主、澤邊宗三は戸塚宿の開設にあたって 幕府に強く働きかけた功労者で明治天皇の東下の際には行在所になったようです。
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敷地の一角に戸塚宿の鎮守の1つ 羽黒神社がありました。1556年(弘治2年)に澤邊河内守信友が羽黒大権現を勧請したのが始まりと言われています。
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戸塚八坂神社は、戸塚郷の庄司内田兵庫源政親が元亀3年(1572)創建したとのことです。その後1688年(元禄3年)に内田佐衛門尉源政利が再興、明治初年社号を八坂社と改めたといいます。明治元年の明治天皇還幸にあたっては、当社境内に内侍所が奉安されたといいます。
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お札まきは、七月十四日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったということです。この踊りは、江戸時代中期、江戸や大坂で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されているのです。

八坂神社前の交差点を渡った所にかまくら道道標がありました。
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冨塚八幡宮・冨塚天満宮
富塚八幡宮は社殿後方の山上には富属彦命の鎮堂を奉った富塚が、境内には松尾芭蕉の句碑があります。戸塚の地名は、この「富塚八幡宮」の「富塚」からきていると言われているようすで戸塚の氏神様として市民の信仰を集めているのです。
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拝殿・本殿に向かい右手前側に裏山へ上る山道をたどると「富塚の碑」という石碑があるとのことでした。「富塚」は戸塚区内に現存する唯一の前方後円墳なのです。
学問の神様でもある、天満宮の社殿が神社社殿の脇に建っており、合格祈願に訪れる人も多いとのことです。さらにその横には庚申塔が沢山ありました。
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上方見付跡。
東海道の各宿場の出入口には見付がおかれ、ここで大名行列などを出迎えました。ここは戸塚宿の京都の方で上方見付なのです。モニュメントが作られていました。
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柏尾川桜並木道。
柏尾川は、戸塚区柏尾町の阿久和川と平戸永谷川の合流点から藤沢市の境川合流点までの延長約11kmの二級河川。流域面積は約84km2、横浜市内では2番目の大きさ。この川は、昔は暴れ川と呼ばれ、たびたび洪水を繰り返していたのです。その治水対策として本格的な河川改修が行われたのは昭和55年からで、流域での1時間あたりの降雨量50mmに対応する整備が進められてきました。 また、上流側のブリヂストンに隣接する柏尾橋から栄区飯島橋までの区間には、河川管理用通路を活用した緑豊かな親水空間であるプロムナードもあるとのことです。堤防や高水敷を利用した広場やイベントステージ等があり、水辺でのレクリェーションを楽しむことができる憩いの空間なのです。柏尾川の桜の歴史は古く、安政年間からで、大正〜昭和初期には、戸塚駅から大船までの両岸に見事な桜のトンネルができ、関東屈指の桜の名所として知られるようになりました。その後、戦争や改修による伐採と新たな植樹を繰り返し現在に至っているのです。 現在、区内の柏尾川プロムナードに現存する桜は約700本で、その約8割がソメイヨシノ。その他には、オオシマザクラ、ヤマザクラなど9品種が確認できているとのことでした。
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戸塚区は自治体の取り組みが良く、あちらこちら見るところはほとんど案内があり、感心しました。しかし昔の風情がほとんど残っていない場合が多く、これは少し残念に思われました。
本日は曇り、気温22℃、風はほとんどなく、ウォーキングにはまずまずの日和。参加者22名は講師浅井先生、TD関さんのお世話でAm10:00〜PM4:00までに歩程約10km、約2万歩を完歩。元気で終了することができて何よりでした。まだまだこのシリーズは続きます。頑張ります。
posted by yunofumi at 22:33| あちこちウォーク

2018年06月16日

2018.6.10. 山手線歴史探訪ウォーク 第10回

新橋駅〜東京駅
JR新橋駅烏森口改札⇒新橋駅D51機関車の動輪・鉄道唱歌の碑⇒スペースFS汐留⇒汐留シティセンター⇒旧新橋駅停車場・鉄道歴史展示室⇒ゆりかもめ新橋駅⇒汐留駅⇒はまかぜの階段⇒旧浜離宮恩賜庭園⇒ベルサール汐留⇒銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機⇒銀座郵便局・検査業務開始の地⇒中銀カプセルタワーホテル⇒建築の礎石(汐留遺跡)⇒昭和通り銀座歩道⇒銀座三井ビルディング⇒とらや⇒ライオン⇒交詢社通り⇒スズラン通り⇒銀座千疋屋⇒COACH⇒TOKYU PLAZA⇒数寄屋橋公園⇒泰明小学校・銀座の柳2世⇒山下橋跡⇒山下橋架道橋⇒帝国ホテル⇒鹿鳴館跡⇒日比谷公園・馬の水のみ・大岡越前守忠相屋敷跡⇒検察庁⇒法曹会館⇒皇居坂下門⇒桜田門⇒汐見坂⇒二の丸庭園⇒平川門⇒将門塚⇒GUERANICA⇒JR東京駅

JR新橋駅烏森口改札。
古くからの商店街や中小様々な雑居ビルが混在する、ビジネスマンの歓楽街、それに烏森神社が傍にあるのでこの改札名になったようです。

新橋駅D51機関車の動輪。
JR新橋駅の汐留口を出て左側、ゆりかもめ新橋駅の入り口の正面にあるモニュメント。またすぐ隣には鉄道唱歌の碑がありました。
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2018(平成30)年は、日本の元号が「明治」と改められて満150 年の節目の年にあたります。 幕末期に日本が開国へと動き始めた頃、日本にもたらされたのが蒸気機関車です。1869年(明治2年)、明治政府は鉄道建設を決定しましたが、技術も物資も資金もなかったため、外国人を招聘し、その指導のもとに鉄道建設を開始。1872年(明治5年)に日本で最初の鉄道が新橋〜横浜間に開業したのです。
今発掘された旧新橋停車場駅舎やプラットホームの石積み、基礎の構造が鉄道歴史展示室の裏で見られます。
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旧浜離宮恩賜庭園。
元々は江戸幕府の老中だった大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで回遊式庭園。その後宮内庁管理の離宮を経て1924年(大正13年)東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として現在公開されています。
藤棚、雪見灯籠、、州浜、、枯滝 、石柱、西湖堤、大島、中島 、浮島、大山、根府川山、唐津山、三百年の松など見るところが沢山ありました。
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銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機。
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この信号機は、昭和6年から昭和62年までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されたものとのことです。現在は汐留駅の廃止で、引込線も撤去されていますが、この踏切だけ残っていて、少し不思議な光景でした。

銀座郵便局の前に「検査業務開始の地」石碑がありました。ここには電信用機材である硝子の検査を行った「硝子試験所」があったそうです。
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中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル)とは、黒川紀章が設計し、世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅(マンション)。1972年(昭和47年)竣工。黒川紀章の初期の代表作。それぞれの部屋の独立性が著しく高く、部屋(カプセル)ごとに交換することも、技術的には可能な設計になっているようですが、実際には一部のカプセルのみを交換することが困難であることから、現在に至るまで一度も交換されていないとのこと。鳥の巣箱を積み重ねたような特異な外観は、ユニット製のマンションであることの機能をダイレクトに表現し、そのメタボリズムの設計思想を明確に表現したデザイン性は高く評価されているとのこと。また、ビジネスマンのセカンドハウス・オフィスとして想定されたその内装は、ベッド、エアコン、冷蔵庫、テレビ、収納などが作りつけで完備されており、洗濯機などの日用品は配されているのでした。2006年には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれています。現在、老朽化のため取り壊し・建て替えなどの提案があるようです。
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建築の礎石(汐留遺跡)。
浜離宮庭園から築地の方向に歩いた歩道橋の下にありました。説明板によると仙台藩伊達家上屋敷の土台として使われていた礎石だとのことです。

ウォーキング途中で交詢社通りに出ました。
交詢社は1880年(明治13年)に福澤諭吉が提唱して結成された日本最初の実業家社交クラブのこと。慶應義塾の同窓会メンバーを中心として社則を草案。1880年に青松寺(東京芝区愛宕下)で発足。その後大正元年に財団法人化されて正式名称は財団法人交詢社。現在も一般財団として存在しているとのことです。

数寄屋橋公園は2016年にオープンした東急プラザ銀座と合わせてリニューアルされ綺麗になっています。ここは江戸時代、江戸城に初めて架けられた数寄屋橋があった所で石碑もあります。また岡本太郎作の「若い時計台」も見られます。
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泰明小学校は東京都中央区銀座の小学校。
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1878年(明治11年) 東京府立泰明小学として創立。校舎は、1923年の関東大震災の教訓から、通常の壁厚が15cm程度であるのに対し22cmを有する堅牢なつくりとし、第二次世界大戦の東京大空襲の爆撃にも耐えて現在に至っています。外観は、ツタの絡まる校舎の外壁や、連なる3階の半円形の窓、円形に張り出した講堂、緑を伴うアーチ型の開口を有する塀、“フランス門”と呼ばれる瀟洒なデザインの門扉などの特徴を有しています。
島崎藤村、朝丘雪路や近衛文麿など卒業生には著名人が多いとのことです。

帝国ホテル。
1883年現在のホテルの続きで鹿鳴館が完成。1887年当ホテル設立が決まり1890年に帝国ホテルとして開業。建坪1300余坪、ドイツ・ネオ・ルネッサンス式木骨煉瓦造3層で室料は最下等50銭、2食付き2円50銭09円だったとのことです。今日はこの街歩きシリーズの最終回のため帝国ホテル内なだ万で点心のランチでした。
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日比谷通りを挟み日比谷公園の向かのNBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)の左の塀に、「鹿鳴館跡」のプレートがあります。鹿鳴館はイギリス人ジョサイア・コンドルが設計したレンガ造り二階建ての洋風建築で、1883年(明治16年)年落成。1894年(明治27年)華族会館に払い下げられ、1927年(昭和2年)には 現在の大和生命保険に売却, 1940年(昭和15年)に解体されたのです。プレートには以下の要に記されていました。
「鹿鳴館跡   ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であってその黒門は戦前まで国宝であった.その中に明治十六年鹿鳴館が建てられいわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった  千代田区」
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日比谷公園は霞が関、有楽町などと隣接し都心部にある都立公園。公園面積は161,636.66u。 後楽園球場や東京ドームと並んで、広さを誇っています。江戸城日比谷御門のすぐ外にあり、江戸時代には錚々たる大藩の上屋敷が置かれたところでもあります。中にはいるとすぐに「馬の水のみ」がありました。
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東京メトロ丸の内線霞が関駅近く、弁護士会館の角に大岡越前守忠相屋敷跡の案内がありました。時代劇で有名な大岡越前は実在の人物です。彼は徳川8代将軍吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支え、江戸の市中行政に携わったほか、評定所一座に加わり、地方御用や寺社奉行を務めました。そしてこの当地が町奉行の大岡家の上屋敷跡が弁護士会館というのも面白いですね。
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桜田門(さくらだもん)は、江戸城の内堀に造られた門。1860年(安政7年)にこの門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きたことはよく知られています。

汐見坂は江戸城の本丸と二の丸をつなぐ坂道。江戸城築城の際には、江戸湾の日比谷入江が目の前まで迫り、坂の途中から海が見えたのが名の由来とのこと。往時には坂の上には、汐見坂門があったようです。また坂の横には白鳥濠があって、防御が堅いことがわかります。

江戸城二の丸は本丸の東側にあり、3代将軍家光の命で1630年(寛永7年)に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されたとのことです。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636年(寛永13年)には二の丸御殿が建てられ東側に庭園を配置したのです。現存する庭園は当時の庭園を昭和43年に復元したものだということでした。コウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、赤坂御用地の池から移したアサザ、菖蒲田には昭和41年に明治神宮神苑から株を譲り受けた84品種の花菖蒲と季節ごとに色々な花が見られます。
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平将門の首塚(たいらのまさかどのくびづか)は、平将門の首を祀っている塚。伝承では、将門の首は平安京まで送られ東の市、都大路で晒されていたのが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたといわれています。伝承地は数か所もあるようで、いずれも平将門の首塚とされているとのことでした。その中でも最も有名なのが、この大手町1丁目、三井物産本社ビル傍にある首塚。かつては盛土と、内部に石室ないし石廓とみられるものがあったようですがこれは、古墳であったともいわれているようです。

東京駅丸の内北口、丸の内オアゾ1階の○○(オオ)広場にピカソの「ゲルニカ」複製陶板壁画がありました。
GUERANICA(ゲルニカ、Guernica)は、スペインの画家パブロ・ピカソがスペイン内戦中の1937年に描いた絵画、およびそれと同じ絵柄で作られた壁画です。ドイツ空軍のコンドル軍団によってビスカヤ県のゲルニカが受けた都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を主題としているとのことです。20世紀を象徴する絵画であるといわれています。今では反戦や抵抗のシンボルとなり、ピカソの死後にも保管場所をめぐる論争が繰り広げられたのです。 ゲルニカは、「偉大な神が降りた」とも言われているようです。

本日はこのコースの最終回。とはいえ、このコースでは初めての雨降り。それも一時はかなりの風雨でカッパの中は汗でぐっちょり。久しぶりでした。気温22℃もここ数日にしては低め。また講師井上先生、TD阿部さんの添乗は初回と同様でご縁を感じました。今日も歩程10km、22000歩を達成。帝国ホテルでの御馳走の後、完歩式がありました。参加者26名中完歩は24名。私は10回中2回がまだ穴あき状態なので残念ながらシリーズ終了とはいきませんでした。後日の催行を待ち、完歩を目指すことにいたします。
posted by yunofumi at 22:30| あちこちウォーク

2018年06月11日

2018.6.5. 信州バス旅行

今日はステップトラベルのお買い物ツアーに参加。
片道約200kmをひたすら山梨県笛吹市〜長野蓼科〜長野県茅野市を往復したドライブ旅行でした。天候は晴れ、気温は約24℃、平日で空いている高速道路を縦横無尽にバスは走り、なかなか爽快な一日でした。

川越ウェスタ前⇒甲州わさび漬物センター⇒御射鹿池(みしゃかいけ)⇒遊楽庵⇒横谷峡・横谷温泉旅館・霧降の滝⇒蓼科高原チーズケーキ工房⇒丸井伊藤商店

甲州わさび漬物センター
山梨県笛吹市のわさびの漬物工場。種類が多く、また様々なレシピの紹介もあり興味深かったです。
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御射鹿池(みしゃかいけ)。
長野県茅野市 豊平奥蓼科にありました。大自然が静かに、けれど雄々しく息づく場所です。神秘的に包まれた湖に鮮やかな緑を映していました。
ここは県道191号・通称「湯みち街道」のすぐ脇にある小さなため池で、日本画家・東山魁夷が好んで描いたといわれている所で静かな水面にくっきりと映る美しい木木立はまさに絵画の世界でした。きっと紅葉の時期には多くの観光客が訪れると思われました。
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信州手打ちそば工房の遊楽庵で昼食でした。
こちらは長野県茅野市にあり、手打ち十割そば専門店でメニューは全て自家製粉の手打ち。横谷峡の天然の湧き水を使用した、挽きたて、打ちたて、茹でたての蕎麦は清々しいのど越し。十割そばのそば打ち体験もできるとのことでした。
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横谷峡の横谷温泉旅館は大正12年創業。奥蓼科から流れる渋川がつくる景勝・横谷峡の入り口に佇む和風モダンの静かな一軒宿。このエリアには“信玄の隠し湯”と語り継がれる温泉が点在しているとのことでした。宿では2種の泉質を堪能でき、ひとつは空気に触れると透明から茶褐色、黄金色に変わる含鉄泉。また、6種の湯船があり、巨石を積み上げた「渓流露天」は広々とした露天風呂で、眼下に渓流を見ることができます。秋の紅葉が素晴らしいと思われました。今日は昼間から温泉に入り、その後は瓶入りの八ヶ岳牛乳を美味しくいただきました。
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また入浴後のそぞろ歩きで霧降の滝も見ました。
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蓼科高原チーズケーキ工房はちよっとオシャレな外観でした。
濃厚チーズソフトクリームが人気のケーキ店でまさに出来立てチーズをたくさん試食しました。

最後のお立ち寄りは丸井伊藤商店。
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天然蔵などの見学をした後、みそソフトクリームをいただきました。
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午後は薄曇りとなりましたので身体はかえってラクチン!バス車内で爆睡し元気に帰宅しました。たまのバス旅行ものんびりしてよい気分でした。
posted by yunofumi at 21:50| ドタバタ日記

2018年06月07日

2018.6.2. 東京新発見旅第21回 練馬区

大江戸線光が丘駅⇒光が丘東大通り⇒光が丘消防署前交差点⇒田柄5丁目バス停⇒北野八幡宮神社⇒光が丘美術館⇒光が丘警察署前⇒光が丘郵便局⇒光が丘公園・花とみどりの相談所⇒一橋セミナー⇒高松4丁目交差点⇒高松地区区民館入口交差点⇒高松小学校⇒御嶽神社⇒高松ゴルフセンター⇒谷原1丁目交差点⇒練馬青果市場⇒神新田橋⇒こぶし橋⇒谷原三之橋⇒練馬区医師会医療健診センター⇒高野台1丁目交差点⇒氷川神社⇒長命寺⇒順天堂練馬病院⇒長光寺橋公園⇒石神井川・和田前歩道橋⇒葵寿司(昼食)⇒南田中団地西交差点⇒都立石神井公園⇒稲荷諏訪合神社⇒池渕史跡公園・ふるさと文化館⇒石神井氷川神社⇒石神井城の中心郭跡⇒三宝寺池沼沢植物群落⇒パークロード⇒石神井公園駅入口交差点⇒西武池袋線石神井公園駅

大江戸線光が丘駅
大江戸線は1991年(平成3年)に都営12号線の駅として開業。2000年(平成12年)に今の大江戸線と改称したとのこと。この駅は光が丘団地のほぼ中心軸で、駅周辺には大規模な商業施設(光が丘IMA)がありました。光が丘団地内に多くの公園がありました。2017年(平成29年)現在、光が丘1〜7丁目には約13000世帯、約30000人が暮らして居るとのことでした。
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北野八幡宮神社は、練馬区田柄にありました。創立年代不詳とのことながら、康平年間(1058-1065)に創祀したと伺いました。上田柄の氏神として地元の崇敬を集め、田柄の北野八幡さまと一般的にはいわれているようです。
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光が丘美術館。
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都営大江戸線光が丘駅から徒歩で5分のところにありました。ここは日本画や陶芸、版画など、日本芸術と伝統が融けあった美術館とうたっています。平成5年に開館した私設の静かな佇まいの美術館。森田りえ子、中野嘉之をはじめとした、新進気鋭の作家の作品や、人間国宝の田村耕一の陶芸、井上員男の全長76mに及ぶ版画の大作「平家物語」など、大変バラエティに富んだ作品を楽しむことができました。
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また、伺ったところではウィーン・ベーゼンドルファー社製の特別ピアノを使用したコンサートを、月1回程度開催。また美術鑑賞の後には、敷地内に緑が美しい空間に古民家のおしゃれな蕎麦屋が併設されており、美しい景色の中ランチが楽しめるとのことでした。

光が丘団地の周囲には、春の風公園・四季の香公園・夏の雲公園・秋の陽公園の4つの大きな公園がそれぞれ特徴を持たせて作られています。
四季の香公園は約42,100uの公園。園内には、四季折々の花があふれていました。公園の中心に「区立 花とみどりの相談所」があり、盆栽などの展示や植物の情報が見受けられました。
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春の風公園は自然豊かで多くの樹木があります。特に桜の木は多く、春のお花見スポットとしても有名とのことです。人工的な川や雨水を水源とするかえる池にはさまざまな水生植物が植えられ、鯉・亀・カルガモなどが暮らしています。
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光が丘公園は、光が丘、旭町、板橋区赤塚新町にある都立の都市公園(総合公園)。
光が丘団地に隣接する練馬区最大の公園。ここは、戦前には特攻隊の出撃基地ともなった成増飛行場および神田區武蔵健兒學園(花岡学院)があったとのこと。戦後は米軍グラントハイツとして利用されたとのことでした。

高松御嶽神社は江戸末期に上練馬村高松の小澤橋山(林蔵)によって創建されたと伝えられており1878年(明治11年)当地に遷ったとのことです。ご祭神は、国常立尊・大己貴命・少彦名尊の三神で、木曽御嶽神社の分霊を勧請したもの。新たな道が開けて木曽御嶽山への登拝が容易になったのは、1781年あたり(天明の頃)ということです。その後、江戸を中心に御嶽講をまとめ、信仰を広めたのは山行者たちのようです。むかし、ここから約150m北、富士街道沿いに高松寺という真言宗の寺があり、明治初年廃寺となたため墓地は愛染院に合併、ご本尊の薬師如来はその時この地に移されたのです。御嶽神社・薬師如来記念碑は神仏分離後のものとして珍しいものだそうです。
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鳥居脇の石仁王二体は1706年(宝永3年)伊賀忍者の頭領服部半蔵が高松寺へ寄逢したもの。背面に半歳の銘が見えます。伊賀衆は、幕末まで橋戸村(現在の大泉町)を領地としていました。当地は江戸屋敷(四谷伊賀町)と領地橋戸村との往還にあたっていたのです。
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練馬青果市場は、昭和21年6月に、東京都中央卸売市場淀橋分場の練馬配給所として業務を開始、その後いろいろ形を変えながら平成17年には卸売事業部門を分割統合して、新会社東京新宿べジフル(株)となっているとのことでした。

石神井川遊歩道。
石神井川は流路延長25kmほどの、荒川水系の一級河川。小平市が源流域で、西東京市、練馬区、板橋区、北区と、東京都北部を東へと流れ、北区で隅田川へと注ぐ。この石神井川の、板橋区中板橋辺りから東へ、北区滝野川へ至る区間の河岸は桜の並木になっており、春には見事な景観を見せてくれるのです。今日はもう花はありませんでしたが散策をしました。
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氷川神社は江戸時代初期の創建とのこと。傍にある長命寺は元々はこちらの別当だったようです。
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長命寺(ちょうめいじ)は、高野台にある真言宗豊山派の寺院。山号は東高野山。江戸時代から「東の高野山」として関東地方でも有数の霊場として広く人々から信仰を得ていたようです。
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南大門はこの寺の山門で四天王像が安置されていました。
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順天堂練馬病院。
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練馬区は23特別区の中では5番目に広く、人口は第2位。そして人口10万人あたりの一般・療養病床数は23区内で最低。昭和61年11月に地域医療振興協会練馬光が丘病院)が開設したがそれでも病床数の不足は解消しなかったようです。順天堂が2005年に開院、それでも病床数不足。現在この病院は400床の病院とのことでした。

都立石神井公園。
三宝寺池、石神井池の二つの池を中心とした公園で、園内は起伏に富み、武蔵野の自然がよく残っていました。木々に囲まれ静寂な趣の三宝寺池と、ボートで賑わう石神井池のほかに、石神井城跡とこれに関する幾つかの遺跡がありました。20万uの広さがあり十二分に緑を満喫できる公園です。
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茅葺の旧内田家
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ふるさと文化館
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池渕史跡公園石神井氷川神社は石神井の郷の総鎮守社。
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現在の町名では、石神井台から石神井町、上石神井、下石神井、立野町までを含む全域の鎮守(守り神)。今日、一般には「石神井のお氷川さま」と呼ばれているとのこと。神社の創建は、古く室町時代にさかのぼり、室町時代の応永年間(1394-1428)に、このあたりに勢力の大きかった豊嶋氏がこの地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まり。武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社から御分霊を奉斎したのです。石神井城落城後も氷川神社に対する村民の尊崇は篤く、鎮守の神として仰がれて現在に至っているのです。 社殿は本殿・拝殿ともに流れ造りです。社殿に向かい右手にある神楽殿は、昭和12年の建立。

石神井城の中心郭跡。
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石神井城は鎌倉後期に秩父平氏の豊島氏とされている。三宝寺池からの水の支配のために、この地に建てたとされているのです。 武蔵関公園から流れる石神井川と三宝寺池(石神井公園)を起点に延びる谷との間に挟まれた舌状(せんじょう)台地上に位置しています。
この石神井城は文明9年(1477)の4月、扇谷上杉家宰、太田道灌によって落城し、廃城となっています。

三宝寺池沼沢植物群落。
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今日も27℃、晴れ渡った青空の元、参加者5名は信野講師、小玉TDの付き添いで気持ちよくウォーキングしました。歩程10km、約2万歩でしたが練馬区、それも石神井の公園巡りという感じのウォーキングで都心とはいえ、緑の中を十二分に歩き回り気持ちよく終了でした。
今回で東京23区中、21区終了。後は都合で参加できなかった北区と大田区を残すのみです。
この東京新発見旅23区めぐりはこれで3巡目だそうです。まだ不参加の所は何時催行なのかわかっておりませんが気長にチャンスを待つことにいたします。とにかくこれで一段落。ヤレヤレと思いつつ面白いシリーズでした。
posted by yunofumi at 22:46| あちこちウォーク