2018年05月16日

2018.5.12 横浜散策 第11回港南区

横浜市営地下鉄(ブルーライン)港南中央駅⇒桜道入口交差点⇒桜道コミュニティテラス⇒南台小学校⇒笹下(ささげ)中学校⇒天照大神宮⇒日野公園墓地・美空ひばり墓⇒唱導寺(美空ひばり菩提寺)⇒横浜トヨペット港南店⇒鎌倉パスタ⇒港南区総合庁舎前バス停留所⇒岡本橋記念碑⇒上岡大岡西3丁目⇒笹下釜利谷道路・かねさわ道⇒江ノ電バス関の上バス停留所⇒江ノ電バス車庫⇒横浜刑務所⇒江ノ電バス大橋バス停留所⇒大橋・笹下1丁目⇒伸幸自動車工業⇒東樹院・笹下2丁目⇒鰻井戸⇒江ノ電バス打越バス停留所⇒ASA上大岡京急屏風浦店⇒日下(ひした)小学校⇒笹下交番⇒日下小学校歩道橋⇒まがた橋⇒日下小学校運動場⇒成就院・笹下城跡⇒笹下御下(ささげおおしも)公園⇒東福寺⇒笹下中央公園雑色杉本遺跡⇒大岡川取水庭公園⇒横浜刑務所⇒港南区総合庁舎⇒港南中央駅

港南桜道は、鎌倉街道から日野公園墓地を結ぶ全長1.4kmの桜の並木道。地下鉄港南中央駅そばの桜道入口交差点からの坂道で、鎌倉街道と日野公園墓地の高低差は約50mとのことでした。桜道は、もともと日野公園墓地の参道として誕生したのでした。港南桜道の桜は、昭和8年に植樹されたものが多く、桜の寿命が平均60年とのことでかなり弱っている木もあるようです。道標が綺麗に並んでいました。
DSCF7419no2.JPG

港南天照大神の創建年代等は不詳ということですが、天正年間(1573-92)以前の創建で、往古は笹下郷の総社だったと伝わっており、江戸期には太神宮といわれたようです。
DSCF7440no2.JPG

日野公園墓地横は横浜市が運営する公営墓地。上大岡駅と港南台駅の中間程に位置する山一帯が墓地となっている所で開設は昭和8年と古く豊かな緑に覆われていました。
美空ひばりさんのお墓はかなり奥の方でした。
DSCF7461no2.JPG
すぐそばの山の端まで行くと横浜の町が一望できました。

唱導寺(しょうどうじ)は、港南区日野中央一丁目にある日蓮宗の寺院。山号は延宝山で歌手・美空ひばりさん(慈唱院美空日和清大姉)の菩提寺として知られるとのことでした。
DSCF7485no2.JPG
こちらは江戸時代中期、日蓮宗学僧の妙心院日迅が、現在の茅ヶ崎市浜之郷付近に開創した布教所唱導庵が起源。1955年(昭和30年)に現在地に移転し、1967年(昭和42年)現在の延宝山唱導寺に寺号を改めたようです。

笹下川に架かる岡本橋を渡ると右側に平成5年横浜市登録文化財地域史跡に指定された岡本橋記念碑がありました。この岡本橋の名の由来は、上大岡の「岡」と松本の「本」をとって付けられた名で、この両地区を結ぶ橋でもあるのです。記念碑には、「鎌倉沿道の笹下村と大岡村の間の道が狭く坂もあり、青木台という処は曲りくねって道は険しく、ひとたび雨になると泥寧が激しく、晴れれば道は凸凹して遠回りしなければ歩けない程であったので日野村の高梨林右衛門は近隣の人々を誘い道路を一直線にするため山を切り開き、橋を架けなおしたが、地盤が新しいので雨が激しく降りしきったとき、再び修造前以上に悪くなってしまい、そこで義損金を募って明治21年改修工事をした。その功績を永久に残し伝える。」と記されているのです。
DSCF7539no2.JPG

笹下釜利谷道路(ささげかまりやどうろ)は、港南区関ノ下交差点から金沢区君ヶ崎交差点を結ぶ道路の通称でかねさわ道ともいわれるようです。

東樹院は高野山真言宗寺院で関宮山寂静寺といい沙門順玉が1127年(大治2年)に創建したと伝えられ、その後衰廃していたものを沙門至順が嘆き、笹下城主間宮豊前守の助力を得て再興したということです。
DSCF7582no2.JPG
ここには和尚さんが助けた女の人と狸の民話があり「文福茶釜」が今もこの寺に残っているとのことでお庭にはこの話を伝えるタヌキと女の人の陶製の像があります。
DSCF7586no2.JPG

鰻井戸。
DSCF7595no2.JPG
説明板がありました。それによると、鎌倉幕府を治めていた北条越後守平朝臣実時(ほうじょうえちごのかみあそんさねとき)が、1275年(健治元年)に病にかかりその後も回復しないため家臣が紀伊国那智山の如意輪観音(にょいりんかんのん)に祈念したところ、実時の枕元に観音様が現れて「西北に2里(約7.8km)行った場所に、井戸があるので、その水を飲むと快復する、その井戸には頭の斑紋がある2匹のウナギいて、それが病から救う霊物である」とのお告げ通り井戸の水を飲んだところ、実時は1日1夜で快復したということです。快復後、実時が井戸を訪れるとウナギが泳いでいたので「うなぎの井」と名付けられたのです。その後「うなぎの井」は諸国に知れ渡り、水を汲みに多くの人が訪れたのですが、実時が亡くなった後、2匹のウナギもいつとなく消え失せたとのことでした。その後、この井戸に関する縁起書は、港南区笹下の三河屋にあった、とのこと。現在の鰻井戸はブロック塀と門扉で閉ざされているので中へ入れませんでした。

笹下城跡。
金沢道のバス停「日下小学校前」から、西へ笹下川を曲田橋(まがたばし)で渡ると、成就院へ向かう坂道があり、この付近は、戦国時代小田原北条氏の武将間宮豊前守康俊が、父祖の代から受継いた笹下城跡だった所。ここの台地にはかつて「壇地」と言われていたものがあり、域郭用の削平地で「詰めの城」があったとのこと。今の洋光台武内氏宅付近に内屋敷、御下公園近くに下屋敷があったとのことです。また、成就院脇から南へ上る空堀だったところは埋められて今は道になっていました。さらにその上の高台一帯が本丸の役割を果していたと考えられているとのことです。
「成就院」は山号を梅花山、宗派は浄土真宗、本尊は阿弥陀如来像、山門は前述間宮氏の陣屋を廃止した時、当院に移築したものとのこと。
DSCF7629no2.JPG
この門前に詩人大野林火氏の「猛り鵙(もず)松籟(しょうらい)に今鎮(しず)まりぬ」の鎮魂の句碑が建っていました。
裏手墓地には1864年(元治元年)鎌倉で英国士官を殺害し処刑された間宮一の墓がありました。
DSCF7642no2.JPG
また珍しいムクロジ(無患子)の木と実を見つけました。
DSCF7650no2.JPG
ムクロジは日当りがよく湿りけの多い山中に生え、寺社あるいは屋敷林に植えることも多いとのこと。果実は約2cmの球形で、中に黒い種子が1個あり、数珠や、羽根突きの玉に用いられると伺いました。

東福寺は972年(天禄3年)天台宗の僧護妙法印という方が比叡山より行基作の「薬師像」を背負い、当地に来られ「妙法寺一乗寺」を創建したのがはじまり。 その後親鸞聖人の法弟となった海弁という僧が開基となり浄土真宗に改宗したとのことです。
こちらには珍しい花塚がありました。
DSCF7669no2.JPG

笹下中央公園の雑色杉本遺跡(ぞうしきすぎもといせき)は港南区笹下5丁目にある縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡。縄文時代早期の遺構として土壙(落とし穴)26基、竪穴住居跡1軒、石組炉1基、溝状遺構2条が発見され、縄文時代早期に発生したとみられる地割れの痕跡も見つかったとのこと。遺物として縄文時代早期の土器片(撚糸文土器・条痕文土器)、石器(石斧など)、縄文中期の土器片、弥生時代後期の土器片などが出土したのです。またこの一帯には、中世に笹下城が存在したと伝えられ、雑色杉本遺跡の範囲も城域に含まれるとされていたのですが、曲輪のような城郭遺構と目された平担な場所は、縄文時代以前に形成された埋没谷による地形で、城郭または中世に属する遺構は発見されなかったということでした。発掘調査された範囲は削り落とされ、環状2号線となって消滅。南側に隣接する笹下中央公園一帯では元来の尾根が残っており、遺跡の説明板がありました。
DSCF7684no2.JPG

大岡川取水庭公園。
DSCF7706no2.JPG
この取水庭は、かつて大岡川が東へ大きく迂回して流れ、中程に島の形態を呈していて、代々北見氏の居住地だったのです。「かわじま」の五百数拾年を超える歴史をもつ北見氏居住の地が、分水路施設のために消え去ることは惜しまれましたが、洪水対策として公共のために生かされる意義は大きく、ここに事業の完成を記念した石碑がありました。
DSCF7695no2.JPG

DSCF7711no2.JPG

横浜刑務所は敷地がとても広大でした。男性受刑者が収容されており、執行刑期が10年未満で犯罪傾向が進んだ者、日本人と異なる処遇が必要な外国人、無期刑および執行刑期10年以上の犯罪傾向が進んだ者など約1200人を収容しているとのことでした。

本日も晴れ、気温27℃、風もほとんどなく、少し暑かったですがウォーキングにはまずまずのひより。参加者25名は講師浅井先生、TD高橋のお世話でAm10:00〜PM3:00までに約2万歩を完歩。そうそう横浜刑務所の作業製品展示場が本日はお休みだったので港南中央駅にて細うどんやそばがら枕を買いました。皆さんの未来を思い、応援したいものです。
posted by yunofumi at 20:50| あちこちウォーク